ヒストリアの兄でございます 作:宇宙最強
——847年 冬。
この年も盛大に北風が労働者の体へと吹き荒ぶ季節だった。
今から一年前の奪還作戦により大勢の労働者が狩り出されたせいで、開拓地の耕地化は思ったよりも進んでいない。しかも、残された労働者の大半が、子供と老人、または身体的障害者という有様だった。憲兵団もその作業効率に業を煮やしているのか、日々彼らの怒号が開拓地で響き渡っている。開拓地で働く労働者からしてみれば、お前たちのせいで遅れているのだと、声を高らかにしたい気持ちで一杯だった。
そんな中、比較的まだ耕地化が進んでいるこの場所に一人の少女が働いていた。
「悪いね、クリスタちゃん。私たちの分まで」
「ううん。いいんだよ。おばあちゃんは腰を早く良くしてね」
「ああ、あんた達のためにも早く治して働かなきゃね」
耕地にする場所から、あらかた大きな石を取り除いてきた少女——クリスタは笑顔で老婆の言葉に頷いた。
「それにしても、本当に悪いのはあんたのお兄さんさ。私たちのせいで訓練兵になるのが遅れちまったんだろ」
老婆がそう言って見たのは、この二年間ぴたりと会話する量が減った兄であった。昔はもっとたくさんおしゃべりしていたはずなのに、今の兄は人が変わったように口を閉ざしている。
やはり、あのケニーという男にやられたのが原因なのだろうか。もしくは、クリスタの出生を聞いて幻滅でもさせてしまったのか。
変わってしまった兄のことを考えると、クリスタの表情は自然と暗くなる。それは老婆も気付いていたのか、申し訳ないと言って頭を下げた。
「ごめんね。あんた達はあまり仲が良くなかったね」
「そんなことないよ。今はちょっと色々あって話ができてないだけ」
「そうかい? ……それだけならいいんだけど」
クリスタは自分が嘘をついているとは思っていなかった。だって、兄と自分はかけがえのない大切な家族同士なのだから。兄が自分のことを嫌いになっているはずがないと、少女はそう謎の確信を持っていたのだ。それが例えただの虚勢であっても、少女はただそれを盲信することだろう。2年前から変わらず、少女にとっての全てとは兄だけなのだから。
「兄さん。石拾い終わったよ」
老婆と別れたクリスタは、石拾いを終えたことを兄に告げる。
ここの開拓地一帯を任されているのは、なんとここらではまだ若年の兄である。そのため、こういった業務報告などもみんな兄に集中していた。
「手が空いた奴は薪を作れ。夜の備えだ」
クリスタにではなく、周りを通して出される兄からの命令。少年はクリスタの返事も待たずそのまま業務に戻った。
これもいつも通り。
クリスタの顔を見ようともせず、直接話そうともしない。ただ冷たい態度で接し続ける。そこに、昔あのケニーから命を張って守ってくれた兄の姿はない。この二年間、兄と目を合わせて話した回数は片手の指で足りる程度であった。
本当はもっと話したいことがあるのに……。
どうして訓練兵を目指すのか、どうして一年待ったのか。自分も訓練兵になろうと思っているとか、一緒にこれからも生きていこうとか。そんな他愛もない会話すら、今はできなくなってしまっていた。
クリスタは思わず「どうして?」と言いそうになる。
けれど、その言葉は胸の奥に仕舞い込まれた。
きっと開拓地での生活が忙しいから、私に構う暇がないのだろう。
そんな言い訳だけを頭に並べて、必死に納得しようとして、そのままクリスタはとぼとぼと仕事に戻るのだ。いつも兄に報告しに行く時、今度こそはという気持ちで伝えに行っているのに。何度も何度もその気持ちは裏切られる。
「お兄ちゃん……」
クリスタは今にも泣きそうな気持ちをグッと堪え、薪を作る作業へと移った。
訓練兵になれば、訓練兵にさえなってしまえば……環境も変わって昔の兄が帰ってくる。そんな希望的観測を思い描きながら、クリスタは一人静かに仕事に励むのだった。
そして数ヶ月の時が流れ……
「貴様は何者だ!?」
「ウォール・マリア南東の都出身! クリスタ・レンズです!」
金髪の少女がそう名乗った。
教官は予想に反して威勢の良かった返事に目尻をわずかに上げると、クリスタの顔にグッと近づく。
