あなたを想う花 作:喉越しがいいお蕎麦
次くらいでセシリア戦に入ります。
「お前の専用機か?」
一夏は自販機で缶コーヒーを買う千冬を見つけて、聞こうと思っていたことを漸く聞けた。
「詳しい仕様とかはいらない……いや、もちろんあった方が嬉しいんだけど、専用機のコンセプトくらいは知っておきたいと思って」
「なるほどな。まあ、隠す理由もない。ある程度のコンセプトと、搭載武装くらいは入手している」
着いてこい、と言って廊下を歩き出す千冬。それに続いて一夏も歩く。コツコツとヒールがリノリウムを叩く音が聞こえる。それにかき消されて一夏の足音は聞こえない。
廊下は閑散としている。終業してから約2時間も経ったため、既に校内に残っている生徒は殆どいない。窓の外からは茜色の空と斜陽が覗いている。
職員室は少しだけ慌ただしくて、散乱した書類と、紙束を持って動き回る教員が数名。その数名の中には山田先生もいた。どこか懐かしい職員室の雰囲気。行き届いた空調、コーヒーの香り、そして少しばかりのアドレナリンの匂い。
IS学園でもこの職員室は変わらないんだなと、この雰囲気に小学校と中学校を思い出して懐かしくなる。どちらもそこまで前の出来事ではないのに、どこか遠く感じてしまった。
「織斑、あまり周りを見ないほうが良い。此処はIS学園。場合によっては国家機密や企業機密も取り扱う。流石に誰の目にもつくような場所にそんなものを置いておく馬鹿はいないと思うが、念のためだ」
専用機がまさにそうだろう。例えばセシリア・オルコットの専用機。あれはイギリスの軍需企業の試作・実験機であり、イグニッションプランの要。将来、イギリスの国防に関わるであろうそれは、まごうことなき国家機密であり企業機密。そんなものが紙媒体か電子媒体で転がっているかもしれない……いや、転がっているだろう。IS学園に持ち込む際に恐らくデータとチェックは受けているはずで、その時のデータは必ず残っている。
そんなものを目にしたが最後、一夏は間違いなく文字通り地獄を見る。
もうあまり職員室には近寄らないでおこう、と一夏は決めた。触らぬ神に祟りなし、というやつだ。
千冬のデスクは目を背けたくなるような書類の山とコーヒーの空き缶が幾つか。お世辞にも整理整頓が行き届いているとは言えなかった。
「汚くてすまんな。だがそこは目を瞑ってくれ。ちょっと待ってろ。今から出す」
そう言って、デスクトップPCをスリーブから解除し、パスワードを打ち込む。その後スマホを取り出して二段階認証用の番号を入力。さらに顔認証、指紋認証、虹彩認証でもってようやくPCのホーム画面に辿り着く。ちなみに、一夏は千冬がPCのスリーブを解除した時から目を背けて見ないようにしていた。
デスクトップはフォルダだらけであり、どれがどれだか分からないような有様だったが、恐らく聞いてくるだろうと思って事前に準備していた千冬に抜かりはない。即座に目的のファイルを見つけ出す。
「これが織斑に与えられる専用機の、その概要だ」
一夏は画面に穴が開くほど見つめる。機体名は白式。一般的なISより少々背部ウィングスラスターが大きいくらいで変わった部分はない。武装は近接ブレードが1本。
え? まさか武器これだけ? 剣1本ですか。いや、銃とかもらっても少し困るけど、剣1本かぁ……
「そこまで大きな情報はないが、これで良かったか?」
「充分だよ、ありがとう、千冬姉」
「……織斑、少しいいか。話したいことがある。22時、寮長室に来てくれ」
そう切り出した千冬姉の声は、心配そうに揺れていた。
鍛錬は終わり、今は寮に戻っている最中。時刻は21時を回ろうとしている。この時期の夜風はまだ冷たく、長居すると風邪を引いてしまいそうだ。
思い返すのは職員室で見たあの画面。俺の専用機のスペック。もう何度も何度も思い返した、あの時間。
「取り敢えず専用機が高機動近接格闘機だったのはよかったけど……剣1本なのは流石に予想外だった。剣1本で世界を制した千冬姉の弟だからいけるとでも思われているのか」
