終わりぐらいは、退屈でもいいのではないでしょうか。
――食器と治療はあらいもの
件の大異変から数週間が経った。
萃香も貴子も、未だ永遠亭に入院中である。
幻想郷中を巻き込んだ大異変であったが、その顛末を知る者は非常に限られている。
そもそも異変が起こったことすら、世間には知られていない。
それは何も世の中が無情だからなどではなく、無為に妖怪への不安を煽らぬよう貴子が希望したからだ。
近年相次ぐ異変の最中で、よもやあれほど大規模かつ悪質な異変が起きたとなれば混乱は必須だろう。
もしそうなれば暴動や恐慌といった、ある意味異変よりも解決困難な問題が起こりうるかもしれない。
だから貴子は情報の浸透を嫌った。
それにともない、各勢力から情報統制が行われた。
元より今回のことを知っている者は異変の当事者である萃香と貴子、そして解決に助力した華扇の三人である。
天下の博麗霊夢ですら知らない大異変。
解決こそされたが、その傷跡は深い。
「貴子さーん。ご飯の時間ですよ〜」
永遠亭で働く兎ナースの鈴仙が、貴子の朝食を持って病室にやってきた。
五体満足の萃香はともかく、貴子は両腕を失っている。
腕が無いと言うのは本当に不便なもので、食事を取ることすら誰かの力を借りねばならない。
そんなこんなで毎食誰かのお世話になっているという始末だ。
「貴子さーん、起きてくださーい」
鈴仙が呼びかけるが、貴子は未だ夢の中であった。
「……起きないと大変なことになりますよ〜」
呟く鈴仙に全く気付かないようで、小さないびきをかきながら寝返りを打つ貴子。
悪戯っぽく笑って、物音を立てぬよう枕元に置かれた煙草の箱を手に取る。
「……っは!」
それで目覚めるのだから、始末の悪い女である。
悪夢から目覚めたような顔をして冷や汗を垂らす。
「おはようございます。良いお目覚めですね」
「……どこがだ」
「天気良好、お出かけ日和ですよ」
「………毎朝顔を洗う両腕すら無いってのに、いったいどこへ出掛けるんだよ」
通常より低い声で毒づく。
悪意こそなけれども辛辣だ。
隣で寝ている萃香の耳には少し痛かった。
「はいはい、ご飯にしましょうね〜」
「あぁ、ありがとう……ところでだな鈴仙。その……老人みたいな扱いはやめてくれないか?」
「へ?」
「なんかこう、毎日目覚めが辛くなるんだよ……」
「まさか貴子さん……それは俗に言う、年寄り扱いすんな!ってヤツですか〜?」
「実際年寄りじゃないんだから良いだろうが!」
「はいはい」
介護士のように小慣れた、あるいは保育士がじゃりん子を宥めるような声色で鈴仙は相槌を打った。
「両手がないんだから、実際ご老人より手がかかりますよ」
「これは事故だ。しょうがないだろ」
「貴子さんが言うとなんだか軽薄です」
「こんのクソ兎、ぶん殴ってやろうか」
「殴る腕が無いでしょう」
「治ったら覚えとけよ」
「その台詞、怪我するたびに言ってます」
「分かってるなら何度も言わせないでくれよ……」
不機嫌そうな貴子を相手にもしないように、鈴仙は匙を突き出した。
こうなってしまうと抵抗するわけにもいかず、素直に口を開くしかない。
いい歳こいて人にご飯を食べさせてもらうことが、何より貴子を辱めた。
「お味はどうですか?」
「うん、うまいよ。特にこの味噌汁が」
「……それはインスタントです」
ぬるりと気まずい空気が通り抜けた。
鈴仙が料理下手なのではない。
貴子が馬鹿舌なだけである。
「経過は順調かしら?」
「あ、師匠!この通りバッチグーです!」
「どの通りだよ」
「悪態つけるなら大丈夫よ。食欲も大丈夫そうね。外傷は酷かったけど……まぁ貴方なら慣れっこでしょ」
無責任にそう言い放つ永琳。
実際貴子は、週に一度はズタボロの状態で永遠亭に運ばれてくる。
両腕が無くなるほどの大怪我こそ珍しいが、傷身がデフォルトみたいな女だ。
「さて……あれだけ酷かった傷口も大方塞がってきたし、そろそろ本格的な治療に入りましょうか」
「やっとかよ」
「跡形もない両腕はともかく、細かい傷も多いわ。右目だって潰れてるし、所々の骨折も多数。よくそれで元気してるわね」
「何でもいいからさっさと治してくれ。一人じゃ飯も食えない便所もいけない、こんな生活不便でならん」
やれやれといった顔で論う貴子に、永琳はすこし冷たい顔をして反論した。
「……貴方が患者である以上、どんな傷や病だろうと治してあげるわ。でもね、貴方それに甘えてるんじゃないかしら?」
「あ?」
「どんな大怪我でも治る。そう高を括って無茶苦茶しすぎよ。貴方は生きてされいれば……いえ、たとえ死んでしまってもどうにかなる。そう思い込んでいるような気がするの」
矢のような鋭い指摘に貴子は何も言い返せなかった。
言われてみれば、たしかに思い当たる節があったからだ。
もともと一度死んでいる身。
さらにはどんな傷すら治してしまう薬師がついている。
もしかするとその環境に胡座をかいて、自分の命を粗末に扱っていたかもしれない。
……しかし、それは死ぬ前からずっとそうだった。
今も昔も変わってなどいない。
「ともかく命は大事にすることね。貴方が死んだら大勢の人が悲しむわよ」
「……養生するよ」
「そうしなさい。……さてと、まずは両腕以外の部分をどうにかしましょうか」
そう言いながら永琳は注射器やら薬やらを取り出した。
あっというまに病室は手術室へと様を変える。
「あ、そうそう。言い忘れてたけど、今回の治療は結構痛いわよ」
「……麻酔多めで頼む」
「断るわ」
「あ!?」
「別に意地悪で言ってるんじゃないわよ。ただ麻酔を打ったところで大して変わらないの」
「だ、だとしても」
「それにこの治療は継続的に行うわ。毎日麻酔なんか打ってたらその方が体に悪いわよ」
「……や、優しくしてくれ」
「えぇ、善処するわ」
そう言いながら、永琳は貴子の体をベッドに括り付けた。
両足と胴体を固定され、身動きが取れなくなる。
