もし明日死ぬとしたら、アンタは何がしたい?
昨日の私にそう聞いてやりたい。
多分私は、酒だタバコだなんて吐かすだろうけど。
あまり実感は無いが、私はこれから死線を潜るらしい。
その隙間はとにかく狭いもんで、意地の悪いハードルは地面スレスレに設置されてる。
心臓がドクンと高鳴る。
これが恋とやらなら随分と微笑ましかったが、残念なことに燃料は殺意ってやつだ。
どうにもそのガソリンは燃費が悪いらしく、えてして環境にも悪い。
だが、この先世界の果てまで突っ走ろうともガス欠なんて起こらないだろう。
燃料は限界を超えて注がれているのだから。
人を本気でぶん殴ったことなら、数え切れないぐらいある。
本気でブチギレた事だって何度もある。
だが、ここまで血管が沸るのは今回が初めてだ。
「ぶっ殺してやらぁっ!」
私にだって、傷つけられたくないもんくらい沢山ある。
それを全部傷付けられようもんなら、この地球のどこにいようとぶっ飛ばしにいってやる。
鬼も悪魔も同罪だ。
これから戦う私の数分間は、誰にも知られることは無い。
私は私で、世界のためだとか友人のためだとか、そんな大層な理由なんてない。
私自身の怒りがために、鬼だろうが何だろうがぶん殴ってやるのだ。
下駄履きの勇足は、石畳をカンカンと鳴らして進んだ。
月光が照らす草丈の低い平野。
萃香の元へは、あっという間に着いた。
私は一人でやってきた。
華扇は、神社で眠っているものたちが起きて暴れ出さないように見張っておくそうだ。
それでいい。
着いてきてなど欲しくない。
むしろ一人で、私だけで戦いたい。
萃香は、広い野原の中心に胡座をかきながら、ガブガブと大盃を傾けていた。
私がやってきたのを元から知っていたのか、それとも今知ったのか。
振り返って私を見つめ、それから高笑いを上げた。
「やっぱり来たか!アンタなら来ると思ってたよ!」
「お前をぶん殴りに来た」
「はははっ、そうでなきゃ困る。アンタがここで逃げ出しちまうような腰抜けだったら、私はこの腐った世界をぶっ潰さなきゃならないんだから」
私は握り込んだ指が爪を立ててめり込んでいくのを感じた。
「鬼如きが随分大それた事をするもんだな」
「妖怪様に恐れをなさなきゃ、長生きはできないね」
「死ぬことは名誉だ」
「なら、アンタを誉高くしてやるよ。御託はいいだろ?かかってきなよ」
萃香は威圧感を出しながら立ち上がり、私にむかって指を曲げた。
私は一歩ずつ、ゆっくりと萃香に近づき、拳を振ればぶん殴れる位置までやってきた。
背丈の小さなこの鬼の、憎たらしい顔が一層よく見える。
「恐れもしないのかい。とことん舐められたもんだよ妖怪も」
「ここまで来たら、いっそ正々堂々ケリをつけたくなってきた。良いか馬鹿妖怪、この一撃をよく見とけ」
私はわざと右拳を大きく振りかぶり、大きな声でこう叫んだ。
「スマァーッシュ!」
萃香はその見え見えの拳を避けてから、少しだけ距離を取り、激変した辺りの光景に少し目を取られた。
空気が揺れて、草木や石ころがふっとび、その風圧が遠くにある山を削ったのだから。
「こりゃ驚いたね……なんだいその馬鹿力は。そんなもん振り回してたら、アンタもタダじゃ済まないだろ」
ニヤつく萃香の物言いに返事することすら私はできなかった。
想像を絶する痛みと痺れが体全身を襲ってきたのだ。
「ぐぁあぁあっ!」
「黙ってりゃ一縷の望みもあったものを、愚かな事をするもんだ」
「正々堂々お前をぶっ飛ばさなきゃ、まるで意味がない!」
「とことんアンタ、馬鹿なんだねぇ」
「いいかこのクソ妖怪!よく聞け!私は華扇から、お前をぶちのめせるだけの力をもらった!もし舐めてかかって一撃でもかすればお前もただですまないぞ!」
「……そうかい。なら私もアンタに見せとかないとね」
そういうと萃香は私と同じように大きく振りかぶり、やや曇り気味の空に向けて拳を突き出す。
