性飢末《セイキマツ》の覇者 ~暴走する性癖を食い止めろ!~   作:ごぼう大臣

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紫乃という女子

「だからね、鍛えてる人って、やっぱり素敵だと思うの!」

 

「あー、まあ分からなくはないなー」

 

 とある放課後、学校つきの寮の自室にて、阿部 紫乃ははしゃいだ声をあげた。

 ユニットバスと流し台のスペースに、八畳ほどの空間がくっついた狭いワンルーム。ベッド、本棚、机に衣装ケースなどがせせこましく並べられたすき間には、ものものしいダンベルが二つ転がっている。

 そのダンベルのそばで楽しげに話す紫乃の向かいには、ベッドに座っている舞がいた。明るい調子で相づちを打ってはいるが、その表情はやや愛想笑いのケがあった。

 それに気づいていない様子で、紫乃は話し続ける。

 

「あんまり露骨なのじゃなくてね、こう……ナチュラルっていうか」

 

「薬とか使わない系?」

 

「それもあるけど……例えば、小学生の子でも腹筋われてたりするじゃない? ああいう年齢相当に鍛えてる感じがいいの」

 

「うーん……。中学ごろなら分かるかなぁ。体つきがグッと変わるから、中学生らしい筋肉って言えるかも」

 

「そう、それ! 見栄とかお金とかじゃなくて、ほどほどの気持ちでほどほどの体に仕上がってるのが好き!」

 

 舞より数段も高いテンションで、紫乃は好みを語る。そしてすいっと身を乗り出すと、舞に問いかけた。

 

「舞ちゃんは無い? そういうの見た体験」

 

「へ、私? んー……」

 

 舞は少し考えて、ふっと眉をしかめる。それを見てキョトンとする紫乃へ、目線をよそに向けながらこう答えた。

 

「いやぁ……私の場合、お兄ちゃんのを何度も見たからなぁ……」

 

「あぁー日出先輩! やっぱり昔から鍛えてたの?」

 

「まあ一緒に空手もやってたからね。インドアなタイプでもなかったし」

 

「外から見たらそういうの、良いと思うんだけどなー……うーん」

 

 紫乃はうっとりした表情をうかべてから、舞の方をちらりと窺った。身内だとそうでもないのかな? という疑問も見え隠れしている。

 それを受け取った舞は、いかにもその通りという調子に笑いながら愚痴を吐いた。

 

「私は、見てて嬉しくはなかったかな……。お風呂あがりは半裸で出てきたし、暑い日は平気でリビングで着替えたりしたし……」

 

「そっかー……理想は理想って事かなー」

 

「まあそこは、見た回数とかで印象変わるでしょ。私は血のつながった妹だし」

 

 舞がそう言って肩をすくめると、紫乃はややしょげたような顔で「うーん」とうなった。そしてやや眉尻を下げて笑う。

 

「結局、『これぞ理想!』なんて人、現実にはいないよね。だから私なんて絵ばっかり描いてるんだけど」

 

「そう悲観しなくても。私たちまだ高一じゃん。よさげな男子くらいいるでしょ」

 

 舞はそう言って励まし、部屋の机を一瞥した。

 机上に置かれた紫乃のノート。その中に彼女が夢見るたくましい男性の落書きがたくさんあるのを、舞は知っている。

 他人が見れば、時にはぎょっとするかもしれない。しかし他人に押しつけないだけ偉いと、舞は思っていた。

 特に、自分たちが通う聖的至高高校――性飢末などとあだ名され、大多数が自身の性癖や嗜好に貪欲な場所では、なおさらだ。

 

「……あ、もう暗くなっちゃってる」

 

「ん?」

 

 ふと紫乃がつぶやくと、舞は窓の外を見る。いつの間にか太陽が沈みかけ、薄い藍色の空が見える。

 紫乃があわてて言った。

 

「ごめんね、私ばっかり長々と話しちゃって……」

 

「ううん? 紫乃のこと分かって楽しかったよ」

 

 舞は何でもなさげに笑い、帰り支度をする。玄関のところまで来て、舞は振り返って言った。

 

「あ、そうだ紫乃」

 

「何?」

 

「次きた時にさ、ちょっと筋トレの事とか教えてもらえない? 実はちょっと、太るのが気になっちゃって」

 

 相手の趣味に興味があるという気遣いも込めたその頼みに、紫乃の表情が華やいだ。それは夕暮れで暗くなった、明かりをつけていない玄関でいっそう喜んでいるように見えた。

 

「うん、もちろん! こんなに色々話したの、本当に久しぶり」

 

