性飢末《セイキマツ》の覇者 ~暴走する性癖を食い止めろ!~ 作:ごぼう大臣
「時は来たッ!!」
日が長くなり、生徒らの装いがすっかり夏服へと変わって久しい頃。
朝、学校を正面からのぞむ校庭で、一人の女子が大声をあげた。
ショートの黒髪を後ろで二つに結んだ、頬にソバカスのうっすら浮かぶ女子。水中 水魚である。
「おはよう、水魚ちゃん」
「……今日は元気だね、やけに」
「あ、二人ともおはようッス!」
登校してきた舞と紫乃にも高いテンションであいさつを交わす。ウキウキしている彼女の隣で、ジッと黙っていた女子がふと口を開いた。親友の手綱である。
「まったく、分かりやすい奴ね。いくら今日からプール開きだからって……」
「分かりやすくて結構ッスよ! みんなで水の興奮を分かち合うって、ステキじゃないッスか!」
「はぁ……」
隣にいた女子、手綱はプール用の着替えが入ったバッグを持ちなおし、子供を見るような目で水魚を見つめた。
水魚はいかにも楽しそうに、生徒の往来する校庭を高々とスキップして通っていった。彼女が跳ねるたびにスカートのすそが舞い上がり、その下からはいつもの通り、藍色の水着のスパッツが見え隠れしていた。
彼女らの通う学校にはプールがついていた。校舎の隣に建てられた屋根つきのもので、なかなかの大型である。
授業に使うのは夏のほんの一時期ではあるが、水魚はそれをとんでもなく楽しみにしていたらしい。水泳の時間になる前から窓の外のプールを穴が空くほど眺めていた。
そして、しばらくしての事……。
――
「……よーし。じゃ、ここからは自由時間!」
プールの授業も後半となった頃。水着姿の体育教師は時計を見てそう言った。
その号令に、プールにいた女子生徒らはさまざまな顔をする。
「はぁ……やっと休める……」
「紫乃、大丈夫? 一回あがろっか」
「そうする……。鍛えるの好きだったけど、水の中って慣れないとキツいよ……」
フラフラと沈みそうになる紫乃を、舞はあわてて支えた。ゴーグルを外すと、メガネのない紫乃は別人のように見える。視力のせいか動きがおぼつかない紫乃を、舞は小柄ながらもどうにかハシゴの所まで連れていった。
「ん……しょっ」
「ゆっくり、一段ずつ上がって」
「ごめん……大丈夫」
申し訳なさそうに笑いながら、紫乃はハシゴを登る。しかし疲れた体に金属製のハシゴは滑りやすく、紫乃は体を持ち上げるのにずっと難儀していた。すると。
「大丈夫?」
プールサイドから、手綱が手を差し出した。長い髪を束ねて水泳帽をかぶってはいたが、そのキツい目は変わらなかった。
「ずっと水に浸かってたから、体重いでしょ。ホラ」
「あ、ありがとう……」
「いいよ別に。ヒマだし」
そっけなく返事をして、手綱は舞と共にどうにか紫乃を引き上げた。ようやく一息ついて座り込んだ紫乃のとなりに手綱。下から支えていた舞はまだプールにいた。
「舞は休まないの? 別に泳がなくてもいいみたいだけど」
「あー……どっちでもいいんだけど、先生がちょっと……」
「そろって休んでたら、気が引けるよね……」
舞と紫乃は苦笑して、プールの中から皆を見張る教師を見つめた。筋骨隆々とした、体育教師としての資格を取るに足る体。そこに頑張りを感じるだけに、普段からここの生徒らに振り回されている事を思うと、遠慮してしまうのだ。
「……あれ?」
ところが、ふと周囲を見ると生徒らは何故か次々と水からあがっていた。ただ休みたいというだけでは不自然に思うほど、そろって群れ、産卵をひかえたウミガメたちのごとくプールから抜けていく。
一体どうしたのだろう。そう思ってプールに視線を移した舞は、すぐに理由を理解した。広い水中を、バシャバシャと我が物顔で泳ぎ回る、一人の女子がいる。
「ヒャッホー! 気持ちいーぃっ!!」
満面の笑みでそう言うのは、あのプールを待ちかねていた水魚だった。日常的に着ていたスクール水着をぞんぶんに活用し、クロール、平泳ぎ、背泳ぎとさまざまな泳ぎ方で水中を乱舞する。
それに圧倒され、クラスメイトたちが水から離れてからは、泳ぎはいっそう激しくなった。25メートル往復は序の口、次はレーンを無視して縦横無尽となり、果てはイルカのように2メートルほど跳ねて喝采を浴びていた。
「まさに水を得た魚……」
呆れて笑いながら手綱が言う。その時、さすがに見かねたのか教師が水魚へと近づいて言った。
「おい水中! 少しは大人しくしろ! お前だけのプールじゃないんだぞ!」
