性飢末《セイキマツ》の覇者 ~暴走する性癖を食い止めろ!~   作:ごぼう大臣

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天然の百合と人工的な百合は、どちらも人がつくるものである

「へえ~、ここが学食?」

 

「そ。みんなここだけは汚さないんだ」

 

 ある日の昼休み。舞は紫乃の案内ではじめての学内食堂に来ていた。それなりに賑わっているようで、食事に夢中になったり、トレーに乗せた料理を運んだりする生徒らがそこら中にいる。

 食堂の様子はと言えば、床は灰色タイル、天井は白塗り、地味な長机と丸椅子が並べられているという、お世辞にも華やかとはいえない風景である。天井の電灯もどことなく薄暗い。

 しかしみんな汚さないというだけあって、内装、備品の破損や落書きのたぐいは見当たらなかった。

 

「舞ちゃんこっちこっち。先に食券買わないと」

 

「あ、はーい」

 

 紫乃に言われ、舞は白いボックス型の券売機へと急ぐ。定食、麺類、軽食と色分けされたボタンに、さまざまなメニューが書かれている。

 

「私こういうの悩んじゃうんだよね~。紫乃は何食べんの?」

 

「ん、私はもう決まってる」

 

 そう答えた紫乃が、定食の中のボタンを一つ押す。出てきた券には、"鶏ささみの照り焼き定食"と書かれていた。

 

「そんなのもあるんだ」

 

「これお気に入りなんだ。脂っこいのだと太っちゃうし」

 

「ふーん……」

 

 何やら感慨深げにうなずいて、舞は券売機に目を戻す。カツ丼のボタンを押そうとしていた指をスッと動かし、月見そばへスライドする。大盛りにするオプションもあったが、見ないようにした。

 それからカウンターに食券を渡し、待つこと数分。二人はトレーに乗せた料理をワクワクした目で見ながら席をめざしていた。

 

「ふぅー、お腹すいた……。座るまでが待ち遠しいよね、こういうの」

 

「匂いが間近にあるとね~」

 

 取りとめもない話をしながら、食堂を行き交う人々のすき間をぬっていく。その時、紫乃の背後を、不自然にかすめるようにして一人の男子が通りすぎた。

 

「ひあっ」

 

「?」

 

 紫乃が妙な悲鳴をあげ、前を歩いていた舞が振り返る。紫乃は目をパチクリさせながら何度も周りを見回していた。

 

「紫乃、どうかしたの?」

 

「……今急に、体がちくって……」

 

「どこかケガ? 大丈夫?」

 

「……うぅん、大丈夫。早く行こっ」

 

 紫乃は笑顔をつくってうながす。舞も大して気に留めず、机にトレーを置いて並んで座る。

 

「いただきまーす」

 

「いただきます」

 

 そろって手を合わせ、料理に手をつける。舞は月見そばの麺を一口すすり、噛んで飲み込んでから、わずかに眉根をよせた。

 

「おいしい?」

 

「わっ」

 

 だしぬけに、紫乃が振り向いてたずねた。"まずくはない"と言いかけた口をあわてて閉じて、舞は笑みをつくって答える。

 

「う、うん。結構いいわ、この食堂」

 

「よかったー。喜んでもらえてうれしいよ」

 

 紫乃はニコニコと音さえ聞こえてきそうなほどに微笑み、そう言った。転校初日に『味はイマイチ』と言われた気がするのだが、舞はわざわざ口にはしなかった。

 しかしそれにしても、目の前の紫乃の笑顔はつられて笑ってしまうのを通り越して、笑えという押し付けがましさすら感じてしまうような、まさに喜色満面だった。

 

 舞は愛想笑いをして食事にもどった。卵の黄身を割らないようにしながら、慎重に麺をすくって食べる。固まりかけの白身を、そっと麺にからませるのを忘れない。

 そんな事をして顔をほころばせていると、隣でクスリと笑う紫乃と目が合った。

 食べ方のこだわりを見られたのか、と舞は思わず顔を上げる。すると案の定、紫乃は微笑ましげな顔をあわててそむけた。

 

「舞ちゃん、食べ方とかこだわる方?」

 

「んー、まあ、ね」

 

「あはは、なんか面白ーい」

 

