ろくでなし東方   作:ほろ酔いちゃん

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貴子の入院生活。
不穏な空気が漂う目覚めであった。


カグヤ・マグラ

 

――んん、もう朝か。

あーあ……よく寝た。

目覚めは最高だなこりゃ。

なんだか疲れが全部吹き飛んだみたいに頭がスッキリしてる。

近頃稀に見る爽やかな気分だ。

 

「お目覚めかしら」

「あぁ、よく寝た」

「そう。良かったわ」

「何だか身体が軽い……ってええぇ!?」

「元気そうね」

 

軽い体を起こしてのびのび目を開けると、ベッドの脇に永琳が立っていた。

汚れのない白衣を着て、カルテを脇に挟んでいる。

 

「なんでお前がここに!」

「ここは永遠亭よ」

「永遠亭?」

 

馬鹿め、そんな訳あるか。

冗談も大概に西洋ベルサイユだ。

なんで私が永遠亭に…………え?

マジか……マジだ。

何がどうなってんだ。

よく見たら私の下にあるのは見覚えのない綺麗なベッド。

いつもは煎餅布団で寝てるはずなのに。

それにこの部屋には見覚えがある。

ここは以前慧音が運ばれてきた部屋だ。

 

「……何で私がここに?」

「さっきと真逆じゃない」

 

永琳はカルテを右手に持ち、近くにあった椅子に腰掛けた。

時折私の方を見つつ、何かを書き記す。

混乱しながらそれを見ていたが、何だか落ち着かなかった。

人間、チラチラ見られるのは恥ずかしいのだ。

 

「頭の痛みは無さそうね。熱は適温。心拍数、呼吸ともに安定」

 

いそいそと鉛筆を走らす永琳。

竹林の奥に住んでるような胡散臭い連中だが、この女には慧音の事で一応恩がある。

礼を言っておかなければならないだろう。

沈黙が嫌だったわけではない。

 

「この前は世話になったな」

「えぇ。また食べ過ぎたりしてないかしら?」

「慧音はそんな馬鹿じゃないさ」

 

やがてカルテを書き終わったのか、永琳の手がピタリと止まった。

そして突然、考え事に耽るような表情で私の目を見た。

矢のように鋭い視線が私を射抜く。

忙しそうにするせいで聞きそびれた重要な質問があった。

私は再び疑問を呈した。

 

「私、何でここに居るんだ?」

「ウチの者が運んできたの。貴方、竹林で倒れてたらしいわよ」

「え?私がか?」

「……ええ」

 

永琳は静かに、重々しく頷いた。

まるで余命宣告をされるような雰囲気だった。

竹林の葉擦れがざわめきのように響く。

私は思わずゴクリと生唾を飲んでしまった。

 

「何でだ。もしかして病気なのか?」

「血中の酒分濃度が尋常じゃないくらい高く……」

「いいってその長い説明!専門用語は分からん。私は大丈夫なのか?」

「……呑みすぎよ」

「の、呑みすぎ?」

 

永琳が呆れたように肩をすくめた。

同じように私も体の力が抜ける。

 

「なんだそりゃ」

「こっちの台詞よ」

 

呑みすぎって……。

食べすぎで倒れた慧音にあんだけ散々言っておいて、まさか自分が倒れるとは……。

全くもって面目ない。

慧音には、それはそれは歯に絹着せぬ物言いをした。

いっぱい食べるから胸がデカくなるんだとか言ってゴメン慧音。

堪忍袋もでっけーねな事を願おう。

永琳がゴホンと咳払いをする。

 

「右手に一升瓶を抱えながら泡を吹いて倒れてたそうよ。血中アルコール濃度が0.84も出てたわ」

「……それってどれくらいだ?」

「ゴリラが死ぬレベルよ」

「でも生きてる。とすると私はゴリラ超えか」

「薬を飲ませたのよ。全く、何でそんな大量に飲酒をしたのかは知らないけれど、これに懲りたら慎む事!」

 

ピシャリと永琳に叱られた。

……参った。

そんなに飲んでたのか?

全く記憶がないぞ。

いつもにまして記憶はパーだ。

どこぞの三大奇書みたく、私はいつも記憶を無くす。

だが今回のこれは薬の副作用だろう。

とびっきり怪しい奴を飲まされたに違いない。

 

「副作用なんかじゃないわよ」

「な!」

「顔にそう書いてあるわ」

 

おいおいコイツ、心の中を読んだぞ。

まさかメンタルヘルスケアまでやるつもりか。

商魂たくましい奴め。

 

「……頭の中も見たほうが良いかしら」

「何がだよ」

「馬鹿なことばかり考えてるからよ」

「失礼な!」

「あまり騒ぐと体に響くわよ」

「誰のせいだ、誰の」

「自業自得じゃない。はぁ……」

 

溜息を吐きながら永琳がしゃなりと足を組む。

その一連に、思わず温唾を飲んでしまった。

……綺麗な足だ。

しかも、今時珍しい何一つ履いてない生。

程よく肉付きの良い白魚のような美脚だ。

ふくらはぎの曲線美は黄金比を描く。

引き締まりながらも立体的な太もものスジが実に良い。

これはこれは……っ痛!

 

「な、何をするだァーッ!ゆるさんッ!」

「私のセリフよ。人の足をジロジロ見ないでちょうだい」

「医者が人の頭をカルテで叩いていいのか」

「変態に倫理を説かれても説得力がないわ」

「私は至って健全だ」

「……はぁ」

 

聞こえるくらいの音でクソデカ溜息を吐く永琳。

心なしか蔑まれたような気がするが、気がするだけだろう。

変態なんて言われる筋合いは無い!

