血塗れエルフと指輪の担い手   作:生野の猫梅酒

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第十話 行きて帰りし──

 ミリアンの懸念通り、オークたちはあくまで目標をドワーフから逸らすことはしなかった。

 初志貫徹と言えば聞こえはいいが、すなわちドワーフという種族の根絶を掲げた強い悪意に満ちている。故に彼らは決して止まることなく、たとえどれだけ恐ろしいエルフがやって来ようとアゾグの意思の下に統一され続けているのだ。

 

 だからこそ、からすが丘に到達した四人のドワーフと一人のホビットは、ここに来て最大の危機を迎えていた。

 

「トーリン!」

「こちらは大丈夫だ! バギンズ殿、そなたは下がっていろ!」

 

 自身を慮る叫びにトーリンはどうにか言葉を返した。その間にも剣を叩きつける動作を止めることは無い。いや、止めたら飲み込まれると理解していた。

 波濤のように押し寄せてくるオークの数、もはや数える気も失せるほど。中には北方からの援軍だけでなく霧降り山脈のゴブリンたちすら混じっていた。

 それでも、たった五人に対してその何十倍あるかも分からない敵に翻弄されながら、全員欠けることなく立っていたのは実力の高さを如実に示しているだろう。ビルボだけは戦士というよりすばしっこさを活かしてのものではあったが。

 

「それにしても、あのエルフの方は──」

「今は他人の心配をしている場合ではないぞ。こちらに集中するんだ」

 

 いくらミリアンが勝手に一人で突撃したとはいえ、ではドワーフが素直にここから引き下がるかと言われれば決してそんなことは無い。

 むしろ今回ばかりは仲間だからとビルボのもたらした情報を教えに行くか迷ったほどだ。けれど結論を下す前にアゾグ率いるオークたちが不意に現れ、なし崩しに戦闘へと発展しまったのである。

 

「まるで鉱山の蝙蝠のように湧き出てくる! こいつらが北からの援軍か!?」

「そうでしょうね! 僕もこんな数とは知らなかった!」

「無駄話してる暇は無いぞ!」

 

 斬って、躱して、斬って、斬って、躱して、斬られての繰り返し。少しずつ鎧はへこみ身体にも傷が増えてくる中で、トーリンがついに動いた。一歩、二歩と抜け出したその先にはドワーフを見下ろすアゾグの姿がある。かのオークは最初からトーリンたちに消耗を強いた後で嬲り殺しにするつもりだったのだ。

 

「私がアゾグを討とう。奴を倒さぬことには状況が変わらぬ」

 

 もっともだが、無謀な発言でもあった。

 

「危険です!」

「そうだよ! あいつはトーリンが来るのを待ってる!」

「だとしてもだ。ここで危険を冒さぬことには、待っているのは敗北と死のみだ。下の戦況とていつ変化するかも分からぬ」

 

 確かにこのままではいずれ数で蹂躙されるが、さりとて五人でやっと綱渡りを維持する状況で一人抜ける意味は大きい。

 せめてあと二人、いや、一人でもいい。この場に戦える人物が来てくれれば趨勢は変わってくる。そんな都合のいいことを誰もが願い、けれど即座に幻想を振り払った。

 希望は無い。ミリアンが無事かどうかも分からず、勇んでやってきた戦士たちはこの場に釘付け。誰かが命を賭けて時間を稼いだとして、それも急場凌ぎに過ぎないと分かっている。

 

「トーリン、ここは俺が──」

「待て、フィーリ!」

 

 それでもなお、若いドワーフには耐え忍ぶだけの現状が我慢できなかった。焦れたフィーリが自ら敵のただ中へと飛び込もうとし、一瞬遅れてトーリンが制止するがもう遅い。無謀な突撃で血路を開こうと飛び出したところで──不意に一本の矢が飛来した。

 

「フィーリ!」

 

