異変が、幕を閉じた。
数日後、白玉楼の厨房で貴子は、自身が作った味噌汁の味見をしていた。
「……うん。まあまあ美味い」
鰹出汁に野菜や味噌を加えるだけの簡単なレシピだが、料理のいろはも知らない貴子にしてはかなり背伸びしたメニューだった。
それがなかなか上手にできたので、ついつい頬が綻ぶ。
「あら、このお味噌汁なかなか美味ですわね」
「そうだろう。得意メニューなんだ」
「けれど少し野菜が大きいのではなくて?」
「幽々子はこんぐらいが好きなんだよ……って」
「初めまして」
「ぎゃあぁあ!」
厨房には誰もいなかったはずなのに、突然目の前に謎の女が現れた。
不意をつかれ、驚きのあまり飛び退いてしまう。
その勢いで背中が机にぶつかり、せっかく片付いていた台所が散らかってしまった。
「誰だ!」
最大限の頑張りで威勢を張るが膝が笑ってしまう。
その醜態を見て、目の前にいる不審者が不敵ににやけた。
「幻想郷の管理人よ……人ではないのだけれどね」
「誰だ!」
「八雲紫と言う者よ。聞き及んでないかしら?」
「誰だ!」
「……幽々子の友人よ」
「誰だ!」
「いい加減にしてくださる?」
紫とやらが私を少し睨むと周囲の空間に謎の……スキマのような物が現れた。
やたらめったら人の目みたいな物が浮いていて、人見知りで目を合わせられない私からすると結構嫌な代物だ。
若干キレられたので真面目にしよう。
「幽々子の友達?」
「えぇ……とは言っても用があるのは貴方よ」
「え?」
「冬が開けたと思ったら何やら騒がしくて……聞けば貴方、大変な事をしてくださったのね」
「いやぁ、それほどでも」
「褒めてない……と言いたい所だけれど、そうね。これは賞賛よ。もしくは感謝と言った類の物」
……なんか、回りくどい喋り方をするなぁ。
幽々子の面影を感じるあたり、二人は良い友人なのだろう。
「で、何の用だ」
「説明しても、理解に苦しむと思うわ」
カッチーン。
馬鹿にしたな。今完全に。
「理解に苦しむような用事を持ってこないで欲しい」
「そうね。善処するわ」
「まあ聞くだけ聞かせてくれ」
「幽々子を助けてくれて、ありがとう」
「……は?」
幽々子を助けてくれて……?
何を言い出すんだ?
私、何にもしてないんですけど。
急に目の前が真っ暗になったと思ったら、木は折れてるわ幽々子は全身ボロボロだわ妖夢は傷だらけだわで今だってまだ困惑しているのに。
今私がご飯の支度をしてるのも、妖夢が負傷で動けない体だからだ。
ほぼ無関係なのに、急にありがとうなんて言われても困惑してしまう。
「どういうことだ?」
そう言って意図を聞きたかったのだが、
「……いない」
紫と名乗る女は音もなくどこかへ消えていた。
……と思ったら、紫は客間に腰を下ろして幽々子と和気藹々とした雰囲気でお喋りをしていた。
自分の用事だけ済ましてとんずらか。
調子の崩れる奴だ。
ま、幽々子の友達なんだからそう言う物なんだろうな。
変に肩肘張る方がかえって疲れると言うことは、ここ最近の私の学びだ。
ちなみに何故か大怪我をおっていた幽々子だが、どう言うわけか私に詳しい話を教えてくれない。
多分それは意地悪ではなく他に事情があるのだろう。
単なる嫌がらせの可能性も否めないが。
客間の近くを通りかかると、楽しそうに話す二人の声が障子越しに聞こえた。
そこにあったのは、上品な声と奥ゆかしい笑い声だった。
「ほんと、幽々子ったら」
「本当に大変だったのよぉ?」
「自業自得よ」
「紫だって早くアザが治るといいわねなんて言ってたじゃない」
「まさかあんな風になるなんてねぇ。思いもよらなかったわ」
「西行妖があんな大量の死を隠していたなんてねぇ」
「せめて私が起きている時にやってくれたらこうはならなかったのに」
「起きてる時の貴方を捕まえたら、藍ちゃんがかわいそうじゃない?」
「藍〜?アイツの事はいいのよ。信じられる?敵にやられた挙句に子供まで作って」
「最近見てないと思ったらそうだったの。お祝いしなくちゃ」
「それで名前は橙とか言っちゃって。自分の式神にしようとしてるのよ」
「良いじゃないの〜藍ちゃんもお年頃でしょ?」
「簡単に子供つくって。あんなのろくでなしよ」
「そうかしらねぇ」
……すごい。
とても気品に溢れる声でとんでもなく年寄りめいた会話をしている。
もうババ……いや、下手な事を言うと何されるか分からないから言わないでおこう。
ババくさいとか失礼だしね。
飴ちゃんくれそうとか吐かした日には右手と左手が逆にされたりしそうだし。
というか、そう言う事が言いたくて盗み聞きをしてるんじゃない。異変で、何が起きていたかを知るチャンスなんだ。
そうして障子越しに幽々子と紫の(ババくさい)会話は続く。
「とにかく、無事で良かったわね」
「……無事かしら?」
「最悪の事態を考えれば十分無事よ。幸運とも言えるわ」
「そうねぇ。体からあのアザは消えたのは嬉しいけど……」
「妖忌にさんざん怒鳴られちゃったらしいわね。藍から聞いたわ」
「本当、久しぶりに受けたわ。妖忌の説教」
「いい薬ね」
「けど信じられる?妖忌ったら、妖夢に一声もかけずに帰っていっちゃったのよ?」
「あら。どうして?」
「会えば妖夢の為になりませぬ故……とか言って」
「相変わらず頑固なのねぇ」
「しかも聞いたら、貴子のことも知ってたのよ」
「あら、あの二人が?どこで知り合うのかしら」
「それがねぇ、居酒屋だそうよ」
「……剣士たるもの酒を絶ってしかるべし、なんて昔説教こいてたのは誰かしらねぇ」
「ほんと、信じらんないわ」
……誰の話をしているんだ?