「じゃ、またねー」

 

 こくこくと頷く紫乃に手を振りながら舞は別れた。扉を閉めて、聞きなれない話題に合わせた疲れが肩に軽くのしかかってきたが、それ以上に体全体が浮き立つような感覚があった。

 別れ際の紫乃の表情を思い出すと、顔がほころぶ。人によって興味はさまざまだが、嫌いな相手でもない限り、会話がはずむと嬉しいものだ。

 

「ま、慣れればどうって事ないよね」

 

 舞はそう言って、寮の渡り廊下で淡い夜空をのぞみながら、うんと伸びをした。

 

――

 

 その翌朝。

 

「うぅ~ん……」

 

 無機質にリピートする電子音に、舞は重たいまぶたをうっすらと開いた。

 ベッドの中でモゾモゾと動いて、アラーム音をしつこく鳴らす携帯へと手を伸ばす。そして指先で音を止め、ほっとため息をつく。

 

「あー、紫乃のテンションがまだキツかったかなぁ……。今までオタ友もあんまりいなかったしなぁ……」

 

 半ば寝言のようにつぶやきつつ、シャツと短パン姿の体を起こす。そして寝ぼけなまこで携帯の画面をあらためて見る。

 すると、まだ覚めきっていなかった顔が一気に真顔になり、青ざめる。携帯はまさに、授業開始の10分前を指していたのだ。

 

「やっばい、遅刻!!」

 

 人が変わったような声で叫ぶと舞は携帯をベッドに放り出し、床に降り立つ。その時、足元に転がるマンガや学生カバンに足をぶつけ、紫乃より散らかった部屋を後悔した。

 いら立ちを抑えつつ、クローゼットに飛びつく。着ているシャツと短パンを色気も何もなく放り出し、制服に袖を通す。クローゼットの扉の裏にある鏡で大急ぎで髪を軽くすいて結わえ、流し台で口をゆすぐとカバンを引っかけて彼女は何も食べずに靴をはいて部屋を飛び出した。

 

(体感五分ジャスト! ギリ間に合う!!)

 

 思考より先に体が動く状態。視界がスローモーションに映る中、舞は鍵をさす勢いで力押しに扉を閉め、瞬時に廊下へと目を向ける。予想では、生徒たちの登校もあらかた済んで閑散としている通路を駆け抜けるつもりだった。

 しかしその瞬間、彼女の眼前に予想外の人間があらわれた。

 

「舞ちゃーーーーん!!」

 

「わっ!?」

 

 突然、廊下の向こうから大声をあげながら紫乃が走ってきた。気づくと同時に目前に詰め寄られ、舞は思わずのけぞり、背中にドアノブが直撃する。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「……どうしたの?」

 

 紫乃は上半身を丸め、ぜいぜいと息を吐く。メガネのツルのすき間に入った髪の毛が、汗のために頬に張りついている。

 その尋常でない様子に舞がとまどっていると、紫乃が顔を上げ、片手をずいと差し出した。その手には、一通の白い便せんが握られている。

 

「何これ……手紙?」

 

「手紙……なんだけど、その……」

 

 紫乃は終いまで話さずに、便せんの中身を取って舞に差し出した。舞がけげんな顔で広げて見ると、それにはこう書いてある。

 

 

 拝啓 阿部 紫乃さん

 

 突然のお手紙、恐縮です。そちらは僕の事をご存じないかもしれません。僕はあなたと一緒の小学校にいた、同級生です。

 実は何年か前から、あなたが体の鍛練に興味を抱いている様子を目にしてから、あなたの事が気になるようになりました。その気持ちは今でも、いえもっと強くなっています。

 つきましては、今日の放課後に少しお話しをさせてもらえないでしょうか。お返事をいただきたく思います。

 

 一年C組 原賀(はらが) 我太(われた)

 

 

「これって……」

 

「…………」

 

「もしや、ラブレター!?」

 

「…………多分」

 

 舞が言うと、紫乃は照れた様子で頷いた。返してもらった手紙をいそいそと畳んでしまいながら、メガネの奥で視線をさまよわせる。

 

「すごいじゃん、どこでもらったの?」

 

「朝、登校したら下駄箱に……」

 

「へー、また古典的な」

 

 モジモジしている紫乃へ、舞はウキウキした様子でさらに話を聞き出そうとする。しかし、紫乃の表情がふと気まずそうなそれに変わった。

 

「……あ、ごめん。私ったら一人で舞い上がって……」

 

「ううん、違うの。その……実は」

 