 あまりにも急なことだったから、トーリンにはその矢が何処から、誰に向けて射られたのか理解できなかった。ただ風切り音が戦場に響き、ついで勢いよく肉に刺さる音を確認しただけ。

 まさかフィーリが射殺された? 誰もが混乱する中で視線をそちらへとやり、見た。そして聞いた。無数の矢がオークたちを貫く光景を。フィーリはまったくの五体満足のままオークへと躍りかかっていた。

 では一体何が起きた? 思わず振り返り仰ぎ見たその先には弓を構えた影が二つ。トーリンとドワーリンにはその正体が分からなかったが、フィーリとキーリは即座にその正体を察したし、ビルボも遅れて理解した。

 

「エルフだ! 僕たちにも援軍が来た!」

 

 闇の森のエルフ、レゴラスとタウリエルが遅れてからすが丘へと駆けつけたのである。

 

 ◇

 

 一方、蚊帳の外に置かれたミリアンは苛立ちを隠そうともしていなかった。

 この場には誰もミリアンを見ている者はいない。存在するのはただただ醜く憎い(オーク)たちだ。故に誰に憚る必要もなく自身の中の殺意と憎悪を振り撒き続けていた。

 

「死ね、死ねッ! オーク風情が私の道を邪魔するなッ!」

 

 リンゲヒの槍が閃くたびにオーク達の身体が比喩ではなく飛んだ。手が、足が、首が、胴が、切断されて地に落ちる度に鮮血で雪を彩っていく。泥と血と雪で汚れぬかるんだ地に足をつけ、血塗れエルフは次の敵を求めていく。

 どれだけ普段冷静で他者に優しい振る舞いを行おうと、一皮むいてしまえばこのエルフは血と復讐に酔った殺人者だった。かつて殺された家族の恨み、滅ぼされた故郷の怨念、まんまと騙されていた自身への失望。あらゆる情念を込めて丁寧に、種族の一匹すら生存を許さないとばかりに苛烈に戦いを続けていく。

 

「はぁ……はぁ……次は、誰?」

 

 荒れた呼吸を整えながら周囲を睥睨する。オークたちは既に及び腰だ。凄惨な殺戮を見せつけられた影響か、ここで数に任せて襲い掛かったところで死ぬしかないと本能が訴えかけているのだ。もはや怯懦ばかりのオークに彼女を殺せる手段はない。

 そして、そのように戦意を喪失した相手まで執拗に殺そうとする際に、決まってミリアンは思うのだ。結局これは、ただの八つ当たりに過ぎないのだと。

 

「誰も来ないなら、私が殺しに行く」

 

 返り血を浴びながら自嘲気味に笑った。

 どれだけ長命のオークだろうとエルフ並みに生き続けることなど不可能だ。だから本当にミリアンが復讐をしたい相手、故郷エレギオンの滅亡に加担したオークはとっくの昔に死んでいる。こうしてまったくの別個体相手に恨みと怒りをぶつけることが本質的に間違っているのは理解していた。

 であればすべての元凶であるサウロンへこの怒りをぶつけるべきだと言うのに、こちらには色々な理屈をつけて挑まない。敵う、敵わないの理屈でなく、挑んでない時点で狡い存在へと落ちぶれてしまっている訳で。

 

 故に頭の片隅で思ってしまうのだ。

 勝てる相手にだけ八つ当たりじみた暴力を振るうなど、それこそ冥王やオークのようではないかと。

 

「──違う!」

 

 大きな声で否定した。勢いあまって壁へとぶつけた穂先が瓦礫を撒き散らす。衝撃に痺れた手を堪えながら次の弱者(てき)を求めて槍を回した。

 自分もまた醜い存在だと理屈では分かっている。けれど心の内では認められないからこうして戦って、誰かの助けになろうとして、少しでも()()()()()()()()()()思えるように生きている。そうでなければ生き続ける理由そのものが消えてしまうから。死すら本当の意味で終わりでないエルフにとって、生きる理由の喪失は何より恐ろしいものだった。