二人の会話に出てきた、妖忌なんて言う頑固ジジイは、私の知り合いにはいないぞ?
……いや昔、どっかの居酒屋で相席したのなら別だけど、そんなの知り合いに含まれないだろう。
話を聞いてる限りは、妖夢のお師匠様だと思うが。
名前からして親族だろうか。
それにしても、本当に熟れた会話をしている。
幽々子と紫の会話の内容は、声や抑揚が良いからさも貴婦人達がハーブティーを嗜みながらするような上品な会話に聞こえるが、内容だけを掻い摘んだらこう言う会話になる。
「ほんま幽々子ぉ」
「ごっつ大変やってんで?」
「自業自得やないか」
「アンタかてはよアザ治ったらええなぁゆうとったやないか」
「まさかあんなんなるとはおもてへんかったわ」
「西行妖があんなぎょうさん死ぃもっとった思わんわ」
「せめてアタシが起きてる時にやってくれたらこうはならんかってんで?」
「起きてる時にアンタ取ったら藍ちゃん可哀想やんか」
「藍〜?あのボケはええねんて。信じられへん。喧嘩負けたおもたら赤ちゃんできとんねん」
「えぇ!最近見ぃひんなぁ思たらそやったん」
「ほんで名前は橙ですぅゆうて。ほんまにあのアホだけは」
「ええやんか。年頃やねんて。藍ちゃんも」
「簡単に子供作って。あんなんろくでなしやで」
「そうかいな」
「とにかく無事でよかったやんか」
「無事ちゃうわ」
「アンタ下手したら死んどったで?十分儲けもんや」
「せやけど。あのアザ無くなったんはありがたいわぁ」
「ほんで妖忌にガッツゥいかれたんやろ?」
「ほんま久しぶりに聞いたわ。妖忌の説教」
「ええ薬やな」
「せやけど妖夢に声もかけんと帰りよってんで?」
「なんでや」
「妖夢の為なりません〜言うて」
「頑固やなぁ相変わらず」
「ほいで聞いてみたら貴子も知ってますぅいうて」
「どこで知り合うねんちゅう話やな」
「それが居酒屋やって」
「酒飲むな言うてたんどこの誰やねんちゅう話やな」
「ほんまあのジジイ」
とまあこんな感じだろう。
……一気に場末の居酒屋みたいな世界観へと変わってしまった。
まあ、特に聞いてて私に得な事は期待できないし、盗み聞きはやめてやるべき事をすまそう。
今私がやるべき事は、寝たきりの妖夢に雑炊を届けてやることだ。
冷めてしまったらいけないので私は少し急ぎめで妖夢の部屋へと向かった。
「……貴子は行ったわね」
「聞かれても困らないわよ?」
「呑気ね。言っとくけど聞きたい事は山ほどあるの」
「わかってるわ。異変の事については長くなるわよ」
「えぇ。ゆっくり聴かせて頂戴な」
――
雑炊を持って、私は妖夢の部屋の前へと行った。
妖夢曰く、大した怪我じゃないしいくらでも動けるそうだが、背中にまっすぐ切れ込みが入っているような人に働かれては気分が悪い。
そう言うわけで無理やり寝かしつけていると言うわけだ。
「妖夢。雑炊だ」
そう言いながら部屋の戸を開けると、そこには妖夢に加えてもう一人9本の尻尾を生やした、狐らしき者がいた。
妖夢の枕元で正座している狐の妖怪は、私の方を一瞥すると目線だけをこっちに向けたまま話しかけてきた。
「貴方が貴子さんか」
なんでどいつもコイツも私の名前を知ってるんだ?
結構有名人なのか?私は。
「……アンタは?」
「私は八雲紫の式神、八雲藍という者だ」
……藍?
なんか聞いたことある名前だな。
それにどこかでみたことあるような。
確か紅魔館にいた頃に。
いつだったっけか?
「すまないが、どこかでお会いしたことがあったか?」
「えっ!?……こほん。お会いしたことは無いはずだが」
「そうか……気のせいかな」
本当に気のせいか?
結構ハッキリとした見覚えがあるんだが……。
しかも結構衝撃的な……あ!
「まさか!あの時裸で寝ていた!」
「え!」
思い出した!
紅霧異変の時に、美鈴の後ろですっ裸で寝ていた奴だ!
