ろくでなし東方   作:ほろ酔いちゃん

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混乱を極める永夜異変。最後に立ち上がるのは誰か。
霊夢と魔理沙が立ち向かいます。


ロマンスの夜明け

 

月がでたでた。

月がよいよい。

死ぬ阿保に生きる阿保。

同じ阿保なら殺さにゃ損損。

 

 

霊夢は永い夜を彷徨い歩き、そしてとうとうたどり着いた。

妖華な竹林の中でも一際異質な雰囲気を放ちながら、どこか寂しげな門へと。

 

「……間違いないわ紫。ここに黒幕がいる」

「そう。時間が惜しいわ。急ぎましょう」

 

開けっ放しの門からズカズカ中へと入る霊夢。

待ち受けるは中へ入った者が皆一様に苦しめられた術。

結界の専門家である彼女は、そこに仕掛けられたものをすぐさま理解した。

 

「紫、お願い」

「はいはい」

 

皆まで言われずとも理解した紫は手で何かをなぞるようにして宙を撫でる。

すると、隠れていた屋敷が姿を表した。

慧音が人里を隠した時のように。

霊夢はそれを見て特段驚きもせずに悪態をつく。

 

「この中にいる奴らは随分と臆病なのね」

「認知と現実の境界を緩めたわ。注意なさい。変な事を考えると幻覚が見えるわよ」

「……だとするとあれは幻覚?」

 

霊夢は眉をひそめながら屋敷の外壁を指さした。

見えるのはおどろおどろしい風景。

呪われた屋敷のように大量のお札が貼られていた。

少し警戒する霊夢。

しかし紫はそれの正体を容易く看破した。

 

「よほど用心しているのね。幾重にも防衛陣を張ってあるわ」

「そんな事しなきゃ生きていけない奴なんて恐るるに足らずよ」

「用心しなさいな。術式はかなり洗練されているわ」

「言われずともよ」

 

霊夢は一層と唇を固く閉じ、気を引き締め直す。

だんだんと邪魔な思考が排除されて、視界がクリアになっていく感覚。

しかし、それを邪魔するものがいた。

 

「二人とも早いわよぉ」

「……何してんのよ」

 

一足遅れて後ろから幽々子がやってきた。

冷たい亡霊とてどうやらこの熱帯夜に着物では流石に暑いらしく、少し汗をかいている。

フワフワと低速移動をしながらやっと追いついて来たのだ。

しかし、門をくぐった途端呑気な顔はすぐさま底知れない強者の表情へと変わった。

 

「……妖夢はここにいるわね。それに元凶も」

「月を落とすなんて愉快なことを思いついてくれたんだもの。こちらも最大限のお礼を返さなくてはならないわ」

「御託はいいわ……行くわよ」

 

霊夢の発破に二人して頷き、妖怪退治一行は敵陣の敷居を跨いだ。

あるいは天下巫女。

あるいは隙間妖怪。

あるいは冥界の主。

どれをとっても最強格。

幻想郷において、最も出会いたくない者たち。

その進軍を止めることなど、もはや誰にもできなかった。

 

 

 

 

 

「……二人」

「え?」

「敵は、二人いるわ」

 

屋敷の入り口から少し進んで突き当たり。

左右に廊下が分かれているその分岐点で、霊夢は立ち止まった。

 

「紫と幽々子は左へ進んでいって。私は右へ行く」

「……貴方が言うのなら、そうしましょう」

 

紫はそれだけをポツリと呟いて、霊夢に背を向けた。

幽々子もまたそれに追従する。

一歩ずつ遠ざかる両方(りょうかた)

思い出したように、紫は背を向けたまま呼びかけた。

 

「……霊夢」

「何よ」

 

いつものように気軽で、いつになく真剣に。

幽々子ですら聞いたことがないような重たい声色で。

 

「何があっても生きて帰りなさいな」

「……当然よ」

 

普段から冗談ばかりで、人のことを茶化すばかりの紫。

だからこそ、その言葉には重みがあった。

死ぬつもりなど毛頭ないが、それでも改めて帯を締め直す。

これは自分の人生でもかなりの山場になる。

霊夢はそう直感していた。

 

「そっちは頼んだわよ」

「えぇ。任せなさい」

 

それ以上の言葉は交わさず、先へと進んだ。

月は一層傾いてゆく。

 

 

 

 

 

暗い迷いの竹林の中でも比較的月光が当たる所で、魔理沙は寝かせられていた。

辺りにはアリスの人形が包囲網を貼っていて、妖怪等から身を守れるようになっている。

魔理沙は燃え尽きたような瞳で月を見上げながら零す。

 

「なぁ、アリス」

「……何よ」

「お前は私に、魔法をコントロールする才能があるって言ってたよな」

「……えぇ、そうね。貴方が魔法制御のセンスを持ってることは私が認めるわ」

「センスか……確かにそいつは良いかもな」

「考えが変わったの?」

「あぁ、やっと吹っ切れたぜ」

 

魔理沙は痛む体を労りつつヨロヨロと起き上がり、空に向けて曇りのない笑みを浮かべた。

 

「実は迷ってたんだ……パワーばっか追い求めてても良いのかって。でも決めたぜ。私は死ぬまでこのままだ」

「……そう」

 

魔理沙の独白。

己の才能を捨てる覚悟。

いつもなら嫌味の一つでも言っているアリスだが、今宵だけは優しく頷いた。

たとえ魔理沙が憎かろうとも、アリスは知っているのだ。

魔法に対するひたむきな姿勢を。

日夜研究に没頭している情熱を。

そのあり方に、同じ魔法使いとしてアリスは敬意を払っている。

深く悩み葛藤し、己を犠牲にしてまで勝利を求めた。

その上で出した結論にケチをつけるなど、アリスにはできなかった。

 

「お前の言うことも確かだ。でもな、私に言わせりゃロマンに欠ける」

「……何がロマンよ。ほんと、馬鹿ね」

「やっぱり、弾幕はパワーだぜ」

「ブレインよ。この馬鹿」

「なんだと?この一人ぼっちめ」

 

……結局は言い合いになる二人。

しかし不思議と腹立たしくはなかった。

魔理沙の心に巣食っていた焦燥も苦悩も、夏に降る通り雨のように去っていってしまったのだ。

心を弾ますのは霊夢から奪った一機。

それは数にすれば小さなたったの一機だが、されど何よりも大きい高嶺の一機。

最大の目標に一矢報いてやったことが、魔理沙にとって何よりも嬉しかった。

自分の実力を、己の手でハッキリと示すことができた。

最後のスペルを放った時の霊夢の顔を、一生忘れる事はないだろう。

あの時の、確かに届いたという感触が今も手のひらに残っている。

 

「とはいえ……今回はもうリタイアだ。流石に動けない

ぜ」

「あんな無茶するからよ。自分を弾に使うなんて……」

 

魔理沙はまたアリスのお小言が始まったかと面倒くさく思う。

しかし、意外にもその話はすぐに終わる事となる。

原因はある一人の女が現れた事だった。

 

「っ!」

 

真っ先に何者かの接近を悟るのはアリス。

張り巡らせた人形の警備網がブザーを鳴らしたのだ。

すぐ近くまで誰かが来ている。

妖怪か、敵襲か。

手負を連れて応戦できるか。

頭の回転が早いアリスの脳内を、さまざまな懸念が駆け巡る。

そうしてすぐさま一つの結論に行き着いた。

もしも敵ならば、戦うしかないと。

 

「誰かしら?」

「うわっ!脅かすなよ!」

「……本当に誰よ貴方」

 

キリキリと高まった警戒心に間抜けな声が返事をする。

普通の背丈。

平凡な存在感。

見るからに普通の女。

少々やさぐれた感じこそあっても、気配はただの人間としか思えない。

妖気の類も、何一つ感じられない。

しかしそのあまりに場違いな反応が、かえって怪しかった。

尋問は静かに始まる。

 

