ろくでなし東方   作:ほろ酔いちゃん

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気づいたら八月
幻想郷の夏はそろそろピークを超えました


その日暮らしがなく頃に

――あるうさぎの苦悩

 

拝啓 師匠へ

どうも、鈴仙です。

先の異変では姫様を守るための大立ち回り、感動の一念に尽きました。

御多忙の事と思い、書き置きの手紙という形でお話をさせて戴きます。

 

私、鈴仙・U・イナバは命を狙われています。

なぜ、誰に、命を狙われているのかはわかりません。

ただひとつ判る事は、永夜異変と関係があるということです。

藤原妹紅の死体をもう一度よく調べてください。生きています。

妹紅の死は未知の植物によるもの。

証拠の花はこれです。

どうしてこんなことになったのか、私にはわかりません。

これを師匠が読んだなら、その時、私は死んでいるでしょう。

……死体があるか、ないかの違いはあるでしょうが。

これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。

それだけが私の望みです。

 

 

「……何よこれ」

「面白くないですか?」

「何だか首が痒くなりそうな文章ね」

 

永琳はため息すらつかず半目で鈴仙のことを見た。

明らかに呆然とした視線である。

 

「貴方がいつ命を狙われたのよ」

「常日頃ですよ」

「そう。処方箋が必要みたいね」

「ところで師匠」

「なに?」

 

薬の調合を止めて顔を上げる永琳。

そこには訝しげな表情の鈴仙がいた。

 

「あの薬って何だったんですか?」

「……貴子に打った薬のこと?」

「はい。妖怪を人間にする薬なんて無かったと思うんですけど……」

「そうね。確かに妖を人に変える薬はないわ。人魚姫のように泡となって消えてしまう恐れがあるもの」

「それじゃあの薬は一体……」

「私の弟子なら分かるでしょ?今日一日で考えなさい。あの薬の効用を。宿題にしておくわ」

「げげ……そんな事なら聞かなきゃよかった」

「もし解けたらご褒美を上げるわよ」

「よーし!頑張ります!」

 

そう言って鈴仙は部屋を後にした。

一人残された永琳は薬の調合を再開しつつ呟く。

 

「……あの子のやる気は零か壱しかないのかしら。まるで二進数みたいね……ふふふ」

 

自分で言ったことに我ながら面白いと自画自賛する永琳。

年齢が億単位の存在が考えるギャグなのだからつまらないはずなどない。

そう永琳は思っているが、彼女はしばしば空気を凍らす癖がある。

タブーな話題に触れたり話が面白くなかったりが原因だ。

タチが悪いのは、本人が無自覚と言うことであろう。

それに付き合わされる鈴仙もまた、苦労人である。

 

 

 

「とはいえ薬の効能ねぇ……私にはさっぱり分からないわ」

 

鈴仙は一人で呟く。

彼女には、人の目を見れないという癖があった。

人を狂わせてしまうその瞳の能力もあって、誰とも目を合わせずにいた。

その彼女が唯一直視できたのが貴子であった。

故に、鈴仙は貴子に対して興味を抱いていた。

 

「妖怪を人間にする薬なんて聞いたこともないし……」

「お困りのようだね」

「あ、てゐ」

「貴子に使った薬の効能?」

「うん。師匠に聞いたら自分で考えろって」

「それじゃあ不幸な鈴仙ちゃんに、ヒントをあげちゃおうかな」

「ヒント?もしかしてアンタは答え知ってるの?」

「考えれば分かることだよ」

「なら答えを教えなさいよ」

「そんな事したら面白くないでしょ?」

「……ケチ」

「アンタも天才の弟子ならこれくらい分からないと」

「だから考えてるんでしょうに」

「そうさねぇ……ヒントと言うかほぼ正解なんだけど、一つだけ言えることがあるよ」

「まどろいわねぇ、言ってみなさいよ」

「貴子を狂わせたのは、満月だった」

「そんなの分かってるわ」

「まあまあ大事なのはここから。ほら鈴仙、よく考えてみなよ。ガサツで言葉が荒いから忘れがちだけどさ、高子の性別はなんだった?」

「……女でしょ?」

「そそ。それがヒントだよ」

「……まさか」

 

鈴仙は思わずこめかみを指で抑えた。

それは自分の出した答えが、妙に別方面で問題を孕んでいそうな気がしたからだ。

 

 

 

その日の夜。

永琳が基本滞在している薬剤室にて。

鈴仙は永琳に茶を差し出した。

 

「師匠、少しお時間をよろしいですか?」

「えぇ。どうしたの?」

「貴子に打った薬の件なんですが……」

「答えは分かったのかしら?」

「はい……ですが、まだ確証がありません。ですので一つ質問をさせてください」

「構わないわ」

 

永琳は茶を飲みながら続きを促した。

 

「その薬を使うのは主に女性ですか?」

「……えぇ。どうやら分かったようね」

「……はい」

「さぁ、答えを聞かせて」

「その薬の名前はエルペイン。効能は……生理痛の軽減です」

 

永琳は湯呑みを置いて微かに微笑んだ。

かたや鈴仙の表情は、怒られたあとのように暗かった。

 

「正解よ。やるじゃない」

「原因物質の生成を抑え下腹部の緊張を緩和する効果があります。服用は三回を限度とし四時間以上の服用間隔が必要です」

「……詳しいわね」

「月の兎たちには常識です……しかし、師匠」

「どうかした?」

「メンスとかアンネとか……そういうデリケートな事をこんな冗談小説で取り扱うのは拙いと思うんですけど……」

「何を言ってるか分からないけど、大丈夫よ。後で分かったんだけど直接的な原因はそれじゃなかったの」

「え?」

「貴子がストロベリーウィークだったのは事実だけど、妖怪になった事とはあまり関係がなかったの」

「じゃあ本当の原因って何ですか?」

「……急性アルコール中毒よ」

「……へ?」

「あの馬鹿、二日酔いの状態で竹林に来たの。その結果汗をかいて体内のアルコール濃度が跳ね上がったのよ」

「そ、そんなことで?」

「とんだ笑い話ね」

「それじゃ笑いは無しですよ!」

 

鈴仙の耳に深い皺が刻まれたのは言うまでもない。

なお、宿題のご褒美は肩たたき券であった。

無論、鈴仙が永琳の肩を叩くのだ。

後に鈴仙はこう述べる。

 

「何億年生きたらあんなに肩が凝るんでしょうか……」

 

その後、鈴仙の姿を見たものは居ないとか。

 

 

――人か祟りか偶然か

 

「……それで、話って何だ」

「少し確かめたいことがあったのよ」

 

とある日の昼下がり。

私は永遠亭、永琳の元を訪ねていた。

ここへ来るのも手慣れたもので、迷いの竹林を迷わなくなっている自分が少し嫌になる。

 

「人里で起きた事がいくつかあるわね。まずはそれを整理しましょう」

「起きた事?例えば何だ」

「そうねぇ。最近だと、例の流行り病とかかしら」

「あぁ、そう言うのか」

「えぇ。ここ最近は出来事が多かったから知っておきたいのよ」

「……何か企んでるんじゃないだろうな」

「不安なら八雲でも風見でも呼びなさい」

「そいつらを呼ぶ方が不安だよ」

「そう。心配しなくても大丈夫よ。ここには外の情報があまり無いから聞いておきたい、それだけだから」

「分かった。ただ私も、最近里に入ったばかりだから詳しく無いぞ?」

「十分よ。さっそく聞かせてちょうだい」

「そうだなぁ……最近だと……」

 

私は永琳に自分が知っている限りの情報を話した。

といっても知ったところで雑談の種になるかどうかのつまらない話ばかりで、得られる物は少ないだろうが。

主に話したのは、

・紅霧異変

・春雪異変

・大飢饉

・流行病

の四つだ。

 

「最近だとこんなもんだろ」

「……貴子。ここからする話は全て私の考察……いえ、妄想の域だから、深く考えずに聞いて欲しいわ」

「何だよ」

 

焦ったく話す永琳。

妙に低い声色だった。

 

「まず二つの異変は貴方が引き起こしたのよね?」

「……もうそれでいいよ。否定も面倒だ」

「その結果不作で飢饉が起きたと……」

「あぁそうだよ!掘り返すなそんな事!」

「問題はここからよ。貴方は飢饉を解決するために吸血鬼達の館から西洋の食材を仕入れたのよね?」

「あぁ、種をもらってな。すぐ育ってくれたよ。いい案だろ?」

「なるほど……その館に、人間は居た?」

「……あぁ、一人居た。時を止めるビックリ人間がな」

「最後の確認。その人間は高熱を出したりしてなかった?」

「……っ!」

 

永琳からの質問に、私は身の毛もよだつ思いがした。

いや、実際よだっていたかもしれない。

そんな言葉が有るかは知らないが、身の毛がよだちまくりだった。

そして強烈な嫌悪感、あるいは焦燥が私を襲った。

嫌な予感が、鮮烈に脳裏をほとばしった。

 

「咲夜は……館にいた人間は確かに一度高熱を出して倒れた。それがどうしたんだ……?」

「やっぱり……貴子、落ち着いて聞きなさい」

「何だよっ……」

 

思わず固唾を飲んでしまう。

膝の上に置いている手に力がこもる。

永琳は殊更に重々しく告げた。

 

「館からもらった野菜は、人体には毒だったのかも知れないわ」

「何だって……?」

「元々は西洋の種。それを育てたのは妖怪。もしかすると、妖力に当てられていたのかも知れない」

「だ、だとしたら、流行病の原因は……私が配った野菜かっ!?」

「決めつけるのは早いわ。それに悲観することでも無い。私は貴方を非難したくてここに呼んだわけではないの」

「で、でも寺子屋の生徒達は……あんなに苦しんで」

「おそらくはその咲夜という人間も野菜の毒が効いたのでしょう。ジャガイモの芽にはソラニンという毒。インゲン豆にはフィトヘマグルチニンという毒があるの」

 

