私の同居人はエイリアンだ。
といってもタコのような怪物ではない。見た目で言えば並大抵の地球人よりもよほど美しい。
しかし彼女の精神は間違いなく私たちと違うものだ。地球人の中でも特にひねくれ者で、一般的という言葉からほど遠いと自負している私ですらそう思う。
ちょうど私の書くSF小説に出てくる異星人のように、理解の及ばない存在だと。
表向きは世界中で人気を博するアーティストだが、その正体は惑星ARIAからやってきた精霊――だとか、なんとか。
これはそんな宇宙人
*
ある朝、目を覚ましてリビングに向かうと、昨夜と比べて二つの変化があった。
一つは世界的なアーティストがソファで突っ伏して寝ていること。こちらはいつも通りだ。
もう一つはテーブルの上に見慣れない花が置かれていたことだ。
色とりどりの花――小ぶりなヒマワリを中心に、結構豪華なボリュームの花束だ。おそらくはIAが持ち帰って来たのだろう。
「IA、起きてください」
「ううーん……」
IAが寝返りをうち、べしゃりと床に落ちる。ソファで寝ていればそうなるのは当然だ。だが彼女はあれこれ理由をつけてベッドを持とうとせず、リビングのソファで寝ることを好む。おそらくは宇宙人の習性か何かだろうと私は勝手に思っている。
「おはよう、ゆかり……」
「はい、おはようございます。この花はどうしたんですか?」
「ああ、その花? 昨日ウィーンでライブがあったから、そこでもらった」
「なるほど」
うつぶせの状態では量の多い髪で隠れて見えなかったが、なるほど彼女はシックなステージ衣装に身を包んでいる。おそらくはいつもどおりウィーンから『直接』この部屋に帰って来たのだろう。
マンションの一室に似つかわしくない衣装のまま冷蔵庫を漁り、冷えたロールパンを口に詰め込んでいるIAの背中に私は言う。
「この花、どうするんですか? いつも通り事務所に持っていきますか?」
「んー、いや。今回は部屋に飾ろうと思って持って帰って来たんだ」
「ここに?」
そう。こういった出かけ先での贈答品は、いつもは彼女の音楽事務所に置いておくことになっている。何せ彼女はこのマンションに自分の部屋を持っていないからだ。何のために2LDKの物件を折半して借りているのかわかったものではない。
コップに注いだ牛乳を――厳しく言い聞かせてパックから飲むことはなくなった――飲み干したIAが私に聞いてくる。
「花瓶とかある? 物置を探しても見つからなくって、寝ちゃったよ」
「ああ、花瓶ですか」
彼女が物置と称する、私の寝室ではない方の洋間を思い浮かべる。普通の家ならば花瓶の一つや二つありそうなものだが、私はこう断言した。
「無いですね。花瓶は無いです」
「んー? 無いの?」
「ええ」
「ふうん……」
IAの視線が理由を尋ねてくるが、私は目を逸らして時計を見た。
「まあ、空いたペットボトルにでも挿しておいてくださいよ。帰りに適当な花瓶を買ってきますから」
「分かった」
会話はひとまずそこで終わった。寝足りないのか、再びうつぶせでソファに倒れこむIAをよそに、私は手早く朝の支度を済ませていく。
私の名前は結月ゆかり。またの名をSF作家
昼間は会社に勤める兼業作家である。
*
専業でやっていきませんか、という話を何度か貰ったこともある。ありがたいことだ。
しかし私は専業作家である自分をイメージできなかった。私が小説を書く原動力は自分の中に完結した世界ではなく、自分の外に広がる世界の不完全さであると思うからだ。
などというと崇高に聞こえるが、なんということはない。世間から切り離される不安に勝てなかったというだけのことだ。
だから私は今日もつまらない仕事を淡々とこなし、ストレスをためて帰宅する。今日こそ仕事を辞めてやろうと思いつつ、じゃあ小説だけでやっていけるのかと自問すれば答えは決まっている。
「ただいま……」
「おかえりー」
定位置のソファで煎餅をかじる宇宙人が私を出迎えた。今日は仕事が無いらしい。
「ゆかり、花瓶は?」
「……あー、忘れました」
「そっか」
IAはそういうと、瞼を閉じた。
何をしているのかと見守っていると、いつの間にか彼女の足元に大きな紙袋が現れていた。彼女の音楽事務所の最寄り駅にあるデパートのものだ。中には何やら新聞紙に包まれた塊が鎮座している。
まさか、と思う暇もない。IAはそれを包んでいる新聞紙をびりびりと破き、ガラス製の花瓶を
「……あの、この花瓶は」
「私が今日のお昼に買って来たんだよ」