 

「あぁ、まったく……最低の気分だね」

 

 どうしようもない。今更足を止めることなど出来ない。復讐のための誓約は既に()ってしまった、中途半端な結末など許されない。ないない尽くしのまま、サウロンとオークがいつか敗北するその日まで突き進むしかないのだ。

 血を被り、傷を増やしたところでようやくミリアンは止まった。周囲を見渡せばオークたちは全滅している。槍で、弓矢で、宣言通りに罠を踏み潰した結果だった。銀に輝く刃は血がこびりつき、多数持っていたはずの矢は一本残らず尽きているのが激戦の名残だ。

 一つ問題を解決した以上、後はドワーフたちの援護へと戻ればいい。もと来た砦内部へ戻って通路を急いで戻る──その前に、ミリアンは高所へと足を運んだ。もしアゾグたちがドワーフへ攻撃を仕掛けているならお行儀よく砦の内部に留まっているはずがない。

 

 元々アゾグが居座っていた砦の上から戦場を見渡す。やはりドワーフと出会った地点に彼らは居なかった。

 けれどよく目を凝らせば、遠くの方に戦闘する人影がいくつも見受けられる。背が高いのはオーク、小さいのはゴブリン、その中間くらいがドワーフだ。誰が誰なのかは判然としない。それに先ほどまで居なかったはずの姿が二つ増えている。

 

「あれは……エルフ? それに一人ドワーフが欠けてる」

 

 一体誰が欠けているのか?

 疑問に感じたミリアンであったが、その答えはすぐに得られた。視線をさらに動かした先、凍った湖の上で戦っているのは、巨漢のオークと小柄な影だ。オークの方は間違いなく穢れの王アゾグであり、となれば相手は因縁のあるトーリンと考えるのが自然だろうか。

 

「まったく、無茶をする」

 

 自分のことを棚に上げてミリアンは呟いた。王が敵の総大将と一騎打ちをするなど、心意気は買うが万が一があったらどうすると言うのか。いや、むしろそういう性格だからこそ臣下が着いてくるとも取れるのだが。

 どちらにせよ、エルフ二人が参戦したとはいえ押し寄せてくる敵はまだまだ多い。うかうかしていればいずれ負けるし、誰もトーリンへの援護に行けないのが現状らしい。自由に動けるのは遠くから状況を俯瞰しているミリアンしか残されていなかった。

 

「なら、やるべきことは一つでしょうに」

 

 一つ呟き、ミリアンは軽やかに駆けだした。

 迷いはない。ただオークを殺し、ドワーフを助ける。それだけだ。

 

 ◇

 

 戦士としてのトーリン・オーケンシールドは決して弱くない。むしろ王ながら戦士としての素質にも十分恵まれている。この戦場でこの瞬間まで生き残っていることが何よりの証拠だろう。

 しかし今回の相手は規格外だ。穢れの王アゾグ、オークの中でも指折りの存在。かつて致命傷を負いながらしぶとく生き延びていたその生命力といい、ドワーフへの復讐に燃える執念深さといい、凡百のオークをはるかに凌いだ強さを持つのも納得というものだ。

 

「ちぃッ!」

 

 氷の上をトーリンが転がった。つい一秒前まで彼の居た個所に巨大な石塊が叩きつけられる。鎖から伸びたそれはアゾグの扱う規格外のフレイルだった。勢いの付いたこれをまともに喰らえば一撃で決着がついてしまう凶悪な代物だ。

 フレイルを振り回すアゾグの前にトーリンは防戦一方だった。互いの体格差もあり間合いを詰めることが難しい。転がるように避け、眼前を横切る石塊を紙一重で回避し、綱渡りのような勝負を続ける。

 

 一対一の勝負だったのはせめてもの救いだろう。ここに至るまでの雑兵はエルフが露払いを行ってくれ、さらにアゾグも自らの手で殺すことに拘っているのか援軍を呼ぶ気配はない。しかしそれでも現実として彼我の戦力差には開きがある。

