血塗れエルフと指輪の担い手   作:生野の猫梅酒

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第八話 開戦

「やはりトーリンは竜の病に侵されてしまったか……エルロンド卿も危惧していたが、現実のものとなるとはな」

「仕方ない、とは言いませんが財宝の秘める魔力は凶悪なものです。私の先祖とて宝石には苦い思い出がありますし」

 

 既に陽も暮れ、夜の帳がすっぽりと空を覆う時間だった。

 松明の近くにあった段差に並ぶように腰かけていたのはミリアンとガンダルフである。呼気が白くなっているのはこの気温のせい──ではなく、揃ってパイプ草を吹かしているせいだった。

 手慣れた仕草でパイプを回し煙を吐きながらエルフは魔法使いを見やった。

 

「しかし戻って来るのが早かったですね。ドル・グルドゥアの方はもう良いのですか?」

「わしの役目は既に果たした。後はエルロンド卿と奥方がどうとでもしてくれるじゃろうて。それよりもトーリン達が竜の火に焼かれてしまっていないか冷や冷やしていたとも」

「結果的に生きていたのは良かったものの、といったところですか」

「ここまで事態が拗れてしまうとは。いや、わしも道すがら竜が死んだと聞いたときは一つ壁を乗り越えたと思ったのじゃがな」

 

 すっかり消沈した様子のガンダルフを励まそうとしたのか、「いります?」とパイプ草の詰まった袋を差し出すミリアン。彼はそれをありがたく受け取ろうとしたのだが、その前に何者かが横からさっと奪い取った。

 思わず目を白黒させたミリアンの前で、()()()()()()は袋から草を一つまみ取り出して一言、

 

「──うん、いい草だ。随分と羽振りがいいみたいで羨ましい」

「あなたは……」

「ビルボ! ビルボ・バギンズではないか!」

「ええ、あなたの選んだ忍びの者です。お久しぶりですねガンダルフ、それにミリアンさんも」

 

 愉快そうに笑う姿はまぎれもなくあのホビットだった。ドワーフ達と共にはなれ山へ赴いたはずの人物の思わぬ登場にガンダルフは顔を綻ばせ、まったく気配すら感じずに近づかれていた手腕にミリアンは心の中で感心する。

 

「お前と会えてこんなに嬉しいと感じたことは初めてじゃ!」

「僕も同意見ですよ。ですが今はそれを語りに来た訳じゃない、トーリンの事で悩んでるんだよね? 僕に良い案があるんだ、そのために山からこっそり戻って来た」

「良い案とな?」

 

 問われたビルボは、意味深に懐へと手を入れたのだった。

 

 ◇

 

「余の記憶に間違いがなければ、そなたは王国の牢からドワーフ達を川へと逃がした張本人で間違いないな?」

「はい……その点は、申し訳ありませんでした」

 

 ホビットの案を聞いたエルフと魔法使いはすぐさまバルドとスランドゥイルを呼び集めたのだったが、まず始まったのは若干気まずい空気だった。確かに、王様のひざ元から大脱出を繰り広げた下手人となれば気も竦むだろう。

 しかし本題はそこではない。ミリアンがこほんと咳払いして場の空気を戻すと、ビルボは懐から布に包まれた何かを取り出した。そして布が取り払われた瞬間、誰もが目を見張る。

 

 机の上に置かれた輝く宝石こそ、トーリン・オーケンシールドが求める至宝。

 

「山の精髄、アーケン石……! そなた、これを何処で」

「元々忍びの者には山の財宝の十四分の一が報酬として約束されていました。僕はその権利を行使して持ってきたにすぎません、そして望むならこれをあなた方にお譲りします」

「これを使って彼らと交渉しろと?」

「ええ、その通りです」

 

 山の下の王は確かにこの宝石に固執している。これを差し出す代わりに正当な取り分はせめて譲れと言えば、向こうも条件を飲まざるを得ないだろう。あらゆる意味で時間の無いバルドらにとっては特にありがたい。

 

「だが、何故そこまで俺たちに手を貸してくれる」

 

 当然の疑問を前に、ビルボは「あなた達だけの為じゃない」と首を振った。

 

「確かに町を焼かれた原因は僕たちにあるし、出来るなら助けたいとは思った。だけどそれ以上に、僕はドワーフ達を助けたい。頑固で気難しくて疑り深くて秘密主義、だけど我慢強くて恩を忘れず誇り高い彼らが破滅するのを見たくは無いんだ」

