性飢末《セイキマツ》の覇者 ~暴走する性癖を食い止めろ!~ 作:ごぼう大臣
真っ青な空の下に、ギラギラと刺すような太陽光が降り注ぐ。七月末にもなると空気そのものが熱を帯び、昼間は何もしなくとも汗が吹き出すような日が多くなる。
元からボロボロなために、近くで見るだけで蒸し暑くジメジメとした雰囲気を感じる、聖的至高高校の寮。そんな建物の周りを、拳次郎はトボトボ歩いていた。
学ランを身につけない、半袖ワイシャツのみの夏服仕様の拳次郎。しかしそれでも、露出した首もとやたくましい二の腕からは汗が容赦なくにじみ出て、いくつもきらめいていた。
「あれ、お兄ちゃん?」
ふと呼びかけられ、彼は火照った顔を向ける。そこには妹である舞と、親友の紫乃がいた。制服すがたの拳次郎とは違い、Tシャツの下に舞はショートパンツ、紫乃はレーススカートなどの軽装である。舞は兄を見上げ、首をかしげて言う。
「制服きて何やってんの? もう夏休みだよ」
「ああ……学校と周りの見回りだ。この格好でないと気合いが入らん」
「ふーん……暑そう」
汗ばんだ姿をしげしげと見上げながら、舞はつぶやく。紫乃は隣で何やら顔を赤らめ、モジモジとしていた。
「そっちは? 遊びにでも行くのか?」
「ああ、私たちはちょっと……買い物」
拳次郎の問いに、舞は何故かとぼけるような調子で答えた。そして紫乃の方をちらと見て、拳次郎にこんな事を聞く。
「ねえお兄ちゃん、一週間後って空いてる?」
「ん? なんだ急に」
「まぁまぁいいからさ。とりあえず教えて」
舞は笑いながら返事を急かす。戸惑う拳次郎の表情を、紫乃がまじまじと見つめていた。
拳次郎はアゴをさすり、しばし考えたが、二人を見て残念そうに答えた。
「いや……その日は用事がある。すまないな」
「えー、そうなの?」
「二年生にもなると、色々いそがしいですもんね……」
紫乃が残念そうに笑みをつくりながら、ポツリと言った。拳次郎はうむとうなずき、気づかうように言い添える。
「何か、俺がいなきゃいけない用なのか? それなら都合をつけるが……」
「あ、いいえ。いいんです、悪いですし……舞ちゃん、行こ」
「う、うん」
しかし、拳次郎の提案をさえぎり、紫乃は舞の手を引いてサッときびすを返してしまった。その慌てぶりはどこか妙だったが、拳次郎はそれに気づく鋭さはなかった。
「暑いから気をつけるんだぞ」
「はいはーい」
結局、薬にも毒にもならないやり取りを最後に、舞たちは街の方面へと去っていってしまった。
――
「初めからお兄ちゃんに予定あわせてたらよかったね。海」
「ううん、手綱ちゃんたちにも都合があるし……」
三十分ほどのち、とあるショッピングモール。舞と紫乃は夏に合わせて設けられた水着コーナーにいた。
商品を物色しながら、紫乃は心なしか気落ちした表情をうかべている。
「それに、いきなり『誘いたい』って言い出したの、私の方だし」
「ま、チャンスはこれからいくらでもあるわよ。同じ学校なんだしさ」
仕方なしという風に苦笑いする紫乃へ、舞は微笑みかける。そして仕切り直すように言った。
「さ、早く選んじゃおう。わざわざお店まで来たんだしさ」
「私、けっこう見かけとか悩んじゃうんだよね……。一人じゃたぶん決められないよ」
「そーぉ? 私はアレコレ選ぶの、ちょっと見られたくないけどなぁ」
水着のデザインに注目している紫乃に対して、水着のサイズと自分の体型とを見比べている舞。小柄な舞は、こうして手に取って選べるのを以前からありがたく思っていた。例えばネットなどで細かく考えず購入し、いざ着てみると胸回りがゆるい上に腹回りがキツかった、などという事態になれば恥ずかしいどころの話ではない。自己のボディイメージと実際の体型が食い違うのは、彼女をふくめた大半の十代の女性にとって身を切られるような苦しみである。多分。
「あ、二人ともー」
「え?」
舞が独り悶々としていると、背後から見知った声がした。振り向くと私服姿の手綱と水魚が連れだって歩いてくる。
「偶然ッスね。ちょうど会うなんて」
「あ、手綱ちゃん、水魚ちゃん」