(うー……なんか恥ず)

 

 無邪気に笑う紫乃を見て、舞は照れ臭そうにうつむいた。決して嘲笑しているのではないのだ。しかし、親しい相手が自分の事で楽しげに笑うというのは、モノによってはどうにも気恥ずかしい。

 それに、言っては何だが他人の細かい所作を見てからかったりするというのは、紫乃には珍しかった。舞の知る限り、筋肉について話す以外はたいてい控えめだったり引っ込み思案だったりしたものだ。

 なんだか調子が狂う。そう思っていると、舞はふと紫乃が食べているささみの照り焼きに目が行った。照れていたせいか、とっさに別の話題を振る。

 

「紫乃の方は? やっぱり味も気に入ってるの?」

 

「あ、気になる?」

 

「まあね(実はそうでもないんだけど……)」

 

「じゃあ、ちょっと食べてみる?」

 

「へ」

 

 舞はちらとまごついた。紫乃の言った言葉にではなく、同時に起こした行動にだ。

 

「はい、あーん」

 

「わ、えっ!?」

 

 紫乃は何を思ったか、ささみを一切れ箸で持ち上げ、舞に食べさせようとしてきた。突然の事に舞はあわてたが、紫乃はその箸を下ろそうとしない。

 

「な……何かの冗談?」

 

「何が? ほら、遠慮なく食べてよ」

 

「いや……遠慮なくっつったって」

 

 生返事をする舞の顔は、うっすらと赤らんでいた。視線をぐるぐると泳がせ、食堂内の生徒をうかがう。

 なんせ、彼女らはもう高一なのだ。人がたくさんいる場所でこんな事をされるのはどうにも恥ずかしい。

 

「……えいっ」

 

 その状況が続くのに耐えられず、舞は思い切って差し出されたささみを口にする。すばやく咀嚼して飲みこみ、つむっていた目を開けると、愛でるように目を細めている紫乃と視線がぶつかった。

 

「どう? いけるでしょ?」

 

「あー……うん、おいしい」

 

「もう、そっけないんだからー」

 

「あはは……」

 

 拍子抜けしたように笑う紫乃。それを見て、今のが冗談ではないのだと、舞は悟った。

 表向きは笑ってみせたが、舞は内心おだやかではなかった。紫乃の様子がいつもと違うと、いよいよ確信したのだ。

 

 ぐるんと勢いつけて月見そばに向き直ると、舞は人が変わったような勢いでそばをすすり始めた。それこそ周りの生徒が振り向きそうなほど音を立てて。それを見て、紫乃があわてだす。

 

「ま、舞ちゃん! 黄身つぶれてるよ!?」

 

「今日はつぶしたい気分なの」

 

 早口にそう言ってあっさりと麺をたいらげ、黄色く濁ったつゆを浮いている薬味と一緒に一口すすり、舞は丼を置いた。

 

「ふぅー……ごちそうさま」

 

「…………」

 

 その間、わずか十秒未満。その早業に圧倒されたのか、変わった雰囲気を見せていた紫乃もポカンと口を開けている。

 そんな彼女に、舞は落ち着きはらって言った。

 

「紫乃。悪いんだけど、昼休みの間にちょっと付き合ってくれない?」

 

「え……いいけど。どこに?」

 

「秘密。時間は取らせないからさ。ね、いいでしょ?」

 

「……分かった。一緒にね」

 

「うん。そうそう」

 

 紫乃は案外すんなりと、それも少しうれしそうにうなずいた。そして自分の分の食事を、彼女なりに急いで食べはじめる。

 そんな様子を横から眺め、舞はこれから出向く――もとい、会いにいく人物を思い浮かべた。

 そう、彼女の兄、拳次郎である。もしかしたら今回も性闘拳がらみではないかと、舞は見当をつけていたのだ。もしかしたら食堂に犯人がいるかもしれないと、さりげなく視線をめぐらせる。

 

 しかし、その時ちょうど、食堂から逃げるように立ち去る一人の男子生徒の姿があったには、気づかなかった。

 

――

 

「ねー、まだ着かないのー?」

 

「んー……もうちょっと待って。あと、歩きにくいから少し離れてよ」

 

「えぇー、いいじゃん。減るものじゃないし」

 

