ろくでなし東方   作:ほろ酔いちゃん

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慧音先生と寺子屋の生徒達が頑張る話。
メインではありませんが、寺子屋の生徒達が喋ります。


妖怪失格

この頃の朝、誰かに起こされるという事が本当に多かった。

それは毎度毎度心臓に悪い起こし方をしてくる幽香だったり、来るたびに説教と面倒事を提げてくる慧音だったりだ。

私はほとほと嫌気がさしているのだが、その日も例に漏れず私は叩き起こされた。

ただその日の朝は、何かが違うと目覚めた時に直感した。

人里が、何やらただならぬ雰囲気であったのだ。

立て付けの悪い玄関を壊れそうなくらい強くドンドンと叩く音がする。

戸を開けるとそこに居たのは慧音と妹紅であった。

 

「事情は後だ……とにかくついて来てくれ!」

 

ただならぬ剣幕で急き立てるのは慧音。

妹紅もその隣で同じように眉間を狭めていた。

温厚な慧音がそんな険しい表情をするのは珍しい事であり、私の鈍い頭も流石に何か大変な事が起こっていると理解した。

急な申し出に混乱しつつも取り急ぎで寝巻きを脱ぎ、朝飯も食べずに家を飛び出た。

家の戸を閉めるなり慧音と妹紅が何処かへ走り出したので遅れぬようそれに追従した。

数分走った先についたのは寺子屋であった。

 

 

「これは……」

 

教室に飛び入るとそこには夢のような景色が広がっていた。

それも、とんでもない悪夢が。

普段子供達は私にしろ慧音にしろ、誰かが来たら元気な声で挨拶をしてくれるのだ。

慧音に言われたわけで無く、自然とその習慣がついていた。

だのに今日は誰一人としておはようの一言すら返ってこない。

 

「何があった……!」

 

私は酷く狼狽する。

教室はまるで地獄だった。

至る所から隙間風のような乾いた咳が聞こえてくる。

何人もの生徒が床に横たわり、デコに濡れ布を乗っけていた。

その顔は頬を除いて血色の悪い青色で、苦しそうに呻き声をあげる者もいる。

まるで死体安置所のような静かさだった。

 

「流行病だ」

 

寺子屋につくなり生徒の介護へと回った慧音に代わり、妹紅が質問に答えた。

妹紅もまた床に寝ている生徒の一人へ近寄って、水桶に浸した手拭いを絞っている。

とりあえず私もそれに倣い生徒が頭に乗せている布を交換してやる事にした。

改めて良く見ると伏せている者の殆どが見覚えのある顔だった。

 

「ここ最近欠席が多くてさ、今年は夏風邪が多いなって思ってたんだ……」

 

生徒の額にそっと濡れ布を置いてやりながら妹紅は言った。

声色は暗澹(あんたん)としている。

 

「疫病だ。罹ったら高熱と咳が止まらなくなる」

 

妹紅はたった一言そう言ったっきり黙っていた。

それ以上喋る余裕も必要も無かっただろう。

生徒達はゲホッゲホッと喉にイガでも入れられたような乾いた咳ばかりしている。

中には、喀血する者もいた。

急転する状況に、私はただ焦る事しか出来ない情けない女であった。

 

 

「貴子先生……っげほ!」

 

緩くなってきた桶の水を換えるために、井戸のある外へ出ようとした。

すると不意に下から一人の女子生徒が、細い蝋燭のような声で呼びかけてくる。

その生徒は、私の事を先生付けで呼ぶ数少ない一人であった。

私はしゃがんで耳を近づけ、その消え入るような声を絶対に聞き漏らすまいとした。

隙間風のような声がする。

 

「くるしい……しんどいよぉ……」

 

青い唇と焦点の合わぬ瞳。

白い顔に涙を溜めながら弱々しく肩を震わしてその生徒は呻いた。

私は、何と言えばこの子を楽にしてやれるだろうかと考え、ついに何も言ってやる事ができなかった。

 

「先生……私、死にたくないよぉ……」

「っ馬鹿言うな!こんな風邪っぽっちで死ぬもんか!」

 

とうとう声を荒げて、その子の手に私の手を強く重ねた。

何でもいいから言ってやらないと、本当に馬鹿な事が起こりかねない。

息が荒れているのがわかる。

重ねた手がじんわりと汗で滲んでくる。

これは拙いと思った。

本当に高熱であった。

掌越しにでも火照りが伝わってきた。

 

「気張れよ!大丈夫だからな!」

 

私はそう励まし、一層その手を強く握ってやった。

そうする事しか出来なかった。

胸が締め付けれるような気持ちになる。

つくづくどうしようも無い奴だ。

しかし、少しは安心してくれたのか汗をかきながらその子は微笑んだ。

 

 

目まぐるしく看病に追われていると、不意に頭へ何かをぶつけられた。

それほど強くは無いが後頭部からヒリヒリとした痛みがする。

見ると、床に一つ小石が転がっていた。

背中側には壁しか無かった筈だがと不審に思う。

すると窓の外に気配を感じた。

この期に及んでまだそんな事をする野郎がいるってのか。

とことん腹の立つ馬鹿だ。

忙しくなかったら今すぐにぶちのめしてやってる。

……しかしそんな馬鹿の相手をしてる暇など無かった。

どう考えても目の前に横たわる病人が先決だ。

構ってる暇など無い。

――そう思い無視しようとした。

するとまた石ころを投げられる。

しかも今度はかなりの威力。

ゴツンという鈍い音が脳幹に響いた。

よく仏の顔は三度までというが、私は一度見逃してやったのをいい事に二度目をやらかす馬鹿に見せる顔を持ち合わせていない。

私の顔は一度っきりだこの野郎。

 