「こんな所で何してるのよ」

「霧雨魔理沙という奴を探してるんだが」

「貴方の名前は?」

「あぁ、それもそうか」

 

ポケットに手を突っ込みながら、さも平然とその女は言った。

粗野な振る舞いに、お里が知れるわねとアリスは内心毒づいた。

 

「私は貴子。ただの妖怪退治屋だ」

「……妖怪退治? 怪しいわね」

「何でも良いよ。それより、霧雨魔理沙は知らないか」

「知ってたら何よ」

「今どこにいる」

 

その質問に、アリスは少し困った。

怪しいとは言えども一見はただの人間。

そこに、今自分の後ろで寝ている者を差し出していいかどうか。

あまりに素生も目的も分からない。

気配を断つ達人とは思えないが、こんな夜に彷徨い歩く時点で既に曲者。

はたしてどこまで信用できるか。

答え淀んでいると、貴子は付け加えるように言った。

 

「あー、パチュリーって言えばわかるって聞いたんだけど」

「……あの紅魔館の?」

「他にパチュリーがいるなら教えてくれ」

 

若干イラッとする物言い。

なぜ初対面のこんな人間に嫌味を言われなきゃいけないのだ。

少し攻撃してやろうかとも思ったが、しかしパチュリーの名を知っているとなると殊更に悩ましい。

実際、パチュリーはそれほど有名人ではない。

魔法使いという種の習性と、表に出たがらない当人の気性が相まってほとんど引きこもりだからだ。

館で働く者か魔法使い仲間でないとその名は知らないだろう。

だがコイツが魔法使いならば私とも面識があるはず。

となると紅魔館の使いか?

紅魔館は人間を雇わないと聞いていたのだけど。

色々と推測や疑念が飛び交う。

何と答えるのが正解か、どうにも不明な点が多すぎる。

そもそもなぜ魔理沙の為に悩まなくてはダメなのか。

そう思うと俄然腹が立ってきた。

こうなったらこんな怪しいやつ追い払ってやろう。

幸い一人で来ているらしい。

なら威嚇で十分だろう。

そう思いアリスは張り巡らしていた人形を手繰り寄せた。

しかし、せっかく意気込んだのにその目論見は失敗する事となる。

 

「私が……魔理沙だぜ」

 

魔理沙が立ち上がって名乗りを上げたからだ。

人が延々悩んでいたのに、こいつは全部台無しにする。

一人相撲で骨折り損したことに、アリスはため息をついた。

アリスに肩を借りながら魔理沙が貴子と対峙する。

 

「ん?アンタどっかで会った事あるか?」

「さぁ、居酒屋とかじゃないか?」

「いや、もっと衝撃的な……」

「思い出したら言ってくれ。アンタが魔理沙だな?」

「あぁ、そうだぜ」

「パチュリーから一つ伝言を預かって来た」

「アイツが?」

「あぁ」

 

貴子の狂言に疑念が浮かぶ。

魔理沙が知っている限りでは、パチュリーはとんでもなくドライな奴だ。

いつも、自分のやりたい事が済んだら話しかけるなオーラを出す。

まず間違いなく言伝などはしないようなタイプだ。

むしろ、会った時に言えば良いじゃないとか吐かす無粋な系統。

ますます疑念は勢いを増す。

 

「それで、パチュリーはなんて?」

 

色々悩んだが、返事はそれに尽きた。

あのパチュリーがわざわざ人をよこすなんて、一体どんな内容なのか。

検討がつかないし、良い予感はしない。

 

「一言一句そのままで伝えるぞ」

「あぁ」

「無茶するからそうなるのよ。さっさと家に帰りなさい……だそうだ」

「……あぁ?」

 

魔理沙の大きな目が、一層大きく瞬いた。

アリスもまた同様に驚いている。

たしかに今の状況からすればタイムリーな話だが、それにしてはおかしいからだ。

 

「その伝言は……いつ聞いたんだ?」

「今日の昼だ」

「……あんにゃろう」

 

魔理沙は口端を少しだけ上げて呟いた。

本当に……本当に嫌な奴だ。

全く、どこまで見透かせば気が済むのだろうか。

まるで全部お見通しみたいな態度。

つくづく気に入らない。

 

「さっさと家に帰れだぁ!?やなこった!」

「……事情はわからんがやめとけ」

「あぁ?」

「全身傷だらけじゃないか」

「こんなのかすり傷にもならないぜ!」

 

魔理沙はよろけながら吠える。

眠たそうだった瞳が、メラメラと燃え上がる。

 

「先を急ぐぞアリス!この異変は私が解決してやる!」

「やめときなさい!死にかけじゃないの」

「私は死なないぜ。何たってアリス。お前がいるからな」

「だとしてもよ!」

「不思議だぜ。今はちっとも死ぬ気がしない」

「馬鹿!」

 

魔理沙の胸ぐらを掴み上げて、かすかに声を震わしながら怒鳴るアリス。

クールにいる事こそを美学とする彼女だが、それは情緒に振り回される事の裏返しだ。

しばし沈黙を決めていた貴子の軽薄な口が開かれた。

 

「長いこと妖怪退治なんて仕事をやってたから分かる事がある。勇者ってのは臆病な奴だ。そして、怖くてしょうがない所へ恐る恐る突っ込んでいく事が勇気だ」

「私は勇敢なんでね」

「アンタのそれは蛮勇だ。若すぎる故のな」

「説教でもする気か?」

「見殺しにはできないからな」

「私は死なん」

「近くに風見幽香がいるぞ」

「なっ……」

 

貴子の言葉に反応し、全身の身の毛を震わすように愕然としたのはアリス。

他方で魔理沙はケロッとしている。

 

「風見幽香?何であいつがこんな所にいるんだ?」

「……そんなの私が知りたいね」

「……最近、幽香が人里に入り浸ってるって噂があった。怪しげな花屋をやってるって誰かさんが言ってたぜ」

 

その誰かさんというのが、アリスであることは言うまでもない。

そして……。

 

「そんでその花屋には余所者の人間がいるそうだが……まさか」

「……あぁ。私がその人間だ」

 

貴子こそが幽香を異変に招いた人物であることもまた言うまでもない。

第一級の迷惑野郎に、魔理沙はドッと爆笑する。

貴子はますますバツの悪そうな顔になった。

その顔をマジマジと見て、魔理沙はポンと手を叩く。

 

「やっぱりか!思い出したぜ!アンタ紅霧異変の時に紅魔館にいた奴だろ」

「何ですって!?」

「そんで春雪異変にも一枚噛んでるってな!」

「超危険人物じゃない!」

「なぁ、アンタは一体何者なんだ?」

「ただの不幸な妖怪退治屋だ」

 

そうとだけ言ってタバコを咥え貴子は黙る。

暗闇の中、月光を受けて煙だけが揺蕩った。

 

「ともかく、私はこれから幽香を探しにいく」

「何でだ?」

「嫌な予感がするんだよ」

「……なら、私もついて行くぜ」

「来なくて良い」

「アンタは危険人物だぜ。見張っとく必要がある」

「……迷惑な魔法使いだ」

「よく言われるよ」

 

そこから少し問答があり、結局魔理沙の決意を打ち砕くことはできず不本意にも三人は先へ進むことになった。

貴子にとっては三回目の、迷いの竹林へと。

 

 

 

 

二手に分かれた霊夢一行。

右へ進んだ霊夢は、四度目の曲がり角で立ち止まる。

 

「やっぱり……同じ道を歩かされてるわね……」

 

あまりにも内部が殺風景すぎて気付くのが遅れた。

しかし、壁に貼っておいた御札を誤魔化すことはできない。

 

「このお札は私のもの……とことん臆病な奴なのね」

 

