性飢末《セイキマツ》の覇者 ~暴走する性癖を食い止めろ!~ 作:ごぼう大臣
「……それで、舞ちゃんを見習って、私も休み時間に予習するようになったんです」
「なんだ、無理させてるようで申し訳ないな……」
「いえ、そんな。実際やってよかったですし、むしろ私が教えてもらう事が多いくらいで……」
モールからの帰り道。拳次郎と紫乃はまた二人で会話を続けていた。拳次郎はいつもと変わらぬ表情だが、紫乃はといえば目の奥にキラキラと、ときめく光が無自覚にあらわれている。
その後ろには水魚と手綱、そして舞が二人を見ながら続いていく。
退屈そうにしている水魚をよそに、手綱は舞へ耳打ちする。
「……舞はどう思う? あの二人」
「……とりあえずは、お兄ちゃんが全く気づいてないっぽいのをどうにかしたいかな」
「それは応援してるって解釈でいいの?」
「まーねー、私からしたらお兄ちゃん、そんなにイイとは思わないんだけど……そこは身内の評価だし」
舞はいくらか微笑ましげに答える。それを聞いた手綱は、何故か釈然としない表情をうかべていた。
「あっ!!」
そんな時、水魚が急に声を張りあげた。皆が振り向くと、彼女が前方にある横断歩道と、近くに設置された歩行者用信号を指さしている。
「アレ! もう赤になっちゃうッスよ! 早くしないと!!」
青のランプがすでにチカチカと点滅しているのを見て、拳次郎と紫乃の脇をすり抜けて水魚が駆け出す。舞たちはあわてて後を追った。
「水魚ちゃん、待ってよ!」
「コラ、危ない!」
後ろからの制止も聞かず、水魚は横断歩道へと走り続ける。しかしいざ直前まで来たところで、信号は赤に変わってしまった。
「……はぁっ、はぁっ!」
つんのめって足を止め、前のめりに荒い呼吸をする水魚。少し遅れて舞たちがバタバタと追いついてくる。
「信号くらい待ちなさいよ。ったく」
「いきなり飛び出して……ビックリしたわ」
「ハァ……水魚ちゃん……ハァ、泳ぐのもそうだけど……走るのも、速いね」
「大丈夫か?」
続いてきたメンバーのうち、手綱と舞が不満げな言葉を吐く。対して水魚は頬をふくらませて言い返した。
「さっきからおしゃべりしながら歩くから、全然進んでないんスよ! ほら!」
今度は今さっき歩いてきた方角を指さす水魚。視界の向こうには、先ほど出てきたモールがまだ街道の建物の中から顔を出している。
信号が青になってからも憤然としている水魚へ、手綱があきれた顔で言う。
「別にいいじゃない。どうせヒマなんだし」
「ヒマっつったって、のんびり歩くの性に合わないんスよー。泳ぐ時なら、もっと全身を使ってスイスイ行けるのに……」
「……ゴメンね水魚ちゃん。もうちょっと急ぐから」
「いや、気をつかわなくていいわ。ちょっとガマンすりゃいいんだから」
謝ってなだめる紫乃を、舞が止める。また信号が変わるそばで、拳次郎はずっとその場を黙って見守っていた。
しかし次の瞬間、彼らの耳にただならない声が届く。
「きゃああぁーー……」
「!!」
かすかに聞こえた、遠くからの悲鳴。五人が一斉に振り返った先には、あのモールがあった。
「今の……聞こえた?」
「聞こえたわ。行きましょ!」
「あ、ちょっと手綱ちゃん!」
一番に駆け出したのは手綱だった。それを見た残りのメンバーが次々と彼女を追いかける。
「お兄ちゃん!」
「分かってる!」
「せ、先輩! 私も」
「あ、ちょっと待ってほしいッス!!」
先ほど皆を追い抜いた水魚がたちまち最後尾になり、元いたモールへの道を舞い戻る。
今度は一人もおしゃべりをしようなどと言うものはいなかった。悲鳴というだけでもただならぬ気配がするが、彼らはすでに身の回りのトラブルにあるものを連想するようになってしまっていたのだ。
そう、性闘拳使い。あの学校にひしめいている不思議な力を持った変態たちが、近辺の街にくり出しているかもしれないのだ。
モールの入り口にたどり着いた手綱が、せわしなく辺りを見回す。するとそんな彼女の目の前を、一人の女性が横切っていった。