屈託なく笑う水魚とあいさつを交わす紫乃。舞も笑いながら手を振るが、ふと、目の前の手綱の姿が目に留まる。
白のポロシャツに、藍色のスラックス。地味に見えがちな格好ながら、凛として見えるのは本人の理想的なスタイルゆえか。視線に気づいた手綱と目が合い、舞は取り繕うように言った。
「や、やっぱり二人も水着を買いに?」
「ええ。去年のは胸のところがキツくなっちゃってて」
「……そう」
追い討ちを食らい、舞は暗ーい目をしながら商品の方へ向き直る。手綱は少し眉をひそめたが、大して気に留めず自らも水着を物色しはじめた。
一方、そんな舞の落胆など知るよしもない水魚が、何やら難しい顔をして一部の水着を見つめていた。
「う~ん……」
見ているのは下着に似た形のトップスと短いボトムがセットになった、いわゆるビキニ・タイプであった。あまりに悩ましげに見つめていたせいか、横から紫乃が心配そうに声をかける。
「水魚ちゃん? どうかした?」
「サイズでも合わないのー?」
遠くから舞が当てつけ気味にたずねるが、水魚ははたと気づいたように顔を上げ、愛想笑いをして答える。
「や、その……ビキニには少しイヤ~な思い出が……」
「嫌な思い出?」
「あれ、意外。海好きだったでしょうに、そんなのあるんだ」
「まあ……大した事じゃないんスけど……」
水魚の言葉が気になったのか、紫乃にくわえて舞まで近くに寄ってくる。水魚は嫌な顔こそしなかったが、言いにくそうに目をそらした。頬には恥じらうような赤みがさしている。
水魚がそんな表情を見せるのは、舞と紫乃にとっては珍しい事だった。手綱は視線を向けつつも何も言わない。
舞と紫乃に視線を向けられる水魚。それに押されるようにして、水魚は小さく口を開いた。
「……学校の水着はスパッツだから良かったんスが……ビキニは、その……」
「…………」
「あ、あんだーへあーが……」
「? はい?」
上ずった声で放たれた言葉は、舞と紫乃にとって思いもよらないものだった。思わず聞き返すが、水魚はぎこちなく笑ったきり、目をそらしたままだ。
その時。
「あー、あの時のアレかぁ」
不意に、手綱が話に入ってきた。その顔はなんとなく白々しげに笑っている。
それに気づいた水魚が、あわてた様子で声を張りあげた。
「た、タヅッ! 中学の頃の話じゃないッスかー!」
「……何かあったの?」
「えぇとね。コイツ、私と小学校から一緒だったんだけど……」
水魚が止めるのも気にせず、手綱は近寄ってきた舞と紫乃へ向け、声をひそめて話し始める。その顔は今にも笑い出しそうで、これまた聞いている二人にとっては珍しいものだった。
「あの……毛の手入れでさ、毛先を火であぶったら形が整いやすい、ってのがあるじゃん」
「う、うん」
「聞いた事はあるけど……」
「それをさ、水魚ったらよく知らずに試して、燃えちゃったっつーのよ」
ぶっそうな内容をさらりといわれ、舞と紫乃が眉をくねらせる。水魚は輪から外れ、ムスッとしながら水着を選んでいた。
しかし、手綱は笑いをこらえながらさらに続ける。
「まあ別にヤケドしたわけでもなくてさ、次の日に普通に学校来たのよ。でもね……」
そしていったん話を区切り、手綱はこう問いかけた。
「あのさ……Vtuberってあるじゃない。バーチャルのYouTuber」
「ああ、息長いよねアレ」
「そうそう。そのVの炎上ニュースをさ、水魚がやらかした次の日に、私がたまたまスマホで見ててね」
「それで?」
一見つながりのないその情報に、二人が聞き入る。手綱はもはや笑いと言葉が入り交じった状態で話した。
「私がつい話題ふったのよ……『このV、ついに大炎上したって』って」
「…………」
「『元から真っ黒だったけど、ケアも無いからVのライン越えちゃったね』って」
「……っ」
「『燃え広がっちゃって、処理も大変だね』……って言ったら、水魚が急にっ、吹き出して……!」
「……ぶっ……くふふっ」
とうとう、話すうちに耐えきれずに手綱が大笑いしだした。つられて舞と紫乃も笑いだす。その声は売り場の中に遠慮なく響き渡った。
当然、輪の外にいた水魚の耳にも届き、彼女は恥ずかしさに肩を震わせて抗議した。
