誰と誰が出会い、戦い、決着をつけるのか。
魔理沙の才能とは。
人間の命は、何もしないには長すぎるが何かをするには短すぎる。
どこぞの虎になったエリートがそう言ってたか。
本当にそうだと思う。
人生は、人里の娘でいるには退屈すぎたが……魔法使いになるには余りにも刹那すぎる。
魔法の森に移り住んでもう何年か。
親と喧嘩して里を出てからどれだけ経ったっけ。
しがらみを捨てて自由になった私の人生は、順調なのだろうか。
努力は海を進む船に喩えられる。
景色は変わらずとも、少しづつ進んでいるしいつか絶対目的地にたどり着くのだと。
しかし、全ての船が羅針盤や磁石を持っているわけない。
実験で失敗して髪を焦がすたびに、私の脳裏にはある考えがよぎる。
『私には、才能が無いのではないか?』
底意地の悪い奴が囁くように、どこからか聞こえてくる声。
その声がする度に私は頭を振って気合を入れ直すのだ。
なぜなら、解決する答えを持っていないから。
頭から追い出すしか、対処法がない。
それを否定するだけの材料を、私は持っていない……。
「嫌な気分だぜ」
宴会で馬鹿騒ぎをした翌朝みたいな、頭が痛くなる倦怠感。
そう言うのに襲われる日がたまにある。
吐き気もするし、景色は揺れる。
何より、心の底から無気力感に苛まれる。
そんな時は気晴らしに、外を飛び回るのだ。
頰を切る風が、嫌な気持ちを吹き飛ばしてくれる。
「……その術式では制御が難しいわよ。この部分は書き換えた方が良いわ」
「うーん、そこを削ると火力がなぁ」
「十分じゃない。このままでは余りにも必要限度を超えているわ」
「そうか?……それならこう言うのはどうだ?」
「それだとここが……」
紅魔館の昼下がり。
もはや顔馴染みとなった大図書館で、いつものようにパチュリーから魔法についての教えを受ける。
この時間は貴重だ。
パチュリーの話は、言い方とか教え方とかこそ気に食わないが、純正なだけあって内容は一級品だからだ。
紅霧異変の時からだから、結構長い付き合いになる。
だいたい一年位か。
基本の基本から教わって、この夏やっと術式の構築を教えて貰うこととなった。
最初は私の持っているスペルカード、全部を駄作とこき下ろすもんでぶっ飛ばしてやろうかと思ったが。
「方向性はいいけど、全体的に要改善ね」
「マジかー。自信作だったんだがな」
「まだまだ未完成ね」
「……完成間際まで来てる感覚はあるんだ。けど、あと一つ何かが足りない。そんな感じなんだ」
「……ラストピースを探すよりも全体を直しなさい。一つ一つがどこか荒いわ。もっと工夫をできる箇所がある筈よ」
「そうかい。善処するよ」
「……ねぇ、魔理沙」
「何だよ」
「貴方は……いや、何でもないわ。ともかく頑張りなさいよ」
「何だそれ、気色わるいな」
「言っても聞かないと思って」
「そうかもな」
「さ、今日はここまでにしましょう。この後レミィとお茶しなきゃなのよ」
「ん、分かった」
「あら、えらく素直ね。嫌味の一つでも言うかと思ったのに」
「早くこの式を書き換えたくてな」
「殊勝ねぇ。あ、そうそう。咲夜がお菓子を作っていたから、いくつか貰っていきなさい」
「いらねぇよ。あんな化物が作ったのなんて」
「あら、いいの?この後アリスと会うんでしょ」
「……何で知ってんだよ」
顎を上げてオーホッホと笑うパチュリー。
やっぱりコイツは性格が悪い。
魔女の魔は、悪魔の魔だ。
性根のところから腐ってる。
その一から十までお見通しみたいな感じが気に食わない。
いつもより多めに本をパクって行ってやろう。
魔理沙が帰った後、大図書館で小さくため息を吐く者が一人。
いや、一魔法使いがいた。
「はぁ……」
「あれ、お疲れですか?パチュリー様」
小悪魔がお茶を出しながらそう問いかけた。