「アンタ!あの時の!」
「貴子殿!」
「な、なんだなんだ」
焦った様子で部屋から連れ出される私。
耳元に手を当ててヒソヒソと囁かれる。
撫でるような息遣いがこしょばい。
「あの件は……妖夢には御内密に願いたい……」
「どうしてだ?」
「恥を忍んで言うなら、古き友人との約束の為だ」
「はぁ」
「とにかく……雑炊は私が渡しておくから、持ち場に戻ってくれ」
「……わかりました」
雑炊を渡すと、藍はすぐさま妖夢の寝ている部屋へと戻っていった。
……気になる。
ついでに盗み聞きしてやろう。
特に恨みもつらみもないが。
「妖夢。雑炊をお食べ。食べさせてやるから」
「子供扱いしないでください。自分で食べられます」
「子供扱いでは無い。怪我人扱いだ」
「同じ事ですよ。怪我人でもありません」
「強がるな。歩くたびに顔が歪むのを隠せていないぞ」
「……靴擦れです」
「裸足だろう。大丈夫だ。遠慮はいらん」
「剣士たるもの、他人に助けは求めません」
「背中の傷は剣士の恥じゃないのか?」
「これは……不意打ちで」
「それを含めて見切れなかった妖夢の落ち度だ」
「それは……」
「ほら、こっちにおいで」
「そんな、体裁の悪い……」
「昔からやっていただろう」
「昔って…何百年前の話でしょう」
「面倒を見させてくれ。妖夢についた傷は私の傷でもあるんだぞ?」
「それは、おじい……師匠との約束でしょう?」
「それもあるな。妖夢の事は私が任された」
「私は頼んでません」
「でも私は頼まれた」
「そんな勝手な……」
「いいからいいから」
「あ!ちょっと尻尾は!卑怯ですよ!」
「ほら妖夢。あーん」
「もう……」
……なるほどなぁ。
子供の頃から知ってる妖夢の前でいい格好をしたいだけだったか。
そりゃ裸で寝ていたなんていう痴態をバラされたくはないだろう。
なんだかそこに水を差すのも野暮ったいし、邪魔にならないうちに消えるとするか。
……別にどこにも居場所がなくて寂しいとかじゃ無いし!
幽々子は紫に、妖夢は藍にとられてしまい、話し相手のいない私は手持ち無沙汰となってしまった。
別に寂しいわけでは無いが、一人になったら色々と考えこんでしまう。
そうやって暗い気分になるのは嫌だったが、私に出来る事といえば宛もなくぶらぶらと屋敷の中を彷徨うことだけであった。
そういうわけで私は今、用もなく縁側を歩いている。
すると、一匹の黒猫が私の目の前を横切った。
……不吉だ。
いや、既に十分酷い目にあっているか。
後から告げるタイプの不吉だろうか。
……というか、よく考えてみればこの屋敷の敷地に野良猫など入って来れるわけがない。
おおかた、屋敷で飼ってる猫か紫のツレだろう。
トボトボと歩くその姿を見て、なんだか私と同じ境遇な気がした。
膝を曲げてチョイチョイと呼びかける。
「おーよしよし。お前も一人か」
「……アンタ、貴子?」
「な!」
目の前を横切った一匹の黒猫は一人の少女へと姿を変え、あろうことか私に話しかけてきた。
もう初対面のやつに名前を知られていることには驚かなくなってしまった。
が、目の前で少女に変身したことはすこし面食らってしまう。
……恥ずかしい。
どうせ八雲一派の一人だろう。
「あぁ、貴子だ。君は?」
「私はねー、橙っていうんだー」
「橙?」
さっき幽々子達が話していた奴か。
藍のせがれとか言う。
「そうそう。藍様の式神なんだ」
「あぁ、そういう感じね」
ゆっくりと縁側に腰掛け、タバコを咥える。
もうこの猫に話でも聴かせてもらおうか。
とどのつまりは、暇なのだ。
「藍様が、アンタにはあまり近づくなって言ってた」
「は?」
「教育に悪い!って」
「あいつ……」
言わせておけば。
自分こそ裸でオジャンパーのくせして。
「貴子は教育に悪いの?」
「そうだな。ノンタンぐらい教育に悪い」
「ノンタン?なにそれ?」
「げんきげんきな奴だ」
「そっかー」
今時の子はノンタンが通じないのか……。
ジェネレーションギャップだな。
いや、その言葉も通じないのか。
古い言葉ばっか使ってたら死語を慎めって怒られちゃうな。
「何してたんだ?そこで」
「ネズミ殺してた」
「へぇ。そりゃえらく躾の行き届いたことで」
「藍様も紫様もいなくて暇ー」
「そうか、良かったな。ここに貴子様はいる」
「教育に悪いのに?」
「藍様は教育にいいのか?」
「うーん……わかんない」
「私に言わせればあれはクレヨンしんちゃんだな」
「どういう事?」
「教育にすこぶる悪い」
「そーなんだ。藍様は教育に悪い!」
「そーそー」
良かったな藍様。
ずいぶん教育の行き届いてるじゃないか。
私が教育を手伝ってやろう。
いろいろ、とな。
「それで、貴子は教育に良いの?」
「なんでも聞いてみな。そうすればわかるさ」
「じゃあねー、電気シナプスと化学シナプスの性質の違いと両者の発生について教えてー」
「そりゃ……スタンブビョーだな」
私の目に箪笥と屏風が映っていたのは言うまでもない。
今時の子どころか、今時のオヤジにも伝わらない落語の知識だな。
わからない人はおじいちゃんに、たらちねという落語について聞いてみよう。
「貴子は教育に悪いんだ」
「そうかもな」
「幽々子様を苦しめたって藍様が言ってたもん」
「ええ?」
純粋な眼で私を見つめてくる橙。
私が幽々子を苦しめた?