呟きながら霊夢は勘案する。

最初からおかしいとは思っていた。

この屋敷はあまりにも偏狭すぎるのだ。

強者の住まいとは思えないほどに。

旅人を惑わし行く手を阻む竹林。

入ろうと思えば見えなくなる屋敷。

そして今立ち塞がっている、永遠に続く回廊。

どれも厄介だが、これらにはある一つの共通点があった。

それは、奥へ行こうとする者のみが術の効果にハマると言う事だ。

まるで蛸壺の逆。

中へ入れないが、簡単に出られる。

進もうとすれば進めない。

しかしそこに、拭えきれない違和感もあった。

隙間風にもよく似たその感覚は、どこかに突破口がある事を指し示している。

 

「近くにいるんでしょ?気配を隠しきれてないわよ」

 

虚空に向かって啖呵を切る。

しかし返答は耳が痛くなるような沈黙ばかり。

霊夢の憤りはますます募りゆく。

いっそ屋敷ごと吹っ飛ばしてやろうかしら。

そう思って、やめた。

ある閃きが頭を掠めたから。

 

「進もうとすれば戻る……だったら!」

 

霊夢は勢いよく振り返り、自分が進んできた道をフルスロットルで駆け戻った。

 

「ビンゴ!」

 

たった数十歩分進んだ先に、もっとも豪華に装飾された扉が現れた。

明らかに気配が違う。

 

「さぁ……行くわよ」

 

部屋へと近づく。

足で引き戸を蹴っ飛ばして、中へと乗り込んだ。

 

「……やっと会えたわね」

 

狭い和室。

しかし地球上のどこよりも広大な世界が広がっているような気がした。

その中央で鎮座する人物。

長くサラサラの黒毛を櫛でとかして、楽しそうに鼻歌を歌っている。

神か悪魔か、誰が望んだのか。

とうとう二人は対峙してしまった。

 

「幾重にも難題を出した。それらは全て貴方の心に起因する」

「は?」

「私は蓬莱山輝夜。黒幕よ」

「知ってるわ。名前は初めて聞いたけど」

「夜が明けないのは貴方の仕業?」

「何だって良いでしょ、そんなの」

「ふふふ……貴方は私の難題、全て解けるかしら?」

「違うわね。アンタが生き残れるかどうかよ」

「いとあわれ」

 

輝夜はゆっくり立ち上がった。

幾重にも重ねられた単を着ているのに、全く衣擦れの音すら立てず。

仇敵を睨むように、あるいは珍しいものを眺めるようにじっと霊夢のことを見る。

瞬間、重力が失われた。

 

「ここはっ!?」

「貴方は見た事があるかしら。宇宙というものを」

 

霊夢は咄嗟に後ろを振り返る。

青く光る丸い球がそこにあった。

 

「これは幻覚。でも限りなく現実に近い幻術」

「ふん、何でも良いわよ。ここが地獄だろうとあの世だろうと。私はアンタをぶっ飛ばす。それだけだもの」

「威勢よし!さぁ、月を惑わし夜明けを奪った不届き者よ!恐れを超えてかかって来なさい!」

 

空前絶後の大異変。

最終決戦の火蓋が落とされた。

 

 

 

 

一方で紫と幽々子。

こちらもまた最果ての部屋へとたどり着いた。

惑わされた霊夢とは対極的に、誘われるようにアッサリと。

 

「まるで案内されているようね。この部屋へ入れと言わんばかりに」

「よほど自信があると見える。行きましょう紫」

 

遠慮も躊躇もない。

あるのは熱烈な怒りと殺意のみ。

立て付けのいい戸を開けると、そこに女がいた。

足まであろうかという長い銀髪を一本に束ねて赤と青の服を纏っている。

薬を作る部屋なのか、ツンと鼻に刺さるような薬草の匂い。

その部屋の奥に女は正座して、傍には弓と矢が据えられていた。

 

「私の計算は寸分の狂いもない。幻想郷の賢者と冥界の主人がここにやってくる。どこまでも予想通り。退屈すぎて死にたくなるわ」

「お望み通り殺して差し上げますわよ」

「死ねないのもまた運命よ。貴方じゃ私は倒せない」

「あら、そうかしら?」

「月の賢者、八意永琳。ここで貴方達を討つ」

「囮だなんて健気な事ですわ」

 

囮という紫の言葉に、永琳の眉間が少しだけ跳ねる。

僅かに顔が険しくなった。

 

「だけど残念、囮も本命も退治されるのだから」

「姫様の所へ行くのは貴方達を殺してからでも十分間に合う。お茶を飲んでる暇すらある」

「霊夢が心ゆくまで舞えるように取り計らう。私の役目はただそれだけ」

「私を怒らせない事ね。鎮痛剤は切れてるの」

「ふふふ……御生憎様。私はとうの昔に怒り狂ってますわ」

「馬鹿に効く薬も処方しなきゃいけないみたいね」

「村八分目の医者要らず。貴方はここでお終いよ」

 

紫はパタリと扇子を閉じた。

ほぼ同時に永琳の攻撃が始まる。

瞬きさえできないような刹那の中で、僅かに動く右手を紫は捉えた。

 

「そうは行かないわね」

 

永琳の右腕を、何者かが掴む。

見ると空中に生じた隙間から綺麗な手が伸びてきている。

 

「ここではスペルがルールよ」

「……郷に入ればなんとやら、かしら?」

 

永琳の腕を掴んだ手は、腕もろとも隙間の中へと戻っていく。

振り払おうとした永琳だったが一歩遅かった。

隙間が消え、中に入っていた分の永琳の腕もまた消滅した。

肘から先の消滅。

だが、一瞬でその傷は完治する。

失ったのは手に持っていた弓。

早くも武器を失った永琳。

しかしそれすら計算済みといった顔で不敵に笑った。

 

「夜は永いの。焦らずいきましょう」

 

永琳と紫、幽々子。

賢者は拳を使わない。

たった一本の指で空中に文字を書く。

それだけの動き。

だがその一挙一動が空気を震わせ世界を揺らす。

目まぐるしい攻防の一つ一つが、恐ろしく美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

博麗霊夢は敗北を知らない。

鬼や天狗の跋扈する幻想郷であってなお最強の名声は彼女のものだろう。

強いから負けないのではない。

むしろ全くの逆。

無敗という事実が、彼女の強さに拍車をかけていた。

人里の中には彼女のことをこう呼ぶ者もいる。

「妖怪」と。

あるいは化物。

あるいは英雄。

あるいは……。

里民は何人たりとも、彼女のことを霊夢とは呼ばない。

表で巫女様と敬い、裏で妖怪巫女と恐れ罵る。

誰が言ったでもないのにある種の差別意識が根付いていた。

近寄り難い存在として、どんどんと孤立の一途を辿っている。

理解者を持たない彼女の孤独は何より深かった。

年端も行かない可憐な少女が背負うにはあまりに過酷で凄惨な宿命。

それでも逃げ出すことはできない。

己が博麗霊夢であるように、幻想郷は幻想郷だ。

妖怪が異変を起こし、それを巫女が解決する。

その一連が民に恐れを生む。

恐れは信仰を生み、信仰は異形の者達にとっての糧となる。

紫によって構築されたこのシステムには隙がない。

そしてその複雑に絡み合う歯車の中で不可欠なのが巫女の存在だ。

なぜ己が巫女なのかなんて知らないし興味もない。

知ったところで何が変わるというのだ。

むしろ、己が可哀想でたまらなくなるかもしれない。

だからずっと、盲目な無知を演じ続けるのだ。

灼熱に満ちた真実から必死に目を背け、呑気に生きるフリをして。

霊夢は神を信じない。巫女が神を否定するとは倒錯的だが、霊夢にとっては変え難い心境だった。

無神論者な訳ではない。神は存在するだろう。実際に何柱か見聞きしている。

では何を信じていないのか。

それは、力だ。

己の人生において神が何を施してくれたか。

神は私を救わない。救世主は偶像だ。

巫女の私が救われないなら、神もとうとう経営難だ。

神は居る。

だけど信じてはいない。

それが霊夢のスタンスであり、本音であり、絶望であった。

 