はて、なぜそう思ったのかとパチュリーは勘案し、そしてあぁ、自分はよほど酷い顔をしているのだろうと答えを出した。
「ここらの夏は本当に蒸し暑いわね」
「温暖湿潤気候ですからね。西欧とは違います」
「分かってるわよそれぐらい。そうじゃなくて……夏になると人間までカビが生えたようになるの」
「パチュリー様がそれを仰いますか?」
「どういう意味よ」
なんと失礼な奴だ。
なぜ自分はこんな奴を召使えているのだろうか。
そうだ、昔悪ふざけで召喚したんだ。
それで魔界に帰そうと思ったらワンワン泣き出すものだから、断りきれずに契約してしまったのだ。
何という悪徳なやり方に騙されたのだろうか。
あぁ、過去の自分が恨めしい。
「お休みになさいますか?」
「いや、いいわ。体は疲れてないの」
「では心が?」
「心も疲れてないわね」
「とすると、何処がお疲れでしょうか」
「さあ、見当もつかないわ」
「そうですか……」
そのまま何も言わず、小悪魔は去った。
時計の針が午後を告げる。
ようやく静かになった。
広大なこの館の中で、唯一私だけの空間。
これでようやくゆっくりとお茶を楽しめる。
「パチュリー様」
「……なにかしら」
リプトンを口に含みかけた所で、無粋に後ろから声をかけられた。
小悪魔は遠くに行っている。
この声は咲夜だ。
「魔理沙がパチュリー様の分のお菓子を盗んでいきました」
「多めに作っておいてと頼んだはずよ?」
「はい。そして多めに盗まれました」
「何してんのよ」
背中越しに喋っているから見えないが、このさぞダメイドは真剣な表情をしている事だろう。
見なくてもわかる。
どこぞの馬鹿門番が育てたせいで、よく言えば大らか……悪く言えば少し抜けているのだ。
おかげで今日のお茶会はお菓子抜きになってしまった。
そうなると……あぁ、面倒なことになりそうね。
「レミィの分は?」
「辛うじて残っております」
「そう。なら大丈夫かしら」
「はい……御気遣い感謝いたします」
「はいはい。さっさと仕事に戻りなさい」
「失礼いたします」
全くドイツもコイツもイタリアも。
人がゆっくりしている時ぐらい、空気を読めないのかしら。
お菓子ならいつだって食べられる。
せっかくの紅茶が冷めてしまったじゃない。
熱いうちが美味しいのに。
……まあ良いわ。
ようやく一息つけるわね。
「パチュリーさん」
「…………っ!」
「っ痛い!本を投げないでくださいよ!」
「アンタねぇ、アンタねぇっ!」
「ちょ、何ですかその魔法陣!」
「……はぁ、もう良いわ。何の用?美鈴」
「魔理沙からこれを取り返して来ました」
誇らしげに出された美鈴の手には、何冊かの魔導書が握られていた。
どれも私にとってはあまり不必要な、基本の内容しか書かれていないもの。
魔法術の入門編と言える代物だ。
「それは――」
「怪しい気配がしたものですから、調べてみたら案の定ですよ。しかしこの紅美鈴、ネズミ一匹逃しません!」
「……ば」
「ば?」
「バカ!それは私が貸したのよ!取り返してどうすんの!」
「え!」
「えっじゃないわよ!」
……全く、このバカだけは本当に。
余計なことばっかりしてくれる。
いっそクビにしてやったらいいのよ。
どこぞの呑んだくれみたいに。
「……そこに置いといて」
「了解です」
「……なに座ってんのよ」
「本でも読もうかと思いまして」
「仕事しなさいよ」
対面の椅子に腰掛ける美鈴。
何を居座る気でいるのかしら。
この館の門番は年中無休で終日営業中のはずなのに。
「ところで、魔法の伝授は順調ですか?」
「……そうね。思ったより飲み込みが早いわ」
「そうですか。いやぁ、最近どんどん強くなっていくものですから、門番としても大変ですよ」
「ふん、よく言うわ。そう思うなら本気を出せばいいじゃない」
「私は至って本気ですよ」
「魔法使いの私でも、それが嘘って事くらい分かるわよ」
「嘘じゃ無いですってば」
