ヒストリアの兄でございます 作:宇宙最強
アニメ勢は要注意
礼拝堂に向かっていた少年の目に、一つの教会のようなものが見えた。
(絵本で見たことがある……)
たったそれだけのことなのに、どこか確信めいたものが少年の中で広がった。
勢いよくその中に飛び込めば、中には誰もいない。それどころ明かりすらも点いていない。
もしかしたら礼拝堂ではないのか? それとも違う礼拝堂が存在するのか? 外を出たことのなかった弊害が、今にして少年に襲いかかった。
「くそっ! 巨人が壁を壊してるかもしれないっていうのに!」
ドン、とあまりのイラつきで少年は床を強く踏みつけてしまった。姉を連れ出したい気持ちが前に出過ぎて、冷静さを欠いてしまっている。
だが、今回ばかりは、それが功を奏したと言えるだろう。
少年が床を踏みしだいた瞬間、一部の床が妙に盛り上がったのだ。
「これ、は」
少年が近づいて見てみれば、それは隠し扉のようだった。
もしかしたら、中にまだ姉さんがいるかもしれない。
その希望に縋るように少年は恐る恐る扉を開ける。すると、そこは薄暗い地下に繋がっているわけではなく、その逆、妙に明るい洞穴のような場所へと繋がっていた。
少年はその洞穴らしき場所へと、懐疑心を抱きながら入る。こんなところに姉がいるのかは分からないが、彼の直感とも言える本能はここへ入れと言っていた。
だから、少年はそれに突き動かされるように奥へと足を進める。
「――なに、してるの?」
その時、ふと声が聞こえた。とても耳触りの良い声だった。
少年は喜色に塗れた顔を浮かべ、その声の主人である一人の少女へと駆ける。
ずっと会いたかった。今日あの時だけじゃ我慢でいないくらい、ずっと。こうして柵の外で、誰にも縛られず、最愛である姉に少年は会いたかった。
「姉さん!」
気がつけば感情の抑制が効かず、少年はそう叫んでいた。さっきまで走っていた疲れなど一切感じない。ただ、この時のために自分は生きてきたのだと彼自身が実感できた。それだけで十分だった。
だけど……
「……なんで外に出たの?」
「え?」
「……ダメでしょ、外に出ちゃ?」
「だって、巨人が」
「柵の外に出るなって言ったでしょ!!!?」
それは今まで見たことのない鬼気迫る表情だった。瞳孔は開き、髪が振り乱れている。彼女の家族も、そんなフリーダを見たことがなかったのか目を見張っていた。父親らしき人物に至っては、少年の登場とフリーダの凶変に言葉が出ない様子である。
少年はそんな状況下にも関わらず、姉に怒られたという気持ちだけが占有していた。さっきまでの意気揚々とした気持ちなど微塵もない。姉に嫌われたかもしれない。もう姉と会えないかもしれない。そんな憶測ばかりが彼の頭に先行した。
「私たちは罪人なの! 自由を求めちゃいけないの! ここが、ここで楽園を作らなきゃ、戦っちゃダメなのよ! ねえ、分かるでしょ!?」
「痛、い……痛いよ、姉さん」
肩を抱かれ、姉に至近距離から怒鳴られ続けた。いつもなら嬉しいその接近も、今の少年にとっては地獄でしかない。己のことをまるで敵視するかのような姉の表情を、少年は好きだとは言えなかった。
けれど、それもずっとは続かない。
次第に姉の声は小さく萎んでいき、果てにはひどく落ち込んだ様子で膝を折った。目線の高さを少年に合わせてフリーダは言う。
「お願いだから、外に出ようなんて思わないで……あなたのことを嫌いになりたくないの」
それはどういう了見で述べられたお願いだったのか。少年のちっぽけな頭でいくら考えても答えは出そうになかった。
ただ、姉の言うことを聞かなければならない。少年にとって姉に直接言われたことは神の教えのように響くのだから。これから先、自分にどれだけの不自由さが纏わりつこうと、少年はその教えを破ろうとは思わないだろう。姉が生きている限り、姉のために生きたいと少年は願うのだから。彼女の全てを肯定し、彼女の全てを愛することが少年にとっての全てなのだから。
「ごめん、姉さん……」
少年はただそう目を伏せて謝ることしかできなかった。
「君は……」
後ろから少年を見ている男が言った。
先ほど、フリーダの父親と思わしき人物だと推察した男だ。
少年はそちらを一瞥し、ヒストリアの父親でもあるだろう男をその目に焼きつけた。
