バルドが牢屋に閉じ込められたのはどこまで行っても理不尽な理由だった。
もともと湖の町の頭領からは自分よりはるかに町民からの人気を集めていることを疎まれ、煙たがられていた。さらにドワーフ達がはなれ山を取り返し宝を山分けしようと宣言したことに、『予言では竜の火でこの町が滅びる』と水を差してくる始末。せっかくの機会を彼の言葉で棒に振られるのは面白くなかった。
「クソッ、竜の迫っているときに……こんなことをしてる場合では無いぞ」
牢に入れられたバルドがいくら牢番達に警告しようと、能天気な彼らは一切の聞く耳を持たない。彼らとてはなれ山から届く地響きには気付いているだろうに、現実逃避なのか楽観視しているのか。どちらにせよ付き合っていられなかった。
だが出る手段が全くない、どうすれば──考えても埒が明かないそんなときに、不意に異変が起きた。牢番達の方が妙に騒がしい。
「なんだ、貴様は──グアッ!」
「おい!? 侵入者だ、捕まえろ!」
「待て、まさかコイツは──」
「……何が起きている?」
誰何の声と人を殴る鈍い音が聞こえた。人が床に転がされる音が途絶えない、どうも牢番達が束になっても敵わない拳の持ち主であるようだ。しかしそんな人物が湖の町に居ただろうか?
訝しんでいるバルドを置き去りに全員をのしてしまったらしく、謎の相手は鍵を回収するとバルドの牢を開放した。見れば、つい先ほど出会ったばかりの女エルフではないか。名前は確かミリアンと言ったか。
「礼は言うが、何故わざわざ助けに来た?」
「あなたが竜を退治するだろうと思ったからです。すぐにでもやってくる災厄、それに対抗できるのは人間ですから」
奇妙なことを語るエルフだ。しかし元より竜を迎え撃つつもりだったバルドにしてみれば好都合この上ない。都合よく壁に立て掛けてあった弓と矢を手に取って準備する。
「予言というのは俺にはよく分からないが、お前は竜退治に参加するのか?」
「しますよ、しますとも。ただし私の役目はまだここではない、そう感じているだけです」
「そうか、ならいい。俺は見張り台──町で一番高い、鐘のある塔へ行く。一緒に来るか?」
「遠慮しておきます。二人して同じところに固まっても一網打尽でしょうから」
「違いない。ならば行くぞ」
結局そのようなやり取りをして、バルドとエルフは別れた。息子に預けた黒い矢の存在が気がかりではあったが、無くとも討伐することは可能だと信じている。故に握った弓矢の感触だけを頼りにバルドは見張り台へと一路向かうのだった。
◇
バルドと別れて行動を開始したミリアンだったが、実のところ竜に対する秘策など持っていない。それでも竜に立ち向かう気概はあったが、同時に直感が『竜を倒せるのは自分ではない』と語り掛けているだけで。
一応牢屋に向かう以前から竜が来るから逃げるよう呼び掛けているし、先ほど殴り倒した牢番達も出ていく際に水をかけて目を覚まさせておいた。非戦闘員の避難に際してやれる事はやったはずだから、後は災厄の到来を待つだけだった。
「──来た」
空気が変わる。弾かれたように空を見上げた。
微かな星明りに照らされ夜の空に浮かび上がる巨大な影。
長大な翼を広げ、その瞳孔に数多の死を映す、今もなお中つ国に残る最強最悪の一種。はなれ山に巣食う黄金竜スマウグが寝床を離れて飛翔したのだ。
その胸元は既に赤く、火の粉の漏れ出る口元を見ればスマウグが炎を吐くつもりなのは明白だった。
「竜が来た! 戦えない者は今すぐ水へ飛び込め!」
自らは屋根の上に立って全域へと呼びかける。ついに竜を目視した町民達は一瞬にして恐慌状態だった。悲鳴を上げて逃げ惑いながら、けれど何処へ逃げれば良いのか分からなくなっている。ミリアンの言葉も果たして届いたかどうか。
