人生には絶対に負けられない戦いがある。
今も昔も、こういう戯事をまあ臆面もなく言ってしまえるような馬鹿が後を絶たない。
そういう奴はどれだけ上っ面で大器を振る舞おうとも、大抵は負けた時の言い訳を無意識に考えている半端者、軟弱者なのだ。
だから、負けた時にペラペラと言い訳してしまう。
絶対に負けられないと言っておきながら、負けた時に言い訳をするという事がどれほど滑稽か。
絶対に負けないという覚悟がどれほどの重みを、どれほどの意味を持っているかが理解できていないのだ。
絶対に負けられないなら勝つか負けるかではない。
勝つか、死ぬかだ。
それだけ勝負の世界は厳しく険しく、だからこそ魅力的なんだ。
……そして言おう。
私は今、絶対に負けられない勝負をしていると。
事の顛末は、あの思い出すだけで腹が膨れる昼ご飯を何とかデザート込みで食べ終え、取り止めもなくウダウダと時間を潰していた時から始まる。
規格外の摂取量に私の体の消化器系はズタズタな訳で、体を動かす気には全くならなかった。
とはいうものの暇なものはとにかく暇で、なんとも無しにヒューヒューと乾いた口笛を吹いてみたり、眉毛を抜いてそれで文字を作ってみたりと、実に下らない事に結構真剣に取り組んでいた。
……のだが、眉毛で薔薇と書き上げるその少し手前で話は動いた。
タイミングの悪い事に定評のある幽々子からお呼びがかかってしまったのだ。
あと一本で完成と言うところなのに。
無視して完成させようかとも思ったが、普通に考えてみれば鼻毛を優先させることなどできないし、一応は屋敷に仕えているという立場なので幽々子を優先する。
というより無視したら後が怖いし。
渡り廊下を向かって右、私は幽々子に呼ばれた方へと足を運んだ。
部屋で待っていたその意地悪亡霊は、手に何かを持って私を手招きで誘う。
ちゃぶ台を挟んで向かい合うように座布団が敷かれていたので、重い体を労りながら幽々子の対面に座った。
「暇していたのでしょう?貴方はこれ、出来るのかしら?」
そう言いながら幽々子は手から何枚かの札を表向きに並べる。
そこに描かれていたのは色とりどりの鶴の絵、梅の絵、赤い短冊の絵。
つまり……
「花札か」
「ええ。妖夢は弱くて。花札はお好き?」
「わかってて聞いてるんだろ?おっかないぞ。地元じゃ負け知らずだ」
「あら、じゃあ何か賭けないと失礼かしら?」
「賭けなくても面白いが」
「賭けるともっと面白い……でしょう?」
「そうだ。だが残念な事に賭けるものがない」
「あら、ご冗談。あるじゃない。そこに立派な物が」
そういうと、突然幽々子が私の胸元を凝視してくる。
その視線の先には、別に全く立派でも豊満でもないものが映っているはずだが。
それに胸なんていったいどうやって賭けたら……なんてな。
どうせこんな変態みたいな発想はまた私の妄想か何かなんだろう。
テンプレート、デジャビュ。
いつものお決まりパターンだ。
立派なものなんて言い放って私の反応を愉しむのが幽々子の目的だろう。
残念だが思わせぶりには引っかからないし、その手には乗らない。
「立派な物?一体何を賭けるんだ?」
「負けた方が服を一枚脱いでいくというのはどうかしら」
「あぁ……ぁあ!?」
まさかの本当に変態チックな事を考えてたパターン。
あぁいいですねぇ……とは絶対にならないだろう。
どうかしら?じゃないだろう。
なにをお上品にそんな下品な宴会芸を提案してるんだ。
幽々子よ、そんなの私が若い頃に良くやってたような遊びだぞ。
ジャンケンで負けた方が一枚脱いでいく、いわゆる野球拳という奴の類。
てことは何だ……花札拳って奴か?
「……正気か?」
「こういう言葉をご存知?……狂気の沙汰ほど、面白い」
どこの闇に舞い降りた天才なんだよ。
そりゃそんなインド人もびっくりのぶっ飛び発言かまされたら面は白くなるだろうさ。
それにやっと妖夢が軽便の視線ではなく普通の目で見てくれるようになってきたのにそんな事をしでかした日にはさよならバイバイだ。
よくて短冊切り、悪ければ千切りで今晩の食卓に並べられてしまう。
(負ければ……下手すりゃ裸)
……しかし、不幸なことに私に悪魔が舞い降りた。
よくある天使と悪魔……といっても私の天使はシエスタ中であるが、その囁きはまさに文字通り悪魔的であった。
(勝てば、幽々子を脱がせられる)
思えば、初対面の時から痴漢の冤罪をかけられるわ飯は死ぬほど食わされるわ勝手に過去をみられるわ気絶させられるわ……散々な目にして遭わされてないじゃないですか。
それに……なかなかご立派なものをオモチでいらっしゃる。
いま幽々子が来ている桜色の着物、全部剥ぎ取れたらこれ以上の意趣返しはないのでは?
伊達に博打打ちをやってんじゃない。
ウン10年の含蓄と実績ありなんだ。
……勝てる!
そう。
勝負師という生き物はアテもない根拠のもとに勝機を見出し、勝てる勝負はやらずにいられない悲しい性を持っているのであった。
現に今も、博打の借金で身を売られた事など忘却の彼方へと追いやられていた。
「受けて立つ。こいこいでいいか?」
「ええ。そう言うと思っていたわ」
ででーん!
呼ばれて飛び出てみょみょみょみょーん!
どうも白玉楼の庭師、魂魄妖夢です。
小悪魔さんに引き続いて今回は私が解説を務めさせていただきます。
至らぬところ多々あると思いますが、一生懸命頑張らせて……え?早く説明しろ、ですか?
