目は口ほどに物を言う。というが、視覚情報がない場合はどうだろう。相手の表情を見ず、声だけの情報で相手の伝えたいことを聞き取るのは意外と面倒である。
これに当てはまるのが電話でのやりとり。
重要性の低いやりとり、つまりどうでもいいような会話なら難しくない。聞いているフリをしながら相槌でも打っておけばいい。
では、重要な連絡の場合ならどうだろう。こうなると集中して聞かなくてはならない。聞き取れなかった部分は「Pardon?」または「え? なんだって?」のように鈍感系主人公を演じながら再確認すると良い。
もちろん、伝達サイドにも責任はある。伝える側は余計な情報を含めず、重要なことだけを連絡するのが良いだろう。
例えば、虫歯になって治療の予約をする時だな。
いや決して毎日飲んでいるマッ缶が原因ではない。むしろマッ缶を飲むことで健康になっているまである。糖分によって脳を活性化させることで授業前半の集中力を高め、後半戦はセロトニンが吸収されてメラトニンに変化することで心地よい睡眠を促してくれる。人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい……。
本題に戻るとして、予約するときの電話は大体こんなかんじだろう。
プルルルルッ───。
「はい、雪ノ下歯科でございます」
「あっ、もしもし。あのー、歯の治療を予約したいんですが」
「治療ですね。どのような症状でしょうか?」
「あっ、虫歯だと思います。右奥の歯がしみます」
「虫歯ですね。予約の日時はいつ頃がよろしいでしょうか?」
「あっ、できるだけ早いと嬉しいんですが。空いてますかね?」
「少々お待ち下さい。……そうですね。明後日、17日の16時が空いておりますが、ご都合はいかがでしょうか?」
「あっ、じゃあその時間でお願いします」
「承りました。恐れ入りますが、お名前をお願いします」
「あっ、比企谷と申します」
「はい、ヒキコモリさんですね」
「あっ、いえ、ヒキガヤです。ヒキガヤ」
「失礼しました。ヒキガヤさんですね。では、予約の5分前には受付までお越しください」
「あっ、わかりました。……えっと、17日の16時ですね」
「はい、それではお待ちしております」
「あっ、どうも、ありがとうございます」
こんな具合に質問と回答を繰り返しながらお互いの認識を合わせていくわけだな。
ところで俺は何回「あっ」と言ったのだろう。どうしてコミュ症は接頭辞のように「あっ」を置いてしまうん……。
気にすることはない。きっと、カオナシと同じように心優しい化け物なんだよな。……おい、誰が化け物だ。
そして、おわかりいただけただろうか、電話相手の人物像が。
顔は見えないが、言葉から充分に伝わってくる。間違いなくこいつは俺のことをバカにしている。だって俺の名前、ヒキコモリって言ったもん。どう聞き間違えてもそうはならんだろ!
俺には分かるね。きっと奴は『氷の女王』と呼ばれるような冷徹女に違いない。『絶対に許さないリスト』に記載しておこう。
帰結するところ、言葉には人物の心情や裏の情報が隠されている。
つまり、言葉だけでも相手の考えを正しく汲み取ることが出来る。
* * *
12月。師僧も西へ東へ走るほど多忙な月である。
身近に僧伽はいないが、うちの母親は仕事納めに向けて未明から活動しはじめ、陽が落ちた夕飯時に帰ってくるほどの忙しさである。
夕飯は俺と妹の小町が交代制でまかなっており、母親の時間が合えば一緒に食べることもある。この間は「この上、PTA役員を押しつけられそうになってる」と愚痴っていた。無理だけはしないでくれよ、おふくろ。
そんな年の瀬の忙しさとは無縁の古典部。
活動もこれと言った変化がなく、ここ地学準備室に押し寄せる寒さが日に日に増しているのを実感するくらいだ。
完全下校まであと1時間ほど。太陽は地平線に沈む準備をはじめている。
俺はストーブの近くでぬくぬくしながら、目の前にいる楚々としたお嬢様、千反田えるに「言葉だけでも相手の考えを正しく汲み取ることが出来る」ということを説いていた。
千反田は温かい目をしながら頷くだけで、静かに次の言葉を待っている。
こちらからの説明は終えたつもり。会話のボールはこっちにはないぞという意味を込めて、
「つまり、そういうことだ」
と締め括ってやった。
「いや、つまりどういうことよ?」
強めの口調でレシーブしてきたのは、千反田ではなく別の人物。
中学生みたいな背丈で小学生みたいな顔をした少女である。
「あんたの言いたいことがサッパリ分からないんだけど」
つまらなそうに頬杖つきながら伊原摩耶花がゴミを見るような目を向けてきた。
伊原に対して話してたわけでもないに、なぜ不満をぶつけられねばならんのだ。
「そのままの意味だ。言葉や文章を読み解けば、それなりに相手の心情、本当に言いたいことが見えてくるってことだ。現国でも似たようなことやってるだろ? 別に俺でなくても、誰にだってできる」
なぜこんな話をしているかと言うと、いわゆる『氷菓』事件において俺のやったことに対して千反田が論じてきたからである。
当時のことは長くなるので省くが、簡潔にまとめると千反田は俺のことを「探偵、あるいはそれに類似する何か」と茶化してきたのだ。俺はそれに対して反論していたに過ぎない。真実はいつもひとつ!