右手に持つ注射器がキランと光った。
まるで鋭利な切先のように。
「まずは右目ねー。痛かったら手上げなさい」
「いや、その上げる手がっぎゃあああああああ!」
……その日から毎日、昼の永遠亭にはけたたましい叫び声が続いたと言う。
皆詳しくは語らないが、天才の弟子鈴仙は後にこう語った。
「治療なのか拷問なのか分かりませんでしたよ。あんな光景、二度と見たくないですね……ただ、師匠は心なしか楽しんでた気がします」
……永遠亭の闇は深い。
――優しさの果てに
「貴子、元気か?」
「あぁ慧音か……元気だったらこんな所いないだろ」
「ははは、それもそうだ。お前は相変わらずだな」
やれやれといった顔をしながら人里の教師、上白沢慧音はベッドの脇にある椅子に腰掛けた。
手には果物やら新聞やらが抱えられている。
「全く……両腕を失くして。妖怪退治屋というのは本当に危険な職業なのだな」
「あぁ。なのに稼ぎはちっともないんだ。本当にやな仕事だよ」
「どうだ、これを機に教師に専念というのは」
「出来るもんならそうしたいよ。けどそうもいかない」
「何故だ?」
「困ったことにこれから仕事が増えるんだよ」
「……それはどういうことだ」
慧音が真剣な表情を見せる。
妖怪退治屋の仕事が増えるということは、それだけ妖怪が暴れるということだ。
貴子の発言は里の平穏を願う彼女にとって聞き捨てならないものだった。
「そんな物騒な話じゃない。ただ妖怪退治の方に力を入れるってだけさ。もちろん教師も続けるけど」
「……何があった」
「え?」
「両腕を失くしているのに、これから妖怪退治を頑張るなんておかしいだろう」
「別に……気まぐれだよ」
「隠すな!何かあったんだろう!?」
「まぁ……そんな大袈裟な話じゃないさ。慧音なら知ってるだろう?外れ街ってやつを」
特段取り乱す様子もなく淡々と話す貴子につられ、慧音は鶏冠に登った血を下した。
落ち着きを取り戻し冷静に話を続ける。
「あぁ、お前の出身もそこだと言っていたな」
「そこに住んでる連中、毎日誰かが殺されてるって知ってたか?」
「……そんな話、聞いたことがないぞ」
「人里に大手を振って歩けるような連中じゃないからな。私も含めてだけど。……けどな、私らは死ぬ事なんてなんとも思ってないんだよ」
「なぜそんな事を言う!」
命を軽んじる発言に怒る慧音もごもっともである。
死生観について二人は度々食い違うが、今回の場合は特に慧音の逆鱗を逆撫でした。
両腕を失うような無茶をして、それでもなお反省していないように思えたのだ。
「怒らないで聞いてくれ。別に妖怪退治屋がみな好んでやってる訳じゃないって話だよ。私みたいな根っからダメな奴は他に生きるアテがないし、それに毎日汗水流して働きたくなんてないから、ダラダラと殺生を続けてるんだ。命を惜しまないのだって、言わば本人の意思みたいなもんさ」
けどな、と貴子は続ける。
「本人の意思じゃない奴も多い。望まぬ境遇のせいで毎日妖怪殴ってる奴だって少なくないんだよ。親が里で罪を犯したり、ソイツ自身が貧乏だったり。そいつが人を殺したって訳じゃないのに、あんな貧相な街で暮らさざるを得ないなんて……可哀想だろう」
貴子の言い分は、善悪はさておき真実だった。
外れ街には貴子を含め妖怪退治を生業とする者が多く住んでいる。
実際に妖怪を倒す実戦派だけでなく、退治用の凶器を作る鍛冶屋だったり、傷を治す闇医者だったりがより集まって街を形成しているのだ。
色々な人間がいるし、性格やらは十人十色だ。
ただ全員がみな、何か事情を抱えていた。
犯罪者の子供もいる。
借金まみれの奴もいる。
実際貴子も借金地獄だった。
しかし彼女は少し事情が違う。
貴子は外れ街に住むヤクザから金を借りていた。
本当に悲惨なのは、人里の者から金を借りている連中だ。
外れ街は貧窮した者の街である。
全員稼ぎも少なく、市場が賑わうわけでもない。
故に逆立ちしたって借金など返せない。
返済しようと思ったらそれこそ貴子のように、身売りするしかないのだ。
また、外れ街には二種類の人間がいた。
一つ目は外れ街で育った人間だ。
貴子もそっちである。
もう一つは、昔人里に住んでいたが、追い出されて外れ街にやってきた連中だ。
どちらにせよ、外れ街の者が人里に入る事は叶わない。
連中が入ってきたら人里から袋叩きに遭うからだ。
それには一昔前の『とある事件』が起因する。
まだ貴子が幼かった頃、人里と外れ街の関係は最悪だった。しかもタチの悪いことに、関係悪化の非は外れ町側にあった。
連中は夜の人里に忍び込み、悪行三昧を働いたのだ。
窃盗に強姦、誘拐。果ては殺人まで。
それらの事件は、外れ街と人里との溝を絶対的なものにしてしまった。
だから、人里ではこう言われる。
外れ街の連中を絶対に中に入れるな、と。
そう言った点において、貴子は圧倒的なマイノリティなのだ。
外れ街出身の貴子が何故追い出されないかというのには、さまざまかつ複雑な事情がある。
中でも大きな点は、貴子と共に風見幽香が行動していることだろう。
貴子本人は自覚していないが、風見幽香の影響力は凄まじいものがある。
もし貴子がそれを悪用すれば、里の法を変えてしまうことだって不可能ではないかもしれない。
本人だって無意識だが薄々感じている。
自分の持っている市民権は、風見幽香によるものだと。
それも、無理矢理奪ったようなものだ。
外れ街出身の者が中にいるなど里民、中でも昔を知る者からすれば業腹どころではない。
実際、里にやってきて間もない頃は大騒ぎだった。
道を歩けば石ころをぶつけられる。
家から出ることすら叶わなかった。
だがそれらの差別にも、大きな転換期は何度かあった。
人里の郷土史にも名を残すであろう、件の飢餓と疫病。
それら二つの解決に尽力した人間こそが貴子であると、里の英雄である慧音が根回ししたのだ。
