書きたくなくてもくだらないですが
謎かけって面白いですね
ある日の暮方の事である。
一人の女が、寺子屋の中で筆を走らせていた。
狭い部屋の中には、この女の他にもう一人女がいた。
「おや貴子。何を書いているんだ?」
「……その質問はお前で十人目だよ。私が何かを書いててるのがそんなに珍しいか?」
「いや、悪気はないんだがな」
右頬を押さえながら言う慧音。
表情はどんどん曇り、涙目にまでなっている。
すこしやっかみが過ぎたと、流石の貴子も申し訳ない気持ちになった。
「私に読み書きを教えてくれたのは慧音だろ?その練習がてら日記でも書こうかと思ってさ」
「…………」
「な、なんだよ。悪いか?」
「偉いっ!」
「は?」
「自ら学ぼうとする姿勢、感動したぞ!」
「そんな大袈裟な……」
「どれ、良ければ私にも読ませてくれ!」
「そりゃ構わないけど……少しも面白くないぞ」
「お前の日常を書いてるなら小説より奇なりだ!どれどれ――」
慧音は日記を手に取り意気揚々と読み始めた。
生徒の宿題を見るような、あるいは我が子の成長を喜ぶような優しい瞳で。
だが、三行目で破顔した。
『ゆうかになぐられた。三ぱつ。アイツがじごくに落ちますように。あの世でえいきと出会った時が楽しみだ。
昼、けいねに頭つきされた。石頭め。
ゆかりに怒られた。いへんなんて知らないと私はなんどもいっているのに』
パタンと日記を閉じ、ヘナヘナと地面に座り込む慧音。
人の日記を読んで一番ショックな反応をされたと貴子は思った。
「殴られた事から始まる日記なんて初めてだよ……」
「照れる照れる」
「結構な量を書いてたが……この恨み節はどの辺りまで続くんだ?読み飛ばさないと疲れそうだ」
「ん?まだ書いてる途中だよ。幽々子の分が終わってない」
痛みに強い慧音の石頭が、中の方からジリジリ痛む。
どういう育ち方をしたんだかと、心底思った。
「……あ、そうだ慧音!お前この野郎!」
「ど、どうした急に」
「この前花を採ってくるよう頼まれたよな。お前、何が博麗の巫女に退治される心配は無いだ!」
「え?」
「花取ってたら博麗の奴にぶん殴られたぞ!『やっぱりアンタが犯人なのね』ってな!」
「そんな事があったのか!?」
「せっかく取ってきた花もすぐに枯れたし!とんだ目に遭ったよ!」
「それはすまない事をした……」
「ごめんで済んだら妖怪退治屋はいらねぇだろうがよぉ!あぁん!?」
「どうしたんだ貴子、ちょっと変だぞ」
「そのでけぇ乳揉ませろぃ!」
怒り心頭、貴子の手が真っ直ぐに延びる。
鈍い音がした。
何度も何度も、除夜の鐘のように。
「――いやホントずびばせんでした」
「ごめんで済んだらと言ったのはお前だぞ」
正座でマジギレされる貴子。
慧音は下品なネタを何より嫌う。
その事を努努忘れないように、貴子は日記と筆を手に取った。
『けいねに頭つきされた。百八回』
額の汗を拭い満面に笑う貴子。
「反省しろ!」
百九回目の音がゴツンと鳴り響いた。
太陽が定時を迎えて沈んだ時分。
貴子はたんこぶまみれの頭を労りながら永遠亭で診察を受けていた。
戸を叩く事すらせずにズカズカと上がり込む様は、勝手知ったる常連の振る舞いである。
永琳は開口一番、貴子に問い詰めた。
「馬鹿なの?」
