ヒストリアの兄でございます   作:宇宙最強

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プロローグはこれで終わりですね


プロローグ05

 少年はどういう道のりで牧場に戻ったのか分からなかった。ただ気がつけば、目の前には見慣れた家屋や厩舎があるということ。それともう一つ、こちらは見慣れない人間たちが、何かを取り囲んでいるのが見えた。

 

「さて、次はお前だ」

 

 血塗られたナイフを片手に、中年の男がそう呟いた。

 少年が人垣から覗き見れば、男の目の前には蹲って固まっている妹が見える。多分、このまま放置すれば妹はあの男に殺されるのだろう。柔らかい彼女の柔肌が、鋭い刃物によって切り裂かれる未来が易々と想像できた。

 ここで助けるべきなのか、と少年は一瞬だけ逡巡する。

 妹のことは別に好きでも嫌いでもない。ただなんとなく苦手には感じている。

 そんな妹が抵抗もせず殺されそうになっているのを見て、少年は自身の身の振り方を悩んだのだ。

 だが、そこで頭の中で響くものがあった。それは姉と一緒に微笑んでいるヒストリアの笑顔である。

 ここで妹を見殺しにすることは容易いことだ。踵を返し、何事もなかったかのように振る舞えばいい。だけど、それをしてしまえば姉の残り香が消えてしまう。姉の居場所が消えてしまうような気がした。

 だから少年は駆ける。姉との思い出を減らされたくないと、そう思ったから。

 

「うおっ」

 

 男が、突如飛び出してきた少年を見て驚きの声を上げた。

 

「お兄、ちゃん……?」

 

 横目でヒストリアを見れば、彼女は兄を見て瞠目している。数日間、姿を消していた少年に心底驚いているのだろう。もしかしたら、彼女は少年のことを死んだ人間と思っていたのかもしれない。

 

「何しようとしてんだ、オッサン」

 

 声を一気に低めた少年が、眼前に佇む男へと問いかけた。

 姉が死んだ今、わずかに残る残影こそが少年にとっての光である。その残影は、姉と共に過ごしたこの牧場であり、姉と一緒に過ごしたヒストリアのことだ。これらを無くされてしまっては、少年が再び立ち上がることなど出来ないように思えた。

 

「あぁん? もしかしてお前……」

 

 そんな少年の気持ちなど知ってか知らずか、男は半目になってその姿を見た。

 すると、

 

「フハハハ!! こいつは傑作だ! お前があれか、ウーリの隠し子か!」

「ウーリ?」

 

 その言葉に眉を顰めたのは少年とロッドである。

 少年にとっても「ウーリ」という人物に聞き覚えはない。隠し子、という言葉から察するに、自身の親の名前なのだろうとは察しがついた。

 けれど、少年は自分の出生について何一つと知らないのである。いつ、どこで、誰から生まれたのか。また、なんでこんな牧場で預けられているのか。それらについてはあの姉ですら教えてくれなかったし、当然、男の後ろで倒れているヒストリアの母親も、「知らない」の一点張りであった。

 そんな重要機密じみた事を、なぜこの男が知っているのか。

 少年は警戒レベルを引き上げながら、男を訝しげに睨む。

 

「いやぁ、近くで見ると似てる、似てるぜお前! こいつは面白いものを見せてもらった。俺はケニーってんだ。ウーリとは仲良くさせてもらってたぜぇ」

 

 少年の肩を手加減も知らず叩く男——ケニー。

 どうやらケニーは少年の親と面識があったそうだ。多分、少年についてもウーリと呼ばれる人物から聞き及んでいたであろうことが分かる。

 

「——だがまぁ、悲しいことにお前とはここでお別れだな」

「っ」

 