「おいコラ出てこい!」

 

走って寺子屋の外に出る。

誰もいなかったので怒鳴ってやった。

隠れても無駄だ。

残念なことに私には気を扱う術の心得がある。

人間の子が放つ微小な気を探るのは難しい。

しかし、怒鳴り声のような大きな音でびっくりすると気は乱れるのだ。

そしてそれを悟るのはいとも容易い……のだが、どうやらその必要は無かったらしい。

 

「お前……」

 

物陰から一人の生徒が出てきた。

皆が安価で手頃な服を着てる中、これ見よがしに上等な召し物を着ていた奴。

その鼻につく反抗的な態度と眼差し。

そして極め付けは、自己紹介の時のあの質問。

 

『なんで余所者がここにいる』

 

コイツは、私が初対面でデコピンをかました例のクソガキであった。

慧音の前でクソガキ呼びするともれなく額を割られるため絶対に禁句であるが、ここに慧音はいないため遠慮なく言わせてもらう。

 

「おいクソガキ、何しにきた」

 

私が優しく質問をしてやると、ソイツは例の反抗的な目線で睨み返してくる。

あろうことかメンチの切り合いを仕掛けてきた。

目を合わせて優しく睨み返してやる。

相変わらず鼻持ちならない奴だと思った。

しかし、その瞳にはいつものような不快感が無かった。

ごく一般的な生意気の範疇に収まる物だ。

それでも石ころをぶつけられた事は看過出来ないが。

世の中物事には適切な時分がある。

そしてそれは間違いなく今じゃ無い。

 

「人に小石を投げるってのは何のつもりだ?」

「……なのかよ」

「え?」

「アイツは無事なのかって聞いてんだよ!」

 

からかってやろうと思ったら急に詰問口調で問い詰められた。

しかも先に怒鳴られてしまった。

これでは立場が逆だが、ソイツはやたらと真剣な顔をしていて私はふざける気が失せた。

どうやら見舞いに来たらしい。

 

「アイツって誰だ」

「……アイツだよ」

 

ソイツが窓越しに指を差したのは、先程の私を先生付けで呼ぶ少女であった。

布を交換したのと、太い血管がある首や脇の下を冷やした事で今は楽そうな顔をして寝ていた。

 

「アイツは無事なのか?」

「仮に無事じゃなかったらどうなるんだ。教室で見てた感じはお前ら別に仲良さそうでもなかったが」

「……同じ学舎で学んだ奴を心配して悪いかよ」

「なら他の奴も心配してやれ」

「話を逸らすな!アイツは大丈夫なのかって聞いてんだよ」

「無事だ、大無事。心配しなくていい」

 

私がそういうと、石ころ坊主はホッとしたように肩を撫で下ろす。

その事を聞きにわざわざここまで来て人に石を投げたってのか。

 

「さてはお前、あの子の事が……」

「っ違う!馬鹿じゃねーのか!?」

「まだ何も言ってないだろ」

「なっ、お前っ……!」

 

顔をトマトみたいに赤くする少年。

予想大的中。

つくづく分かりやすい野郎だ。

 

「お前の言う同じ学舎で学ぶ仲間ってのが高熱出して苦しんでるのに、自分は一人気楽に色気草か。呑気なものだな」

「うるせぇ!」

「質問には答えた。これで満足か?」

 

こっちは手当に追われて一時も気が休まらないくらい緊迫してるってのに、子供は色恋の事で石ころをぶつけてきた。

なんだか腑に落ちない。

慧音みたく頭突きでもかましてやろうか。

 

「アイツがもし……もしも死んじまうような事があったら、その時はお前を殺すからな!」

「……おい。今自分が何言ったか分かってるか?たった今その命を救おうとしてる奴の前で」

 

私がにじりよって凄むと、一歩引いてたじろぐ。

多分殺気を感じたのだろう。

無論わざと出している。

 

「っなんだよ」

「さっさと帰れ。家で大人しく宿題してな」

 

相手にするだけ時間の無駄だと思ったので私は教室に戻ろうとした。

冷たい対応かもしれないが、石ころをぶつけた事を咎めなかっただけ有難いと思って欲しい。

なのに、また引き止められた。

 

「待てよ!」

 

腕を掴まれて足止めされる。

その手を振り払うのは簡単だが、少年の視線がそれを阻止した。

待てと言われて待つのも癪だがまた石をぶつけられたら今度こそキレそうだ。

そろそろ戻らないと色々説明が面倒だ。

聞くから早くして欲しい。

 

「何だよ」

「アイツは……生まれつき体が弱い。しかも喘息持ちで、咳をするだけでも危ねぇ。絶対に目を離さないでやってくれ!」

 

そこで、私は驚く事になる。

元来頭を下げる事の多い人生であったが、人から――まして子供から頭を下げられるなんて、後にも先にもこれっきりだろう。

 

「頼むっ!」

「……お前の家は裕福なのか?」

「え?」

 

予想外の問いかけに、顔を上げて困惑の表情を浮かべている。

私は少し、聞きたいことがあった。

 

「今、看病の人手が足りて無い。いくらあの子を診てようったって、あの人数じゃ限界があるんだ」

「何だよ……金か」

「……は?」

 

今度は私が絶句する。

何をどう連想すればその返答になるのか少しも理解できなかった。

 

「いくら払えば満足なんだよ。確かに家は金持ちだ。そう言うことだろ?」

 