 それを証明するかのようにトーリンの回避が少しずつ遅れ始めた。それはここまでの戦闘による疲労だったのかもしれないし、宿敵との緊張感が影響し始めたのかもしれない。とにかく、地面に飛び込んで回避したはずの動きが見せかけであり、次の一撃こそアゾグの本命であるとドワーフが気が付いた時にはもう遅かったのだ。

 文字通り薄氷の上にあった天秤が大きくアゾグへ傾いた。フレイルを振りかぶったアゾグが勝利を確信し、地面に転がった直後のトーリンに回避する術はない。万事休す、どうすることもできず死を待つだけ。

 

 まさにその時だった。アゾグが弾かれたように背後を振り向いた。義手代わりに刺さった左腕の剣を振り抜く。一拍遅れて鋼の噛み合う甲高い音、空中を回転しながら舞っているのは銀色の槍だろうか? トーリンはそれに見覚えがあった。

 

『貴様は!?』

 

 アゾグが何事か叫んだ。トーリンには理解できない言葉だったが、オークの意識がこの瞬間だけトーリンから逸れたこと、また今の槍を弾いたせいで体勢を大きく崩したことは直感的に理解していた。

 無我夢中、そうとしか形容できない。気が付けばトーリンは立ち上がってアゾグへと飛び掛かっている。勢いのまま彼を地へと打ち倒し、その上に馬乗りとなった。即座に反撃を判断したアゾグが左手の剣でトーリンを斬ろうとしたが、もう遅い。

 

「終わりだッ!」

 

 山の下の王が、穢れの王の胸元へ深々と剣を突き刺した。

 

 ◇

 

 その後の顛末を語ると、嘘のような逆転劇の末に自由の民は勝利した。

 決め手となったのはアゾグを打ち倒したトーリンの功績と、さらに援軍として文字通り空から駆け付けた大鷲とビヨルンの参戦だ。彼らは現れるや否や風を生み出す翼で、熊の鋭い牙と爪で戦った。オークとゴブリンは彼らによって大打撃を受け、これに人間とエルフとドワーフが勢い付いたことで完全に趨勢が決したのである。

 当初の戦力差、そしてエレボールに籠ってしまったドワーフの頑固さを思えば考えられないような結末だ。最初は誰もが自分たちの勝ちを実感することは出来なかったものの、それでもトーリンが、スランドゥイルが、バルドが天に剣を掲げたことで勝利の波が広がり、ここに山も谷間も揺るがす大喝采が響いたのだった。

 

 こうして様々な種族の入り混じった、後に"五軍の合戦"とも呼ばれる大戦は終わった。この後も数日は逃げたオークたちの掃討は行われたが、もはやエレボールも谷間の国も戦場とはなり得なかった。特に谷間の国に逃れてきた人々にとっては待ち望んだ静寂である。彼らはようやく腰を据えて復興と冬を越す準備に取り掛かることが出来たのだ。

 そして、戦いの熱も引いて落ち着いた頃、トーリン・オーケンシールドはエレボールの王として即位した。かくして彼は一族の悲願である故郷を取り戻すことに成功したのである。一度は彼の手元から離れたアーケン石も約定通りバルドからトーリンへと返還され、これに報いるためにトーリンは快くエレボールの財宝の一部を彼に譲った。竜の病に翻弄されて失いかけた王の風格も、これにて山の下の王に相応しいものを取り戻したのだった。

 

 エルフ王にも此度の戦の報酬として──噂によれば渋々ではあったらしいが──彼の求める宝石が贈られたという。バルドへ贈られた財宝の中にこれが混じっており、それをバルドがエメラルドの宝と共に渡したという回りくどい方法であるが、スランドゥイルはこれにいたく満足したようだ。あくまで確執は残ったとはいえ、少しばかり歩み寄れたのは大きな進歩と言えよう。

 