けれど、それ以上他者の心配している暇は無かった。スマウグが炎を吐きながら湖の町をまずは横断、それだけで家屋が燃えて倒壊していく。崩れていく屋根から急いで別の屋根へと飛び移ったミリアンへ、熱気と肉の焼ける嫌な臭いが届いてきた。
「酷いな、これは……」
たった一度の攻撃でこのざまだ。もしこのままスマウグを野放しにすればどうなるか。考えたくない未来だ。
空を悠々と旋回するスマウグへミリアンも矢を射かける。遠くからはバルドが射かけている姿も見えた。けれど竜の鱗と、さらに腹部に輝くのは黄金の鎧だろうか。それらに阻まれ命中しても弾かれてしまう。よく目を凝らせば様々な財宝で腹部を覆っているらしい。竜の腹部は唯一の弱点となるのだが、小癪かつ大胆なことに奪った財宝で守りを固めているようだった。
それでも、走り回りながら戦うことを諦めない。腹部が駄目なら目か口内だと当たりを付けて飛翔する竜を追いかける。だがどれもこれも弾かれるか躱されるか、悪ければ矢を燃やされてしまい致命傷には至らない。
「ほう、誰かと思えばエルフではないか。この匂いは久しぶりに嗅いだぞ」
竜の意識がミリアンへと向いた。家屋をいくつも踏みつぶしながら着地すると、その視線をただ一人のエルフへと注いでくる。
「森の小汚いエルフ達ではないな。宝石造り、石細工の好きなドワーフの同類と見た」
「さて、どうでしょう。この髪はシンダールにもシルヴァンにもあるはずだけど」
スマウグの、そして竜の言葉には魔力がある。言葉を弄して他者を操ることで自らの望む結果を引き出そうとするのだ。その対処法は正面から言葉に付き合わずはぐらかすこと。ミリアンは知る由もないが、ビルボ・バギンズが会話をはぐらかした手法が一番竜には効果的だった。
「俺の目は誤魔化せないぞ、黒髪のエルフ。大方お仲間のドワーフ達に泣き付かれたのだろうが、残念だったな。お前も、ドワーフ達も、この町も、今夜で終いだ」
「さて、それはどうだか。生かしておけば案外と宝を無限に生み出してくれるかもだけど」
「下らんな、俺に媚びへつらおうとしてもそうはいかん。財は奪い貯めるもの、貴様のようなものなど最初から必要としておらんわ」
「そう」
つまらない、人一倍細工師としての矜持が高いエルフはそう感じた。竜とは宝の正しい価値も理解せず、これを使うこともせず、ただただ死蔵するだけの存在だ。彼女も話には聞いていたが、宝を創造する者としてここまで不愉快だとは思わなかった。
「残念だな、宝の価値が分かるなら竜に似合う首飾りや指輪を鍛えてみるのも一興かと思ったのだけど。あなたみたいな価値の分からない蜥蜴風情に贈るものは何もない、残念だったね」
だから、口をついて出た言葉も慎重さをかなぐり捨てたものだった。
ここまで明確に侮蔑されたことはかつてなかったのか、スマウグの雰囲気が明らかに変わった。
「どうやら長寿に飽き、自ら命を捨てたいと見える。死にたいというのなら俺が望み通りにしてやろう!」
怒りのままに炎が吐かれた。即座に跳躍して別の屋根に飛び移るように回避。その後をスマウグの炎が追いかけてくる。このままではなぶり殺しだと悟り、ミリアンは一気に前へと踏み出した。一歩出すだけで崩れていく家屋の上をエルフの足で軽々と駆け、唯一炎の安全圏となる懐へと肉薄していく。
掻い潜り、身を屈め、時には落ちそうになりながらも復帰して、髪と肌を焦がされながらも前へ前へと突き進む。そしていよいよスマウグの巨体が間近に迫ったとき、ミリアンが持っていたのは弓ではなく槍の方だった。
「これでも──」