「そうか……、こんなに大きくなっていたのか。どこかあいつの面影がある」
男は寂しげに笑うと、少年に歩み寄り頭を撫でた。
「さあ、もう帰りたまえ。娘の言う通り、君たちは柵の外に出てはいけない」
男の言う「君たち」とは、きっとヒストリアを含んでいるのだろう。
少年はそれを察して頷いた。
「すみません……ですが、最後に知らせなければいけないことがあります」
うずくまった姉と、話の理解が追いついていない家族、そして目の前に立つ男が少年を怪訝そうな目で見つめる。
いきなり祈りの邪魔をして、知らせたいことがあると言われても困るのだろう。それは姉に怒鳴られた少年が一番理解している。でも、これを伝えるためにここまで走ってきたのだ。確かに、自分が外に出た時の言い訳として来たのもあるが、本当の目的は姉に危険を知らせることである。それをおざなりにしてしまっては、元も子もない。
「巨人がウォール・マリアを破ったそうです。噂ではウォール・ローゼも突破されたかもしれないって」
声を僅かに震わせながら言う少年に、フリーダは顔を上げた。
「知ってるわ……だから私たちはここで祈りを捧げてるの。私たちは罪から逃れられないから」
「罪?」
少年が姉の言葉に疑問を持ったが、フリーダはかぶりを振って少年の目を見据える。
「さあ……もう出ていきなさい。ここは私と"私の家族"が祈りを捧げる場所。あなたが来るところじゃないの」
そう言う彼女の手は僅かに震えていた。
少年はそれに気付き、自身が改めて姉を傷つけてしまったことを深く反省した。
あの時、石を探しに外へ出なければ……いや、不自由な生活を手狭だと感じ、自由さえ追い求めなければ、姉があんな顔をしなくて済んだかもしれないと思う。
だけど、そんなことはもう変えることのできない現実だ。少年が行ったものを今更どうやっても消すことはできない。今日以降、姉が自分たちに会いに来なくなったとしても、それは文句が言えるものではなかった。
とぼとぼ、と少年は出口を目指し歩く。古びた扉を開けようとすれば、誰かが少年に向かって扉を開け放ったのが分かった。間一髪のところでそれを避け、少年は自分と代わって洞穴へ入ってきた男の後ろ姿を見る。男は扉に隠れた少年の姿を認知していないのか、そのまま姉たちがいる方向へと歩いていった。
「あの人も姉さんの本当の家族なのかな……羨ましい……」
やるせない気持ちになりながら、少年はそう呟いてしまった。
だって自分は姉と本当の家族じゃないのだから。きっと、あの場にいた親や兄妹たちが彼女にとって一番大切なものなのだろう。
そう考えるだけで身が焼けるような思いだった。思考はフリーズし、手足は動かなくなった。
——少しばかり、姉の家族たちを見よう。
ようやく動き出した頭で少年がそう考えたと同時、今まで感じたことのない熱風と衝撃が少年の体を襲った。
#
「フリーダ、どうして」
父親であるロッドが、フリーダにそう問いかけた。きっとあの子を何故そのまま帰したのかという意味だろう。ここの場所を知られてしまった以上、あの子を無事帰還させるわけにはいかないのだとロッドは考えているのだ。
けれど、フリーダからしてみれば、あの子に危害を加えるなんてことやろうとは思えなかった。あの子にはきつい言葉を与えてしまったが、それもこれも全てはあの子の身を案じての発言である。フリーダにとって確かに親や兄妹は掛け替えのない宝であるが、それと同時にヒストリアやあの子も、フリーダにとっては失いたくないものなのであった。
気がつけば、フリーダの目頭には自然と雫が溜まっていた。それは少年に向けた「私の家族」という言葉に、あの子への拒絶が入っていたからだった。
「お父さん、私……またあの子たちと」
その願いは、滅びを受け入れた王家の人間として、あるまじき答えなのかもしれない。人として非人道的な優しさなのかもしれない。
エルディア人が滅びない限り、世界の怒りを鎮めることはできないだろう。それこそ、落胤が一人でも残っていれば、そこから巨人は生まれ出てくる。
だけどフリーダは、今滅ぼされようとしているこの一瞬を後悔しそうになっていた。
あの子が生まれてから、ずっと面倒を見てきたせいというのもある。今ではあの子に母性すら感じてしまっていた。だが、あの子だけじゃない。ヒストリアもこの領地に住む人々、兄弟であるディルク、エーベル、フロリアン、ウルクリンに自分の両親……全員が彼女にとって大切な家族だ。そんな彼ら彼女らが外の攻撃によって無作為に殺されていく。考えただけでも頭が沸騰しそうになる。