 一頻り笑い終えた男が告げたその言葉。瞬間、少年の背筋に悪寒が走る。ケニーが持っていたナイフが、目にも止まらぬ速さで少年の首元へと駆けたのだ。

 咄嗟に少年は男の額を蹴り上げる。意識を刈り取るつもりで、出したことのない全力の蹴りをお見舞いした。そしてそのまま、ダメ押しと言わんばかりにケニーの喉仏目掛けて、再度蹴り上げた足を突き出した。

 まさか反撃すると思っていなかった中央憲兵は、唖然とした様子でそれらを見つめている。

 

「……痛ってぇな、おい。どチビの癖に動きが様になってんじゃねえか」

「なん——」

 

 ギロリ、と殺意の籠った目線が少年を貫く。

 華麗に全ての攻撃が入ったと思っていた少年は、男の威圧に押されて喉奥をキュッと締めた。

 

「こいつはちょっとだけ教えてやらねーとな。大人にはきちんと敬意を払ってよ」

 

 ケニーの言葉と同時、少年の頭は鷲掴みにされた。ミシミシと骨が軋む音が、頭の内部から全身に響いている。そのまま鷲掴みにされた頭を勢いよく地面に叩きつけられれば、少年の意識が吹っ飛びそうなほどの激痛が身を襲った。

 ——やばい、殺される。

 少年のその確信めいた推論は、痛みとなって現実になった。

 ケニーから放たれる殺意の篭った拳の雨。それらは絶え間なく少年の顔面へと突き刺さり、それに合わせて血やら唾液やらが飛び散った。

 格が違うとはまさにこの事である。手も足も出ず、ただ殺されるのを待つだけのように、少年はケニーの拳をたらふく味わった。

 次第に薄れていく意識の中、少年が願ったのは一つの事柄である。

 どうか、あの世では姉さんと一緒に……。

 

「やめて、お兄ちゃんを殺さないで!!」

 

 そんな少年の思考を遮るように響いたのは、妹の声だった。

 腫れてしまった瞼を無理やり開けば、そこには心配そうな顔でこちらを見つめるヒストリアがいる。ぶれた視界の中、少年はその姿に姉の姿を重ね合わせた。

 

 ——ねえ、さん。

 

 声にもならない言葉が、ふっと出されては消える。

 昔は姉もこんな風に少年を心配してくれた。

 あの時は、あの3人組が投げた石からヒストリアを庇って倒れたんだっけ。

 ひどく遠い昔のように思えるその記憶を、少年は自嘲しながら思い出した。

 けれど、それも束の間。大好きな兄を殺させないために立ち向かったヒストリアは、ケニーの拳によって容易に吹き飛ばされた。あまりの威力にヒストリアの体が1、2度地面にバウンドしたほどだ。少年はそれを見て、次に数日前の光景を思い出す。

 それは、ある男の手によって殺された姉の姿。

 誰からも慕われ、誰からも必要とされていた姉を殺されたワンシーン。

 ノイズが走るその凄惨な状景を脳裏に焼き付け、少年の中にある言葉が浮き上がる。

 

「……ろす」

 

 姉の顔と共に湧き上がるのは、今まで感じたこともないどす黒い感情。気持ちの悪い欲情と、心地よい快感が脳内を満たし、身体中に力を与えているようだった。

 

「……ころ、す」

 

 どうすればいいのかなんて分からない。どこにいるのかも知らない。

 巨人化できる人間を殺す方法なんて本当にあるのかも甚だ疑問だ。そもそも今後一生、あの男を見つけ出せれる保証なんてものはどこにもない。

 けれど、それでも前へ、前へ前へと

 

「ぜったいに、ぶっころす——」

 

 この瞬間、少年は誓った。

 全てを捨ててでも復讐を果たすのだと。

 何を失おうと、何を犠牲にしようと、ただ姉を殺した男だけは絶対にこの手で葬り去るのだと。

 少年は目の前で顔を近づけてきた男に向けて、転がっていた石を頭に叩きつけた。自分から姉を奪おうとする目の前の男を殺すべく、少年は抗うことを決めたのである。ケニーにトドメを差すべく、少年は男の持っていたナイフを取りに腰部分へと手を掛けた。だが……

