あなたを想う花 作:喉越しがいいお蕎麦
アーキタイプ
人を空に飛び立たせるための翼になるはずだったものを。
そしてこれからは人を簡単に殺せる兵器に成り下がるものを。
人として壊れた天才が、自分の数少ない友人が生み出したモノを見上げる。
それは白色の甲冑だった。近接用ブレードと荷電粒子砲を備えた、現代に蘇りし有翼の騎士。雨に濡れた純白の装甲は街灯に照らされて冷たく輝く。
それを見上げるのは、まだ未成年であろう少女。雨が顔を、四肢を伝い地面に滴り落ちる。
黒の長髪はしっとりと濡れ、街灯が照らす横顔は酷く悲しそうだった。
まるで、変わり果てた友人を見るような……そんな瞳。
「なぁ……お前は……」
言葉はそれ以上続かない。続かせても意味はないから。
雫が頬を伝う。涙なのか、雨なのか。それは分からないけれども、それでいいと思えた。ここで自分が涙を流すのは罪だから。
『止まない雨はない』と、人はよく言う。ならば、このままもう少し濡れててもいいだろう。この雨が全てを洗い流せるとは思っていない。でも、少しでも心を軽くしたかった。
ガラの悪い、名前も忘れた同級生から押し付けられた煙草を燻らせて、夜の色に染まる。自分に夜のテクスチャを張り付けなければ、孤独で押しつぶされそうで。
この世界に1人取り残されたような感覚。あれほど居心地良く、自分の唯一の居場所だと思っていた家ですら帰りたくないと感じてしまった。家にいても孤独感が拭えなかったら、本当に壊れてしまいそうだから。弟の純真な瞳が一線を超えてしまった自分を見つめるのが怖かったから。
だからこうして家にも帰らず自分と共にあった兵器を眺めている。誰かが自分を見つけてくれれば、この孤独も晴れるのではないかと意味のない思考をしながら。
吐き出した白煙が、夜空に溶けて消えていった。
「……不味いな」
「まあ、束さんたちにはまだ早いものだからね。それは大人の味だ……でも、ちーちゃんはそれよりももっと味わい難いものを味わってるよね」
闇夜から音もなく姿を現したのは齢16歳の天災、篠ノ之束。彼女……織斑千冬の親友にして、とある道場兼神社の長女。そして……。
「世界を変えた味……もしくは英雄になった味、か?」
世界をひっくり返したこの酷いマッチポンプの脚本家。
その返答に満足したのか、束は唇の両端を吊り上げる。左右対称の弧を浮かべる兎が無性に腹立たしくて、舌打ちを一つしても、彼女は笑ったままだった。
相変わらずだった。人としての根本部分が完全に『終わっている』彼女は、いつもこの調子だ。人に何言われても馬耳東風、その癖他人には意識せざるを得ない不吉な予言のような呪詛を吐き、破滅していく様子を特等席で眺める人でなし。だが、こんな化け物と友好関係を築き、あまつさえ唯一の親友と呼ばれる千冬自身はどうなのか。
やはり、千冬も同じく化け物なのだ。束が人の極致に至った果ての化け物ならば、千冬はそもそも人ですらない化け物。あらゆる箇所が最適化された己は温もりを持った人ではなく、冷たい機械と呼ぶ方が適切であろう。
だが、そんな機械のような自分にも幸か不幸か感情はある。少なくとも、目の前の狂人よりは幾分か真面なものはちゃんと備えており、この状況を不快と感じた。
「そんなにいい気分じゃないさ。逃げ惑う人も、これを神みたいに崇める奴も、見ていて心が締め付けられた。そもそも、宗教は好きじゃない」
ひどい話だと、そう思った。行ったのは自分自身なのに。まるで被害者の様な事を宣って。自分たちで危険に晒しておいて、自分たちで守った。三文芝居でしかないじゃないか。
これによって物理的な損害を負った人は確かにゼロである。しかし、精神的なものは別だ。
ミサイルが降り注ぐあの地獄の様な光景を、青かった空が灰色に染まったあの虚無を、『死ぬかもしれない』という恐怖を味わった人々が果たして傷を負っていないと言えるだろうか。それはきっと否だろう。世界の人々全員が、自分たちの様な壊れた存在ではない。
そもそも、これが生まれた事によって明日から路頭に迷う人だっているかもしれない。
そんな事、ずっと昔から分かっていたのに。
「本当に?」
それは一体千冬のどの思いに、どの感情に言ったのだろうか。
束が千冬に顔を近づける。吐息が触れそうなほどの超至近距離には、各人のパーソナルスペースなど意味を成していない。不気味な光彩を灯す瞳が千冬の奥底を見透かそうとする。何もかも知っている癖して、敗北宣言は相手の口から吐かせたくて堪らない束らしかった。
唇の端を吊り上げ、先ほどの笑みよりもさらに嘲笑を孕んだ
「ちーちゃんってさぁ……束さんの前に現れたとき、ボロボロだったよね。背負ってたいっくんよりもボロボロだった。あのときのちーちゃんだったらその辺にいる虫でも殺せそうだったなぁ……」
更に距離が縮まり、前髪が触れ合う。鮮やかだった桃色の瞳はいつのまにか化け物のような黄金に変わっている。