天高く突き上げた拳から強烈な衝撃波が飛んできて、私は耐えきれず吹っ飛ばされた。
思わず天を仰ぐ形になる。
それから、青ざめた。
「くっ、雲が……消えたっ!?」
拳の風圧で、空にかかっていた雲は一つ残らず姿を消した。
月光が妖しく煌めく。
「鬼が本気になったら、どうなるか分かったかい……?これから私は本気でアンタを殺す。一撃でも擦れば、アンタはチリも残らず消し飛ぶよ」
「それでいい……それがいい」
「あ?」
私は立ち上がり、猿叫のように声を張った。
「かかってこいやぁっ!」
萃香はニタリと笑い、今度は私に向かって先程の攻撃を打ってくる。
私も同じく、さっきの威力のまま拳を放った。
威力は空で相殺され、爆音だけが鳴り響いた。
右腕から、勢いよく血飛沫が飛ぶ。
あの爆撃を馬鹿みたいに乱発したんだから、こうなるに決まってる。
むしろここまでよく持った方だ。
……さて、どうする。
妖怪退治における鉄則。
それは先手必勝、見敵必殺だ。
私はその両方に失敗している。
しかし、そうでなくては意味がなかったのだ。
真っ向から打ち勝たなきゃダメなんだ。
人間の私が勝たないと、この異変を解決する意味がない。
これは妖怪側からの、人間への挑戦状なんだから。
それを不意打ちで勝ってどうなる。
同じようなことが起きるだけだろう。
だから、真正面から。
正々堂々勝たなくちゃだめなんだ。
私の勝利条件は、渾身の一撃を萃香に見舞うこと。
一発でいい。
たった一撃で勝負は決する。
私が負ける場合にせよ、だ。
となるならば、この戦いにおける最大の目標は何か。
それは萃香との間合いを限界まで近づける事だ。
近づいてさえ仕舞えば、勝機はある。
萃香との距離は現在二十メートル。
さぁどうする。
幸いなことに萃香の恐ろしさはその力にある。
反応反射の速さが並外れているわけではない。
ならばっ……!
「どうした、かかってこないのかい」
嫌味な発言になど耳を貸してはいけない。
クレバーに戦うことを失念すれば、死以外の結末はない。
私は全力で走った。
萃香を中心に円を描くように。
まずは相手の正面から外れなくては。
「何をするつもりか知らないけど、そんな鈍い動きじゃ止まってすら見えないね」
「そう思うなら避けるこったな」
「何を避けるんだい……っぐぁ!?」
萃香は大きくのけぞった。
頭に強い衝撃を感じたのだ。
「痛いじゃないか……一体何を……」
「考えてる暇はないぞ」
「っぐ!」
またも顔を顰める萃香。
どうやら、貴子は何かを打ち出して遠距離から攻撃しているらしい。
耳を澄まし貴子の居場所を把握。
またも打ち出されたそれを右手で受け止めた。
「これは……豆か!?」
「本当に鬼に豆が効くなんてなぁ……勉強はするもんだ」
萃香は数秒推察した。
それから、おそらく貴子は件の馬鹿力で豆を手から打ち出していると察した。
なるほど、それなら確かに反動も少なく少しずつ攻撃できる。
しかし……気づかれるのが早かった。
貴子はまた素早く移動し、それから豆弾を指で弾いて打ち出そうとした。
照準を合わそうと萃香を見る。
その右目が潰された。
「ぐぁあっ!!!」
「アンタにできることなんて私にもできるのさ。石ころ如きで苦しんでちゃ先が思いやられるよ」
暗闇に覆われた右目。
壮絶な痛みが脳天に響いた。
「遠くからチマチマなんざつまらないだろ?そもそも私に撃ち合いで勝とうとするのは間違ってるね」
心底退屈そうに呟く萃香の右手には手のひらいっぱいに石ころが握られていた。
鬼が打ち出しているのだ。
一発の威力がライフルの比ではない。
それをもし手のひらいっぱいに打ち出されたら……。
ショットガンなど、ガキのオモチャに思えるだろう。
「死んでくれるなよっ!」
萃香は大きく振りかぶって、貴子へ発弾した。
空気を切り裂きながら凶器と化した石たちが貴子の体へとめり込んでいく。
ピストルで滅多撃ちにされたようなものだ。