「来ないでー!」
紙袋を持ち、買い物帰りだったらしいその女性は、手綱とぶつかるも目もくれず、逃げるように走り去っていった。
「おっと……」
手綱は少しよろめいたが、すぐに立ち直って逃げていく女性を見つめる。私服で分かりづらかったが、学校で見覚えがある気がした。
あの学校の生徒が悲鳴をあげる事態。彼女の中でますます嫌な予感が加速していく。
ほどなくして、舞たちがその場に追いついてくる。舞が真っ先に口を開いた。
「手綱! さっきの人は……」
「多分同じ学校の人。悪い予想が当たったかもね」
投げやりに答える手綱。その時、水魚がふと手綱の足元を指さした。
「それ、何スかね?」
「ん?」
言われて下を見る手綱。そこには、パンツのような形の衣類がぱさりと落ちていた。否、下着より微妙に厚みのないそれは、まさしく水着である。
「それって……」
「さっき逃げた女性が落としたんだろうな」
拳次郎がつぶやく。すると手綱はその水着を拾いあげ、水魚へと手渡した。
「水魚。悪いけどコレ、さっきの女の人に渡してくれない?」
「えー、なんでウチが?」
「アンタ、水の中じゃないと戦えないでしょ。ホラ早く」
手綱が急かすと、水魚はしぶしぶ先ほどの女性を追いかけていった。それを一瞥し、紫乃が気がかりそうな顔で言う。
「手綱ちゃん、戦えないって……まさか」
「そう……やっぱりあの手のヤツよ」
手綱はいまいましげにかたわらの出入り口をにらむ。すると、高校生くらいの男が、しかめっ面でゆらりと出てきた。
「なんでわざわざ戻ってきたんだ……。帰ったところを狙ったのに……!」
アゴに青々としたヒゲの剃りあとが残り、もみあげがその剃りあとにつながっている。顔つきに比べてかなり毛深い印象の男だった。
「アンタは……」
特徴的な容貌のその男を、舞はしげしげと見つめる。横で紫乃がポツリとつぶやいた。
「
「へ?」
「
茂と呼ばれた男はピクリと眉を動かし、目をそらす。それを見た拳次郎が言った。
「俺たちに見つかるのを避けていたようだな。何をしていた?」
「…………」
「何か言いなさい」
黙り込む茂へ、舞が追い討ちをかける。すると相手はボソボソと話し出した。
「毛を……剃らないでほしかった……」
「は?」
「学校でいつも見ている女子たちに……毛の手入れをしてほしくなかった……。ボーボーのままでいてほしかったんだ」
「……はい?」
突拍子もない言葉に、皆は眉をしかめる。すると紫乃が後ろから口をはさんだ。
「あ……あの、とりあえず場所うつしませんか? ここ入り口ふさぐから迷惑ですし」
「うむ、確かに。他にもお客さんはいるんだからな」
「…………」
同意する拳次郎を、手綱は鬱陶しそうに見つめた。そして茂の襟首をつかんで引きずっていこうとしたが、それを拳次郎が止める。
「待て、手荒な事はするな。これから詳しい事情を聞けばいい」
「……先輩の指図は受けたくないんですが」
「いざって時は、俺が止める。安心してくれ」
拳次郎が言うと、手綱は鼻をならして手を離す。結局、茂は四人に囲まれて人気のない路地裏へと誘導された。
「で、聞かせてもらおうかしら。ボーボーのままでいてほしいってのはどういう意味よ?」
いら立った様子で手綱が問う。すると壁を背にした茂は苦々しい顔で答えた。
「言葉通りだよ……。夏になったら女子はみんな、毛を剃りはじめるだろ……」
「まあ、大体はそうでしょうね」
「腕とか足はいつもなんだけど……」
紫乃がどうでもいい補足をする。それに構わず、茂は肩をいからせて大声で怒鳴った。
「それが気に食わないんだよ! なんでみんな、あのモジャッとして柔らかくて
「……そんな事言われても……」
皆が嫌悪に顔をひきつらせる中、舞がやっと思いで相づちを打つ。茂の熱弁は、大げさなジェスチャーを加えてさらにヒートアップした。