……こほん。
こいこいというのは、花札を用いた遊びの中でも、最も有名な物の一つです。
まず全体として睦月から師走までの、季節の札がそれぞれ4枚ずつあります。
打ち手はお互い手札を8枚持ち、場に8枚の札をおいて勝負開始です。
お互いの手札の中で場の札と同じ月の札があればそれを取る、という事を交互に繰り返していき、特定の札の組み合わせによってできる役というものを先に作った方の勝ちです。
勝負は一月、二月と進んでいき計12回繰り返します。
有名な役として、猪鹿蝶、花見で一杯などがあります。
こいこいとは運だけではなく、場の流れを読み切る勝負勘と度胸が必要とされる、伝統ある大衆遊楽なのです。
ご静聴ありがとうございました。
「……妖夢?」
「それじゃあ始めましょうか。先行は譲るわ」
「今妖夢が」
「服が脱ぎやすいように帯を緩めておくことをお勧めするわ」
「…………」
……そして冒頭に至る。
何度かに渡り死戦を繰り広げ、一進一退、押し引きならない状況だ。
戦況は、私が上下ともに下着姿で、幽々子は何一つ服を脱いでいないというものだ。
……全然一進一退どころじゃない!
幽々子めっちゃ強い!
何一つ上がらせてくれないし、まだ勝負は3月なのにもうほぼR-18レベルまで脱がされてる!
テレビなら不自然に日光が刺してきて私の大切な所を隠しているし、漫画なら謎の黒い四角が登場だろう。
このままでは、梅雨も明けずに全裸にされてしまう。
ここからは絶対に、負けられない戦いだ。
あと一回負けたらもう乳房を晒すことに、もしくは……いや負けた時のことを考えるから負けるんだ。
勝つ。
幽々子は着物、一枚脱げば即致命傷なんだ。
一回でも勝てば、状況は……イーブン!
「4月、親は幽々子だな」
「降参するなら今のうちよ?」
「こっちの台詞だ」
「そんな下着で言われても怖くないわね」
そんな戯言も言わせない。
この手札で……絶対に勝つ。
と、思っていたのに……
「はい、私の上がり。手四よ」
「……な、な」
一枚も札を出すことなく、幽々子が手札を開けた。
手四……最初の時点で同じ季節を4枚持っている……そんな馬鹿な。
「イ……」
「イカサマ、なんてつまらないこと言わないわよねぇ」
「ぐっ……」
ぐにゃあ。
私を貫くその視線は……殺気のこもった目。
私を気絶させた時と同じ目。
……もう逃げられない。
この女……本気で脱がす気なんだ。
私のことを。
クソ……そっちがその気ならこっちだって。
幽々子をひん剥くためなら乳房を見られたって構わない。
例え全裸にされようとも……このままじゃ終われない!
私は晴天の下、死んで初めての胸を晒した。
幽々子を討つために。
「これで、あと一枚ねぇ」
「配ってくれ。5月だ」
……幸いな事は、花見、月見を採用している事であった。
これらの役は2枚で成立する。
つまり……サマ師に愛されている役なのだ。
勝負はもうついている。
先程の手札から、2枚とっくに抜いておいたのだ。
この2枚、幽々子の目を盗み……すり替える!
「あら?」
っ!
バレたか?
「……この手札ならすぐに勝負がつきそうだわ」
……いや、バレていない。
幽々子は勝負を続行した。
私は2手で上がる。
すなわち負けない。
「……月見で一杯だ」
「あら?初めて上がられてしまったわ」
「さ、脱いでもらおうか」
よっしゃ!
勝った!
勝ったぞ!
ぐへへへ。
安い悪役みたいな台詞が出てきてしまう。
苦労したんだ……その着物の下に隠された桜花弁、じっくりと見させてもらおうぞ。
「…………」
……ゴクリ。
思わずダンマリ、固唾を飲んでしまう。
年甲斐もなく釘付けにされてしまった。
帯を緩め、右肩からするりと撫で下ろすように着物を脱いでいく仕草に。
……って!
ええ!
「さ、続けましょうか」
「続けましょうか、じゃない!」
私は思わず立ち上がってしまった。
幽々子は桜色の着物を脱いだ。
そこまでは、いいんだ。
問題は、その下から出てきたのが透き通るような白い肌……ではなく、糊の乗った白い着物であることだった。
「重ね着なんてマネをよくも!」
「さぁ、続けましょうか?」
「ぐっ……」
その一言で空気を支配されてしまう。
圧倒的強者が本気になれば理不尽など無い。
こうなりゃこっちも実力行使だ。
最初に札を配るのは親で、親になれるのは最後に上がったもの。
つまり私が親だ。
悪いがもう私は負けない。
「六月……私が親だな。手四だ」
「あらぁお強い……はい、どうぞ」
白の着物の下からは水色の着物……。
おそらくその下には、紫、山吹と続いているんだろう。
私はあと何回勝ち続けなければいけないんだ……?
サマとバレずに勝ち続けなければ……脱がされる。
勝ち続けても終わりが見えない……あぁ、最初からこうなる予定だったのか幽々子。
12月まで凌ぎ切るのは……不可能だ。
今の手四だってかなり危うい。
幽々子がわざと見逃してる可能性だって大だ。
こうなりゃこっちだって!こっちだって!