それが嘘じゃないなら、嘘の定義を教えて欲しいわ。
私は知っている。
あの悪名高い八雲の式神を、美鈴が拳でねじ伏せたことを。
確かに、魔理沙の進展ぶりには目を見張るものがある。
けどそれは、美鈴からすれば取るに足らないものだろう。
わざわざそんな事を言うためにここへ来たのか。
職務怠慢も良いとこじゃない。
「ふぅ……私も長い事生きて来ましたが……人間というものは難儀ですねぇ」
「何よ急に。年増みたいな事を」
「はははっ、年増ですか。そうかも知れませんねぇ。長生きすると、気を覚っていれば相手の心なんて簡単に読めちゃいます。そしてあの娘は相当に荒れている」
「あの年頃は皆そうでしょう」
「強い葛藤と焦り。後悔や無念。年頃にしても思い詰めすぎのような気がするんです」
「人の道を外れたんだもの。当然のことよ。それとも、貴方はそれが心配だとでも言うの?」
「えぇ。放ってはおけません。だから貴方に伝えに来たんです」
「だからって私にどうしろってのよ。そんなのアイツの問題じゃない」
「人間を辞めるなんて、それこそ辞めた方がいい」
「……魔理沙にそれを言ったら怒るわよ」
「だから貴方に言ってるんです。どうか、進む道だけは間違えないよう教えてあげてくださいね」
「そんなのアイツ次第よ」
「貴方次第ですよ」
そう言い残し、快活な笑みを少し浮かべて美鈴は図書館を去った。
一人になると心なしか、図書館が静かになったような気がする。
私はレミィとの茶会までやる方なく、魔理沙から取り返したという本を見た。
そこである事に気づく。
「……これは」
何度も開いたのだろう。
ページに癖がついていて、勝手にその項が開いた。
魔理沙が何度も見たであろうページ。
そこには……
『魔法出力の上げ方』
と書かれている。
「あんのバカ……はぁ」
全く、私まで心配しているのだろうか。
吐息ばかりが溢れてしまった。
魔法の森に、とある変わり者が営むなんでも屋がある。
霧雨魔法店と題打たれたその店は、日光を嫌って影に蔓延るキノコのように、陽射しの当たらぬ所でひっそりと佇んでいる。
人里から遠く離れた、そんな胡散臭い店にやってくる酔狂な客などいるわけも無い。
少なくとも人間は、ここに訪れはしないだろう。
しかし最近、その店に何度も顔を出す者がいた。
「……また来たのかよ」
「何?客を邪険に扱えるほどここは繁盛しているのかしら」
「金を払わない奴にもてなしは無いぜ」
「料金分の働きをしてくれるのなら払うわよ」
店の番台に頬杖をつきながら、魔導書を読み耽る魔理沙。
雑に重ねられたそれらがもっぱらパチュリーからの盗品であることは言うまでも無い。
魔理沙は面倒くさそうに舌打ちをする。
アリスは部屋の有様を見てにべもなく言った。
「少しは片付けたらどう?これじゃまるで物置みたい」
嫌味を隠そうともしないアリス。
彼女は以前魔理沙に敗北を喫してからというもの、付き纏っては憎まれ口を叩くタチの悪い姑のような生活を送っていた。
プライドの高い彼女は、負けを認めようとはしない。
いや、できないのだろう。
その幼稚な防衛機制には魔理沙もほとほと呆れ果て、とうとう相手にすらしなくなっている。
「ここは私の家だ。どうしようと勝手だろ」
「自分の物なんてほとんどない癖に。全部盗んできたんでしょ」
「借りてるだけだ。死ぬまでな」
「ならここで殺そうかしら」
「……冷やかしに来たんなら帰れ。私は忙しいんだよ」
「新しい魔法の研究?精が出るわねぇ」
「けっ。とびっきりの奴が出来るぜ。今に見てろ」
「ふぅん……あ、そこ間違ってるわよ」
「え、どこだ?」
手元に置いてあるペラ紙を見通す魔理沙。
本の内容を読みつつ考えをまとめていたようで、紙面上に魔法陣やら術式やらが書かれている。
アリスはその中の一文を指さして言った。
「その構文だと魔力の消費が激しいわ」