 謝る舞へ、紫乃はとっさに首を横に振った。そして手紙をまた取り出すとうつむきがちにまじまじと見つめて、ためらいがちに口を動かす。

 

「ラブレターには驚いたんだけど……どうやって断ろうかなって」

 

「……ああー……もう返事は決まってるんだ」

 

「うん。原賀くんとは話した事あるから」

 

 紫乃はばつが悪そうに笑った。手紙では覚えていないかもと書いてあったが、同級生として話す機会もあったのだろう。

 ある程度の印象も分かるため、恋愛対象にはならないというワケだ。しかしそう言っておきながら、紫乃の顔はじわじわと曇っていく。

 

「紫乃? なんか悩んでる?」

 

 眉をひそめて舞がたずねる。すると、煮え切らない口調で彼女は答えた。

 

「その……断ったら、ちょっと悪いかな……って」

 

「へ?」

 

「や、二択なのはもちろん分かってるんだけど……やっぱり少し、気の毒な気がして」

 

 ごまかすように笑った紫乃を、舞はいかにも心配そうな目で見つめた。まだ知り合って数日だが、紫乃にとんでもなくお人好しな部分があるのを、舞は知っているのだ。

 スッパリ言っちゃいなさい! と発破をかけたくもなったが、そこは当事者あっての問題だと内心で思いとどまった。

 そして短くうなり、こう提案する。

 

「とりあえず、放課後に来てって書いてあるし、少し考えてみたら?」

 

「そ、そうだね。そうする」

 

「そう思い詰めなくてもいいって。時間はあるんだし……時間は……」

 

 その場をとりなし、得意げに笑って見せる舞。しかしその表情は、とある懸念によって少しずつ変わっていった。何かを忘れている気がしたのだ。例えば、時間に関する事。

 

「そうだ、遅刻!!」

 

 舞があげたすっとんきょうな声と、学校からのチャイムが重なった。授業開始を知らせるそのチャイムに二人は顔を見合わせ、ラブレターの事など忘れたように一目散に寮を飛び出していった。

 

――

 

「紫乃ー」

 

 放課後、六限目の授業が終わると同時に、舞は隣にいる紫乃へ声をかけた。当の本人は思い詰めた様子で例の手紙を便せんから出したり戻したりしている。

 

「……返事は決まった?」

 

「う、うん。やっぱり断ろうと思う」

 

「そっか」

 

 舞は事もなげに笑ってうなずいた。しかし紫乃は、答えたきり立ち上がらず、ずっと煮え切らない様子で座っている。

 舞ははっしと彼女の手を取り、引っ張った。

 

「とにかく行かなきゃ始まらないでしょ! ほら立った立った!」

 

「わ、わわっ」

 

 紫乃はあわてふためいてから、観念したように舞と共に歩き出した。授業終わりの生徒らでごった返す荒れた廊下を、舞は紫乃を引っ張りながらずんずん歩いていく。

 

「ま、舞ちゃん! いったんストップ!」

 

「えー? どうしたのよ?」

 

「何でも……ないけど」

 

「じゃあいいのね。いったん止まったし、ゴー!」

 

「やっ、早い、早いよ!」

 

 緊張する紫乃を連れ出すためもあって、舞は早足に屋上への道を歩いていった。この手のタイプは後押ししてやらないと二の足を踏むと、なんとなく分かるのだ。

 しかし舞がそう思っていた矢先、後ろを歩いていた紫乃が唐突に肩をつかみ、物陰に引き戻した。

 

「舞ちゃん、待って!」

 

「わ、え!?」

 

 舞が驚いて紫乃を見ると、何やら廊下の向こうを見つめて難しい顔をしている。首をかしげ、舞も同じ方向に目をやると、一人の男子生徒が背を向けて歩いていた。

 黒の短髪で背丈は高くも低くもない、制服も規則通りに着ている、一見して変わったところのない生徒だった。

 あの男子がどうしたんだろう、と舞が振り向くと、紫乃が小声で言った。

 

「あの子だよ。原賀 我太くん」

 

「あ、そーなの?」

 

 舞は目をパチクリさせて廊下へ向き直る。原賀はとうに廊下を曲がり、姿を消していた。

 

「あっぶな。告白前に鉢合わせしたら気まずいよねー」

 

「…………」

 

「ん?」

 

 舞は笑いながらまた先を行こうとする。しかし、ふと振り返ると紫乃がアゴに指を当ててジッと黙りこくっている。

 

「どしたの。早く行こうよ」

 

「うーん……」

 