苦しめられた記憶はあるが……。
「私、何かしたか?」
「貴子が花札で幽々子様に意地悪したんだ!って藍様が」
「それは……」
否定できない……いや、できるぞ。
イカサマをしたのはお互いサマだし、そもそも意地悪できるほど事態を飲み込めてなかった。
裸にされたのは私だし。
服を脱がされた繋がりで少しは擁護してくれても良かったんじゃ無いのか?藍様よ。
「意地悪なんかして無いさ。されはしたけど」
「あと、幽々子様を助けたのは貴子だって紫様が言ってた」
「……そうだな」
「本当なの?」
「もちろん」
もちろん知らない。
なんか冥界の時を進めただのなんだの言われて、ありがとうとは言われたが、私からすれば幽々子を助けた記憶なんて毛頭無い。
というかそもそもここに来てから、やたら多い飯を食わされたくらいしか記憶自体がない。
「なーんか、怪しいなぁ」
「そもそも、異変についてどこまで知ってるんだ?」
「えーっとね、始まりは貴子と幽々子様が花札をした事からで……」
――
騒がしい冥界と同じくらい、その下の顕界も騒がしかった。
異変と呼ばれるほどに長かった冬が急転直下で幕を閉じ、春告精がイキイキと空を飛んでいる。
人々は環境の変化に困惑しつつも、待ち侘びた春の到来にそれはそれは大いに喜び、歌い、呑み、騒ぎ、人里は連日連夜大賑わいであった。
そこから少し離れた博麗神社では、人里の喧騒とは対照的に霊夢が一人ちびちび桜を見ながら酒を飲んでいた。
花見で一杯だ。
「……これにて一件落着ってとこね」
冬のこたつでチビチビやる熱燗も旨いが、やっぱり……
「花見しながら呑むのが、一番ね」
そう言って勢いよく杯を干し、深々と酒臭い息を吐いた。
春の到来によって花が芽吹きはじめた魔法の森。
そこでは二人の少女による会話……もとい喧嘩が繰り広げられていた。
「だーかーらー!家に来んなって言ってるだろ!」
「あんなに卑怯な手で私に勝ったと思われるのは心外だわ」
「お前の魔法だったろうが!」
声を荒げて凄む魔理沙に、アリスは静かに嫌味をぶつけた。
アリスは毎日のように魔理沙のところにやってきては、クドクドとやっかみをつけるのだった。
今日も家に来ていつものように嫌味を言ってくるその迷惑っぷりに魔理沙は心底怒った。
「ともかく、私は今忙しいんだ!」
「何が忙しいの?忙しいって言う字は心を亡くすと書くのよ?」
「だからなんだよ」
「忙しくは見えないって事よ」
「少なくとも、お前に構ってる暇はないぜ」
「必殺技の開発は大変ねぇ」
「……なぜそれを知ってるんだ?」
「この付近、魔力で充満してるわよ。貴方の物でしょう?」
「……やな奴」
「照れるわ」
「とにかく、毎日毎日迷惑だ!早く帰れ!」
「せっかくクッキーも焼いてきたのよ?」
「そんなもんいらないぜ!」
「……紅茶に合うわよ?」
「一人でやってろ!」
魔理沙の方向がこだまする。
少しの沈黙を挟んで、アリスは返した。
「……ふん!なら良いわよ!」
「な!ちょっ、待てよ!」
慌ててアリスを引き止める魔理沙。
魔理沙に負けた時もそうだが、この人形使いはとにかく涙がこぼれやすいのであった。
今も大粒の涙が目尻に溜まっている。
魔理沙はバツが悪そうに頭をポリポリと搔く。
「……クッキー、食べるぜ」
「何よ、いらないって言ったじゃない!」
「あー、気が変わった。無性に食べたい。お茶淹れるから上がってけ」
「……ふん」
すぐに泣きそうになる魔法使いに、魔理沙は困ったようなため息を吐いた。
――
紅魔館も例の如く騒がしかった。
咲夜の帰還、そして春の到来。
ただでさえ出来事が多いのに、静か担当のパチュリーがここ最近は珍しく動き回っているのだ。
静かになどなれるわけもない。
「1652番と582395番……それと368番もお願い」
「かしこまりました」
小悪魔が本棚を駆け回る。
大図書館には、パチュリーによって巨大な魔法陣が描かれていた。
半径10メートルはあろうかと言う大きさだ。
その脇でイスに座っている者が二人。
そのうちの一人、せかせかと走り回る友人を傍目に見ながら、紅茶を嗜んでいたレミリアは言った。
「また、騒がしくなるわねぇ」
向かい側に座って紅茶を飲み干した美鈴が返す。
「良い事じゃ無いですか。私はその方が好みです」
「案外、この春は予言しているのかもしれないわね」
「何をですか?」
「台風……かしら?」
「はははっ言えてますねぇ」
「笑い事じゃあ……いや、笑い事ね。本当に滑稽な事だわ」
「ほんと、笑いが絶えませんねぇ」
ケラケラと笑う美鈴の対面で、レミリアは少し憂鬱な表情を浮かべた。
若干眉間に皺を寄せて。
「それで……私が言いたいのは咲夜の事よ」
「あぁ、やっぱりですか」
「どう責任を取ってくれるのかしら」
「無事に帰ってきたじゃないですか」
「咲夜は一度死んだのよ?」
「分かっています」
「パチェがいなかったら取り返しがつかなかったわ」
「一度だけ死を肩代わりしてくれる魔法の水晶……パチュリー様の魔力にはつくづく感嘆させられます」
「話を逸らさないでちょうだい」
美鈴を少し睨むレミリア。
しかし美鈴は話を止めない。
「あれを渡しておいて正解でした。まさか咲夜さんが死ぬとは」
「お前なら分かってた事だろう?どうして咲夜を行かせた」
「お嬢様こそ、運命視で見えていたんでしょう?」
「だから私は止めた」
「無論、絶対に死なないという安全性は確保してました。聡明なお嬢様ならお分かりでしょう」