貴子は思わず地面に伏せた。
「……なんだい、もう死んじまったのかい」
呟く萃香。
貴子は微動だにしない。
「おいおい……まさか本当に死んじゃったのか!?」
もしこのまま貴子が立ち上がらなかったら、幻想郷に明日はない。
だが、いかに頑丈と言えど人間の肉体だ。
鬼の攻撃をまともに喰らって立ち上がれる訳がない。
立ち上がれば、そんなもの、人間ではない。
そして貴子は、人間を辞めた。
「……っぐあぁ!」
ドス黒い血を吐きながら、しかし貴子は立ち上がった。
萃香は大きく笑い、貴子に向かって歩み始めた。
「そうじゃなくっちゃ!それでこそ私が気に入った人間だよ!」
「はぁっ……はぁっ……」
貴子は血まみれの頭を萃香に向けて、およそ人間のものとは思えない鋭き眼光で睨みつけた。
私が鬼なら、コイツはまるで修羅のようだ。
慄きを伴いながら萃香は思った。
「てめぇ……いいかっ!この……クソ野郎っ!」
「喋るので精一杯じゃないか。弱き人間よ、死を前に何を吠える」
「人間はなぁ……大事なものを守る時、何よりも強くなるんだ!」
「へぇ、そりゃ初耳だよ。でもね、弱い奴は何も守れない。守りたい物を守れる奴が強い、それだけのことさ」
「だとしたら私はお前に勝てる!」
「はぁ?」
「背負ってるもんが違うんだよ……ぐっ……」
萃香はやれやれと言う顔をして、貴子に近づいた。
両手を腰の後ろで組み、顔を突き出すようにして。
「全く……馬鹿だね。最初からアンタに勝ち目なんかないっての」
「あ゙!?」
「一発殴ってみなよ」
「テメェ……なにを」
「いいから。殴りゃわかるよ」
顎をひけらかすように顔を突き出す萃香。
貴子は、不審に思ったが、殴らざるを得なかった。
殴れば、勝ちなのだから。
「スマーッシュッ!」
鋼鉄の山すら打ち砕く怒りの拳。
それは紛れもなく萃香の顔に直撃した。
轟音も鳴り響いた。
「なっ……」
「アンタは私に勝てない。例え一発当てたとしても、そんな攻撃私にゃ通用しないのさ」
萃香は全くなんともないように、拳を顔面で受け止めていた。
「最初っから、アンタの負けは決まってた。だからどういう風に戦うかだけを楽しみにしてた。でも多分アンタは期待外れだね。殴り合いすらできないんだから」
「そんな……馬鹿なことが……」
貴子は自身を支えていた何かが全て抜け去り、受け身も取らずに地に倒れた。
天を仰ぐ。
「もういいだろう。理不尽に殺されるのが人間の運命さ」
拳をゆっくりと握り締めながら貴子の方へ萃香は歩く。
「ここまで来たことには敬意を払うよ。そのまま名誉に死ぬといい」
貴子に跨り、マウントポジションをとる。
少し名残惜しそうに己の拳と貴子の顔を視線で往復する。
それから思い出したように言った。
「そうだ。知り合いの天狗に繕って明日の新聞にはアンタのことを載せてやるよ。異変解決の英雄ってね」
萃香の発言にすらまるで反応を示さない。
貴子は茫然自失としたまま虚な目をしている。
脳内には絶望が広がっていた。
それも仕方がない。
もう、全て終わりなのだから。
もうすぐ死ぬのだから。
……どうして今まで私は生きていたのだろう。
ここで死ねるなら、それもいいのだろうか。
頑張った。
死力を尽くした。
最初っから鬼に勝てるわけなど無かったんだ。
例え運良く一撃当たっていたとしても、それすら効かないんだから。
どうしたって勝ち目なんてなかった。
これが……鬼か。
妖怪退治屋らしい最後だ。
いい人生だった。
皆が無事なら、それでいい。
無意味に生きるより、マシだ。
右目は潰れちまったのか……。
遠近感すらよく掴めないや。
あぁ、死ぬ前だからかな。
世界がやたらゆっくりに見えるや。
顔面に向かって萃香が拳を下ろしてきてる。
多分あれを喰らったら、死ぬんだよな。
でも身動きなんか取れないし。
反撃なんか出来っこないし。
逃げ場はないか。
……待て!