手でメガホンをつくって呼びかけるが、もはや魚雷のように泳ぎまくる水魚はまるで意に介さない。教師が呆れてさらに近寄り、直接つかまえて止めようとする。
「コラ、いい加減に……」
しかし、泳いでいる水魚へ手を伸ばした、その次の瞬間。
立ちはだかった教師の体を、横切った水魚が一瞬だけかすめた。その時、教師に異変が起こる。
「う、うわっ!?」
突然だった。プールを歩いていた彼の体が、急に水面まで浮かび上がったのだ。教師はあわてて体勢をもどそうとするが、水上でバタバタと背中と腹が入れ替わるばかり。
水魚が素知らぬ顔で泳ぎ続け、周りの女子たちがけげんな顔で見つめる中で、教師はまるでビート板を上手く扱えない幼児のごとく水面を転げ回っていた。
「どうしたんだろ……」
妙な様子に、舞は目を見張る。しかし。
「足でもつったのかな?」
「底のタイルの欠片でも踏んづけたんじゃないの?」
女子たちの反応の大部分は冷淡だった。この学校の教師というものへの無関心さを舞が痛感していると、ふと、手綱が深刻な声で言った。
「アイツ、またやった……。やめとけって言ったのに」
「え、何を?」
「性闘拳よ!」
思わず聞き返した舞へ、手綱はじれったそうに答える。そして止める間もなく、ジャンプ台も使わずにその場からプールへ飛び込んだ。
「あ、手綱!」
舞が叫んだが、まるで無視して手綱は一直線に水魚へ迫る。そしてすぐにぶつかりそうな距離で並走しはじめた。
唐突にはじまったレースに、生徒たちが沸き立つ。舞もその光景にしばし目を奪われていたが、ふと、力尽きてぐったり水に浮かんでいる教師の姿に気づいた。
「紫乃、先生を!」
「うん!」
紫乃に呼びかけ、二人はプールに入るや教師の方に向かって歩き出す。舞が腕で支えると、ずっしりと体重がかかってきた。
「先生、先生? 大丈夫ですか?」
「む……ん?」
「しっかりしてください。何があったんです?」
声まで疲れ果てている教師に肩を貸し、舞と紫乃は左右から気がかりな視線を向ける。教師は一瞬ポカンとしていたが、ふと我に返りボソボソと話し始めた。
「分からない……急に体の感覚がおかしくなって」
「おかしくって、どんな風に?」
「上手く言えないが……体が沈まなくなったんだ。まるで浮き袋にでもなったような……もぐろうとしても、ひとりでに体が浮き上がってしまう」
「…………」
教師の不可解な証言に、舞と紫乃は不安な視線をかわす。それでも、とりあえず先に教師をプールサイドに避難させていたところ、二人の背後ですっとんきょうな声が響いた。
「きゃあっ!?」
それを聞いた舞は、背を向けたまま目を丸くした。何故ならその悲鳴は、無愛想かつ冷静沈着に見えていた友人、手綱のものだったのだ。
直後、観客も同然のクラスメイトたちが口々に驚きの声をあげる。舞がつられて振り向くと、そこでは手綱が妙な格好になっていた。
プールのただ中に立ち尽くし、両腕で自らを抱きしめ、内股になってプルプル震えている。遠くで水魚が存分に泳いでいるが、止める気配もない。
一体何を考えているのだろう。舞たちからは表情が見えないが、時おりビクンと手綱の体が跳ねるのを見て、何故だかうっすらと、奇妙な予感がした。
とにかく、放ってはおけない。舞と紫乃は今度は手綱に向かって動き出す。クラスメイトたちが一人も協力しようとしないのが腹立たしかったが、気にしていられなかった。
「手綱? ちょっと手綱! しっかりしなさいって!」
後ろから肩をゆする舞。すると、ネジの切れかけた人形のようにぎこちなく、手綱が振り向いた。
その顔を見て舞は目を見張る。手綱は頬を赤らめ、目を悩ましげに細めて、口からはしきりに浅い息を吐いていた。ひとりでに謎の豹変をした彼女を目にし、舞も紫乃もしばし言葉を失う。
「ど、どしたの……?」
かろうじて舞が尋ねると、手綱はうつむいて小声で言った。
「やられたのよ……アイツの、"天泳神拳"に……」
「まさか……水魚の性闘拳?」
「……そう。とにかく水を利用する技が多いの。だからプールなんかで他人に使うなって、注意したんだけど……!」
しゃべっている間にも、手綱はさかんに水中で身悶えしていた。紫乃が手を伸ばすのも拒否し、手綱は深刻な顔で打ち明けた。
「水魚は昔から……変わったところがあってね。水への執着が、すごかった。プールや海……川、噴水、用水路……今ではマシになった方よ」
「なんでそんなに……」