「なるほど……忍びながら見上げた精神だ」

「そうじゃとも、ホビットの強さは目に見えぬ所にこそ現れる。小さいからと侮っていい理由は無いのじゃ」

「ガンダルフの目に狂いはない。今回もそうだと証明されましたね」

 

 勇気も善性も、土壇場の中で発揮するのは思いもよらない難しさがある。死の恐怖、裏切り者の汚名、宝の誘惑、それらすべてを秤にかけてなお行動できた強さ。小さい人がこの場の誰より精神的に強靭だという意見に異論を挟める者は居ないだろう。

 

「ですが、不安はあります」

 

 少しばかり緩んだ空気を再び張り詰めさせたのはミリアンだ。

 

「アーケン石は確かにこちらの手の中に。けれどこれを返したとして、竜の病が治るかどうかは分からない。いえ、むしろアーケン石を手に入れてしまえば、より深刻化しそうな気がしますが」

「目当ての宝石を手に入れれば独占欲も収まるものではないのか?」

「いいえ、焦がれに焦がれた宝石を手に入れてしまったとき、いっそう欲深く傲慢になることは多々あります。伝承に寄ればとある兄弟も死に物狂いで手に入れた宝石によって最後は破滅したとか」

 

 まるで他人事のように伝承を引用してから、フェアノールの末裔は「つまり」と結びだす。これが彼女の血筋に伝わる呪われた行為の一つだとわざわざ前置きする必要はない。

 

「確かにビルボ・バギンズの機転と勇気は賞賛に値するものですが、素直に渡してしまうのも私は怖い」

「……スマウグも同じことを言っていた。竜の場合はもっと悪意のある言い回しだったけど、碌なことにならないだろうと言ってたのは同じだ」

「竜と意見が合うのは癪ですけど、そういうことです」

「ならばどうする? このまま無策でこの地に居座り続け、いつか山の下の王が正気に戻るのを待つのか? 我々はそこまで待てないし、待つ時間が無いと語ったのもあなただろう」

「それは確かに、そうなのですが……」

 

 遅かれ早かれエレボールを狙ってオークの大軍か、それに準ずる悪意ある集団はやってくる。それまでにトーリンが心変わりするかと言えば、これもやはり保証はない。ミリアンの意見にも一理はあるが正しいだけでは通らないのも道理だった。

 慎重さの富んだ正論だけが相手を納得させられる訳ではない。むしろ正しい事こそ痛みがあり、飲み込み難い棘を持つもの。中つ国の歴史とて正論と間違いの積み重ねで編み上げられたものであり、バルドを否定できる者は何処にもいない。

 

「ミリアン、あなたには感謝している。結果的に俺の家族を守ってくれ、行き場を失った我らに施しも行ってくれた。しかし今の俺には町を失った民を導く義務がすべての先頭にある。仮にアーケン石を渡すことで、彼が更なる狂気に陥ることになったとしてもだ」

「……なるほど。否定はできないし、あなただけはそれを言う資格がある」

 

 バルドの言葉に頷きながらスランドゥイル王の方へと視線をやる。

 果たして、彼の意見はあくまで変わらなかった。

 

「余はそもそもドワーフの事をそこまで快く感じてはいない。かつてドリアスで起きた悲劇を思えば、彼らが再び強欲さで身を滅ぼそうが『ああ、またか』としか思わぬであろう」

「灰色マントのシンゴルの悲劇ですか。私も伝聞でしか知りませんが、何千年にも続く禍根をこの場で解くことは期待できませんね」

 

 かつて起きたエルフとドワーフの殺し合いと、そこから今日まで続く因縁を思えばやはりこちらも納得するしかない意見だ。強欲は身を滅ぼす──この言葉を図らずも体言してしまったことがドワーフの歴史には幾度もある。スランドゥイルはそのことをよく知っているエルフの一人だ。

 

「ではお二人はあくまでアーケン石を交渉の道具にするつもりじゃと、その認識でよろしいか?」

「ああ、その通りだ」

「前言を返すつもりはない。そもそもバルドが言うように、早期の決着で得をするのはそなたらとて同じことであろう。この場における誰も損をせず、賢ければドワーフとてその例外ではない」

 

 結局スランドゥイルの言葉に誰も反論は出来ず、この場はこうして解散の運びとなったのだった。

 

 ◇ 

 

 次の日の朝にはトーリン達への交渉に赴くことに決まり、そのための準備なども含めて慌ただしく人が動いている。夜の冷たさも今ばかりは松明の明かりで追い払われてしまったかのようだ。