「戦いは無意味。勝利は苦痛。栄光への道は果てなき地獄。貴方はそう思っているのね?」

「あん?」

「心の中が手に取るように解る。攻撃の一つ一つが泣き叫びに聞こえるわ」

「幻聴よ。いい薬を教えてあげるわ」

「薬には困ってないわ。天才が居るんだもの」

「跳べるクスリは遠慮しとくわ。幻聴はごめんだもの」

「もう手遅れよ。とっくにトリップしているのだから」

「あんまり喋ると舌を噛むわよ。頭上に注意しなさい」

 

霊夢は上を指さす。

輝夜は緩慢な動作で見上げた。

 

「お札注意報よ」

「あなわびし」

 

煌めく弾幕を、日本舞踊でも舞うように軽やかに避ける。

様子見の攻撃ゆえ当たるとは思っていなかったが、あまりにも軽い手応えに苛立つ。

今度は輝夜の番だ。

 

「世にも愉快な焼かれる経験をさせてあげるわ」

 

そう言って輝夜は二回手を打った。

 

「……何も起きないじゃない」

「そう焦っては駄目よ。焦れぬ心を持ちなさい」

 

輝夜は不敵に笑う。

それと同時に、霊夢は己の身から熱を感じた。

あまりにも些細な変化。

しかし熱は勢いを増していく。

皮膚からチリチリと黒煙があがった。

最初は火照りのような温さだったが、段々と熱くなっていくのがわかる。

 

「っぐ!」

 

顔が歪む。

熱湯をぶっかけられたみたいに全身が熱い。

燃え盛る鉄板を押し付けられたかと錯覚する。

肉を焼いた時特有の、ジュウジュウという音がなる。

火炙りみたく、乾いた灼熱。

火力は止まることを知らない。

 

「まだまだ熱くなるわよ。どこまで我慢できるかしら?」

「ちっ……!」

「これは貴方の業よ。罪人はよく燃え盛るわね」

 

不味い。

体から生じる熱は回避不能。

幻覚なのは分かっている。

しかし、自分が紅炎の中にいるように思えて仕方がない。

汗が出た瞬間に蒸発する。

 

「まだまだ弱火よ。ほらほら、もっと我慢しなさい。人間なんでしょう?」

 

霊夢は息すら苦しくなる熱に苦しむ。

肺が焼かれてしまったか。

視界は白くなり、意識は闇に呑まれつつある。

輝夜が放ったのはたった一つの技。

それだけの技が、霊夢を死に追いやりつつある。

だが、霊夢は己のうちにもう一つの炎を灯す。

憎しみを火種に燃え盛るのは、怒りであった。

焼き切れそうになる精神の中で、霊夢はある事を誓った。

 

「ぶっ飛ばすっ……!!!」

「どこまで堪えられるかしら」

 

火力が増した。

指先から焦げ臭い匂いがする。

もはや火傷の一歩手前。

体の中の脂が燃えつつある。

これは本当にやばい。

肉体の悲鳴が克明に聞こえてくる。

 

「こういう時に言ってみたいセリフがあったのよ。永琳に隠れて読んでた漫画のね」

 

輝夜は愉快そうに笑う。

目の前で苦悶に悶える人間を見てその笑みは深みを増す。

 

「今のはメラではない。メラゾーマだ!」

「バーカ。逆だぜ」

「っ!」

 

喉が焼かれて声が出せない。

カラカラの断末魔が微かに出せるか出せないか。

それでも霊夢はたしかに叫んだ。

その者の名前を。

 

「魔理沙っ!」

「私がいなくて心細かったようだな。霊夢」

 

軽口を叩きつつ、魔理沙は霊夢にむけてある魔法を放つ。

青い残像を纏いながら直撃したそれは、燃えさかる霊夢から急速に体温を奪った。

 

「っさむ!」

「隠居もやしが役に立ったぜ。水符なんてガラじゃないがな」

「……熱が、引いた?」

「あの技は精神を焼く技。物理的に冷やしちまえばそれまでだぜ」

「……詳しいわね。それもパチュリー?」

「いんや、私の研究だ。さぁ、反撃と行こうぜ!」

 

発破をかけて魔理沙は弾幕を展開した。

真っ暗な宇宙空間で飛び回る彗星はさながら銀河。

それらが流星群のように輝夜を狙い撃つ。

しかし輝夜に攻撃は通らない。

当たる寸前で全てが炸裂した。

まるで見えない壁でもあるかの如く。

輝夜の不敵な笑みはますます深くなる。

魔理沙は素直に驚嘆した。

 

「何だ?避けてすらいなかったぞ今!」

「……あれは結界よ!攻撃は全て防がれるわ!」

「けっ!なら防ぎきれないくらいの技を撃つまでか!」

 

両手でミニ八卦炉を構える。

輝夜との距離は遠い。

この間合いで魔法を命中させるのは至難の技。

狙いを澄まして放たなくてはならない。

魔理沙は指先に集中する。

輝夜は攻撃を放った。

しかし先程輝夜がやったように、今度は魔理沙が身動き一つ取らなかった。

 

「霊夢!援護頼むぜ!」

「もうやってるわよ!」

 

お札を放ち、魔理沙に強力な結界を張る。

輝夜の攻撃は当たる寸前で全て迎撃された。

 

「あと少しだっ……!持ち堪えろよ!」

 

されど止まぬ輝夜の猛攻。

結界にヒビが入る。

あと数撃で打ち破られるのは一目瞭然。

輝夜が先か、魔理沙が先か。

……レースを制したのは魔理沙だった。

ミニ八卦炉に白光が灯る。

 

「マスタースパークッ!!!」

 

一筋のレーザーが闇を切り裂いた。

 

「愚かね。結界は無敵よ」

「生憎、私の魔法も無敵だぜ!」

 

眩い閃光が一瞬にして輝夜の鼻先まで届く。

またしても避けようとしない輝夜。

 

「っ!」

 

マスタースパークは、輝夜の肩を撃ち抜いた。

 

「ふぅ……その結界は誰が組んだのよ。面倒な式だったわ。お陰で穴一つ開けるのも一苦労よ」

「お前の体に風穴を開けるのは簡単だったがな!」

「人間が……面白いじゃない!」

「マスタースパークも苦労したぜ。なんせこの距離からあんな穴を通さなくちゃならないんだからな」

 

魔理沙はミニ八卦炉の発射口から登る硝煙を息で吹き消して懐にしまった。

 

「だから発射時に螺旋回転を加えて速度と精度を上げたんだ。ライフルみたいにな」

「輝夜だっけ?世間知らずそうだから言っといてあげるわ」

 

魔理沙は帽子を被り直し、霊夢は腕を組む。

そして二人で輝夜を指差して言った。

 

「人間を舐めるな!」

 

輝夜は己の体に空いた穴を手で押さえる。

一秒もたたずにその穴は塞がった。

 

「貴方達が苦労して付けた傷もあっという間に治る。元から勝ち目なんてないのよ」

「ここは殺せば勝ちじゃないぜ。死なないくらいでいいハンデだがな」

「退屈しないわねぇ。それなら次は水攻めと行こうかしら」

「やめとけ。もうお前の技の弱点はバレてるぜ」

「弱点?私にそんなものは存在しないわ」

「あるんだよそれが。言ってやろうか?お前の技は一人にしか効果が無い……だろ?」

「……っ!」

「サシなら勝てないかもな。だが人間は群れるもんだ。遠慮なくいかせてもらうぜ」

「……はぁ」

 