「さあ、濡れたり、もぐったりで……興奮するんだって、さ」
眉をひそめる紫乃へ、手綱は苦笑しながら答える。しかし誰も否定はしなかった。
そして、手綱は気を取り直すように真面目な顔になりって言った。
「……あなた達は手を出さない方がいい。天泳神拳は、体内の圧力を変化させる危険な技よ。私だって、こうして水圧の感覚が変わって……くっ」
「放っておけるワケないじゃない。大体アンタのそれ、何が起きてるのよ」
「私は……周りの水が圧迫してくる感じが強くなって……締めつけられる、みたい、でっ」
「それ……苦しいの?」
「く、苦しいっていうかくすぐったい! こりゃ苦手な人じゃないと分かんないわよ!」
手綱は人目もはばからずに艶のある声で叫んだ。そんな弱点どこでバレたんだろう、と舞は少し気になったが、それよりと紫乃に目で合図する。こうなれば、二人で水魚を止めるしかない。
「悪い、私たちもう行かないと!」
「なっ!? いやちょっと待ちなさいって!」
「ごめん、必ず戻るから! ねっ?」
紫乃が振り向きざまになだめ、二人は相変わらず泳ぎ続けている水魚へ突撃を敢行する。
「水魚ちゃん、待って!」
「このぉっ!」
泳ぎながらしきりに手を伸ばす二人。しかし水魚のスピードは衰える機会がなく、触る事すらかなわなない。舞はしびれを切らして顔を出し、プール中に響く声で叫んだ。
「水魚ーっ!! もうちょい周り考えなって! 一人だけで何やってるの!?」
真に迫った高音があたりに反響する。そのせいか、水魚がようやくうるさそうに顔を向けた。
「なんスかもう……。自由時間なんだからいいじゃないスか。他の授業にプールはないんスよ」
「アンタだけのプールじゃないって、先生にも言われたじゃない。見なさいよ、クラスのみんな一人も入れてないじゃない」
プールサイドでくつろいでいる女子たちを指さす舞。確かに水魚のせいで泳げずにいるのだが、さほど困っているようにも見えない。
それが水魚にも分かるのか、肩をすくめてこう反論する。
「まともに授業うける人なんて、元からほぼいないじゃないッスか。どうせ水泳でもそうッスよ。座ってても文句言いませんって」
てんで遠慮するつもりがない。舞はいら立ちから眉間にシワをつくり、紫乃は強い態度に出かねて黙っている。しかし、舞はなるべく穏やかな声で反論した。
「あのね。みんなが泳ぐ気なくっても、そうやって好き勝手する態度がマズいのよ。今はよくても、この先どっかで反感を買うかも知れないし」
「むー、舞ちゃんまでタヅみたいな説教を……」
「いや分かってるなら我慢しなさいよ!?」
すねたようにそっぽを向く水魚へ、思わず顔を引きつらせる舞。その時、水魚が何かを思い立ったように目を色を変えた。
「そうだ! じゃあこういうのはどうッスか?」
「こういうの、って?」
「泳いでいるウチに、授業が終わるまでちょっとでも触れられたら、次からはセーブして泳ぐッスよ。その代わり、触れられなかったらもうこの話はしない……っていうのは」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ……」
「まーまーいいじゃないッスか。ちょうどウチも本気になりたかったんで」
紫乃の言葉をさえぎり、水魚が笑顔で言いはなった言葉に、二人はそろってぎょっとする。間もなく、水魚は自らの体に両手で素早く指を突き立てた。
「天泳神拳奥義・
そう叫ぶなり水にもぐり、今までよりはるかに速度を上げてプール内を突き進む。その速さは、舞と紫乃の間を通り抜けたにも関わらず、二人が気づくのすら遅れ、振り向いた時には視界の外へと消えているほどだった。
舞たちはすかさず後を追おうとしたが、突破口はまるで見えなかった。なんせ泳ごうと水にもぐり、息継ぎに顔を上げた瞬間にはどこにいるかも分からなくなるのだ。
一方で、水魚はますます泳ぎの快感に溺れはじめていた。
(ふふ……この奥義は体の内圧を微調整し、水中に最適化させるもの……。水と完全に一つになったようなこの感覚……
モーターボートのような飛沫をあげ、あるいは床スレスレに深くもぐり、三次元的にプールを泳ぎ尽くす。女子たちの眼前を泳ぐと高い飛沫と歓声があがった。
「1、2……3っと!」
その時、自力で神拳を解いた手綱が、困り果てた舞と紫乃のもとへ歩み寄る。
「……ねえ、もう放っておきなさいよ」
「……え……?」