永琳は落ち着き払ってただそれだけを告げた。

私に取っては死刑宣告よりも、親の死を知らされるよりも残酷な一事を。

 

「私は……また間違ったのか」

「……いいえ。貴方は何一つ間違っていないわ」

「だけど……」

「毒を取って余りある栄養が野菜には有る。誰一人死ななかったのだから貴方が間違った事なんて何一つ無いのよ」

「……そうなんだろうか」

「間違いがあるとすればそれは悔いる事よ。過去を悔いたってどうにもならない。誰一人死なずにすんだ。それだけが事実。貴方を感謝している者もいる。その感謝に答える事が大切でしょう?」

「……死ななかったなんて結果論だ。里の奴ら……子供達には辛い目、危ない目に合わせた。慧音が泣く事だってなかったはずだっ……」

「じゃあ貴方は過去に戻れたとしてどうするの?野菜を配らず皆を飢饉で死なすつもり?」

「そんな事しない!……もっといいやり方で皆を救うさ」

「いいやり方なんて無いわ。何も捨て払わずに全てを得ようなんて傲慢よ。貴方は良くやった。薬師の私が断言するわ」

「……それでも、この事を皆に伝える必要がある」

「えぇ、好きなだけ伝えなさい。そこにいる人にね」

 

永琳は後ろからある人物を呼んだ。

――何でもお前がここに。

そう聞くことすら、出来なかった。

何度も見たことのあるその目には大きな涙が溜まっていて、私を一層哀しくさせたから。

 

「慧音……」

「貴子……お前ってやつはっ!」

 

私に近づき、じっと非難するような視線で見据えてくる慧音。

とうとうバツが悪くなり、そっと目を逸らそうとした。

その時だった。

 

「っ!」

 

私は平手打ちをされた。

頭突きなんかより何倍も、痛かった。

しかし、当然の報いだ。

 

「馬鹿者っ……」

「……っ!?」

 

感じるのは、何よりも優しい柔らかさ。

ハリネズミみたいに刺々しく荒んだ心を包み込んでくれるような、慈愛に満ちた包容力。

慧音が私のことを抱きしめてくれていることを、程なくして理解した。

 

「貴子……お前と言う奴は、何て馬鹿なんだっ……」

「慧音……」

 

私の肩に雫が溢れる。

震えた慧音の声が、消え入るように響いた。

 

「一体誰がお前のことを憎む……誰がお前を責め立てる!」

 

……違う。

私なんかがいなけりゃ、里は毒を喰らわずに済んだだろ。

浅知恵で誰かを助けようなんて傲慢だったんだ。

無知は罪だ。

無力は罰だ。

誰かを救えるなんてとんだ思い上がりだったんだ。

 

「私は罪人だ……私自身が許せないのさ」

「貴子、己を許せ……お前は罪人なんかじゃない。まして悪人でもない。お前は人里を救ったんだよ……何度も何度も」

「……救ったもんか。私が種を蒔いたんだ」

「救ったんだ!お前は気づいてないだろうが、病気や飢饉なんかじゃない。もっと深刻な問題を解決したんだ」

「何だそれ」

 

慧音の腕が、より強く私の体を締め付ける。

慧音の言葉が、より強く私の心を締め付ける。

 

「それは絆だよ。里の者達はお互いを信用し、頼りあう事の大切さに気づいたんだ。それこそ貴子、お前の手柄なんだ」

「……そんなの私には関係ない」

「ある。大いにあるんだ!お前がいなきゃ里は今頃滅んでいたさ!」

「違う……私なんかいなければ、飢饉すら起こらなかった。里は平和だったんだ」

「今回はそうかもしれない……だが、これからの里は飢饉や病魔には負けん。お前が里の差別を無くしたんだ。貴子、お前なんだ……お前がやったんだよ!」

「私なんかじゃ……」

「お前なんだ!もう自分を許してやれ!お前はもう私たちの仲間だ!」

「私が許しても……世間が許してくれんさ」

 

私がそういうと慧音は一呼吸置いて、すこし怖い顔をして言った。

 

「世間とは何のことだ。里か?大人か?違うな。世間というのはとどのつまり、お前だろう」

「……私?」

 

少しうなづいて、長い息を吸う慧音。

怒鳴られるのかと思ったが、違った。

 

「あぁ、お前は自分の事を許せないんだ。出会った時からずっとそうだった。お前はずっと自分を責めて、呪って、傷つけるんだ」

「そんなこと……」

 

ないと言い切れないことが、私の人間としての弱さだ。

己を呪うこと、忌避することは思い返すまでもなく多い。

それが当然の事だと思っていた。

 

「最初、お前は差別や偏見をものともしない奴だと思っていた。でも違ったんだ。一番お前を差別しているのは、お前だよ。自分のことすら愛せないんだ」

「愛してるさ。人並み程度に」

「貴子。お前のことを恨んでる奴なんて一人もいない。逆にお前のことを好きな奴は沢山いる。ここにだって一人いる。もう自分を……責めないでくれ」

 

……慧音が泣くのを見るのは何度目だろうか。

まして、自分のために誰かが泣くのを見ることが今まであったろうか。

くそったれだ。

私はいつも誰かを悪い方向で泣かして、悲しませていた。

心配の涙を流されることなど、ただの一度も無かった。

だからこそ私には慧音の涙が何よりも堪える。

慧音の号哭を見かねたのか永琳が声を発した。

 

「貴子……何回人を泣かせれば気が済むの。シャキッとしなさい。貴方がウジウジしていては、皆も気が気でなくってよ」

「……永琳、ありがとう」

 

慧音の肩に手をやり、そっと背中をさする。

 

「ありがとう、慧音。私のために……」

 

しゃくりあげる慧音の荒い呼吸が治るまで、何も言わなかった。

いつもは玲瓏とした慧音だが、泣く時は子供のように涙を流す。

私は胸の奥から込み上げてくるモノを抑えつつ、自戒の意を込めて言った。

 

「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」

「え?」

「馬鹿だ」

 

私は二度同じ言葉を呟いた。

そうして、その言葉が慧音の上にどう影響するのかを見つめていた。

 

「私は馬鹿だ」

 

一体私は馬鹿だった。

だが、慧音が私を許すと言った。

私は皆が幸せになれるように自分が出来ることをした。

私は何一つの悪気など無かった。

神に問う。無抵抗は罪なりや?

 

「違う」

 

私は誰かを傷つけたかった訳じゃない。

まして褒められたかったわけでもない。

ただ、幸せになって欲しかった。

 

「私は……私を、許せない」

「お前っ、まだ!」

「でも慧音。お前が私を私を許すと言ってくれた。だから私も私を許してやりたいと思う」

「貴子……」

「ありがとうな、慧音」

 

慧音が私を許すと言ったから。

私も私を許してやりたい。

またしても慧音の嗚咽が響く。

なんて幸せ者だろう。

こんなに想われているのだから。

良かったな、私。

 

 

――死後のたけのこ

 

私が人里に来てから結構経った。

慣れとは全く恐ろしいモノだ。

最初は里の勝手など全くわからなかった。

だが今は違う。

里の事なら有る程度わかる、ようするに人里のプロになったのだ。

その実力を発揮する時がやってきた。

臨時収入があったのだ。

自分へのご褒美をやるには十分すぎる額が。

こういう時、酒を飲んだりしてしまうのは素人。

ハッキリ言って論外だ。

プロなら思わぬ収入があった時にこうする。

団子を食べにいくのだ。

里の中で団子といえばあの店しかない。

幽香にむりやり連れてこられた時は散々だったが、私の誠実な対応が花開いたのかやっとこさまともに生活する事ができるようになった。

石ころをぶつけられたり団子に剃刀を入れられたりする心配はなくなったのだ。

というわけで、今日はみたらし団子を食おう。

甘いものはいつだって私の味方なのだ。

 

「らっしゃい」

「みたらし二本で」

「あいよ」

 

暖簾をくぐり、店主とのやりとりも済ませたところで私の戦いは始まる。

第一に場所取り。

最も良いのは軒先の長椅子だが、あすこは常に満席だ。

だから店の中で席を確保するしかない。

相席になるのは極力避けたいが……どこかに空いてる席は無いか?

 

「おい姉ちゃん、ここ空いてるよ」

 

私がオドオドと席を取りあぐねていると、隅の方からハリのある良い声がした。

出来れば一人が良かったが、親切を受けたからには断る道理もあるまい。

お言葉に甘えて相席させてもらおう。

 

「ここ、座るよ」

「どうぞ」

「いやぁなかなかどうしてこの店の団子は美味いんだ」

「へぇ、一回死んでも団子は美味いのかい」

「あぁ……あ?」

「久しぶりだねぇ。貴子」

「ア、アンタは!小町!?」

「声が大きいよ」

「すまん……」

 

見覚えのある顔でケタケタと笑う小町。

不覚だ。

服装が変わっていて気づかなかった。

小町は里でよく見る格好をしていた。

それでも目立っていたけど。

何故目立っていたのかは、胸元あたりを見てくれればよく分かる。

冗談はさておき、コイツは立派な死神だ。

色々あって今はあまり会いたくない奴でもある。

 

「何でお前がここに居るんだ?」

「何でって……今日は休みなんだ。それとも死神が団子を食べちゃダメなのかい?」

「……私を捕まえるのか?」

「ん?どうしてさ」

「私は生き返った身だ。ルール違反も良いとこだろ」

「あぁ、そうかもねぇ」

 

団子を食べ終わり、緑茶を啜りながら答える小町。

何も考えていない、あるいは達観しているような飄々とした態度は健在だ。

冬のことを思い出して少しだけ懐かしさを覚えた。

 