「ネットを漁れば、案外みんな処理してないなんて話も聞く。お好みの画像だって出てくる! だがな、お前らふくめた身近な女子たちは、素の姿をおいそれと晒そうとしない。俺からすればシュレディンガーの体毛ってところだ!!」
「知らないわよ。手の届く範囲で満足しときなさいよ」
「やかましいッ!! 理想と現実とのギャップに胸を焦がす気持ちなんぞ、お前らには分からねえだろう!? ましてや隠されてるがために、求めてやまないこの気持ちなんぞおおォ!!」
(うるせえな、コイツ……)
一応は抗弁していた舞だが、内心では視界に入れたくない気持ちでいっぱいだった。
しかし、それでも無視しようとは思えなかった。もう現に目の前にいる上、どうにかして衝動を抑えてほしいとも思っていたのだ。
少なくとも、兄はそのために戦っていた。変態を排除するのではなく、平和な日常を守るために。問題を起こす生徒も、れっきとした学校の日常の一つなのだ。
「……俺の知らないところで、みんなどんなケアをしているのか、悶々とする日々が続いた……。毛に魅せられてから、何年も、何年も……!」
「はっ」
思考にふけっていた舞が、茂の恨み言で我に返る。その次の瞬間、彼のセリフの調子が急変した。
「……だがな、俺はついに自分で理想を作り出す
「なっ……!」
上がり調子でそう叫び、不意に卑劣な笑みをうかべたかと思うと、茂は手近にいた手綱へと飛びかかった。手綱は全く動じず、眠たげな目をして佇んでいる。舞が思わず間に入ろうとした、その時。
「危ない!」
それより先に、拳次郎が手綱をかばいに入った。茂の伸ばした手が、拳次郎の大きな体に遮られる。
「
そして、茂の声と共に両手の人差し指が突き刺さった。懸念していた性闘拳のそれ。拳次郎がぐっと歯を食い縛り踏みとどまるが、茂は素早く後ずさり、せせら笑った。
「はっ、邪魔が入ったか……まあいい」
「お兄ちゃん!」
「先輩!」
舞と紫乃があわてて駆け寄ると、拳次郎は深刻な顔で身構える。すると、背後で気まずそうな声がした。
「……助けてもらわなくても、避けられますよ」
手綱の声。三人が振り返ると、なるほど彼女は少し離れた場所へ飛びのいていた。技をくらった拳次郎を心配そうに眺める彼女らへ、茂は口元をつり上げてゲラゲラと笑った。
「ふははっ、もう遅い! お前、日出 拳次郎だろ!? その身に何が起きるか、よく見ておくといい!!」
「……?」
茂がそう叫んだ瞬間、拳次郎は我が身をかえり見る。その時、彼の見る事ができない頭部から生えた髪が、一瞬生き物のようにざわめき出す。
そして、あっという間に拳次郎の腰のあたりまで、ばさりと長い黒髪が降りた。
「うわっ!?」
舞たちがぎょっと目を見張る。短髪にまとめていた拳次郎の髪型が、何年も切らずにおいたような見事なロングヘアーに変貌したのだ。
目や首筋にかかる髪の毛をいぶかしげに見つめる拳次郎へ、茂は指を突きつけて言った。
「見たか! これが俺の
「……ふむ」
茂の言葉を聞いてか聞かずか、拳次郎は一つうなずき、舞の方へ振り向いてたずねた。
「似合うか?」
「……昔の武○鉄矢みたい」
「そうか」
拳次郎は苦笑いしてうなずく。すると紫乃が横からあわてて言った。
「せ、先輩! 私はいいと思います!」
「……そうか、ありがとう」
小さく微笑み、拳次郎はくるりと敵に向き直る。そして呼吸を整え、神拳の構えを取り、言った。
「……それはそれとして、お前には天誅を下さねばならない。さすがにこの髪、少し邪魔だからな」
「余裕かましやがって……後悔するなよ」
茂はいまいましげに顔を歪ませ、姿勢を低くして猿のような構えを取る。すると、いざ対決しようとする拳次郎を押しのけ、手綱が前に出る。
「……おい、危ないぞ」
「先輩、私がやりますよ」
「手綱!?」
「手綱ちゃん!?」
唐突に矢面に立とうとする手綱に、一同が驚いた顔をする。それをまるで気にせず、手綱は茂を見据えてこう言ってのけた。
「嫌いなんで。こういう奴」
あっさりとしたその言葉と共に、空気がさあっと冷たくなる。茂の顔がますます険しくなり、佇む手綱をにらみつける。