 

「分からないわ。何故貴方がそんなに元気なのか」

「人間元気が一番だ」

「そうね。そして健康も大切よ。医者として言わせてもらうわ。これから言うことをよく聞きなさい」

「なによ」

「貴方、このままだと後数年で死ぬわよ」

「……へ?」

「肺は真っ黒。細胞は酒浸り。全身の器官は壊滅状態」

「つ、つまり?」

「前例を見ないぐらい、不健康な身体だわ」

 

永琳は当然と言わんばかりに、あっさりと結論を告げた。

ま、まさか。

酒を呑む時はシジミを食べてるし、運動量も申し分ないはずだ。

人間界を代表する健康優良児だぞ。

 

「なぜ今まで生きてこれたのかが不思議だわ」

「……一回死んでるからな」

「え?」

「まあ、色々訳ありだ」

「……その話詳しく聞かせて貰えるかしら」

 

永琳が体を私の方に向け組んでいた足を解いた。

真剣な表情で興味深そうにしている。

ききたそうにしているので、私は惜しみなく話してやった。

紅魔館から白玉楼、そして人里に至るまで、笑いあり涙ありの人生譚を。

長くなるのもアレなのでおおよそ掻い摘んだが、それでも結構ヘビーな内容だ。

改めて実感するが、私の人生は中々に波乱を含んでいる。

それは永琳も感じたようで、茶化しもせずに耳を傾けていた。

 

「……って言う訳で、今に至る」

「なるほどね。納得がいったわ」

「何のだ?」

「貴方、吸血鬼と契約を結んだのね」

「あぁ」

「とすると、魂を妖怪に売った事になるわ。今、貴方の魂は半分くらいが妖怪なのよ」

 

永琳がスッパリとそう告げる。

しかし私の頭はクエスチョンマークで沢山だった。

言動が一つ一つ回りくどいのだ。

何が言いたいのか今ひとつわからない。

 

「どういう事だ?」

「そのままの意味よ。魂の癒着に悪魔の契約を使ったのなら、純人間のままで居られる訳ないじゃない」

「てことは何だ。私は半分妖怪なのか?」

「肉体は人間よ。でももしかすると妖怪に変化してしまうかも知れないわね」

「何だって!?」

 

思わず声が荒んだ。

私が妖怪になる?

何の冗句だ。

妖怪退治屋が妖怪になるなんておかしいだろ。

漁師が朝起きたらニジマスになるのか?

自信を持って言えるが私は人間だ。

人間以外の何者でもない。

 

「私は人間だ。今も昔も、これからもな」

「そう。もしそのまま人間であり続けたいなら、人間らしい生き方をすることね」

「……例えば?」

「即ち妖怪じみた行いはしない。人から恐れられたり、酒と博打に浸ったり、妖怪のいる花屋で働くなんてもってのほかよ」

「何で知ってんだよ」

「顔にそう書いてあるわ」

 

私の顔は広辞苑か。

何だって全部言い当てるんだ。

まさかデタラメ言ってるんじゃ無いだろうな。

……流石にそんな訳ないか。

目覚めの衝撃が強すぎて忘れてたけど、曲がりなりにもこのお医者サマは命の恩人だ。

私にしても慧音にしても一度診てもらった借りがある。

永琳の妄言は、信じるのは受け入れがたいけど、疑うにはあまりにも説得力がありすぎた。

なら、本当に私は妖怪へなりつつあるのか?

……確かにレミリアと契約はした。

私が寿命を貰うというものを。

けどそれによって人間でなくなるなんて事あるか?

もし本当ならそんな重要な事をあの館の奴らが言わないなんて事……。

待てよ。

そもそもレミリア達は、本当に何も言ってなかったか?

私は何で紅魔館から暇を出されたよ。

確か、パチュリーはこう言った。

魂が体に馴染んでいない。

もしも長生きしたいのならば、外に出て体を動かせと。

外に出て、体を動かす。

これはもしかすると、人間らしい行いをしろって意味か?

確かに紅魔館の中でずっと過ごしていたら、こっちまで妖怪になってしまいそうだ。

レミリアやパチュリー、美鈴なんていう大妖怪がゴロゴロいるんだから。

だから館に籠らず外に出ろってか?

なるほど、無茶な論理だが確かに筋は通る。

だがもしこの仮説が正しいとすると……かなり拙いぞ。

人間らしく生きよと送り出されたのに、現状はどうだ。

むしろ妖怪の世界に鳴り物入りで踏み込んでるじゃないかよ。

人里からはとんでもなく恐れ嫌われ、酒や煙草で体を潰し……極め付けはこれだ。

風見幽香と共に過ごしている。

これは大問題だ。

レミリアなんかはずいぶん良心的だった。

吸血鬼だってのに分別がある。

無意味に暴力を撒き散らしたりはしなかった。

それに比べてあの緑髪悪魔はどうだ。

意味もなく人を貶す、殺す、こき使うの3K野郎だぞ。

トリプル役満じゃないか。

感覚が麻痺して特には気にしてなかったけど、常日頃からブンブン妖気だの殺気だのを飛ばしてやがるし。

妖怪らしさ全開のフラワー女だ。

あんなのと一緒にいたらそれこそ妖怪になってもおかしく無いぞ。

となると……早急に縁を切ろう。

この頭のコサージュさえなければ、全て円満解決だ。

 

「どうしたのかしら。ずいぶん難しい顔をして」

「頭に爆弾がついてる患者を治したことはあるか?」

「突然何を言い出すのよ」

「人間であるために必要なんだ」

「……勘違いしてるようだから言っておくわ。私は薬師であって医者では無いの。外科や心療は専門外よ」

「なら、無理やり頭につけられたコサージュを取り除く薬はあるか?」

「ええ、あるわよ」

「まあそんなもの無い……って、あんのかよ!」

「古典的なリアクションね」

 

そんな物があるなら願ったり叶ったりだ。

さっさとそれを飲んで幽香とさよならバイバイする。

それが人間讃歌のゴールドウェイに違いない。

あゝ良かった。

グッバイ幽香、フォーエバー。

 

「ならそれを――」

「オススメはしないわ」

「え?」

「どんな薬にも副作用があるの。この薬のは特に強烈よ」

「ど、どんな副作用だ」

「花妖怪にやたら好かれるわ」

「何でだよ」

 

タイムリーヒットすぎるだろ。

それじゃ何の意味もない。

痒み止めの副作用に痒みがあるようなものだ。

 

「何も治療法は投薬だけじゃないわ。少しずつ体の中にある妖気を取り除く事も可能よ」

「どうやるんだ?」

「そうね。体の機能を正常に戻すためにも、しばらく入院が必要だわ」

「どれくらいだ?」

「しばらくよ。その間に気を操ったり煙草を吸ったりするのは禁止。人間離れした事をすれば、文字通り人間から遠ざかっていくわ」

「な、なんだと」

「治療なのだから我慢しなさい」

「ちょっと待てよ」

 

これ以上は黙ってられないぞ。

アレよアレよでとんとん拍子に話が進んでいるが、そもそもの疑問が解決できてない。

疑うには説得力があったが、助けてもらおうとは思わない。

 

「何でそこまでする。ここは便利なクリニックか?私の聞いた限りじゃアンタらは極悪非道、病人なんざ見捨てる連中だ」

 