「頭と心は違うんだ。たとえ絶対に死なないとしても、心配しない奴がいてたまるか。いるんだったらそんな奴大っ嫌いだ」
「……申し訳ありません」
頭を下げる美鈴。
窓の外にある墓を見つめながら、レミリアは小さく零した。
「もう誰かが死ぬのは……イヤよ」
「……すいません」
「とはいえ……生きていたんだ。お前を責めようなんてつもりは無いさ。むしろ、期待以上のものを持って帰ってきたんだから褒めたいくらいだ」
「見に余るお言葉……ですが、褒めるのはあの子にしてやってください。私は何にもしてません」
「そう言うな美鈴。今回の件、誠にご苦労だったわ」
「お褒め預かり恐悦至極……ですが、まだ終わっていません。むしろここからが……」
「そうね……最後まで頼んだわよ。美鈴」
「勿論です」
――
場面は白玉楼に戻る。
橙が異変の顛末を語り終えた所だ。
「それで、紫様と藍様は慌ててここにきたんだよ」
「……そんな事が、あったんだな」
異変の内容はつまりこうだ。
顕界の春を使って西行妖を咲かせ、その下に眠る人物と酒を飲み交わす。
幽々子は封印を解けば呪いも解呪されるであろうと踏んで、妖夢を街へと走らせた。
……全ては、私が花札で幽々子を倒した時から始まったのだ。
幽々子は、ずっと探していたそうだ。
勇気ある死人を。
「私は……役に立てたのだろうか」
「えー?」
「いや、橙に聞いてもしょうがないことか」
「うーん、藍様は貴子に、余計な事をって怒ってたなぁ」
「そうだよな……事実幽々子は……」
幽々子は死に目にあったそうだ。
実際、妖忌がここにやってきていなかったら幽々子は死んでいた。
やっぱり、私のせいなのだろうか。
「でもねー?」
尖った歯を見せながら笑う橙。
「紫様は、貴子のおかげって言ってたよ?」
「……そうか」
私のせい?
私のおかげ?
私は何にもしていない……いや、幽々子を誑かしたのか?
それとも、幽々子を導いたのか?
……私が幽々子を救ったなんてのは誰が聞いたって傲慢だ。
でも、少しでも力にはなれたと信じたい。
何かをしてやれたなんて思い上がりはしない。
だけど、あのありがとうに報えたと思いたいのだ。
たとえそれが贅沢を言っているとしても。
そうでなければ私は……。
「うーん、難しいことはわかんないけどさ、幽々子様は助かったわけだし、良いんじゃ無いの?」
「……そうかもな」
「そうですよ」
「っアンタは!」
貴子の嘆きに、橙ではない誰かが返事をした。
聞くもの皆シャキッとさせるような凛然とした声。
そこに、笏をもった閻魔が立っていた。
「お久しぶりですね」
「映姫……お前らの時間感覚でも久しぶりか?」
「色々ありましたから」
「なぜここに来た?」
「……敬語はやめたんですね」
「いまさら畏まったって何か得があるのか?」
「私の機嫌が良くなります」
「じゃあいいや」
「そういうと思いました……別にいいですけど」
「それで、何の用だ?」
「聞きたいですか?」
「……聞きたく無いと言ったらどうするんだ」
「無理矢理聞かせます」
「映姫のそう言うところ、好きじゃ無いぜ」
「それほどでも」
褒めてない。
どうせ聞かせるつもりなら最初から言うな。
「聞きたいから、早く言ってくれ」
「まあまあ、そう慌てずに。中で話しましょう」
「あぁ、茶でも淹れるよ」
「お構いなく」
客間に上がる映姫と私。
向かい合って正座し、ゆっくりと私の淹れた茶を啜る。
鹿威しの音が遠くから聞こえた。
「……ふぅ」
「旨いだろ?」
「良いお手前で」
「それで、何しに来たんだ」
「節操が無いですねぇ」
「……悪いが、一発殴って良いか?」
「できるものなら」
「よし乗った」
すぐさま拳を振り抜く私。
その目的地は映姫の顔面だ。
しかし、その拳は映姫の鼻先一寸で結界のようなものに弾かれた。
「私に暴力は振るえませんよ」
「……お強いことで」
「さてと……何から話しましょうかね」
「いくつもあるのか?」
「色々あるって言ったじゃ無いですか」
「いや、そんな事は言ってなかったぞ」
「まずは異変の事ですかね」
「短く頼む」
「……今回の異変、私の耳にも聞き及んでます」
「流石の地獄耳だな」
「前回に引き続き、今回も貴方が引き金だったそうじゃ無いですか」
「そうなのかなぁ」
「そうなんです。異変が起きると、こちらも色々処理するのが面倒なので控えてもらえますか?」
「好き好んでやってると思うか?」
「嫌い厭ってやったとしてもダメですよ」
「言っとくが私はどっちも巻き込まれた側だ」
いきなり説教をかまされて少し腹がたってきた。
久しぶりに会ったと思えばこれなんだから。
私の死についての謎が解明されたのかと期待したのに。
「ねぇ、貴子この人だれ?」
一緒に客間に上がった橙が聞いてくる。
藍のツレなら映姫の事ぐらいは知ってても良さそうなものだが……。
なんて説明しようか。
「うーん……教育に一番良い人ってとこだ」
「ふーん。じゃあこの人がノンタンか」
「そう言う事」
素っ頓狂な紹介と認識をされた映姫が首を傾げる。
「ノンタン?」
「そう、ノンタン」
「私は是非曲直庁断罪部転生課の……」
「はいはい、長くなるから」
「……映姫と申します」
映姫が橙に向かって頭を下げる。
こう言うところは閻魔らしくちゃんとしてるんだな。
「映姫ね!私橙!」
「橙さんですか。お話は聞いてますよ」
「え、私の事知ってるの?」
「ええ、なんでも九尾の妖狐と悪魔の門番が異変の最中に……」
「あーあー!橙、外に行け!ここからは大人の話だ!」