私は頭を掻いた。

思わぬ溜息も出てしまった。

つくづく寺子屋は道徳と一般常識の授業を取り入れる必要がある。

偉そうにも子生意気な事を言うので、温情のデコピンをしてやった。

 

「っ痛え!」

「金をやるから一人を贔屓しろだ?嫌なこった。金持ちなら寺子屋に人を雇えってんだよ。この里が連呼してる助け合いの精神は何処にいった」

「それは……」

「出来ないんなら、お前が診てれば良いだろ」

「は?」

「だから、お前がアイツを診といてやればいいじゃないか」

 

少年は暗い顔をして俯いた。

ころころ表情の変わる奴だ。

 

「……できねぇよ。アイツに合わせる顔なんて無い」

「そこにあるクソ生意気フェイスはお面か?」

「触んな!」

 

合わせる顔が無いとはどう言うことか。

その意味を問うた。

すると居心地悪そうにその子は言った。

 

「アイツの父さんはウチの奉公人だった。でも訳あって、妖怪に喰われたんだ」

「……訳ってのは何だ」

「妖怪が子供を喰らうことが増えたって慧音先生が言ってたろ」

「あぁ」

 

その子は俯き、子供に似つかわしく無いような遠い目をした。

遺書を読む時、人はああ言う顔をする。

私は図らずも心して聞く事となった。

 

「何年か前、ちょっとした悪戯で里の外へ出たんだ……里の近くなら妖怪は出ないと思ってたんだよ」

「……そうか」

「案の定、妖怪に襲われて殺されそうになった」

「そうだろうな」

「その時、見張りを頼まれてたアイツの父さんが突然やってきて……妖怪に喰われちまったんだ」

 

三泊置いて、少年は苦しむように吐き捨てた。

この後の台詞は、言わなくてもわかる。

 

「アイツの父さんはウチが殺したようなもんなんだ……」

 

親に泣くなと躾けられたのか、涙を漏らさぬよう必死に堪えながら言った。

震えながら、しかし何一つの嘘をつかずに少年は話きった。

それがクソガキなりの誠意って奴だろう。

 

「……慧音が妖怪の事を教えろってしつこかった理由が分かったよ」

「アイツの親を殺しておいて、合わせる顔なんて何処にも無いんだよ……」

「そうか……」

「貴子……先生。頼む、アイツを――」

 

またも頭を下げようとする。

声は掠れて今にも泣き声に変わりそうだった。

頼まれるのは藪坂じゃないし、私の事を先生付けで呼ぶのも結構だ。

しかし私にはその態度が、そのあり方が少しだけ気にかかった。

平たく言えば、腹が立った。

 

「お前は申し訳ないと思ってるのか?」

「えっ?」

「過ちを犯したと、思ってるんだな?」

 

念押しするように強く問いかける。

戸惑いながらも少年は答えた。

 

「あの日の事を忘れた事なんてねぇよ」

「なら、尚更顔を見せて謝ってこい。お前が本当に後悔しているのならな」

「……今更何を」

「そもそも、お前の言う合わせる顔ってのは何だ?

 

冷静に話をしようと思ったのだが、結局頭に血が昇る。

こうなったら止められない。

私は思った事を、それが自分の正義に則っていればいるほど心の内に留めて置けない性格らしい。

 

「そうやって自分から距離を作っておいて一方的に申し訳ないだの目を離すなだのって、卑怯だろ」

「っ何で、お前にそんな事を!」

「落とし前もつけれない癖に生意気言ってんじゃねえよ!」

 

私の声は遠くこだました。

結局声を荒げてしまった。

別に、心の底から怒ってはいない。

小石をぶつけた事は許して無いが、別にコイツが憎くて責め立てた訳じゃ無いのだ。

多分これが、人を叱るって事なんだろう。

先生ヅラして小さい子供相手にムキになった私の方が、よっぽど卑怯だ。

……慧音の説教癖が感染(うつ)ったのかもしれない。

 

「っち!」

 

地面を蹴って舌打ちを返してくる。

所詮は良いとこ育ちの坊っちゃんか、ちょっと怒られたらこれだ。

言い返しもせずただ私の事を睨み、不機嫌そうに帰っていった。

石ころをぶつけたと思えば、金を払ってでも良いからアイツを診ていて欲しい……か。

過去を悔いて罪悪だと思えるのなら、尚更本人に会ってやらないとダメだろう。

何もすぐに謝る必要はない。

ただ、ソイツが困った時に肩を貸してやるのが償いって奴だと思う。

それを金っぴらで解決しようとしてるのなら、それこそ本当の馬鹿野郎だ。

……思ったより時間を食ってしまった。

早く戻ろう。

 

 

 

少し経って、ここは人里を出て東へ少しの所。

少年は、ある場所へ向かっていた。

その現在地は奇しくも数年前妖怪に襲われた所と同じであり、そして何の巡り合わせか、

 

「人間みっけ!」

 

妖怪が居た。

 

「ひぃっ!」

 

少年は腰を抜かして尻餅をつき、妖怪は嬉しそうに歩み寄ってくる。

 

「ねぇ何で一人なの?……まあ何人居ても変わらないけどね!」

「く、来るな!」

 

少年は震えながら懐から何かの紙切れを出した。

ミミズのような文字が書かれている、それはお札であった。

その紙を見た妖怪の動きが止まる。

 

「……くくくっ何それ!?」

「博麗のお札だ!近寄るな!こ、殺すぞっ!」

「……おい人間。あんまり私を舐めんなよ」

「っ!?」

 