「確かにこっちじゃアンタはちょっとした有名人だよ」

「マジか……」

「でもねぇ、しばらくは大丈夫だと思うよ」

「え?」

「今ちょいと立て込んでてね。アンタに構ってる暇が無いのさ」

「何かあったのか?」

「これからあるんだよ。大変なことが。まぁ、アンタらには関係のない事だよ」

「そうか。なら安心だ」

「どっちみち、アンタは捕まえないさ」

「どうしてだ?」

「何であれアンタは今、生きてんだ。それを死なせて連れてくなんて誰にも出来っこないのさ」

「へぇ……」

「顔を見れて安心したよ。元気そうじゃないか」

「……まぁ、色々あったからな」

「また異変を起こしたんだって?」

「え?」

 

小町は串を咥えながら言った。

このやりとりは何百回目だ。

またもや不名誉な勘違いをされているらしい。

 

「夜が終わらないなんてねぇ、あれは一体どういうつもりだい?」

「私は無関係だ」

「へぇ……とすると映姫様が嘘をついたってか」

「は?」

「映姫様、また貴子が異変を起こしたって大激怒さ」

「またもなにも、私は一度も起こしてないって」

「そうかい。死んだらあの世でそう言いな」

「……もう死ぬのは懲り懲りだ」

「違いない」

 

少しだけ笑って、立ち上がる小町。

私のみたらしが運ばれてくるのとそれは同時だった。

 

「それじゃ、元気でね」

「久しぶりだ。呑みにいかないか?」

「……すまないねぇ。今、酒は絶ってるんだ」

「そうかい。残念だ」

「ここらの酒は暖かい味だ。嫌いじゃないよ」

「そりゃ良かった」

 

ひらひらと手を振って小町は店を出た。

アイツは死神のくせに、いつもヘラヘラしてる奴だ。

だけどその時の別れ際の表情はいつになく真剣で、異変が終わってホッとしている私の不安を掻き立てるには十分だった。

せっかくのみたらしが不味くなりそうだ。

 

 

――ゆかりちゃんマジ賢者

 

説教というのは本当に悪い文化だ。

全く、誰が始めたのか知らないがこんな文化は廃れてしまえばいい。

そもそも、怒られている方はちっともいい気にならない。

しかも悪質なのは、ストレス発散のために怒りを撒き散らす輩がいることだ。

もっと冷静に穏便にモノを解決しようという気は起こらないのかね。

……とまぁ、これは結局被害者の論理であって相手にされるわけもないのだが。

世の中広しと言えど私ほど説教を受けた奴もそういまい。

受けた説教数知れず、言われた罵倒は天の川。

お叱りを受けることに関して、私は相当の達人と言えるだろう。

御察しの通り今回も例に漏れず怒られているわけだが……。

さぁ困った。

私はここから生きて帰れるだろうか。

 

「そう緊張なさらずとも結構よ」

 

扇子で口元を隠しながら笑うのはなんとビックリ八雲紫。

その扇子、いいセンスっすねなんて事しか考えられない私を誰が責められようか。

これはなかなかファンなギャグ。

これぞ私の最終奥義、なんちゃって。

……無粋な奴のために解説しておこう。

今のは奥義と扇をかけたハイパー高等テクニック……。

 

「私の目を見てくださる?」

「はい!」

 

思わず背筋がピンと伸びる。

自由に身動きすら取れず、さっきから汗が顎をダラダラと伝っているのがわかる。

現実逃避もここまでか。

何故であろうか。

私は八雲紫に、正座でブチギレられていた。

 

「そのお茶、飲んでよろしくてよ?」

「いや、その……」

 

お前からもらった茶など飲めるか!なんて言えるわけがない。

どこのゴルゴ13だ。

下手な事を口走った日には、頭と体が一緒に居られる保証はない。

ひとまず今は首が健在なことに胸を撫で下ろす。

 

「本題はなんだ?」

「……幽々子の件もあるから貴方にはあまり手を出したくないのだけれど、流石に目に余るわ」

「何がだよ」

「紅霧、春雪ときてとうとう永夜異変まで起こすんだもの。どういうおつもりかしら?」

「だぁ!しつこい!私は何一つ関与してないっつってんだろ!」

「永夜異変……といっても夜を終わらなくさせたのは私だけど、月が落ちるという大異変。その元凶である永遠亭に話を聞いたら、貴方の名前が出るわ出るわ……」

「冤罪だ」

「ではあの夜、迷いの竹林に居たのは何故かしら?」

「……幽香に連れてこられたんだよ」

「幽香が?」

「あぁ」

 

……あの日、私は幽香の元を訪れていた。

私と幽香が出会った場所、向日葵畑さ。

色々あって幽香とは気まずかったんでな……そういう関係を残しとくのは苦手なんだよ。

そこで月を見ながらどーでも良い事を話してたんだ。

あの日は満月だったか。

チビチビ酒を飲みながらダラダラしてた。

酔えもしないくらいの安酒をな。

いつもより大きく見える月をボーッと眺めてたら何だか酔っ払ったみたいに頭がクラクラしてきてね。

幽香も同じだったのかいつもより饒舌だった。

その勢いのまま、こう言ったんだよ。

 

「今日は月が綺麗だな、幽香」

 

そこから先はあんまり覚えてないが……気づいたら迷いの竹林に居た。

どっちみちパチュリーからの伝言やら何やら、迷いの竹林に行く予定ではあったんだが……幽香が付いてきたのは誤算だったね。

やたらテンションの高いアイツに連れられてきた。

それが事の真相だ。

 

「……なるほど。よく分かったわ」

「分かってくれたか?」

「えぇ。貴方がマヌケと言うことがね」

「何一つ分かってないな」

 

紫が聞こえよがしに溜息を吐く。

無論私への嫌がらせだろう。

こんな事で腹を立てる私ではないが、ぶん殴ってやろうか。

 

「では、幻想郷に月が落ちるという事の真相も教えて貰えるかしら?」

「だから知らないって言ってんだろ」

「はぁ……もう良いわ。帰って結構よ」

「お前が急に現れただけでここは私の家だからな」

「土に還って結構と言ってるのよ」

「残念だったな。カエルはお前の方さ」

「あら、どうして?」

「下戸下戸ないて、ゲロゲロ吐くだろ」

「……面白くないわよ、それ」

「オッタマげ〜だな」

 

割と強めの紫ビンタを喰らって、私はなんとか生き延びた。

それにしても異変の真相か……今回ばかりは完全に無関係だと思うんだがな。

 

 

……永遠亭の昼休み。

鈴仙はふと気になった事を永琳に問うた。

 

「ところで師匠」

「何かしら?」

「さっき紫と名乗るスキマ妖怪が来て喚いてましたよ」

「あら、紫は何と?」

「月が落ちるとはどういうつもりだったのよ!だそうです」

「またその質問……私たちにも全く身に覚えが無いのに」

「でも天魔の印鑑が押されてる以上悪戯なんかじゃないそうですよ」

「……不思議ねぇ」

「迷惑でしたらより強力な幻覚を見せられますが、どうしますか?」

 

鈴仙は真面目な表情をしながら言った。

その立ち振る舞いに、月で軍人をしていた頃の面影を永琳は見た。

 

「月が落ちるなんてあるはずないのに、地上の民の言うことはよく理解できません」

「……そう言えば、貴子が何か言ってたわね。ツキがどうこうみたいな事を」

「あぁ、アレですか?何か急に貴子が怒りだして、『こんな所に居たらツキが落ちる!』とか叫びだしただけですよ」

「へぇ、何かあったの?」

「大方、てゐにイカサマされたんでしょう。あの二人、ずっと病室で花札やってましたから」

「まさか、ツキが落ちる事件の真相は貴子のその発言じゃ無いでしょうね……」

「はははっ。そんなオチだったら笑えませんね」

 

笑ってるじゃないと思いながら、ふと永琳はあることに気づいた。

天才でなくとも分かる一つの違和感。

 

「ねぇ、仮に原因が貴子のその発言だとするじゃない」

「はぁ」

「だとすると、それを天魔に伝えたのは誰?私や貴方はあり得ないし……姫様も同じくシロでしょう」

「だ、だとすると……まさかっ!」

 

 

「……はっくちゅん!あぁ、噂されてんのかねぇ。全く、人気者は辛いウサ……」

 

……兎がつくのは餅か、それとも大嘘か。

つくづくツイてないのは、貴子ばかりであった。

 

 

――異変の真相

 

「はい、これで四光ウサ」

「な、またアガリ!?」

「さてさて今度はどんな罰ゲームにしようかねぇ」

「イ、イカサマだ!」

「面白い事を言うねぇ。冗談は現場を押さえてから良いなよ」

「くっ……」

 

永遠亭で入院中。

暇を持て余した貴子は日中ずっとてゐと花札をやっていた。

そのうちどちらかが、何か賭けなくてはつまらないと言い始め、勝った方が負けた方に一つ命令出来るというルールが始まったのだ。

それまで五分五分だったのに、賭け始めた途端勝てなくなるのは貴子が滅法勝負に弱いだけである。

 

「そうだねぇ。とりあえず私に敬語かな」

「ぐぐぐ……」

「ほらほらさっさと喋りんす」

「さっきから悪い手札ばっかりだ!」

「それはアンタの運だろう」

「こんな所にいたらツキが落ちる!」

「……っそれだ!」

「は?」

「悪いね貴子!ちょいと席を外すよ!」

「あ、あぁ」

 

目をウキウキとさせながら何処かへと飛び出していったてゐ。

その後ろ姿を見て、貴子の感じた嫌な予感は決して間違いではなかったのであった。

 

 

「……私はお師匠さまに呼ばれるような事してないよ」

「うどんげを気絶させたじゃない。それで十分よ」

「私が手を出した所にたまたま鈴仙が居たんだよ」

「そう。偶然ねぇ……」

「……はぁ。アンタに隠し立てはできないか」

「さぁ、正直に話しなさい」

 

居住まいを正す永琳とてゐ。

常日頃から飄々としているてゐが、唯一真剣に取り合う相手こそ永琳であった。

 