 数分後、舞たちは食堂を離れ、二年生のクラスを目指していた。舞の隣では上機嫌の紫乃がぴったりとくっついている。

 くっついているとはいっても、それはやや目を引くものに見えた。というのも、今の二人は隣どうしで腕を組み、かなり密着に近い状態なのだ。つい先ほど腕をからませてきた紫乃が、一人だけ足音を弾ませる。

 

「紫乃」

 

「なにー?」

 

「楽しい?」

 

「うん、とっても!」

 

「……そう」

 

 間近で無邪気に答える紫乃へ、舞は苦笑いする。仲睦まじい様子の二人へ、二年生の何人かが生暖かな視線を向けてきた。

 舞は歩きながら眉をひそめた。食堂を出た時も紫乃は似たような調子だったが、それでも手をつなぐ程度だったのだ。いや別に、腕を組むの自体は舞も別にかまわなかったのだが、問題は紫乃の変化、それも加速度的な親密化である。

 手つなぎ、腕組み……この急な距離の詰め方には何かある。舞は念のため、紫乃にこう打ち明けてみた。

 

「ね、紫乃。じゃあ行き先だけ教えてあげよっか」

 

「うん、教えて! 知りたい!」

 

「実はね、ちょっとお兄ちゃんに用があるのよ」

 

 ちょっとした探りだった。紫乃は先日から舞の兄、拳次郎に対して好意めいたものを見せていたのだ。

 拳次郎に会いにいくと言って、どんな反応を見せるか……。

 

「ふーん、そうなんだ」

 

「あ、あれ? 反応うすくない?」

 

「うーん……用事は気になるけど、日出先輩は別に……」

 

「でもアンタ、お兄ちゃんの筋肉とか気に入ってそうかと思ったけど」

 

「筋肉は筋肉。友達は友達だし。んで、友達の方が大事!」

 

「……そっか」

 

 紫乃は明るく答え、もはや寄りかかるような勢いで体をくっつけてくる。顔を接近させると紫乃のメガネがぶつかりそうになり、舞は遠慮がちにのけぞる。

 やはり変だ。紫乃はここまであからさまに友人しか目に入らないタイプだっただろうか。単に拳次郎への気持ちが冷めた可能性もあるが、とにかく舞は焦りを感じはじめた。

 と、その時。

 

「おや、君たち……」

 

「あ、先生!」

 

 二人の前に、一人の見知った男性があらわれた。舞たちのクラスの担任である。

 舞が最初に会った教師であり、気の弱い彼は密着して並んでいる二人の姿を見て、遠慮がちにたずねた。

 

「……どうしたんです?」

 

「これは……そのっ訳があって」

 

 舞は担任にいきさつを言いかけたが、紫乃の眼前で煙たがるように見られる行為もしたくなく、担任を手招きしてこっそり耳打ちした。

 

「……阿部さんがなれなれしい?」

 

「そうなのよ……嫌じゃないけど、人が変わったみたいになって」

 

 担任はけげんな顔をしながら隣の紫乃を見つめる。事情を知らない紫乃はのんきな表情で小首をかしげている。

 担任はしばし目を閉じ、今度は舞と紫乃を少し離れて見つめる。少女二人が、片方は好きでたまらないという風に、もう一人はどうにも困ったという風に、それでも別れずに身を寄せあっている。

 そんな状況を見ながら、担任はあろう事かふにゃりと頬をゆるませた。

 

「……別にいいんじゃないですか? 仲がよろしくて結構じゃないですか」

 

「なっ!?」

 

「いやぁ先生はうれしいですよ。JKのキャッキャウフフ……じゃない、仲のいい生徒が見られて満足ですへへへ」

 

 最後にだらしない笑いが漏れたのを、舞は見逃さなかった。それは彼女が転校して以来に一番の笑みだったが、みじんも喜ぶ気にはなれなかった。

 胸中に嫌悪と怒りが湧きはじめるのを抑え、舞は担任に助けを求めた。

 

「笑ってないで助けなさいよ! 自分のクラスの生徒が困ってるのに、何とも思わないの!?」

 

「え、いや別に助けないとは……」

 