「何しにここに来た!?」
「じ、人類の役に立ちたいと思い志願しました!」
「そうか。ならば精々巨人の注意を引くための餌として役立ててもらおう。お前のような小さい女はさぞ食いやすいだろう」
教官はそれだけを言うと、クリスタから離れ、次の訓練兵に怒鳴り始めた。覚悟していたとは言え、予想以上の悪言を吐かれたクリスタは、少し泣きそうな顔をする。
隣には、そんなクリスタを一瞥することもなく、ただ茫然と前を眺め続ける兄の姿があった。まるで隣にいる少女とは無関係であるかのように、何も声を掛けてやらない。そんな無機質な男の対応に、クリスタはさらに涙が溢れそうになった。
けれどこれでようやく訓練兵になれた。
クリスタはそのことだけに喜びを覚える。ここであれば、兄もみんなのために仕事をしなくて済む。少しは余裕が出来て自分に構ってくれる。
そう考えるだけで胸はときめき、明日への活力が満たされるような気がした。
けれど、現実というのは甘くない。
この日、結局兄がクリスタに向かって喋ることは、一度もなかったのだから。
#
恫喝の儀式が終わり夕食の時間。視点はクリスタからその兄へと移り変わる。
空が赤焼けになった頃、男は食堂へと足を運んでいた。
食堂の入り口を見ると、複数の男女が談笑しながら芋女の走り姿を眺めている。男は邪魔だなと思いながらも、食堂に入るため後ろを黙って通ろうとした。
「なあ、そう言えば君も出身を聞かれなかったけど、どこから来たんだい?」
複数人の男女の内、そばかすの男がそんなことを聞いていた。男は一瞬、歩行スピードを緩めるが、自分に聞かれたわけではないのだろうと思い直し、そのまま彼らの後ろを通り過ぎようとする。が、そんな男の進行を阻止するように、坊主頭の男が彼の肩を掴んだ。
「お前だよ、お前に聞いたんだ」
男はそこでようやく自分に聞かれたことなのだと分かり、体を坊主頭達の方へと向けた。
「ウォールマリア南部の都だ」
男は事前に用意していた偽装の出身地を話す。必要最低限のことしか受け答えしないその姿勢に、周りの人間は少し驚くも、坊主頭だけは機嫌を良くした。
「そうか! 俺はコニーってんだ、お前名前は?」
「フリーダ」
「フリーダか、なんか呼びやすいな」
こうして人懐っこい笑みを浮かべるところを見ると、案外良いやつなのかもしれない。
「ウォール・マリア南部の都ってことは僕たちと近いね。僕たちは最南部に位置するシガンシナ区の出身だよ。あ、僕はアルミン・アルレルト。こっちはエレン。さっき君に出身地を聞いたのがマルコ。よろしく」
中性的な顔が目立つアルミンはそう言ってにこやかに笑みを浮かべると、フリーダに手を差し伸ばした。しかし、フリーダはその手を握ろうとせず、ただ黙って見つめる。流石のアルミンも、握られない手に気まずくなったのか、そのまま何も言わず恐る恐る引っ込めた。
「なあ、ウォールマリアの南部ってことは、お前も鎧の巨人を見たのか?」
コニーがフリーダへ喜色の声音をさせながらそう尋ねた。巨人を見たのか聞くなど、随分呑気な奴だと思ったが、フリーダは特にその点を気にすることはしなかった。
フリーダは自身の経歴詐称を押し通すため、少しばかり思い出す素振りを見せるが、鎧の巨人なんて当然見ているわけない。なので、この場は適当にはぐらかすことにした。
「いや。俺はその時、門の近くにはいなかったな」
見ていないということがわかり、コニーはあからさまに残念そうな顔をするが、マルコはどこか納得したように頷いてくれる。
「じゃあ、ちゃんと見たことあるのはアルミン達くらいなんだね」
マルコにそう話を振られたアルミンは、遠い目をしながら「ああ、そうみたいだね」と呟くだけであった。
アルミンの様子が少し気になったのか、マルコがそろそろ配膳も始まるということで、一旦食堂に入り、その後、話の続きしようというと提案した。フリーダもコニーに誘われたため、ひとまず同じテーブルに着く事にする。何気に、フリーダは同年代の男子から誘われることが初めてのことであった。牧場にいたときは、変な三人組がいつも喧嘩を売ってきた記憶しか彼にはない。