魔理沙の鋭い指摘を受けて、輝夜が見せた表情は苛立ちであった。

それはハッキリとした失望の色。

期待を裏切られたようなため息をつく。

 

「技で遊ぶくらいが面白いのに……あーあ。退屈させてくれるわね。まぁ、私にこの力を使わせたんだから、褒めといてあげるわ」

「あ?」

「走馬灯は見終わった?最後の世界をしかと堪能しときなさい。成仏できるようにね」

「自分の不利を認められないのか。哀れなやつだぜ」

「かくは痴れ者なり」

 

その一言はもはや溜息に近いもので、血の湧いている魔理沙からすればずいぶんと腹立たしかった。

輝夜は僅かばかりも動かず、瞳孔の開いた無機質な眼で魔理沙のことをただ見ている。

一切の色がない不気味な表情に、体が強張った。

まるで蛇に睨まれた蛙のように、指先を微かに震えさせることしかできなくなった。

息がしづらい。

この重圧は、何か。

まるで巨大な惑星が自分に降りかかっているかのような。

圧倒的強者のプレッシャー。

魔理沙は気持ちを入れ替えるため、たった一回の瞬きをした。

たった一秒にも満たないその僅かな時間は、戦いにおいて命取りといえる。

輝夜の右腕が、魔理沙の鳩尾を捕らえている。

 

「さようなら」

「っ!」

 

拳が、魔理沙の腹部を貫いた。

軋むような音が聞こえる。

背中から輝夜の拳が現れ、クタリと魔理沙の体から力が抜けた。

 

「……これは……綿?」

 

引き抜いた右腕を見て、輝夜は戦慄した。

たしかに体の中心を貫いたはずの右腕に。

一滴も血がついていなかった。

 

「気付くのが遅かったな!」

 

輝夜は足元である一点の光に気づく。

それは魔理沙のミニ八卦炉であった。

 

「っなぜ貴方が二人も!」

「人形だぜ。私にそっくりのな」

「っく!」

「あばよ!」

 

ミニ八卦炉から、今までの何よりも強く煌めく光線が放たれる。

その直径は、輝夜の体よりもゆうに大きい。

 

「ファイナルスパークッ!!!」

「……それしきの光!ただ横に避ければ終わりよ!」

 

輝夜は先程魔理沙に近づいたときみたく、まるで時でも止めたかのような瞬間移動をした。

 

「柔よく剛を制す。所詮は一筋の浅知恵かな」

 

余裕綽々、傲慢不遜に顎をひけらかして高らかに笑う輝夜。

もはや育ちの良さよりも、底の知れない悪意を持った吐き気を催す邪悪だけが表に出ていた。

 

「……忘れたのかしら?蓬莱山輝夜」

「は?」

 

霊夢が魔理沙の背後から現れる。

ミニ八卦炉を持つ魔理沙の手に、霊夢の手が重ねられていたのだ。

 

「柔よく剛を制す。その通りね」

「ふん、負け惜しみ?」

「覚えてないの?」

「何をかしら?」

「私の弾は、ホーミングするのよ」

「……まさかっ!!!」

「避けられなどしない!これで正真正銘の終わりよ!」

 

ファイナルスパークは軌道を変えて輝夜に再び襲いかかった。

反応の遅れた輝夜は、正面からそれをまともに受ける。

 

「いっけぇぇええ!!!」

 

霊夢と魔理沙の叫びがこだまする。

宇宙空間を模した輝夜の幻術。

果ての見えぬ景色。

ファイナルスパークに押され、その天井に輝夜は打ち付けられる。

されど止まらない。

勢いそのままに天井をぶち抜いた。

まるで光を纏う竜。

その閃きは部屋の屋根に大穴を開ける。

屋敷の天井をぶち抜きながら打ち上げられた輝夜。

永遠亭上空。

満月の逆光で、彼女の影だけが鮮明に映った。

 

 

永遠亭 頂上決戦

 

勝者 魔理沙と霊夢

敗者 蓬莱山輝夜

 

永夜異変 終幕

 

 

 

 

「……私たちの負けね」

「……どうやら霊夢がやってくれたみたいね」

「姫様はこの屋敷から出された。それは私たちの敗北を意味する。これ以上戦う必要はない」

「賢明な判断で助かりますわ」

 

混戦を極めたこちらの戦い。

輝夜の没落を受けて、永琳は弓手を下げた。

紫の隙間から現れた藍がその両手にお札を貼る。

 

「しばらく拘束させてもらう。安心しろ。抵抗しなければ何もせぬ」

「姫さまっ……どうかご無事でっ……」

 

永琳はその場にうずくまり、険しい顔をしながら目を閉じた。

 

「……霊夢は無事かしらね」

 

紫はスキマを使って、霊夢のところへ向かった。

幽々子はそれについて行かなかった。

 

「妖夢が何処かに居るはずなんだけど、知らないわよねぇ」

 

永琳に向かってそう問いかける。

藍がそばに立って怪しい動きをせぬよう見張っているとはいえ、あまりに無警戒だ。

その行動に藍は肝を潰すが、幽々子には他人の殺気を感じ取れる能力がある。

永琳からはその類を感じられないと見えた。

 

「私が知ってるウサよ!」

「……だれ?貴方」

「幸運の兎、因幡てゐだよ」

「そう。それで妖夢はどこ?」

「まぁまぁ、ついてきなよ」

 

てゐの先導に幽々子は従い去っていった。

残された藍はその場で永琳と二人きりになった。

熱帯夜だというのに、冷や汗ばかりが流れる。

藍は先程の戦いをスキマ越しに直で見ていた。

その戦慄がまだ抜けないのだ。

あまりの激闘に衝撃を受けた。

幻想郷のトップクラスが二人がかりでようやっと互角。

あまりに圧倒的すぎる力。

もし今ここで暴れられたら、止められるわけなどない。

藍は己が最強に近い実力者である自信があったし、紫の式として事によっては誰であっても勝つという覚悟があった。

藍の覚悟はけっして生半可ではなかった。

正しく命を賭けていた。

その藍が、一歩も動けなかったのだ。

目で追うことすら困難な技の応酬。

水面下で繰り広げられる何百手先までも見据えた読み。

一撃一撃が藍にとって奥義級の技。

軽々しくそれを放ち、そして避けて、受けて、返す。

藍はただ見ていることしかできない自分が醜く、恨めしかった。

 

「貴方が私の見張り?」

「…………」

「私を抑えられるとは思えないけど。暴れる気はないから安心しなさい」

「…………」

 

藍は永琳からの問いかけを全てシカトする。

それは敵意ではない。

むしろ、ある種のリスペクトがあった。

己のような臆病な者が話をしていい訳ないという反省。

それと同時に、恐怖があった。

たった数言話してしまうだけで、自分の中の恐れや怒り、心中を全て見抜いてしまいそうな底知れなさを永琳は持っていた。

己がひどく怯えている事に聡明な藍が気づいていない訳がない。

だからこそ、それが何より情けなかった。

 

「……これは」

「おい、怪しい動きをするな!」

「……ねぇ、貴方も少しは手練れとお見受けしたのだけど、一つ聞いてもいいかしら?」

「何だ」

「人間が妖怪になった場合の処遇はどうなるの?」

「……その場合は問答無用で死だ。人が妖怪になることは最も罪が重い」

「そう。だとすれば仕事の時間ね」

「……どういう意味だ」

「妖怪が出たわ。もしくは大罪人がね」

「何だと!?」

 

怒鳴りながら藍は立ち上がった。

永琳は落ち着き払いながらも、何処かを見つめながら溜息をついた。

 