「終わってみれば大団円ってことで良いのかな」

 

 そして、これらすべてを後から知ることとなったミリアンは、一人満足気に頷くのだった。

 可能な限りオークとゴブリンの残党を追い回し、戻ってきた時にはトーリンの即位や宝の譲渡は終わっていた。少し勿体なかったなと後悔しながら、けれど「またいつか見る機会もあるだろう」とすぐに切り替えたのは長命の成せるわざである。

 中つ国の北方は今回の戦を経て平和な世の中を迎えることになるだろう。竜が駆逐され、オークは大幅に数を減らした。もはやこの地で血塗れエルフが槍を振るう必要も無いし、今後そうならないことを祈るばかりだ。復讐を渇望していたって平穏が一番というのは彼女も認めるところである。

 

 活気づき始めた二つの国から少し離れ、ミリアンは近場の川にまで降りて来ていた。湖の町まで続く川は流れが穏やかであり、手ごろな岩に腰かければせせらぎの静かな音が聞こえてくるだろう。長閑な風景は数日前の熱気を忘れさせる力があった。

 そんな川の浅瀬で、ミリアンは黙々と銀の槍(リンゲヒ)にこびりついた血を洗い流す。下流へとどす黒い血が広がっていくのを眺めながら、思い出すのはオークの中でも最強の存在だ。

 

「まさか、あの一撃を防がれるなんて思いもしなかった」

 

 しみじみと思うのはトーリンとアゾグの決着の直前のことだ。もはやトーリンは殺される寸前であり、どうしても間に合わないと踏んだミリアンは槍を思い切り投擲した。アゾグの背後から投げられた槍は確実に不意を突いて息の根を止めるはずだったのだが……彼はこれに間一髪で反応して防いでみせた。あの一瞬だけはミリアンも「オークながらなんて奴」と思わず賞賛してしまったほどだ。

 けれど勝ちは勝ち、薄汚いオークの王を殺せたことに変わりはない。だから今回の経験も『次はより確実に不意を突く』という教訓へと昇華して、自らの一部に吸収すればいい。

 

 と、背後に人の気配を感じた。複数人分の足音、槍の手入れに夢中な彼女は敢えて振り返りはしなかった。

 

「ここに居たか、エルフ殿」

 

 しかし声を掛けられてしまえば仕方ない、まして山の下の王ともなれば無視する訳にはいかなかった。

 槍をわきに置いて振り向いた先にはトーリンと、それにガンダルフとビルボも居た。彼らは既に旅支度を済ませており、これから故郷へと帰ろうというところか。きっと仲間との別れも済ませてきたのだろう。

 

「こんにちは、山の下の王。この度は宿願叶いおめでとうございます。しかしわざわざ私の下を訪ねることもないでしょうに」

「だが、そなたには是非とも直接礼を言っておきたかった。思えば霧降り山脈でのゴブリン町から始まり、闇の森の王国でも我らのために口添えを行ってくれた。まして命を救われたとなれば礼を言わぬ方が王としての品位に関わることだろう」

 

 そうは言ってもね、とミリアンも言葉を濁して頬をかいた。感謝されるほどのことはしていない。大いに打算が混じっていたのも事実であり、オークへの復讐心から戦いに身を投じたのも真実だ。これほどまでに真正面から謝意を述べられると照れくさい。

 

「かつての一件もあり、そなたのことを悪く考えていたことは否定しない。しかし誤解が解けた今、そなたの望むものをばドゥリンとノルドールを繋ぐ友好の印として渡したい。何か希望はあるだろうか?」

「それなら──」

 

 一転して目を輝かせたミリアンにトーリンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに元に戻った。そういえば彼女は最初から希望を言っていたと思い出したのである。

 

「エレボールの炉を使わせてもらいたいのと、復興に際して私の技術を山に刻み込むのを許していただきたい。最後のエルフの金銀細工師(グワイス=イ=ミーアダイン)の実力、中つ国でも一番のものと自負していますがいかに?」