この状況!
勝機はあるぞ!
何故なら、萃香と私の間合いは限界まで近づいているのだから!
「じゃあね」
悲しげな萃香。
拳は振り下ろされる。
私は最後の馬鹿力で身を捩った。
顔面直撃コースだった拳は、私の左肩を貫いた。
勢いは私の体に伝わる。
そのまま体が回転する。
「スマァアーッシュ!!!」
「っな!」
吹き飛ぶ萃香。
顔面には殴打痕。
「はぁぁっ……」
地面にぶっ倒れたまま、大きな吐息を吐き出す。
簡単な話だった。
私一人の力では、どうしようもない。
ならば。
二人分ならどうか。
萃香の力はそのまま私の拳に乗った。
元から山を吹き飛ばすだけの力。
そこに天を穿つ鬼の力が掛け算された。
その威力、地球をも砕く。
「あ、頭がっ……あがっ」
悶える萃香。
それもそうだろう。
殴った側の私だって、ただで済むわけがない。
あの威力、顔面に喰らってなぜまだ死なぬのか。
萃香の一撃で私の左肩は吹き飛んだ。
そして右腕も、もうどこにも残ってはいない。
あの一撃によって消え去った。
私はなんとか、一撃を喰らわすことに成功した。
「こ……この野郎、なんてことをっ……!」
「……全部、失っちまったか」
「その一撃になんの意味があるっ!例えぶちかましたとしても、アンタの負けに変わりはないんだよ!?」
怒号を飛ばす萃香。
怒りよりも、驚きの方が勝っているような表情だった。
「いや、アンタの負けだね。私の負けでもある」
「あ!?」
「……今日は月が綺麗だ」
「一体何を……っ!?」
萃香は貴子の視線に釣られ空を見た。
そこで恐ろしい物を目にした。
空から流星群のように降りかかる大量の落石。
「アンタ……なんのつもりだっ!?」
「上に乗っかられる寸前……石も豆も引っくるめて全部空にぶん投げといた。遥か天空まで到達し勢いが死んだ後……それらは全てここに振り落ちる」
「そんなことしたら……アンタが死ぬだろ!」
貴子は萃香の激昂に黙して応えない。
全てを悟ったように空を見つめている。
萃香も、下顎をぶん殴られたせいで立ち上がれない。
上空から降り落ちてくる落石群。
あれを食らえば、いくら妖怪の自分とて無事には済まないだろう。
しかし、動けない。
足が言うことを聞かない。
「ぐっ……動け、このっ!」
足はもはや死んでいる。
腕を使って這いつくばろうにも、それを貴子が許さなかった。
「なんだっ!?体が動かないっ!」
「逃げんなよっ……!」
いつの間にくくりつけたのか。
萃香の足に手綱が結ばれていた。
貴子はそれを歯で食いしばり萃香の動きを止めた。
「貴子ぉっ!」
鬼の力を持って踏ん張っているのに、両腕を失った人間一人に食い止められる。
どこにそんな力が眠っていたのか。
貴子は尋常でない力を発揮した。
「やめろぉぉおおっ!!!」
「ふんぐぅっ!!!」
最後まで萃香に食らいついた貴子。
その執念が実ったか。
天空から、鉄の豪雨が降り注いだ。
「ぎぁぁぁぁあああ!!!」
萃香の絶叫。
地面にばたりと倒れる。
しばし降り注ぐ怒りの雨を、萃香はその身に堪能した。
「…………」
それは貴子も同じことである。
苦しみはむしろ、貴子の方が強い。
もっとも、気絶している貴子にとっては関係のないことだが。
まぐれもない萃香の敗北だ。
鬼が人間に身動きを封じられた。
しかし、貴子にとっても敗北と言える結末だった。
石ころの雨が止み、静寂と月光が降りしきった。
「……ごふっ」
萃香が血混じりの咳を吐く。
全身に穴が空いている。
立ち上がる足はまるで枯れ枝のように頼りなかった。