しかしその度に、フリーダの中に眠る「不戦の契り」が彼女の思考を覚ますのだ。
——争ってはいけない、抗ってはいけない、戦ってはいけないと。だってそうすれば、これ以上自分たちが壁の外の人類を殺すこともない。死ぬのは、罪深い自分たちエルディア人だけで済むのだからと。
何度も何度も、優しい声で心に語りかけてくる。それは最早、猛獣を縛る鎖のように体へ纏わりつき、身動きを取れないようにしてしまう絶対的な拘束であった。
そんな時である。
かつんかつん、と靴底を鳴らし歩いて来たのは一人の男だった。
「私は壁の外から来たエルディア人。あなた方と同じユミルの民です」
フリーダはその男に対しとてつもない不信感を覚えた。
#
「つまり未来を見ることが可能なのだ」
壁の外から来たエルディア人の男は、自分の中に宿る巨人の能力をそう告げた。フリーダはそれを黙したまま聞くことしか出来なかった。始祖の巨人の力は、完全に彼女のものとなったわけではない。そのため、男の言葉を確かめる術は持ち合わせていないのである。
「進撃の巨人の特性? そんな話は……」
「あなたがそれを知らないことも知っている……『不戦の契り』で始祖の力を完全に扱えないのは、王家と言えどあなたも同じ」
フリーダは思わずそこで絶句した。
始祖の力が王家にしか使えないのは勿論だが、それを知ってなお、何故この力を狙うのか分からないからだ。
未来を覗き見えると言ったこの男。始祖の力を奪い、その後どうするのかも彼は知っているということなのだろう。だが、不戦の契りは王家全員に発動する。誰に始祖の力を譲われたところで、この力を十全に扱える人間などいないはずだ。
そう、ある人物を除いて……。
「あなたの狙いは本当にこの力だけですか……?」
「違う、私の狙いはもう一つある」
「もう一つ?」
「そうだ。私はここで王家の血を絶やす……そういう未来だと決まっている」
男がそう言って持っていたナイフを自身に突き立てようとする。
——巨人化するための自傷。
フリーダは咄嗟にそう判断し、家族を後ろの方へと追いやった。男の言うことが本当なのであれば、王家と言うだけで家族は殺される。
この男の思想は危険だとフリーダは判断した。エルディア人の滅びを世界が望むと言うのであれば、彼女もそれを甘んじて受け入れたであろう。けれど、男の狙いは未知数だ。エルディア人の滅びを素直に受け入れるような人間には見えない。始祖の力を使い、エルディア復権のために力を行使しようと目論む可能性だってある。
どのような方法で始祖の力を行使するのか不明だが、楽観視していいことではないと覚悟を決める。また壁の外の命が脅かされると言うのであれば、全力で男と戦わなければならない。それはフリーダや初代壁の王が望むところではないのだから。
だが、男の手からは自傷用のメスがこぼれ落ちた。
「できない……私に子供を殺すなど……」
男も男で葛藤しているようだった。
子供を殺す。それはきっと後ろにいる妹や弟のことを言っているのだろう。もしかしたら、既にあの子やヒストリアのことを知っているのかもしれない。
どれもこれも憶測でしかないが、とりあえず男は思いとどまったようだった。
家族はそれでも警戒を続け、フリーダに殺すよう懇願するが、フリーダにそのつもりはない。相手が争ってこないのであれば、彼女としても力に訴えるつもりはなかった。
「思いとどまってくれたようで感謝します。ですが、最後に聞かせてください。あなたはどのようにして始祖の力を使うつもりだったのか」
フリーダの問いかけに、男はわなわなと面を上げる。
「分からない、私は全てを見せてもらったわけじゃないんだ……ただ、前まで見えていたものが不鮮明になりつつある……何か恐ろしいことが起こっている……」
男がそう言うと、再びこぼしたメスを手に取った。
「だから、そうだ……もう分からないから……私は歩みを止めてはいけないんだ……妹のため……みんなのために」
「何を言って」
フリーダがそう言うと、男は歯を食いしばったまま己の右手にメスを突き刺す。深々と刺さったそれは、手の甲を貫通し、そこから鮮血を吹き出した。