「バーカ。こうじゃなきゃ火力が出ないだろ」
「バカはどっちよ」
お前だろ、と言いながら魔理沙は薪に火をつけた。
コーヒーを淹れる用のお湯を沸かすためだ。
ミニ八卦炉からチリチリと小さな火が放たれる。
「……ねぇ、そのマジックアイテム、ちょっと見せてくれないかしら」
「ん、これか?」
アリスはそのミニ八卦炉を指さした。
壊すなよと言いながら、それを雑にアリスへと投げ渡す魔理沙。
使い古されたそれをマジマジと見て、アリスは物思いに耽る。
「……それがどうかしたのか?」
「貴方、火を起こすときにこれを使っているの?」
「あぁ。便利だからな」
「……ちょっと試して良いかしら」
「何をだよ」
魔理沙の質問に返事もせず、家の外へと出て行くアリス。
不審に思いつつ、ミニ八卦炉の行方を追って魔理沙もそれに追従した。
家の裏の少し開けた場所に出る。
「何をするつもりだ」
「私も火を起こそうと思って。貴方はいつもどれぐらいの威力なの?」
「うーん。どれぐらいっつってもなぁ……本当にちょびっとだぜ」
「ちょびっと……ねぇ」
眉を潜めながらアリスは空に向けたミニ八卦炉を、両手で強く握りしめた。
ゆっくりと目を瞑って深く息を吐き、小さな火を起こすだけの魔力を慎重に込めた。
そして魔法は放たれた。
辺りがどよめく。
「バカ!力入れすぎだっ!」
「……やっぱり」
あろう事か、ミニ八卦炉からは七色に輝く強烈な閃光が放たれた。
光から数秒遅れて地鳴りのような音が響き、囀っていた小鳥たちが一斉に空へ飛びたつ。
低い残響音がざわめきながら森の木々へと消えていった。
その光景の余韻に浸る間も無く、アリスは魔理沙の手首を掴む。
「魔理沙、ちょっと来て」
「何だよ」
「いいからそこに座って」
家の中へと戻り、向き合うように座る二人。
アリスは殊更に真剣な表情を浮かべて、魔理沙のことを指さした。
「いい?耳の穴かっぽじってよく聞きなさい」
「何だそりゃ。らしくもない」
「今、貴方の……才能とも言えるものを発見したわ」
静寂の中。アリスが重々しくそう告げる。
才能、という言葉に思わず魔理沙は心臓が飛び跳ねた。
「私の……才能だって?」
「えぇ。喜びなさい」
「もし適当言ってるんなら、殺すぜ」
「生憎、貴方じゃ無いの」
「それで……一体何なんだ。お前の言う私の才能ってのは」
「貴方は、魔力の操作においてかなり高い適性を持っている」
「……どう言うことだ」
魔理沙の質問には答えず、アリスは持参していた自身のカバンから、少し大きめの物体を取り出した。
まるで模型のように正確でありながらメルヘンチックな姿をした、それは人形であった。
アリスが指を鳴らすと机上に置かれたその人形は立ち上がり、トテトテと歩き出した。
魔理沙の元まで進み、ペコリと綺麗なカーテシーをする。
一連の動作には、全くの淀みも無かった。
「さぁ、やってみなさい」
「は?」
「指から糸を出してこの子に繋げるイメージよ」
「……やれっつってもなぁ」
見様見真似で出来るものではないだろと思いながら、真剣なアリスを止めることもできず魔理沙は言う通りにした。
魔力を指先から放出する要領で、上海人形に神経を繋ぐ。
すると、アリスほどでは無いものの、人形がぎこちなく動き出した。
壊れたオモチャのように歪ではあるが、確かに動いたのだ。
「おぉ、やってみると出来るもんだな。流石に何体も同時は無理だけど」
「……やっぱり、そうよ!」
「何だよ……まさかこれが才能なんて言うんじゃ無いだろうな」
「えぇ、そのまさかよ。この技をすぐさま出来るなんて、かなりの才能と言えるわ」
「何だそれ!期待して損したぜ!こんな子供騙しが才能だと!?」
「こ、子供騙しなんかじゃないわ!」
「こんなの出来ない奴の方がセンスないんだよ」
「……人形だけじゃないわ、そのミニ八卦炉が証拠よ」