この頑固頭は……いたいけな少女になんの話を聞かせるつもりだ。
そう言うところの匙加減を知らないのか。
それとも出来ないのか。
私の思案などつゆ知らず、蚊帳の外に出された橙がごねる。
「えー、聞きたいー!」
「藍に聞いてこい。きっと喜ぶ」
「……つまんないの」
「面白いってのもほどほどが大事だからな」
「お外で遊んでこよっと」
「そうしてくれ」
橙はまた猫の姿に戻って外へと駆け出していった。
部屋に残された私は、映姫を少し睨む。
「子供に何の話をするつもりだ」
「誕生の秘話ですけど」
「……あと3世紀早い」
「何故ですか?」
「ノンタンだから」
「……は?」
意味不明と言った顔をされる。
こっちの方が意味不明なんだがな。
「それで、話を戻そう」
「あぁ、そうでした。もう異変は起こさないでくださいね」
「私じゃないって」
「さて、本題に入りましょうか」
「あぁ、まだあるのか」
「異変の事はオマケみたいな物です」
「じゃあ本丸は?」
「端的に言いますと……貴子さん」
「ん?」
「貴方、生き返るかもしれません」
「……えぇ!?」
紅魔館で、パチュリーが巨大な魔法陣を描き終えた。
額に流れる汗を小悪魔が拭う。
レミリアも、その完成を見届けていた。
「……ふう。やっぱり複雑ねぇ。疲れたわ」
「ご苦労」
「本当、レミィの我儘も来るとこまで来たわねぇ」
「一番率先して動いていたのはパチェ、お前じゃないか」
「死者の蘇生に興味があっただけよ」
「興味ってのは万能だな。動かない大図書館を三千里も歩かせた」
「そうね。尊大な吸血鬼が頭を下げるのだから。好奇心は偉大だわ」
「それで、あとどれくらいかかりそうなの?」
「こちら側の準備はほぼ完了。後は向こう側次第よ」
「じゃあもう完成ね」
「……そうかしら」
パチュリーは本に目を通しながら魔法陣の仕上げにかかる。
レミリアも、パチュリーの近くへと寄った。
「貴子を生き返らそうなんて、聞いた時は笑いそうだったわ」
「笑ってたじゃないか。喘息持ちのくせに大声で」
「それだけ滑稽って事よ」
「興味深かっただろ?」
「そうね。前例が無いのだもの」
「成功の報告を待っているぞ」
「ええ。段取りはわかっているわね?」
「ああ。あの水晶によって戻ってきた貴子の魂を肉体に入れて、私と契約させる、だな」
「体は作ってあるわ。欠片からの複製は大変だったけど」
「流石だな」
濁った咳をして、パチュリーは続けた。
その表情は明るくなく、どこか闇を落としたものだ。
「問題は、契約の方よ」
「何か気になるのか?」
「……レミィ、貴子を傀儡にしてまで生き返らせる覚悟はある?」
「あぁ……私たちが奪った命だ。返さなければな。そのためには、悪魔との契約をさせなければならない」
「契約して仕舞えば、貴子はレミィの命令を無視できなくなる。それこそ、死ねと言えば死ななきゃいけない体になるのよ?」
「わかってるさ」
「もう一度、その意味をよく考えなさい。私は仕上げに取り掛かるわ」
「……命令なんてしないさ。生き返った貴子はもうこの館の従者でも何でも無いんだからな」
白玉楼の客間で、貴子は腰を抜かしていた。
そして見事なほど呆気に取られていた。
映姫がとんでもないことを言い出したからだ。
私の復活があるかもしれないと。
「生き返るかもしれないって……どう言う事だ」
「貴方の名前が閻魔帳から消えかかっていたんです……ずいぶん慕われていたみたいですね」
閻魔帳……死者の名前と行いが載っていると言う物だ。
そこから名前が消えかかっているだって?
インクが掠れただけじゃ無いのか?
「何のことか全くわからない。もう少し易しく説明してくれ」
「つまり、顕界に貴子さんの事を生き返らせようとしてる者達がいるという事です」
「……誰だ?」
「わかりません。ただ、私達にも輪廻転生を管理すると言う役目があります。一度死んだ者が生き返るなど、ぜったいに許されることではありません」
「私に言われても困る」
「えぇ……ですが」
すこし節目がちに映姫は言う。
いつも威風堂々とした態度の映姫にしては珍しい表情だった。
「何だ?」
「……貴方を保護させてもらいます」
「えぇ?」
「不便はさせません」
「保護って……どう言う事だ?」
「是非曲直庁の管理下に置かせて頂きます」
「そんなの、監禁じゃないか」
「別に牢屋の中で鎖に繋げるわけではありません」
「……期間は?」
映姫達に関わる時、一番嫌なのがその時間感覚の狂いだ。
平気な顔をして何年も待たせる。
ただでさえ退屈な死後なのに、映姫達の元で暮らすなんて、3日で限界だ。
「期間は120年です」
「ひゃっひゃく!?」
想像以上の数字に、想像以上の感情が湧いてくる。
「120年……私達の元で過ごしてください」
「ちょっと……良い加減にしろよ!」
「な、なんですか?」
「ここに来たのだって元を辿ればそっちの都合だったじゃ無いか!」
「輪廻転生が不可能というのは前例が無く……」
「私は、そりゃ褒められた生き方はしてないけど、来世が無いなんて生き方はしてない!」
「落ち着いてください!」
「落ち着けるもんか!120年だぞ!?船に乗れば50年、やっとついたと思ったら120年!良い加減にしてくれ!」
「我々は貴方の事を考えて……」
「私の事を考えて?全部自分らの面子の為だろ!?」
「そんな事ありません!」
「私は120年も待たなきゃダメな悪人なのか?何で私だけ……」
感情の昂りにつられて、思わず涙が溢れてしまった。
何で私はいっつもこんな目に遭わなきゃダメなんだ?