 しかしミリアンはその渦中から今ばかりは距離を取り、谷間の国の廃墟の端の方へと足を運んでいた。人気の少ないそこからは破壊されたエレボールの正門がよく見える。

 

 だがよく観察すれば、破壊された正門が瓦礫で埋められているのが見て取れることだろう。

 目を細めてエレボールの入口を眺めるミリアンの横に、小さな足音と共にそっと人がやって来る。敢えて振り向かずとも誰かは分かっていた。

 

「あの正門、トーリンが塞ぐように命じたんですよ」

「敵対者から宝を守るためにですか」

「その通り。といっても、今の彼には誰が敵か味方かも朧気かもしれませんがね」

 

 悲しそうにビルボは笑った。信頼していた主導者が乱心し、結果的に仲間を裏切ることになった彼の気持ちを推し量ることは簡単ではない。だから何も言わずいようかとも考えたミリアンだったが、気が付けば言葉を舌に乗せていた。

 

「落ち込んでますね、バギンズさん」

「ええ、まあ……実は仲間からも言われたんです、トーリンの手にアーケン石が渡らない方がいいんじゃないかと」

「賢明なドワーフですね、是非とも話をしてみたいものです」

「バーリンは親切な人ですよ。最初から僕にも丁寧に接してくれた。皆の知恵袋みたいなものさ」

「それはまた」

 

 破顔しながら鞄からパイプを取り出す。先ほどガンダルフと話しているときに吸いかけていた残りに少し葉を足し、慣れた仕草で火を付ける。その様子をビルボが興味と羨望の目で見ていたものだから、ミリアンは口を付ける前に「どうしました?」と聞いた。

 

「ホビットはもちろんドワーフも魔法使いもパイプ草を嗜むけど、エルフが吸ってるのは初めて見たなと思ってね」

「エルフはあまり喫煙に乗り気じゃないみたいですよ。私も愛飲し始めたのはまだつい最近、百年くらい前にガンダルフが吸ってるのを見て以来ですかね」

 

 エルフや魔法使いの集まる賢人会議に最初にパイプ草を持ち込んだのはガンダルフだった。他のエルフ達はあまり興味を示さなかったが、ミリアンは偶然発祥の地であるブリー村に出向いて以来パイプの虜になった口だ。

 

「へぇ……百年前が最近っていう感覚がまず凄いね」

「ちなみに、同じ魔法使いでも白色は全然乗り気じゃなかったですけどね」

「それはもったいない。あんなに美味しいのに。僕も屋敷に置いてきたパイプが恋しくなってきた」

「……少しだけなら、貸してあげますけど」

 

 あまりにも露骨にミリアンのパイプを見つめてくるものだから、さすがに彼女も無視を決め込むことは出来なかった。

 スッと差し出された吸い口にビルボは一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、すぐに「ありがとう」と断って手に取る。

 

「久しぶりに吸ったな……これは南四が一の庄のものかい? かなりの高級品だ」

「よくご存じで。幸いお金を稼ぐ手段に困ったことはないので、嗜好品にかける余裕はあるものですから」

「それは羨ましい、僕も見習いたいね。僕もこの旅路にパイプを持ってくればよかったかも」

 

 それから一口、二口と大きく煙を吸っては、見事な輪を口から吐き出していく。それなりに吸いなれているミリアンはこういう煙遊びが苦手なものだったから、感心しながら空気へと溶けていく煙の輪を見送っていた。

 

「パイプで思い出したけど、僕にはちょっとした夢があってね」

「それは?」

「全部が終わって袋小路屋敷に帰ったら、パイプを吸いながら今回の旅を記録にまとめてみるんだ。詩を書いたり、思い出に耽ったりしてもいい。それから、唐突にドワーフが来たらもてなしながら一緒にパイプを吸うのも素敵だ」

「いい夢ですね。平和で、穏やか」

 

 何事も平穏である方がいいに決まっている。もっとも遠い道を歩んできた血塗れエルフでも否定できない真理だった。パイプの煙遊びでそれを思い出すのがなんとも素朴な感性だ。

 それからもしばらくビルボはパイプを吹かしていたが、やがて葉がすべて燃え尽きたのか煙が出なくなり、礼を述べながらミリアンへと返却した。その時にはもう、彼の顔つきは何度も苦難を乗り越えた旅人のものとなっていた。

 