「ギャグ回なら怪我しないと思ったんだが」
「メタな発言は冷めるわ……それにしても貴方、生傷が絶えないわねぇ。体は大事にしなさいよ」
「不思議なことに妖怪退治やってた時より怪我してる気がするんだよ」
「その頃は毎日酒と博奕でしょ」
「紅茶とヴァイオリンだ」
「プライドだけは貴婦人なのね」
薬を手渡しながら永琳は言った。
時刻が深夜帯ということもあって、不機嫌そうにカルテの端をコツコツと指で叩いている。
チラチラとカレンダーの方をみながら、溜息をついた。
露骨に帰って欲しそうな態度を取る。
それに気づいているのかいないのか、偉そうに椅子の上で足を組む貴子。
焦ったく湯呑みを傾ける。
「ふぅ……」
「早く帰りなさいよ」
「……折り入ってお話があります。永琳先生」
「何よ改まって、気持ち悪い」
「今晩だけ……私を入院させてください」
「何故?前はあんなに入院を嫌がっていたのに」
「薬師は命を守る職業だよな?」
「えぇ、だけど貴方の体は健康体よ」
「今帰ったら……次に会うのは葬式だ」
「どういうことよ」
空になった湯呑みをことりと机に置いて、泣きそうになりながら貴子は言った。
「幽香に殺される……」
「……何をしたのよ」
「私は断じて何もしていない」
「はいはい、悪者は皆そう言うのよ。何もしてないなら帰りなさい」
「いや、語弊があったな。確かに何かはやらかしたんだ。でも私にはそれが何か分からない。頼む、アンタの頭を貸してくれ」
「嫌よ」
「っな!私が死んでも良いのか!?」
「そうね。貴方が死んでから考えるわ」
頬杖を突きながら、面倒臭そうな口調で永琳は告げた。
永琳からすれば貴子はもはや面倒事を起こすだけの迷惑な人間でしかなかった。
ましてそれを助けてやる義理はない。
「今日はもう閉店よ」
「明日になったら白骨死体だ」
「……はぁ。これに署名しといてくれるかしら」
「何だよ」
永琳が引き出しから出した紙を見る。
やたら無愛想な文字でこう書いてあった。
『臓器提供の同意書』と。
「役に立てるわよ」
「死ぬ前提で話を進めるな!」
貴子の怒声が夜の永遠亭に響いた。
それと同時にもう一つの音が鳴った。
永琳の診察室の戸が開く音だ。
何者かがやってきた。
「永琳!助けてくれ!慧音に殺される!」
並々ならぬ剣幕の妹紅だった。
永琳の顔に青筋が一つ増えた。
「あれ、貴子。何してるんだこんな所で」
「幽香から避難してきた。お前は?」
「奇遇だね。私も慧音から避難してきたんだよ」
「あっはっは。お互い根無草か」
「こりゃ傑作だ」
「二人とも、ちょっとそこに座りなさい」
「もう座ってるよ。慧音が不機嫌でさ、今晩ちょっと入院させてくれ」
プチンと音が鳴った。
大きく膨らんだ水風船を破裂させたような、勢いの良い音が。
永琳がいたはずの場所に、般若がいた。
「はい、ちょっとそこに立って」
「ん?」
「イヤーッ!」
セツナ!永琳のブレイクダンスめいたカポエイラがか細い妹紅の首筋を潰す!
「グワーッ!」
右頬を蹴り抜かれた妹紅の体が浮いた!
青ざめる貴子!
その隙を永琳は見逃さない!
「イヤーッ!」
回転の勢いを拳に乗せ流星めいたライトブローを放つ!
ゴウランガ!
一瞬にして二つの悪は成敗された!
インガオホー!