「……はははっ……あっはっはっはっ!」
大声で高らかに笑う。
皮肉を込めた笑みじゃない、本心からの笑いだった。
「まさか人間一人にここまでやられるとはね……やっぱりアンタは最高だ!」
震える足で地に伏せた貴子に向かって歩み出す。
「私を殺すことは不可能だったにしても……ここまでやれば大健闘じゃあないか!」
歩み、貴子の顔面を見つめる。
右目をつぶされ、両腕を失い、満身創痍の人間がそこにいた。
しかし、ある違和感があった。
「……妙に綺麗な顔だね」
貴子は原型をとどめたままであった。
鬼の自分すら苦しみ悶えたあの流星群を喰らったのであれば、人間などひき肉になっていてもおかしくないのに。
「まるで石ころ一つ喰らっていないような……」
「あら、勘が良いじゃない。雑魚妖怪にしては」
「っ!?」
その場から大きくのけぞる。
両足の膝から血が噴き出してきた。
声の主人は自分でも貴子でもなかった。
もっと凶悪で暴力的なヤツ。
傘をさしながら萃香の方へ近づいてくる
「……風見ィィ!」
「気安く名を呼ぶな」
「テメェ何しに来やがった!」
「貴方なんかに用はないわ。まぁ、かかってくるなら……殺すわよ?」
幽香の眼差しは本気だった。
お互いフルコンディションで殴り合ったとしても、幽香は恐ろしいヤツだ。
こんな状態でやりあえるヤツじゃない。
しかし、どんな状態であろうと、鬼が敵前逃亡などするわけがない。
「上等だぁオラァ!」
飛びかかる萃香。
右拳が振りかざされる。
それを幽香は、よもやノーガードで受け止めた。
「……痛くも痒くもないわ。こんなナヨナヨした拳」
見えすいた挑発だ。
しかし鬼にはそれが許せない。
怒りのボルテージが上昇していく。
「……げほっげほっ!」
大きな咳。
萃香の拳が止まる。
さりげなく構えられていた幽香の蹴りも同様に。
「まて……ゆうか。手を……だすなっ!」
今にも生き絶えそうな貴子の声だ。
「これは私の喧嘩だ……私がケリをつける!」
地に這いつくばりながら、血を吐きながら。
貴子はそれでも言い切った。
片方が潰れた状態でありながら、貴子の目はまだ死んでいなかった。
幽香は何も言わず、貴子の胸ぐらを掴み、それから立ち上がらせた。
「……ありがとよ」
幽香は何も言わない。
萃香と睨み合う貴子。
両腕を失って、もはや攻撃の術など失ったように思える。
「こいよ……」
それでもなお、魂が死んでいない。
もはや何度死んでいてもおかしくない肉体を立ち上がらせ、真っ直ぐに敵を見つめている。
ようやく覚悟が決まりきった。
萃香も貴子も、長い息を吐いた。
それは次の一撃がお互い最後であることを示唆していた。
「死ねぇえええええっ!」
「うおおぉぉおおおっ!」
萃香の鉄拳。
あろうことか、貴子はそれを。
頭突きで返した。
轟音。
衝撃波。
互いの動きが止まる。
「……っぐ!」
貴子の頭から血飛沫が飛ぶ。
もはや黒く変色した血だ。
萃香はニヤリと笑う。
その右腕が砕け散った。
「っな!」
「……あばよ」
右足をもう一歩踏み込む。
拳一つすら入らない間合い。
天を見上げるように頭を振りかぶり。
萃香の人中に、渾身の頭突きを叩き込んだ。
「っがぁあっ!」
骨が砕けるような音。
萃香が吹っ飛んで地面に伏せた。
貴子は立ったまま、血まみれの顔面で萃香を優しく睨んだ。
「なんで……人間如きに……」
それを最後に萃香はピクリとも動かなくなった。
それと同時に貴子もぶっ倒れた。
幻想郷を賭けた大異変