 

「おっと、危ねえ危ねえ」

 

 間一髪のところで意識を回復させたケニーは、少年の動きに気付き直様後ろへと逃げた。今し方まで馬乗りで殴られていた少年に、男の動きへ追いつく体力は残っていない。再び距離が開けられたことで、少年の逆転はほぼ不可能と化した。ケニーもそれを理解しているのか、くつくつと笑っている。

 

「なるほどな。このどチビ、根性だけはある」

 

 そんな言葉を掛けられても、少年からしてみれば少しも嬉しくない。結局、姉を傷つけた男を殺せなかったのだから。

 少年はケニーへ強く舌打ちをした後、力がつきその場で倒れ伏した。

 数日間、彼は休む暇なく動き続けていたのだ。それに加えてケニーからの暴行は相当少年を消耗させていた。とてもではないが、これ以上少年は動くことができない。

 薄れゆく意識の中、殴り飛ばされたはずのヒストリアが、己を庇うべく身を覆い被せているのが見えた。

 

「許してください、許してください、許してください……」

 

 その姿がまた姉と被ってしまう。ヒストリアから伝わる熱が、姉に抱きしめられた時のものに似ていて、自然と心が安らいだ。

 ここにいたんだ、姐さんはここに……。

 その言葉を最後に、少年の意識は完全に闇の中へと落ちていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 少年が目を覚ませば、眼前には開墾されていない荒地が広がっていた。隣には自身に抱きついて離れない、頬の腫れたヒストリアがいる。

 

「あ、お兄ちゃん」

 

 ヒストリアがそう呟けば、悲しそうな目をして胸に頭を沈めてきた。

 少年はそれをどう扱ったらいいのか分からず、混乱した頭でとりあえずヒストリアを撫でる。昔、姉にヒストリアの扱いが分からないと相談した時、そうすればいいと教えてくれたからだ。

 

「ここは……」

「開拓地だ。ウォール・マリアが破られてからは食糧難を解決するために、上層部が必死に開墾させようとしているのさ」

 

 状況整理のためにも少年がそう尋ねれば、答えたのはヒストリアではなく、己を殺そうとしていたケニーだった。

 

「お前っ」

「おいおい、やめとけ。今殺し合ってもお前が確実に負けるぞ?」

「そんなこと知るか」

 

 鈍く光る少年の眼光に、ケニーはまたもや面白そうにケタケタと笑った。

 少年からしてみれば、数少ない自分と姉の思い出を持つ妹は大事な存在である。そんな妹を殺そうとしたケニーは、超危険人物だった。また昨晩のように、妹を殺そうとするのであれば、少年は次こそ己の命と差し違えてでもケニーを殺すだろう。その決意の表れとして、少年の拳は硬く閉ざされていた。

 

「ハハ、その一丁前の根性だけは認めてやる。どうもお前はウーリに似ても似つかないガキらしいからな」

 

 だがケニーは、そんなボロ雑巾のような少年を一笑すると、首根っこを掴んで持ち上げた。その際、ひっついていた妹のヒストリアを遠ざける。どうやらあまり聴かれたくない話をするらしい。

 ヒストリアは、一瞬だけ困ったような顔をするが、少年が「心配するな」と言うと、それを信じて声の聞こえないところまで歩いていった。

 

「さて、少しお喋りの時間といこうじゃねえか」

 

 ケニーはヒストリアの姿を遠目で確認して言った。

 

「力が無え奴は淘汰される。力がある奴が支配する。この世ってのは不思議とそう出来ている。シンプルだと思わねえか? お前がしたいことも力さえあれば簡単にできるんだぜえ?」

「俺の、したいこと……」

 