永琳は闇深き夜空に絶叫した。
インガオホー……。
「……師匠」
「何かしら」
「どうして患者が二人も増えてるんですか」
「鳴いた七面鳥は矢で射たれ焼かれる定めなのよ」
「ここはネオサイタマじゃありません。師匠も手伝ってくださいよ」
「はいはい……」
ボコボコにやられた二人がベッドに寝かされる。
後日貴子の日記に『えいりんになぐられた』と加えられたのは言うまでもない。
「……なぁ妹紅」
「なに?」
傷だらけの貴子が、すでに回復した妹紅に問いかけた。
暗い病棟に蝉の声と二人の声だけが響く。
「なんで慧音は怒ったんだ」
「……わからないんだ。いつも通りのはずだったのに」
「だよな。そうだと思ったよ。妹紅、岡目八目って知ってるか?」
「ううん、知らない」
「当事者よりも他人の方が物事を客観的に見れるって意味だ。そこで一つ提案があるんだけど」
「なに?」
「私も幽香がなんで怒ってるか分からない。だから、最近の出来事を話し合って原因を突き止めないか?」
「……なるほど。良いアイディアだ」
「よし。じゃあ妹紅から話してくれ」
「ん、わかった」
上半身だけを起こして、妹紅は話す体勢に入った。
さてどこから話そうかと思案する。
不意に、戸が軋む音がした。
思わず身構える二人。
そこにいたのは、鈴仙だった。
「寝込みを襲うなんて破廉恥なお人。発情期か?」
「違うわよ!……っと、夜中だから静かにしなさい」
「叫んだのはお前だろうが」
「その……私も混ぜてくれないかしら。オカメハチモク?……だか何だか知らないけど」
「あぁ、良いけど。誰か怒らせたのか?」
「……この前師匠に怒られちゃったの」
「この前?じゃあもう機嫌は治ってるんだろ」
「えぇ。だけど原因を知っておかないとまた怒られちゃうじゃない。師匠、怒ると怖いんだもん」
「そうか。まぁ来るもの拒まずだ。よし、今夜はとことん語り合おう」
「それならこれを点けましょう」
そう言うと鈴仙は、一本の蝋燭を立ててそこにマッチで火をつけた。
ゆらゆらと揺れる小さな灯火を囲んで三人で話し合う。
まるで百物語のようだと、貴子は密かに思った。
「それじゃ、私から。
慧音が不機嫌になったのは今日の昼からで、その時私たちは買い物に行ってた。
出会った時は全然楽しそうだったのになぁ。最後の方なんか返事もぶっきらぼうでさ。
私もそこまで人の感情に敏感じゃないけど、流石に慧音が不機嫌なのは伝わってきた。
何かしでかしたのかなと思ったけど全然心当たりもないし。でも慧音を傷つけてたら嫌だからさ。思い切って聞こうとしたんだ。
そこで問題が起きたんだよ。
……こればっかりが私も分からないんだ。
いくらなんでも往来の真ん中で聞き詰める訳にはいかない。
だから機嫌取りの意味も含めて甘味処に誘った。
慧音が甘いもの好きなのは知ってるでしょ?
そこでゆっくり話をしようと思ってたんだ。もちろん私の奢りで。
そしたら、ビックリだよ。
急に立ち止まったと思ったら、慧音が泣きそうな顔しててさ。
そのまま何も言わずに何処かに走って行っちゃった。
わたしは一体何をしでかしたんだか……」
妹紅は難しい顔をしながら話した。
――少しだけ考えた後、鈴仙が手を挙げた。
「慧音さんの服はいつもと同じだったの?」
「うん。いつもの服だったし、いつも通り似合ってたよ」
「サラッと惚気ないの……けど、服を褒めなかった訳ではないのね」
鈴仙の表情は振り出しに戻った。
今度は貴子が質問をした。
「それは今日の話だよな?」
「うん。正午くらいかな」
「私、夕方慧音に出会ったけど別に不機嫌じゃなかったぞ」
「え、そうなの?」
「あぁ。ボコボコに頭突きされたよ」
「……それって不機嫌なのでは」
「いつも通りって事だ。もし慧音が不機嫌だったら頭が砕けて死んでるよ」
「しかし……ますます不可解だ。私と別れて貴子と出会うまでに何があったんだ?」
妹紅の問いかけに全員がそれらしい答えも出せず黙り込んでしまった。
オカメハチモクの効能は薄いのか――そう思った時、煮詰まった場が動いた。
発破を掛けたのは貴子である。
「そもそもなんだけど、慧音にしてはおかしくないか」
「何がだ?」
「もし妹紅が何かをしたんだとしたら、慧音はちゃんと注意すると思うんだ。アイツは言うべき事は遠慮なくいうタイプだろ?」
「……確かに、そう言われるとそうかも」
靴下の柄が左右で違うと三十分怒られた事のある貴子。
その発言には、説得力があった。
しかしそれ以上先に進める訳でもなく、またしても場が硬直しようとした時……
「あ!私分かった!」
不意に、鈴仙が声を上げた。
蝋燭の火が風を受けて揺れる。
過敏になっていた耳に大きな声で喋られるもんだから、余韻でキーンとなってしまった。
「もう少し声抑えろっ……!」
「ごめん……けど、分かったわよ」
「自信満々だな。聞かせてもらおうか」
鈴仙は長い髪をかきあげて、己の推理を語り始めた。
「まず確認ね。
最初に出会った時はいつも通りだった。服を褒めなかった訳じゃない。
少しずつ様子がおかしくなっていって、最後は返事も無愛想だった。
機嫌取りに甘味所へ誘ったら、泣きながら何処かへ走り去ってしまった。
だけど夕方、貴子と出会った時はいつも通りだった……と。
そして何より、慧音さんはちゃんと注意をできる人なのよね?