「貴子がここに来る前の話は聞いたかい?」

「……えぇ、ある程度はね」

「アイツと出会って悪魔が変わった。亡霊が変わった。人里が、慧音と妹紅が、そして……風見幽香が変わった」

「そうなの?」

「そうさ。不思議なことにアイツは人を変えちまうんだ。だから私も変えようと思ってね」

「何をよ」

「この屋敷さ」

 

ニタリと笑うてゐ。

そこにあどけなさなど残っていなかった。

 

「いつまでも隠れてるんじゃダメだ」

「永遠は即ち完全よ」

「何処がさ。アンタらは気づいていなかったのか?この屋敷はゆっくりと腐っていってたんだ。風も通さぬ箱入り屋敷じゃ当然さね」

「……だから異変を起こさせたと」

「違うね。起きたら良いなと思っただけさ。私はずいぶん運が良いもんでねぇ」

「そう……」

 

月の賢者は足を組み、物言わず長考した。

これは永琳が真剣な時にのみ見られる癖である。

そしてその癖が出るときは、大方ヤバい時なのだ。

 

「……すまなかったとは思ってるよ」

「え?」

「姫さんを外に出すんだ。アンタは嫌がるだろうからね」

「よく分かってるじゃない」

「ハッキリ言って賭けだった。そればっかりは、幸運じゃどうにもならない事なのさ」

「……てゐ。私は怒ってないのよ。貴方はよくやった。誰にも成し得ぬ事をしたの。自分を褒めてあげなさい」

「……ふん。私は何もしてないよ」

「ありがとう、てゐ」

 

そう告げて、永琳は立ち去った。

残されたてゐは、妙な敗北感と確かな達成感を胸に感じていた。

彼女もまた、永遠亭を愛していたのであった。

 

永夜の落とし前

 

勝者 永琳

敗者 てゐ

 

 

――迷惑な魔法使いと素敵な巫女

 

ホント夏って嫌い。

暑いし、蝉はうるさいし。

……熱くてうるさいなんて、どっかのバカ魔法使い見たいじゃない。

 

「おーい霊夢!遊びに来たぜー!」

 

噂をすればバカ見参。

こんな暑い中よく飛び回ってられるわ。

熱中症になって妖怪に襲われなきゃ良いけど。

 

「あっちぃ!水くれ!」

「そこに井戸があるでしょ」

「冷たいのが良いんだがなぁ……まあ良いぜ!その井戸枯らしてやるよ!」

「どんだけ飲むつもりなのよ」

 

……にしても熱いわねぇ。

私も水を飲もう。

 

「……っかぁ!美味い!」

「大袈裟ね」

「そうだ霊夢、今朝の新聞は読んだか?」

「新聞?まだだけど」

「そりゃ良かった!今すぐ読んでみろよ!」

「何よ。どうせまた天狗のデタラメでしょ?」

「へへっ、アレがデタラメかどうかはお前が一番よく知ってるだろうぜ」

 

魔理沙が新聞を取り出した。

変なところで準備のいい奴。

そこまでして私に読ませたいものって何だろう。

 

「さぁ存分に読め!」

「……っこれは!」

 

その新聞の一面には、箒に跨って魔法を撃ち放つ人間の写真と共にこう書いてあった。

 

『大活躍か!永夜に闘う霧雨魔理沙!』

 

「何よこれ!」

「見たまんまだぜ」

「何でアンタが新聞に載ってんのよ!」

「いや〜、天狗の耳は怖いなぁ。とうとう私も有名人だ」

 

天狗の新聞は所詮ゴシップだと思って熱心に読んでないけど、異変の記事に関してはある程度目を通してる。

二度の異変、その両方の記事に魔理沙の名前は出てなかったはず。

紫が言うには、博麗の巫女が異変を退治するって言う構図を分かりやすくする為……だけど私からすればもっと別の意味があった。

それは魔理沙を守るため。

私のする妖怪退治は人間の為じゃない。

妖怪のためでもない。

言うなら、幻想郷のため。

この世界を守るために私は妖怪を退治する。

無論人間たちに依頼されて行う妖怪退治もあるが、基本的には秩序の維持だ。

それを無意識に悟られているのか。

私は人里からあまり快く受け入れられていない。

有害か否かの差こそあれど人里から見た私は、妖怪みたいなモノだ。

だからこそ魔理沙には……。

 

「アンタ、分かってんの?」

「何がだ?」

「有名になる事は必ずしも味方を増やす訳じゃ無いのよ」

「あぁ、分かってるさ」

「分かってないわよ!」

「妖怪退治が里にウケないって事は重々理解してるぜ」

「だったら……」

「心配ないさ。ここの一文、読んでみろよ」

 

魔理沙は余裕な態度で新聞を指さす。

その記事は全編に渡って魔理沙を称えているが、一際私の目を引く一文がそこにあった。

 

『博麗霊夢に並ぶ異変解決の立役者!』

 

魔理沙がしたり顔で笑っている。

私の腹の底で怒りと脱力感がごちゃ混ぜになっているのがよく分かった。

 

「これの意味がわかるか霊夢」

「どーせ、異変解決は私の力とか言うんでしょ」

「違うぜ!博麗霊夢に並ぶってとこだ!世論じゃ私とお前は対等だ。もうお前に守られる必要もない!」

「アンタを守った事なんてないわよ」

「不思議だな。私はお前に守られた経験がゴマンと有るぜ」

「……バーカ」

 

ホントにこの馬鹿は夏みたいな奴だわ。

熱いしうるさいし迷惑。

だから私は夏が嫌いなのよ……。

熱いのはコイツだけで結構だから。

 

「だからな……霊夢」

「何よ」

「もう一人で背負わなくていいんだぜ」

「――アンタ、何言って……!」

「お前が何を背負ってるかなんて分からないけどさ、もうお前は一人じゃない」

「アンタねぇ……」

「背中を預けてくれていいんだぜ。それが私ら、人間の生き方だろ?」

 

明朗快活に笑う魔理沙。

私のことなんて少しも分かってない癖に。

……そうだ。

どれだけ妖怪を打ちのめそうと、私がどれだけ戦おうと、魔理沙は私を人間扱いしてくれる。

博麗霊夢として、私と向かい合う。

私はそんな魔理沙が……。

 

「ったく、ホントに熱いわねぇ」

「友人に茶の一つでも出せば涼しめるぜ」

「ウチはお茶屋じゃないわ」

「お茶を出す権利は平等だ」

「ならお茶請けの一つでも持ってきなさいよ」

「そう言うと思って持ってきてやったぜ。ほれ、カステラ」

「……玄関はあっちよ」

「へいへい」

 

変なところで用意がいいのはずっと変わらないわね。

冷たいお茶にカステラは合うかしら。

 

 

――輝夜様は和了らせたい

 

不味い……集中しろ、集中しろ!

思考を絶やすな。

目の前に全力を燃やせ!

さもなくば死ぬ……そう、死だ!

死神はすぐそこで涎を垂らして待ってやがるんだ。

どんな馬鹿でも感じ取れる。

自分が断崖絶壁に立っていて、眼前に真っ黒な底無し谷がどこまでも広がっている景色を。

生きたいならば一歩ずつ確実に、この崖の終わりへと向かわなきゃならない。

生還というか弱い蜘蛛の糸を手繰り寄せなくてはいけない。

 

「どうしたの?親の貴方が切らなくては始まらないわ」

 

輝夜が私の焦りを見透かしたみたいな意地の悪い笑みを浮かべる。

クソッ!

またこのパターンかよ!

 

……事の顛末を出来るだけ簡単に言おう。

私はさっきまで慧音の家で酒を呑んでいた。

といってもいつものバカ呑みじゃなく、和気藹々と語り合うものだ。

そこには当然も妹紅もいて、そして何故か幽香もいた。

二人は激烈にピリピリしていたが、その理由を私は知らない。

どうせ幽香のバカが異変の時に何かしでかしたんだろう。

そんな訳で四人机を囲んでチビチビやってた時。

ほんのり頬を赤くして慧音が急にこう言い出した。

 

「そうだ貴子、この前いい物を貰ったんだよ」

 

そう言って机の上に置かれたのは、確かに私からすれば馴染み深く、そしてこの場にはイマイチ似合わぬモノだった。

黒い箱の中に入れられた全部で百三十六の牌とサイコロ、そして点棒。

これは……。

 

「麻雀牌?」

「そうだ。貰ったはいいがやり方が分からなくてな。お前なら詳しそうだ」

「そりゃ確かに麻雀は打てるが……まさか」

「麻雀は四人でやるんだろ?丁度いいじゃないか」

 

四人。

この場にいるメンツ。

私、慧音、妹紅、そして幽香。

 

「妹紅は打てるのか?」

「うんにゃ、全然」

「……幽香は?」

「初めて見たわ」

 

この四人で、しかも経験者は私一人。

間違いない。

まともに打てるわけがない。

 

「まあ楽しめればそれでいいんだ。気負わずやろう」

「麻雀は牌だけじゃできないぞ?麻雀用の卓がないと」

「そうなのか?」

「あぁ、四角い机があれば良いんだが」

「すまん。この家にあるのはこの机だけだ」

 

慧音が恥ずかしそうに今使っていた机を指さす。

汚くはないが、食器やら酒瓶やらが置いてあって使えそうにない。

 

「どうしようか……」

 

慧音が少しションボリとした。

もしかすると麻雀をするのが楽しみだったのかもしれない。

……慧音は忙しい中で今日のために時間を作ってくれた。

できることなら、最大限楽しませてやりたいが……。

私が悩んでいると、相変わらずの鉄面皮で幽香が突然指を鳴らした。

すると、床から巨大な向日葵が生えてきた。

茎が細く花だけがやたら大きい。

まるで机のように花が天井を向いている。

 

「はい。これで出来るでしょう」

「何がだよ」

「台を用意してあげたのよ。感謝しなさい」

「まさか……この花を台に?」

「えぇ。それ以外に考えられるの?」

「何でお前はノリ気なんだよ」

「面白そうじゃない。気まぐれよ」

 

幽香がいじらしく笑う。

コイツのことだ。

本当に気まぐれ以外の何でもないんだろう。

だから余計にタチが悪い。

 

「とりあえず座ってみたが……まさか花の上で麻雀を打つ事になるとはな」

 

テレテーン!