 少年のやりたいことは一つ。

 姉を殺した男をこの手で辱め、最大の苦痛と痛みを伴い殺すこと。それこそが復讐である。そのためにも力がいるのは必然。ケニーが言っていることは間違っていなかった。

 

「仕方ねえから、テメーにはこの俺が処世術を教えてやる。感謝しろよぉ、どチビ。中央憲兵様がわざわざ面倒を見てやるんだからよ」

 

 男はそう言うと、徐にコートの内側を弄って一つの手紙を出してきた。

 

「ああ、それとこいつはレイス卿から預かったもんだ。中身は俺も見た、が、つまらねぇことばかり書いていやがった。どうやらあの男は、お前とヒストリア以外にレイス家の秘密を話したく無いらしい。お前らの監視はウォール教とかいう訳のわからねえ新興宗教だ。そいつ伝いにまたレイス卿から連絡が来るかもな」

 

 ケニーが無理やり少年のポケットにそれを押し込むと、そのまま乗ってきた馬車へと戻る。どうやら話はこれだけで終わりらしい。最後のあたりは、心底つまらなそうな顔をしていた。

 

「それじゃあな、どチビ。今度は俺がお前に処世術を教えに来るときだ。それまで精々、そのボロボロの傷で死なねーよう生きるこった」

 

 それを最後に、ケニーを乗せた馬車がどこかへと走り去っていく。少年はまるで台風のような男に呆然としながら、ポケットにねじ込まれた手紙を取り出した。

 中身を開いてみれば、確かにケニーの言った通りの内容が羅列してある。ヒストリアの名前がクリスタになったこと、ウーリというのは自分の弟であること。そして、

 

「姉さんが巨人の力を引き継いでいた、か……」

 

 心底どうでもいいと思った。

 少年からしてみれば、巨人の力を持っていようがいまいが、姉を殺されたという事実に変わりない。巨人の力云々に関して、少年はさほど興味を抱くことすらなかった。

 手紙には、現在ロッドがその力を継承していると書かれている。どうせこれは嘘だろうと少年は思った。理由は知らないが、ロッドはあの男に巨人の力を奪われたことを隠している。きっと、あのケニーという男が何かしらの要因なのだろう。

 少年はその手紙を細かく破ると、近くに流れている川へと放り去る。

 彼のやることは既に決まった。

 姉の仇である男への復讐と、姉の残影が残る妹を守ること。

 これ以上、何者からも姉を奪われてたまるものかと、少年は誓ったのだ。

 

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 ケニーが去ったのを確認したヒストリア——もといクリスタが少年のところに駆け寄った。少年はそれを横目で確認すると、短く「ああ」とだけ返す。これからどのようにして力を付ければいいか分からないが、ひとまず傷を治すのが先決だと少年は考えた。

 

 

 

 そこからは開拓地に移り住んでからの生活である。

 いつか、あの姉と過ごした牧場に帰りたいと思いながらも、仇である男を殺すまでは戻れないと覚悟した。少年にとっての全ては、相変わらずフリーダであり、そしてそれと築き上げてきた彼女との記憶なのだ。それ以外の事柄は、等しく少年にとってどうでもいいことと成り果てた。

 ようやく少年がまともに歩けるまで回復した頃、ふと少年はクリスタに姉のことを教えようと思った。これは、クリスタに姉の死を告げることで、自分と同じく姉への悲しみを共有したいからだった。

「俺たちの姉さんが死んだ」

 そう告げれば、クリスタはきょとんとした顔になった。

 思っていた反応と違う少年は訝しむ。少年が求めていたものは、クリスタが泣き喚き、共に姉へ追悼することである。そうすれば、自分たちと姉は一緒に過ごしていたのだという実感を得られると考えたからだ。

 けれど、クリスタから返ってきたのは衝撃的な一言だった。

「何を言っているの、お兄ちゃん。私たちにお姉さんはいないよ」

 その瞬間、少年の中でナニかが崩落する音が鮮明に聞こえた。

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