人間だ妖怪だなんてことは後回しでいい。

ここには妹紅が死ねなくなった黒幕がいるはずだ。

そんな奴らに救ってもらう義理なんてないぞ。

それに縁もゆかりもない私をどうして入院までさせる。

善意だなんて吐かそうもんならぶん殴ってやる。

 

「私は妹紅のダチなんでね。悪いが入院はしない。数年で死ぬ?元々死んだ身だ。惜しくなんてないんだよ」

「そう」

 

短く永琳は返答した。

そして間をおかずに続けた。

 

「妖怪になったら簡単には死ねないわよ。貴方の場合理性を失って猛妖になるわ。誰かに殺されるまでずっと、永遠に」

「なら博麗の巫女様にでも退治してもらうさ」

「……頑固なのね」

「信念ってやつだ」

「なら私にも信念があるわ。たとえ外道と言われても、目の前の患者を放っておくなんてしないの」

「そりゃ殊勝なこった。私以外によろしく頼むよ」

「残念、分け隔てはしない主義よ」

「何が主義だよ。薄っぺらい欺瞞だろ」

「貴方のと何が違うのかしら」

「それが分からないから欺瞞なんだよ」

「なるほどね」

 

小さく頷く永琳。

すると突然私の手首が握られる。

まるで手錠のような圧迫感。

振り払おうと思ったが、掴む手は石のように動かない。

 

「何であれ、貴方を入院させなきゃいけないの」

「結構だって言ってるだろ」

「遠慮は不要よ。こっちの都合だもの」

「だから何がって痛!」

 

急に右手首から、針を刺されたような痛みが走った。

というか実際に刺されていた。

注射針だ。

 

「何をっ」

「鎮静剤よ。脈が上がりすぎてるわ」

 

鎮静剤だ?

ことわりもなく人に注射なんかするなよ。

医者でも薬師でもそれは一緒だろ。

このやろう……ふざ……けんなよ……。

 

「あと睡眠薬。もう聞こえてないでしょうけど」

 

 

 

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 

「何の音だよ」

 

変な音がした。

どこぞの読むと精神崩壊するなんていう三大奇書みたいな音が。

その耳鳴りともハエの羽音とも取れるような音で私は目覚めた。

ここのベッドは相も変わらずフカフカで、腹立たしくも寝るたびに最高の気分になる。

体を起こすのも億劫に思って首から上だけで辺りを見回した。

すると一つの人影が動いた。

ただ、その影はおかしな形だ。

頭から二本何かが生えている。

それは、耳であった。

 

「……うさぎ?」

「っ!」

 

私が声をかけた瞬間そのウサ耳は飛び退いてしまった。

引き止める隙もなく部屋から出て行ったので、私はぽつりと一人になる。

急な出来事にショックを受けていると、ヤブ医者が部屋にやってきた。

 

「お目覚めかしら」

「あぁ。そして心が傷ついた」

「あら、どうして?」

「うさぎが逃げたんだよ。私を見るなりな」

「そう。警戒心が強い生き物だから仕方がないわ」

「だからってなぁ……」

 

そうやってウダウダ文句を言っていたら、不意に視線を感じた。

敵意は無いが、明らかに怯えている気配がする。

出所を見ると、入り口の横から顔だけを出して中を覗いている者がいた。

それはさっき私から逃げたウサギであった。

目があった瞬間、またすぐさま顔を引っ込める。

再びダメージを受ける私だが、その一連を今度ばかりは永琳も見ていたらしい。

 

「もしかしてあの子?」

「あぁ」

「ごめんなさいね。あの子は人間が苦手なのよ」

「なら仕方ないな」

 

なんせ人から逃げるのも逃げられるのもしょっちゅうだ。

うさぎは初めてだったが。

さて、本題はそれじゃない。

 

「元気そうね」

「帰らせてはくれまいか」

 

私は永琳に頭を下げ頼んだ。

無理に帰ろうとするとまた正体不明の薬で眠らされる。

体が縮んでしまうかもしれない。

強行突破が出来ないことを示すためにわざわざ眠らされたのだろう。

とんでもないヤブ医者だ。

しかし私にはその暴挙への抵抗ができない。

ここは穏便に言葉で解決しよう。

だがしかし、永琳は首を縦に振らなかった。

 

「実は私たちにも少し都合があるの。人助けだと思って協力してくれないかしら」

「人じゃ無いだろ。アンタらは文字通りひとでなしだ。私よりも妹紅に土下座の一つでもしてくるんだな」

「私のいう事情が、妹紅に関係あるとしたら?」

「嘘を吐くと地獄に落ちるぞ」

「生憎、私は死なないのよ。そしてこれは嘘じゃないの」

「吐かせ。これ以上妹紅をどう苦しめる。何の恨みがあるんだ」

「違うわ。妹紅を……救うためよ」

「歯が浮いてるな。そんなの信じられる訳ないだろ」

「妹紅を救うかどうかは貴方次第よ。どのみち帰れないのだから」

「帰れない?何でだよ」

「外に出れば分かるわよ」

 

私はギッと睨んだが、永琳はそれ以上何も言わなかった。

その見透かされたような態度に腹が立ったので、私は屋敷を飛び出て、竹林へと突っ込んでいった。

鬱蒼とした若緑の牢獄。

うねるような勾配に道と言った道はなく、私は一つの方向から逸れないよう真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ進んだ。

鬱蒼とした竹林をしばらく歩き、やっとこさ出口へと辿り着く。

……その奥に広がる光景を見て私は驚いた。

 

「……なんでだ」

 

脱出したはずの永遠亭がそこにあったのだ。

見ると玄関で、永琳が不敵な笑みを浮かべている。

 

「帰れなかったでしょう?」

「何をした」

「何もしてないわ。ここは迷いの竹林よ。帰れる訳がないじゃない」

「……アンタら、卑怯だな」

「改めて言うわ。ここに入院しなさい」

「私が居なくなったら慧音が突っ込んでくるぞ」

「ここへ入れるのならね。どう足掻いても永遠亭の中へは入れないわ」

「やっぱり卑怯だ」

「お好きにどうぞ」

 

……結局、私は入院を余儀なくされた。

体はどこも悪くないのに。

つくづくバカな話だ。

 

 

 

「……暇だ」

 

永遠亭のとある一室のベッドの上で私は寝っ転がっていた。

呟いた声が、タバコの煙みたいに空気へと溶け込む。

耳を澄まして辺りの音を探ってみたけど、時折床が軋むような音がするだけで本当にここは静かだ。

この屋敷にはどういうわけか時計が無い。

秒針の音すらしないと、世界に私一人だけ残されたような感覚になる。

 