「きゃあぁあ!」
私の悲痛な叫びに、
「何事!」
妖夢、登場。
「幽々子様!」
「助けてくれ妖夢!」
「おのれ貴子!幽々子様になんて事を!」
「そうそう、なんて事を……え?」
……無事、輪切りで済みましたとさ。
「くっくっく……貴子、貴方なかなかやるわねぇ?」
幽々子は縁側に腰掛け、抑えきれずに溢れるような笑い声を出した。
……そりゃ幽々子からすれば傑作だろうさ。
「まさか、あんなに綺麗に引っかかるなんてねぇ?あんな幻術、子供騙しも良いとこよぉ。ねぇ妖夢?」
「幽々子様はお戯れが過ぎます!」
「妖夢は引っかかってくれなくなっちゃったから……こんなに愉快なのはいつぶりかしらねぇ……うふふ」
今さっき私が見たのは、勝負に乗っかった所から妖夢に切られるところまで全部幽々子の幻術だったのだ。
そもそも服を脱ぐ勝負なんてこんな真っ昼間から素面でやる訳が無いのに。
それも全部幽々子の差金だ。
私に冷静な判断ができないように理性を奪った。
幽々子が服を脱いだように見えたのも幻覚、でも私がマッパになったのは現実……死にた〜い。
おそらく妖夢も昔は被害者だったのだろう。
どちらかというと私よりに座っている気がする。
「そろそろ口を聞いてくれないかしら?」
「…………」
どうにも喋る気にもなれない。
そういう不公平とか騙し事は勝負においては嫌いだからだ。
「そうねぇ……まるで猪鹿蝶のよう。そうは思わない?」
「どういう事ですか?」
「私は蝶々、正直な妖夢は猪、話をしてくれない貴子はそう……鹿ね」
「シカト……ですか」
「ええ。ふふふ」
よっぽどお気に召したのか、くつくつと溢れるように笑う幽々子。
その顔青タンだらけにしてやりたいくらいだ。
猪鹿蝶なんて上等なもんじゃない。
このカスめ!
少しでもの抵抗として、心の中でしかめいいっぱい毒づいておこう。
「でも、貴子も貴子よ?イカサマをしたんだもの」
「貴子さんはお客さまなんですから、あまりからかっちゃダメですよ。それに、あんな傷だらけの札じゃ幽々子様だって立派なイカサマですよ」
傷だらけ……?
あの札、えらく年季が入っていたが……まさか覚えていたのか?
あの量を。
どっちにしろイカサマに変わりないが。
「妖夢は貴子を贔屓するのねぇ。自分も同じ目にあったかしら?」
「関係ありません!」
「あの時の妖夢も面白かったわぁ。一糸纏わずに真面目な顔をして」
「ゆーゆーこーさーま!」
……どうにかして幽々子を脱がせられないだろうか。
もうここまできたら本気で脱がしてやりたい。
すまない妖夢。
今から貴方の主人はその琥珀の肌を晒すかもしれない。
「幽々子」
「あら、ご機嫌は治ったかしら?」
「今からもう一勝負しないか?」
「うふふ、まだ脱ぎ足りないのかしら?」
「一勝負一枚じゃあちとヒリつかない。レートは五倍だ」
「……妖夢、花札を持ってきてちょうだい」
ですが幽々子様、と遮る妖夢を目で黙らせる幽々子。
妖夢もその迫力に倫理が負けたのか、そそくさと部屋に入っていった。
「……どうぞ」
「ありがとう。勝負はもっと簡単にしよう」
「というと?」
「より大きい月の札を引いた方が勝ちってのはどうだ」
「構わないわ」
「もう一度確認する。負けた方が服を5枚脱ぐんだ」
「ええ。なんなら10枚でも良いのよ?」
「買ってきた手鏡を見てみればいい。負けるやつが写ってるさ」
微風が庭にある木の枝を揺らす。
勝負は、静かに始まった。
場の空気は重い沈黙と熱い熱に包まれていく。
ジャンケンで先行は幽々子となった。
前の戦いのようなイカサマを無くすため妖夢に審判を務めてもらう。
入念に札をシャッフルし、第二の勝負は始まった。
たった一枚で決する勝負が。
「先行は私ね?」
「あぁ」
ゆっくりと、ゆっくりと手を伸ばす幽々子。
そして札を一枚掴み、一気にめくる。
その札の面に描かれていたのは……鳳凰。
「12月!?」
妖夢だけが素っ頓狂な声をあげた。
その声が遠くの山に反響し帰ってきた。
無論私と幽々子にもその札は見えている。
幽々子は無言で勝ち誇る笑みを浮かべ、私はその逆だ。
よくて引き分け、ほとんどの確率で負けだ。
「さ、めくりなさいな」
「……幽々子」
「何かしら?降参は無いわよ?」
私もゆっくりと札に手を伸ばした。
傷だらけの山札の中、たった一枚の『傷のついていない札』に。
「これが、勝負ってもんだ」
札をめくる。
そして幽々子達は目の当たりにする。
私の札……14月を。
「な、何ですかその札!」
「14月だ」
「14月!?」
「暦に存在しない、幻の札。その名も蓮に龍」
目を月のように丸く見開く妖夢。
そしてその奥に、表情が変わり笑みを失った幽々子がいた。
「……龍が、鳳凰を獲った」
そう呟いたのは、幽々子であった。
反論や異議を訴えないと言う事は負けを認めたと言う事。
つまり……私の勝ちだ!