どうも、呼ばれてないのに飛び出す因幡てゐだよー!

本編では出番がなかったけど恒例の解説コーナー、私が受け持たせてもらう事になったウサ。

優しく解説してやるから、その小さい耳の穴かっぽじってよ〜く聞くこと。

え?お前じゃ信頼できないから鈴仙に変われだって?

ははは。皆、ちょっとだけ待っててね。

…………っと、邪魔も居なくなったしそれじゃ始めようかね。

今回出てきたのは麻雀だよ。

名前くらいは聞いたことが有るでしょ?

凄いざっくり言うと、山と呼ばれる所から順番に牌を持ってきて、手牌から不要なのを一枚切る。

それを繰り返して一番早く自分の手を完成させるゲームだね。

あと一枚で手が完成する状態の事をテンパイって言うんだ。

テンパイの状態で最後の一枚を持ってくるとツモ。

あるいは、最後の一枚を誰かが捨てると、ロンと言って和了(あが)る事が出来る。

それを繰り返して、最終的に点数が一番多かった人の勝利だよ。

複雑に見えてシンプル。

だけど単純に見えて奥が深い。

みんなもぜひぜひやってみて欲しいウサ!

それじゃ、アタシはここらでお役御免とさせてもらうよ。

 

「てゐ……?」

「山を積んでみると一気に麻雀らしくなるな!」

「さぁ、始めましょう」

 

そんなこんなで、私たちの麻雀は始まった。

不安しかない面子だったが、慧音や妹紅の飲み込みが早いのもあって初めて見ると意外と結構盛り上がった。

東南西北でカンしたり、白をオールマイティだと思ったりと初心者の鉄板ミスもしでかした。

半荘二回終わった所で、流れが変わったのだ。

 

「面白そうなことをやってるわねぇ」

 

急に玄関から声がした。

穏やかなのに戦々恐々とさせるその声の主は、迷惑者の第一人者、蓬莱山輝夜であった。

 

「輝夜ァ!?何しにきた!」

 

真っ先に反応したのは妹紅だった。

無理もない。

妹紅と輝夜の因縁は千年物なのだから。

 

「そう気を張らないで。遊びに来ただけよ」

 

妹紅の詰問ににべもなく答える声。

輝夜の後ろから永琳が現れた。

白衣も纏わずに完全な私服で。

しかし妹紅の怒りのボルテージはますます上がっていく。

 

「お前らと遊ぶ義理なんて無い。帰れ!」

「せっかく麻雀をやってるんでしょ?今日は趣を変えて麻雀で勝負といきましょう」

 

妹紅の激情を逆撫でする様にニタリと笑いながら輝夜は言った。

こいつはそう言う女だ。

他人を不快にさせて喜びを得る最低な奴だ。

竹取の時代からずっと変わらない。

 

「誰が相手をしてくれるのかしら?」

 

永琳と輝夜は勝手に家に上がり台の近くへとやってきた。

まず席を立ったのは慧音であった。

酒が回って状況を理解できていないのか御機嫌に笑いながら、

 

「皆でやった方が楽しいからな!」

 

と言っていた。

相当酔っているらしい。

また永遠亭のお世話になる日は近いかもしれない。

意外なことに、次に席を立ったのは幽香であった。

面倒事を起こすのも首を突っ込むのも大好きなコイツの事だから、無理にでも参加すると思っていた。

しかしどう言う訳かすぐに席を立ち戦線を離れた。

 

「……となると、残ったのは私と妹紅か」

「これで四人ね。始めましょうか」

 

席に座り、私たちの麻雀は始まった。

妹紅と輝夜が睨み合う。

火花が散って引火しそうだ。

かたや永琳も、静かだが明らかに臨戦態勢に入っている。

妹紅から手が出れば遠慮はしないと言った雰囲気だ。

かくいう私は……早く家に帰りたかった。

 

「私が親ね」

 

起家は輝夜であった。

そこから反時計回りに永琳、妹紅、私の順番で座っている。

妹紅と輝夜が睨み合う形だ。

賽が振られ、戦は始まった。

 

「そうそう、罰ゲームが無いとつまらないじゃない」

 

輝夜がさも思い出したかのように言う。

ハナからそのつもりだった癖に。

 

「だから、一位は四位に何でも一つ命令ができると言うとはどうかしら?」

「望む所だっ!」

「決定ね」

 

ちょっと待てやい。

「望む所だっ!」ってお前は漫画の主人公か。

そんなリスキーなギャンブル、私は反対だ!

抗議してやろうと思った。

しかし立ち上がろうとした瞬間、全身を高圧電流で焼かれたみたいな痛みが走った。

どういうわけか、叫び声すら出せない。

揺れる視界で微かに見えたのは、静かに私のことを見据える永琳であった。

 

「文句は無いわよね?」

 

永琳が私に問いかける。

それと同時に体の痛みは強くなる。

犯人はテメェか!っていだだだだ!

声の出せない私は頷く事しかできなかった。

 

「後悔してももう遅いわよ」

 

後から悔やんだりなんかしないさ。

今この時に既に悔やみまくってんだから。

 

さて、私たちの麻雀はかくして始まった訳だが、当然一筋縄ではいかなかった。

異変は、東ニ局で起きた。

 

「っ!」

 

思わず反応してしまう。

今一瞬の狼狽を周りに悟られてない事を祈る。

配牌が、余りにも良すぎた。

このまま進めば、九蓮宝燈まっしぐらだ。

九蓮宝燈とは麻雀の中でも最高の役で、ポーカーのロイヤルストレートフラッシュだと思って貰えば良い。

ただしポーカーのそれとは出現頻度と強さが段違いだが。

この手なら四位を取らないのは勿論、一位を目指すことさえ可能だ。

この好機、逃せはしない!

 

「まあまあの配牌ね」

 

そう言いながら永琳が第一打を切った。

捨てたのは西。

続く妹紅もまた、西を切った。

――二度続けての西。

麻雀においてはそう珍しく無い、良くある場面だが私の頭にはとある懸念が浮かんでいた。

まず第一に、私の手の中で西が孤立していた事。

もし次に有効牌を引いてきたら、西を切らざるを得ない。

そしてもう一つの懸念……。

それは、輝夜が次に引く牌が西であるという事だ。

私の前にある山に、確かに西はあった。

それを輝夜が引くことは確実だ。

私が西を切り、そして輝夜が西を切った場合。

私が懸念しているのはそれだっ……。

麻雀には、四人連続で同じ字牌を切った場合その局を最初からやり直すというルールがある。

天から降りたとしか思えぬこの配牌をオジャンにされては堪らない。

この第一ツモだけは、無駄な牌を引いてきて欲しいっ……!

が、ダメっ……!

私が引いたのは、最も欲しかった牌だった。

西を捨てるしか無い……。

しかし、三枚切れの西を輝夜が残す確率は限りなく低い……。

全ては運に委ねられた。

輝夜が第一ツモを引く。

あれは間違いなく西。

切るな、切らないでくれ!

 

「こんなのいらないわ」

 

っまさか!

……輝夜の捨て牌。

それは、白であった。

 

「ふぅ……」

 

良かった。

一巡目さえ凌げれば、後は千載一遇の大チャンスのみ!

この九蓮宝燈で勝負を終わらすだけだ!

永琳がツモる。

 

「これじゃないわね」

 

その捨て牌は……。

 

「ロン!それだっ!九蓮宝燈、役満だ!」

 

運は私に味方した!

勝った!

生き残った!

これで一位だ!

 

「はっはっは!どうした永琳、驚きで言葉も出ないか!?」

 

麻雀の恐ろしい所だ!

どれほどの強者でも、女神にそっぽを向かれたらそれまで。

逆に、どんな間抜けでも運を味方につければ勝てるんだ!

今日は人生で一番ツイてる日だ!

 

「確かに……これは驚いたわ」

「さぁ、子の役満だ。点棒を貰おうか」

「いえ、点棒を払うのは貴方よ」

「あ?」

「自分の手をよく見なさい」

「よく見ろだ?どこからどう見たって九蓮宝燈だろ!」

 

さっきから何万回も見直した。

何遍見たってこの手は変わらない。

ちゃんとバラバラに……っあぁ!?

 

「な、何だこれ!?」

「役満どころか、バラバラも良い所じゃない。ヒロポンでも打ってきたの?」

「だ、だったらこれは……」

「誤ロン。チョンボね」

 

何でだ!?

さっきまで確かに九蓮宝燈だったのに!

どうしてこんな無茶苦茶な手牌になってるんだ!

 

「さぁ、マンガン払いよ。点棒を払いなさい」

「そんな馬鹿な事が……」

 

マンガン払いって事は、八千点を失うっ……!

一気に最下位っ……!

ぐにゃぁぁぁぁ……。

 

 

その後、チョンボにより失った流れを取り返せなかった私は弱気な打ち方しか出来ず、どんどんと点棒を削られていった。

ここで現在に至る。

持ち点は四千点……もはや、地獄の一歩手前。

否、もはや業火は背を焼いているっ……。

しかも、オーラス。

親は私。

三位、永琳との点差は二万六千点。

親満を直撃しても逆転できない……。

跳満条件での、オーラス。

一位は、輝夜……。

このまま負けたら、即罰ゲーム。

何を命令されるかなど、考えたくも無い。

しかし……。

 

「ぐぐぐ……」

「さぁ、早く切りなさい。運命の一打をね」

 

配牌は最悪……とても跳満を目指せる手では無い。

それどころか、安上がりすら遠い。

どう足掻いてもゴミ手。

ここまでか……?

 

「つまらないわね。所詮はそれまでかしら」

 

……誰だ?