また、細かい所で貴子は評判を上げている。
里の長者の息子を妖怪から守ったであったり、花火大会の開催に大きく関わったり。
特に効果を発揮したのは、歪みのない子供たちの意見であった。
寺子屋で本人なりに真面目に教師をやっている貴子は、生徒からの評判も悪くない。
子供たちは貴子の話を家で愉快そうにするのだ。
それらが噛み合い、歪んだ世論は少なからず変わった。
差別も無くなりつつある。
しかし、今でも根深い悔恨を残しているのも事実である。
特に老人たちは貴子の事を疎ましく思っている。
それも、昔の事件が尾を引いているからだ。
若い衆もその例に漏れることはない。
貴子への差別こそ薄まれど、外れ街という集落自体への差別は、もはや揺るがすことができないものになっていた。
それらによって、最も辛い思いをしているのは誰であろうか。
人里強襲事件の被害者もそうだろう。
昔の事とはいえ、今もなお爪痕は残っている。
だが悪事を働いた連中は、みな首を刎ねられている。
それに外れ街の皆がそう言った人種ではない。
むしろ、なんてことをするんだと憤る者の方が多数派であった。
外れ街の者たちとて悪に染まりたいわけなのではない。
しかし現実は無情だ。
もはやお互いの想いは届かない。
話し合えば溶けゆく怨恨も、もう二度と癒えることはない。
そうした事情は、貴子の心の中で少なからず苦悩する部分であった。
部落への差別によって辛い思いをしているのは……。
あえていうのならば、それは外れ街に住まざるを得なかった連中だろう。
親が犯罪者。
例の事件の実行犯の息子だ。
借金まみれの者。
親が遺した賠償を死ぬまで払い続けるのだ。
他にも大勢、こうした境遇の者がいる。
不幸の世襲制とでも言うのだろうか。
望んでもいない、本当は人里に入り幸せに暮らしたいのに、そうできない。
そしてあろう事か、妖怪退治屋という死ぬための職業を選ぶしかなくなるのだ。
「私はな、慧音。外れ街なんて場所、住みたくない奴は住んじゃダメだと思う。今日を生きるのに命をかけてる奴らだ。悪い奴なんていない。なのに……人里に入れないなんて、不条理だろ」
「それが……どうして妖怪退治に力を入れることになる」
「思ったんだ。私が人里に入れたのは、幽香が居たからだって。強い奴には皆逆らえない。それが多分差別の原因なんだよ。みんな、弱いんだ。そして怖いんだ。知らない奴を近寄せたくないんだろう」
「集団というのは、絆が深まるほど排他的になってしまうからな。特に人里は……そういった傾向は否めない」
貴子は重々しくうなづいた。
排他的ということについては、身をもって知っているからだ。
「だからさ、私は外れ街にとっての幽香になろうと思う」
「……どういうことだ」
「妖怪退治屋としての名を上げる。差別を無くせるよう呼びかけもする。そんで皆に知ってもらうよ。外れ街の連中のことをさ。私が妖怪退治屋として頑張れば、それだけ発言力だってあがる。そして言うんだ。外れ街は良いところだって。そうすればもしかしたら、外れ街の連中を人里に入れてやれるかも知れない」
それは、絵に描いた餅といってしまえばそれまでの淡い幻想であった。
貴子はともかく怜悧な慧音ならば実現不可能に近いことぐらい即座に分かったことだろう。
しかし慧音は黙って俯いた。
貴子はどうしょうもない人間だ。
でも、自分も一度救われた事がある。
そしてそれは自分だけじゃない。
多くの者が、貴子に救われている。
そしてあろう事か貴子は、一つの街を丸ごと救おうとしている。
貴子は本当に優しい人間であると、慧音は思った。
困っている者を放っておくことなど、絶対にできない。
人を助ける能力なんてあるわけじゃないのに、それなのに。
貴子は弱い人間だ。
自分の弱さに苦悩することだって沢山あるのに。
なのに全部助けてやろうと思えるほど、優しい人間なのだ。
そんな貴子だから、本当になし得てしまうのかもしれない。
街一つの救出を。
「私にもぜひ協力させてくれ!大それたことだが……お前になら本当に変えられると思えるんだ!」
「あぁ、ありがとう」
勢い余って涙を零していた慧音。
何も考えていないような生き方の貴子が、まさかこんな考えを持っていたとは。
慧音は自分にできることをしようと思った。
それは、恩返しでもあった。
固く握手を結ぶ。
両腕のない貴子だったがそこには確かに、心と心の握手があった。
慧音が「まずは体を治さないとな」と言い残して帰ったあと。病室には、萃香と貴子の二人っきりとなった。
「アンタ、随分と御立派なんだねぇ。よくもまぁ妖怪の前で妖怪退治を頑張るだなんて吐かせたもんだよ。両腕も無くなってんのにさ」
「……お前と同じだよ。自分と同じような奴らが不幸な目に遭ってる。それを助けてやりたいってだけだ」
「へぇ……だから名を上げると」
「あぁ、幽香のように暴力じゃなく、もっと穏便な力で自分の意見を通す」
「そりゃ殊勝なことだ。じゃあさ、一つだけ教えとくれよ」
「何だよ」
「どうして私を退治したって事は公にしないんだい?」
先程までヘラヘラと茶化すような声色だったのが、すっと低くなる。
その表情からは、意志が読み取れない。
「天下の大妖怪を退治したって言えば、もうそれで有名人だ。鬼を退治するってのはそういう事なんだよ」
「……それもそうだな。気づかなかったよ。でも今更言ったって嘘つき呼ばわりされちゃうからな。あーあ、惜しいことをした」
「……なら、これでどうだい」
そういうと、萃香は自分の角をベキッと折って貴子の足元に投げた。
「なっ!お前角をっ……」
「また直ぐに生えるから良いよ。それより、ほら。それを見せれば嘘つき呼ばわりはされないだろう?」
問い詰める萃香。
疑問に思うと言うよりも、何かに気づいた上で揚げ足を取るような口調だ。
「……ま、考えとくよ」
そう言って貴子はゴロンと寝転がった。