「さぁ、幽々子」
「えぇ。負けてしまったなら仕方がないわね」
そう言って帯を緩め、肩に手をかける幽々子。
今度は幻術でもイカサマでもない。
下に何も着ていなかったのだろうか、白い素肌がチラリと見えている。
それがより一層目の前の光景のリアリティを強固なものにしていた。
「幽々子様!なりません!」
主君の軽挙妄動を止めようと慌てて妖夢が入ったが、一歩遅い。
幽々子はすでに服を着ていなかった。
「さあ、ごらんあそばせ。私の肉体……いえ、醜態を」
「幽々子様……」
念願かなって放たれた幽々子の肉体は、私の想像を遥かに裏切るものだった。
これは……たしかに本物だ。
ただし、私の思っていたものとは遥かに異なるが。
「……刺青か?」
「違うわ。これはね……呪いよ」
幽々子には、満開に咲き誇る桜の木が刺青のように彫られていたのだ。
右肩も、腰も。
巨大で、肌色の方が少ないほど。
おそらくは表側も同様だろう。
豊満な乳房や、透き通る白い肌なんかに見惚れていられるような余裕もない、何か鬼気迫るような力……それも超ド級に邪悪な力が満ち溢れていた。
「いつからだったかしらね。毎年春が近づくと私の体にこのアザが現れるようになったのは」
体を覆うようにして自分の肩を撫でる幽々子。
その声色は、僅かだが震えていた。
「このアザは、少しづつ大きくなってきて……今ではこんなにも……」
「理由は……わからないんだな?」
「ええ。ただ……分かっている事もあるの」
「なんだ?」
「私には死というものが見える。近々大きな事が起きるわ。そして……その時に私は死ぬかもしれない」
「なんだって!?」
弱気な幽々子に苛立ったわけでは無いが思わず怒鳴ってしまう。
怒鳴らないとやってられない気がしたから。
やるせない気持ちが少しでも沸いてしまっては嫌だから。
「滑稽な話よね……亡霊が死ぬなんて。私が一番そう思ってる」
「アンタはそうそうやられるタマじゃないように思えるが」
「そうね……でもこうして何かもわからない力に体を蝕まれているのも事実なの」
伏目がちに呟く幽々子。
そこには、花札や玄関先で見たような意地の悪さなど無かった。
ただ未知の力に恐怖する女性が一人いただけであった。
……私なんかが、何を言ってあげられるのだろうか。
幽々子の恐怖を少しでも取り除く事さえできない自分がただもどかしい。
私にはそうやって自分の非力さを恨むことしか出来ないのだろうか。
「そして、もう一つわかる事があるわ」
今度は私の目を見て、そういった。
真っ暗闇の行き止まりに立つまた一つ輝く突破口を見つけた時のように一筋の希望を抱いた目だった。
「貴子……あなたはまだ死んでいない」
「……え?」
「死者にあるはずのモノがあなたには無い。そして、死者に無いはずのモノが、あなたの中で渾然と輝いているの」
「どう言う事だ?」
死者にあるはずのもので、私に無いものなんて……
そんなもの絶対に無い。
……多分。
「死者にしか無いものは未練よ。生前に未練を少しでも抱かない者などいないの。しかしあなたはまるで未練などない」
そして、と前置きをして幽々子は続ける。
「生者にしかない物……それは、勇気よ」
「勇気……?」
「私には勇気などない。だけどあなたは違う。私の脅しにだってまるで臆さなかったのがその証拠」
「そんなの……」
未練と勇気。
勇気……そんなもの私にはない。
私はただ浅はかで無謀なだけなんだ。
未練だって、数えればキリがないくらいある。
私が死んでいないなんてまるで買い被りだ。
生きている時すら、まるで死んでるような奴だったのに。
「……少し、考えさせてくれ」
……あまりにも色々な情報が急に押し詰めてきたせいで、思考の処理装置は熱を噴いてバタンキューだ。
幽々子の体のアザも。
私の死も。
死んでいないなんて、ありえない。
私は今だって鮮明に思い出せるんだ。
あの時の光景を。
自分の体に亀裂が入り、粉々に爆散していく光景を……。
死んだんだ、私は。
「私は……」
生きている?
じゃあ、あの苦労した三途の川は?
小町は?
映姫は?
……転生不可能。
だからといって……なにができる?
幽々子の体のアザだって……。
私なんかじゃ何一つ力にすらなれないんだ。
「幽々子……悪いが、私じゃ何の役にも立てない」
それが、私の悪い頭で捻り出した精一杯の言葉だった。
そこにあったのは罪悪感と無力感だけだった。
そんなチンケな物を吹き飛ばすように、幽々子は笑った。
「もう十分よ」
「え?」
「このアザを消す方法がわかったの。そしてそれはあなた無しではあり得なかった」
「急に言われたって、私は何もしていないぞ」
「春……貴方は少しだけの春を……決して私には見えることがなかった生きた春をもっていた」
「……すまない。やはり私はダメだ。まるで説法でも聞いているみたいな気分だ」
「わかりやすく言うなら……あなたは冥界に春を告げた。そして冥界の時を進めたの。これから少し忙しくなるわ。これだけは言わせてちょうだい」
「なんだ?」
一泊置いた時の幽々子が浮かべた、ほんの少しだけの笑顔が、それは今こんな状況で言うのは間違っているかも知れないが、果てしなく綺麗であった。
そして、幽々子は言った。
「……ありがとう、貴子」
「……勇気なら幽々子だって持っているさ」
「え?」
「そのアザを今来たばかりの私に見せるなんて、それこそ勇気がいる事だと思う」
「貴子……」
「だから……死ぬだなんて言うな!」
「……そうね。重ね重ね感謝するわ」
「ああ」
その言葉を最後に、着物を着直すためか私は部屋の外へと追い出された。
途端に、静寂が鳴り響く。
……幽々子、ありがとうはまだ早い。
そんな言葉、幽々子の体からあのアザが無くなった時に百回でも千回でも言ってくれれば良い。
けど……今じゃない。
今、私にその言葉を言われる資格なんて……。
私は、幽々子の言っていた次に訪れる大きな事に向けて、ある決意をしたのであった。
「幽々子は死なせない」
その為に私にできる事……。
「幽々子様を守るために修行をつけて欲しい?」
「あぁ……微塵でも微塵なりの力になりたいんだ」
少しでも幽々子の力になる為と思って、私は妖夢の元へ訪れていた。
おそらく、妖夢の目に映る私の瞳はさぞ真っ直ぐだった事だろう。
しかし、妖夢の返答は意外にも肩透かしなものだった。
「すいませんが、私に教えられる事なんてありませんし、そもそも貴子さんが戦う事もありませんよ」