それに伴い、束の存在理由そのものも変わっている様な気がした。無人のISのコアが共鳴を引き起こし、未知の現象が生まれる。ミシリ、キシリと界が軋む音。千冬の頬に冷や汗が一筋流れた。
「……何が言いたい」
喉から這い出そうになった「お前は誰だ」という言葉を嫌悪感とともに飲み込み、気丈に疑問をぶつける。
そんな千冬を彼女は満面の笑みを浮かべて、見下ろした。
「あの時のちーちゃんと、さっきちーちゃんが見た人は全く同じだよ。状況も状態も何もかも違うけど、根本は変わらない。強い何かに流されて、選択肢を奪われた家畜さ」
人の本質とは選ぶ事。自分の道を自分で決める事こそが人を人たらしめるなら、それができないならば人ではない。道を選ばされてるなら家畜と同等の価値しかない。
「束さんはね、そういう奴らが1番嫌い。選択すら放棄したのに責任を人に押し付けるやつ、何もかも知らないふりをして白痴に生きるやつ。全員ゴミ屑以下だ」
「だが、この世界で生きる以上はそれも一つの人間の在り方だ。選択する自由があるなら、選択しない自由もある。選ぶことだけが価値ではない。それが世界だ。それが人間なんだ。私達は、常に私達だけの足で立ってるわけじゃない」
選ぶこと、自分の頭で考えること、常に責任を持つこと。それらはきっと簡単ではない。寧ろ、極力避けた方が楽な人生を送れる。だって、これらのことは痛みを伴ってしまうから。誰だって痛いのは嫌だろう。
それが正しさの痛みなら尚更だ。まだ間違いによる痛みなら耐えれる。だが、正しさゆえの痛みは逃避すら許さない。
そんな痛みに彩られた、誰も救われない苦しい道を歩ませようと束はしている。そんなものは認められるはずがなかった。どれだけ栄光と賞賛に彩られていようと、裏返したら血と痛みと苦悶に塗れている世界なんて正しいはずがない。それが、人が正しく選び続けた果てであろうと。
「だから束さんはこの世界を変える。人が変わらないなら世界を変えるしかない。人が正しいことを、正しいままに、正しく行えるようにする。そのためのISにする。ISは神になる。凡ゆる力はISの元に集約させる」
理解ができなかった。狂ったほどの熱量を纏う言葉は千冬の脳を揺さぶったが、言っていることは何一つ理解できなかった。一欠片の共感すら示せない。この天才は根本的に違う物差しで世界を測っている。これが恐らく超越者の目線なんだろうと、痛いほど分かった。
「と言っても、ちーちゃんには理解できないか」
だが、そう言って寂しそうに笑う顔だけは本物だろうという確信があった。そして、この顔を見せられるが自分しかいないということも。
「あぁ、これっぽっちも分からない。だが……」
照れ臭そうに千冬は顔を背けて。
「お前は私のたった1人の親友だ。それでいいだろう?」
「……うん、束さんとちーちゃんは親友」
束の顔はよく見えなかったが、きっと笑っていたと思う。
仕切り直すように千冬は咳払いをする。その表情は先程よりも幾分か柔らかくなっており、あのやり取りが決して無駄ではなかったという事を証明している。対する束も、先ほどよりは上手く笑えていた。
「それで、この後はどうするんだ? 流石に無計画じゃないだろう?」
「んー、とりあえずはISを世界に適当にばら撒いたら私は表舞台からは暫くいなくなろうと思うよ。その方が色々と動きやすいし」
「ちーちゃんはどうするの?」と聞いてくるが、特に考えが浮かばなかった。したいことなんて、何もない。ただ安らかに生きて、弟よりも先に死ねればそれでよかったから。だが、もうそんなことは口が裂けても言えない。あの日、束の手を取ったときから安らぎは遠ざかるばかりだ。恐らく、ISとも一生関わることとなる。そんな確信があった。
「私は……ここにいる。お前がここにいられないなら、私はここいる」
だから、ここに居ようと決めた。何もかもが変わりゆくならば、ここだけは不変にしようという祈り。自分の居場所は自分で決める、とても人間らしい行為。
そして、この言葉にはもう一つの祈りが込められている。
果たして、この言葉の裏に隠された意味は、束は分かっただろうか。きっと、分からないだろう。現に首を少し傾げて千冬を見る表情は疑問が浮かんでいる。
それでもいい。今わからなくても、いつか分かってくれればそれでいい。
これを理解できるようになったとき、束はきっと。
「そっか、じゃあここで暫くお別れだね。寂しくなるなあ。でも、きっとまた会えるから」
再会への祈り、生涯唯一の友への言の葉。それはきっと、最悪に近い形で叶えられるであろう。これより先は、坂を転げ落ちるように憎悪と殺意をぶつけ合うはずだ。だけど、それでもこの時間だけは。
「まだ束さんの計画は始まってすらない。アレを見つけるまで、束さんは止まらない」