しかし、それで調子に乗ったのがまずかった。どうやらエレンやアルミンの語る超大型巨人達の話は、自然と人を集めてしまうらしい。気がつけば、いつの間にかフリーダ達の周りには同期の連中が押し寄せていた。
みんな、見たことのない巨人について興味があるのだろう。どんな見た目をしているのか、どれくらいの大きさだったのか、どのように人を食べるのか。実際に、巨人の恐怖を味わったことのない人間たちは怖いもの見たさでエレン達の話を聞いているに違いはなかった。
フリーダは落ち着いてスープを飲めない事に少し倦厭を感じながらも、黙ってエレン達の話に耳を傾けていた。普通の巨人について興味はないが、逐一コニーが反応を求めてくるため、聞かずにはいられないのである。
「巨人なんて、実際大した事ねえな。オレ達が立体機動装置を使いこなせるようになれば、あんなの敵じゃない!」
エレンが得意げな顔で啖呵を切った。同期のみんなは、エレンの決意のようなものに圧倒されていたが、フリーダだけはそれを横目で見ながら「こいつは早死にするな」と何となく思った。特に死相が見えたとかそういうのではないのだが、こういう己の命を蔑ろにする奴に長寿の道があるとは思えなかったのだ。
エレンが豪語していると、馬面の男が茶化すように横槍を入れる。エレンの志が高い分、鼻につくのは仕方がないと言えば、仕方がないことではあるのだが。それでも、調査兵団に行くと主張する男なんかにわざわざ構いにいくところ見ると、この馬面も相当捻くれた性格の持ち主ということが分かる。
「正直なのはオレの悪い癖だ。気い悪くさせるつもりは無い」
少し険悪なムードになっていたが、どうやら無事馬面の男とエレンは仲良くなれたらしい。最終的に手を打ち合って仲直りしていた。
あれが男の友情というものなのだろうか。今まで友達が出来たことのないフリーダからすれば、馬面の男が最初やたら喧嘩腰だった意味が分からなかった。
初めてみるコミュニケーションの仕方に首を傾げていると、カンカンと晩食の終わりを告げる鐘が鳴る。フリーダはその音を聞いて、食器を片し割り振られた自室へ戻ろうと食堂を出た。
少し歩いていると、目の前に見覚えのある金髪の少女が歩いてくる。昼間、教官の怒号に涙していたクリスタであった。
フリーダはそんなクリスタのことをまるで認知していないかのように、横を通り過ぎようとする。開拓地ではいつもこのようにして接していた。しかし、今日のクリスタは珍しく服の裾を掴んでまでフリーダを止めた。
「兄さん、なんで何も話してくれないの……。昔はあんなに仲が良かったのに」
今にも泣きそうな瞳で彼女はそう言う。クリスタがこうなっているのも無理はなかった。
フリーダが姉についてクリスタに聞いた日以降、彼は妹を無視するようになったのだ。明確な理由というものはフリーダも持ち合わせていない。ただ、姉のことを知らないクリスタが、ひどく不愉快に感じたのがきっかけだった。
そこからは自然とそういう流れである。フリーダは姉のことを知らないと言うクリスタを、大事な存在とは思えなくなっていた。どこで野垂れ死のうと、どこで何をしていようと、彼は一切合切がどうでもいいと判断する。
だが、それはフリーダだけの見識であり、クリスタからしてみれば違うのだろう。今にも凍え死んでしまいそうな彼女は、大好きな兄の服を掴んでいなければ真面に立てそうも無かった。
「ねえ、兄さん。何か言って、お願い、だから」
縋り付くような声。
フリーダは今にも死にそうな顔をしているクリスタを見ると、裾の部分をそっと離させる。久々に触ったクリスタの手は確かに震えていた。
ついに兄が何か言ってくれるのか、そう歓喜し見上げるクリスタ。しかし、そこにはいつも通りの鉄仮面が鎮座しているだけであった。
「っ、何も、言ってくれないの……」
クリスタが目を伏せる。兄の冷たい眼差しがとても怖かったのだろう。
フリーダはその言葉に否定も肯定もせず、クリスタを置いてそのまま自室へと歩き出した。その行動が意味するものとは一体何なのか、姉を忘れてしまったクリスタには一生分からないのだろうと、フリーダとなった少年はなんとなしにそう思った。
リメイク前の流れを汲んではいます。
が、オリジナルの話を織り交ぜつつ出していきます。