そういうことになったらしい。頭が痛いので、小説のネタとして片隅に置いてから考えるのをやめた。
ペットボトルで作られた即席のものから、立派な花瓶へと花が移される。挿しているものが違うだけで、心なしか品があるように見えるから不思議だ。
「で、ゆかりはどうして花瓶を持ってないの」
「ああ、それですか」
ノンカフェインのコーヒーを入れ、ちびちびと飲みながら質問に答える。
「前はちょくちょく花を買って飾ってたんですけれどね、悲しくなっちゃって」
「悲しい?」
「ええ。だって、枯れたら捨てなきゃいけないでしょう」
後に残るのは空っぽの花瓶だ。そのあとを埋めるように花を買っても、やがて季節が変わってしまう。
「だから、花瓶そのものを手放してしまったんですよ」
「ふうん……そういう考えもあるんだね」
花瓶の花を指先で弄びながらIAが感心したように言う。
「じゃあ、この花は枯れないようにしようか」
「……は、い?」
こともなげに言うものだから、どう返事をしたものか分からなくなってしまった。
「忘れたの? 私は惑星ARIAの精霊、その中でも七色の魂を持つ特別な存在。私の生命をほんのちょっと分けるだけで、この花は永遠に枯れなくなる」
「それは……」
「どうしようか」
頭が痛くなるような質問。私の常識を簡単にぶち壊す、あまりに呆気ないセンス・オブ・ワンダー。これが私とIAの日常的な光景であり、私に課せられた試練でもあった。
だからこそ私は、飄々と答えなければいけない。
「精霊とやらも、案外大したことないんですね」
「……ふうん?」
「プリザーブドフラワーっていうものがあるんですよ。ちょっと手間はかかりますが、花を瑞々しい形で保っておけるんです」
原理を説明すると、IAは興ざめとでも言いたげな視線を私に向けた。
「でもそれって、要は花を殺して薬品で保存しておくってことでしょう」
「まあ、そうなりますね」
「私のやり方と、どっちが残酷かな」
「それは勿論、IAのやり方の方でしょう」
「……へえ、きっぱり言うね」
「だってそうでしょう」
私はヒマワリをそっと撫でながら言う。
「一緒に咲いた花が枯れても、あなたの命を分けられた花だけは普通に生きているんです。夏が終わって秋が過ぎて、冬になっても」
IAはなおも何かを言い返したそうに口を開いたが、結局はため息をついた。そして花を指して言う。
「じゃあゆかりはこの花をどうするの?」
「さっきはああ言いましたが、枯れるに任せておきたいですね。それで枯れたら――花瓶がもったいないですし、造花でも挿しておきましょうか」
「そう」
「世話はどっちがします?」
「二人でしようか。どっちにしろ、リビングに置くんだから」
幸い、この話はこれで終わった。
また私たちはありふれた日常に戻った。私は会社に行きつつ小説を書き、IAは世界中を飛び回っては我が家のソファで寝転がる。
そんな風にして一月が経った頃、リビングの花は一目でわかるほど色あせてしおれかけていた。
もう明日にはIAに一声かけて捨ててしまおうか――。そんな風に思いながら会社に出かけ、帰ってくるとリビングに二つの変化が表れていた。
一つは世界的なアーティストがソファで突っ伏して寝ていること。こちらはいつも通りだ。
もう一つはテーブルの上の花が色鮮やかさを取り戻していたことだ。
まさか、と思う。だがその花の姿は一月前に見たそれと寸分違わぬものだった。
ソファで寝るIAに気取られないように、そっとヒマワリの花びらに手を伸ばす。思わず息を止めながら、そっと指でつまむ。
「……はあ――」
柔らかな合成繊維の感触が伝わった。どうやってか、あの花にそっくりな造花を調達してきたらしい。
私はIAの体をゆする。
「ほら、起きてください。夕飯はどうしますか」
「んー……カレーがいい……」
「カレー? この間ジャガイモ使っちゃったばかりなんですけど……。そう言うことは事前に連絡入れておいてくださいよ。また買い物に行かなくちゃいけないじゃないですか」
「んー、じゃあ今ジャガイモ買ってきたことにするから」
「それはもういいです」
寝ぼけ眼の宇宙人を起こし、彼女が顔を洗っている間に食材のストックを確かめた。カレーの材料以外にも買い足しておいた方がいいものがちらほらとある。荷物持ちに世界的なアーティストの彼女を駆りだすのに気が引けたのは最初の話。今ではだらしない彼女の背中をぐいぐいと玄関に押していくこともできる。
さあ、近所のスーパーに出かけよう。
造花で彩りを添えた食卓でカレーライスを食べるために。