それは違う、違うんだよ。俺は千冬姉みたいになれない。あんなに強くなれない。あんなに誇り高く在れない。あんなに美しくなれない。
「でも方針は固まった。距離を詰めて、一撃で終わらせる」
勝ち筋はこれしかない。模索するのはゼロ距離に詰める手段と、一撃で終わらせる方法。ゼロ距離に詰める手段は……ISのスラスタースピードと、篠ノ之剣術の歩法、昔千冬姉が教えてくれた縮地の混合でどうにかするとして。
問題は一撃で終わらせる火力。これはそう簡単に用意できない。そもそも剣1本でどうやって一撃で終わらせるのか。
「これに関しては捨てた方がいいかもしれないな……短期決戦は前提として、ある程度切り結ぶ方がいいか。一度近接間合いに入ったら話さない戦い方……でも近づき過ぎてもダメだ。オルコットさんにはショートブレードがある。俺の剣の間合いより内側に詰められたら、今度は俺が不利になる。遠すぎず、近すぎず、それでいて一度捉えたら離さない。殆ど俺の剣の限界間合いで立ち回る必要がある、か……」
そんなことを考えて歩いていたら、いつのまにかアリーナの入り口前に来ていた。だだっ広い、吹き抜けの野球ドームのような外観。
来週、俺はここでオルコットさんと戦う。
『絶対に勝つ』と思っていても、何処か冷めた心が現実的な勝率を突きつけてくる。
勝ちが見えない。勝利のイメージが浮かばない。相手は屈指の実力者、胸を借りるつもりで挑んだ方がいい。そもそも擦り傷一つすら負わせることができず瞬殺される可能性の方が高い。どうやって勝つか、よりもどうやって負けるかを考えた方が現実的。
「今戦ったって勝てないことくらい、俺でも分かる。でも」
「それでも勝ちたいのでしょう? なら、それでいいんじゃありませんか」
アリーナの入り口からドレス風に改造した制服を身につけたオルコットさんが出てきた。そして、俺は『勝たなければならない』と言いかけた口を閉じて。
「無謀だと分かっていても、勝算がないとしても勝ちたいんでしょう?」
「……あぁ、俺は君に勝ちたい」
その返答にオルコットさんは満足そうに、しかし獰猛に笑う。
「ふふ、ではなりふり構ってはいられませんわね。ここに来たのも、もしかして情報収集が目的でしたか? 案外その辺りは抜かりがないのですね」
「い、いや……そんなつもりじゃ……」
「分かってますわ。あなたはそういうの、得意ではなさそうですもの」
つまりは分かりやすいということか。確かに俺は嘘をつくのが昔からの苦手で、すぐに顔に出てしまうとよく友達に言われていた。
そんなことより、オルコットさんの態度だ。ずいぶん人当たりが良くなっている気がするのは俺だけだろうか。
「よろしかったら歩いて話しませんか? 寮の方向は一緒ですから」
「最初はもっとお堅い人かと思ってたけど、普通に冗談とかいうタイプなんだな。入学したときからは想像もつかなかった」
「入学日に関してはあまり思い出さないでくださいまし……あれは慣れない環境で予想以上にストレスが溜まっていて……私自身も予想外でした。まだまだ未熟ですわね」
「海外はそうだよなぁ……俺だってモンドグロッソを見に海外行った時、初日はずっとダウンしてたし」
セシリアは見た目と話し方に反してかなり喋りやすい。それが今日得たセシリアの新しい情報。この情報が役に立つことはあまりないと思うが、クラスメイトの新しい一面を知れた。それが嬉しかった。
「モンドグロッソ……あなたは千冬さんと重ねられたり、後継者と見做されたりした事はございますの? もしそうなら……」
きっと地獄だろう。
「もちろんあるよ。千冬姉がISに乗る前から、世界最強になる前からずっと。今だって……いや、今が1番そう見られている」
その地獄を、一夏は何でもない事のように言った。言ってしまった。それがセシリアからしてみればとても痛ましくて
「俺の専用機、武装が剣一本しかないんだよ。笑っちゃうよな。俺はまだ、『俺』じゃない。俺個人としてみられていない。千冬姉の弟として扱われている」
「……私に専用機の武装構成を教えるなんて真似してよかったんですの?」