「いの一番にヘラヘラ笑いしたでしょうが! 紫乃が今、げんに様子が変なの! もしかしたら取り返しがつかなくなるかもしれないのよ!?」

 

 真剣な顔で迫る舞が意外だったのか、担任はろくに口も開かずに固まった。そんな彼に向けて、舞は勢いが止まらずに激しい口調で担任を言い刺した。

 

「私もこの子も、心があって生身で接してる人間なの! アンタの趣味は知らないけどマンガじゃあるまいし、変な理想像を押しつけないでっ!!」

 

「…………」

 

 周囲の者たちが振り向き、背後で紫乃が戸惑うのもかまわず、舞は最後まで大声で言った。担任もさすがに気圧されたのか、気まずそうに視線をそらし、押し黙っている。

 そして数秒たって、彼はポツンと言った。

 

「私には、どうしようもない」

 

「!?」

 

 絶句する舞をよそに、担任はくるりと背を向けてその場からそそくさと走り去った。その背中が遠くなった頃、我にかえった舞がまた声を張り上げる。

 

「こらあーーっ!! 結局なにもしないんかい! もうちょいマシな言い方あるでしょーーっ!?」

 

 しかしその抗議もむなしく、担任は廊下の角に消えていってしまった。舞が呆然としていると、ふと紫乃が先ほどから何も言わないのに気づき、振り向いた。

 そして、ハッとして目を見開く。紫乃は肩を落とし、ばつが悪そうに伏し目がちになっていた。

 

「舞ちゃん、私……何か迷惑かけちゃったかな……」

 

「や、違うんだって。しょげないでよもう」

 

「……ごめん、私つい……」

 

 様子が変だと大声で言われたのを気にしているのだろう。落ち込みそうになる紫乃を、舞はどうにかなだめようとする。

 目の前でみるみる眉を垂れ下げていくのを見かね、とっさに頭をなでてやった。まるで幼子にするようなしぐさだったが、さいわい紫乃の表情は落ち着いていく。

 

「ふぅ……」

 

 安堵したように息をこぼす。若干自分より背の高い紫乃の頭を、舞はナデナデと、ヘアスタイルを気にしながらなでてやった。

 そうしていると、背後から足音が聞こえてくる。振り向くと、舞たちをはるか上から見下ろす男子生徒がいた。もともと彼女らが探していた、拳次郎である。

 

「舞、呼んだか」

 

「……え、お兄ちゃん? なんでいるの?」

 

上原(うわばら)先生が言っていたぞ。お前たちが困っていると」

 

「上原って……誰?」

 

「お前たちの担任だろう。忘れたのか?」

 

「……ああ!」

 

 舞はおおげさに声をあげた。先ほど逃げたかと思った担任教師。実は彼が拳次郎を呼んできてくれたのだ。

 舞はさっそく事情を話そうと近づこうとする。しかしそんな彼女を紫乃が引き留めた。

 

「ねえ舞ちゃん、結局用って何だったの?」

 

「ああいや、それは……」

 

「もしかして、言えないような話……?」

 

 舞は打ち明けようとしたが、つい口ごもってしまった。さっき"様子が変"と言って落ち込ませたばかりなのだ。できれば紫乃をいったん抜きにして話したいところである。

 しかし、そんな思惑に反し、紫乃は不安げな目をして身を寄せてくる。その姿は甘える妹か何かのようであった。

 舞が困り顔で紫乃をなだめていると、それを静かに見つめる拳次郎と目が合った。舞がつい視線で助けを求めると、それだけで拳次郎は全て理解したような顔でうなずいた。

 

「……二人とも、少し離れていろ」

 

「う、うん」

 

「日出先輩……?」

 

 戸惑いながらも後ずさる二人。それを確認すると、拳次郎は右手で固く拳をにぎる。

 そして、頭上にある天井へ見もせずに拳を突き上げ、一発でぶち抜いた。

 

「うわっ!?」

 

「きゃああっ!!」

 

 突然の事に、舞と紫乃は悲鳴をあげる。天井にはヒビが入りあっという間にガラガラと崩れ、三階の廊下の天井が露になった。

 同時に、一人の男子生徒がまっさかさまに落ちてきた。小柄で黒髪の、あどけなさがかすかに残る少年である。

 

「う、うぅ……」

 