ただでさえ絶望してんのに嫌味な事を言う奴は。

 

「死にかけてるのに諦めるなんて、耄碌したわね」

「っ幽香!」

「もっと醜くもがきなさい。悪あがきは貴方の得意技でしょう?」

 

……こんの野郎。

後でぶん殴ってやる。

もし生きてたらの話だが。

まずはこの局をどうにかするんだ。

このゴミ手で和了するには……。

生き残るには、どう打つべきだ。

……そうか!

 

「これが私の、第一打だ!」

 

切ったのは、ど真ん中の五であった。

波紋の様に衝撃が広がる。

 

「何を考えているの?」

「勝負を捨てたか!?」

 

永琳と妹紅が狼狽える。

輝夜のみ、静かに事の成り行きを見ていた。

 

「ふふふ、そう来るのね。面白いわ」

 

私は次も、その次も、序盤はおろか終盤ですら切られる事のない真ん中の牌を切り続けた。

そこまで来ると、どうやら永琳は私の狙いに気づいたらしい。

 

「まさか、国士無双……?」

 

国士無双とは九蓮宝燈と同じ点数の役だ。

基本的に使い勝手が悪く早々に切られる事の多い一と九、そして字牌をそれぞれ一枚ずつ集める事で完成する。

私の一打一打に全員の視線が集まるのが分かる。

雲行きが怪しいまま、とうとう終盤まで勝負はもつれ込んだ。

珍しく永琳が吼える。

 

「国士無双が出現する確率は限りなく低い……ましてこんな場面で出すなんて無理よ!」

「さぁ、どうだろうな?」

「っく……」

 

そこに輝夜が合いの手を入れてきた。

 

「貴子は落ち目だった。端牌を引いてきてもおかしくはないわね」

「姫様まで……」

「さぁ、早く切れ!八意永琳!」

「私はそんなオカルト、信じないわ!」

「なら切ればいい。その危険牌をな」

「っく……」

 

永琳の眉間が一層狭くなる。

事実、永琳の手には東が握られていた。

それは貴子に対して放銃する確率の高い超絶危険な牌だ。

 

「これを切ればっ!切ればっ!」

「さぁ、切れ!かかってこい!」

「っ!」

 

永琳が牌を切った。

捨て牌は……唯一貴子の現物である白であった。

 

「屈辱ね……」

 

そのまま誰も上がる事なく、とうとうその局は流局となってしまった。

輝夜、妹紅、永琳の三人ともが手を伏せる。

 

「ノーテン……」

「私もノーテン」

「私もだ」

 

全員、貴子の国士を警戒して危険牌を嫌えなかったのだ。

それだけの迫力が貴子には有った。

麻雀における全ての出来事の確立を計算できる永琳を降ろさせるほどの迫力が。

全員が貴子の方へ注目する。

その手を拝んでやろうと。

貴子は自分の手牌に手をかけた。

そして……。

 

「私もノーテンだ」

 

牌を伏せた。

 

「ノーテン!?」

「あぁ。なんなら見せてやろうか?」

 

貴子が手牌を晒す。

その手牌は……。

 

「バラバラ……」

 

国士無双には程遠い、ただのバラ手であった。

永琳が立ち上がる。

 

「あり得ないわ!何で……何でノーテンなのよ!」

「一つも良い牌が来なかったのさ。何せ私は、落ち目だったからな」

「……っ!」

 

結局、その局は点棒が移動する事なく流れた。

それは貴子にとって、勝ちに等しい流しであった。

 

「ブラフ……」

「ふふ。案外やるじゃない。まさか永琳を騙すなんて」

「さぁ、次の局だ!」

 

点数状況としては相変わらず最低の貴子。

にも関わらず、強気であった。

かたや三万点を持っている永琳。

勝っているのに、項垂れていた。

勝負の流れは、もはや貴子に対して向かい風では無くなっていた。

次局が始まり、永琳は弱気な打ち筋だった。

そこを付け狙うかのように、妹紅からのリーチが入る。

 

「リーチ!オープンだ!」

 

妹紅が自身の待ちを晒す。

わずかに輝夜がどよめいた。

 

「何よその手……地獄待ちじゃない!しかも、ノミ手……」

「流れは今全員に平等だ。運を揺らしてやるよ」

「そんな手、和了れるわけがない!」

「あぁ。こんな手を和了れる訳ないさ。だがもしこの手が上がれたら、普通和了れるはずのないものが和了れちまう!それが本物の博打ってもんだろ!」

「知ったような口を!」

 

輝夜は強気な打ち筋であった。

待ちの見えている妹紅は無警戒。

また永琳はもちろんの事、リーチをかけている貴子も、ほぼノーマーク。

輝夜が貴子の手を恐れないのには理由があった。

それは……覗きだ。

単純にして最強のイカサマ。

輝夜は覗きによって貴子の手の内を全て知っていた。

だから何一つ恐れる事などないのだ。

つまり、自分の手のことだけを考えて打つ全ツッパで打てる。

前局、ブラフに引っかかり戦意を失った永琳は典型的なベタオリ。

輝夜の邪魔をする者はいない様に思われた。

 

「カンよ!」

 

四枚の牌を晒しドラ表示牌が増える。

ドラは輝夜がカンした牌の激近であった。

輝夜は自身の運が上り調子である事を確信した。

 

「ドラ……いらないわ!」

 

輝夜の勢いは凄まじく、有効牌をみるみる引いてくる。

ドラなど恐怖に値しなかった。

 

「ドラか……よく切るな。そんな所」

「え?」

「まるで知っているかのよう。私の待ちを」

「……何が言いたいのよ。無いと決めたらスパッと切る。それが博打でしょ?」

「成る程……そんな覚悟で切ったドラなら、問題ないな。何が起ころうと……!」

「何が言いたいのよ!」

「輝夜……見誤ったよ。アンタ……!」

「は?」

「なんて言ったら良いか……ボコ殴りのボコ蹴り、圧倒的に優勢なケンカで相手はもはや……瀕死!地面を這って舐めてボロボロッ!どう転んでもここから負けなど考えられないケンカ……!」

 

貴子の語りに、全員の手が止まる。

輝夜は何のことか分からぬといった表情で聞いていた。

 

「ところが……そしたら突然、何の前触れもなく……雷が降って来て、いきなり形勢逆転みたいな感じかな……!これは、アンタから見たら!」

 

その形勢逆転に、なんとなく風見幽香は聞き覚えがあった。

輝夜は面倒くさそうに顔を顰める。

 

「くどぉ〜〜い!さっさと進めなさい!いい加減聞き飽きたわ!くだらぬ戯言!」

「おっかねぇってこと……!博奕は!」

「え……?」

「刮目せよっ!」

 

貴子が手牌を倒した。

 

「ドラ!そのドラ!ロン!ロンッ!ロンッ!ロォーンッ……!ロォーンッ!ロォ〜ンッ……!!!」

「あ、あわわ……!」

 

嗚咽まじりに響いた貴子の叫び。

全員がどよめく。

風見幽香を除いて。

 

「あ、あり得ない!な、何よこの手!?」

 

輝夜が立ち上がり貴子を睨む。

それを余裕の表情で受け流す貴子。

 

「今度はチョンボじゃないみたいだな」

「そんな、どうして!あり得ないわ」

「何だ?その断言は。おかしい事を言うな」

「そ、そんな……」

 

貴子の手牌は輝夜にとって最悪の手であった。

リーチ、タンヤオ……そこに大量のドラが含まれていたのだ。

大量の火薬を積んだ爆弾は、輝夜の火種で起爆した。

 

「ドラが七枚も……」

「七枚じゃない」

「え?」

「……実はさっきから、足が震えてるんだ」

 

貴子は笑みすら浮かべず、ある一箇所の牌に手をかけた。

それは……。

 

「裏ドラッ!」

「そうだ!裏ドラで三枚の加算!都合十一枚!親の数え役満、四万八千点だっ!」

「そ、そんな馬鹿な事が……」

「お前の負けだっ!」

 

貴子は叫ぶ。

輝夜はドサリと倒れ込んだ。

 

「ドラが十一枚も……アンタの勝ちだ、貴子。しかし輝夜の奴はどうしてここまで狼狽えてたんだ?ドラなんて切ったらそうなるだろうに」

「……覗いてたんだよ。こいつは」

「っ!」

 

輝夜の肩が跳ねる。

その反応が答えだった。

 

「隠れてないで出てこい!鈴仙、てゐ!」

 

貴子が叫ぶ。

ドアの方から、申し訳なさそうな顔をした鈴仙とニヤニヤ笑うてゐが入ってきた。

 

「な、お前ら!」

 

妹紅が驚きの声を上げた。

何の気配をしなかったからだ。

 

「私のチョンボはおそらく鈴仙の仕業だろう。そして窓の外から私の手を見て輝夜にサインを送っていた。違うか?」

「…………」

 

鈴仙は露骨に目を逸らした。

どうにも永遠亭の連中は隠し事が苦手らしい。

もっとも、隠れていた時点で言い逃れはできないが。

 

「なんて卑怯な事をっ……」

「まだ有るぞ。おい妹紅、永琳の手を開けてみろ」

「何?」

「っ!」

 

永琳は慌てて自分の手を崩そうとした。

しかし一歩妹紅が早かった。

 

「な、これは、四暗刻!?しかも……私、二巡前にこの手にフってるぞ!」

「あぁ。どうせ輝夜のことだ。自分の手でトドメを刺したくて永琳にストップをかけてたんだろ。その傲慢が命取りだったな」

「な、なんて事をっ!」

「コイツらはイカサマを仕掛けた卑怯者だ」

 

輝夜たちの手口はこうだった。

まず鈴仙の能力で私にチョンボをさせる。

おそらく私の動きを封じたかったのだろう。

そして鈴仙に覗きをさせる事で私と妹紅の手を把握。

最後に役満でドカンだ。

 