「……はぁ」

 

つくづく殺生な話だ。

喫煙も飲酒も禁止されて、行動の選択肢を九割方奪われた。

そういう暇を持て余した時、私は鼻毛とかまつ毛とかを抜いてそれで漢字を書くという癖がある。

今まで薔薇とか髑髏とかを書き上げた実績もある。

今日はというと、檸檬に挑戦していた。

そしてあと一画になった時。

そういう時に限って邪魔が入るのだ。

 

「ガサゴソガサゴソ」

「……口で言うなよ」

「バレた?」

「隠す気もないくせに」

 

それもそうかもねと言いながら、扉の影から一匹のうさぎがぴょこんと出てきた。

背が低くあどけなさが残る、初めてみる顔だった。

なんとなく教室にいるヤンチャ坊主たちを思い出させるその顔が、私の方に向けられる。

 

「アンタがお師匠さまの言ってた人間ね。初めまして、私は因幡てゐっての」

「因幡か」

「あー、その呼び方だと他にもいっぱいいるから、てゐちゃんって呼んどくれ」

「てゐちゃんか」

「うわ、気色わる〜」

「喧嘩売ってんのか」

 

ケラケラと笑うてゐちゃん。

お師匠さまとは、おそらく永琳のことであろう。

私が様子を伺っていると、てゐは無邪気とは正反対の悪い笑みを浮かべた。

 

「ウワサで聞いたよ」

「何をだ」

「アンタ、異変を二回も起こしたんだって?」

「起こしてない!」

「嘘はいけないねぇ。確かなスジの情報だよ」

「一番確かなスジは張本人の私だろ」

「紅霧と春節、ありゃ本当に傑作だったよ」

「だから私じゃないって」

 

たまたま異変が起きた時に居合わせただけで、私自身はほとんど無関係だ。

博麗の巫女に退治された経験もない。

言っておくが私は不幸な巡り合わせの、被害者側だ。

 

「まー過去の事なんかどうでもいいさ」

「自分から話したんだろ」

「……なるほどねぇ」

 

相変わらずいたずらっ子みたいな笑顔を顔に貼り付けて、私のことをじろじろと眺め回すてゐ。

そう見つめられると恥ずかしいってばよ。

 

「お師匠さまの言ってたとおりね」

「何がだよ」

「こっちの話ウサ」

「何だその語尾。その法則だと私は語尾に『にんげん』ってつけるのか?」

「それは屁理屈だね」

「そうかもなニンゲン」

「……やっぱりお師匠さまの言ってたとおりだね」

「よく分からないけどなんだか腹立たしいぞ」

「褒めてんの」

「嘘つけ」

「嘘かどうかなんて分からないんだから、信じた方が幸せじゃない?」

「信じる者はすくわれるんだよ。足をな」

「なら疑う者は胸がすくわれないね」

「それこそ屁理屈だ」

 

私がそういうと、呆れたと言わんばかりに肩をすくめられる。

論じる者はすくめられるらしい。

 

「それで、何しに来たんだよ」

「何かなければ来ちゃダメなの?」

「私は病人らしいからな。悪いが面会拒否だ」

「そう言わずにさ。暇なんでしょ?とあるうさぎの愚痴をきいとくれよ」

「やなこった」

「最近お師匠さまがさ」

「聞けよ」

「アンタこそ聞きなよ。私がただ無駄話をしに来たように見える?」

「目先じゃ判断しない主義だ」

「なら聞いてくれるんだ」

「……手短にな」

「当然」

 

一層の笑みを浮かべながらてゐは近くに置いてあった椅子に腰掛け、身振り手振りを交えながら雄弁に舌を振るった。

私は語り始めを神妙にする派だが、このうさぎは軽快な語り口であった。

まるで怪しい勧誘のようだ。

 

「今からする質問に、『はい』か『いいえ』で答えてね」

「何でだよ」

「……アンタ、友達いる?」

「はい」

「ならいいや。それじゃ質問ね」

「はい」

「貴方は人間ですか?」

「はい」

「死んだ事はありますか?」

「はい」

「医者の不養生という言葉をしってますか」

「……はい」

「今、見栄を張りましたか」

「はい」

「……はぁ」

 

喉を低く鳴らしながらため息をつくてゐ。

正直に答えろとは言われてない。

それに医者の不養生くらい私でも知ってるぞ。

散髪屋のオッサンが禿げてると不安になるって意味だろ?

 

「はい、馬鹿なこと考えないの」

「な!」

「顔に書いてあるウサ」

 

一回鏡で顔を見てこようか。

なんて、こんなこと考えてるとまた顔にでるな。

すこし気を引き締めよう。

一体なにをされているのか要領が掴めないが、何となく真面目に答えないといけない気がする。

それでも単なる暇潰しに過ぎないが。

 

「お師匠さまは昔、天才と呼ばれてた」

「理不尽の天才か」

「ある意味そうかもね。なんでもできちゃうんだから」

「そりゃ凄い」

「それにどうしようもなく優しい。患者を見たら絶対に救うんだよ」

「無理矢理だけどな」

 

てゐは、少しだけ息を吐いて窓の外を見る。

外には竹しかないはずなのに、何かを見つめているような瞳だった。

そして視線を私に戻して口を開く。

 

「……アンタはお師匠さまが目をつけた人間なの」

「そりゃ光栄だ」

「私も、アンタには一目置いてるんだ」

「何でだよ」

「初めてこの竹林に来た時のことを覚えてる?」

 

初めて……。

確か妹紅の竹取を手伝うためにきたはずだ。

蝉がうるさい炎天下だったのは覚えている。

でもそれがどうしたんだ?