「全く……貴子ったら、何をしてるのよ……」

「貴子? まさか、貴子と知り合いなのか!?」

「えぇ。知り合いも何も、今回の引き金は彼女よ」

「何だと!またアイツが関わっているのか!」

「それより急がなくていいの?貴子とどういう関係かは知らないけど、あの子妖怪になりかけてるわよ」

「……貴様を一人にはできない」

「だから、同行すればいいでしょう。どの道、私がいた方が都合がいいと思うわよ」

「貴様……何を企んでいる」

「何も企んじゃいないわ……ただ、貴子は姫様のお気に入りなのよ。それが殺されるのは困るわね。私の患者でもあるし」

「……案内してもらおう。あの馬鹿は何処にいる」

「着いてきなさい。少し急ぐわ。ものの五分でつくわよ」

 

永琳は立ち上がり、屋敷の外へと急いだ。

複雑に入り組んでいたはずの屋敷が簡単な間取りに変わっていたが、そんな事は意に介さない。

藍にとっての問題は、もっと別の所にあった。

永琳のことを信用するわけなどないが、貴子の名を出されてしまうと話が変わってくる。

何せ、貴子は赤マルの要注意人物だ。

過去二度にわたる異変でも関連性を疑われているし、先の春節異変では実際にその姿を確認している。

それが今回もとなると、事は一刻を争う。

しかも、永琳によれば貴子は妖怪と化しているらしい。

これは貴子だからというわけではなく、一大事だ。

人間が妖怪になることは滅多にない。

それは紫が妖怪と人間の境界を厳粛に調整し、監視しているからである。

それでも時折その掟を破る者がいる。

そう言った無法者は皆殺してきた。

当人が本意であろうと不本意であろうと、妖怪と化してしまった人間に命は無いのだ。

今回は貴子の出現と人間の妖怪化。

二つの事件が重なって同時にきた。

これを解決せねば異変の幕は閉じられないだろう。

今、紫も幽々子も霊夢もいない。

すなわち自分が解決せねばならない。

普段なら雑作もない事だろうが、敵を見張りながらというのはイレギュラーだ。

果たして自分にこなせるかどうか……また、貴子は風見幽香との目撃情報も多い。

もし風見幽香がいた場合、交戦になる可能性が高い。

自分に奴を倒せるか……。

藍は無言で心の帯をキツく締め直した。

永琳はその様子を見て、少しだけ微笑んだ。

その意図は、本人にしか分からない。

 

 

 

 

 

「……なぁ霊夢」

「何よ」

「私たち、勝ったんだよな」

「……えぇ、そうね」

「そうか……そうだよな。勝ったんだ。異変を解決したんだ」

 

魔理沙は地面にぶっ倒れながら握り拳を上げる。

霊夢もその隣に腰を下ろして、瞼を閉じた。

 

「……それにしても、あっついわねぇ」

「あの術に比べりゃマシだろ?」

「暑さの種類が違うのよ」

「我慢しな。もう魔力は残ってないぜ」

「残念。もう一回あの技を使って欲しかったんだけど」

「ありゃ強力だからな。生身に撃ったら怪我するぜ」

「魔法ってのも不便ねぇ」

「アリスに頼めよ。魔力は有り余ってるだろうからな」

 

魔理沙はそう言って目線で示したが、アリスは手をヒラヒラと振って拒否する。

 

「ダメ。私もクタクタ」

「なんでお前が疲れてんだよ」

「アンタたち二人分の囮を作ったのよ? それも人形なしで」

 

アリスが言っているのは、先程の戦いで現れた偽物の魔理沙たちだ。

輝夜がドテッ腹を殴り抜いたにも関わらず、倒れるどころか血すら流さなかったもの。

 

「たかだか人形を作るだけの魔法だろ?お前なら雑作もないと思ってたんだがな」

「作るだけならね。それを動かすとなると結構神経使うの。それに……」

「なんだ?」

 

アリスは指を何度か開いたり閉じたりして、それから溜息をついた。

 

「輝夜の攻撃で吸い取られちゃったのよ、魔力」

「そんな技だったのか?」

「尋常じゃなかったわね。とんでもない引力。まるでブラックホールみたいだったわ。今日が満月じゃなかったらどうなってたか」

「お前に囮を頼んで正解だったぜ。私が喰らってたら即死だ」

「あんな危険な作戦、二度と御免よ」

「言ったろ?お前がいるんだから私は死なないってな」

「私が死ぬ所だったわ。ほんと迷惑」

「生きてるんだから文句は言いっこ無しだぜ」

「はぁ……連れてこなきゃ良かった」

「……そう言うな。結構、感謝してるんだぜ。お前が私を連れ出したこと」

「何よ急に」

「二度は言わないぜ」

「はぁ……まぁ良いわ。今日はもうクタクタ。さっさと家に帰って眠りたいわ」

「同感だ」

 

魔理沙はアリスの手を借りながら起き上がり、服についた土を手で払った。

帽子を被り直して、箒に跨る。

 

「じゃあな霊夢」

「えぇ、おやすみ」

 

そう言って、家に向かい飛び立とうとした矢先。

魔理沙は目を見開いた。

眠気が失せるような光景だった。

 

「何だありゃ!」

「どうしたの?」

「妖怪……か?分からないが、何かが暴れてんだよ」

「……マジ?」

「嘘だったら嬉しいか?」

「えぇ。歓天喜地だわ」

「そりゃ残念だ」

 

魔理沙は少し申し訳なさそうに呟いた。

その意味を理解して、程なく霊夢も絶望する。

 

「知らないふりして帰りましょ」

「名案だな」

「珍しく三人の意見が合ったわね」

「駄目に決まってるでしょう?」

「ダメか……ならしょうがない」

「魔理沙とアリスはもう帰っても良くてよ」

「そりゃ良かった。じゃ、頑張れよ霊夢」

「えぇ!何で!……って、いつの間にいたのよ紫」

「さっき来たばかりよ」

 

宙に浮かぶ隙間から長い金髪が姿を表す。

そこから顔を出したのは、若干疲れたような表情の紫だった。

 

「元凶は倒したみたいね。良かったわ。幻想郷は救われた」

「まだ仕事が残ってるみたいだけどね……」

「すぐに終わるわ。行きましょう」

 

魔理沙が小さく手を挙げる。

 

「……私たちも行くぜ。毒をくらわばって奴だ」

「私たちって、私を入れないでよ!」

「ここまで来たら最後まで見届けようぜ」

「嫌よ」

「あっそ。ならさっさと帰りな」

 

霊夢と紫の後を追っていく魔理沙。

一人残されたアリスにぽつねんとした空気が舞う。

 

「……行くわよ!行けば良いんでしょ!」

 

 

 

 

幻想郷における大罪。

それは三つ。

博麗の巫女を殺すこと。

人里の人間を殺すこと。

人間が妖怪と化すこと。

どれか一つでもしでかせば、巫女か賢者が飛んでくる。

秩序の平穏を守るための鉄則。

それを破った者に待ちうけるは、無慈悲な死のみ。

 

「……どうしてこうなったかは聞かないわ。過程なんてどうでもいい」

「有るのは今この瞬間の現実だけ。実に愉快で残酷ね」

 

霊夢と紫から出た言葉は、ただそれきりであった。

紫はスキマを多数繰り出し、霊夢もまた呪詛を詠んでいる。

 

「驚いた。まさかとも思わなかったぜ」

「人非人の成れの果てね」

 

少し遅れて到着した魔理沙とアリス。

遠くに浮遊しながら事の結末を見届けんとする。

 

「さぁ、一体何があったんだ。話してもらおうか。レミリア」

「……分からない」

「何で、貴子が暴れてんだ」

 

騒ぎの中心で暴れ回っている妖怪は、低い地響きのようなうめき声を上げた。

その妖怪の姿形が、魔理沙の知る貴子のものと瓜二つだったのだ。

 

「幽香と貴子が合流したの。そしたら貴子の様子がおかしくなった。原因は分からない……いや、一つだけ考えられる事が有るわ」

「何だ。言ってみな」

「貴子には私の妖力が入っている……パチェの魔力も、おそらくはあの亡霊の霊力も……」

「……だからどうなんだ?」

 