「汚ない……汚ないぞお前ら!」

「勝負が変わったのはお前のオープンリーチだった」

「え?」

「あのまま進めば私たちは負けていただろう。しかしお前がオープンリーチをする事でこのドラが飛び出たってわけだ」

「しかし、まさかあの土壇場であんなにドラを引くなんて……待てよ。何で覗いてたのに輝夜はロン牌を捨てたんだ?」

「さぁな。コイツらに倣って私はあるイカサマをした。それはぶっこ抜きだ」

 

ぶっこ抜きとは、自分の手牌とあらかじめ山に積んであった良い牌をすり替えるイカサマである。

 

「積み込んでいたのか?」

「偶然だ。たまたますり替えた牌が全部ドラだった。そして裏ドラも乗った。どうやら今日は運が良かったらしい」

「運って……運だと!?まさか!」

 

妹紅がてゐの方を向く。

何のことやらと言った態度でてゐは肩をすくめた。

 

「アタシは何もしてないよ。でもねぇ、勝負は平等じゃ無くっちゃつまらないだろう?」

「勝ちを確信した輝夜は鈴仙のサインを見るのをやめたんだろう。だから私の手に振った。傲慢故の……敗北だ」

 

この失点により輝夜は持ち点を全て失った。

命懸けの麻雀は終わった。

貴子が一位、輝夜が最下位という結果を残して。

 

「さぁ罰ゲームだ。一位は四位に何でも命令できるんだったな。妹紅、どうする?」

「え?」

「この権利はお前に譲るよ。罰ゲームもお前が決めて良い」

「……良いのか?」

「良いも何もお前の物だ。お前以外、全員イカサマをしてたんだからな。失格さ」

 

輝夜にコスプレをさせて街中を歩かせるとか、わさび寿司を食わせるとかそう言うのも考えていたが、今回の勝利は妹紅無しでは得られなかった。

何より、最後まで正々堂々闘っていたのは妹紅だけだったのだから。

 

「……それなら、一つだけ」

「何だ?」

「こうするんだよっ!」

 

妹紅が大きく振りかぶる。

右拳が空を切る。

 

「っな!」

 

泣き腫らしていた輝夜の鼻っ面を、妹紅の鉄拳が殴り抜いた。

鋭い一撃。

銅鑼を叩いたような鈍い音。

勢い止まらず輝夜は、慧音の家の壁を打ち抜いてどこまでも吹っ飛んでいった。

拳から煙を上げながら妹紅は歯を見せて笑った。

 

「一発ぶん殴らせろ!ってね」

「ははは、そりゃ良いや」

「久しぶりにスッキリした!」

 

妹紅の爽快な顔。

それを見れただけで、さっきの勝負には価値がある。

ホント、良い気分だ。

ふぅ……勝って吸いきる煙草は美味い。

 

「妹紅、貴子……」

「どうだ慧音。妹紅がやったぞ」

「お前らなぁ……」

「え?」

「人の家の壁を壊すわ煙草は吸うわっ!いい加減にしろっ!」

「ちょっ待っギャァアアッ!」

 

……狂気の夜は幕を下ろした。

私と妹紅の血によって。

 

 

――夏祭り

 

蝉も、声が枯れてきた。

入道雲が夕焼け空を反射して照れ屋さんになってる。

もう、夏も終わりか……。

本当に波瀾万丈だった。

私は今でも寺子屋で教師をしている。

いつまで経っても人喰い妖怪の噂は絶えず、慧音が必要だと言い張るのだ。

結局、辞めるに至る理由もなくダラダラと続けている次第だ。

妹紅と慧音は、夏だって言うのにベタベタと熱苦しい。

特に妹紅からのスキンシップが激しくなった。

アイツ、慧音が恥ずかしがってるのを見て喜んでやがる。

もっとも、何をされても拒まない慧音も慧音か。

もう一個、この夏で変わったこと。

それは私が人里に来た事だろうな。

余所者に厳しい人里も、つまる所は人の集まりだ。

人間って奴は、どんな状況でも慣れてしまう生き物らしい。

あれだけ里を賑わせていた私も、そろそろ市民権を持ち始めていた。

里の有力者が、余所者とて人間だと受け入れる方針を固めてくれたそうだ。

その有力者の顔も名前も知らないが、変な奴も居るもんだ。

もっとも、私はそいつの事を立派だと思うが。

これは後で知った事だが、その有力者は寺子屋に通っている子供の親らしい。

しかもその子供というのが、疫病の時に私に小石を投げつけてきたあのクソガキだというのだ。

全くもって世間は狭い。

何処で誰と繋がるか分からないものだ。

……本当に、誰と繋がるかなんて分からない。

私が風見幽香と知り合ったように。

人間って奴はつくづく慣れてしまう生き物らしい。

その法則はどうやら私にも適用されるそうだ。

恐ろしいことに、家に幽香がいる状況を何とも思わなくなってきた。

朝は幽香に叩き起こされて朝飯を食べる。

昼は寺子屋で子供たちに授業をする。

それが終わったらミスチーの屋台で軽く引っ掛けて、幽香の待つ家へと帰る。

この生活リズムが体に染み付いてしまったのだ。

幽香は昼になるとひまわり畑へ向かうらしい。

……風見幽香は悪魔だ。

それはもう変えようのない事実だろう。

私だって殺されかけてるし。

でも、人里で悪事を働いたことはない。

それはここに来た時に慧音とした約束が理由だ。

幽香が里で人を殺したら、私の首を差し出すというもの。

それでも私が今生きているということは幽香が約束を守っているということだ。

結局幽香は、ただの口悪フラワー女に過ぎない。

因みに悪事を働かないというのは人里の人間に対してのみであり、私に対しては適用されない。

適用されるなら、私の家は花屋になったりしてないだろう。

あと私の自由を妨げるのも幽香だ。

ずっと言っているが元々私の家だったのを幽香が乗っ取ったんだ。

何の権利があって煙草を吸うなだの言えるんだ。

さらに酷い事例がある。

その日、私は訳あって懐が暖かかったんだ。

その訳というのが博打であるのは言うまでもないが、とにかく財布に余裕があった。

いい気分のままミスチーの屋台に行って、楽しく呑んでたんだ。

そこからの記憶は曖昧だけど、どうやら私はミスチーの屋台で寝ていたらしい。

辺りはすっかり夜だった。

 

「あぁ……っ今何時だ!?」

 

狼狽えてそう聞いた。

ミスチーの屋台は人里の外。

夜に家へ帰るのは危険だからだ。

しかし、私の質問に答えたのはミスチーではなかった。

 

「深夜二時よ。どういうつもりかしらねぇ貴子……説明しろ」

「な、幽香ぁっ!?」

 

私の隣に、見た事がないくらい良い笑顔の幽香がいた。

幽香がそういう笑い方をする時は私の死期だ。

 

「寝たいなら言ってくれれば良いのよ」

「二度寝はごめんだ」

「永眠よ」

「っぎゃあぁあ!」

 

美鈴仕込みの中国四千年も、幽香のアイアンクローには勝てなかった。

だがここで待ったをかけたい。

そもそもがおかしいではないか。

私という人間が酒を飲んで幽香という妖怪がキレる筋合いなどどこにも無い。

全く、人の顔に傷つけやがって。

五針縫ったせいで慧音に

 

「とうとうヤクザになったのか!」

 

って怒られたんだからな。

他にもある。

風邪を引いて寺子屋を休んでた時のこと。

私は幽香と将棋を打ってたんだ。

……まぁ、ただの将棋じゃなくていわゆる賭け将棋だったんだけども。

何でか知らないが幽香のやつ、滅法将棋が強かった。

地元じゃ貴子竜王で通ってる私が負けそうになるくらいには。

そんなチャンスをアイツが見逃すわけもなく、コテンパンに嫌味をぶつけられた。

 

「ほら、貴方の番よ。もう何をしても無駄だけどね」

「ぐぐぐ……」

「さて、どうやってトドメを刺そうかしら」

「……あ!あんな所に日本人!」

「え?」

「今だっ!――あら?」

 

こっそり飛車に伸ばした手がピクリとも動かない。

 

「そんな古典的な手に引っかかる訳ないでしょ」

「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」

「さぁ早く打ちなさい。五手詰めかしらねぇ」

「……くそぅ!」

「はい、どうぞ」

「……なーんてな。王手」

「悪あがきね。逃げられないわよ」

「よく見てみろ。そこは取れないぞ」

「馬鹿も程々にしなさい。何の駒も掛かってないじゃない」

「ほら、ここの角」

「……あら、あんな所に半獣が」

「慧音か?下手な嘘は見苦しいぞ。こんな昼間に慧音がいるわけ……」

「何をやってるんだ?」

「そんなの賭け将棋にきまって……えぇ?」

「元気かどうか見に来てみれば……貴子、お前って奴は!」

 

慧音が説教モードに入る。

頭突きに王手だ。

 

「ちがっ違うんだ!風邪ひいて暇だから時間潰しに!」

「このままだとお金が取られちゃうわねぇ」

「やっぱり!」

「な、幽香お前このやろう!」

「自業自得よ。イカサマさえ無ければバレなかったじゃない」

「イ、イカサマだと!賭博の上に不正までしたのか!」

「してないって!」

「問答無用だっ!」

「っぎゃぁぁあ!!!」

「やっぱり五手詰めだったわね。どっちにしろ負けてたのよ……」

 

全く、私ほど不幸な目に遭っている人間もそういまい。

楽しく将棋を打つことすら許されないのだから。

慧音から頭突きは貰うわ将棋には負けるわ……前世で何をしたらこんな目に遭うんだよ。

幽香と関わってから酷い目に遭いっぱなしだ。

……なら、とっとと縁を切れば良いのに。

そんな呟きが私の心で聞こえる。

確かに幽香と絶縁できたら二十年は寿命が伸びるだろう。

でも、私にはそれが出来なかった。

心底から憎むなんて簡単な事なのに。

私はアイツに殺されちゃいない。

私はどうやら殺されでもしない限り……いや、仮に殺されたとしても人を呪えない弱虫らしい。

しかし、仕返しをするかどうかは別問題だ。

アイツは気まぐれで私を振り回す。

だから私も、気まぐれでアイツを連れ出してやろうと思う。

そう、これは気まぐれだ。

寺子屋に貼ってあったお知らせをたまたま目にした、それだけが理由の気まぐれ。

今日ばかりは私が幽香を困らせたっていいだろう。

 