 

「あの時、不思議な体験をしたでしょ?」

「不思議な体験……あ、そうだ!」

「思い出した?」

「あの時、私はこの屋敷を見たぞ!……でも門をくぐったら跡形も無くなってたんだよ」

「アンタは、この屋敷を確かに見たんだよね」

「あぁ」

「だから一目置いてるの」

「何だそりゃ」

「ともかくさ、私はアンタに頼みたい」

「……何をだよ」

「お師匠さまの力になってやっておくれ」

 

どう言うことだ。

そう返事をする時には、すでにてゐは部屋に居なかった。

窓の隙間から吹く風がカーテンをふわりと揺らす。

じんわりと暑い、夏がやってきやがった。

私は久しぶりに予感する。

大変なことが起こりそうな気がする。

あぁ、嫌な予感だ。

まつ毛で書いた檸檬に、最後の一筆を乗せておいた。

 

 

 

正確なことで定評のある私の腹時計が午後一時を指し示した時に、永琳が部屋へと入ってきた。

 

「診察よ。きなさい」

 

一体何をどう診察する気かは知らないが、左手に握られている注射器を私は見逃さなかったので大人しくついていくことにした。

廊下を渡った先にある永琳の部屋へと入れられた。

 

「どうぞ」

 

机の上に湯呑みが置かれる。

だがそれを口に含むことはしなかった。

 

「何かを盛られてるかもしれないからな」

「そう。冷めないうちに飲んだ方が美味しいわよ」

「冷めても美味しい茶の研究でもしたらどうだ」

「善処するわ」

 

永琳は自分の方に置いてある湯呑みを手に取り、ゆっくりとそれを傾けた。

渋茶を啜るなんてババくさい事のはずだが、不思議と永琳がやるそれはサマになっている。

いちいちそつが無いのは腹立たしいが。

 

「さて、調子はどう?」

「最高。退院しても可」

「それを決めるのは私よ」

「私はいつまでここに居なきゃいけないんだ」

「しばらくよ」

「具体的には?」

「……白状するわ。その答えは『わからない』よ」

「何だそれ」

 

頼りにならないな。

もっとも何か複雑な事情があるのかも知れないが、そんなの私の知ったこっちゃない。

 

「ただ、貴方は暇でしょう?」

「お医者サマのおかげでな」

「その医者の頼みを一つ聞いてはくれないかしら」

 

永琳は分かりやすく居住まいを正した。

椅子に腰掛け直し、両手を膝の上に乗せ私の方へと向いた。

 

「貴方から逃げたうさぎが一匹いたでしょう。鈴仙と言うのだけれど。私はうどんげと呼んでいるわ」

「あぁ、アイツか」

 

私が目覚めるなりどこかへ逃亡したうさ耳だ。

人間が苦手なのだと永琳が言っていた。

 

「うどんげは優秀でよく働いてくれるのだけれど、少し課題があるの」

「課題?」

「貴方にはそれをどうにかして欲しいのよ」

「……お得意のクスリでどうにかならないのか」

「ならないわ。これは……薬や魔法なんかじゃどうにもならない事なのよ」

「アンタでも無理なのか?」

「手は打ったのだけど、効果は薄かったわ」

「アンタが出来ないことを私ができるとは思えないんだけど」

「そうでも無いわよ。これは貴方にしか出来ないわ」

 

私にしか出来ない事なんて、ムー大陸ほどしかない。

つまり存在しないって事だ。

しかし、永琳は殊更真剣な表情をする。

 

「……課題って何だよ」

「あの子はね、誰かに心を開くことができないの」

 

低く零す永琳のそれは、まるで教会の壇上に跪いて己の罪を懺悔するような口振りだった。

かしこまった雰囲気だったが、生憎そういうのは苦手だ。

 

「シャイなのか?」

「貴方たちがよく言うコミュ症……というものよ」

「コミュ障ねぇ……悪いが、私はその言葉が大嫌いなんだ」

「あら、気に障ったのなら謝るわ」

「マイナスネジならマイナスドライバーだろ。それをペンチでこじ開けようとしてるんだよ。自分の感覚を押し付けておいて何がコミュ障だ」

「……そうね。多様性は大切だわ」

「それで、そのコミュ障がどうした」

「言ってるじゃないの」

 

やれやれと言いながら永琳はため息をついた。

ため息ばっかりついてると幸せが逃げるぞ。

幸せって奴はどうにもシャイらしいからな。

 

「貴方にはうどんげの、いわゆる闇を暴いてほしいのよ」

「よく分からないけど、そう言うのはそっとしといた方がいいんじゃないのか?」

「そう言いたいのだけれど、もう十分そっとしたわ。受動的な治療が無理なら積極的治療に変更よ」

「さいですか」

「無責任だけど、貴方には期待しているの」

「何をだよ」

「貴方は人妖問わず変わり者に好かれるわね」

「そうでも無いと思うけど」

「自覚はないの?」

 

自覚も何も……確かに私の周りは変人が多いが、よもや好かれているとまではいかないだろう。

特に嫌われてるとは思わないけども、人好きのするタチじゃないし。

皆、どうでもいいって奴だろ。

スイカにかける塩みたいなもんだ。

無くても困らない。

 

「……無自覚ほど恐ろしいものはないわね。まさか自分で気づいてなかったとは」

「まともな奴に好かれないんだぞ。変な奴がどうして私を気にいるんだよ」

「居るじゃない。わかりやすいのが」

「誰だよ」

「風見幽香よ」

 

その名前を聞いて、私は思わず吹き出してしまった。

笑いが込み上げたのではない。

あまりに突飛すぎて驚いたのだ。

 

「何でアイツがっ!」

 

洒落でも笑えない!

殺されかけてるんだぞ!

その話はしたはずだし、一刻も早く縁を切りたいってのはずっと言ってるのに。

頭を解剖してその思考回路を見てみたいね。

きっとハムスターがせっせと車輪を漕いでるに違いない。

 

「悪名高いあの花妖怪が、一人の人間の家へ通うなんてどう考えても異常じゃないの」

「私が一番困ってるんだよ。小指一本で私なんて殺されるかもしれないんだぞ」

「大丈夫よ。多分」

「何を根拠に」

「今、貴方は生きてるじゃない」

「今をアテにすると痛い目を見る」

「私には今しかないわ。死なないのだから」

「死ななかろうが明日は来るだろ」

「日が沈んで昇る事を明日とは呼ばないわ」

「それでも未来はある」

「その根拠は?」

「経験則だよ」

 

そう言うと、永琳は数秒の間私のことを見つめてきた。

ほんの少しだけ、真一文字だった口が緩んだような気がした。

 

「ともかく、うどんげの事を頼んだわね」

 

……ずいぶん無責任だ。

どうしてなんだよ。

つくづく馬鹿馬鹿しい。

困ってるものをお助けする救いのヒーロー。

そんな御伽噺を信じる歳じゃない。

じゃないが……。

てゐの言葉が響く。

お師匠さまの力になっておくれ。

……あぁ、くそ。

どいつもこいつも何だって私なんだ。

私はヒーローじゃない。

他人を救うなんざ出来やしない。

ただのアル中ヤニ中自堕落無職。

それが私だ。

信じるものはバカを見る。

私という大馬鹿だ。

……クソ!