――そして妖怪と人間と決闘
勝者――人間 貴子
目覚めるとそこは見慣れぬ天井であった。
ぼんやりとした室内灯が萃香の寝ているベッドを照らしていた。
「……ここは」
「永遠亭よ」
隣に腰掛けていた、白衣を纏う銀髪の女がそう答えた。
「永遠亭……?」
「まぁ、病院みたいなものよ。私は永琳。天才薬師よ」
「……なんで私がこんなとこに」
「さぁ。どこぞの馬鹿に聞きなさいよ……あの馬鹿、またタバコ吸いに行ったわね」
舌打ちを打つ永琳。
体を起こそうとすると激痛が走る。
しかし全身に正確な手当てがなされていた。
「あんまり動かない方が良いわよ。妖怪といえど、あそこまで傷んでいたら回復は遅いでしょうから」
「……貴子はどこにいる」
「さぁ、庭にでもいるんじゃないかしら」
永琳に相槌すら打たず、萃香はボロボロの肉体で廊下を進んだ。
どこに行けど貴子はいない。
廊下にいるウサギどもが怯えたような顔でこちらを見ているが、そんなものどうでもいい。
あの人間に合わなくては……。
ドンツキを曲がった所に貴子はいた。
庭に降りるための縁側に腰掛けて。
萃香を一瞥したあと、また真正面を見返した。
「……よぉ。もう動いても良いのか」
「アンタ……なんのつもりだい」
「あ?」
「なんで私をここに連れてきた」
「……煙草、火をつけてくれないか?」
風が吹く。
貴子の着ている服の両袖がバサバサとたなびいた。
「腕がないと煙草も吸えん」
「吸わなかったらいいじゃないか」
「右ポケットに入ってる」
「……ったく」
こっちの話を全く聞かない貴子にため息をつきながら、右ポケットを弄る。
くしゃくしゃになった箱を引っ張り出して、それを一本咥えさせてやる。
マッチが見当たらなかったので、指で火をつけてやった。
「……ふぅ」
両腕がないのに器用に煙を吸引する貴子。
なんだか真面目に話すのがちゃんちゃらおかしく感じて、自分も一本加えた。
二人の吐き出した煙が混ざる。
安い煙草だ。
煙が辛い。
なんでこんなもん吸うんだか。
「……私は妖怪退治屋だ」
「あ?急になんだい」
「退治するまでが私の仕事だ」
「あぁ、そうかい」
「殺し屋じゃないんだよ。退治までが私の管轄なんだ」
「……だから私を生かしたってのか?」
「困ってるヤツを救うのが私の仕事だからな」
格好つけるでもなく、心底真面目そうに答える貴子。
萃香はなんだか、馬鹿馬鹿しく感じて、それから笑った。
「たとえそれが誰にも知られなくてもかい?」
「あぁ」
「酔狂なこったね」
「それで良いんだよ。私たち人間は」
萃香には貴子の言うことが理解できなかった。
皮肉じゃなく本心から気になった。
「……なぜ無意味に生きるんだい。この世界にゃ、なんの使命もなくだらだらと過ごしているような連中ばかりじゃないか。そんな凡夫、救って何になる」
「……無意味で良いんだよ」
「無意味は無価値と同意義だよ」
貴子は煙を器用に吐いて、短くなったタバコをぷっと吐き出した。
「どうだろうな。意味もなく生きる日々が、かけがえのないものなんだよ。人間にとってはな」
「だから短い人生を浪費するのかい?」
「意味とか使命とか、そんな面倒なことを考えるのは頭の良いやつとすこぶる馬鹿なヤツだけでいいんだよ。私ら凡人は今日と明日で精一杯さ」
「それが幸せだってのかい?そんなつまらぬ人生が」
「一本の煙草と酒、そこにほんの少しのアテがあって一体何が不満なんだよ」
貴子は視線で煙草を示した。
萃香は何も言わずもう一本咥えさせてやる。