「なるほど、大胆な挑戦状だ。ドワーフの職人たちが聞けばさぞ燃え上ることだろう」

 

 初めてトーリンが微笑み、つられてミリアンも静かに笑みを浮かべたのだった。

 

「それから」とトーリンは続けた。

「キーリが湖の町で助けられたとも聞いた。兄のフィーリ共々改めて礼を言いたがっていた、彼らにも顔を出してやってくれ」

「言われなくても行きますよ。エレボールの宮殿と財宝、もう一度見ないことにはこの地を離れられないので」

 

 当初の微妙な空気は欠片もなく、終始穏やかなまま二人の会話は終わった。トーリンは即位直後ということで他にもやることが山積みらしく、最後にガンダルフとビルボに別れを告げるとエレボールへと戻って行った。残された三人はようやくゆっくりと会話をする機会を得たのだ。

 

「終わってみれば、すべて無事に行って安心した。スマウグとアゾグという難敵、今回ばかりは恐ろしい事態となるやもと覚悟していたのじゃがな」

「無用な心配で終わった、ならばそれで良いじゃないですか。万事終わればこともなし、中つ国はなるようになるものです」

「竜とオーク、それに南方に潜んでいたサウロンの影……すべて駆逐できたとなれば、向こう数十年は安心じゃろうて。優秀な技師たちもおる、エレボールと谷間の国の再興も約束されたものじゃろう」

「なんといってもこの私が居ますからね」

 

 ふふんと胸を張った。きっと彼女の頭の中ではどのようにしてエレボールの装飾を直し、また豪奢にしていくか、無数の案を遊ばせているのだろう。あるいは谷間の国の復興にまで考えが及んでいるのかもしれない。血と復讐に染まったエルフも戦が無ければ鍛冶と細工が好きな一人の職人に過ぎなかった。

 

「そうだ、ミリアンさん」

 

 少し躊躇いがちにビルボが声を掛けた。「なんでしょう?」とミリアンが返す。

 

「一つエルフの知恵にお聞きしたいのだけど……魔法の道具というのは、この世に存在する?」

「ええ、しますよ。この世を支配してしまうような恐ろしい指輪から、取るに足らない玩具のような代物まで様々に。ただそれらは往々にして秘匿されていたり喪失してしまったから、一般に触れる機会が無いだけで」

「そっか、なるほど。じゃあ聞きたいのだけど──姿を消せる指輪について、聞いたことは?」

 

 そこでガンダルフとミリアンは顔を見合わせた。まさかビルボからそんな問いが出るとは予想だにしていなかったのだ。いや、ガンダルフの方はあまり驚いた様子もないから、ある程度ビルボの抱えていた"秘密"を察していたのかもしれない。

 内心の動揺を極力抑えて、かつあまり立ち入った話にはならないよう気を配りながら、ミリアンは答えた。

 

「指輪……あまりいい話は聞かない代物ですね。特に私のような一部のエルフや、ガンダルフを含む魔法使いは現存してるかも不明な"とある指輪"を探してる。一応聞くけど、どこで拾ったの?」

 

 直接的に尋ねられた疑問にビルボは目を逸らし、俯いて、明らかに言いたく無さそうにしながらも、ようやく重い口を開いた。もはや取り繕う必要もなかった。

 

「…………()()()()()()()、トロルたちの岩屋で拾った」

「なるほど。ガンダルフ、どう思う?」

「判断がつかぬ。だが、かの指輪ならばイシルドゥアの没落と共にアンドゥインの大河へと没したはずじゃ。もし誰かが拾い上げたとしても西へと流れつくとは考えられぬ、東ならばまだしもな」

「私も同感ですね。となればそれは、力の劣る指輪の一種と考えていいでしょう。ちなみに外見は?」

「金の指輪、別段飾り気がない」

 