もういい加減にしてくれよ!

 

「どうなっても知らないからな!」

「悪くはならないわ」

 

もうヤケクソだ。

どうにでもなってしまえば良い。

私は机上においてある湯気の止んだお茶を勢いよく飲み干し部屋を出た。

 

 

 

部屋で寝っ転がってた時だ。

天井の木目を見つめながら昼飯が運ばれてくるのを待ってた。

すると不意に部屋の外に、怪しい気配を感じた。

 

「コソコソしてても分かるよ」

「っ!」

 

ドアの外から、ドタバタという音が聞こえる。

おそらくまた逃げ出したのだろう。

前ならショックを受けて終わりだったろうけど、不幸にもそうはいかなくなった。

なにせ永琳にしろてゐにしろ、私を頼ってしまったんだからな。

この際どうなったってお構いなしだ。

 

「待てーい!」

 

鬱憤晴らしに、すでに小さくなっていたその背中を追うことにした。

来ているのは珍妙な服。

世に言うブレザーとスカートって奴らしい。

学校っていう、寺子屋のバッタモンで着る物だそうだ。

……寺子屋か。

廊下を走ったら慧音先生にまた頭突きをくらうかもしれないな。

いっそボコボコにしてくれれば、どれだけ楽か。

まだまだ追いかけるぞ。

 

「待て待てーい!」

 

不良門番仕込みの足で付き纏った。

あっという間に追いつき、その肩を掴む。

……そのはずだったのだが。

 

「っちょ、はや!」

 

うさぎは俊足であった。

かなりの速度で追い回しているはずなのに、距離はだんだんと広がっていく。

このまま追いつけずに、この屋敷のどこかに隠れられれば二度と見つけられないだろう。

気配を探ろうとしたが、この屋敷にはうさぎが多すぎてどれかわからない。

しかし今、見失うのはまずい。

一度追いかけ回した相手なんて警戒しまくるはずだ。

そうなってしまったら二度と近寄っては来ないだろう。

今ここで捕まえなくちゃならない。

そして、その願いが通じたか。

 

「やっと追いついたっ……」

「ぐぬぅ……」

 

うさぎは廊下の床板を踏み抜き、そこに留まっていた。

どうやら足が抜けないようで、モゾモゾと必死にもがいている。

ここまでは幸運の範疇だろう。

そしてここからは、不幸の範疇だ。

 

「見ないでぇ……」

 

右足が縁側の床板にスッポリと挟まっている。

その勢いか、スカートが綺麗にめくれていたのだ。

どうしてそうなるんだよ。

初めて聞く兎のその声は、恥ずかしそうに呻く弱々しいものだった。

手で戻せば良いだけなのに、テンパって意味不明な行動をしている。

そのくせその度に腰が揺れるもんだから困った。

断っておくが私にはやましい気持ちなんて全くない。

ありのままを言うと、白にピンクの水玉だった。

世に言うイチゴってやつだ。

まさか御存命だったとは。

何かの縁として拝んでおこうか。

……お尻を見ながら合掌するなんて、見られたら大変なことになるな。

誰もいなくてよかった。

 

「ふふんふ〜ん」

 

どこからか聞こえてくる拍子の外れた鼻歌。

 

「まずい!」

 

うどんげを床から引っこ抜き、それを抱えて私は近くの部屋に隠れた。

別に隠れる必要は無かっただろうけど、焦って判断が狂った。

パンツに惑わされた私を誰が責められようか。

何一つ後ろめたいことが無くても、隠れているとドキドキしてしまうのは人間のどうしょうもない所だ。

黙る必要もないので、隣で借りてきた猫……もとい兎だが、そんな風に縮こまっているうどんげに声をかける。

 

「何で逃げるんだ」

「ひっ……」

 

善良な市民と索引すれば出てくるのは私だと自負しているのだが、どういう訳かこの兎はまるで悪魔に囁かれたような反応をする。

私もこれまた堂々としてれば良いものを、声を潜めたせいで余計に変な雰囲気になってしまった。

 

「落ち着けって。私の顔をよく見ろ、ほら。優しさあふれる聖母フェイスだろうが」

 

手首を掴んでぐっと顔を近づけた。

どうして私がここまで躍起になっているのかは分からない。

ただ、人間ならともかく兎にまで怖がられるのは嫌だった。

 

「私は何の変哲もない、かよわい美少女だ。そう強張らないでくれよ」

 

ぺけペーん、ここで役に立つ知識をお教えしよう。

なかなか周りの人と打ち解けられない内気な諸君。

そういう時は勇気を持って素直になるのがグッドだ。

あの有名な方の言葉を借りればいい。

 

「恐れることはないんだよ、友達に成ろう」

「あ、あの……」

 

意を決しましたと言わんばかりの声で、やっと返事を引き出せた。

諦めない心もまた、人付き合いでは大事なのだ。

私はモナリザのような微笑みを浮かべながら二の句を待った。

数秒経ってうどんげは、うさ耳を広げた折り鶴みたいにシワシワにしながら、恐る恐る言った。

 

「し、少女では無いと……思います」

 

よし。前言撤回だ。

てめぇとは天地が割れても友達にならないからな!

野郎が死ぬまで少年のままのように女はいつまでも美少女だろ。

さてはお前、上司とかに「私ってホント若いだけで〜」とか言っちゃうクソ野郎だな。

この野郎、私もまだまだピチピチだ!

……多分。

あぁ、辞めてくれその眼差し。

まるで骨董品でも見るみたいなさ。

私は古いだけが取り柄の壺か?

そういや寺子屋の生徒に言われたな。

自分のことを若いと言い始めたら年増だって。

なんと残酷な理論だ。

男は女風呂に入りたいと思った瞬間から、女風呂に入ってはいけないみたいなさ。

はい、軽くメランコリー。

いや確かに最近肉より魚の方が美味しいけどさ。

 

「って違ーう!」

「ひぃ!」

「怖がらなくていい。安心しろ。安心しろよ、イチゴパンツ」

「な!」

「さっきから『ひぃ!』だの『な!』だの、一文字でしか喋れないのか。私の目をよく見ろって、ほら!」

「め、目を合わせたら……大変なことに」

「なるか!目からビームなんて出せないよ!」

「あっ!」

 

逸らす顔を無理くりこちらに向けて、その両目をばっちりと凝視してやった。

瞳孔が開いているのがよーく分かる。

まるで旬のリンゴみたいな、真紅の瞳だった。

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 

またこの音だ。

この屋敷に来てから、二度目になる。

どこからか祭囃子のような音が鳴り響いてきた。

まるで脳髄の奥を黄金虫がはためくようだ。

 

チャカポコチャカポコ……スチャラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ。

 

頭天が割れる。

おどろき混乱していると、牛やら鳥やら地蔵、その後塵を天狗や鬼、三歩遅れて去年やら冥王星なんかがドコドコズンズンと、大名行列のように私の髪先を掠った。

あぁ……私もいかねば。

恒久の三角下水道が一億総プルチルを願う。

怠惰の絢爛を閻魔様が許さないなんてオセアニアじゃあ常識なんだよ。

さぁさぁどこまでも、浮かれ憂世の憂さ晴らしを。

右足、腓骨、三半規管――ってください!