キョトンと首を傾げる魔理沙に、やれやれと言いながらアリスは捕捉した。

 

「貴子……だったっけ。体の中にそんな物騒な物が流れてたんでしょ?空を見なさい魔理沙。今日は何の日?」

「……満月か!」

「そう。体の中にあった強大な力。そして妖怪の力を強める満月。そして……幽香に出会ったことが起爆剤になった」

「その通りよ」

 

不意に、三人のものではない冷たい声がする。

けして大きく無いはずだが存在感のある声は、アリスと魔理沙に戦慄を走らせた。

 

「誰だ!」

「八意永琳と言う者。そこの魔法使いさん。今の説明はおおむね正解よ。ただ一つ抜けていることがある」

「……何よ」

「それは、貴子の中には元から何かが眠っていたという事。それが何かは分からないけど、それが目覚めてしまったのよ」

「そう……あの人間にねぇ」

「人間は見かけによらないわね」

「……それで、貴方は何しにきたの?手錠なんかハメて」

「本題はここから。貴子は今妖怪と化している……いや、なりかけている、が正しいわね。おそらく意識はない。けれどもしこのまま妖怪になれば殺されてしまうわ」

「へぇ、そりゃ大変だ」

「ここに一発の弾がある。これを鈴仙という兎に渡してきてくれないかしら。私は生憎、コレだから」

 

そう言って、結界で固められた両手首を示す。

 

「弾?どうするつもりだ」

「鈴仙なら分かるはずよ。この弾の意味が」

「……よし、分かったぜ。鈴仙だな」

「感謝するわ。鈴仙はあそこにいるはずだから。頼んだわ」

 

魔理沙は永琳から手のひらに収まる大きさの物体を受け取る。

そして箒に跨り飛び立った。

 

「……貴方は行かないの?」

 

永琳は意地悪くアリスに問いかける。

アリスは髪をかき上げながらつっけんどんに言った。

 

「さっきからそこで黙ってる狐が、二人っきりにしないでくれって訴えてるのよ……それに、ああ言う仕事はアイツみたいなのにやらせれば良いの」

「面倒くさがりなのね」

「合理的と言ってちょうだい」

 

 

 

貴子が尋常では無い目つきで辺りを睨む。

囲むのは三名。

風見幽香。

博麗霊夢。

八雲紫。

それぞれが強烈な攻撃を放っている。

しかし貴子は容易くそれらを躱した。

 

「何であんな力を……不味いわね」

「霊夢!結界の準備をなさい!」

 

紫の指示を受けるよりも早く霊夢は動き始めている。

戦い方を仕込んだのは紫。

一手先の指示くらい聞かずともわかる。

だが、戦況は揺れた。

 

「勝手な事を言わないでくれるかしら」

 

風見幽香が右ストレートで八雲紫を殴り飛ばしたのだ。

竹林を薙ぎ倒しながら吹っ飛ぶ紫。

霊夢は結界の展開を止めて臨戦態勢を取る。

そこで幽香は、己の右肘から先がないのに気づいた。

 

「チッ、スキマが……」

「どういうつもりかしら。風見幽香」

 

スキマから紫が現れる。

どこまで吹っ飛ばそうと関係のない事なのだろう。

幽香もまた右腕を再生し舌打ちをする。

 

「コイツは私のモノ。コイツを殺していいのは私だけなのよ」

「掟破りは見逃せないのよ。たとえ誰のモノであっても」

「部外者が手を出すな」

「あら、こちらの台詞ですわ」

 

幽香は傘先を紫に突きつけ、元から鋭い瞳を一層吊り上げて睨みつけた。

戦いは三つ巴の様相を見せていく。

 

 

 

 

「……んん?」

 

鈴仙は目覚めた。

何者かに己の肩が叩かれているのだ。

 

「ふぁぁあ……ししょー、もうあさですか?」

「何寝ぼけてんのよ」

「っ!」

 

咄嗟に飛び起き、手を拳銃の形にする。

そしてそれを肩を叩いていた主――咲夜に向けた。

しかし咲夜は諸手を挙げて先頭の意思はない事を示す。

隣にいた魔理沙が鈴仙にあるものを投げ渡した。

それは永琳から受け取ったものだ。

 

「お前が鈴仙だな?それはお前の師匠から受け取った者だ。お前に渡せば分かるはずだってな」

「これは……」

「分かったか?私にはさっぱり分からん。弾丸か?」

「違うわ。これは……薬よ」

「薬だぁ!?」

「えぇ……そういう事ね。分かったわ!案内して!」

「よしきた!後ろ乗ってけ!」

 

魔理沙が箒に跨り、その後ろに鈴仙も飛び乗る。

フルスロットルで屋敷を飛び去った。

妖夢と咲夜も飛ぶ体制を取る。

飛び立つ寸前で妖夢が咲夜に声をかけた。

 

「……傷は大丈夫?」

「あら、お優しいのね」

「……私の落ち度だから」

「うふふ。気にしなくて結構よ。これでも強く育てられてますの」

「……そうか」

 

そう言ったやり取りを経て、後ろから咲夜と妖夢も同行する。

激戦地へと、ものの数分でたどり着いた。

 

 

 

 

 

幽香が放つ、紫の顔面目掛けての回し蹴り。

紫は緩慢な動きでその蹴りを止める。

紫は貴子にも幽香にも攻撃をしない。

ただ受け続ける。

攻撃をするのは……

 

「無双封印!」

 

霊夢だ。

お札の波を貴子はすり抜け、霊夢に向かっての正拳。

首先で躱し、その顔面にお札を貼り付けた。

しかし、貴子の攻撃は止まない。

 

「妖怪封じのお札が効かない……」

「動揺してはダメよ霊夢。封印して動きを止めなさい」

「……分かってるわよ!」

 

不意に、甲高い音が響く。

まるで何か高速の物体が空気を切り裂くような。

 

「待たせたなぁ!」

 

音の主は魔理沙であった。

鈴仙がその後ろで貴子に狙いをつけている。

 

「貴子に隙を作って!」

 

鈴仙はそう叫ぶ。

それが自分に向けられたものだと理解して、霊夢は顔に筋を入れる。

 

「しぶといわね!」

 

霊夢は、次の攻撃は右足での蹴りであると予測した。

しかしその予想は外れる。

 

「っ!?」

 

事実貴子は蹴りを出そうとしていた。

しかし、足が地面から離れなかった。

足に紅い槍のような物が刺さっていたのだ。

 

「手出しは無用だと思ったが、運命が変わった」

 

レミリアは空中で尊大にものを言う。

手からは、紅い魔力が立ち昇っていた。

 

「レーヴァテイン。右足は封じたぞ」

「あら吸血鬼さん。奇遇ね」

 

対面で幽々子が扇を広げる。

見ると貴子の左足には、黒い蝶が載っていた。

両足を封ぜられ、貴子は身動きを取れなくなる。

霊夢はそこに、一枚のお札を貼った。

 

「動きは止めた!効果は短いわ!急ぎなさい!」

 

鈴仙は魔理沙の箒の上から、永琳からもらった丸い薬を人差し指と中指で挟み、手を拳銃の形にした。

左手を右手に添え、片目を閉じ狙いを澄ます。

 

「…………」

 

銃声。

静かな竹林に、余韻を残して鳴り響く。

硝煙を上げながら鈴仙はダラリと脱力した。

霊夢は貴子に近づこうとする。

 

「近づいてはダメよ!」

 

紫が叫び霊夢の足を止める。

霊夢の鼻先を貴子の腕が掠めた。

 

「っ効いてないの!?」

 

霊夢は責めるような眼差しで鈴仙を見る。

鈴仙は焦点の合わぬ目で震えながら言った。

 

「外した……私が攻撃を……」

 

己の手を見ながらブツブツと言い続ける。

霊夢はそれに一瞬気を取られて、後ろを見逃してしまった。

 

「幽香!何をっ!」

 

幽香が貴子の肩を掴む。

そして顎に手を添えた。

 

「……まさか」

 

幽香の口には、鈴仙が外した薬がくわえられていた。

幽香は貴子の顔を上げ、その唇に己の唇を重ねた。

 

「っ!」

 

しばらくの間、その奇妙な光景を黙って見ることしかできない周りの者たち。

体感では長く、実際には短かったであろうその出来事はようやく終わる。

貴子は口移しで薬を飲まされた。

そして地面にぶっ倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……んん。

あぁ、朝か?