 金の指輪で飾り気がない。"一つの指輪"もまさに同様の特徴だという伝承は残っているし、実際に三千年ほど前にミリアンは見たこともある。

 ただ、ミリアンの記憶の中では、試作品として作られた数多の指輪もそのような質素な形状と装飾をしていた。故にビルボの拾った指輪をそうと決めつけるのも早計であったし、何よりも──

 

「誘惑や、力が増したような感覚を覚えたことは?」

「いや、まったくそんなことは無かったよ。姿を消す以外は全然これっぽっちも」

 

 そう言われてしまえばミリアンも引き下がるしかなかった。力の指輪を扱ってなお危険を感じないのなら、本当に危険性は無いかもしれない。サウロンの悪意が吹き込まれた指輪がそう生易しいはずがなかった。

 もちろん真贋を問わず滅びの山へと投げ込む手も有る。しかし、それをするにはモルドールに横たわる闇と危険はあまりにも巨大すぎるといえよう。ミリアンですら無謀だと断言する段階の話だ。

 

「……分かりました、その言葉を信じましょう。ただし何か異変があればすぐにガンダルフか私に連絡を取ること、いいですね?」

「分かった、分かりましたよ。そこまで警戒されるほどの品とは思えませんけどね」

「それを決めるのもわしらの仕事じゃ、親愛なるホビット君よ。わしらは君の安否を気にかけているのじゃから」

 

 ガンダルフらしい優しい言葉だった。それでビルボも納得したのかそれ以上食い下がることもなく、背負った荷物の位置を直した。彼はポニーへと跨り、ガンダルフは立派な馬へと乗った。いよいよお別れの時間だ。

 

「それじゃあ、僕もそろそろ帰るとします。袋小路屋敷の椅子と本と食べ物が待ち遠しいんだ。ドワーフ(みんな)にも言ったけど、もしミリアンがお茶に来ても歓迎するよ。お茶の時間は四時、ノックはしなくていいからね」

「ありがとう、ビルボ・バギンズ。ぜひともお邪魔させてもらいましょう」

「わしはビルボをホビット庄の傍まで送ってくる。お前さんとはしばしの別れじゃな」

「いずれまた道が交わるときは来ますよ。私たちの共通の敵がいる限り」

 

 その言葉に灰色の放浪者(ミスランディア)はほんの少し悲しそうな顔をして、それからいつもの火のように朗らかな笑みを浮かべた。

 

「そうじゃな、またいずれの再会を祈って。さらばじゃ、エレギオンの細工師よ。そなたの槌がいつまでも高らかな音を奏でんことを!」

「魔法使いの花火が、いつの日も誰かの笑顔でありますように! 勇気ある忍びの者も、どうかお元気で!」

「また会いましょう、銀の槍のエルフさん!」

 

 かくして彼らの道は交わり、そして再び離れていった。

 けれど再会の日は決して遠くはないだろう。元凶が取り除かれていない限り、エルフと魔法使いは放浪することを止めないし、その度に戦いと謀略の中へ身を投じることだろう。片や自由の民を援助し、片や復讐のままに殺しつくす。それでも志は一つだ。

 

 ただし、一つだけ。

 すべての運命を握る"一つの指輪"が自らのすぐ傍にまで迫っていたことに気が付くのは──まだもう少し先の話となる。




やや駆け足となりましたが、これにて『ホビットの冒険』編は完結となります。お付き合いいただきありがとうございました。

二次創作でトーリンたちの生存ifを書こうとする作品は多いと思いますが、大体そこまでたどり着けず力尽きることが多いような気もしますので、まずは目標であるここまで書けて一つ安心しております。
いったんは本作も完結とさせていただきますが、今後は暇を見て指輪戦争までの話を書いたり、指輪戦争の話を書いたりしようと考えております。まだソロンギルだった頃のアラゴルン、かつてのローハン、ゴンドールに、モリヤ復興のあれこれ等々書きたいネタはたくさんありますので、その時はまた楽しんでもらえたら幸いです。
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