「いいかげん笑わないで! これでも気にしてるんスから!!」
「何言ってるの。元はアンタから話してきたんじゃない。しかも面白そうに」
「その時はその時! 他人の失敗をむやみにバラさないで欲しいッス!!」
「ごめんごめん。ホラ、機嫌なおしてよ」
腹筋がおさまらないのをこらえ、手綱が歩み寄って水魚をなだめる。その様子は少々気の毒ながらも、多少の失礼は許せる関係なのだと再確認できるものだった。
しかし、その時。
「おい、声が大きいぞ」
「あ、すいませ……へっ?」
後ろから注意を受け、舞はあわてて振り向く。しかし、そこで目にした人物に目を丸くする。
目の前には、身長2メートル近くある大柄な男性……兄、拳次郎が立っていたのだ。
「うわっ!? お兄ちゃん!?」
「なんだ、人を化け物みたいに……」
兄の存在感に舞が飛びのく。それを見た拳次郎は呆れた目でため息をついた。
突然の悲鳴に、舞以外の女子たちが視線を向ける。拳次郎を見て、はじめに紫乃が驚きながら口を開いた。
「ひ、日出先輩!」
「やあ、奇遇だな。友達と一緒か」
少し緊張ぎみに言った紫乃へ、拳次郎は小さくほほえみかける。そして手綱と水魚へと視線を移すと、目が合った手綱が先に話しかけた。
「……顔を合わせるのは初めてですね。日出先輩」
「初めましてだな。どうか妹と仲良くしてやってくれ」
「狗飼 手綱」
「水中 水魚ッス!」
「よろしく」
初対面の手綱たちへ、にこやかにあいさつを送る拳次郎。その横で紫乃は、話しかけるきっかけを探すように拳次郎の表情をチラチラ見ていた。
とそこに、舞が割って入る。
「お兄ちゃん! まさかさっきの話聞いてた!?」
「? ……さっきの、とは?」
「それは……えーとその」
毛の手入れの話、と脳内に浮かびかけて、彼女は口ごもる。当の水魚は忘れているようだが、先ほどの真っ黒だのVラインだのいう話をもし聞かれていれば、かくなる上は兄をぶん殴ってでも記憶を消さねばならないと思っていた。
さいわい、拳次郎は首を横に振る。
「いや、何も知らない。ただ声が聞こえたから来ただけだ」
「そっか……」
舞はホッと胸をなでおろす。すると今度は、紫乃が拳次郎へ問う。
「あ、あの! 先輩は何をしにここへ?」
なんて事ない質問の割には、ぎこちない声色だった。しかし拳次郎は気にせずに答える。
「本屋で参考書を買っていた。二年になると勉強も忙しいからな」
持っていた手提げ袋を見せる拳次郎。それを一瞥し、紫乃はさらにたずねた。
「わあ……やっぱりそういうの必要になるんですね。先輩、マジメだなぁ……」
「大したものじゃないさ。一年後にはもう三年生だからな」
「あの……よかったらその内、勉強教えてもらえませんか?」
「俺がか? 別に同級生の子たちでもいいんじゃ……」
「あ、ええと……後の内容も知っている方が、分かりやすく教えてもらえるかなぁ、なんて……」
「まあ、かまわないが」
紫乃は体までギクシャクしながら拳次郎と話し続ける。その間、彼女の意識には拳次郎以外の人物はいなかった。それは周りから見てもうっすらと分かった。
水魚が一人、首をかしげる横で、手綱が舞へと耳打ちする。
「ねえ、あの子もしかして……」
「あはは……多分、見たまま」
「……ま、有名だしね」
手綱はこっそりため息をついた。それはどこか、冷たい感じがした。
そんな時、拳次郎が思い出したように言った。
「そうだ。どうせなら水着を買っていくか」
「へ、海行かないって言ったじゃない」
「まあな。ただ、持っているのが流石に古くなったから」
眉をひそめる舞へそう言って、拳次郎は男性用の水着コーナーへ歩いていった。その背中を見て残念そうにする紫乃の肩を、舞がポンポンとたたく。
「さ、私たちも用を済ましちゃいましょ」
「う、うん」
紫乃は笑顔に戻り頷く。紫乃の態度が気になっていた水魚も、手綱に引かれて買い物に戻る。
だが、それと同時に。
服屋とは別の……離れたモールの一角から、彼女らを見つめる人間が一人いた。あくまで客の一人にしか見えないが、視線は30メートルほど先の舞たちをジッと捉えていた。
その時は誰も、その異様な視線に気づかなかった。