まるでこれ以上萃香と話すのを嫌がるように。
意地悪とはそっぽを向かれてしまうとつまらぬモノで、興を削がれた萃香は暇つぶしに中庭へと出向いた。
縁側に腰掛け、綺麗に整えられた枯山水を見る。
遠くで鹿威しがカポンと小気味の良い音を立てた。
それから萃香は、足音を立てずに近づいてくる存在に気がついた。
「お医者様が何の用だ」
「あら、もうバレちゃったの」
「気配を残して足音だけ消すなんて、逆に難しいだろうに」
「さぁ、分からないわね。貴方だって呼吸を難しいと思った事はないでしょう?」
「この屋敷にいるとたまに息苦しさを覚えるけどね」
「貴方……なんだか貴子に似てきたわね」
永琳が訝しげな顔をする。
しかし萃香は思わぬ講評に破顔してしまった。
「私があの女にかい!?あっはっは!こりゃ傑作だよ!」
「それとも元から似てたのかしらね」
「どこが似てるもんか。私と貴子じゃまるで大違いさ。それも全く、格が違うよ」
「あら、負けたのにそんな事言えるの?」
「いやいや、そうじゃない」
萃香はすこしニヒルな微笑みを浮かべて空につぶやいた。
「私は……貴子ほど強くなんてないよ」
「……どうしてかしら?」
「私なら鬼退治なんて功績、たとえ嘘でも人に広めるだろうからね」
貴子の望みについても、貴子と萃香の関係性についても特段何かを聞かされたわけではない。
しかし永琳はやはり天才、たった一言で萃香の言わんとすることを理解した。
「己の夢に絶好の手柄を広めなかった……と。確かに貴子らしいと言えばそうかも知らないけど、どうしてそれが強さに繋がるの?」
「喧嘩が強いとか、そういう次元じゃないのさ。そもそもアイツは人間を救う為に頑張ると言った。それも真実だろうね」
「しかし今回の手柄は立てないと」
「あぁそうだ。ほんと呆れた奴だよ……アイツは分かってたんだろうね。妖怪の頂点たる鬼が人間に負けたとあらば、下の妖怪らは混乱し不安になると」
「妖怪にも上下があるの?」
「あぁ、結局私らも人間と変わらないもんでね。強い奴に従わなきゃおまんまも食えないのさ」
「そして強者が堕ちたら……仇討ちか暴動か。何も起きないわけはない……と」
「あぁ。そうなったら打撃を受けるのは我々妖怪陣営さ。だから貴子は情報を伏せたんだ。人間を救うなんて吐かしておいてね。アイツはとんでもない奴だよ」
民衆の要らぬ混乱を招かぬよう情報を制限すると言うのは良くある手法だ。
しかしそれは集団を重んじる人間だからこそであり、まして妖怪にも集団性があるなど教科書には載っていない。
そしてそのトップが如何に大事であるかも世間は理解しない。
「結局のところ、貴子は人間を守った」
「えぇ、そうね」
「でもそれだけじゃない。アイツは……妖怪を守ったんだ」
萃香は自嘲するようにそう言った。
永琳も言葉こそなけれど納得したようだった。
貴子は決して萃香のことなど口にはしない。
たとえそれを口にすれば人間を救う事ができたとしても、数多の妖怪を見捨てる事など絶対にしない。
しがない妖怪退治屋は、妖怪すらも守ってしまうのだ。
ずいぶん矛盾した話だと萃香は小さく笑った。
それを見て永琳はふと思いついたように問いかけた。
「貴方も守られたの?」
「こんな所に連れてこられてる時点でそうだろうね。ここに私を連れてきたのはアイツだろう?……いや、両腕が無いアイツには無理か……となると風見か?」
「いいえ、貴子よ」
「あぁ?貴子がどうやって私をここまで運ぶんだよ」
呆れたような笑いを吐き捨て永琳は返した。
「知らなかったのね。貴方を縄で括って、その縄を食いしばって引きずってきたのよ」
「……そんな馬鹿な」
「えぇ、貴子は筋金入りの馬鹿だもの」
溜息を吐くように笑って、それにつられて萃香も笑った。
――要介護の妖怪退治屋
柔らかい日差しが差し込む昼下がり。
永遠亭には貴子が一人。
一体なんの偶然であろうか。
鈴仙は里に薬を売りに。
永琳は輝夜を連れて何処かへ外出に。
暇そうなてゐですら、今日は部下のうさぎ達を引き連れてどこかへ出かけた。
ほぼ全快の萃香は永遠亭を抜け出してしまった。
貴子もそうすればよかったのだろうが、迷いの竹林は少なからず妖怪もいる。
普段ならまだしも、両腕のない貴子には手に余る。
腕がないのに手に余るとはこれ如何にと言いたくなるがとにかく貴子は永遠亭から出られない。
そんなわけで完全な一人っきり。
貴子も最初こそ静かでせいせいすると思っていたが、その幻想もすぐに覚めた。
何せ三体満足であって、何をするにも不便でならない。
ベッドから起き上がり、外に向かおうとする。
ここで躓く。
ドアノブが捻れないのだ。
まさか蹴破っていくわけにもいかぬので、不恰好ながら脚を使ってなんとか開けた。
どの部屋も和風で入り口には障子のくせに、なぜか病室だけはドアノブ付きなのだから、永遠亭は間が悪い。
苦戦しながらも部屋を脱出し、大して広くもない永遠亭を歩く。
もう何度も厄介になって勝手知ったる永遠亭を、それでも歩く。
他にやる事がないのだ。
いつもなら睫毛なりなんなりを抜いてそれで文字でも書いてただろう。
腕がないのだから、そんなつまらないことも出来ないのだ。
そう考えるとずいぶんといろいろこの両腕には働いてもらっていたのだなと、貴子は少ししんみりした。
縁側に坐り、寂しく秋の空を眺める。
少し肌寒い。
いつも静かだが、一人だと一層静かなところだ。
音がなさすぎて耳中の血管が脈打つ音すら聞こえてくる。
さてタバコでも吸おうと思って、それから気づいた。
人がいないと吸えない。
喫煙者には日陰に隠れて誰にも副流煙を当てぬという心がけが必要だが、貴子については別だ。
一人じゃ満足に紫煙も吹かせない。
さてどうしようかと考える。
まず鈴仙が胸ポケットに入れた煙草の箱をどうやって出せば良いのだ。
もどかしくてしょうがない。
それを紛らわす嗜好品が今は原因になっている。