「これか?」
「ハッキリ言って、それはオモチャ以下のガラクタよ。まして魔力の制御なんてできたものじゃないわ」
「……ガラクタなんかじゃねえよ」
「宝物だとしてもよ。事実私は、それで火を起こすなんて嫌。家が吹き飛ぶもの」
アリスの言葉を受けて、魔理沙はしばし黙った。
複雑な感情が湧いてきた。
確かに才能があると言われて、悪い気はしない。
むしろ、ここ最近心に立ち込めていた暗雲から、一筋の光明が刺したような気分だ。
しかし……そんな才能、欲しいとは思わなかった。
「魔術の制御……」
「ええ。その才能を磨けば、私の次くらいにはなれるわよ」
「負けた癖に」
「負けてない!」
「あーそうかよ」
「真剣に聞きなさい!貴方はこのまま望みのない高火力ばかり追い求めるのは辞めて、魔法制御に重きを置くべきなの!」
「望みがないだと!?ふざけんな!何でお前にそんな事言われなきゃいけないんだ!」
「夢を見るのは自由よ。でもそれを追い求めるのには資格がいるの。貴方はせっかくの才能を無駄にするつもり?」
「うるせぇ!ぐちぐち上から物言いやがって……鬱陶しんだよ!帰れ!」
「っな!」
「お前なんざにとやかく言われたか無いんだよ!さっさと出てけ!」
「な、何よ……私は貴方の為に……」
「余計な世話だ!」
「……ふん!言われなくても帰るわよ!」
勢いよく戸を閉めて、アリスは去っていった。
怒鳴り合いからの急な静寂が、むしろ魔理沙の激情をいたずらに煽った。
帰り際にアリスが零した涙など、魔理沙は微塵も気づくことは無かった。
……最悪の気分だ。
吐き気がするぜ。
何が才能だ。
何が魔法制御だ。
そんなもん、燃えないゴミに捨てとけ。
私は魔法使いだろうが。
ド派手な技を撃ちまくる。
小手先なんざ二流の技。
火力こそが、私の正義だろ。
……本当にそうなのか?
私……そう、私だ。
よく考えてみろよ。
才能もない。
望みもない。
ただの夢見る普通人間。
――違う。
私は、努力をしているはずだ。
寝る暇も削って、魔導所を何冊も読んだし、毎日毎日研究に明け暮れた。
下手すれば本当に血が滲んでるだろう。
夢を叶えるために全てを注ぎ込んだ。
まるで馬鹿みたいに。
……何のためだ?
私は……何のためにこんな思いをしている。
私は何だってやってきた。
地位も名誉も捨てた。
親を泣かせて里を飛び出た。
何もかもを犠牲にしてここまでやってきたんだ。
報われないはず……ないだろ。
それなのに何も得られないなんて……そんな事があってたまるか。
何もかもを捨ててきたんだろ。
全ては目標のため。
私自身の望みを叶えるため。
それだけを考えて生きてきた。
全てを投げ捨ててきた。
……まだ、足りないのか?
これ以上何を捨てれば……何を。
今の私に残っているのなんて、ケチなプライドだけだ。
もう賭する物なんざ……。
いや……そうだ。あるじゃないか。
それもとびっきりの物が。
これが答えだったんだな。
コレを組み込めば……この魔法は完成する。
やっとラストピースがわかったぜ。
待ってろよ……霊夢。
数ヶ月前の、幻想郷から春が失われた春雪異変。
その黒幕、西行寺幽々子の元へ紫は訪れていた。
しばしばお茶を飲みにここへやってくる紫だが、一目見ればいつもと違う様子なのが分かった。
大妖怪らしい余裕綽々とした態度は健在だが、その顔には鬼気迫る威圧感が漂っていた。
挨拶も飛ばして屋敷の客間へ入ると、妖夢から差し出された茶も飲まずに、対面に座る幽々子にいきなり本題を告げた。
「私の所に一通の手紙が届いたわ。差出人は、天狗の首領」
「……その手紙には何と?」
「幻想郷、滅亡の危機よ」
「……滅亡?」
突飛な単語に幽々子は呑気に茶を啜る。
紫は静かに頷いた。
「幻想郷に……月が落ちる」
「何よそれ。なりすましの悪戯?」
「この手紙には天魔の判子が押してある」