「へっ……わざわざ負けに出てくるか……。」
手綱がふんと鼻を鳴らす。その直後、茂が横の壁を蹴って跳躍し、上から手綱へおどりかかった。
「体中を俺好みの大草原にしてやらああぁーーっ!!」
しかし、彼の手が届くより先に、手綱がキッとその姿をとらえる。そして茂が気づく間もなく、手綱の指がいくつものツボを突いた。
「
「ぐふっ……!?」
瞬間、茂の顔色が変わり、そのまま着地して地面に崩れ落ちる。弱々しく這いつくばる姿を、手綱が冷ややかに見下ろす。
「み……三角くん?」
「これ……もしかして」
見覚えのある光景に息を呑む舞と紫乃。拳次郎だけが神妙な顔で様子を見ている。
茂に混乱した目で見つめられ、手綱は静かに語りだす。
「私の牙奪神拳は、他人の体を動物のようにして制御下におく技。犬、猫、タヌキ……種類はさまざまだけど、どれも私がツボを突かない限りろくに動けない。そして……」
いったん言葉を切り、四つん這いになっている茂の尻を一瞥する。そして前触れなくガンと蹴りあげた。
「ブウぅッ!?」
茂の口から珍妙な悲鳴が飛び出す。それはただうめくのとは違い、ある動物の声に似ていた。
「これって……」
「見ての通り。コイツの動きは今や、完全に"豚"になってる。鳴き声まで、ね!」
「フゴッ!? ブゥッ、ブオォッ、フグ、プァあ」
得意げにそう言って、手綱は立て続けに茂の尻を蹴りはじめた。その勢いに合わせてガクガクと腰が存分に揺れる。か細い鳴き声をあげ、這って逃げようとする茂を、手綱はさらに蹴り飛ばす。
「オラ、逃げんじゃないわよ!」
「ブムォッ!?」
尻たぶを左右に蹴っていたのを止め、背に近い部分を上から踏む。茂が地面にへたり込み、尻を手綱に向けて突き上げる格好になる。そんな彼をぐりぐりと踏んづけながら、手綱は心なしか愉しげに言葉をあびせた。
「まだまだ……!」
眼下にある茂の股下に足先を差し入れ、激しく揺さぶる。手綱の足先が当たる場所はちょうど、茂の股間の前立腺に近い部分だったのだが、彼女はかまわずそこを刺激し続けた。茂の顔が屈辱にゆがみ、無様な鳴き声をさらにわめき散らす。
「あっ……あぶっ……ブゥ、ブヒ、プギイィッ!!」
茂の声が短く上ずったものに変わる。顔色はなんとも情けなかったが、心なしか苦痛はほとんど感じさせない。だが、何はともあれ豚のような格好で蹴られている光景を他人に見られるのが、辛いものであろう事は間違いなかった。
「アハハハハハッ!!」
歯を見せ、満面の笑みの手綱が、高らかな笑い声をあげる。それは舞も紫乃も今まで聞いた事がないような、悦に入った笑い方だった。侮蔑のこもったそれは、直接的な暴力ではないにも関わらず茂を悲痛な顔に変えていった。
「おい、もうよせ!」
舞、紫乃があんぐりと口を開けている中、拳次郎が力強い声と共に止めに入った。間近に詰め寄られ、手綱が眉をひそめて見返す。
「ご心配なく。ケガはさせませんから」
「そんな問題じゃない。何の目的でこんな事をするんだ」
拳次郎は一歩も引かずに問う。手綱の顔がさらにけわしくなるのもかまわず、彼はこう続けた。
「反省させるために、多少は痛い目に合わせるのなら分かる。だが、君のやり方はそれにそぐわないんじゃないか?」
「……何が言いたいんです?」
「この男子を、変態を痛めつけるのを楽しんでやしないか……という事だ」
いまだ立ち上がれない茂をよそに始まったやりとりが、いっとき止む。しかし手綱はため息をついて肩をすくめると、とぼけた調子で答える。
「こんな連中に気を遣う必要が、どこにあるんです?」
「性癖も性闘拳も、他人を傷つけるためのものじゃない。誰であってもだ」
拳次郎は目をジッと見つめ、さとすような口調で言った。重い空気が漂う中で、舞と紫乃は固唾を呑んで二人を見守っていた。手綱は後ろめたい様子でフッと目を泳がせ、とげのある口調で言う。
「そんなおめでたい主義、何の役にも立ちませんよ。ヒーロー気取りの先輩には分からないでしょうが」