何だか全身が無茶苦茶に痛い……また呑みすぎたんだっけか。

……いや、違う。

昨日私は異変に出て、それで……。

 

「ここは……迷いの竹林?」

 

寝そべっている床が、いつもの安い布団じゃなく土だ。

何があったんだっけか……。

 

「起きたか?」

「……魔理沙か」

「こんな所で寝るなんて随分変わってるな」

「そう言う気分だったんだよ」

「へへ、アンタはやっぱり面白いぜ。ほら、これを受け取りな」

「何だ?」

 

これは……紙だな。

特に変哲もない。

 

「招待状だ。今夜博麗神社で宴会をする」

「宴会?なんで私が」

「異変に関係した奴はみんな呼ぶ決まりなんだよ。死んだり生き返ったりしてアンタは来れてなかったけど」

「……分かった。幽々子とかも来るんだろ?」

「あぁ、来ると思うぜ」

「久しぶりに会いたいからな」

「……本当は昨日会ってるんだけどな」

「ん、何か言ったか?」

「いや、何でもないぜ。そんじゃ、隣にいる奴にも言っといてくれな」

「……隣?」

 

隣に誰かいるのか?

こんな野原で寝っぱらう間抜けが私以外に居ないと思うが。

一体誰が……。

 

「っ!」

 

可愛い寝顔。

慎ましい寝息。

そして凶悪な緑髪。

 

「幽香!?」

 

何で幽香が!

いや、そもそも何で私がここに居るのかも分からないが……。

それに幽香の拳。

血塗れ……。

私は思わず叫んでしまった。

そしてそれは失敗だった。

 

「……もう朝?」

「……多分昼だ」

「そう……」

 

心なしか普段よりも高い声。

予想は思わぬ形で外れた。

朝から殺されるかと思ったが。

思えば私は幽香の寝起きを見たことがなかった。

だから目の前でボーっとしている幽香は目新しかった。

不意に一つの悪戯心が湧く。

 

「なぁ幽香、何で私たちこんな所に居るんだ?」

「……あら、覚えてないの?」

「あぁ、全く」

 

幽香が起き上がり私の横に座る。

その目には敵意こそないが、それよりも有害な何かがあるような気がした。

 

「こう言うことよ」

「っん!?」

 

幽香の顔が、今までのいつよりも近かった。

それはもう、唇同士がくっつくくらい。

あぁ、柔らかい……じゃなくて!

 

「っ何してんだ!」

「昨日のこと覚えてないの?」

 

昨日!?

何で昨日の私は幽香とキスしてるんだ……。

こんな場所で二人並んで寝っ転がって……それに幽香のこの反応……。

まさか……まさかまさか。

私、やっちまったのか……?

そんなわけないだろ……ないよな?

 

「なぁ幽香」

 

幽香と目が合う。

明らかに、以前のものとは違う眼差しであった。

日光の加減もあってか知らないが、頬が赤らんでいた。

私の頬から血の気が引いて真っ青になっていくのだけがよく分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

博麗神社。

いつも誰も居ない侘しい所。

だが今夜の博麗神社は格別に騒がしかった。

妖怪、亡霊、蓬莱人。

多くの人外がそこに集まって宴会をしようと言うのだ。

それはそれは喧騒の夜となることだろう。

 

「はぇー、こりゃ凄いなぁ霊夢」

「こんなの面倒なだけよ」

「知り合い全員来てるんじゃないか?」

「アンタが馬鹿みたいに招待状配るからでしょ」

「良かったじゃないか。人が集まるってことは人気の証拠だぜ」

 

霊夢は賽銭箱の前に座りながら一つ溜息を吐く。

そして、鳥居の奥にある人間を見た。

 

「ここが博麗神社か……初めて来たな」

 

貴子が鳥居をくぐった。

一層、中の盛り上がりは増したように思えた。

その後ろから幽香が姿を見せる。

一気に、全員が押し黙った。

 

「とりあえず霊夢に挨拶か」

 

貴子が霊夢に近づいてくる。

 

「アンタも大変だな」

「ええ、誰かさんのせいでね」

「これは差し入れだ。後で皆に出してくれ」

「ん、分かったわ」

 

それだけ言って、霊夢は手をひらひらとふる。

さっさと行けのサインだ。

貴子は境内へ出て、宴会へと混ざっていった。

 

「……アンタも行きなさいよ幽香」

「私は他の奴と馴れ合う気は無いの」

「ふーん。そう言うのなんて言うか知ってる?」

「何よ」

「コミュ障ってのよ」

 

黙って聞いていた魔理沙が、ケケケっと笑った。

 

 

 

 

 

 

宴会は進み、全員が程よく出来上がってきたころ。

幽香と貴子は二人で月を見ながら酒を呑んでいた。

 

「……思えば、ヤクザに脅されたのが全部の始まりだったな。それからこうして色々あって、お前と酒を呑んでるんだから人生は不思議だ」

「そうね……」

「今夜は死ぬくらい呑もう。こんな楽しい宴会は滅多にない」

 

幽香はお猪口を傾け、そして言った。

 

「……ねぇ貴子」

「ん?」

「……月は、今でも綺麗かしら?」

「今夜の月は綺麗だ。多分、明日もな」

「でも、表面は歪なのよ」

「それを含めて綺麗なんだよ」

 

幽香は珍しくその鉄面皮を崩して苦笑いをした。

酒が入っていたからかもしれない。

 

「意味なんて理解してないでしょう」

「……そうだな。少しも意味がわからん」

「やっぱり。学がないわね」

「でも分かることがある。例えどんな形をしてようと月は綺麗だ」

「そうね」

「私は殺されそうになったとしても、そんな月が結構好きだ」

「……っ」

 

幽香が貴子のことを驚いたように見る。

貴子は恥ずかしそうに、しかし誇らしげに笑った。

 

「乾杯だ。幽香」

「……乾杯」

 

コツンと小気味の良い音が鳴る。

貴子に一本取られた幽香。

酒のせいか、幽香の顔はますます赤くなった。

博麗神社はますます盛り上がっていく。

異変を起こした側も解決した側も、肩を組んで歌を歌っている。

宴会は、いつまでも続いた。

 

 

 

月光は神社を照らす。

死ねない少女と頑固な寺子屋の教師を。

天才巫女と努力家な魔法使いを。

月の賢者を。

スキマ妖怪を。

吸血鬼にメイド、門番にもやし。

亡霊、庭師。

そして……。

 

月光は二人を照らす。

まるでそこだけが別の世界かのように。

ふんわりとした月明かり。

最強の花妖怪とろくでなしの呑んだくれ。

二人が出会い暮らした夏が、もう時期に終わる。

向日葵が咲かなくなる季節が来る。

されど二人の関係は、まだまだ終わらないだろう。

満ちては欠ける、あの月のように。

 

永夜抄編 完

 




ようやっと永夜異変が終わりました。
寺子屋とかもこけーねとか、書きたいことが多すぎて結構長くなりました。
ここまで呼んでくださった方、本当にありがとうございます。
気軽に感想や評価をしてください。
一週間くらいテンションが上がります。
永夜異変、お疲れ様でした。
次回 幕間
その次 最終章

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