「……それってつまり」
「信憑性が、高いということ」
ようやく、のんびりとしていた幽々子の雰囲気が変わった。
冷たく乾いた殺伐とした静寂が二人の間を通り過ぎた。
「これから、空前の大異変が起きるわ。幽々子……貴方の力も必要になる」
「本当、退屈しないわねぇ」
「結末は私にも読めない……それはそれは素敵な演目となる事でしょう」
扇子で口元を隠した紫。
決して、笑ってなどいなかった。
果たして何が起こるのか、誰にも分かるはずなど無いのだから。
果てもさても物騒な、前代未聞の大異変。
賢者も亡霊も、悪魔までもが名乗りをあげる。
その結末は神にも読めない。
幕開けは、博麗神社であった。
「……そろそろ来ると思ってたわよ」
「なら話は早いわね」
星が燦然と煌めく夜、幻想郷は静かであった。
ぼんやりとした月明かりばかりが照っている。
紫はスキマから出て境内に足をつけた。
その後ろから、八雲藍が姿を覗かしている。
「あの月を見てごらんなさい。なんと歪なことかしら」
「さぁ、私にはいつもと同じに見えるけど」
「妖たちは皆血が沸いているわ」
「そう……面倒ね」
「言っておくわ。この異変には失敗など無い。有るのは解決……あるいは死よ」
「私にはいつだって失敗なんて無いわよ」
「頼もしいこと。最後までせいぜいその威勢を保てるようにしなさいな」
紫の皮肉には全く耳も傾けず、霊夢は鋭い眼光を薄い雲がかかる空に向けた。
そして険しい顔になる。
「……何を仕掛けたのよ」
「あら、気づいてたの。流石は霊夢ね」
「大方、夜を終わらせない術かしら」
「分かってるなら説明は不要ね。さて……参りましょうか」
「……あ、ちょっと待って!」
空へ舞う紫の足を止めて、霊夢は家の中へ戻っていった。
しばらくして、安心したような顔で戻ってくる霊夢。
「ガスの元栓、切ったかどうか忘れちゃって」
「そう……それで、ちゃんと切れてたのかしら?」
「危ない危ない、付けっ放しだったわ」
「確認しておいてよかったわね」
「あ!」
「……どうしたのよ」
「確認するだけして切るの忘れちゃった!ちょっと待ってて!」
「……あれが巫女で幻想郷は大丈夫なのかしら」
紫の愚痴は、霊夢の耳に遠く及ばなかった。
かくして、霊夢・紫ペアは異変解決へと飛び立った。
朧月夜の宵の越し。
霧雨魔法店の戸がノックされた。
「起きなさい魔理沙。面白いことになっているわよ」
ドアは開かれず、一枚の板越しに眠そうな声で魔理沙は返事をした。
「……何だよ、こんな遅くに」
「貴方の大好きな異変よ。出てきなさい」
「……ったく。忙しい時に……待ってろ、四十秒で支度してくる」
そこからきっかり四十秒経って、ドアから魔理沙が出てきた。
アリスは数日ぶりに見たその姿に、絶句した。
「ど、どうしたのよその身体!」
「何でもねぇよ」
服装は、いつも着ている黒白の物であった。
しかし袖から見える腕に巻かれた血塗れの包帯。
頭にも、片目を覆い隠すように包帯が巻かれている。
その他、体の至る所に血で滲んだ包帯が当てられていた。
「何でもないわけ無いじゃない!どうしてこんな傷だらけに……まさか!」
青ざめた表情でアリスは魔理沙の家の裏に走った。
そこは魔法の試し撃ちをする場所であり、以前アリスがミニ八卦炉を使った所でもある。
「……やっぱり」
アリスが目の当たりにしたのは、惨いとしか言い表せない光景であった。
大量の不燃焼な魔力が周囲に散漫している。
あたりの木々は、爆風でも受けたかのように葉を落とし枝を折られていた。
そして……大量の血が、飛び散っていた。
「貴方……まさか」
「お前は説教をしにきたのか?異変解決が先だろ。さっさといくぜ」
返事も待たず魔理沙は箒に跨り空へと飛びだった。
そのスピードは以前よりも格段に速く、その不自然な成長を見てアリスは悟った。