「ガンダルフから聞きました、今もまた危機が迫ってるとか」

「事実です。いつ、何処からかは不明ですが間違いなくオークは来るでしょう。既にガンダルフ達が本拠地(ドル・グルドゥア)へと攻撃を仕掛けましたが、それで止まるとは思えない」

「エレボールはどうなる? ドワーフ達は?」

「分かりません。彼らが山を開き共に戦ってくれるのなら勝ち目もありますが、そうでない場合は……」

「最悪の可能性もあると」

 

 黙ってミリアンは頷いた。敵の規模などまったく不明、しかし本来手を取り合わなければいけない種族がいがみ合っている状況で勝てるほど甘い相手でないのも確かだ。アーケン石を中心に取り巻くすべての問題を解決できないことには、襲い来る脅威に対抗できるはずがない。

 結局のところ、いつ来るかも分からない敵の陰に怯えながら、いかに早くトーリンが正気に戻ってくれるかを待つしかないのだ。誰がどうこう出来る話でもなく、それ故にミリアンからすればもどかしい。

 

「オークを殺すだけで終われば話は簡単なんですけどね。数が多すぎるとさすがに私も困る」

「こればかりは出たとこ勝負ってことですか。全員が生き残ってめでたしめでたしは難しいと」

「物語のように都合よくは行かないということです。こればかりは如何ともし難いですね」

 

 色々な思惑が絡み合って複雑な状況へと陥った。

 予想できたことも、予想できなかったことも多くあるが、一つだけ確かなことを言うのなら。

 

「でも大丈夫ですよ、私たちは負けません。オークがいくら来ようと関係ない、すべて皆殺しにすれば戦いは勝利で終わりますから」

 

 気楽に告げられたその言葉は一見頼りがいのある、けれど無謀な宣誓とも思えるもの。

 なのだが、その裏に秘められた並々ならぬ殺意と憎悪の気配を感じたのか、ビルボは曖昧な笑みのまま何かを答えることは無かった。人には誰しも触れてほしくない個所はあるが、彼女の場合はまさにこれだと思えたから。

 

「そう、それは頼もしいね。じゃあ今夜はこれくらいにしよう、お休み」

「ええ、おやすみなさい」

 

 挨拶だけして去って行こうとする小さな背中に向けて、「忘れてました」と声が届く。

 ビルボは立ち止まって振り返った。

 

「その短剣、良いものだと思うので大切にしてください。鍛冶士は武器を大切にする人を尊びますから」

「もちろん、言われるまでもない。それから、こいつの名前は”つらぬき丸”です」

「良い名前ですね。大切にしてあげてくださいな」

 

 夜の一時的な邂逅は、今度こそこうして終わった。

 

 ◇

 

 次の日、人間とエルフの同盟軍はさっそくエレボールへと赴いた。

 エルフすら味方につけたバルド相手にいよいよ取りつく島も無い様子のトーリンだったが、アーケン石を眼前に持ち出されてから流れが変わった。

 アーケン石と引き換えに当初の約束通りの分け前を渡せとバルドが迫るが、それすら錯乱したトーリンには届かない。終いには偽物だと断じてしまい、危険を承知で戻ったビルボが事情を話せば彼さえ殺そうとする始末。もはや手に負えないと誰もが感じ、さらに東の方より現れたドワーフの援軍に最悪の未来を想定した。

 

 同盟軍の中に混ざっていたミリアンとガンダルフはすぐに事態の重さと複雑さを察した。

 

「くろがね連山の主にしてトーリンのいとこ、鉄の足のダインですか。決して頑固なだけでは無いですがどう出るか」

「まずはこちらの事情を話さなければ始まらない。ここで殺し合いが起きれば最悪という言葉すら生温い事態となるぞ」

 

 人をかき分け歩み寄りながらも急いで場を治めるための言葉を考える。説得に失敗すればすべて終わりだ、無益な血は一滴たりとも流してはならない。

 一触即発、そのような空気が漂う中で、ついにダインが腕を振り上げ突撃の号令を降した──その前に。

 大地が鳴動し微かな揺れが起きた。何かが近づいてきている。反射的に足元を見て、ついで周囲を見渡しても怪しい影はない。突如として起きた怪現象にこの場の誰もが動きを止めた。

 

 そして、答えはすぐに明らかとなった。

 

「オークが、来た」

 

 誰かが呟いた。いや、聞くまでもなく見れば分かるといった有様。

 地下から掘られた大穴を経由して、オークの大軍がこの状況下で攻勢を仕掛けてきたのだった。




あと2~3話くらいを目処に考えております。
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