誰かの為になれるような人間になりたかったのに。
いつも酷い目に遭って、嫌な目に遭わせてる。
どうして……どうしていつも……。
「120年は、あまりにも酷ではなくて?」
「そうよぉ。少しそちらの都合を優先しすぎだわ」
「貴方たちは……」
私の嗚咽に呼応するように、気品のある声が何処からか聞こえた。
障子がゆっくりと開けられる。
そこにいたのは、幽々子と紫であった。
その傍らに、藍と妖夢が控えている。
「お邪魔しています」
「ええ、本当に邪魔よ」
映姫の挨拶に、全く愛想のない対応で幽々子がピシャリと返した。
「迷子霊の管理、感謝しています。本日から、少しこちらで預からせてもらう運びとなりました」
「丁重にお断りさせていただきますわ」
「これは決定事項です」
「知らないわ。紫、お願い」
「ええ」
紫が指を鳴らした。
映姫が顔を青くする。
そして細い眉を釣り上げた。
「何を!」
「恩返し……だそうよ」
呆然としていた私の足元に、大きく隙間が空き背中から落下した。
普段なら浮遊感のあまり驚いて叫びそうな物だが、不思議と今はどうでもよかった。
もうどうにでもなればいい。
私は闇へと消えた。
「どう言うつもりですか?死者を生き返らせる事がどう言うことかを理解していないのですか!?」
「貴子はもとから死んで無いわ。だからあるべき場所に戻しただけよ」
「……ふざけたことを」
「あら、決闘を御所望かしら?」
スペルカードを懐から何枚か取り出す幽々子達。
映姫は尺を握りしめ、噛み殺すように言い捨てた。
「……この一件の落とし前は、いずれつけてもらいます」
「120年後かしら?」
「どれだけ抗おうと裁きは絶対です。努努忘れぬよう」
「くどい。消えなさい」
「貴方達は、間違っている」
そう言い残して、映姫は去っていった。
んーん?どこだここ?柔らかい。それにフカフカだ。
ということはベッドか?
確か私は紫に……。
「おはよう。貴子」
この声は……
「……咲夜!?」
「久しぶりね……本当に久しぶり」
「な、なんで咲夜が……っここは!」
「そうよ。ここは紅魔館」
「……ということは」
「急な事でわからないかも知らないけれど、落ち着いて聞いて頂戴。貴子……あなたは蘇ったのよ」
「……そうか」
「話したい事や聞きたい事は沢山あるけれど、まずは私についてきて」
「どこに行くんだ?」
「お嬢様のところよ」
お嬢様……紅霧異変以来だな。
そう思いながら立ち上がろうとすると、頭の中心にズキンと痛みが走った。
思わず頭を押さえて、痛みを和らげる為に深呼吸をする。
「……貴子?」
「何だ?」
「貴方……どうして泣いているの?」
「え?」
左手の人差し指で目元を拭う。
すると、指先が少し濡れた。
そこで初めて、私は自分が涙をこぼしている事に気づいた。
「……久しぶりすぎて、眩しかったんだよ」
「そう……ほら、ハンカチは右ポケットよ」
「あぁ」
ポケットの中に入っていたハンカチで涙を拭う。
目、赤くなってないだろうか。
「さ、行くわよ」
咲夜に導かれるまま、私たちは早足でレミリアの所へと向かった。
その道中で、久しぶりの顔ぶれに出会ったが皆驚きもせずにただ会釈をするだけであった。
もっとリアクションしてくれていいのに。
生き返った甲斐がないぞ。
そう心の中で腐りながら、レミリアの部屋へと到着した。
「久しぶりね」
「お久しぶりです」
「調子はどうだ?」
「まずまずです……私、どうしてここに?」
「私が生き返らせた」
やっぱりそうだったか。
すると、映姫の言っていた連中っていうのは、紅魔館の皆の事だったんだな。
予想していなかった訳じゃない。
ただ、当たっていて欲しくなかった。
「さて、いきなりだが貴子」
「はい」
「私と契約しろ」
「契約?」
「生き返ったのはいいが、そのままでは3日ほどでお前はまた死ぬ。魂の癒着が甘いからな。だから私と契約し、悪魔に魂を売れ。そうすれば魂が固定されて死なずに済む」
「……悪魔との取引には、代償が付き物でしょう?」
「心配するな。代償が必要なのは私の方さ」
「え?」
「お前を復活させるには、お前の寿命を肩代わりしないといけない。だから私の寿命をくれてやる」
「そんな……」
「気にしないでいい。たった80年ぽっち、私たちからすれば些細な物だ」
「しかし私なんかのために……」
「……また、生きてくれ。貴子」
レミリアの命をもらって、生を受ける。
そんな事、許されるのか?