 紫乃は生返事をし、トボトボと歩き出した。まだ心の準備ができてないのか、とじれったそうに横目で見つめる舞。

 すると、紫乃がふっと目を合わせ、ポツリとこんな事を言った。

 

「変なんだよねぇ……なんだか」

 

「変?」

 

「あ、原賀くんの話なんだけどね」

 

 舞がけげんな顔で立ち止まると、紫乃がさらりとこんな事を口にする。

 

「けっこう体がガッチリしてたでしょ?」

 

「え、そうだっけ? 遠目だし服着てたからなんとも……」

 

「小学校の時はヒョロヒョロだったんだよね……今見ても、妙だなぁと思って」

 

 紫乃はわりかし真面目な顔で首をひねる。見ただけでささいな違いが分かるのか、とその筋肉への観察眼に舞は感心する。

 ただ、いつまでも悩んでいそうに見えたので、舞は軽く口をはさんだ。

 

「成長したんじゃない? 男子三日会わざばとか言うでしょ」

 

「そう、かな……あんまり鍛えるタイプにも見えなかったけど」

 

 紫乃はとりあえず前へとまた歩きだすが、疑問は尽きていなかった。その疑り深さも筋肉への興味ゆえなのだろうと、舞の方は深く考えなかった。

 

「あ、着いた」

 

「も、もう!?」

 

 そうこうしているうちに、二人は屋上に続く扉の前にたどり着いていた。浮かない顔で深呼吸する紫乃の背中を、舞がばしと叩く。

 

「ホラ、私はここで待ってるから。しっかり断ってきなさい」

 

「え、えぇ……舞ちゃんも来てよ……」

 

「二人きりじゃなきゃ雰囲気が台無しじゃん。大丈夫、何かあれば私がぶっとばしてあげるから」

 

「……うん、分かった」

 

 紫乃は意を決してうなずき、ドアを開けて屋上に進み出る。その背中を見ながら、告白を断るのを応援するという図を、今さらながら珍しく思った。

 一方、紫乃の方は屋上に出たとたん、陽の光にさらされていた。まぶしさに目を細めて前を見ると、あの原賀少年がジッと彼女を見据えて立っている。美人でも不細工でもない、強いて言えば目立たないタイプという風貌である。

 紫乃は小股に近づいて笑みをつくり、とりあえず口を開いた。

 

「……原賀くん、話って?」

 

「ああ、阿部さん!」

 

 原賀は、紫乃が話しはじめるなり馴れ馴れしく笑った。そして早足に近寄ると、開口一番にこう言った。

 

「お願いがあるんだ! 腹筋を見せてくれ!」

 

「えっ」

 

 その言葉に、紫乃は笑みをくずして面食らう。それに気づいた原賀はあわてて付け加えた。

 

「ああいや、違うんだ。手紙でも書いたでしょ。鍛練に興味があるところが好きだって」

 

「それは、読んだけど……」

 

「皆なかなか分かってくれないんだけど、僕は女子の腹筋が好きなんだ! こう、細い胴体に縦のスジがうっすら浮かんで、筋肉の流れが薄くなった脂肪の下から盛り上がってね! もちろん左右に六段の割れ目があって、脇腹まで一繋がりに一体感のあるフォルムをなし、背中までふくめると……」

 

「……………………」

 

 突如として嗜好をべらべらと語りだした原賀を、紫乃はあっけに取られて見つめていた。

 その語り口には、紫乃への恋愛感情もかなり見え隠れしていた。同時に、同級生の彼にそんな趣味があったのを知り、紫乃の方はどうにも近寄りがたいものを感じた。

 互いに筋肉が好きなはずだが、嗜好がいざ自分に向けられると(よほど親密でもない限り)人はつい距離を取ってしまうものである。ましてや、好意も合わされば、だ。

 紫乃は静かに首を横に振り、遠慮がちに告げた。

 

「ごめん、原賀くん……私やっぱり、同級生としか見れなくて……」

 

 その言葉に、楽しげだった原賀の口がピタリと止まる。二人きりでいる屋上に、しばし無言の時間が流れる。

 うつむきがちに、ちらりと視線を確かめる紫乃。原賀はやや不満そうに相手を見つめていたが、不意にこくりとうなずき、また笑っていった。

 

「……ならさ、ちょっと試したい事があるんだけど」

 

「試したい事?」

 

「そうそう。これできっと気が変わるはずだよ」

 

 紫乃が何のこっちゃと思うのもかまわず、原賀は急にファインディングポーズのようなものをとったかと思うと、深く深呼吸をしはじめた。

 その妙なしぐさで、二人の間の空気が変わりはじめる。その雰囲気に、紫乃はハッとなった。

 

(これ……"性闘拳"を使う前触れの……!?)