ジト目で見るセシリアを何故か直視できなくて、一夏は目を逸らした。
「まぁ、俺だってオルコットさんの武装構成を知ってるし……これでおあいこだろ?」
心のどこかで『自分だけ相手のことを知ってるのは正々堂々と言えないのではないか?』と思っていた感情の発露。一夏はこの決闘をとても大切に思っている。それがセシリアは嬉しかった。
「そうですわね。これでイーブンです。では、来週の決闘を楽しみにしていますわ」
「あぁ……。なあ、オルコットさん。一つ聞いてもいいか?」
夜風が吹く。まるで処刑台に吹き荒ぶ風のような、不気味で冷たい風。いつになく真剣な目をした一夏に、セシリアもまた背筋を正す。
「えぇ、いいですわ。何なりとお聞きなさい」
「オルコットさんの戦う理由と、勝ちたい理由を教えてほしいんだ」
確かにあるけど見つからないものを、セシリアに問いかけた。
「私は人よりも多くを与えられました。例えば地位、財産、権力、容姿。これらは望んでも簡単には手に入りません。ですが、私は最初から持っていました。ならばやるしかないでしょう?」
「人より多くを与えられたものとして、人よりも多くのものを齎す……ってことか?」
「えぇ。辛いと思ったこともあります、逃げたいと思ったこともあります。でも、世界の何処かで誰かが頑張っているのです。ならば、私が頑張らないわけにはいきません」
「簡単に言えば誇りと義務ですわ」
自分よりも重荷を背負っている誰かが、自分よりも与えられなかった誰かが頑張っている。だから折れない諦めない。
自分の今の立場に誇りを抱いているから。だから戦って、勝つ。
「……そうか。ありがとうな、聞かせてくれて。少し肌寒いから風邪引かないように気をつけてくれ」
オルコットさんは確固たる理由がある。俺にはない。それが惨めに感じて足早に部屋に向かった。
「すまない、待たせたな、
一夏と呼んだということはつまり、今の千冬は私人として立っているということ。規則や規律を重んじる千冬が、寮とはいえ校内でそのようなことをするのは異常だと一夏は捉えた。
「いや、いいよ、千冬姉。それで話したいことって?」
「あぁ……まぁ、そうだな……根を詰めすぎていないかと思ってな。気づいてないかも知れないが、隈が薄ら見える。今努力しているのはオルコットとの決闘に向けてだろう? 何がお前をそこまで必死にさせるのかはわからんが……恐らく義務感や贖罪か?」
その言葉に、一夏は少し目を逸らした。
「図星か。お前は優しいから、そう思うのも無理はない。だが、それは私達が勝手にお前に押し付けたものだ。それをまるで自分が行ったかのように捉える必要はない。お前だって被害者の一人だ。世間の濁流に流されて、逆らうことすらできず自分の意思で何も決めることができなかった……世界の全てが、お前をここに連れてきてしまった」
悔いるように言葉を絞り出す。ここに来させてしまったこと、ここで戦わせてしまうこと。そもそも、ISと関わらせてしまったこと。その全てに、千冬は後悔している
「確かにお前はオルコットと戦う。だがそれは戦いたいからではない。戦わなければならないからだ」
客観的に見て、一夏とセシリアが戦うことによって生れるものや得られるものはあまりない。ISの実機を動かす経験も、セシリアとの模擬戦も、近い将来に必ず行う。勝利して得られるものは七面倒くさいクラス代表という立場だけ。そもそも戦うということ自体がただの口約束。
「でも、俺は戦うことを選んだ。なら、やるしかない」
それは違うんだ、と千冬は言わなかった。言えなかった。
千冬は誰よりも、あの場で戦う以外の選択肢がないことを分かっていた。
一夏の立場は非常に危うい。
1年1組ではある程度好意的に受け入れられているが、その外は違う。一夏を邪魔に想う者、疎ましく想う者。そういった輩が山ほどいる。
今は1年1組全体がストッパーになっているが、決闘の結末によっては本当にどうなるか分からない。