舞と紫乃が、疲れきった顔で振り向いた。肩で息をし、唇は紫色で、今にも沈みそうである。
ネズミ花火のようなありさまの水魚とは対照的な姿。それにしばし面食らいながらも、手綱は遠慮がちに口を開く。
「どうせもうすぐ授業終わるし、追いかけるだけ損よ……。水魚には後で私から言っておくから」
それは悪くない提案だった。実際、舞と紫乃が捕まえられる見込みは全くなかったし、それなら仲のいい手綱に任せた方がはるかに楽だからだ。
二人も、疲れた顔を見合わせる。しかし、すぐに小さく笑うと、振り向いてこう言った。
「ありがたいけどさ……やっぱり続けてみるわ」
「え、なんで。だってさっきから……」
「水魚ちゃん見てたら、なんだか無視しておけなくて」
予想外の反応に焦る手綱。そこで舞が語り出した。
「自己満足かもしれないけどさ……『勝手にさせる気はないよ』って示しておかないと、気がすまなくて」
「それに、日出先輩ならやり過ごしたりはしないと思うんだ」
日出先輩、その言葉を聞いて手綱の眉がピクリと動く。性闘拳のいざこざに何度も首を突っ込んでいる二年生、日出 拳次郎。舞がその妹なのだというのを、手綱はふと思い出した。
(兄妹って事かなぁ……やっぱり)
手綱はやれやれとため息をつき、仕切り直すように強い口調で言った。
「……分かった。どうせ無駄かもしれないけど、やってみましょう」
「よしきた!」
「舞、向こう側の端に回っておいて。紫乃は逆側。私はアイツを直接追いかける!」
手綱の指示と共に、三人は再び泳ぎだす。復活した手綱の泳ぎはみごとだった。淀みない動きで、高速の水魚にすいすいと迫る。それは高校生としては相当の腕だったが、神拳をほどこした水魚には遠くおよばなかった。
それでも、舞、紫乃、手綱の三人はあきらめなかった。手綱から逃れたところに先回りし、あるいは一ヶ所に待ち構え、ある時は三人で追い込みにかかる。
それでも何度も失敗を続け、何分も過ぎてからの事。
「あ、もう時間切れッス!」
壁にかけられた時計を見て、水魚が声をあげる。つられて舞たちも顔を上げると、休み時間まで五分ほどしかない。着替えの時間を含めればギリギリの時刻である。
「へへーっ、ウチの勝ちッスね! 約束は守ってもらうッスよ!」
「くっ……」
歯噛みする舞を尻目に、水魚はそそくさと出入り口のハシゴに手をかける。しかし足をかけて軽快に登っているように見えた、次の瞬間。
「うわっ!?」
「っ水魚!?」
不意に、水魚がズルリと足を踏み外す。水中に体を慣らしていた反動で、彼女の体は無自覚のうちに疲労していたのだ。それに気づいた手綱がとっさに泳いで接近するが、落ちる一瞬からすれば、その距離は遠かった。舞と紫乃も少し遅れて助けに入ろうとするが、同様に手遅れである。
あわれ、水魚は水に転落するかに見えた、その時。
「危ない!」
プールの外側から、水魚の手をつかんだ者がいた。落ちかけていた水魚は我に返り、その人物をはたと見つめる。
そこにいたのはなんと、ずっと水に入らずに傍観していたクラスメイトたちだった。水魚はしばし戸惑っていたが、彼女らは何も気にする様子はなく、複数人でかわるがわる手を差し出し、無事に水魚を水から引き揚げる。
「大丈夫? 水中」
「ったく、調子に乗るから」
「あ、ありがとうッス……」
プールをずっと占領していたにも関わらず、女子たちは彼女を気遣った。その意外な優しさに、水魚も思わず礼を言っていた。遅れて集まってきた舞たち三人も、ホッとした表情を浮かべている。
しかし、その直後に女子たちは口々に言った。
「ただサボるのも退屈だからさ。あの泳ぎ見てて面白かったわ」
「別に自由時間つっても、そんなにプール好きなの水中くらいだしね」
「また見せてよ。休み時間が縮まらなきゃ、何だっていいからさ」
ほぼ全員が上機嫌で水魚に礼を言い、更衣室に去っていった。残された水魚はポカンと間抜けな笑みを浮かべ、そばにいた舞、紫乃、手綱へ振り返る。
「…………」
「どんな気分よ。予想通りで」
「……一緒に泳ぐのも良かったかなぁ、って気もするッス」
「……ま、今はそれでいいわ」
白けた顔で問いかける手綱へ、水魚は微妙な笑みを返した。ため息をつく手綱を、舞と紫乃は苦笑しながら共に更衣室へうながしていった。
少なくとも、自分の楽しみしか考えなかった部分は、水魚も反省したのだ。
……それから着替えていた最中、舞たちは体育教師を置き去りにしてきた事を思い出したのだった。