これでは本末転倒ではないか。
それは貴子も重々承知している。
しかしそんなことでやめられるなら、この世に喫煙者はいないだろう。
そして、中毒者の執念とは恐ろしいものだ。
臆面も体裁もかなぐり捨てて、つまり何をしてでもタバコを吸う。
貴子はまず上着を脱いだ。
もとより腕も通さず羽織っていただけだから、これはすんなりと行けた。
それから、足でその上着を持ち上げた。
指先に力を込め、何度も何度も上着を振る。
ぽろっとポケットから箱は出てきた。
しかしここでまた別の問題が起きた。
貴子はソフト党なのだが、タバコをわざわざ買ってきてくれるのは人里に行く機会のある鈴仙で、彼女は箱入りを買うのだ。
おそらく今回もボックスを買ってきてくれるだろう。
それどころではない、ともかく今は箱の蓋を開けなくてはならない。
貴子はタバコの箱を咥えた。
そのまま蓋の部分を柱の角に当てる。
振り向き、見事に箱は空いた。
そのまま何本か床に落とす。
ここまで来るともはや恐怖すら覚える。
貴子は床に顔を近づけ、飴玉探しのように器用に床から一本咥えた。
口元にタバコがあると、それだけで落ち着く。
何も成分は摂取していないのにも関わらずだ。
つまりタバコは貴子にとって嗜好品を超え、心理的な支柱なのだ。
しかし、吸うことに意識を取られすぎて簡単な事を見落としてしまった。
火がつけられない。
マッチを擦れない。
こんな下らない見落としで、ここまでの苦労は全部水泡に帰すのか。
絶望の予感がする。これから心の奥底まで深い曇天に満たされるであろうと言う予感。それはある意味、絶望よりも恐ろしい。
その時、誰かが貴子のポケットを無作法に、しかし繊細に弄った。
マッチに火がつけられ、貴子の口元へと運ばれる。
貴子は煙を吸い込み、勢いよく吐き出した。
それから現れた人物に仰天した。
「ありがとう……って幽香!?」
「さっきの動き、面白かったわよ」
「お前なぁ、見てたんなら助けてくれよ」
「そもそも吸わなかったら良いじゃない」
「これくらいしかやる事が無いんだよ」
風見幽香は貴子の全身をざっと見て、それから鼻で笑った。
「……見れば見るほど無惨ね」
「まぁ名誉の負傷だな」
「そんな事を言ってるから無様な姿になるのよ」
「この傷は無様なんかじゃないんだよ」
「様が有るなら、酷い有様ってとこかしら?」
「……ていうか、何しにきたんだよ」
「あのヤブ医者がちゃんと仕事をしてるのか監視しにきたのよ。案の定職務放棄してるじゃない」
「ちゃんと今日の分の治療は済んでるよ」
「だったら安静にしてなさい。芋虫みたいに這って動くのは趣味かしら?」
「外傷は大概塞がったからな。しかし参った。傷跡は消えてくれないらしい」
そう言いながら貴子は脚を幽香に見せた。
そこには火傷痕のようなアザが、大きく残っていた。
別に永琳の腕が悪いわけではない。
これは無茶をする貴子への戒めのようなものとしてわざと残したのだ。
実際、容易に隠せるところ以外に傷跡は残っていない。
「貴方みたいな虫ケラには満身創痍くらいが似合ってるわよ」
「よせよせ照れる」
「それで、ヤブ医者どもはどこに行ったのかしら?」
「みんな出かけちまった。日暮れまでは誰も帰ってこないだろうな」
「そう……それじゃ、私たちも行くわよ」
「あ?何処にだよ」
「どこって、家に帰るのよ」
「あのなぁ……そりゃ帰れるなら帰りたいが、完治まではここを離れられないんだよ」
「日暮れまでにここへ戻って来れば良いのよ」
「……珍しく小狡いことを言うんだな」
「さぁさっさと下履きを履いてきなさい」
「……まぁお前と一緒ならまさか誰にも襲われんだろうしな。こっそりちょこっと帰るか」
そう言って貴子はタバコの吸い殻をぷっと吐き捨て、下駄を履きに玄関へと向かった。
火種のついた吸い殻を、幽香は何も言わず足で消した。
馬鹿二人、阿吽の呼吸をくだらぬことに費やすのであった。
久しぶりに人里に入る。
貴子は久方ぶりの喧騒を身体中で楽しんだ。
が、しばらくすると辺りが妙に静まった事に気づいた。
何処からか囁くような声が聞こえる。
(おい……あの二人はどっか行ったんじゃ無かったのか、特に人間の方。死んでなかったのか)
どうやら里の民は思わぬ貴子の帰宅にたじろいでいる様子だった。
貴子はそんな下声など慣れっこなのでシカトして家に向かい下駄を鳴らす。
幽香もそれに続いた。
貴子と違うのは、ひそひそと論っていた者を一撃殴ったことだけだ。
これだから悪名は絶えない。
さて久しぶりの我が家。
建て付けの悪い戸を軋ませながら開けると、もう随分の間留守にしていたにもかかわらず優しく出迎えてくれる、なにか『空気』のようなものがあった。
入院中には決して感じられぬ雰囲気。
物の位置とか、壁の模様とか、全部が無意識に懐かしかった。
「まだ、ただいまとは言えないな」
そう言いながら居間に座り込む。
不意に違和感。
何故か、妙に居心地が良くない。
まるで他所の家に上がっているような。
もっというと、幽香の家にいる気分。
「お茶でも淹れるわね」
いつになく親切な幽香。
その原動力が優しさであるはずなどない。
貴子には両腕がないのだから。
「はいどうぞ」
「……うちにティーカップなんざあったか?」
「今ここにあると言う事実だけでは不満?」
「いや、気になっただけだが……」
そう言いつつも貴子は、目の前に差し出されたティーカップに見覚えがあってしょうがなかった。
どうにも向日葵畑にある幽香の家に置いてあったような気がするのだ。
「……さっさと飲みなさい。冷めるわよ」
「わざとなのか?ここにきて意地悪発動か?」
「飲まないなら殺すわよ」
「命の重みを知れ」
言い放つ貴子だが、幽香に逆らえるわけもなく犬のように顔をカップへと近づけて飲むハメになった。
優しくない悪魔にほとほと嫌気がさした。
「その両腕はいつになったら治るのよ」