なるほど、これはもう私の推理に間違いないわね」
ドヤ顔でウンウンと頷く鈴仙。
その焦ったさに妹紅と貴子の不快感ゲージがみるみる上昇していく。
「はやく結論を聞かせてくれ」
「せっかちねぇ……まず一つ。今回の一件、妹紅は悪くないわね」
「え?」
「完全無罪かどうかは知らないけど、多分原因はもっと別よ」
「そうなのか?なら慧音はなんで怒ってたんだ」
「それはね……」
殊更に焦ったく出し惜しむ鈴仙。
どこぞの少年探偵なら、急にドアがバタンと閉まって広告に入る所だろう。
鈴仙があまりに勿体ぶるので、貴子のデコピンが炸裂した。
「いたっ!」
「早よ言え」
「もー、分かったわよ」
気を取り直して鈴仙は言った。
「慧音さんは、虫歯だったのよ!」
したり顔の鈴仙。
呆気に取られる妹紅。
あまりに突飛な結論だった。
「その根拠は?」
「ふふん、一つ推理してみようかしら?」
「何だよ」
「貴子、夕方の慧音さんの事をよく思い出して。その時の慧音さんは……ほっぺたを抑えてたんじゃないかしら?」
「…………あっ!」
貴子に電流のような衝撃が走る。
夕方の慧音。
それは貴子の日記を読んでいた時。
あの時、確かに違和感を覚えた行動があったはずだ。
『右頬を押さえながら申し訳なさそうにいう慧音。
表情はどんどん曇り、涙目にまでなっている。
すこしやっかみが過ぎたと、流石の貴子も申し訳ない気持ちになった』
あの時の貴子はあまりにも質問されすぎるから腹が立って、その苛立ちを慧音にぶつけた。
そのせいで傷ついたんだと思ってたが、確かに落ち込みすぎだった。
「押さえてたよ。泣きそうになりながらな」
「やっぱり。事件の真相はこうよ!」
痛み止め等を服用して虫歯を隠しながらデートに向かった慧音さん。
だけど効きが薄かったのかどんどん痛みが増してきた。
それで不機嫌になっていったのよ。
そこに妹紅が甘味所なんか誘うから……慧音さんは泣いちゃったのよ。
よっぽど処置が遅れたのかしら。
大方、走り去った後は歯科医に診てもらって、虫歯の治療をしたんじゃないかしら。
そのとき打った麻酔が気になって頬を押さえてたと思うの。
「なるほど……」
「これが事件の真相よ」
「なら妹紅は無罪じゃないか?せいぜい虫歯の慧音に甘いモノを勧めたくらいだろ」
「いや……そうでもないわよ」
「え?」
「だってね、貴子……」
またしても結論を焦らされる。
――もう鈴仙の勿体ぶりについてツッコまないようにする。
「虫歯はキスで、感染るのよ」
蝋燭の光に寄せられた蠅が、炎に焼かれてジュッと消えた。
思わぬ感染経路。
どうやら、妹紅が犯人らしい。
歯磨きはちゃんとしようと、貴子は誓った。
「それじゃあ、次は私で良い?」
鈴仙が名乗りを上げる。
了解を得る前に話は始められた。
「妹紅なら知ってるかもだけど、お師匠様は滅多な事では怒らないわ。たとえ酒や食べ物を頭からぶっかけられようが、唾を吐きかけられようが大抵のことは笑って見過ごしてくれるの。
だけど優しい分怒った時はホントに怖いわ……しかもタチの悪いのが、どこに地雷があるか分からないのよ。
例えばご飯を炊き忘れたとしても気長に待ってくれるのに、蚊を一匹殺しただけでキレたりするの。殺生が嫌いなのは分かるけどこうも極端だと……。
あと、怒る時の前兆が全くないのよ。ついさっきまで楽しく話してたのに、十秒後には雷が落ちたりするんだから。
今回も、急だったわね。一昨日のことだったかしら。
その日、私は師匠にお出かけのお誘いを受けたのよ。
今日から見て三日後の日は空いてるかって言われて。
でもその日はちょっとどうしても外せない用事があったから、別の日にしてもらえないかって聞いたの。
私は師匠の予定はちゃんと把握してるし、他にも暇な日が沢山あるのを知ってたから。
