──彼女は、己が手で美しいものを作るのが好きだった。
宝石でも装飾品でも、武器や防具でも構わない。豪華絢爛なものから機能美に溢れた一品までと美の介在するものは何でも愛した。そして気が付けば自らが美しいものを世に生み出したいと考え始めたのも自然な成り行きと言えよう。
こうしてエレギオンの領主の一人娘、ミリアンは鍛冶師を志すことになった。まだ人間と比較してもなお幼い頃から父たちの冶金技術を見て覚え、拙いながらも真似をしては怒られながら成長した幼少期だった。長じてからは自ら槌と鑿を手にし、大地が水を吸うかの如く知識を我が物とするのを喜びとするような、そんなエルフとして育っていく。
美しい装いの内に鍛冶技術への知識を携えた来訪者──アンナタールがエレギオンにやって来たのは、ミリアンが誕生してから二百年が経過した第二紀一二〇〇年のことだった。
アンナタールの持つ技術は素晴らしく、また
そうした技術交流の輪には当然ながらミリアンも混じっていて、若手ながら凄まじい勢いで腕を上達させていた彼女も喜んで教えを受けるようになる。はっきりと述べてしまえば、彼女はアンナタールに敬愛の念すら抱いていた。
かくしてエルフの細工師らはアンナタールの協力の下、『力の指輪』を生み出すに至った。その過程では試作品となる『力の弱い指輪』も無数に制作されていた。これらの大部分は大した力もなく無為に打ち棄てられたが、中には『力の指輪』に次ぐ魔力を持った指輪も存在する。
その一つがミリアンの作成した鎮静の指輪『ファウティーン』であり、当時の彼女が持ち得る技術のすべてをつぎ込んだ一品だった。青白く輝く美しいそれにはアンナタールからの教えも自己流としながら混ざっていて、まさしくミリアンにとっては生涯の宝物となるべき作品だったのに。
結局ミリアンは、エルフの細工師達は、最悪の形でアンナタールに裏切られた。冥王サウロンが姿を偽っていた姿が彼であり、『力の指輪』を支配する『一つの指輪』を『滅びの山』の火の室で造り出したことでその正体を現した。もはやエルフへの敵意と悪意を隠しもせず、真正面からエレギオンは彼とその指揮下にあるオークらの手で滅ぼされた。
「鍛冶師としての彼は悔しいくらいに尊敬できて、だから敬愛している自分が心の底から許せない。父と故郷の仇は必ず取るし、これを成すまで西の果てに帰れなくても構わない。私の指輪と心に誓って」
『血塗れエルフ』の血と呪いに塗れた誓言は、こうして始まりを迎えたのだ。
かくして『血塗れエルフ』は誕生し、フェアノール王家最後の生き残りは復讐のまま中つ国を駆け巡る。いつか必ず報いを与え、その配下共々地の底へと送り込んでやるために。自らの立てた誓言を達成するその時まで、地を這ってでも戦い続けるだろう。
ただ一つだけ、ミリアンにとっての誤算はといえば。どれだけアンナタールとそれに騙された自分が憎かろうとも、ついぞ自らの指輪『ファウティーン』への情を捨てることが出来なかったことだった。
◇
湖の町に残ったドワーフ達と合流し、毒に苦しむドワーフに指輪を貸し与えたミリアンは今、家々の陰に隠れて息を潜めていた。オーク達がはなれ山へ向かった可能性は考えない。『可能ならばいつでも、ドワーフを苦しめるように』とかつて触れを出したのは冥王その人だ。二手に分かれた内の弱っている方を狙わない訳が無いとミリアンは経験で知っていた。
「……やっぱり来た」
月も出始めた夜半にて。屋根の上を静かに移動するオーク達の影を捉えた。どこで情報を得たのか真っすぐバルドの家を目指している。やはり残ったドワーフを叩きに来たようだ。
不気味な一団を追いかけるように物陰から姿を出す。手に握った弓に矢を番えながら足音を立てずに地上から接近し、指を放す。夜の空気を裂いて飛翔した矢は過たずオークの喉笛を貫き、ただの一撃で醜い命を終わらせた。
不気味な断末魔と共にオークの身体が痙攣し屋根へと落下していく。その光景に襲撃者の存在を悟るその前に、さらに一矢、二矢とオークが屋根から落ちて行った。
「奴だ! 『血塗れエルフ』が出てきたぞ!」
「散開しろ、狙い撃たれるぞ!」
三人やられたところでようやく理解が追い付いたらしく、矢継ぎ早に指示が飛び出す。西方語の混じったオーク語で喋る司令塔は身体に鎧を継ぎ接ぎした不気味なオークだ。他とは違う風貌と装いからして彼がアゾグの息子、ボルグだろうとミリアンは予測を付けた。狙うならあれだ。
「蛇の頭を斬り落とせば一網打尽。オークの意志薄弱は軽蔑するけど助かるね」
弓から槍に持ち替え屋根の上へと駆けあがる。武装したオーク達に包囲されているが問題は無い。槍を用いた対多数の戦いなど彼女は呆れるほどに経験している。
