嘘つき作家と宇宙人   作:喜来ミント

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Episode 6 子犬のワルツ

 

 私の同居人はエイリアンだ。

 といっても、「ワレワレハウチュウジンダ」などと抑揚のない声でしゃべるわけではない。透き通った美しい声は、歌えば凛々しく語れば愛らしい。

 しかし彼女は間違いなく私たちとは次元が違う存在だ。その気になれば言葉など使わず、直接こちらの心だとか魂だとかを読み、メッセージを伝えてくる。

 ちょうど私の書くSF小説に出てくる異星人のように、私の固定観念など簡単にひっくり返してしまう。

 表向きは世界中で人気を博するアーティストだが、その正体は惑星ARIAからやってきた精霊――だとか、なんとか。

 これはそんな宇宙人IA(イア)と、兼業作家の紫月ユイこと結月ゆかりの日常である。

 

  *

 

「……駄目だ。展開が硬い」

 土曜の午後。早めに昼食を済ませて時間を作ったのに、筆の進みは悪かった。

 キッチンへ行き、ゆっくりとコーヒーを淹れたのはつい先程。普段はそうやって気分を切り替えれば少しは書けるのだが、今日はこれでも駄目らしい。面倒だが、場所を変えるしかないだろう。

「仕方ない」

 書きかけの原稿を一度保存し、ノートパソコンが入っている外出用の鞄を手に取った。原稿をオンライン上に保存しておけば、出かけた先でも執筆ができる。便利なものだ。

「おや」

 リビングに行くと、IAが定位置のソファで本を読んでいた。それだけでも珍しいのに、更にその本が私の書いた小説なのだから驚きだ。

 IAが本から顔を上げる。

「出かけるの?」

「ええ、ちょっと気分転換に。それ、買ったんですか?」

 私の一冊目の短編集だ。

「ううん、ONEにもらった」

「ONEちゃんですか?」

 記憶が正しければ、雲隠れしていたはずだが。

「さっき来てね、これをくれた。私も読んだ方が良いって」

「……声をかけてくださいよ」

「集中してたでしょ。邪魔しちゃ悪いかなって」

 IAは見えない壁を撫でるかのようなジェスチャーをした。

 確かに先程の私はそんな心境だった。彼女にかかれば、同じ部屋にいなくても感じ取れるらしい。

「ONEは、ゆかりのことを色々調べてるみたい」

「その一環で私の本を? ちょっとズレてる気もしますが」

「そうかな」

 IAは本を持ち上げ、私と見比べるようにした。

「手書きじゃないからちょっと薄いけど……うん、同じ色をしてるよ」

「そういうものですか」

 その本を書き上げるために、私が少なくない時間と気力を使ったのは事実だ。ならば、私を映す鏡としては十分なのだろう。

 いつの間にか険しい顔になっていたらしい。IAがおずおずと聞いてくる。

「もしかして、読んでほしくない?」

「いいえ。むしろ……二冊目の方はもらったんですか?」

「ううん」

「なら、ちょっと待っていてください」

 私は部屋に引き返すと、出版社から届いた見本の一冊を手に取った。弟や友人には配ったが、まだ三冊ほど残っている。

 リビングに引き返し、IAに差し出す。

「どうぞ」

「ありがとう。でも、いいの?」

「勿論。……というより、あなたにはあげるべきでしたね。てっきり興味が無いかと思ってました」

「うん。最近までは、あんまり無かったよ」

 IAは本を受け取りながら言う。

「でも、今は読みたいと思ってる。ONEに勧められたのもあるけど、私自身も色々知りたくなった」

 以前、書きかけの小説をIAに読ませたことがある。その時は、単に文章の伝わりやすさを判断しただけ、という感じだった。

 IAにとっては、言葉は意思を伝える手段の一つでしかないのだろう。彼女は機械や動物が相手でも、音や光で思いを届けられるのだ。

 私の書く、頭の痛くなるようなSFはその逆だ。言葉で複雑な世界を書き、その中で読者に考えさせる。ストレートに意思を伝えるのがモットーのIAとは相性が悪いはずだ。だというのに。

「ゆかりが書いたもの以外も、読んでみようかな。長い文章はちょっと苦手だけど」

「ああ、それじゃあ……」

 私はまた部屋に戻ると、読みやすいと思うSFを二冊ほど選んでIAに渡した。

「これなんかはわかりやすいと思いますよ。もし合わなかったら、私の本棚から別のものを適当に借りても構いません」

「どれでも?」

「ええ」

「ありがとう。ゆかりは、やっぱり本が好きなんだね。本をおすすめする時、楽しそう」

「……それはまあ。それじゃあ、出かけてきますね」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 私は外に出ると、照れくささを振り払うために、晩秋の空気を大きく吸い込んだ。

 昼過ぎの日差しの角度が、季節の変化を告げていた。

 

  *

 