それに、師匠は優しいからお誘いを断ったくらいじゃどうもならないと思ってたの。
でも何故か、ダメだったわ。
師匠があんなに怒るのは初めて見たわよ。『何で私の言う事を聞けないの!?』って怒鳴られたし。
師匠が声を上げることなんて珍しい……というか、初めて見たわ。
でももっと珍しかったのは、怒りが尾を引いてたこと。
切り替えの早い師匠が、その日一日拗ねて無愛想だったのよ。
お誘いを断っちゃったのは申し訳ないけど……なんであんなに怒ってたのかしら。私には全く見当がつかないわ」
長いうさ耳をタランと垂らしながら鈴仙は首を捻った。
咥えタバコで妹紅が聞いた。
「多分誘いを断った事自体よりも、三日後ってのが大切なんだろ。何か心当たりはないか?」
「うーん、その日は何の変哲もない平日だし……」
「平日……日付……」
そこで貴子はついさっきの事を思い出した。
そういえば、永琳がやたら気にしていた物があった。
「カレンダー……」
「え?」
「そういや永琳の奴、やたらカレンダーを気にしてたぞ」
「ホント?となるとカレンダーに手がかりがあるかも知れないわね」
そう言うなりすぐさま立ち上がり、三回息を吸って吐いてする間に鈴仙は戻ってきた。
胸にはカレンダーの束が抱えられている。
「屋敷中のを持ってきたわ!」
「いや、いらないだろ」
「三日後はっと……何、これ」
意気揚々とした鈴仙の手が止まる。
カレンダーの日付欄。
三日後の枠に、大きく『☆』と付けられている。
「これだけじゃない……これも、これも……何よこれ!全部のカレンダーについてるじゃない!意味不明よ!」
「……ともかく、三日後に何か意味があるってのは間違い無いな。しかもこんだけ印をつけるって事はそれなりのイベントが」
分かるのは永琳にとって三日後が大切な日であると言う事。
満月でもなければ大安でもないその日に一体何の意味があるのか。
その事が分からず、三人の議論は踊った。
「うーん……やっぱり分からないわよねぇ」
「手がかりが少なすぎるなぁ。せめてもう一押し何かあれば……」
「うーん、そういえば」
鈴仙が思い出したように言う。
「最近師匠が星座占いにハマってたわね。ラッキーアイテムがどうとか」
「なんだよそれ!どうでもいい!」
「いや……まて」
妹紅が口元を押さえながらただならぬ表情をする。
指に挟まったタバコから、灰がポロリと落ちた。
「分かったぞ……そうか、そう言うことか!」
「何が分かったのよ!」
吸い殻を灰皿に押し付けながら妹紅は言った。
「誕生日だよ!」
「……え?」
「永琳は誕生日だったんじゃないか?その星座占い、永琳は何座だった」
「えっと……確か乙女座よ」
「やっぱりな。乙女座は今の時期だよ。誕生日が近いって事に気づいて欲しくて星座占いだのを始めたんだろう」
「でも師匠は(規制)歳よ!?誕生日なんてそれこそ数えきれないくらい迎えてるわ!今更それを気にするなんて……」
「分からない奴だな……永遠亭で祝って欲しかったんだろ。カレンダーに星マークまでつけて、気づいてもらえるかとワクワクして。挙句誘ったら仕事で無理って……そりゃ永琳も怒りたくなるさ」
「むむむ……そうだったのかしら……」
「祝ってやりなよ。アンタにとっちゃ大切な人なんだろ?」
「けど、用事が……」
「そもそも永琳の誘いをすっぽかすなんて何の用事なんだよ」
「ネイル塗りに行くのよ」
――妹紅のゲンコツが、鈴仙の頭をカチ割った。
骨と骨の高い音。
両耳の間にぷくりとタンコブができる。
「いったーい!」
膨れたのはたんこぶだけでは無い。
両ほっぺもまた焼きすぎた餅のように膨らんだ。
「……ところで」
「なに?」
「永琳のバースデーケーキには何本蝋燭を刺すんだ?」
「それは歳の数だけ……」
「(規制)本も刺すのか……?」