……妖夢の言うことは一理あった。
そりゃたしかに昨日今日の決意で踏み込める鉄火場じゃ無いだろう。
しかし、ここで引き下がれるほど安い気持ちで言ったわけじゃ無い。
「妖夢は……幽々子の事について知っていたのか?」
「えぇ、当然です」
「どうにかしたくはないのか?」
「どうにかしたいに決まってるじゃないですか。私だって……悩んでるんです」
「一緒だよ。私だってどうにかしたい。だから悩むし、今こうして強くなる事に答えを見出そうとしてるんだ」
そうだ。
どうにかしたく無いわけがないんだ。
困ってる奴がいたら助けたいんだ。
それが、自分の主人なら尚のこと。
それを問うのは野暮な事だっただろうか。
「貴子さんは……」
「なんだ?」
「貴子さんはこの屋敷に来たばかりのお客様です!この屋敷の厄介事に手を貸してもらう義理も道理もありません!」
妖夢は初めて声を荒げ、怒りや疲労の混ざったような声で言った。
それは、妖夢の本音だろうか。
でも、私だって食い下がれない。
「……体を震わして怯えていた奴に、ありがとうと言われて何もしない奴がいてたまるか!」
「貴子さんに何ができるんですか!私と幽々子様が何年も何十年も苦しんできたのに!パッと出てきた貴子さんに!」
そんなの……私だって分かってるさ。
自分が、あのアザの一割すら消すことの叶わないゴミだってことは。
それでも……それでもやらなきゃいけない事があるんだ!
「あぁそうだ!私には何もできない!自分の非力さを恨みながら何もせずに諦めるなんていう簡単な事すらできないんだ!」
私の叫びがこだまして帰ってくる。
妖夢も、私も息は絶え絶えでもはや言葉にすらできない思いをぶつけ合うだけだった。
何もできないから、何もしないなんて事はできない。
その思いが伝わったのか、深呼吸して酸素が頭に回ったのか、妖夢は少し落ち着きを取り戻してきた。
「それでも私には、貴子さんに教える事はできません」
「……どうしてだ」
「無意味だからです」
「なんだと!?」
「勘違いしないでください。私が言いたいのは教えても身につかないと言う意味ではなく、効率が悪いという話です」
「効率?」
そりゃ確かに私は物覚えも悪いけどさ。
効率が悪いって事はつまり無駄な事って事じゃないのか?
そんなモノローグなど聞こえるわけもなく妖夢は続けた。
「貴子さんは、以前武術の達人に教えを受けていた事がありますね?」
「……あぁ。以前の職場でな」
例の女タラシ赤髪門番の元で主に気の操り方は教えてもらっていたが……それが何か問題なのか?
「見たのか?あの嫌がらせ水晶で」
「いえ、見なくてもわかります。素人にしては気の流れが整いすぎているからです」
「それがどうしてダメなんだ?」
「私のように剣を使う者は、その間合いの性質上気を扱ってはいけません。太刀筋を見切られてしまうんです。拳と拳なら大丈夫ですが、剣を使うなら別なんです」
剣と剣の間合い……。
しかし、気を扱わないと言う妖夢にはある違和感があった。
「……妖夢の気も乱れてはいないが?」
「納め方が違うんです」
「はぁ」
「貴子さんのように、自分から発せられる気を制御するのではなく、周りの気の流れに自分を委ねることで気を整えます。そして、これの習得には途方もない時間がかかるんです」
「だから、今から教えるのは効率が悪い……と」
「えぇ……御力添えになれずすいません」
「いや、いいさ。なら別の事を教えてもらうだけだ」
そうだ。
何も剣の振り方を教えて欲しかったわけじゃない。
私にできる事……少なからずあったはずだ。
「だから私に教えられる事は……」
「妖夢が修行に専念できるよう、私がこの屋敷の家事を請け負う」
この巨大な屋敷の家守を全て妖夢が担当していては、修行もイマイチ身が入らないだろう。
実際、妖夢は合間合間を縫ってでしか刀を触れていなかった。
「そんな、大変な事任せられません」
「大丈夫さ。でも教えてもらわなきゃできない事も多いだろう。だから……」
「だから?」
「飯の炊き方から教えてくれ……」
「ええ!?」
「あと火の起こし方も……」
「それも知らないんですか!?」
大口を叩いた私の予想外の低レベルさに、周囲と調和していた妖夢の気が少しだけ乱れたのであった。
そして後日に話は変わる。
「ですから、米を炊いているときは蓋を取るなと何度言ったらわかるんですか!」
「すんません……」
屋敷の向かって右殿、調理場にて。
燻る白米の煙、響く怒鳴り声。
明る日、私は例の炊事洗濯ご飯炊きのやり方を教わっているところだった。
……のだが、これがどうにもこうにもややこしく、修行に専念させると豪語したくせして一日中つきっきりであーだこーだと怒鳴られている始末だ。
今も米の炊け具合を確認しようと釜の蓋を取ってしまい、妖夢をカンカンに怒らしているところだ。
曰く、蓋を取ってしまうと風味が全て消え去ってしまうんだとか。
赤子泣いても蓋取るなとは、そう言う意味らしい。
風味って奴が何者かすらわからない私には難解な話だが、これ以上怒らすと米とは別の者の頭まで炊いてしまいそうなのでさもわかったような顔をしておく。
なのに妖夢はさらに怒りを加速させていくのだ。
まな板の上に乗っかっていた野菜を見て妖夢は怒鳴る。
「野菜も切り方が雑すぎです!これじゃ味が中まで沁みません!」
米に野菜まで乗っかってしまった。
一生懸命にはやっているのだが、これでは一汁三菜全部怒られているのではないかと疑ってしまう。
全ては私が望んだ事なのだが、早くも泣きそうだ。
いやマジで。
「修行に行きたくてもこれじゃあ無理ですよ!早く覚えてください!」
うっ、痛いところを突かれた。
たしかに、幽々子があんな風に縋ってくるせいで……それに加えてありがとうなんて言われたせいで少し感覚がおかしくなっていたのは否めない。
飯炊は任せておけなんてセリフ、3年前なら絶対に言わなかった。
とはいえ言ってしまった以上、野菜の切り方でも何でも私が覚えるしかないのだ。
「もう一度だけやらせてくれ」
「……ちゃんとやってくださいね?」
「任せろ」
ええっと、確かこの場合の切り方は……あ、指切った。
「ちょっ、指!野菜に血がかかってますって!早く水で濯いで!」
あぁ、家を守るってこんなに大変なんだな。
育ててくれてありがとうよお母はん。
いつのまにか顔も名前も忘れてしまったけど。
ただ、母さんからもらった血はいま赤々と指先から噴射されてます。
……いてぇ!