「そんな風に生きたから、妖怪の現状は腐ってるよ」
「そうか?」
「そうだろう。人間の恐れは形を変えた。本質的な部分がずれちゃったんだ」
「……私の知る妖怪たちは皆イキイキしてたよ。一生懸命だった」
「そう生きるしかなかったのさ」
「いや、違うな」
「え?」
貴子は目一杯煙を吐いて、それからにかっと笑った。
「みんな楽しんでんのさ。今は今なりに、精一杯なんだ。明日一日をどう楽しく過ごすか。それでいいだろう」
「……そりゃ強い妖怪達の話だろ!木端妖怪たちは明日にすら怯えてるよ!明日を迎えられるかどうかすら分からないんだから!」
「なら妖怪代表のお前に言っとくよ」
「あ?」
「暇ならいつでもかかってこい。人間は馬鹿なもんでな。妖怪退治屋なんていうふざけた奴らがわんさか居る。お前ら妖怪殴るのが私らの仕事だ。お互い持ちつ持たれつでいこう」
貴子はそれだけ言って、立ち上がった。
「待ちなよ!そんなこと言ったら、妖怪どもがアンタに押し寄せるよ!」
「それがアンタの望みだろう。安心しろよ、人間は意外としぶといからな。そんかわり、妖怪退治屋以外の奴に手ェ出してみろ。そんときゃ戦争だ」
廊下を進む貴子。
萃香はそれを食い止めるだけの言葉が思い浮かばなかった。
人間と妖怪。
その軋轢を、奴が一身に受け止められるものか。
しかし、もし受け止められるのならば、これほどウマイ話もあるまい。
妖怪は人間を襲えるし、向こうも仕事が増えて万々歳だろう。
もちろんそれは命があればの話だが。
……明日一日を楽しく過ごす。
それだけの繰り返し。
ずいぶんと享楽的な物言いではないか。
多分、それが貴子の生き方なのだろう。
どれだけ死線を潜ろうと、命が危ぶまれようと。
心の中にはいつでも死んでやるって言う諦めにも似た覚悟がある。
それとは別に、今を精一杯楽しんでやるって言う覚悟がある。
「まいったねこりゃ……貴子。あんた本当に、ろくでなしだよ」
そう呟きながら、貴子が置き忘れたたばこをポケットに詰め込み、病室に戻るのであった。
「貴子!煙草はダメっていってるでしょ!」
「だぁ!吸ってないってんだよ!」
「嘘おっしゃい!匂いでバレバレよ!」
「それはあれだよ。ほら、隣でずっとアイツが……」
「アイツって誰よ!」
「そこにいるじゃないか」
「え?」
貴子の視線の先には萃香がいた。
部屋に戻ってきたと思ったら急に話を振られて、萃香はしどろもどろになった。
「そんな言い訳通じないわよ!」
「馬鹿野郎、両手失ってる私が煙草なんて吸えるか。そいつのポケットの中見てみろよ」
「全く見苦しいわね……これだからヤニカスは」
「うるせぇ」
「ちょっと失礼するわね。あの馬鹿が嘘ばっかつくもんだから」
永琳が萃香のポケットに手を突っ込む。
そこには貴子が忘れた煙草が入っていた。
「あら?」
「ほら!言っただろ!」
「……ごめんなさいね、ウチは禁煙なのよ」
「おい、私の時と対応が違うぞ!ちゃんとぶん殴れよ!」
「うるさいわね!貴方はブラックリスト入りなのよ!」
吠える貴子に耳も貸さず、永琳は萃香に注意した。
「病人が煙草なんて吸っちゃだめでしょう」
「いや、これは」
「言い訳なんて見苦しいぞ萃香ー!罪を認めろー!」
「アンタは黙ってなさい!」
怒鳴られた貴子がしゅんとする。
「ともかくこれは没収させてもらうわね」
「え、あぁうん」
「待て永琳!それはちょっと残酷すぎやしないか!?」
「……ところでこのタバコの銘柄、貴方がよく吸っているわよね」
「……そりゃ人気だからな」