三人の頭に、ウニのようになった無残なバースデーケーキが浮かんだ。
何億回目のハッピーバースデーを祝ってほしいと拗ねた乙女座の永琳。
たしかに乙女な奴だと貴子は笑った。
「……さて、意外と岡目八目作戦はうまくいってるな。妹紅も鈴仙も問題は解決したろ?」
「答えがあってたらね」
「それじゃ、最後は私か……先に言っとくが、相手は幽香だからな。常識とか論理とかは通じないぞ」
「アンタも十分通じないよ」
「それ、同感だわ」
二人が道端に落ちている犬のフンでも見るような眼で笑う。
それもそのはず、二人の問題はとっくに解決している。
残すところは他人事なのだ。
そして二人は知っている。
どうせ貴子がやらかしているのだろうと。
この迷惑が服着たような奴が原因なのだろうと。
「何だか不名誉な事を言われた気がするが、まぁ良い」
「幻聴にはエビリファイが効くわよ」
「あぁ、最近夜な夜な『殺す』って声が聞こえてきてさ、助かるよ」
「殺す……殺す」
「ほら、今も」
「ホントだ、聞こえてくる……って」
蝋燭の炎が消えた。
「幻聴じゃないわよコレ!」
「殺す!」
屋敷の壁が爆発音とともにぶち破られる。
そこにいたのは、悪鬼羅刹のように怒り狂った緑髪。
硬く握られた右拳から煙が立ち上っている。
「なっ、幽香ぁぁあ!?」
「久しぶりねぇ貴子。死になさい」
幽香から心臓が凍りつきそうになる殺意が飛んだ。
辺りの竹林が揺れる。
近くの動物たちは皆して逃げた。
冷たい眼光が貴子に刺さる。
「辞世の句を読みなさい」
「馬鹿野郎!尊い命を!大切に!」
「そうね。命は大事にすべきだわ。そして貴方は私を怒らせるべきじゃなかった」
幽香が右手を上げる。
――瞬間、妹紅が貴子を蹴っ飛ばした。
蹴り様に貴子が見たのは、首から上のない妹紅の死体だった。
幽香の手には血がベットリと付着している。
僅かでも遅れてたら、あの血は貴子のものだった。
「っち!最近首から上がよく吹っ飛ぶよ!痛いんだからやめてよね!」
爆炎を伴って復活する妹紅。
熱そのままに怒りで声を荒げている。
「おい貴子……お前一体何したんだ!」
「分からないんだよ!」
「こんの馬鹿!」
妹紅と言い合う貴子。
そのせいで、僅かに気付くのが遅れてしまった。
自分の横顔のすぐ近くに幽香の拳があった事を。
「あっ、死んだ」
――およそ人を殴ったとは思えない怪音。
壁が打ち付けられて砕ける。
吹っ飛んだのは――幽香だった。
「私の患者に手は出させないわよ」
「うふふ……貴方の患者である前に私の奴隷。ぶち殺しても文句は無いわよね」
「大有りよ。この屋敷を壊したってだけで万死に値するわ」
「そこの馬鹿を渡してくれれば何もしないわ。それとも貴方が死にたいの?」
「頭のクスリが要るようね。とびっきり苦いヤツを処方してあげるわ!」
幽香は根っからの強者、そのファイティングスタイルは至ってシンプル。
力でもってねじ伏せる。
防御や絡め手など、この花妖怪の前では意味をなさない。
ガードしようと関係ないのだ。
それはまるで、藁の家が大砲を防げぬように。
圧倒的な剛。
故に、強い。
「っ!?」
だが、永琳は幽香の知る獲物では無かった。
繰り出した拳が、まるで飲み込まれるような感覚。
勢いのまま、気づけば足が浮かされていた。
しばしの浮遊感を堪能し、くるりと空中で回転して着地する。
その隙を永琳は見逃さない。
すでに右足の蹴りが空を掠めていた。
幽香は右手でそれを受け、掴み、そのままジャイアントスイングの要領でぶん投げた。
「うふふ、なかなかやるじゃない。久しぶりに退屈しのぎができそうだわ」
「そう。私は暇すぎて欠伸が出そうになったわ」
「そのまま眠らせてあげるわ。永遠に」
幽香の鉄拳は当たらない。
猛攻、一撃一撃が巨大な隕石の如く。