屋根という不安定な足場をものともせずに敵を叩き落としながらボルグへと迫っていく。既にボルグも槍使いの狙いが自分だと気付いていた。ならば接近される前にと無骨な弓から毒矢を放つが、これをミリアンは近くに居たオークを盾にして防ぐ。矢に塗られたモルグルの毒に苦しむオークなど一瞥すらせず投げ捨てた。
さて、後は周りの
「親玉をやるなら手伝った方が良いか?」
「いいえ、レゴラス。奴は私が殺すのでお構いなく。町に被害が出ないようにだけ頼みます」
「任されよう。行くぞ、タウリエル」
後からドワーフを追いかけてきたのか、闇の森のエルフ二人が参戦してきた。戦い慣れたエルフが三人もいればまず討ち漏らしの心配は無いと判断し、改めてボルグの方へと向き直る。
「あなたの相手は私だ」
「大きく出たな、雌犬風情が」
弓からメイスへと持ち替えたボルグが挑発を仕掛ける。ミリアンからすればそよ風のようなもの、指輪の力を借りずとて冷静さは失わない。
屋根という不安定な足場。どちらが先に一歩を踏み出すのか。ほんの数瞬彼我に横たわる間合いを睨み、先手を取ったのはミリアンの方だった。
「はぁッ!」
身軽さを活かして跳躍、その勢いのままボルグへと槍を振り下ろす。唸りを挙げた穂先をオークはメイスの柄で防ぎ、そのまま蹴りへ繋いだ。中空で留まるミリアンは上手く身体をひねることで衝撃を逃がしつつ、屋根の上を転がった。
落下する寸前でエルフは即座に立ち上がる。眼前にはメイスを振りかぶったボルグの姿。考える前に身体が横へと転がった。振り下ろされたメイスが誰かの家の天井を壊す音。ミリアンは申し訳なく思いながらも跳ね起きる勢いを乗せて槍を振り抜いた。
「私の槍、オーク風情があまり舐めてくれないで」
ガキン、鋼と鋼の噛み合う耳障りな音が響く。ボルグが自らの身体に埋め込んだ鎧で槍の刃をいなしたのだ。しかしよく見ればいなした個所には不自然な横線が走っている。鉄をも切り裂く脅威の槍『リンゲヒ』、その切れ味が鎧の強度を上回った結果だった。
自らの不利を悟ったのかボルグが半歩後ろへ下がる。追い上げるようにミリアンが一歩前に出た。槍とメイス、どちらも長柄の武器だが押しているのは槍の方だ。弧を描くようにして速度を増し、持ち手を滑らせているのか間合いすら変幻自在の槍にボルグは対応しきれない。少しづつ、けれど着実に鎧は切り裂かれ生身へと刃が到達を始めていた。
「……!?」
「雌犬相手に随分と余裕のない」
防戦一方のオークに対してエルフには軽口を叩く余裕すらあった。それも当たり前だ、ボルグもまたオークながらに優れた戦士だが、この場合は『血塗れエルフ』の方が経験値で圧倒的に差を付けていた。
寿命では死なないから何度だって奮起できる。己の弱さに打ちのめされて諦観を抱こうが立ち直る時間があり、弱点を潰す猶予もある。そんな存在が、殺意と憎悪を糧に油断なく己の技術を磨き続ければどのような怪物が生まれるのか。
その答えが『血塗れエルフ』であり、『エレギオンの復讐者』と呼ばれる
一合い、槍の勢いに任せて防ぎに入った腕の鎧を断ち切る。
二合い、短く持った槍で胴を叩く。不安定な足場と相まってボルグが思わずたたらを踏んだ。
三合い、即座に長く持ち替えた槍で突くことによりメイスを叩き落すことに成功した。
さらに四合い、五合い、六合いと、閃光のごとき突きの連撃を無手で捌いたのはボルグの強さだったが。
七合い、対応を間違えた右手が鎧ごと宙を舞う。次の一撃でさらに左手が肘の先から吹き飛んだ。
「さようなら、さっさと死ね」
一度勢い付いたミリアンは止まらない。相手の挙動を最初から潰してしまい、反撃の機会を与えることなくすり潰す。そしてオークに与える慈悲の心など欠片もなく、銀に煌めく穂先が無防備になったボルグの首をスッパリと断ち切ったのである。
これにて一件落着とばかりに穂先を払い、汚らわしい血を振り払う。それから念のためとばかりに首無しとなったボルグの心臓に槍を突き立ててから、ようやく周囲のオークが逃げ出していることにミリアンは気付いた。
もちろん一匹たりとて逃がすつもりはない。すぐに背中の弓に持ち替えオークの追撃を行おうとするのだが……先ほどから気になっていたのだ。はなれ山の方から届く微かな地響きが。
レゴラスも同じことを考えていたのか、散々に逃げていくオークを追撃せずにミリアンへと声を掛けてきた。
「ドワーフ達は既にはなれ山へ向かったと聞いた。まさかとは思うがこの地響きは──」
「ええ、竜が目覚めたのでしょう。元よりその危険はありましたけど、現実となると厄介です」
「あなたはどうする? 逃げたオークを追いかけるか?」
「そうしたいのは山々ですけど……」