千反田は一通り頷き終えると、ようやく口を開いた。
「控えめなんですね、比企谷さん」
あれれ~? おかしいぞ~? なんにも伝わってないぞ~?
恨めしそうに千反田の顔を覗いてやる。
「話聞いてたか?」
「比企谷さんは謙遜されていますが、それって1つの才能だと思います。少なくともわたしはそのような技量を持ち合わせていません」
そんなことはない、と返そうとしたが思い留まった。
言われてみるとたしかに千反田には難しいかもしれない。こいつの好奇心は尋常ではない。だが、発見した疑問に対して考察を立てるのは得意ではない。ついでに理論立てて話すのも苦手。
それに、そこまで言われたら悪い気もしない。才能。いい響きだ。
俺は鼻が高くなるのを感じながら、
「こんなのは慣れの問題だ。俺レベルになれば、相手の声が聞こえなくても話してる内容が分かるようになる。……今日も教室の隅で話してた女子達が、俺のことをキモいだなんだの悪口を言ってた気がする」
「……聞かぬが花。能力者ゆえの苦悩ね」
こめかみを押さえながら伊原は頭を左右に振った。
その隣にいる千反田は手のひらをワタワタさせる。
「お、おそらくそのようなことは言ってないと思いますよ。気のせいですよ、きっと!」
まあ千反田の言う通り、実際にはそんな話していないと思うが、どうして全部悪口に聞こえるんだろうな。言語能力をつかさどる左脳のどこかしらが疲れてるのかもしれない。
しばらく俺が黙り込んでいると気まずそうな空気が流れ、部屋に沈黙が訪れた。
だが、その静寂はスピーカーからの音によって突如として破壊される。
『1年B組、比企谷くん。まだ校内にいる場合は、帰りに職員室柴崎のところまで来なさい』
スピーカーを見上げる3人。再び沈黙が部屋に降り立った。
そういえば読みかけの本があったなと思い出し、机横に吊るしてある鞄をガサゴソして文庫本を取り出す。
栞を外し読み始めようとしたところで、2人の熱い視線が俺に向けられていることに気づいた。
「……なんだよ」
「あんたこそ何やってんの。早く職員室行ってきなさいよ」
さも当然のような真顔で見つめてくる伊原。
だんだんワニのような目になってきて、
「えっ、あんた、なんか仕出かしたの?」
容疑者を見るような顔になった。
「いや、少なくとも罪に問われるようなことをやった覚えはないが……。ねえ、なんで俺が悪いことした前提なの?」
「だって身に覚えがないならすぐに職員室行けるわよ。行かないってことはそういうことでしょ」
伊原は悪寒を抑えるように肘を抱いてから半身の構えになった。明らかに俺のことを敵視している。
「ばっか、お前、何の覚えもないから行けないんだよ。これ間違いなく怒られるやつだろうが」
「やっぱりなんかやらかしてるんでしょうが! さっさと行きなさいっ!」
扉をビシッと指差して、母親が子供を叱りつけるような口調で伊原が言った。
ロリお母さんってこんな感じなんだろうか? これはこれでいいな。
なんて馬鹿らしいことを考えていると、椅子を後ろに飛ばしながら千反田がガバッと立ち上がった。
「ちょうどいいですね! これでやってみましょう!」
千反田の瞳が紫水晶のように輝いている。
突然どうした? いつも思うんだが、主語と述語を明確にして話してくれ。伊原もポカンと口を開けてるじゃないか。
千反田がやる気を見せる時は、おおよそ面倒事が俺に降りかかると決まっているんだが……。
あまり期待しないで訊いてみる。
「……何をやるって?」
「言葉の裏を読みとれる比企谷さんの力を使って、柴崎先生から呼び出された理由をあきらかにするんです!」
その後のセリフは聞かなくても想像できる。
「柴崎先生がなぜ比企谷さんを呼び出したのか。わたし、気になります!」
続