雰囲気が一変し、妖怪は先程までとは全く違う声を出す。

そのドス黒い殺気に少年は心の底から恐怖した。

 

「そんな紙切れでビビるとでも思ったの?ガキって馬鹿だからホント助かるわー。あっもしかして脳みそ空っぽ?あそこ好きだからもしそうだったら嫌だなぁ」

 

そう言って、妖怪は不意に姿を消した。

 

「ま、何でも良いや」

 

そして後ろから少年の首を掴む。

指先は肉皮を裂き、気道が塞がれ呼吸が止まる。

 

「っや……めろ……慧音……せんせい……」

「いただきまーす」

 

妖怪の口が大きく裂け、頭を丸呑みしようとする。

唾液が、少年の顔にポタポタとこぼれた。

遠のく意識。

もはや激痛も何も感じられなかった。

 

「あぁ……」

 

その瞬間、拳が顔面にめり込む。

鳴り響く鈍い音。

妖怪が顔から吹っ飛んだ。

 

「……だ、れ?」

 

少年はぼやける視界の中で一人の人間を捉えた。

そこで意識は途絶える。

 

遠くに吹っ飛ばされた妖怪がよろよろと立ち上がった。

顔面には深い拳の跡。

その顔はひしゃげて歪である。

 

「なんだお前ぇ?」

 

煙草を咥えて、拳の犯人は煙と共に言った。

 

「妖怪退治屋だ」

「あ?」

「ウチの生徒に……手を出すんじゃない!」

 

 

 

「――おい、起きろ」

「……」

「起きろって、おい」

 

少年は、頬をペチペチと叩かれる痛みで目を覚ました。

意識が戻り、澄んでいく視界に写ったのは血みどろの女であった。

 

「っぎゃあぁ!!!」

 

恐怖で飛び退く。

少年目線では直近まで命の危機だったのだから仕方がない。

 

「って、お前は……」

「何で里の外に出た」

「……悪いかよ」

「あぁ悪い……ちょっとその紙切れ見せてみろ」

「っそうだ、それ!」

 

少年の出したのは先程のお札。

強く握りしめていたせいでクシャクシャに折れている。

それは、少年が父の部屋から盗んできたモノであった。

 

「これ、父さんが博麗のお札だって、妖怪をやっつけてくれるって言ってたのにっ……」

 

少年からお札を奪い取るようにして受け取り、吸い終わったタバコを足で踏み消す貴子。

すると突然そのお札をビリビリと破り捨ててしまった。

 

「コイツは偽物だ」

「な、偽物?」

「まあ、本物でも効果なんて無かっただろうけどな」

「は、博麗のお札は、妖怪を退けるって……」

「授業で言っただろ。使う奴の力によるって」

「……そんなの」

「ったく。こんなモノを持って何するつもりだったんだ。事と次第じゃぶん殴る」

 

少年は言い淀む。

やがてとうとう覚悟したのか苦々しく口を開いた。

 

「あそこの木……」

「ん?」

「あれ、桃の木なんだよ……アイツは桃が好きなんだ」

「それを採りにきたのか」

 

少年はコクリと小さく頷いた。

そして一層声を震えさせ、こう言った。

 

「あの時、アイツは風邪を引いて……それで桃を持って行こうと思って……」

 

あの時というのは、数年前に少女の父親が襲われてしまった時のことだ。

桃は、里の中でもとびきり高価であった。

それを食えるとなれば、さぞ喜んだ事であろう。

しばしの間黙って、それから貴子はおもむろに立ち上がった。

 

「帰るぞ」

「っあれを採らないと!」

「あ、おい無理に動くな!」

「すぐ近くに……っ!」

 

少年は立ち上がろうとして、それができない。

膝下から激痛が走る。

思わず体制を崩し地面に倒れた。

 

「膝を挫いてるんだ。ほれ、おんぶしてやるから」

「嫌だ、汚ねぇ!血塗れじゃねぇか!」

「誰のせいだ」

 

貴子は嫌がる少年を無理やり背負って、里に向かい歩きだす。

少年は背負われながらなお暴れた。

 

「帰るぞ」

「待て!桃を持って帰るんだ!おい、降ろせ!」

「静かにしろ。今妖怪に襲われたら今度こそ死ぬぞ」

「……そうだ、あの妖怪は!?」

「アレだ」

 

貴子が指さした先には、大量の血溜まりがあった。

その何処にも妖怪の姿は無かった。

妖怪は、死ぬと消滅するのだ。

そして貴子に纏わりつくのは、その返り血であった。

 

「金持ちなら、桃くらい大枚叩いて自分で買うんだな」

「お前、この野郎!」

「次騒いだら、今度は右足を折るぞ」

「……お前がやったのか!?」

「嘘に決まってるだろ」

 

そうして貴子に(無理やり)背負われる形で、二人は里へ帰っていった。

最後まで少年は桃を採ると言って暴れ続けついには貴子の髪を引っ張ったのだが、やがて疲れたのか静かになった。

 

里に着き少年の家まで送ってやると、それはそれは大変な騒ぎが起きた。

少年は里の長者が愛してやまない一人息子だ。

それが血塗れの女に背負われ、しかも怪我をしていたとなれば当然騒ぎは大きい。

そのせいで疫病により静閑としていた里が一気に騒がしくなった。

奇異の視線に晒されつつも子供を家の者に引き渡し、貴子は面倒事になる前に逃亡した。

逃げても顔が知られてるのだから全く無意味であるが、それでも逃げた。

 

 