極限まで武器としての性能だけを追求した、スマウグが見向きもしないような白い槍を振りかぶり。
「喰らっておけ!」
迷いなく槍を投擲した。エルフの鍛えた『リンゲヒ』は炎の中でもなお溶けずに一直線、大本たるスマウグの口へと向かい飛翔する。
竜からすれば予想外かつ炎が目くらましにもなる反撃だ。首尾よく口を貫けば倒せる可能性もあるかもしれないが……そう甘くないことはミリアンも理解してたし、この程度の小細工はスマウグも承知していた。
「それで、これで終わりか?」
ガチンと音を立てて槍が牙と牙の間に挟み込まれた。瀬戸際でまだ折れていないが、このまま少しでも力を籠めるか炎を吐くかすれば終わりだろう。ミリアン最大最強の武器は無残に
──戦う意思を持つ者がミリアン一人であったならの話だが。
強大で矜持もあるから彼は忘れていたのだ。最初から戦っていたのはこのエルフだけでなく、もう一人居たという簡単な事実を。
「終わるのはお前だ、強欲な竜め」
遠く離れた見張り台から息子と並びそう呟くバルドの声を、不思議とミリアンとスマウグのどちらも耳にした。そして次の瞬間、飛んできた黒い矢により正確に
◇
スマウグの炎に焼かれ、さらに死んでなお巨体によって圧し潰された町の被害は酷いものだった。
生き残った町民達は九死に一生を得ながら湖の岸へと上がり、まずは身体を暖め生き残りの確認をするだけで精一杯だ。どこもかしこも余裕が無く、明日を生きるだけでも難しいような有様である。
「随分と被害が出た。ドワーフだけを責めはしないが、ここでの暮らしはもはや絶望的だ」
「だとしてもあなたが竜を倒したことで最悪は免れた。それも空飛ぶ火竜スマウグをです。人間の中でも飛びぬけた勲なのは私が保証しましょう」
「名誉よりもまず、温かい寝床とスープが欲しいところなんだがな」
竜退治の立役者であるバルドはその功績からなし崩し的に町の指導者に選ばれ、次の選択肢を考えることを余儀なくされていた。そこで一時とはいえ肩を並べたミリアンを呼び出し、長年を生きるエルフに次の指針を相談しているところだ。
「もう秋の頃で夜の寒さも厳しい時期に入ってる。このままでは俺たち全員が寒空で野垂れ死にだ」
「雨露を凌ぎ身体を休められる場所がいりますね。竜と町の近くでは休まらないことでしょう」
「だろうな。そうなると行先は一つしかない」
湖の先、はなれ山の方へとバルドは視線をやった。竜によって滅ぼされた王国は何もドワーフ達のものだけじゃない。
「かつてエレボール共々栄えたとされる谷間の国デイル、その廃墟を再利用させてもらうしかないだろう。可能であれば山の財宝も町の復建分くらいは欲しいが」
「あまりお勧めはしませんよ。竜が討たれ、あの山とその財宝はすぐにでも狙われ始める。特にオークの件はあなたも知るところでしょう、戦争が起きる可能性もある」
ドワーフを探しに来たオーク達がバルドの家を襲ったことは話している。自らの子供たちが味わった恐怖を想像したのか、彼は嫌そうな顔をしたが、「それでも」と言葉を続けた。
「目下の行き先が無ければどうにもならない。後の危険より、今死なないことが先決だ」
「なるほど、道理です。ではそちらの統率は任せましょう。部外者のエルフがあまり出しゃばっても面白くないでしょうから」
言うだけ言ってミリアンは湖の町の残骸の方へと歩を進めた。
「おい、何をする気だ」
「少し竜の死骸を検めようかと。あの宝石の鎧、それに爪と牙はそれなりの価値があるでしょう。上手く回収できたら今後の資金としてあなた方にも譲りますから」
「……あまり期待しないで待っておく」
呪われた竜の財宝などあまり欲しいものではない。とはいえ止めるほど危険なわけでもないから、微妙な顔のまま奇特なエルフを送り出したバルドであった。