 

 紫乃の表情が険しくなると同時に、原賀が両手の指を突き出しながら、こう叫んだ。

 

剛筋(ごうきん)神拳(しんけん)奥義(おうぎ)身体(しんたい)窄裂(さくれつ)(けん)!!

 

「きゃっ!?」

 

 紫乃が避ける間もなく、原賀の指が胴体の五ヶ所ほどをつつく。直後、紫乃がひゅうっと息を呑み、突かれた自身を抱いてその場に崩れ落ちた。

 そんな彼女を、原賀が笑ったままジッと見下ろす。しかしその笑顔は、何故かにんまりと卑劣そうなそれに変わっていた。

 口角を上げたまま、彼はおびえる紫乃に向けて言う。

 

「大丈夫、怖がらないで。体を少し作り変えただけさ……」

 

「あ、ああ……っ!」

 

「阿部さんだって望んでいたはずだろ? そんな顔しないでくれよ……」

 

 不気味なセリフをつぶやきながら、紫乃ににじり寄る原賀。紫乃はすっかりおびえ、膝をついたまま動けずにいる。

 その時、屋上の扉がけたたましく開く音がし、何者かが駆けてくる足音がした。原賀が気づいて顔を上げた瞬間、視界に第三者の姿が飛び込んでくる。

 

「うりゃああぁっ!!」

 

「っ……!」

 

 猛然と迫る飛び蹴りを受け止め、原賀は素早く後ろへ飛びすさる。その隙に、蹴りを放った舞が紫乃を助け起こした。

 

「紫乃、大丈夫!? 紫乃!!」

 

「お、お腹が……」

 

「お腹? ちょっと見せて!!」

 

 紫乃のか細い声を受け、舞はあわてて制服とシャツをめくる。そこにはまるでプロの格闘家のような、六つに割れ、筋肉の形が細かく浮き出て硬く硬く仕上がった腹があった。

 それを見て、舞はおそるおそる尋ねる。

 

「紫乃……アンタ、こんなに鍛えてたっけ?」

 

「違う……違うの……原賀くんが勝手に……」

 

 すすり泣く紫乃。舞がキッと背後へ振り向くと、原賀がちょうどニヤつきながら近づいてきた。

 

「僕の神拳の力だよ。人の筋肉を自在に操る……。その気になれば理想通りの体をさずけるのだって、簡単さ」

 

「アンタねぇ……っ!」

 

「阿部さんなら分かるだろ? その体を手に入れるために、ずっと鍛えてきたんじゃないのかい?」

 

 原賀の声色はいつのまにか、ひどく下卑たものに変わっていた。舞が歯をむいて睨みつけると、不意に紫乃の方が口を開いた。

 

「……要らない」

 

「え?」

 

「こんなの要らない! 自分で体をつくるのが楽しいのに、勝手な事しないでよ!!」

 

 眉間にシワをつくり、目を見開いて、紫乃は怒りにかられた声をあげた。彼女のそんな剣幕を、舞は初めて見た。

 

「こんなお手軽にポンッって筋肉をもらっても嬉しくないよ! 何も聞かずに勘違いしないで!!」

 

「…………」

 

 その態度は原賀も予想外だったのか、ピクリと眉を動かし、静止した。睨んでくる紫乃を、不安げにジッと見つめ返す。

 しかしすぐにニヤつきを取り戻し、こんな事を言い出した。

 

「……そっか、その腹筋じゃ気に入らなかったかな。とりあえず見せてよ。また調整してあげるから」

 

「なっ……」

 

 舞も紫乃も言葉を失った。コイツに話は通じないと感じた。しかし、逆に原賀は悠々と二人に近づいてくる。

 助けてほしい。舞は内心でそう思った。この他人の体を勝手に弄る男から、せめて紫乃だけでも救ってほしかった。

 

「俺の妹とその友達に、何をしている」

 

「……あ!」

 

 その時、入り口の方から低い男の声が聞こえた。その声が誰なのか、彼らは知っている。

 舞と紫乃は希望を見いだす目で、そして原賀は忌々しげな目でその声の主を見た。狭い屋上のドアを、前屈みになってゆっくりくぐる男。その男の名を、舞と紫乃が叫んだ。

 

「お兄ちゃん!」

 

「日出先輩!」

 

「……っち」

 

 座り込んでいる舞と紫乃を一瞥して、彼――日出 拳次郎は原賀を見据えた。

 

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