「おい幽香」

「偉くなったわねぇ、誰を呼び捨てにしてるのかしら」

「幽香ちゃんか?それよかゆうかりんでも良いぞ」

「殴られたいの?」

「御託はいい!祭りだ!」

「は?」

「今日は祭りの日なんだよ!」

「へぇ。だから何よ」

「決まってんだろ。行くんだよ」

 

 

向日葵の浴衣は、持ち主に全く似合わぬ優しい色だった。

黄色の花弁は暗くなっていく夕焼けによく映える。

惜しむらくは、暴力花妖怪が着ていなければ満点の仕上がりだったことだ。

 

「たかが祭りで騒ぎすぎよ。鬱陶しいわね」

 

下駄をカンカンと鳴らしながら幽香は毒づいた。

手には向日葵の刺繍が入った巾着袋が下げられている。

花柄の浴衣は幽香によく似合っていた。

夕焼けが幽香の唇を紅く照らす。

ううむ、黙ってさえいれば美人なんだがなぁ。

おしゃぶりでもしゃぶらせとこうか。

 

「しかし、流石に人が多いな」

「人がゴミと書いて人混みよ」

「へー、バルスバルス」

 

私たちは祭りの賑わいの中心地へと乗り込んだ。

この混雑の中で自由に身動きが取れるか不安だったが、その心配は全くなかった。

隣に幽香が居ると、皆が道を開けてくれるのだ。

というより、距離を取られている。

まぁ、歩きやすくていいや。

 

「屋台も多いし、楽しめそうだな」

「祭りではしゃぐなんて子供ね」

「人は夏になると突然はしゃぎたくなるんだよ」

「貴方は年中騒いでるじゃない」

「お、りんご飴!行こう!」

 

幽香の手を引き屋台へ連れ込む。

甘いツヤのある美味しそうなりんご飴だった。

 

「おっちゃん、二本くれ」

「あいよ……あい、お待ちどう」

 

りんご飴のこの重量感。

祭りといえばこれだよな。

というか、こんなもん祭りでもなきゃ食べないだろうな。

飴を舐めながら祭りを進む。

 

「あら、貴子じゃない。来てたの」

「おぉ咲夜か。誰と来たんだ?」

「紅魔館の連中よ」

「へー、何処にいるんだ?」

「あの辺りよ」

 

咲夜がやれやれと言った顔で指さす。

その先に、一際大きい賑わいがあった。

見ると、射的屋の景品を胸いっぱいに抱えた美鈴とフランがいた。

少し離れて、楽しげに話すレミリアと人混みでバタンキュー寸前のパチュリーもいた。

 

「射的屋のオッサンも可哀想に……」

「接着剤で景品をくっつけてたの。妹様が欲しがったのが運の尽きね」

「楽しそうで何よりだ」

「あんなの買った方が安いじゃない」

「祭りで取るから良いんだよ」

「それにしても貴方の浴衣……桜の柄?ずいぶん上等ね。盗んだの?」

「んなわけ無いだろ。これはなぁ……」

 

私は事情を説明しようと思ったが、その必要は無くなった。

遠くにある人影を見たからだ。

 

「妖夢!」

「あ、貴子さん。お久しぶりです」

「来てたのか」

「幽々子様が祭り料理を食べたいと言い出して……あ、その浴衣。着てくださってるんですね」

「あぁ。ありがとう……という訳だ。咲夜」

「亡霊から貰ったのね。なら納得だわ」

 

咲夜が腑に落ちたように手を叩く。

それと同時にレミリアの声が響いた。

 

「今のはレミリア!?おい咲夜っ……もう居ない」

 

流石はメイド長だ。

誰よりも早く駆けつけていったのだろう。

 

「流石ですね……あの人は」

「ん?そうだな」

「異変の時もそうでしたが、時間を止められるなんて、本当に驚くばかりです」

 

溜息のような褒め言葉を吐く妖夢。

その頬はやたら紅かった。

……さては。

 

「ははーん?」

「な、何ですか」

「さては妖夢……ホレたな?」

「っな!何ですか急に!」

 

汽車みたいに顔から煙を吹き出す妖夢。

剣士なのに言葉の歯切れが悪くなる。

 

「咲夜はやめとけ。もう相手がいる」

「そ、そうなんですね……」

「その反応、やっぱりホレたのか!」

「ち、ちが!」

 

妖夢が手をブンブンと振りながら慌てる。

遠くから気の抜けたな声が聞こえてきた。

 

「そうよぉ。お赤飯炊かなくちゃいけないわ」

「幽々子!」

「あら、貴子じゃない。久しぶりねぇ」

 

祭りの名物といえば焼きそば、イカ焼き、たこ焼きなどなど多くの品物が考えられる。

その全てを幽々子は手に持っていた。

 

「祭りって楽しいわねえ」

「妖夢の飯のが美味しいだろ」

「今日はお暇を上げたのよ。だから私についてくる必要はなかったのに」

「幽々子様を一人にしてはおけません」

「ふふふ。頼もしいわね。それじゃ、私達はこの辺で」

「あぁ、もう行くのか」

「後ろの花妖怪が怖い顔してるもの」

「え?」

「さようなら〜」

 

幽々子が桜色のハンカチを振りながら何処かへ去った。

残された私と幽香。

見ると、幽香は鬼すら慄くような表情をしていた。

 

「おい幽香!どこ行くんだ!」

「……ふん」

「待てって!」

 

幽香の手首を掴む。

それと時を同じくして、私の鼻頭に右拳が入った。

 

「っ何すんだこの野郎!」

「退屈。帰るわ」

「待て!」

 

良かった。

あの勢いで殴られたけど、なんとかまだ幽香の手をこの手に握っている。

今帰られたら駄目なんだ。

コイツには、どうしたって見せなきゃ行けないモンがある。

 

「離しなさい」

「嫌だ」

「帰るって言ってるでしょ」

「うるせぇ。良いからついてこい!」

 

私のどこにそんな力があったのか、幽香は大人しかった。

下駄の音が、カンカンと荒く鳴り響いた。

祭りの中心からしばらく歩き、日も沈んできた時分。

 

「……そろそろだな」

「人もいない、店もない。何を考えてるの?連れ回されて迷惑なのよ」

「知るか。お前がなんと言おうと今日だけはこの手を離さないからな」

「自分勝手すぎるわ」

「人間だからな……まだ始まらないのか?」

「だから何が始まるのよ!」

「……もうすぐわかる」

「何を言って――」

 

そこから先の幽香の声は聞こえなかった。

夏空に一輪の綺麗な爆発が咲いたのだ。

 

「……花火」

「花妖怪でも、アレだけは操れないだろ?」

「えぇ……けど花火なんて、どこから」

「花火に使われるのは火薬。薬ってついてれば作れない物はないんだとさ」

「……誰が言ってたのよ」

「どこぞの馬鹿薬師だ。しかし、綺麗な物だな」

「……ふん。空に花を咲かそうなんて馬鹿馬鹿しいわ。人間の考えそうな事ね」

「達者な口だ。少し黙りな」

 

破裂音。

乾いた口笛のような音。

一等星のように輝きながら天へと舞い昇る光。

誰もが息を呑む。

幽香は静かだった。

貴子が、その唇を塞いでいたから。

一際大きい花火が、空気を揺らしながら派手に咲き誇った。

 

「っ何すんのよ!」

「この前のお返しだ」

「……生意気」

「へへ。良い気味だ」

 

とうとう幽香から一本取ってやった。

なんて気分のいい夜なんだ。

 

「ねぇ貴子……」

「ん?」

 

花火が打ち上がる音がする。

幽香は一息飲んで、言った。

 

「――――」

 

花火の音にかき消されて、私にはそれが聞こえなかった。

 

「すまん、聞こえなかった。何て言った?」

「何でもないわ」

「隠されるとむしろ気になるんだよ」

「お返しよ」

 

そう言って、幽香は――とても朗らかに笑った。

初めて見る笑顔だった。

花火なんかに負けてないくらい、綺麗な横顔だった。

女の私でもしばらく見とれてしまってたのだろう。

手に何かの感触が伝わって、ようやくハッとした。

手のひらの上で横たわるモノ。

それは、向日葵のコサージュだった。

 

「……っ不味い!爆発するぞ!」

「貸しなさい」

 

幽香は私からコサージュを掴み取り、空に向けて投げた。

私達からたった二メートルくらいの距離で、それは爆発した。

 

「た、助かった……」

「さぁ、帰りましょうか」

「え?花火はまだあるぞ」

「今ので十分よ」

「……それもそうだな」

 

そうだ。

今ので十分だ。

私の気まぐれに幽香を無理矢理付き合わせて、日頃の仕返しもしてやった。

それに、幽香のあんな顔も見れた。

もう十分だ。

 

「もうひぐらしも鳴かなくなったわね」

「あぁ、そうだな」

「夏も終わりね」

「来年になったらまた来るさ」

「……ふふふ。そうね」

 

幽香はすっかり機嫌を治していた。

いつもより素直なコイツが今日はなんだか愛おしくて、思わずまた手を繋いでしまった。

 

「…………」

 

幽香の視線で我に返って慌てて離そうとした。

しかし、手は離れない。

幽香の指が、優しく私の手を握り返していたから。

 

「今日はずっと、離さないんでしょ?」

 

遠くでまた、花火の音が鳴った。




これで永夜は終わりです。
本当に、永い夜でした。
ところで、幽香と貴子のコンビはなんと呼ぶのがいいでしょうか。
たかゆか、何て良さげじゃないかとおもっています。
祭りっていいですよね。
せめて幻想郷でくらい楽しくやってほしいもんです

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