「どうだ?楽になったか?」

「貴子先生……ゲホッ」

 

貴子は側に座り、少女の枕元に何かを置いた。

 

「先生……これは?」

「桃だ」

 

貴子がそういうと少女は、黙然として肩を震わした。

逃げ出したのは、いち早く寺子屋に戻る為であった。

新鮮な桃は水々しい。

その子はそれを手に取りしばしの間撫で付けて、しばらく経って口を開いた。

 

「先生……お返しは、瑠璃唐草をあげるね」

「……そうか。それは楽しみだ」

 

それっきり、少女は窓の外を向いて喋らなかった。

体が弱いのに、無理して喋っていたのだろう。

息が上がっている。

 

「……良かったな」

 

貴子は立ち上がり誰に言うでもなく呟いた。

少女が言った言葉。

お返しは瑠璃唐草。

その花言葉は……

 

「貴方を許します、か」

 

少女が笑ったような気がした。

 

 

 

 

結局その日はその後一日中看病に就いた。

生徒達は一向に良くならない。

人里の外へ妖怪をぶん殴りに行ったりと例外はあったものの、おおよそ寺子屋で過ごす事となった。

途中に何度か飯を挟みつつ、殆どつきっきりで生徒達を診たが症状はどんどん悪くなる。

治療が遅れているのには幾つか理由があった。

生徒達を回復させるにはとにかく栄養のある物を食べさせ休ませるしかないという事だ。

妹紅曰く里にある薬屋では、対症療法薬すら満足に調合できてないらしい。

解熱剤の材料となる薬草もまた、飢饉の時みたく二度起きた異変によってろくすっぽ採れていないらしかった。

また薬草となると、前回のように紅魔館で種を手に入れる事も難しいだろう。

あの館には病気にかかる者など居らず、不必要な薬草など一つも育てていないのだ。

ではパチュリーや美鈴を呼ぶのはどうだろうか。

以前咲夜が体を壊した時、美鈴は何やら気功術で咲夜の体調を整えていたし、パチュリーなら病気の治癒くらい楽勝だろう。

そう考えたが、これも駄目だ。

美鈴に習った気功術なら私も一通り試したし、その結果は芳しく無かった。

またパチュリーは魔法使いであって僧侶ではない。

外傷の治療なら多少の心得あれど、病気の治癒となるといくぶん不得手なのだ。

もしパチュリーに病を治す術があるなら、咲夜の事もすぐに治しただろう。

二人を頼るという線は薄い。

それよりも今人里を開ける事の方が不安だ。

慧音や妹紅は手際良く処置をしているが、それでも患者の数が多すぎる。

ぜんぜん人手が足りてない。

里には沢山の人がいるのだからそれを頼れば良いと思ったのだが、そうもいかないらしい。

どうやら大人達は別のところに有る診療所で他の者の看病をしているそうだ。

そちらの方で手一杯らしい。

よって子供の手当ては寺子屋に一任されていた。

押し付けられた、と言った方が適切かもしれない。

その配分は失敗に近かった。

妹紅や私、他にも何人かの者が慧音を手伝っているが全く追いついていないのだ。

とりあえず夜は他の者と交代する事となったが、あの様子を見ると心配に思う。

妹紅はこう言った。

寺子屋に来る奴らは貧しい者も多い。

ここにいる奴らは金が無く、満足に治療を受けられていない者達なのだ、と。

 

夕暮れの帰り道、私の胸中がやるせない思いで満たされていく。

普段ならこの時間はまだ街に賑わいがあるはずだ。

しかし今聞こえてくるのは苦しむような呻き声ばかり。

かえって不安は増してくる。

そこでようやく疫病が襲ってきた事を痛烈に実感した。

 

「幽香……」

「何?」

 

家に着き、服も着替えぬまま私は幽香に詰め寄った。

怒っていたのではない。

いっそ怒っていた方が楽であったかもしれないが。

 

「薬草が欲しい。出来るだけ沢山」

「貴方はいつ私に物を言える立場になったのかしら」

「頼む!お前しか頼れないんだ……お願いだ」

「私には何の義理も道理もないの。諦めなさい」

 

幽香の吐き捨てた言葉を聞いて、やっぱりダメかと諦めそうになった。

その時、私の頭にか細く囁いてくるあの生徒達の顔が浮かんだ。

まだ十にも満たないような小さい子供が、未知の病に犯されどれほど心細い思いをしている事か。

病気の恐ろしさはこれでも痛いほど知ってる。

あの子達は急に妖怪を連れて里に入って来たような輩を、先生と呼んだ。

頼りにした。

死にたくないと言った。

それに応えてやれなくて……何が大人だろうか。

 

「幽香ぁ!」

 

気がつけば私は幽香に向けて拳を振おうとしていた。

どうしようも無い気持ちだった。

そこには幽香への怒りや無念もあった。

何もできない自分にも腹が立った。

何よりもここで幽香を殴ってやらねばいけない様な気がしたのだ。

しかしその拳は幽香の頬を僅かに掠め、ブンと音を立てて空を舞うだけであった。

まともな頭ならそこで自分のした行いを後悔して立ちすくむだろう。

だが私はどうしても幽香を一発ぶん殴ってやらないと気が済まなかった。

後ろに避けた幽香を追ってもう一撃放つ。

これは失策であった。

幽香にちょいと足をかけられ、無様に床へ突っ伏してしまったからだ。

 

「っがあ!」

 

上から幽香が見下してくる。

 

「死にたいのならそう言えばいいのよ」

「くっ……」

 