「そんなの私が知りたいよ」
「いっそ百本くらいつけてもらったらどうかしら?」
「栗みたいで持て余すだろ」
「いい考えだと思ったんだけど」
「だとしたらアホグラミー賞モノだ」
こんな軽妙なやり取りも随分と久しぶりだ。
いつになく弾む会話が一層空気を親密にさせた。
「あのヤブ医者、腕くらいさっさと治せないのかしら」
「口の怪我じゃあるまいに、治るだけで儲けものだろ」
「私ならすぐ治せるわよ」
「なら治してくれよ」
「はい」
幽香は特段ホラを吹くような素振りも見せず、ただ一度指を弾き鳴らした。
その瞬間、部屋に花びらが舞い散る。
それから強烈な閃光。
貴子は目を瞬いた。
「うわっ!」
数秒で光は収まり、貴子はゆっくりと目を開けた。
そこには静かにカップを傾ける幽香がいた。
「いきなりなんだよ!びっくりするだろ!」
貴子は怒鳴りながら幽香を指さした。
「……え?」
目を疑うには眼前の光景はリアルで、なにより疑いたくもなかった。
確かに自分の体から、腕が二本生えている。
「な、治ってる……」
「だから言ったでしょう。すぐ治せるって」
「けど、なんで……」
信じられぬのも無理はない。
永琳が天才であることはお得意様の貴子が良く知っている。
その天才がコツコツ治していた両腕を、こうも気楽に治されてはおかしいだろう。
「簡単な話よ」
「え?」
「貴方に私の治癒力を分けてあげたのよ。感謝なさい」
「……どう言うことだ」
「どこまでも鈍いわね。要するに私のおかげということよ」
「要約しすぎだ……けど、ありがとう」
「えぇ、感謝なさい。まぁ弱虫一匹で鬼を倒したんだから。今回は褒めておいてあげるわ」
「辛勝とすら言えない粗末な戦いだったけどな」
話を聞き納得した貴子は、何度も確かめるように両腕を握っては開く。
不意に幽香が欠伸をした。
「ふぁああ……疲れたわ」
「眠いのか?眠いなら寝ろよ」
悠々自適に規則正しく生活している幽香が昼から眠気に襲われることなどあり得ない。
今回は貴子の両腕を治すのに自身の治癒力を分け与えたため、すこし疲労が溜まったのだ。
「少し眠るわ」
「あぁ、おやすみ」
「何を言っているの?」
「え?」
「少し眠るわよ」
そう言って幽香は貴子の襟を掴む。
怪力にされるがまま、貴子は布団へと連れ込まれた。
「幽香?子供ならともかく、布団一枚で大人二人ってのは狭いぞ?」
「…………」
返事がない。
見ると、すでに幽香は眠っていた。
その日の幽香は、貴子から見ても少し変だった。
妙に優しいし、やたらと甘えたような行動を取るし。
狭い布団の中で貴子は何故だろうかと考えて、それから眠りに落ちた。
「貴子!いるのはわかってるのよ!出てきなさい!」
軋みのひどい戸を乱暴に叩く音。
目覚めた貴子は寝ぼけた頭で誰だろうかと考えた。
外を見ると日が暮れている。
「入るわよ!」
この声は……永琳!
そうだ、自分は今病室から抜け出している身なのだ。
「貴子っ……て、何してるの?」
永琳の目には、寒くもない日に一枚の布団で寝ている貴子と幽香が映った。
「ごめんなさい……邪魔したわね」
「違う!これは成り行きだ!」
「成り行きでそんなこと……貴方って人はっ!」
「ちがーう!」
声を張り上げているにも関わらず、幽香は未だに眠りこけていた。
夜眠れなくならないかが心配である。
「というか、腕治ってるじゃない!」
「ん?そうだ、幽香が治してくれたんだよ」
貴子の発言に、永琳は顔を青ざめた。
「何してるの!いつそれは生えたのよ!」
「いつって……昼くらいだけど」
「……やられたわ」
あまりの剣幕に貴子は不安が抑えられなかった。
一体今度は何に巻き込まれたというのだろうか。
「何から説明すれば良いか……試しにこれを持ってみなさい」
そう言いながら永琳は貴子にタバコの箱を投げ渡した。
何のことかはわからないがとりあえず優しく受け止めるようにそれを掴む。
いや、掴もうとした。
その時、一瞬にしてその箱は握りつぶされた。
「あぁ!?何だこれ!」
「その腕……どうせ幽香の治癒力で治したんでしょう」
「そ、そうだけど……」
「そのせいで、幽香並の怪力が貴方にも出たのよ」
「な、なんだと!?」
突飛な発言に思えたが、動かぬ証拠をたった今体験したのだから疑いようなどない。
この両腕には幽香の力が宿っている……。
鬼退治で馬鹿力を体験している貴子にとってそれは不安要素でしかなかった。
「生えてすぐなら簡単に取れたんだけど……これだけ時間がたってしまえばもう完全に同化しているわ。その腕はもう貴方のものなのよ。完治して良かったわね」
嫌味たっぷりに吐き捨てられて、貴子は泣きたい思いになった。
情けなく懇願する。
「痛みは我慢するからこの腕切り落としてでも元の腕に戻してくれ!」
「無理よ」
「なんでだ!」
「たとえ腕を切り落としても、生えてくるのはその腕よ。もう貴方は元の腕には戻れないの」
「そ、そんな……」
永琳の発言は貴子にとって死刑宣告にも思えた。
何せ一生、自分は風見幽香の呪縛から逃れられないことがたった今決定したのだから。
「幽香にしてやられたわね。貴方に腕を生やして、勘づかれないよう同化するまで眠りにつく。計算の上だったのよ」
「そんな馬鹿な……」
頭を掻きむしる手が、今後の未来を真っ暗にしているのだから皮肉な話である。
風見幽香はやはり悪魔なのであった。
与えられたものには代償がつきものなのである。
――とかくに恐ろしき
例えばの話だが、目の前に母親と恋人が溺れていて、どちらかしか助けられない場合どちらを助けるべきか。
人によって答えは別れるだろうが、私は多分どちらも助けない。
何故なら命の選択をできるほど賢くないし、多分どっちを助けても後悔は耐えぬだろうから。
それに仮に私が溺れていて、誰かを犠牲にしてまで助けられたとしても私は一生己を恨んでしまうだろう。
だから私はどちらも助けない。