 少年は拳次郎の目の前で、ホコリだらけでうずくまっていた。そんな彼へ、三階から声が降ってくる。

 

(もも)ー、コンタクト見つかったかー?」

 

「もう昼休み終わるし、俺ら帰りたいんだがー」

 

 モモと言われた少年はしばし驚いた顔で拳次郎たちを見回していたが、やがて上の方を見上げて叫んだ。

 

「ごめーん! あと自分で探すわ! 悪いなー!!」

 

 すると、上にいる者の足音がゾロゾロと小さくなっていった。それが完全に聞こえなくなると、モモはまた拳次郎に向き直る。そして怯えた口調で言った。

 

「……なんで、俺がいる事を」

 

「話では聞いた覚えがある。他人の愛情、果ては愛欲を操作する拳……その名も愛滅芽(オメガ)神拳」

 

「…………!」

 

「必ず、見やすい場所からのぞいている使い手がいると踏んだ。……お前のように上階の床などからな」

 

 拳次郎の言葉に、モモはびくりと体を震わせた。舞はいまだ事態が呑みこみきれずにいたが、隣の紫乃が口を開く。

 

百合(ももかつ)くん……?」

 

「は、誰?」

 

百合(ももかつ) 好人(よしと)くんだよ。同じクラスの」

 

 紫乃の声にモモあらため百合は振り向き、こくんとうなずく。するとすかさず舞が詰め寄った。

 

「アンタか……! 私の大事な友達に、変な事したのは!」

 

 しかし、怒る彼女に対して、百合は謝るどころか、ニヤケ面になってゾクゾクと身を震わせた。

 

「そうだよ。大事な友達……! いいねぇ、いい響きだぁ……!」

 

「おい」

 

「ふふん、君ら二人には前から目をつけてたんだよね。クラスで仲よくしてる姿を見るたびに、こう、心が……フワフワって……」

 

 夢見ごこちで話す百合を、舞も拳次郎も、技にかけられたらしい紫乃さえ気味悪がっていた。やがて拳次郎はため息をつき、処置なしといった表情でつぶやいた。

 

「……お前は後だ。まずは阿部さんを元に戻して……」

 

「ええっ!? それは待ってくれよ。俺が今まで夢見た最高の関係なんだよカンベンしてよ……」

 

「お前の理想なぞ知らん。他人にはれっきとした意志があるんだぞ」

 

 一転してすがりつく百合を一蹴し、拳次郎は紫乃の前にかがむ。そして優しく語りかけた。

 

「大丈夫だ。すぐに済む。気を楽にして」

 

「先輩、私……どうなっちゃったんですか?」

 

「心配いらないさ。元に戻るだけだ」

 

 百合を無視し、さっさと話を進める拳次郎たち。その姿を見て、百合は不満げにのっそりと立ち上がった。そして拳次郎のがら空きになった広い背中を睨む。

 

「そう、力を抜いて……舞、押さえてやって……」

 

「うおおおぉっ!!」

 

「っお兄ちゃん!」

 

 紫乃に注目していた拳次郎へ、背後から百合が猛然と飛びかかる。気づいた舞が叫んだが、遅かった。

 

愛滅芽神拳奥義・肉親愛妹拳(にくしんあいまいけん)!!

 

 拳次郎の背にドスドスと、百合の指が突き刺さる。七ヶ所ほど刺した後、百合は荒い息を吐きながらやけくそに勝ち誇った。

 

「はは……勝った! 拳次郎! お前はもうじき妹しか目に入らなくなる!! 妹だけが好きで好きでたまらなくなるんだ!!」

 

「いぃっ!?」

 

 拳次郎より早く、舞が顔を青くしてうめいた。そしてすがるように紫乃に抱きつき、すばやく後ずさる。

 

「ま、舞ちゃん……?」

 

「ダメ、ダメダメ。お兄ちゃんとそんな関係はちょっと、嫌ってレベルじゃない」

 

 先ほど兄に頼った気持ちはどこへやら。彼女は顔をひきつらせ、後ろ歩きでどこまでも兄から距離を取っていく。

 少し遅れて拳次郎が立ち上がった。妹が離れていったショックからか動きに覇気がない。

 さぁ泣きながら追いすがっていくぞ、と百合がほくそ笑んでいると。

 