霧雨魔理沙が、何を賭けたのかを。
己の美学に則り、それ以上は何も言わずアリスも空へと舞った。
かくして魔理沙・アリスペアが異変解決に参入した。
霊夢と紫は道中に立ちはだかった屋台の妖怪主人を撃退したのち、人里へと向かった。
ミスティアと名乗るその妖怪が散り際に、誰かの名を呼んでいたのが少し気にかかったが、少し飛ぶうちに忘れてしまった。
さほど重要ではないと判断したからだ。
博麗の超人的な勘が人里を指し示した。
そこに異変の黒幕、もしくはそれに近い何かが居ると。
しばしの間飛行し、そろそろ人里に着こうかという所で霊夢はある異変に気づく。
「……人里はこの辺りの筈よね」
「あら、貴方には見えていないの?ほら、よくご覧なさいな」
そう言って、不愉快な笑みを浮かべながら紫は前方を指し示した。
その指先には、暗い中でもハッキリと何もないのが分かる平野が広がっている。
しかし、見覚えのある景色であった。
記憶と唯一違うとすれば、それは人里がないと言う事だ。
ポッカリと穴が空いたように、もしくはまるで最初から何もなかったかのような光景。
「……人里が消えた?」
「鈍いわねぇ……ちょっとこっちに寄りなさいな」
紫が人差し指を何度か曲げると、霊夢は己の意思と関係なしに紫の元へ引き寄せられた。
紫が後ろから回すようにして霊夢の目に手を当てる。
視界を急に奪われた霊夢は抵抗しようとしたが、それより先に紫は手を離した。
開けていく世界。
そこに映る景色を見て、霊夢は珍しく狼狽した。
背景は先程までと同じ。
違うのは、目と鼻の先にあるもの。
「人里が!」
「最初からそこにあったわ。貴方が見えていなかっただけ」
わずか一寸の所に、人里の入り口があった。
妖怪に化かされたような気分になりながら霊夢は進む。
すると、人里の中から砂利を踏む音が聞こえてきた。
ジャリジャリという小石の音は無機質なはずなのに、まるで怒りが伝わってくるような気がする。
遠くから、蒼い髪をした美人が月明かりの下に表れた。
眦は天を撃つほど鋭く、全身から怒気が滲み出ている。
「人里に何の用だ!」
「うーん、悪いけどアンタはラ・フランス」
「どう言う意味だ」
「用無しって事」
子どもを相手取るような口調で吐き捨てる霊夢。
その無礼な態度に、洋梨どころか林檎ほど真っ赤な顔を浮かべる慧音。
飢饉と疫病から里を守ったという武勇伝が噂に新しい。
その人里の守護者が、大妖怪と天下巫女に立ちはだかった。
「近頃の人間が襲われる事件……まさかお前らが犯人だとは。里の者には指一本とて触れさせんぞ!」
「ふぅん。何でもいいけど、邪魔するなら容赦しないわよ」
「まぁ待ちなさいな霊夢。何でも力づくで解決するのはナンセンスよ……もし、そこの人。その事件とやらを詳しく教えてくれるかしら」
紫は慇懃な態度で慧音に近寄った。
警戒心を超えて、敵対心すら滲ませている慧音。
怒鳴るような声で言い放った。
「里の者がたくさん死んだ。妖怪に食われてな!」
「そう。元凶は割れているのかしら?」
「白々しいぞ!こんな不穏な夜に里へ忍び込むお前らが犯人でなくてなんだ!あろう事か……貴子までもっ!」
「貴子?」
霊夢はその名を聞いてある違和感を覚えた。
先程倒したミスティアも、その名を口にしていたのだ。
霊夢自身もどこの誰かは知らないが、聞き覚えのある名前であった。
しかも、とんでもない悪印象をその名に抱いている。
どうしてだろうか。
「この場から今すぐ出ていけ!」
「ねぇ紫」
「どうしたの?」
「多分、この里はシロよ」
「あら、どうして?」
「なんとなくだけど……気が変わったわ」
「そう。なら引き上げるとしましょうか。そこの人、お騒がせしたわね。これからも人里を守ってくださいな」
紫は薄い笑みを浮かべながらそう言い捨てて、霊夢と共に人里を去っていった。