「すまない、フリーダ……俺はもう止まれないんだ」
男の安らかな顔。
フリーダはそれを見て、男との衝突が避けられないことを察した。
「う”あ”ああああああああああああっ!!」
手を噛みちぎり、フリーダも巨人化する準備を整えた。
お互いがお互いに譲れないものがある。二人は睨み合ったまま、自身らに宿る巨人の力を発動させた。
片や恰幅のいい無精髭の巨人。片や艶やかな長髪をした女型の巨人。
常軌を逸した熱量が辺りを包み込み、熱風が吹き荒んだ。
#
——なんだ、あれは。
熱風で押し飛ばされた少年は内心でそう吐露した。
真っ白い蒸気から、突如見たこともない巨人が飛び出してきたのだ。
本当にあんなものがこの世に存在していたのか。
姉の口から幾度となく巨人については聞き及んでいたが、それでも初めて目の当たりにした少年は呆然とする他なかった。
だが、それも束の間。我に返った少年は姉がまだ洞穴の中にいるのだと再認識する。つまり、あの二体の巨人の足元に姉がいる可能性があるのだ。
そう気がついた少年の行動は早かった。すぐに自身に乗せられた瓦礫を退けようと力を込める。だが、びくともしない。子供という基準で考えれば、かなり力持ちである少年ですら、瓦礫を退けるまでに至らなかった。
「くそっ、くそっ、なんでこんな時にっ!!!」
大きく自身を拘束している木材を殴りつける。時間をかければ、小さな隙間を利用してこの中から出ることもできるだろう。けれど、今出なければ姉を救うことはできない。その焦りだけが少年の中で降り積もった。
そんな時である。少年の前方からヒストリアやフリーダの父親が、気も狂わんばかりに走ってきた。
「はぁ、はぁ、誰か……誰か助けてくれ……!」
「ぐっ」
少年の存在に気がついていないのか、男はそう叫びながら瓦礫の上を這いずってあがっていく。その際、瓦礫が少年の脇腹をさらに圧迫し、思わず汚いうめき声が口から飛び出てしまった。
ロッドに自分の存在を気づかせようとしていた少年にとって、最大のチャンスをそこで失ったのだ。
それを憎たらしいと思いながらも、ロッドが逃げて来れたということは他の人たちも逃げてくるだろうと少年は考えた。
けれど、その考えは甘かったと痛感させられる。前方を見てみれば、そこには男の巨人が女の巨人に跨り、何度も殴りつけている光景が広がっていた。周りにはロッドと違い、無惨な死体となって放置されている姉の家族たちがいた。
「まさ、か……」
考えたくもない事実だ。
姉の家族は先ほど逃げてきたロッド以外の全員が死滅し、姉はその中にいない。
人間が巨人になれるなんて少年は終ぞ聞いたことがなかった。あの博識な姉ですら、少年にそのようなことを教えてくれなかったのだから。
だが、現状考えられることはそれしかない。二体の巨人と、その周りに群がる死体たち。自分とすれ違いざまに入ってきた男が、馬乗りになっている無精髭の巨人で、馬乗りにされているのが自身の最愛である人……。
「そんなわけない、そんなわけない、そん、なはず……」
息をするのすら億劫なほどの痛みを伴いながら、少年は何度も呟いた。
なまじ目が良い少年は、女の巨人がどのように甚振られているのかが分かる。顔の肉が削ぎ落ちてしまうほど、男の巨人の拳は何度も女の巨人へと突き刺さっていた。
ぐったりとした女の巨人は、最後の抵抗と言わんばかりに、そのなよなよしい動作で手をあげる。が、それも男の巨人によって呆気なくもぎ取られた。
(ああ、殺される……)
少年がなぜそう感じたのかは分からない。しかしそれと同時、男の巨人は女の巨人のうなじに齧り付いた。そしてそのまま、女の巨人を首元から噛みちぎると、男の巨人は盛大に吠えたのだ。
まるで獣の雄叫びのように。高らかに、喉を打ち震わせながら。
「あ、あぁ……」
少年の視界はぼやけ、やがて口からは水分が失われていく。
口はわなわなと震え、瓦礫に潰されそうになっている肺に強烈な痛みが伴う。
頭部を乱雑に捨てられた女の巨人を見てみれば、最後に彼女と目があったような気がした。ろくに動かないはずの唇を上下させ、女の巨人は何かを訴えているように錯覚して見えた。
だが、男の巨人はそんなことにも気が付かない。ゆったりとした動作で立ち上がった化け物は、そのまま瓦礫で動けない少年を無視し、外へと飛び出していった。