「……失礼ですけど貴子さん、おいくつでしたっけ?」
「歳を聞くなんて本当に失礼な」
「そういう反応をする人は大抵おばさ……」
「言うな。言わないでくれ」
指の治療をしながら、心に指よりも痛い傷をつけられる。
そしてそこに塩を塗られる。
「……確か、結婚はなさってませんでしたよね?」
「不思議な事にな」
「ご飯とかどうしてたんですか?」
「そりゃあ……なぁ?」
「なぁ?と言われましても……」
「夜中に隣の家に忍びこんで……飯の残りをいただきますするんだよ」
「……絶句」
「そんな口に出して言わなくても」
大きめのため息をわざとらしく声に出していう妖夢。
「はぁ……料理のさしすせそってわかりますか?」
「さすがに、しらないと思われるなんて、すごく、心外な、気分です……だろ?」
「それは貴子さんの今の気持ちのさしすせそ……ていうかそれじゃ、さしすしきじゃないですか」
「冗談冗談。さとう、しょうゆ……す、す、」
「知らないんじゃないですか。しかも、しは塩です」
「さすがです」
「当然ですよ」
「知らなかった」
「覚えておいてください」
「すご〜い」
「……出来る女のさしすせそ言ってます?」
「センスある〜」
「やっぱり!真面目にやってください!怒りますよ!」
「そうなんだ〜」
「…………」
妖夢は何も言わずにチャキンと刀の刃を光らせる。
そして今私の脳裏に浮かんだのは、バラバラに切られている自分だった。
確かあの切り方は確か賽の目切りだ。
物理的に習うより慣れろされるのは嫌なので真剣にやろう。
刃物を持った女には逆らわない。
これがかしこいやり方だ。
「さぁせん」
「死にたいんですか?」
「すごい嫌です」
「専念してください。料理に」
「そうします」
さらっとさしすせそで会話ができている事に少しだけ感動を覚えながら、作業を再開する。
サ行だけに。
「夜ご飯は任してくれ」
「大丈夫ですか?任せられなさすぎるんですけど」
「うまい飯をつくる」
「信憑性が皆無です」
「ムール貝」
「……貴子さん、私の名前であいうえお作文するのやめてもらえません?」
腹立たしげな妖夢。
誇らしげな私。
「よく気づいたな」
「違和感ありまくりじゃないですか」
「恨みをこめたんだけど」
「何で恨まれるんですか」
「むっつりスケベ」
「……またやってますよね。というか、むの部分もっと頑張ってくださいよ」
「あ、野菜焦げてる」
「だから!真面目にやってください!」
私が一端の生活力を養うのには気の流れがどうたらよりも遥かに途方もない時間がかかるかもしれない。
いや、かかるな。
主な原因は……『こん』なにも、『箔』が付いていないから。
魂魄だけに。
「……なんか、今無性にイラッとしたんですけど」
「気のせいだろ」
「なんとなく貴子さんのせいな気がしますけど、まあ良いでしょう」
「感謝感謝」
「……私は庭に戻りますから、ご飯よろしく頼みますね」
そんなこんなで、私は妖夢から水回りの管理と言う重要な任務を託されたのであった。
無理矢理託させたんだろと言われても、反論はしない。
そしてそこからは特に語るべき事もない、平和で退屈な日々を過ごしただけであった。
今の今まで、特段何事もなかったはずなんだ。
最近ちょっと暖かいなぁなんて他愛もないことを思いながらのんびりと死後を謳歌していただけだったのに。
だのに……何故こんな事になったんだったけか?