慧音は最後に放たれた紫の殺気に立ちすくみ、しばらくの間動けなかった。
笑う膝に手をついて、額からじんわりと汗をかく。
「……人里を守れ、か。よく言うよ。邪魔をすれば殺すの間違いだろうに……」
里からしばし飛んで、霊夢はとある疑問を紫にぶつけた。
「ねぇ、貴子って誰?」
「……覚えてないの?」
「私の知り合いだっけ」
「はぁ……人覚えが悪いわね。確か二回会っているはずよ」
「二回?いつよ。宴会の時?」
「異変の時」
「……あぁ!」
霊夢は閃光のように思い出した。
あの黒髪の、やたらやさぐれた女を。
確かに二度、顔を合わせている。
しかもその両方で、異変の黒幕と関わりがあったのだ。
そのくせ当の本人は誰よりも弱っちい。
人騒がせなモグリの妖怪退治屋だ。
確か里に花屋を開いたとかなんとか。
「そう言えば居たわねぇ、そんなの」
「それがどうしたのよ」
「いや、何でもないわ」
「そう……それよりもご覧なさい、そろそろ見えてきたわよ」
「……あれが迷いの竹林」
夜の帳が下りて数時間。
幻想郷の住民たちも、そろそろ異変に感づいた。
動こうとしない月。
いつまでも輝いている星。
夜が終わらないのだ。
黒一色の暗い夜。
その闇の中でも一段と竹林の中は暗かった。
まるで深淵を覗くような気持ちで、霊夢は中へと入っていった。
竹の葉がわしゃわしゃと擦れる。
蝉や牛蛙が不安な鳴き声を立てる。
中へ踏み込むごとに嫌な予感が増すのは何故か。
霊夢には分からなかった。
ただ、得体の知れない不安が心を締め付けていた。
「紫、間違いないわ。この中に黒幕がいる」
「そう。なら先を急ぎましょう」
ここに来て、紫の表情は見たことのないくらい真剣であった。
いつもの人を小馬鹿にするような薄っぺらい笑みすら浮かべずに、口を真一文字で結んでいる。
中へと進み辺り四方に見えるのは果てなき竹林のみとなった。
更に進み、元来た道も見失った時分。
「よぉ」
そこに、魔理沙がいた。
「遅かったな。さぞ美味い道草でも食ってたのか?」
「アンタ……その体はっ」
「これか?心配せずともちゃんと動くぜ。負けても言い訳できないくらいにはな」
「負けるって……まさか勝負するつもり?そんな体で!?」
「あぁ?傷だらけの人間とは勝負できないってか?おうおう優しくなったなぁ。里で道徳でも教えてやったらどうだ」
箒に跨り、その上でふんぞり帰るように笑う魔理沙。
霊夢は、今が夏で良かったと思った。
もし季節が冬ならばきっと厚着をしていた。
そうなれば、魔理沙の全身に巻かれた包帯に気が付けなかっただろう。
肌よりも包帯の面積の方が広い。
しかも、白ではなく血で滲んだ赤黒。
右目を覆うように頭にも包帯がしてある。
そんな状態だと平衡感覚すら危ういのではないか?
まして弾幕勝負など……。
「そんな御託はいいぜ。かかってきな」
決意と覚悟に満ちた表情でスペルカードを取り出す魔理沙。
どうしようかとアレコレ考えて、結局出るのは溜息ばかり。
霊夢もまた覚悟を決めた。
魔理沙の、並々ならぬ気持ちを感じとってしまったのだ。
こうなってしまった魔理沙は何より頑固で意地っ張り。
それならさっさとぶっ飛ばして、大人しく家に帰らそう。
今回の異変は、ヤバい予感がする。
もし手負の者が首を突っ込んだら……。
霊夢は心の帯を締め直した。
魔理沙を守るために、魔理沙を倒す。
「手加減はしないわよ」
「上等だっ……!」
ぎゅっと箒を掴んで、帽子を深く被る魔理沙。
霊夢はお札を懐から取り出し構えを取った。
地面に水雫が落ちる。
夜露ではない。
霊夢が魔理沙か……はたまたその他の誰かが緊張故に出した汗だ。
次の瞬間、冷たい月光の下で二人の少女がぶつかった。
月光は冷たく下界を照らすのみである。
魔理沙と霊夢の文句なしガチンコ対決。
次回は、オールバトルです。
はたしてあの妖怪退治屋は何をやらかすのか。