床に突っ伏す私。

そんな無様な格好で、それでも蹴り上げようとする幽香の足を力一杯掴む。

一日動いてくたびれたはずなのに不思議と力勇気が湧いた。

奥歯を食いしばると、どうしてか涙が溢れそうになった。

 

「いい加減に――」

「幽香……」

 

今度は私を殴ろうとした幽香の動きが止まった。

あぁ、またこうやって後先考えずに行動してしまった。

つくづく私には何もできない奴だ。

そんな事はもうずっと思い知らされている。

異変も飢饉も私が起こしておいて、泥の一つも拭えない馬鹿だ。

意味のない暴力すら満足に振るえないような、本当どうしようもない人間だ。

ただ、そんな私でも命一つは持っている。

 

「私一人の命で、手を打ってくれないか……薬が、どうしても必要なんだ」

 

幽香はフンと鼻を鳴らし足を振り払う。

 

「思い上がるのも大概にすることね。貴方一人の命なんて何の価値も無い。そもそも貴方の命は既に私の物よ」

「そうか……」

 

そこまで言って、一日の疲労が祟ったのか私の意識はプツリと切れた。

ブレーカーが落ちるみたいになんの前触れもなく、世界が急速に微睡んでいった。

 

 

 

翌朝は誰にも起こされる事なく目が覚めた。

日が、昇ろうかサボろうか迷ってでもいるように半分だけ顔を出している時間。

生来目覚めは悪いのだが、一刻も早く寺子屋に行かなくてはと気が早って仕方がない。

出来るだけ急いで布団を脱出する。

そして朝飯に茶漬けをかきこみすぐさま家を出ようとした。

戸を開けようとして、そこでパタリと勇足が止められる。

店を出る前、ある物が目に映ったからだ。

そこに異変が起きていた。

よく見ると、並べてある花の内容がガラッと変わっていたのだ。

昨日までは向日葵や菊など夏の花ばかりであったはず。

なのにそれが全て取っ払われていた。

盗まれたのでは無い。

代わりに、大量の緑草が置かれていたのだ。

カラフルな花たちにとって代わり、ユキノシタやクチナシなどが所狭しと並んでいる。

それらは全て、解熱作用の有る薬草であった。

 

「……幽香」

 

何故か分からないが、その名前が口から溢れた。

しかしずっと止まっている訳にもいかず、私はその草束を全て抱えて寺子屋へと走った。

なんだかやたら胸が痛かった。

 

 

寺子屋に着き、夜の間生徒達を見てくれた者と交代する。

この者は教師では無く里で働いているただの一般人だが、緊急事態と聞きつけて慧音への助太刀にやってきたのだ。

慧音は飢饉を救った里の英雄であり、そこに恩義を感じる者は少なくない。

有難いことにそのような者は他にも何人かいる。

そうして朝晩の二人組体制でいつ何が起きても良いように備えているのだ。

昼は私、夜はこの人である。

妹紅や慧音も同様だ。

 

そこで事態は起きた。

人里からはすべからく鼻つまみ者の私が、誰かから話しかけられるのは大変珍しい事である。

しかし村八分など気にかけていられない事態があったのだろう。

夜番をしていた者が交代際に話しかけて来たのだ。

 

「あの……貴子さんでしたっけ」

 

その声からは恐る恐ると言った感じがヒシヒシと伝わって来て、そんなに怖がらなくても良いじゃないかと少し悲しい気持ちになる。

しかしそんな事は全くもってどうでも良かった。

異常事態だからだ。

私は絶対に怖がらせないよう最大限の優しい顔と声を意識し、その者から話を聞く事とした。

目を合わせると少し慄いたものの、その人はゆっくりと口を開いた。

 

「昨日から慧音先生……寝てないの」

「……え?」

 

 

私はすぐさま寺子屋に飛び入り、慧音の肩を引っ掴んだ。

 

「慧音っ!」

 

その場で責め立てようかと思ったが、足元で苦しそうな顔をしている生徒達を見て頭に上った血がスッと降りていった。

ひとまず寺子屋の外に出て慧音と話をつける。

忙しいのは承知で、渋る所を無理やり連れ出した。

慧音は眉を釣り上げている。

おそらく私も同じような表情をしていた事だろう。

 

「寝てないのか?」

「……あぁ」

「っ馬鹿野郎!」

 

急に怒鳴られ目を丸い皿にしている慧音。

よく見ると、目の下には大きめのクマが出来ていた。

顔と声にもハリがない。

元気を大事にする慧音とは思えなかった。

私は止まらず、喉を枯らすほどの勢いで声を荒げた。

 

「お前まで病気になったらどうする!」

「……私は病気にはならないから心配は不要だ」

 

慧音はそう弁解する。

その言い分はとても慧音から放たれたとは思えない物だ。

いつも慧音は理路整然と話す。

だが、今の言い分は私からすればもはやスジも理屈も無い駄々っ子の言い訳と変わらなかった。

 

「なぜ言い切れる」

「アレは人間にしか発症しないからだ」

「だから、感染(うつ)ったらどうするって……」

「まだ分からないか?」

 

急に、慧音が話を遮った。

風がざわざわと野草を揺らす。

太陽がとうとう観念して私たちを照らした。

 

「私は人間じゃない」

 

慧音はそう言った。

溜息を吐くように。

私は何も返せず、ただ硬い唾を飲みおろすだけであった。

本当はどういう意味だと問い質したかった。

胸ぐらを掴み上げて怒鳴りたかった。

しかし、慧音の真っ直ぐな眼差しが私の中にあった怒りや疑念など全て吹っ飛ばしてしまったのだ。

そして後に残ったのは僅かな諦めと胸いっぱいの悲しさであった。

 