 

「起きなさい!」

 

ん?

何だこの声は。

頭をぶん殴られるような痛み。

狂った世界が元に戻った。

 

「大丈夫!?ちょっと!聞いてる!?」

「っは!私は何を!」

「あ、正気に戻ったわね」

「ふぅ……助かったよ、モヨ子」

「まだ狂ってる!よーし、もう一回……」

 

後ろ足を大きく引いて握り拳を振りかぶる兎。

小さいオモチャのような手が私の鼻っ面をってギャァ!

 

「何すんだ!」

「正気に戻った?」

「……何だか顔がやたら痛いんだが」

「気のせいよ」

 

そうか、気のせいか。

手で鼻の下をなぞったら血で真っ赤になっていたのも思い過ごしだな。

その目がバッチリと泳いだのを私は見逃さなかったぞ。

 

「しかし一体……あれは何だ?薬中の幻覚でも見せられたみたいだ」

「そう、そうなのよ!」

 

耳を真っ直ぐ立てながら、嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねる兎。

兎なのだから飛び跳ねて当然だろうが、妙に興奮している。

コイツはさっきまでとは別人か?

敬語じゃなくなってるし。

 

「私の目を見たら狂気に侵されるの」

「な!」

 

そういう事はあらかじめ言っとけよ!

とすると……あのドンチャン騒ぎしてた地蔵やらはコイツの目を見たせいって事か。

夢と目覚めの間みたいな、異常なのにそれを認識できない感覚だった。

あれはとんでもない、まさしくトチ狂った光景だった。

二度と見たくはない。

 

「それで人の目を見るのが無理だったんだけど……アンタのは、見ても何ともないの!」

「え?」

「ほら、こうやって目を合わせてもなんともない!」

「ん、どれどれ」

 

覗き込まれるようにして、うどんげの瞳を見た。

まるで炎のような、情熱的な瞳だった。

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 

またこの音だ。

この屋敷に来てから三回目……って痛!

 

「殴るなよ!」

「また狂いそうだったから」

「誰のせいだ、誰の」

「理由はわからないけど、貴方の目は見ても怖くないのよ!」

「私はとんでもなく怖いよ」

「私の瞳を見たら相手は狂っちゃうし、私も目を見るのは怖いから人と目を合わせないようにしてたんだけど……凄いわ!」

「うん、分かったから。その輝く瞳をこっちに向けないでくれるかな」

 

ぴょんぴょんと飛び跳ね、そのたびにスカートがフワフワと捲れる。

そんなものに見惚れている余裕なんか無い。

必死に目を合わすまいと横を向いた。

そんな私の恐怖など汲み取りもせず兎はずいずい顔を近づけてくる。

だからやめろって!

 

「あ、鏡」

「え?」

 

二人して、部屋に置いてあった鏡を見る。

ご存知のとおり鏡は光を反射する。

そしてそこに写っていた鈴仙と、バッチリ目があってしまった。

 

「あぁぁぁあ!」

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 

 

 

「ひどい目にあった……」

 

地獄すら生温いモノを見た。

ふんどし一丁のオッサン百人に追いかけ回される幻覚だ。

 

「少しテンションが上がってしまっていたわ。ごめんなさい」

 

しょぼんとする兎。

今はサングラスをかけさせている。

単純な対策法だが、これならば事故は防げるだろう。

耳が頭の上の方にあるのでかけにくそうだったが、テープでガチガチに固定しといてやった。

 

「改めて、私は鈴仙よ」

「鈴仙?うどんげじゃないのか?」

「……フルネームだと、鈴仙•優曇華院•イナバっていうの」

「鈴仙うどんげ……って長いな。どこまでが名字だよ」

「アンタは貴子よね」

「あぁ」

「なら貴子って呼ぶわ」

「そりゃそうだろ。他の呼び方があるのか?」

「タカピーとかタカチョンとか」

「やめろやめろ、恥ずかしい」

「うーん、良いと思ったんだけど」

「ネーミングセンスが死んでるな」

「そうかしら……」

 

鈴仙の耳が垂れ下がる。

うどんげってよりかは鈴仙の方が呼びやすい。

そう呼ばせてもらうことにしよう。

 

「しかし……本当に驚きだわ」

「そんなにか?」

「私が目を見ても大丈夫なのは貴方と……姫様だけよ」

「姫様?」

「そう。この屋敷にいる輝夜様という人のことよ」

「輝夜だと!?」

 

そいつは……妹紅の!

そうだ、考えれば当然のことだ。

何を今まで呑気にしてたんだ。

ここに、妹紅から死を奪った奴がいる。

そう妹紅から言われていたはずなのに。

 

「輝夜はどこにいる」

「え?多分……お部屋にいると思うけど」

「輝夜の部屋ってのはどこだ」

「……何を考えてるか分からないけど、やめといた方がいいわ。姫様は強い。そして何より……残酷よ」

「それでも一発ぶん殴ってやんなきゃ気が済まない!」

 

何の罪もない人間一人から何もかもを奪い去った。

許せない。

安心しろ妹紅、私が代わりに死んでやる。

輝夜の顔面をぶん殴ってからな。

 

「聞きなさい!」

「っいた!」

 

脳天に衝撃が走る。

外角高めを芯で捉えたみたいな、気持ちのいい音がなった。

 

「貴方に、何ができるのよ」

 

鈴仙は宥めるような、それでいて責め立てるように言った。

その一言は私の中にあった煮えたぎる怒りを、あっという間に冷ましてしまった。

そして冷えた頭に湧くのは、悲しい気持ちばかりであった。

 

「私は……弱い」

 

強い奴らの一挙一動にオドオドしてるような情けない弱者だ。

そんな私に何ができるのか。

悲しく笑う死ねない少女一人の恨みすら晴らせないような、クソつまらない人間だ。

挙句、人間ですらなくなっていると。

一体何をのぼせ上がっていたんだ。

私が誰かを救う?