底知れぬ悪意を持った攻撃は豪雨のように降り注いだ。
かたや永琳はそれを着実に返す。
永琳の戦い方は合気道のそれに近かった。
相手の攻撃が強ければ強いほど、返しの技が強力になる。
幽香にとって永琳ほどの技術を持った合気道は正しく天敵と言えるだろう。
己の凶悪さが己に牙を剥く。
しかし永琳とて余裕があるわけではない。
もし一撃でも交わし損ねたらおそらく自分が死ぬ。
まさか月の民、その中でもトップクラスに強い自分が死と隣り合わせの戦闘をする羽目になるとは。
それは上空にかかった木の板を踏み外さぬよう一歩一歩歩く事に等しい。
冷静に一歩ずつ。
足を踏み損ねるような事は、落ち着いていれば起きえない。
「まるで獣ね。敵を屠る事しか考えられない哀れな畜生みたいだわ」
「遺言はそれでいいのかしら?」
「残念、私は死なないのよ」
「それは可哀想ねぇ。死ねた方が楽なのに」
「どっちみち貴方に私は殺せないわ」
暴力の極みたる剛を技術の果てたる柔で返す。
柔よく持って剛を制すとは言うが、実際はどうか。
このままでは埒があかない。
もっと強力な返し技を。
幽香を打ち倒す為には並々なる技ではダメだ。
より強烈な一撃を。
その為にはもっと近く、危険な所まで攻撃を近づけなくてはならない。
当たる寸前、わずかな所で返す。
今よりも更に引きつける。
「…………」
そこからの出来事を、周りの者たちは呆然と見ることしかできなかった。
永琳は構えを解いて両腕を垂らし、全身から力を抜いた。
立つ事以外の力全てを捨て去った。
その意図を幽香も理解したようで、スタスタと近くまで歩み寄る。
そして永琳の顔面目掛けて右拳を構える。
睨み合う両者の間合いは恐ろしく近い。
仁王立ちの永琳。
拳を構えたままの幽香。
恐ろしく長い数秒が二人を包んだ。
「次が最後の一撃になるわ。全力で来なさい」
「うふふ、久しぶりに楽しかったわ」
幽香の右拳に力が込められる。
気迫のぶつかり合いは周囲を揺らし、草木はのけぞるように折れる。
もはや力を溜め切った幽香の攻撃は巨大隕石に等しい。
悪どい笑みを浮かべる。
――彗星が放たれた。
火山が噴火したような轟音……。
「……どっちが勝ったんだ」
物陰から事の成り行きを見ていた妹紅が現れる。
そこには、二人の影があった。
「な!こいつらバケモンか!?」
声を上げて狼狽する。
無理もない。
幽香も永琳も――立ったまま気を失っていたのだから。
幽香の正拳突きと永琳の返し技。
それらは交差し、全く同時にお互いを撃ち抜いた。
「師匠っ!」
慌てて鈴仙が飛び出てきた。
まさか永琳がやられるとは、想像もできなかった。
否、勝負は痛み分けであったが、相手が永琳ならば傷一つ付けることすら大金星である。
たかだか地上の花妖怪が、拳一つでねじ伏せた。
その一事が何より恐ろしかった。
「とにかく治療よ!妹紅、貴子!二人を連れてきて!」
治療室の前で、貴子と妹紅は静かに座っていた。
部屋の中では鈴仙が処置に走り回っている事だろう。
妹紅は最後の一本に火をつけながら言った。
「何であそこまで怒らせた」
「……さぁな」
「事細かに言いなよ。あの花妖怪は案外繊細な奴だ」
壁にもたれかかりながら、貴子はゆっくり語り始めた。
「朝起きたら、何故か私は一枚も服を着てなかった。やたら頭も痛い。
とりあえず水を飲もうとして起き上がったら、布団の中に私と全く同じ状態のミスティアがいた」
「二人裸で寝てたのか?」
「そうなるな」
「……貴子、そりゃ誰だってキレるよ」
「……だよな。認めたくない現実にウンザリしてる」
煙混じりの溜息が、プカプカ消えた。
――後日
人里の往来で妹紅は慧音と出会った。
「あれ、慧音か。何してるの?」
「良かった妹紅、言いたいことがあったんだ!