「いつか話そうと思っていたんだがな……私は人間とは呼べない存在なんだ」

 

慧音は辛そうに話した。

明かしたくない秘密であったのだろう。

それを無理に今暴露する必要は無い。

 

「その話は今はいい。流行病が落ち着いたらそのうち聞かせてくれ」

「しかし……」

「私はそう言う話をしてるんじゃない。暗い顔してたら生徒たちだって治る物も治らないぞって事だ」

 

それが私に言える精一杯であり、胸にあった怒りの正体であった。

口に出して仕舞えば単純な、呆気ない答えである。

無理をしたい気持ちはよく分かるが、それでも無理をしてはいけないのだと私は思う。

 

「……すまない」

「謝らなくていい。今すぐ家に帰れ。そんで美味い飯を腹一杯食べてぐっすり寝てこい」

「……できん。たとえ一秒でもここを離れる事は」

「私も妹紅もいる。家から熱冷ましの薬草も持って来た。だから心配しなくても大丈夫だ。決して誰も死なせやしないさ」

「薬草があったのか?」

「どう言う訳かな」

「そうか……」

 

私がそう言うと、慧音は何も言わず下唇を噛んで俯いた。

瞼を閉じ、険しい顔をしている。

強張っていた肩は力を失い、言葉ともならない声ばかりが漏れ出していた。

 

「……紅霧が舞い、春が失われた。やっと落ち着いたと思ったら今度は飢饉が襲ってきた」

 

地面に崩れ落ちながら慧音は言った。

今度は私が何も言えなかった。

語気はどんどん強くなっていき、そして声はどんどん震えていった。

 

「生徒達は皆一生懸命に生きている。なのに何故だ……何故こんな事ばかりが起きるんだ!」

「慧音……」

「あの子達は辛い思いばかりして……飢えで死にかけた者もいるんだぞ!?何故ほんの少しも平穏が訪れない!これは祟りか?呪いか!?」

「落ち着け!」

「どうして今なんだ!やっと里に活気が戻ってきた!ようやく寺子屋を再開する事ができた!なのに……ここに住む罪なき人の笑顔をどこまで奪えば気がすむんだ!」

 

言い切って、顔を手で覆いボロボロと慧音は泣き出した。

辛い叫びであった。

きっと堪えてきた物が我慢ならず溢れ出たのだろう。

大声を上げて心の底から泣いていた。

 

「……慧音」

 

私は地面に崩れる慧音の肩に手を添えて座った。

涙が込み上げてきたのは慧音だけではない。

本当は、私だって泣きたかった。

 

「辛いのは……私も一緒だ」

「どうして、どうしてなんだっ……」

 

肩を震わせ嗚咽する慧音。

地面にポタポタと涙が落ち、まだらな模様を作る。

 

……私は一体何を言う必要があるだろうか。

ずるい答えだが、多分何も言う必要はないのだ。

悲しい時に必要なのは百の言葉や千の慰めじゃない。

ただ黙って、同じように泣いてあげようとする気持ちが大切なのだと思う。

私はここに来て日が浅く、飢饉もただ辛いと思うばかりで周りの人間を励ましたりなどしなかった。

しかし慧音が流した涙の意味は、心が締め付けられるほどよく分かる。

無理に元気付けようとは思わない。

悲しい物はどう振り切ったって悲しいし、それは頭で考えたって如何ともしがたいのだ。

何故なら、私や慧音が――

 

「人間だからだ」

「……え?」

 

多分、そういう事だろう。

子供達が泣いている。

それがどうしようもなく悲しい……と慧音は言った。

 

「他人の不幸を悲しめる奴が、人間でなくて何だ」

 

それが安い慰めなんてのは分かってる。

でも言わずにはいられなかった。

慧音はまた黙り込んでしまった。

 

「ともかく寝ろ。後は任せとけって」

「……だから、それは」

 

そうして私と慧音がまた問答を続けようかとした時、突然第三者の声が響いた。

 

「先生!」

 

振り返るとそこに、幼い少年少女達がいた。

私もだが、誰よりも驚いていたのは慧音だろう。

 

「お前達!」

「先生、私達も手伝います……だから、無理をしないでください」

 

先頭に立つ少女は高く芯のある声で言った。

やって来たのは病を患っていない生徒達であった。

慧音を手伝うために何処からか駆けつけてきたのだ。

人手が足りず満足な処置も施せていない現状を知ってか知らずかは分からないが、ともかくやってきた。

 

「何故ここに来た!」

 

慧音は鼻声で怒鳴った。

私も慧音に同感だ。

困った仲間を救う。

それは満点をあげたい行動だが、残念なことに生徒達を教室に入れる事は出来ない。

患者を増やすリスクが大きくなるからだ。

今患者を増やすなど最も避けなくてはいけない。

ここに来てはいけないと、おそらく慧音に言われていただろう。

なんなら菌が跋扈している外を出歩く事もご法度の中、家を飛び出てきた生徒達。

本来なら叱らないと駄目な場面だ。

事実怒鳴ったし、それは教師として間違いではないと思う。

しかし慧音の涙は、より一層多くなった。

 

「……私は、自分が情けない」

「何がだよ」

 

私はできるだけ優しく慧音に問いかけた。

すると慧音はしゃくり上げながら拙い声でこう言った。

 