 不意に拳次郎がすばやく振り向いた。その顔は一点の迷いもなく、百合をまっすく見下ろしている。

 百合は冷や汗をかき、かすれた声を出した。

 

「あ、あれ? どうして……」

 

「俺の妹愛は元から不滅だ。それがどうした」

 

「なぁっ!?」

 

 当てが外れた百合は悲鳴をあげてへたり込んだ。そんな彼の襟首をつかみ、拳次郎はどこかへ引きずっていく。

 百合はどうにか逃れようと、醜い言い訳を並べた。

 

「ま、待って! 愛って素晴らしいじゃないですか!? 誰でも愛し合える夢の拳なんです俺のは! ねぇちょっと、愛しても誰も傷つかないでしょう!?」

 

「そうか、なら俺もお前を愛してやろう」

 

「はぁ!? そりゃ嫌――」

 

「懐かしいな、小さい頃はよく舞とお仕置きされたものだ」

 

 もがく百合を引きずり、拳次郎はどこかの空き教室に消えていった。舞は紫乃と一緒のまま、それをボンヤリ眺めていた。

 と、そこで、結局紫乃の技を解いていない事に気づいた。舞があわてて拳次郎を呼び戻そうとすると、隣の紫乃と目が合った。

 舞の袖を不安げにつかみ、目にうっすらと涙をうかべている。それを見て、舞は彼女に向き直った。

 

「……紫乃」

 

「舞ちゃん……私、おかしくなってたのかな……。なんだか、自分じゃよく分かんない……」

 

「あー……」

 

 舞はすぐには答えられなかった。知らないうちに洗脳されていたようなものなのだ。ショックを受けるなという方が無理だろう。

 押し黙る舞へ、紫乃はか細い声で話した。

 

「嫌われてもしょうがないかもしれない……。ごめんね、イヤだった……?」

 

「…………」

 

 うつむく紫乃を見る、舞の胸が痛んだ。確かにベタベタとくっつかれるのは困ったが、決して嫌いではないのだ。だいたい、悪いのはあの百合ではないか。

 

「――きゃっ!?」

 

 舞は意を決して、紫乃をがばりと抱きしめた。細かい距離感はこのさい気にしない。とにかく安心してもらわねばならないのだ。

 

「舞ちゃん?」

 

「紫乃。……アンタはちょっと熱に浮かされてただけだよ。大丈夫。嫌いになったりしないから」

 

「…………」

 

「どうなったって、大好きな親友。誓って言う。ね?」

 

 思い切り抱きすくめながら、静かに耳もとで語りかける。紫乃の表情は見えない。今はただ、相手を離さないようにする。

 そうしてハグをして、何秒たっただろうか。されるがままだった紫乃が、小さくつぶやいた。

 

「あの……舞ちゃん」

 

「…………」

 

「何か……あったの?」

 

「……え?」

 

 無心の質問に、舞は思わず体を離す。すると、紫乃はキョトンとしながら、顔を真っ赤にしていた。

 

「……気がついたら、なぜか、ぎゅーってされてて」

 

「へ、いや。アンタがさっきまでしょげ返ってて……」

 

「?? ……よく分かんない。うんと、ハグするのが嫌って訳じゃないんだけど、記憶があいまいで」

 

 あたふたと話す紫乃と、舞は互いに戸惑いながら見つめ合っていたが、ふと、舞の頭にある心当たりが浮かんだ。

 

「愛滅芽神拳の効果が……切れた?」

 

「おめが……?」

 

 聞いた紫乃が困ったように小首をかしげる。しばらくして舞の顔が紫乃と代わりばんこかのように、みるみる真っ赤になった。顔を両手でおおい、首を横に何度も振って舞はつぶやく。

 

「あ、あぁ~そうか。あの時ちょうど……恥っず。うわメッチャ恥っず……!」

 

「な、なになに? どういう事?」

 

「聞かないで! 忘れて! ……いや覚えてないのか。とにかく忘れてっ!!」

 

「え、えー? 気になるよ~!」

 

 わき目もふらずに逃げ出した舞を、紫乃は何も分からないまま追いかける。そんな二人の上に、昼休みの終わりをつげるチャイムが鳴っていた。

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