◇
湖の町に残っていた四人のドワーフ達ははなれ山を目指して出発し、エルフのタウリエルは一度戻って来たレゴラスと改めてオークの出所を調査しに行った。バルドは既に町民達の指導者として今後の方針を固め、明日の朝にでも谷間の国を目指すつもりらしい。
そしてミリアンは、舟を一つ借りて竜の死骸のすぐ傍にまでやって来ていた。死んでから既に一日経過しているが、虫の類は一切沸いていない。まるで知性なき生物すら竜を恐れているかのようだ。
「竜の牙や爪を使った武装とかは聞いたことが無いな。邪悪すぎて誰も使いたがらなかったのかな?」
竜の起源は冥王サウロンがかつて仕えていたという、冥王モルゴスにまで遡る。邪悪の中の邪悪から生まれた生物を利用するなど中つ国の民からすれば以ての外だったのかもしれない。
しかしミリアンは血塗れエルフであり、戦いに役立つならば何でも利用する心構えがある。造る者としての好奇心と、復讐者としての手段の選ばなさが竜の死骸を検めるという挙に走らせていた。他にも、有用なものがあれば湖の町の人たちに分け与えるというのも本心ではあるのだが。
「この牙と爪は大きいし研げば短剣とかになるかな……鎧の方は腹部にこびり付いちゃって外すのは大変そう」
考えを呟きながら淡々と作業を続けていく。少しずつ使えそうな部位を拝借し、腹部を守る宝石達も切り取っていく。竜の臭いや体液による汚れは磨きなおせば目立たなくなる。
そのまま無心で作業を続けていく内、日も落ち夜へとなっていく。松明を灯してさらに作業を続ける。夜半を越え、月が段々と沈み始めたころになってようやく、ミリアンは作業を中断した。
「……そういえば、竜の黄金病なんてものがあったっけ」
寝食を忘れて宝漁りに夢中となっていたが、あまり心奪われてしまえば財宝の
考えてみれば、とミリアンは振り返る。財宝には大なり小なり人を狂わせる魔力があるが、在りし日のエレボールの支配者、スロール王はだいぶ財宝に魅了されてしまっていた。指輪の悪影響もあったにせよ、莫大な財は十分に人を惑わしおかしくしてしまう。
そして今、エレボールに眠る財宝は竜が長年懐に抱いていたもの。中にはトーリンが求めてやまないドワーフの至宝『アーケン石』もある。これらを奪還したとき、あの高潔さを感じさせた王がどうなってしまうのか──あまり好ましい予感はしなかった。
これ以上は自分の心にも影響が出ると判断したミリアンは、すぐに舟に乗って竜の死骸から撤退した。実入りは大きめの袋にいっぱい入るくらいの宝石と、状態の良い爪と牙を三つずつ回収したので十分だ。特に宝石は磨きなおせばここから南にある国、ゴンドールで買い取ってもらえるかもしれない。
「先にエレボールへ向かったドワーフ達には生きてて欲しいけど、生きていたらまたひと悶着あるかなぁ……」
願わくば理性を保ち高潔な王として振舞ってほしいものだが。
今後待ち受けるだろう苦難を予期して、ミリエルは暗澹たるものを感じながら舟を漕ぐのだった。
◇
その後、バルドを指導者とした一党は予定通り次の日の朝には谷間の国へ向けて出発した。
ミリアンもこの一行に付き添って荷運びなどを手伝いながら歩んでいく。そこには純粋な親切心もあったし、オークとの戦いに備えた打算の側面もあった。
ともあれ人間達の中に混じった黒髪のエルフは特に軋轢を生むこともなく、数日後には無事に谷間の国へと一党は到達したのだが、ここで想定外の──ミリアンからすれば予想の範疇の出来事が起こる。
竜から逃れ生きていたトーリンらドワーフ達が、エレボールの門をすっかり固めてしまっていたのだった。