「教え子に世話をかけてしまった……教師を名乗る資格なんて、私にはないっ!」

「だから何でだよって。むしろ誇って良い事じゃないか」

「それこそ分からないっ……どう見たって情けない恥晒しじゃないか!」

「何を言ってるんだ」

 

人の不幸を悲しむ事ができる奴を、立派な人間と言うのだ。

慧音は立派な人間だ。

そして……

 

「慧音の教え子達はこんな立派に育ってるんだぞ?なのに教師が生徒の成長を誇らないでどうする」

「……っ!」

 

生徒達もまた、立派な人間に育っていた。

顔を上げ、真っ赤に泣き腫らした目で私と生徒達を見る慧音。

生徒たちは心配そうに慧音のことを見ている。

気丈で優しく、尊敬と憧れを抱かれる先生。

それが今思いを吐露し、涙を流しているのだ。

心配そうな顔にもなる。

慧音はその一人一人を見つめ、その度に目を潤ませ鼻を啜った。

 

慧音の人生で今日ほど辛い日は無いだろう。

辛い事に散々遭って、一人でそれを抱え込もうとしたのだから。

そして……今日ほど教師として嬉しい日もない事だろう。

自分の教え子達が人の痛みを分かち合えるように育っていたのだから。

ようやく荒れた息が落ち着いて、慧音は口を開いた。

 

「貴子……私を殴ってくれ」

「え?」

「この私と言う大馬鹿者をどうか殴ってくれ……」

 

慧音は顔を差し出した。

とことん自分に厳しい奴だ。

 

「……それはまた今度にとっとくよ。ほらお前ら、行ってやんな」

 

太陽が顔を出し、辺りがフワっと明るくなった。

不安そうに立ち止まっていた生徒達を指で導く。

戸惑いもなくその子達は駆け出し、慧音の元に集まった。

地面に崩れている慧音の元に。

そして各々が声をかける。

 

「先生元気出して?貴子に虐められたの?」

「先生、泣かないで。はい、ハンカチ」

「先生」

「先生」

 

生徒達の声が重なる。

 

『慧音先生』

 

慧音はまた泣き出した。

今度ばかりは私も我慢できず、誰にも見られぬよう人のいない方を向いた。

 

 

 

慧音はようやく納得いったようで、ひとまず家へと帰っていった。

その見送りとして、生徒達も同行している。

集団下校のように生徒に囲まれ、生徒に導かれて歩いていく姿はなんとも言えなかった。

あの分だと泣き止むのはいつ頃かな。

慧音はいい生徒を持ったものだ。

先生に似て優しい心を持っている。

頑固な所まで似なければいいが

……と、いつまでも感傷に浸ってられない。

早く教室へ戻らないと。

 

「おい貴子」

「……妹紅?」

 

教室に入ろうとする手前で妹紅に止められた。

腕を組み柱にもたれかかっている。

もしかすると慧音とのやり取りを聞かれたのだろうか。

声は聞こえなくても、その場面を見られると大変だ。

泣いている慧音と怒ってる私の組み合わせは拙い。

 

「慧音に何を言った」

 

妹紅は目を狭めている。

口は逆三角形で、声は険しい。

やはり見られていたのか。

しかも慧音は帰ってしまった。

勘繰るのも仕方がない事だろう。

私は何と言おうか迷ったが、慧音への顔立てとして嘘は吐かない事にした。

 

「今度ぶん殴らせろって言ったんだよ」

「……そうか」

 

嘘はついていない。

その返答で何をどう満足したのか知らないが、妹紅は教室へ戻っていった。

私も黙ってその後に続く。

 

「熱も落ち着いて来た」

「そうか」

 

妹紅が説明する。

相変わらず生徒達は苦しそうな表情だったが、朝持ってきた薬草を煎じて飲ましたので時期に回復するはずだ。

止まなかった咳もだいぶん落ち着いてきている。

ようやく光明が見えて来たような気がする。

本当、良かった。

妹紅は教室に入るなり足を止め、小さく言った。

 

「貴子」

「ん?」

「慧音、ありがと」

 

……聞いてたのかよ。

 

 

 

正体不明のパンデミックが里を襲って二週間ほど。

正体不明の菌は健康な体を蹂躙し、咳と高熱でジワジワと嬲り人々を恐怖の底へ陥れた。

一時は病が病を呼ぶような状況で鼠算式に患者が増えていって、本当に恐ろしい物『だった』。

……過去形って事は、まあつまりそう言う事だ。

薬草っていうここぞのピンチヒッター処置と、慧音達による絶え間のない熱心な看病によって、人里は見事病魔を退けた。

誰一人として死ぬ事無く、だ。

幸せは絶頂、笑顔は絶えない。

私の事を先生で呼ぶ例の生徒も無事に治った。

例のクソガキが寺子屋の手伝いを申し出たのには驚いた。

なにせ急にやってきて不器用に花を手向けたるのだから。

他にも手伝いを申し出る生徒は多く、人手不足という課題を乗り越え、私たちは打ち勝った。

こうして人里はまた一つの武勇伝を歴史に刻んだ。

 

その裏で、一つ事件が起こった。

 

幸せは不幸のお通し。

不意に、ミスティアの言葉がよぎる。

あぁ、何で幸せのままで居られないのだろうか。

全員が喜びを分かち合い抱き合っていた時、

 

――慧音が倒れた。




生徒達に慧音の頑固さと長話が似なければいいと貴子は思っていますが、実は本人が一番影響を受けています。
美鈴のお陰で貴子はそこらの妖怪程度ならギリギリ倒せます。
次回はがっつりもこけーねです。
キーワードはアルジャーノン。
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