「そして今に至る……か」
私の長い過去回想は以上を持って終わる。
白玉楼の庭にて、妖夢は己に向けられた夥しい量のナイフをたった一本の刀で捌き切っていた。
「……なんか果てしなく久しぶりに喋った気がするわ」
「いい加減近づいてきたらどうだ!?このままじゃ拉致が開かないのはお互い様だぞ!」
「そう言って、自分の土俵に持ち込もうたっていかないわ」
啖呵を切る妖夢に相対するのは咲夜。
指の間にナイフを挟み、四方八方から飛んでくるナイフで妖夢を翻弄する。
だが、決め手にかけるのも否めず、二人はただ消耗していくだけであった。
「そんなヤワなモノじゃ、100年やったって私の首筋にすら届かないぞ」
「そうね、じゃあその台詞は100年後にまた聞くわ」
またしても弾幕を展開する咲夜。
脱力し、刀を構える妖夢。
1秒後、金属のぶつかり合う音が響く。
終わりの見えない戦いがまたしても始まった。
「……しかし、拉致が開かないのも本当ね」
弾幕を展開しながら咲夜は考える。
距離を保ちつつ、妖夢にナイフを刺す方法を。
「量ではダメね。全て同時に投げたのも捌かれた」
宙を舞いながら、無意味と分かっている攻撃を続ける。
「消耗させようなんてのは時間がかかりすぎる。力みがゼロな所は流石は達人と言った所ね」
初めから数えてもう何百本めになろうかというナイフを投げた後、咲夜は動きを止めた。
「……やめたわ。やっぱり近づかないとどうしようもないわね」
そう言ったかと思えば一気に妖夢に近づく咲夜。
そして喉元めがけて素早くナイフを突き出す。
軽くいなされると、二歩分距離をとりながら構える。
左手にナイフを持ち後ろ足に重心をかける構えは美鈴から叩き込まれた物だ。
咲夜は左利きで、その構えは右足を前に出す。
「私、結構近接も得意なのよ?どっかの馬鹿門番のお陰で」
「何をペラペラと!」
「せっかく刀が2本あるのに、片方しか使わないのは何故?」
開けた二歩分の間合いを詰めながら咲夜に斬りかかる妖夢。
受ける咲夜は、妖夢の太刀筋を華麗にいなしていた。
しかし、無論妖夢に隙はなく反撃指す暇すらない。
「敵に語る理由など無い」
「そう。ならいいわ」
妖夢が横に刀を薙ぎ払う。
咲夜はそれを鼻先数センチで避けた。
そして右足の蹴りを出す。
避けきれず、顔にめり込む。
一撃必殺の妖夢に対して、堅実に返し技をつけていく咲夜。
両者の戦い方は対極的な物となっていく。
「そんな攻撃少しも痛く無い!」
「優れた武器は痛みすら与えないものよ」
「……な!」
驚く妖夢の右耳からたらりと血が落ちてくる。
血は地面に落ちて弾けた。
しかしそんなもの一瞥もせず、妖夢は返す。
「たしかに優れた武器は痛みすらない。その右足に痛みがないようにな」
「……やるわね」
咲夜は自身の着ている服の右足の太ももあたりが赤く染まっている事に気づいた。
「返していたのね。気づかなかったわ」
「この刀の切れ味は、死んだ事にすら気づけない」
「そうね。死なないよう能力を使わせて貰うわ」
咲夜が指を鳴らす。
止まった時の中で咲夜の右拳が鋭く妖夢の顔面目掛けて飛んだ。
しかし、その瞬間であった。
妖夢の刀が咲夜の鼻先をかすめる。
思わぬ反撃に少し大きめの距離を取る。
「……動いた?」
妖夢はピクリとも動かない。
桜花びらが宙で止まっている故に、時を止め損ねたわけではない。
ただ、妖夢の刀は振り下ろされていた。
「……そろそろね」
時が動き出す。
「……止まった時の中を動けるのかしら?」
「白刃を持つものは世界が止まるほどに緊張感を持ち、そこに神速の居合がある」
「……貴子に日本語教えて貰えばよかったかしら?」
咲夜が新たな攻撃を仕掛けようとすると、妖夢はあろうことか刀を鞘に収め、居合の構えをとった。
鞘に手をかけ、目を瞑る。
吐息の音すら聞こえぬほど研磨された構えだ。
「時を止めたければ止めれば良い」
「ならお言葉に甘えるわ」
三度の時間停止。
舞っていた土埃が静止する。
一歩ずつゆっくりと、ゆっくりと妖夢の方へ歩んでいく咲夜。
その一瞬、妖夢の刀が鞘から抜かれた。
咲夜の目には、その動きを捉える事は叶わなかった。
「見事ね。一瞬だけとはいえ、止まった時の世界へ入門してくるなんて」
時が動き始める。
「惜しかったわね」
「っな!?」
「後ろ、気をつけた方が良いわよ」
「なにをっ!」
妖夢の背中に、深く深く銀の彗星がめり込む。
「っぅぐ!」
「ナイフ、飛んできてるから」
そのナイフは背中越しに体の中心を貫き、妖夢はパタリと地面に伏した。
それを見て、その場をさろうとする咲夜。
……だが。
「……っまさか!」
咲夜の足が動かない。
右だけではなく、左も切られていたのだ。
一筋では無い。
何重にも切り傷がある。
歩く事はおろか立つこともできずに、咲夜は地面に倒れ込んだ。
「あの一瞬で……避けることを見越して、正面に刀は振らないと思ったのだけれど……読み違えたわ」
「私の……ぐ……間合いに……切れぬものなど……あんまりない!」
「まだ喋れるのね……恐ろしい。あらかじめ……遠くからナイフを投げておいて正解だったわね」
庭師対従者 勝者 咲夜(相打ち)
場面は変わって幽々子と魔理沙。
「……妖夢、お疲れ様」
「よそ見してる暇なんてないぜ」
魔理沙が箒に跨って突っ込む体制に入った。
さっきから繰り返している動きだ。
しかし……
「っ消えた!?」
「おやすみなさい」