笑えるな。

一番救えないのは私だ。

数いようもない馬鹿だ。

……でも、それでも。

 

「妹紅の無念を……晴らしてやりたいっ……」

 

それは我ながら、情けない声だったと思う。

泣かないことが精一杯の土俵際だった。

 

「そんな事をしたって、意味がないわよ」

「理由はあるだろ」

 

そうだ、理由はあるはずだ。

理由……。

同情なんかじゃない。

可哀想だからじゃない。

じゃあ……何のためだ?

 

「復讐なんてすべからく無意味よ。これは師匠の受け売りだけど」

「……そうかもな。他人の憎しみで復讐しようなんざ、私が間違ってたよ」

 

頭が冷えて、怒りも無念も鳴りを潜めた。

許すってことが、大切なんだろう。

どんなバカでも分かることだ。

 

「それでね?きっと、貴方なら出来ると思うのよ」

「……何がだよ」

「姫様を、助けてあげて」

 

 

 

 

だだっ広い永遠亭の、とある一室にそいつはいた。

 

「アンタが輝夜か」

「貴方は?」

 

長髪で前髪パッツン、十二単を着込んだそいつは、やたら美人で……そんでもって怖い顔をしていた。

見かけは日本人形が息を吹いたような別嬪さんだが、相対してみると伝わってくる。

蛙を爆発させて喜ぶような無邪気な悪意と、人を不幸たらしめてはあくどく笑うような陰湿さが。

 

「永琳の患者だ」

「頭の病気?」

「さあな、魂の病気だ」

 

袖で口元を隠して目元を緩める輝夜。

動きの一つ一つが日舞みたいに綺麗だが、それがかえって歪に感じた。

 

「何のようかしら?」

「アンタを助けに来た」

「私を?それは一体どういうこと?」

「ブレザー着た兎がそう言ったんだよ」

「……貴方は何者?」

「哀れな人間だ」

 

不意に、感じていた殺気が無くなる。

どうやら輝夜が発していたものらしい。

窓の外を見ながら、輝夜が言う。

 

「そうねぇ、確かに困っているわ」

「正直私は、ずっと困っとけばいいと思ってる。永遠にな。けど頼まれたんだよ。だからここに来た」

「英雄気取りかしら?」

「気取らせたのは、アンタらだ」

 

輝夜は私の目を見て、しばし固まった。

呆れているのか、口をあんぐりと開けている。

間抜けな顔だったが、サマになっている。

つくづく美人って奴は得だ。

しばらく、といってもほんの数秒だが経って、輝夜は顔を崩して大声で笑った。

 

「あははははっ、なんて愉快なのかしら。そうね、私は困ってるわ。そして貴方はそれを解決する。あぁ、やっぱり人間は可笑しい」

 

笑いすぎて、目から涙が出ている。

それでも笑うのを止めない輝夜。

 

「てゐは永琳を救えと言った。永琳は鈴仙を、鈴仙は私を!そして」

「……っまさか!」

「そのまさかよ、私はてゐを助けてあげてと貴方に頼むわ」

「な、なんだそりゃ」

 

とんでもないことになったぞ……全くの四角関係。

しかも……とんでもない欠陥を抱えた四角形だ。

 

「貴方は解決できるのかしら?この難題を」

「解決も何もそれって……」

「そうよ、この円環は終わらない」

 

つまり、四人はループしている。

てゐ→永琳→鈴仙→輝夜→てゐ……。

そして、このループは終わらない。

何故なら……。

 

「誰も、悩んでなんかいない」

 

四人とも他人のことを心配しているだけで、何一つ悩みなど抱えていないのだ。

解決する問題がないのだから、永遠に解決できない。

 

「そう、私たちは囚われ続けるの。これが永遠亭を渦巻く解決不能の難題よ!さあ、貴方に解けるかしら!」

「そりゃ、解くのは簡単だろ」

「え?」

 

驚くまでも無いだろ。

単純な話だ。

なにも特別な事なんて必要ない。

 

「全員にこう言えばいい。まずは自分のことを心配しろってな」

「な、何よそれ」

「こんなの難題でもなんでもない。ただのコミュニケーション不足だろ」

「そんなの……」

「心配ならな、本人に直接そう言えばいいんだよ。まったく、これが真相だったとはな」

「……面白くない」

 

不機嫌そうに輝夜は唸った。

頬を膨らましている。

今時そんな怒り方をする奴はいないだろ。

 

「期待して損をしたわ。そんなくだらない結論を出すなんて」

「笑えないか?はっはっは、そりゃ愉快だ。アンタみたいな奴、楽しませたくもない」

「何でそんな事を言われなきゃいけないの!」

「私は妹紅のダチだからだ。アイツを悲しませたお前の余興に付き合ってたまるか」

「……ううぅ」

 

うぅ?

……何だろう。

愉快な気持ちが止んだ。

それに果てしなく嫌な予感がする。

 

「うわぁぁぁぁあん!えいりぃぃんっ……」

「えっ、ちょっと」

 

さっきまで大声で笑っていたかと思えば不機嫌になり、そして輝夜はワンワンと泣き出した。

どこからかドタバタという足音がする。

 

「っ姫様!」

 

襖が勢いよく開けられて、鬼のような顔をした永琳が部屋へと入ってきた。

 

「うぅ……永琳……意地悪されたよぉ」

「なっ!まさかこの人間に!?」

「……うん」

 

ゾゾゾっと背筋に悪寒が走った。

恐る恐る永琳の方を見ると、般若がそこにいた。

 

「ーーーー!」

 

声にならない叫びをあげ、永琳の右拳が私の顔面を撃ち抜く。

あぁ、今日はよく殴られる日だ。

 

「……ニヤ」

 

っああ!

こいつ今笑ったぞ!

この性悪女がぁ!

 

「貴子と書いてきじと読む。キジも泣かずは打たれまい……かしらね。愉快愉快」

 

輝夜のその声が、消えゆく私の意識の中でやたら鮮明に聞こえた。




永遠亭の連中は、シリアスな雰囲気だけを出して実際は何一つ悩んでなどいません。
悩むと言うことは人間の特権です。
次回は魔理沙が西は東へ。
必殺技は完成するのか、乞うご期待。
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