映姫じゃないけど、私は一回死んだんだ。
それを覆すなんて……。
「借金は返済した。お前を縛るものなどない。自由に生きてくれればいい」
「……私には、少し事情があるんです」
「事情?」
私は、映姫からされた話をした。
120年の事、春雪異変の事。
そして輪廻転生の事。
死んでからの事を全て。
しかしレミリアは足を組み、頬杖をつき鼻で笑った。
「ふん。なんだ、そんな事か」
「しかし、私を生き返らせればここにだって危害が……」
「私を誰だと思っている。死神なんぞ恐るるに足りないよ」
「そう言う事じゃなくて……いつか死んだ時に、死神に世話になります。そこに喧嘩を売るのは……」
「その頃には、お前の孫の孫だって死んでるさ。遠い先の事は考えたって無駄なのよ」
「遠い未来でも、私のせいで苦しんでほしくないんです……」
「120年、縛られたくないんだろ?」
「それは、私個人の都合です」
「なら、貴子を生き返らせるのは私の都合よ」
「……それは」
「私の我儘、か?そうだ。私は自分勝手なんだ。悪魔だからな」
「だけど……」
そうやって、埒のあかない問答を繰り返していたら唐突にドアが空いた。
そこに立っていたのは、パチュリーであった。
やれやれといった顔をしながら首を横に振っている。
「貴方達、いつまで揉めてるのよ」
「色々してもらった手前悪いが、私は面倒をかけてまで生き返るなんてしたくない」
「そう。なら、これを読んでから考えなさい」
そう言ってパチュリーは一枚の紙を私に手渡す。
そこにあったのは、格調高い金泥の罫線の上に書かれた美しい綺麗な字であった。
見覚えのある紙質。
これは……
「これはなんですか?」
「手紙よ。差出人は白玉楼一同と書かれていたわ」
「……幽々子」
やっぱり、幽々子からか。
後ろめたさや、吐き気のような気持ちが混ぜられたような気分になりながらも、私は手紙を読んだ。
拝啓
あたたかい季節の訪れ、心よりめでたく存じます。
輪廻転生が不可能と言われ、白玉楼に訪れた時の事が遠い昔のように感じます。
頑張っている貴方の姿に我々一同、勇気をいただきました。
唐突な別れを惜しむ暇すらありませんでしたが、元気にやっていますか。
心悲しい気持ちではありますが、此処を持って、別離とさせていただきます。
敬具
白玉楼一同
貴子様
侍史
「……どうしたの?泣くほどの事があったかしら?」
パチュリーが問いかけてくる。
どうやら、私はまた泣いていたらしい。
もう、涙なんてどうでもいい。
今はただ……。
「……契約、させてもらいます」
「え?」
「もう一度、私は生きたい」
「あ、あぁ、良かったわ」
「契約、お願いします」
手紙を読んでいる間、難しそうな顔をして黙っていたレミリアに言う。
レミリアは、立ち上がりながら言う。
「あぁ。契約成立だ」
レミリアがそういうと、赤い魔法陣が私を中心として現れ、強烈な閃光を放った。
少したって光が収まり、力の抜けた私は膝から崩れた。
私に近づいてきたレミリアが、話しかけてきた。
「これで貴方は完全に復活よ。悪魔の眷属として、だけどね……聞いてるかしら?」
「……」
レミリアやパチュリーの声が、聞こえているのに理解できない。
目から溢れる涙で、視界がやたらぼやけてしょうがなかった。
拭っても拭っても止まらない。
気がつけば、ハンカチは水浸しであった。
「……咲夜、貴子を部屋まで運びなさい」
「かしこまりました」
話の聞こえていない私は咲夜に運ばれ、部屋へと戻された。
そして、目覚めた時と同じベッドの上で寝かせられる。
悲しみか、喜びか、それとも他の思いだったのか。
私は暴れる心に振り回されて疲労困憊し、眠りに落ちていくのだった。
「これで、良かったのよね。パチェ」
「そうね。ただ何故、あの手紙を読んであそこまで取り乱したのかしら」
「きっと、死んでから色々あったのよ」
「……そうかしらね」
部屋へと戻った私は、もう一度だけ起きて、また少しだけ泣いた。
しばらくぶりに流していなかった熱い涙だった。
「幽々子……妖夢……」
あの手紙は、幽々子から贈られた最後の意地悪であったのだろう。
一見、別れを告げる内容であった。
それも伝えたい事だったのだろう。
私はもう白玉楼の人間ではない。
ただ、伝達はそれだけじゃなかった。
隠されたメッセージがあった。
手紙の各文の最初の一文字を並べて読むと、
あ り が と う
になる。
ありがとう……か。
……幽々子、私は役に立てたんだな?
ご飯ひとつ満足に炊けない私だけど、力になれたんだよな?
だったら、私こそ言わせてほしい。
幽々子……本当にありがとう。
長い冬が終わり、幻想郷は満開の桜で満ちた。
その影に隠れて、一人の人間がこの世に帰ってきたそうだ。
桜は、いずれ散ってしまうだろう。
ただ、今だけは。
今この瞬間だけは、美しく咲き誇っていてほしいと、貴子は願うのであった。
妖々夢編 完
妖々夢編が終わってしまいました。
雪が溶け、色々な花が芽吹いてそうです。
貴子は見事この世に戻ってき、そして幽々子と別離しました。
次回は小咄集。
次次回から、とうとう第3作、永夜抄編です。
こうご期待