魔理沙の背中に現れた幽々子。
そして、扇子でコツンとうなじをたたく。
触れるか触れないかほどの威力であったにもかかわらず、魔理沙はだらりと項垂れる。
「さて……次ね」
魔理沙は、もはや生きていなかった。
あまりにもあっけない幕引き。
博麗霊夢がそれを黙って見ているはずなかった。
「待ちなさい」
「貴方……なかなか春人間ねぇ」
「アンタは私がブチのめす」
霊夢の右拳が幽々子をかする。
避け切れず掠ったのではない。
スレスレで避けて霊夢を挑発しているのだ。
「この長い冬はあんたのせいね」
「決めつけるのはよくないわ」
「間違ってたらそんときよ」
霊夢が祝詞を詠み、それに呼応して弾幕が展開される。
それに幽々子が例の如く黒い蝶で相対しようとした時であった。
「……っ?」
最初に異常に気づいたのは、霊夢であった。
超人的な勘で身の危険を察知したのであろうか。
「なんの音?」
どこかから鳴り響く悲鳴のような音に、霊夢は何か鳥肌が立ってしまった。
地面が揺れる。
そして、それが正しく悲鳴であったことに霊夢は気づいた。
「後ろよ!」
幽々子が叫んでいる。
霊夢が振り返ると、目の前を埋め尽くすほどの……黒い蛾が飛んでいた。
「な!」
「危ないわ!」
膠着した霊夢を幽々子が突き飛ばす。
その瞬間に、霊夢がいた場所、そして幽々子が今いる場所へと大量の蛾が飛んできた。
百万匹の死そのものが、幽々子の体にまとわりつく。
「きゃあぁあぁあぁあ!!!」
「っアンタ、何してんのよ!」
霊夢が叫ぶ。
それもそのはず。
幽々子は、霊夢を突き飛ばし、あろうことかあの量の蛾を全て一身に受け止めてしまったのだ。
「なにが起こっているの……あれは、桜?」
霊夢は、自身の背後で蠢く殺意の塊のような者に戦慄する。
それもそのはず、今さっきまで枯れていた西行妖が、唐突に花開いていきその幹から大量の蝶が放たれたのだ。
少しでも触れれば……語るも恐ろしい物が。
「アンタら……あんなの咲かせようとしてたの!?馬鹿じゃない!」
霊夢はもはや耳すら聞こえないであろう幽々子に向かって叫んでしまう。
それが無駄と分かっていても。
「あの桜……枯らせるわよ。文句はないわね」
苦しそうな顔で悶える幽々子と、横で倒れていた魔理沙を屋敷の縁側に寝かせる。
幽々子は、顔にまで例のアザが広がっていた。
そのアザはどんどんと色を増していき、そのたびに幽々子が呻き声をあげる。
「……馬鹿」
お札と針を握りしめて、霊夢は西行妖の元へと飛んでいった。
しかしその瞬間……地面から扇子一本ほど飛び立った瞬間に西行妖は縦に真っ二つに、切れた。
正に一刀両断されてしまったのだ。
「っな!」
とんでもない音を立てながら倒れていく西行妖。
花びらは散っていき、周囲を飛んでいた黒い蝶たちも消えていく。
「もう……何がどうなってるのよ!」
その霊夢の叫びをかき消すように、屋敷の正門からカツン、カツンと石畳を下駄で蹴る音が響いた。
ひらひらと桜が舞い散る。
「まったく……なにをしとるんだか」
そこには白髪を纏め、刀を下げた壮年の男がいた。
幽々子がうっすらと目を覚ます。
「んー、妖……忌?」
「幽々子様、喋らんでください」
「遅いわよ……まったく」
縁側で苦しみながら、今にも消えそうな幽々子の元に妖忌は歩み寄った。
そして、幽々子の首筋に指を当てる。
「……馬鹿なことをしなすった」
「若気のいたりよ」
「もう若くもないでしょう。まったく、つくづく手が焼ける」
「感謝してるわ」
西行妖がぶった切られたかと思えば急に現れ、冷たい汗をかいている異変の元凶と親しく喋っている男に、警戒心を向ける霊夢。
「アンタ誰よ」
「とある酒屋のジジイじゃよ」
「……あっそ」
目の前の爺さんが真面目に答えないことと、今はそれどころではないことを理解し霊夢は黙る。
霊夢には今、一番何をすべきなのかを理解できる賢さがあるのだ。
「さて……」
幽々子の首筋から指を離して、妖忌は顎髭を撫でながら考える。
「困りましたなぁ」
「大……丈夫よ」
「と言いますと?」
「この前……すごいのが……きたわ」
「ほほう……そのようですな」
「屋敷の……中にいるわ。好きに……使って」
幽々子が言い終えるよりも先に、妖忌は立ち上がっていた。
かと思えば瞬き一つする間に帰ってきた。
気絶した貴子を担いで。
「此奴……生命力の塊じゃな。こいつなら問題あるまい」
妖忌は、持っていた刀で幽々子の空を何度か切る。
そして、貴子の空を何度か切り、両手でそれぞれ貴子の首と幽々子の首に手を添えた。
目を瞑りながら、少しづつ息が安らかになっていく幽々子。
その体から、すっとアザが消えていく。
「…………これで、ひとまずは大丈夫でしょう」
「……ふぅ」
「しばらくは養生し、件の始末をつけること。遠からずまた来ます」
「ゆっくりしてかないの?」
「今度の説教ん時で十分です」
「……妖夢が会いたがっていたわよ」
「儂にあったって為になりません」
「……頑固物」
「お嬢様!」
妖忌の迫力に押されたか、体の痛みが響いたか、幽々子は部屋へと戻っていった。
「お嬢ちゃんも、今日のとこは見逃してやってくれねえか」
「できないわ。顕界に桜が咲くまでわね」
「なら帰りな。見てくればわかる」
「……またくるわ」
「金髪と銀髪、忘れちゃいかんぞ」
「どっちも他人よ」
そして……残されたのは、妖忌と幽々子だけだあった。
次回、妖々夢編完結
そして永夜抄へと