「やるべきことは山積みだよ。ISの進化の調整と、技術レベルの向上。邪魔をしてくるであろう存在への対処」
少し先の未来を夢想しながら、彼女は設計図を夜空に描く。完成するまで、完成しても、書いては消してを繰り返して。
そんな束の顔は、少しだけ優しそうな顔をしていた。
ISを完成させるまでの過程で、束に何かがあった。そう推測するまでは可能だが、そこから先の『一体何があったのか』を推測するのは不可能だ。自分達とは異なる精神構造をしている天災が変わるきっかけとなった出来事なんて皆目見当がつかない。
不思議そうな顔をしている千冬を見て、束は寂しそうな声音で以って言った。
「教えてもらったんだよ、この世界の仕組みを。繰り返される交代と、犠牲になり続ける人柱。誰より人間として生きたくても、ヒトとして生きることができない存在。美しいものを見れず、醜いものを抱え続けなきゃいけない人」
何かを懐かしむ様に、悼むように言う束に千冬は何も言えなかった。いつもの軽薄な態度は微塵もなく、誰か或いは何かと真剣に向き合った果ての言葉だと理解できた。
「誰かが犠牲にならないと生きれないなんて、私は認めない。それが世界だっていうなら、私はそれを否定する」
「人は虹を掛けれる。人も世界も美しくなれる。私がしたいのは、その証明」
「私が目指すのは星海の彼方。救われない者に救いの手を。そこだけは、ずっと変わらないさ」
そう言って彼女は、空の向こう側に手を伸ばした。
世界の残酷さと人の美しさを見た天災は、『彼』に託された未来を知るために。
ISは世界を変えた。凡ゆる兵器は過去になり、最強たるISの元に平伏した。だが、ISは最強であっても無敵ではない。
ISがある程度守れるのはパイロットのみ。
ISを動かせるのは女だけ。
それは“自分だけは大丈夫”という幻想や、“自分は特別である”という傲慢、さらには“ISを動かせない女は異物”と、誰かが言った。
そして、ISが産み出した思想は歪み果てて世界に伝播する。
優れた者は劣等を踏み躙っていい、と。
大きな幸福のために小さな不幸は見過ごせ、と。
異端は認めない、と。
故に必然だったのだろう。ISが産んでしまった最初の犠牲者が奈落の底から絶叫するのは。
あの日から止まっていた時間が動き出す。
それは、束が犯した最初の罪。
それは、千冬が見落とした最初のイレギュラー。
絶望の淵で胎動していた復讐者が動き出す。
「あの場所に、彼がいる」
憎悪に凝った声。大切なものを奪われた声が聞こえる。
「許せない。許すわけにはいかない。私の光を奪ったアイツも、あの場所でなにも知らずに立っていたあの女も許せない。皆殺しにしてやる」
狂気は熱を帯び、愛を奪われた弱者は他者を踏み躙るべく闇の翼を広げる。
「何もかも蹂躙してやる。お前たちが彼にしてきた事を、そのままお前たちに返してやる。逃げられるだなんて思うな必ず殺すお前たちだけは殺してやるぞ」
殺意、憎悪、赫怒、悲哀。四つの感情が生み出す
「奪われたなら、奪い返す。何もかも焼き尽くしても、私達は取り戻す」
奪われたなら、奪い返す。
何もかもを光で焼き尽くし、優しき陽だまりへ。
誰かと笑い合える明日へ。
君と歩める未来へ。
「だから、待っててね。■」
そう言って、涙を拭って彼女は笑った。
世界の悪意と人の悍ましさに打ちのめされた天才は、『彼』にもう一度会うために。
天災、最強、天才。そして、『彼』。
全ての始まりの4人。全ての終わりとなる4人。
その罪は傲慢であり、無頼であり、退廃であり、虚構である。
賽は投げられた。万象破滅するまで止まりはしない運命の歯車が、あらゆる過去未来現在を巻き込みながら終焉に向けて転がり落ちる。
星を旅立つ未来へ。
生きていける未来へ。
彼と共に歩める未来へ。
■■■■■■■。
故に戦う。呪いと破滅しか残らない、残せないと笑いながら。
それでも前を向く。それでも未来へ進む。譲れないモノの為に。
自分の居場所はどこにもない。
自分は人と同じように歩めない。
愛した人はいつかいなくなる。
自分が何者かすら分からない。
故に血を流す。それが真実だなんて認めたくないから。それを否定しないと、生きることすらできないから。
願っているものは誰もが同じ。
命、穏やかな生活、誇り、夢、帰る場所、大切な人達。
それを誰かに、世界に奪われないために。力の限り戦い、他の誰かから奪い続ける。
生きる為に他者を必要とする。生きる為に他者を傷つけ排除する。
この矛盾が、人を縊る鎖となって幾星霜。
いつか、人がその運命を越える時。
いつか、人と人が真の意味で分かり合える時。
いつか、陽だまりで皆が大輪の笑顔を咲かせる時
いつか、全てを救える全能者が現れる時。
その『いつか』を、『誰か』を皆が待っている。
人が虹の橋を越える日を。
剣と翼を持つ、人間の救世主を。
我らが主人公の織斑一夏くんの出番は次回です