「この箱の中、あと二本よ」
「嘘だろ!?さっき買ったばっかだぞ!?……あっ」
「へぇ、さっき買ったのね……」
「ちょっ、待ってくれ!ちがっちがぎゃぁぁぁぁあ!」
とんでもない威力で頭突きを喰らう貴子。
成程、あの頭突きはここから学んだのかと、萃香は妙に納得した。
その時、病室のドアが勢いよく開いた。
蒼い髪の聡明そうな人間が、涙目で息を切らしながら貴子に駆けよった。
「貴子!無事か!?」
「あ、慧音」
「お前……何をしでかしたんだ!」
「これは……労働災害だよ」
「りょ、両腕を失ってるじゃないか!」
「まぁ名誉の負傷って奴だな」
「それに何だその顔!オデコが酷く腫れてるぞ!?」
「これはどこぞの馬鹿医者に聞いてくれ」
「慧音さん慧音さん、貴子ったらまた煙草を吸ってました」
ピクリと慧音の方が跳ねる。
気配が変わった。
ついでに貴子の顔色が青色に変わった。
こちら側からは慧音の背中しか見えないが、よほど恐ろしい表情をしているらしい。
「よし、元気そうで何よりだ貴子。いつものいっとこうか」
「ちょっ、まて!私は病人だぞぎゃぁあぁあ!」
先ほどよりも強い音が鳴る。
アレ、貴子の頭蓋骨、砕けたんじゃないだろうか。
「っぷ!あっはっはっは!」
「……どうした萃香、何がおかしい」
「いや、喧嘩してる時はあんなに芯のある奴だったのになぁ……こうも情けない奴だとは……あははっ!」
貴子が不満そうに萃香を睨む。
両腕が健在だったら胸ぐらを掴み上げていた所だろう。
これがコイツのいう楽しい日々ってやつか。
随分と傷まみれの生活だ。
「さて、貴子……今回ばかりはちょっと洒落にならないわよ」
「何だよ急に」
「両腕が無いんだもの。なんでこんなになったのかは聞かないけれど」
「大体わかるだろう」
「そうね。貴方の馬鹿さ加減がよく分かるわ」
「うるせぇ」
「ともかく、その腕は何とかするから、しばらく安静にしなさい」
「……え!何とかなるのか!?」
「えぇ。私を誰だと思ってるのよ」
「えいりーん!」
「うるさい。まぁそれでもすぐにとは行かないわね。腕を直したとしても、そこからリハビリが必要だし」
「ま、気長にやろう」
「……へぇ、珍しい。文句一つ言わないのね」
「私を誰だと思ってんだよ」
「馬鹿な妖怪退治屋だけど」
「そりゃもっともだ。馬鹿な妖怪を退治するんだからな」
「……ともかく数ヶ月は入院しなさい。私は自分の部屋に戻るわ。そこの萃香さんと仲良くね」
「へいへい」
立ち上がり部屋から出ようとする永琳。
慧音もそれに伴って去っていった。
部屋から一歩出たところで、永琳の足が止まる。
何かを思い出したように貴子の方へ振り返った。
「そうそう、これあげるわ」
そう言ってポケットから何かを取り出し貴子に投げた。
両腕がないのでそれを持ち上げることはできないが、正体を確認することは可能だった。
「はぁ……貴子」
「んだよ」
「……お疲れ様」
去っていく永琳。
ベッドの上に投げつけられたそれを、両手のない貴子に代わって萃香が持ち上げる。
それを見て大笑いする萃香。
対照的に貴子はバツの悪そうな顔をしている。
「ったく。嫌味なやつだ」
「アンタ、よっぽど気に入られてるんだねぇ」
「だとしたら殺してくれ」
「はははっ!やっぱり私もアンタを気に入ったよ!」
「……やめてくれ。これ以上は懲り懲りだ」
永琳からもらった『それ』に火をつけ貴子に咥えさせてやる。
心底嫌そうな顔をして、目一杯煙を吐き出した。
幻想郷は今日も平和である。
次回で一旦終わろうか。