あるいは、こう考える。
その場に三人いて二人しか助からないと。
もしそうなら、私は死を選ぶ。
これはどちらを選ぶかという問題の論点を、誰が死ぬべきかにすり替えただけだが、私の命で救われる命があるなら、これ以上の喜びはない。
「馬鹿者!」
問題は、心の中でそう思っただけでぶん殴ってくる胡散臭い、あるいは説教くさい仙人様とやらが私の目の前に座っていることだ。
華扇は私の家に乗り込んできたかと思うと、いきなり姑のようにネチネチ説教を始めた。
「どうせ貴方ならそう答えると思いましたよ。期待通り……いや、不安通りです」
「異変はばっちり解決した。何が不満なんだよ」
「逞しい両腕まで手に入れられて良かったですね」
両腕を失ったことを突くように華扇は嫌味っぽくそう言った。
露骨に言われては流石の私も黙っていられない。
「あの馬鹿力で殴れってのはお前がけしかけたんだぞ」
「私は初劇を当てろと忠告したはずです。それなのに貴方は不意打ちすらしなかった!」
「卑劣に勝っても意味がないだろうが!それに一撃ぶち当てても効かなかったぞ!」
「そんなはずはありません。その時貴方は恐らく何度も無駄撃ちをしてたのでしょう」
「……確かにしてたけど」
「大方乱射で威力が落ちていた。萃香は心理戦も強いのです。おそらく弱っていた貴方の心を折るために、一撃をあえて受け止めた。ダメージは少なからず入っていたはずです」
「なんだそれ」
「要するに痩せ我慢してたんですよ。貴方が正々堂々を望んだように、萃香は完膚なき勝利を望んだ」
「……嫌な野郎だ」
私は苛立ちを机にぶつけようとしたが、両腕は幽香のせいで怪力乱心を宿しているので抑え込んだ。
机の代わりに私の足がダメージを受けたが。
その様子を見ていた華扇が訝しげな顔をする。
「貴方はどうしてそこまで自分を傷つけるのですか」
「天秤にかけてるだけだ。価値を比べて」
「非常に歪んでます」
「何がだよ」
「貴方はもっと自分を大切にすべきです」
「違うな、自分は粗末に扱うべきだ。大切なモノを守れなくなる」
「それが詭弁である事くらい貴方ならわかるでしょう」
「詭弁も方便だ」
「詭弁は詭弁です。そう、貴方は少し破滅を望みすぎる」
「その言い方は何処ぞの閻魔か?」
「私のオリジナルです」
「嘘つけ」
「うるさい!」
バシンと頭を殴られる。
道理も筋も通っていないとことん理不尽な仕打ちだ。
これには流石の私もカチンときた。
「叩くなよ!」
「ええ怒りなさい!泣きなさい!笑いなさい!」
「あ!?」
「貴方は生きることを、まるで特別なことのように考えすぎている!」
華扇の弁舌は一層加速し、口先から火が出そうな勢いだった。
「自分の生を誰かの礎にしなくてはならないという妄執に囚われ、しかし世間との折り合いをつけられぬ自分に絶望している!だから死という安直な道に誘惑されるのです!」
「何だよ急に!死にたいヤツに生きろってのが一番無責任なんだぞ!」
「そりゃあそうでしょう!生きることは義務ですから!義務を放棄することの方がよっぽど無責任でしょう!」
「義務だぁ!?幸せに生きる権利を寄越してから義務でも責任でも好きにしやがれ!」
「明日を幸せに生きたくとも生きられなかった人が大勢いる!だから我々は日々に感謝し、生きなくてはならないのです!」
「だから私が死んで可哀想なそいつに素敵な明日をプレゼントしてやるって言ってんだよ。それが私のポリシーだ」
「そのポリシーが間違っていると言っているのです!良いですか?助けるということは自分を無碍に扱うことではないのです!」
「粗末にでもしなきゃ守れないもんが多すぎるだろ」
「違う!いい加減貴方はこう考えるべきです!川に母と恋人、両方が溺れていてそのどちらかしか救えないのならば、そんなもん知るか!両方助けて自分も生きると!」
「そんなの無茶苦茶だろうが!」
「無茶苦茶で結構!強者の論理で大いに結構!貴方は救うべき命の勘定をいつも間違えている。命に貴賎などない!それは、貴方の命とて同様です!」
「だぁ!簡単にいうなよ!それができないこっちの苦労も知らないで!」
「誰かを助けるということは華麗で美しいことではありません。もっと地道で目立たぬ陰気なものなのです!」
「だから、さっきから何が言いたいんだよ!」
華扇は机の上に置いてあったお茶を軽く口に含んで、抜刀するように鋭く言い放った。
「貴方は、修羅の道を選んだのです」
「何がだ」
「因縁の業火に焼かれるでしょう。助けると言うことはそういうことでもあります」
「あ?」
「人間も妖怪も助けるということは、双方から敵視される事の裏返し。重い責任からは逃げられません。そこまでして……貴方は何処を目指しているのですか?」
「……私が何処を目指しているか、だと?」
「えぇ。明るみにこそ出なくても貴方は既に四面楚歌です。味方も敵もない。そこには無限地獄がただ待っている」
「……そんな小難しい事は考えてない。私はただ、自分が世話になった奴らに恩返ししたかっただけだ。妖怪だとか人間だとか、そんなんじゃない。それともう一つ」
それはあまりにも単純で愚かしく、そして貴子らしい答えであった。
とどのつまりは……。
「何も考えてなかった……ただひたすら、怒りが私を支配してたような気がした。ムカついたから殴った。それだけだ」
無責任を通り越した、無思慮な答えを聴き華扇は眉間に走る痛みに悶えた。
今に限った話ではない、昔から貴子はどれほど冷静ぶっていようが、その場の感情や勢いに任せて見切り発車を決め込む癖がある。
その悪癖のツケはもう何度も身を焦がしているはずなのに。
どうしてこうも命を危ぶむ事に躊躇が無いのか。
「いつか、死にますよ」
「まぁ……そうだろうな。多分、そう遠くない未来に」
「死んだら元も子もないでしょう!この世は兎角に命があればこそです!」
「……その理屈はわかる。しかしな、それがそうでもないんだよ」