「どしたの?」
「この前は済まなかったな。私、不機嫌だっただろう?実はな――」
「虫歯、でしょ?」
「え……あぁ、そうだけど……どうして分かった?」
「岡目八目だよ」
「え?」
「んーん、何でもない」
「ふふ、変な奴だな。今日はこれから暇か?良かったらこの前誘ってくれた甘味処に行かないか?」
「良いね。行こう行こう……っ!?」
「どうした妹紅!?」
急に地面にうずくまり、悶絶する妹紅。
顎の神経に直接針を刺されたような痛み。
「歯が……痛い……っがぁ!?」
「……まさか」
「自分の虫歯には気づけなかった……っく」
「非常に明るいボンボリの前はかえって見にくいんだな。行き先は歯医者に変更だ」
「夏休みの宿題と歯医者は一緒だ……」
「その心は?」
「どちらもドリルが嫌になる。もこっちです」
「掛けとる場合かーっ!」
――同日、永遠亭
診察室で鈴仙は永琳にあるものを手渡した。
「師匠、誕生日おめでとうございます!」
「え?」
戸惑う永琳の手に、白いハンカチが手渡された。
その瞬間、クラッカーの音が鳴る。
後ろから輝夜とてゐが現れた。
「ふふふ、カレンダーに印をつけるなんて可愛らしい所もあるのね」
「姫様……」
「誕生日おめでとう、永琳」
永琳の表情は僅かに固まり、そして綻んだ。
顔にほろりと一筋の線ができる。
「え、ちょっ、師匠!?」
「うふふ、ごめんなさい。嬉しくてつい……」
「サプライズは如何でしたか?」
「えぇ。貴方のハンカチがすぐに役立ったわ」
「それは何よりです。ケーキも用意してますよ!」
箱を取り出してそれを永琳に手渡す。
入道雲を固めたような真っ白のショートケーキ。
その上には幸せの赤いイチゴ。
そして、蝋燭。
「この蝋燭は?」
ケーキの上には四本の蝋燭が灯されていた。
それぞれが数字を象っている。
『8556』と。
「どう言う意味?」
「やごころ、と読んでください」
「あら、なるほど。考えたわね」
部屋が暗くなり、ケーキの蝋燭のみが灯りとなった。
「happy birthday to you〜♪」
鈴仙の子守唄めいた可愛い歌声が蝋燭を揺らす。
永琳はフッと蝋燭を拭き消した。
何億回目の誕生日。
そして生まれて初めての、バースデーケーキだった。
――同日、人里
人里は景色の綺麗な所。
自然に囲まれ空気は澄み渡り、一日を通して色が変わる。
朝は青。昼は緑で、夕方は赤。
中でも暮方の茜空はどこか懐かしい気持ちになる。
道を歩けば軒から香る醤油の香り。
遠くからは歩き屋台のラッパ。
カラスの寂しそうな鳴き声が聞こえる。
そこへズタズタと野暮な足音。
砂利を蹴飛ばし大通りを駆け抜ける女が一人。
「どいてくれーっ!」
道ゆく人を避けつ交わしつつ、風のような速度で走る。
人里の者達は皆困ったように笑う。
あの女は誰かに追われないと生きていけないのか、と。
事実その時も追われていた。風見幽香に。
そして捕まった。
あまりにも呆気なく、逃げ切れるわけもなく。
「本日は何をお求めかしら?」
「風見幽香の愛情〜花の優しさを添えて〜でお願いします」
「そちらは売り切れよ」
「他には何が?」
「本日は質の良い目潰しが手に入ったわ。もしくは指折り、爪剥ぎ、脛砕きもオススメよ」
「お勘定で」
「お会計、半殺しになります」
「ツケといてくれ」
「お死払いは一括払いがモットーよ」
「ちょっと待ち合わせが無くて」
「なら、こう言うのはどうかしら?」
「っぐえ!」
幽香の拳が貴子の鳩尾を抉る。
「うふふ。払いたく(腹痛く)なったでしょう?」
「あぁ神様、どうかこの悪霊を祓い給え」
……後日、寺子屋に現れた貴子は慧音から「その顔じゃ生徒が怖がる」と言われて授業を止められた。
貴子の日記にはとうとう、『ゆうか、くたばれ』と書かれたのであった。
ギャグオンリーもたまには。
夏休みの暇つぶし程度に
もう1話くらい書いてやろうと意気込んでますが、どうせ書けません
次回は鬼が出そうです