まだドワーフから自らの指輪を返してもらっていない、と心の中で付け加えた。あれを返してもらうまでは傍から離れることができない。
「今回は堪えましょう。そういえば、毒で苦しんでいるドワーフが居たはずですけどそっちは?」
「タウリエルが治療したらしい。今頃は毒も抜けていることだろう」
「へぇ、モルグルの毒を……それは凄い」
心から感心したその時だった。再び山の方から地響きが届き、次いで不気味な破壊音が鳴り響く。二人揃って闇夜の先にあるはなれ山へ振り向いた。
まるで岩石を無理やり跳ね除けたかのような、何かが這い出してきたかのような……これから起こることを予測するには十分すぎる破滅的な音。オークの襲来が児戯のように思える絶望がすぐにこの町目掛けてやってくる。
「一応聞くが、竜を倒した経験は?」
「さすがに無いですね。魔法使いなら経験があるかもしれませんが」
「つまりは打つ手無し、か」
「あなたはどうします?」
「先ほどのオークを追いかける。もし彼らが北のグンダバドから来ているのなら、確認しておかないとさらに厄介な事態になるだろうからな」
「分かりました、そちらはお願いします」
「……竜を前に逃げ出す臆病者とは、思わないで欲しいが」
「まさか」
ミリアンは薄く笑った。
「誰しも自分の成すべき役割があって、それを遂行する人を臆病者と蔑んでいい道理は無い。私は私のやるべきことを、あなたはあなたのやるべきことを、それぞれ無事に遂行できればいいのですから」
「なるほど、ならばあなたが無事に竜を倒してくれることを期待しよう」
「きっと竜を撃ち落とすのは私ではないですけどね。彼は人間の手によって倒される、そんな予感がするので」
本当にただの予感でしかないが、竜は人の手で倒されるという不思議な確信がミリアンには有った。経験からくる未来予測なのか、直感からくる勘なのかは本人にも分からない。そしてこういう言葉が総じて予言として扱われるのだとレゴラスは知っていた。
「ではそのようになることを祈るとして、私は行くとしよう。すまないがタウリエルの事もよろしく頼む」
「ええ、お互い最善を尽くすとしましょう」
いよいよレゴラスはオークを追いかけて湖の町から去って行った。後は彼が戻って来たときに伝える相手が死んでいるなんて事が無いように、全力を以て竜を迎え撃つだけだ。
「と、その前に……」
早いうちに指輪の回収をしておかねば。町が混乱に陥ってからでは遅いのだ。
段々と異変を察知して民家から出始めた人たちを横目にバルドの家へと急ぐ。戻ってみれば確かにキーリの毒は癒えたようで、今は全員がこれからやって来る災厄に備えて慌ただしく動き始めているところだった。
「ああ、アンタか」
まさに指輪を貸し与えていたキーリその人が、『ファウティーン』の指輪をミリアンへと差し出した。
「助かったよ、ありがとう。これが無ければ耐えられなかったかもしれん」
「礼は結構、ちゃんと返してもらえたなら十分です。それよりもこれから竜が飛んでくる、というのは把握しているようですね」
「当然よ、むしろこれからが本当の試練なのだから」
答えたのはタウリエルの方だった。バルドの子供たちが急いで荷物をまとめているのを手伝いながらもしきりに外を気にしている。
「もうすぐ竜がやって来る。私たちは上手いことこれを掻い潜り生き残って、次の被害を抑えるべく動かないと」
「まずはエスガロスの民の避難が先です。あなた達の撒いた種なのだから、あなた方も異論はありませんね?」
「ああ、もちろんだ! やれることはなんだってやるさ!」
後半はドワーフに向けての言葉だったが彼らもひとまず協力的。これならば少なくともバルドの子らは急いで湖を渡り対岸へと抜け出すくらいは間に合うかもしれない。
「……そういえばバルドは? 彼は何処に行ったの?」
「分からない。この子が言うには黒い矢を持って外に出たけど、途中で矢を預かって別れたきりで知らないのだと」
話を振られたバルドの息子、バインも首を横に振った。この緊急事態に父が行方不明なのはさぞ心細いことだろう。
だがミリアンとしてはもっと気になる個所が存在した。
「黒い矢……まさかドワーフが作った決して的を外れない黒い矢のこと? だとしたらバルドが竜退治の鍵になるやも」
「どうするつもり?」
その問いに彼女ははっきりと宣言した。
「バルドを探してきます。ついでに、事態を飲み込めてない人へ避難も促しておきましょう」
竜はすぐ傍にまで迫っている。やれること、やるべきことを躊躇っている暇など欠片も無いから、即座にミリアンは踵を返してエスガロスへと消えていくのだった。
映画版での中ボス退場。死なない存在が時間をかけて力を磨き、弱点を潰してしまえば恐ろしく理不尽な存在になります。