「何がですか?」
「人生ってのは文字通り、生きてかなきゃならないものだ。普通、死が途中経過にあるわけがない。死ぬことは結末でしかない」
何を言い出すか分からない貴子の飄々とした語りに、華扇は無言で先を促した。
「しかしどういう因果か……生きていると何度か、ここで死ななきゃいつ死ぬんだって言う時がある。自分の命が最も燃え盛るその瞬間が」
「そんなモノはないと思いますが」
「いや、確かにあるんだ。けど普通は……毎日平和に、安穏に暮らしている人間にはそれを感じ取れない。でもそれでいい。気づかなくていい」
自嘲するように笑った貴子の目は、ひたすらに真っ直ぐであった。
その瞳の真意を問うてみねば、貴子の言わんとする事は分からない。
「生き死にの日々を過ごしてたら分かる。自分が死ぬべき時、命の使い所が。信念を貫くための一瞬が感じ取れるんだ」
「貴方には、あったのですか。その瞬間が」
「何度もあった。例えば紅魔館の連中が異変を起こした時。色々あってフランって言う吸血鬼が暴走した。その瞬間に感じたんだよ。『ここで死ね』って」
「……どうして、貴方はそう感じたんですか」
貴子は思案するような表情を浮かべた。
心中に答えはあるのだが、右脳に感覚としてあるそれを左脳へ伝え言語化することが難しい。
それほどまでに独特の感覚が貴子にあった。
「詳しい理由は分からないが、多分子供が……いや、フランは私よりだいぶ年上なんだけど、そう言うんじゃなく子供が苦しんでいるのが嫌だった。あの場面、博麗の巫女やらなんやらで大騒ぎだったんだ。あのまま行って……平和に済んだだろうか。恐らくは無理、それどころか死人が出てもおかしくなかった。誰にせよ子供にそんな思いはさせたくなかった」
「……それは矛盾してますよ」
「え?」
「死人が出そうだから貴方は頑張った、それはわかります。でも、その結果……貴方は一度死んだっ!」
「……それもそうだな。けどまぁ、思えばあそこで死んだ事が結構な転換期。私の運命を変えた気がする」
「それは結果論であって……」
「結果論で十分だ。あの世で色んな奴らに会えたんだから。癖のある奴らばっかりだったが……いい奴らだと私は思う」
「どうでしょうね、少なくとも私は苦手ですけど」
「まぁ要するに死んだ事に後悔はなかったって事だ」
「そうですか……やっぱり結果論な気がしますけど」
「幽々子を助けて助けられて、私は生き返った訳だが……再生してすぐさま命の危機に会った。幽香に出会っちまった」
「そうですね……正直なぜ貴方が殺されなかったのか」
「そこからはもう色々……本当に色々あって、鬼退治をするに至った。その一連に一片の悔いもない。私は死へと飛び込むことが必要だったと思ってる」
「そうですか……」
「とまぁ、長々語ったがつまりはそう言う事だ」
「えぇ、全く納得行きません」
「なんでだよ!」
「当たり前でしょうが!まるで詭弁、死ぬことを正当化する事など許されるわけがないでしょう!なぜ貴方は普通に生きられないのですか!?」
貴子は緩慢にタバコへ火をつけて、溜息のような笑いをこぼした。
「真っ当な奴なら、普通に生きてるだけで価値があるだろうな。だが……私みたいな怠惰で不健全な人間は、生きてるだけじゃ何の意味もないんだよ」
「そんなことは……」
「そんな事ある。私たちが価値を持って生きるには……もうそれは、命を賭けるしかない。生きていて一度あるかないかのたった一瞬を見逃さず、その一瞬で命を燃やし切る。その炎こそが私たちの生きる意味なんだ」
華扇からすれば、貴子の言い分は詭弁でしか無かった。
だがそれを問い詰めることはできなかった。
何故なら貴子が、涙を流していたから。
「どうして……いつもこうなんだろうな」
喉から苦しみが漏れ出してくる。
「私は静かに生きたい……死にたくなんてない。なのに……なのにっ!真っ当に生きられないんだっ……!」
「貴方はどうしてそこまでして……」
「何かが私に死ねって言ってるみたいだ……お前みたいな奴は死んでやっと一人前だと」
「貴子……」
嗚咽、歔欷、悲涙。
貴子は悲しかった。
己が生の因果が。
普通に生きられない、歪んだ運命の歯車が。
語りにつられて心の歯止めが効かなくなった。
「ちくしょうっ……ちくしょうっ!」
華扇は静かに頷いた。
「貴子、貴方は確かにダメダメな人間です。本当にろくでもない。でも……真っ当に生きてきた」
「……え?」
「破滅的な論理とはいえ、事実として多くの者を救ってきた。見捨てることが容易だったのにもかかわらず。貴方は確かにろくでなしです。しかし……ひとでなしになならなかった。信念を貫いてきた。その生き様が真っ当でなくて何ですか!」
気がつけば華扇も泣いていた。
理由もわからぬ涙がとめどなく溢れた。
貴子の境遇が何より辛く、そして苦しく。
「平の道を持たぬ、何と業の深い人間かっ……」
「ろくでもない人生だよっ!くそっ!」
貴子を取り巻く奇妙な運命。
その始まりは借金返済。
何度も何度も死にかけて。
面倒ごとに首突っ込んで。
悪魔が地獄で見せ物にして笑っているのかもしれない。
ろくでなしのこの女を。
あるいは、ろくでもないこの世界は望んでいるのかもしれない。
信念の業火に身を焦がす、真っ直ぐなこの女を。
つくづくろくでなしだが、ひとでなしにはなれない。
しかしそれが人間だろう。
輝く一瞬も、ちょっと一息つく毎日も、全部ひっくるめて生きる意味なのだ。
だから貴子はこれからも命を張りつづけるし、たばこを吸い続ける。
ほんの一息こそが命なのだ。
だから我々はひといきと書いて、人生と読むのだ。
ろくでもないこの世界で、人は生き続けるのだ。
それが人間なのだから。
ろくでなし東方 了
完結いたしました。
今までありがとうございました。
感想、一言でも頂けたらこれ幸いです。
どうぞ、次回はあの世で逢いましょう。