勝利した場合や引き分け、惜敗は問題ない。だが、惨敗した場合や決闘を投げ出した場、そもそも決闘を行わずに服従した場合は……最悪、一部の学園の生徒や教員が一夏を排斥する可能性がある。そういった運動が学園全体に広がったら、自分達だけでは止められない。その後、一夏は望まれたように学園を去るだろう。
それだけは駄目だ。だから手助けをしてやりたい。贔屓をしてやりたい。
だが、それは一夏が連絡を寄越す前に止められた。何処から嗅ぎつけたのか、一夏を嫌う教師が千冬の動きを止めるため邪魔をしてきた。例えば、期限が近い書類、例えば授業の企画書。そういった小賢しい手を使って千冬を決闘まで拘束した。
だからやれる事なんて精々励ますことと、心配の言葉を投げかけるくらいしかない。
「……そうか。だが、『戦わなければならない』や『勝たなければならない』という思いだけでは、今は大丈夫でもいずれ折れる。だから、それに代わる理由を見つけてくれ。何でもいいんだ。たとえくだらない理由でも、お前がそれを支えに立ち上がれるのなら」
「……心配してくれてありがとう、千冬姉。でも大丈夫だ」
その笑みには疲れと諦観が浮かんでいて、痛ましくてとても見ていられなかった。去り行く一夏を直視できない。中途半端に伸ばされた千冬の手は、不器用な優しさの証拠。
「すまない、一夏……オルコット」
一夏がこの決闘の裏に隠された事情に気付いたら『まあそうだよな。でもやるよ』と決して折れないだろう。
セシリアがこの決闘の裏に隠された事情に気付いたら『自分の決闘を汚された』と怒髪天を衝く勢いで激怒するだろう。
この2人は聡明だ。真実には気づいていないとしても、『決闘を利用しようとしている人間がいる』とは気づいている可能性がある。
学生同士が行う決闘を利用する人間の邪悪さに、そしてこの程度しかできない己に千冬は失望した。
俺にはない。理由なんて。
欲しいものに限って与えられない。ISパイロットの視覚も専用機も別に欲しくない、むしろ要らない。
戦わなければならない理由はある。勝たなければならない理由はある。その2つの理由は大体オルコットさんと似通ったもの。
沢山の人から託されたから。
沢山の人から奪ったから。
あの時、戦う道を選んだから。
だから戦い、勝つ。勝たなければならない。勝たないと、その人達に申し訳が立たない。
だけど、戦う理由と勝ちたい理由が分からない。立場とか面倒な柵を取っ払った後に残る、俺の心の理由が分からない。オルコットさんの戦う理由の『誇り』に該当する部分がずっとわからない。
『勝たなきゃいけない』と思った初日からずっとあった空白、意図的に目を背けてきた理由が重く伸し掛かる。
俺は何を求めて、何がしたくてここにいるのか。
「ずっと、したいことなんてない。俺に、したいことなんて」
胸が軋むように痛い。惨めで仕方がない。
「もう、寝よう」
俺には誰にも言えない秘密がある。
別にやましい事とかではなくて、なんとなく口にしたくない秘密。
それはよく同じような2つの夢を見る事。普通の人からしたら大したことではないと思うだろうが、俺にとってこの夢は神域のようなものだった。だけど、その夢達はどちらもあまり良い夢とは言えないもので。
一つは、世界が簡単に壊れる夢。物理的に地球が壊れるパターンもあれば、生き物が全員死ぬパターンもある。
今日は後者だった。
一人一人丁寧に、執拗に『何か』に殺される。その様を俺は間近で見せつけられる。この夢は何かの示唆、というわけではない。物心ついた頃からずっと見ていた夢で、もはや日常の一部になった。
そして最後は俺が殺されてお終い。その後は夢の最初に戻る。このループを繰り返して、朝になって目が覚める。
もう一つの夢は何かの中でもがく夢。砂嵐みたいな、暴風雨みたいな何か。身動きも取れずに呼吸すらままならない中で、必死になってもがく夢。その嵐の中……いや、嵐の向こう側には10の輝く星が見える。
目も開けていられない嵐の中でも、あの星達は輝く。
俺はその星達を知りたくて、必死に手を伸ばす。届け、届けと思いっきり叫んで。
でも届かず。その後は嵐の中に沈んで、沈んだら最後は『果てのない奈落を落ち続ける夢』を見る。
なぁ、まるで悪夢みたいだろ?