「ヒーロー?」
「ええ。舞……妹さんもあなたと似たような考えでしょうけど、少なくとも私は受け入れられません」
ちらと目が合った舞が表情を固くする。そこから先に目をそらした手綱が、ボソリとこう口にした。
「こういうバカ共がいるから、変わったところがある人間は一緒くたに排除されるんです。たとえ根が善人でも……」
「…………」
「……私の友達もそうだった」
最後に独り言のようなものをつぶやいて、彼女はうつむいてしまった。その時、拳次郎の脇をすり抜けて舞がそばへと歩み寄る。
「待って、手綱」
「……?」
「買い物してた時にさ……。ほら、あれ、面白い話をしてくれたじゃない」
水魚が陰毛を燃やしたというあの思い出話の件を、ぼかしながら伝える。手綱は少し眉をひそめ、沈んだ声を返した。
「それがどうかしたの?」
「あの時、すっごい楽しそうだったよ。付き合い短いから、こんな顔もできるんだって、驚いた」
舞が微笑むと、手綱の表情がわずかにやわらぐ。事情の分からない拳次郎は成り行きをジッと見つめ、茂は豚の声しか出ないので黙っていた。
すねたように鼻を鳴らし、手綱は口を開く。
「……ただの話のネタでしょ。それが何」
「話すだけでも、性格って少しずつ見えてくるじゃない。私らには、手綱が優しい人に見えるよ」
「目の前で豚を蹴ってても?」
「うん!」
舞はキッパリとうなずく。豚あつかいされた事に茂は抗議の目を向けるが、手綱の鋭い視線におびえてすぐに目をそらした。
舞は手綱へ手を差し出し、柔らかく笑う。
「変わったところがあっても、根が善い人はいるって、自分で言ったじゃない。手綱は善い人だよ」
「…………」
「私はどうせなら、善い人でいるのを応援したい。友達だもん」
迷いのない舞の言葉。手綱は戸惑ったように目をおよがせ、頬をうっすらと赤らめた。
「わ、私も!」
後ろから、意を決したような表情で紫乃が駆け寄る。舞が微笑みかけると、そんな二人を見ていた手綱はしぶしぶとうなずいた。
「……分かったわよ。ほどほどにしとく」
舞と紫乃が安堵の表情をうかべる。そんな中、ようやく動けるようになったらしい茂がこっそりと立ちあがり、逃げ出そうとする。その背中に、拳次郎が声をかけた。
「おい」
「ひっ」
「今回で懲りておけよ。俺だってそう何度も止めないからな」
「……はい」
しょげた様子でうなずき、茂は逃げるようにして立ち去っていった。続けて四人が路地裏から抜けると、目の前に息を切らしてフラフラな水魚があらわれた。
「あっ! みんなどこ行ってたんスか、もう!」
「み、水魚……」
「探したんスよ、急いであの水着の落とし主追いかけて、もどってきたと思ったら誰もいないし!」
「ごめん! トラブルがあったのよ。置いてきぼりにして悪かった。謝るわ……」
ぷんすかと怒る水魚へ、手綱は手を合わせて何度も謝っていた。その光景は、どこにでもいる友達どうしのそれだった。
「おわびに何かおごるわ。それで許して、ね?」
「んー……じゃあ喫茶店に行きたいッス! みんなで!」
水魚は意外とあっさり笑顔になり、舞と紫乃もお店へと誘う。すると、紫乃はそわそわと拳次郎へ水を向ける。
「ひ……日出先輩は、どうですか?」
「うーん。気持ちはありがたいが、買った参考書に目を通したいのでな」
「そう……ですか」
「それに、せっかくの楽しい時間を邪魔しちゃ悪いからな」
失意の紫乃へ、拳次郎は全く察しがついてない天然の笑顔を向ける。長くなった髪をたなびかせるおまけ付き。それを見ていた舞がこっそり苦笑した。
するとふと、拳次郎が思い出したように言った。
「そうだ、舞」
「ん?」
「さっき言ってた、狗飼さんの"面白い話"って……」
「お兄ちゃんは聞いちゃダメ!!」
「そ、そうか……」
水魚の陰毛炎上事件を知られまいと、舞は思わず叩きつけるような声で拒絶した。紫乃、手綱、水魚がきょとんとする中、舞はハッと口に手を当てる。
拳次郎が一人、困惑した表情で目をしばたかせていた。