 さて、どこに行こうか。こういう時の候補はいくつかある。つづみさんと打ち合わせをするファミレスもその一つだ。

 今日は新しい場所を開拓する気分にはならないし、通い慣れた場所でいいだろう。付け加えれば、ドリンクバーよりも一杯のコーヒーをゆっくり飲みたい。となると……。

「おや?」

 行こうと思っていた喫茶店への道中。見慣れた姿を見つけた。道の端で、何やら携帯電話の画面とにらめっこしている。

 長く豊かな三つ編みと、やや大きめのキャスケット帽。あかりちゃんだ。

 何やら困った様子だ。声をかけるか一瞬迷う。なにせ、今日の私は小説家の紫月ユイなのだ。

 うん、やはりやめておこう。……そう思った瞬間、ばっちり目が合ってしまった。

「えっ、あ、ゆかりさん」

「ええ、はい、どうも」

 二人揃ってぎこちなく頭を下げる。見つかってしまったものは仕方ない。近づいて当たり障りのない話題を振る。

「お買い物ですか」

「あー、えっと、喫茶店に行こうかと思ってて」

 ここなんですけど、と言って携帯電話の画面を見せてくる。地図の目的地は、とある喫茶店を示していた。

「……ここですか」

「地図の通りに行ったはずなんですけど、違う名前で……」

「このお店の入り口は隣の通りですよ。この先にある喫茶店とは別です」

「知ってるんですか?」

「ええ、まあ。この辺の喫茶店は大体」

「おお……」

 何故か、あかりちゃんがきらきらとした眼差しでこっちを見てくる。

 どうしたものか。今日はこの先にある、あかりちゃんが間違えて行った方の喫茶店が目当てなのだが。

「……こっちですよ」

「案内してくれるんですか?」

「すぐそこなので」

 嘘ではない。あかりちゃんを連れて横道に入り、次の角まで進む。

「ここを左です」

 私は角を曲がらないまま、その先を指さした。あかりちゃんが不思議そうに覗き込む。 

「あっ、ありました。このお店です! ありがとうございます」

「……私はちょっと、別の用事があるので、ここまでで」

「えっ。それなのにありがとうございました!」

 あかりちゃんが大袈裟に頭を下げる。いつぞやと同じく、キャスケット帽が落ちた。思わず角から身を出して帽子を拾ってしまう。

 あかりちゃんに手渡すと、彼女は恥ずかしさからか顔を赤くして受け取った。

「あっ、またやっちゃった……。ごめんなさい」

「いえ。では……」

 私が立ち去ろうとしたその時、目の前の喫茶店のドアが勢いよく開いた。

「あ、やっぱりゆかりんだ! いらっしゃーい! そっちの子は友達?」

 やはり見つかってしまったようだ。こういう予感はよく当たる。

 輝く金髪に太陽のような笑顔、私とはまさしく正反対の存在。

 彼女の名前は弦巻マキ。私の悪友だ。そしてここは彼女の名を冠する喫茶店「マキ」である。

「え、あの、ゆかりさん?」

「こういう人なので。……まあ、お邪魔しましょうか」

 こうなっては仕方ない。私は呆然とするあかりちゃんを連れ、喫茶店に入った。

 

  *

 

「ちょっと待ってね、今コーヒー入れるから」

 私とあかりちゃんがカウンター席に座るやいなや、マキはそう言い放った。

「まだ頼んでませんよ」

「大丈夫、サービス!」

 あかりちゃんが目を丸くする。

「良いんですか? 他のお客さんに悪いような……」

「じゃあみんなにサービスしちゃうよ! 今はお客さん少ないし!」

 見れば、他には3人ほどがばらばらの席に座っているだけだ。そのうち、常連らしき老人にいたっては軽く手を振ってきた。慣れっこなのだろう。

「いやあ、ゆかりんが友達つれてくるなんてね。珍しい」

「そこなんですが」

 誤解は解いておこう。

「この子は会社の後輩で、たまたま店の前で会っただけなんですよ」

「そうなの? あ、私は弦巻マキ。ゆかりんとは大学が同じでね、今はこの喫茶店の副店長。店長はお父さんだよ」

「き、紲星あかりです。よろしくお願いします」

「うんうん、よろしくね」

 カウンター越しにがっちりと握手をしている。相変わらずの距離感だ。

「で、話を戻すと、ゆかりんは別のところに用事があったのかな?」

「ええ、まあ」

 別の喫茶店、とは少し言いにくい。

「ってことは、小説のネタ探し?」

「小説?」

 マキの発言に、あかりちゃんが疑問符を浮かべた。

 あかりちゃんのその反応を見て、マキは呆れた表情になる。

「え、もしかして……ゆかりん、何も話してないの?」

「別にいいでしょう」

「えー、話さない方が良い?」

「隠してるわけじゃないんですが……」

 なんとなく、会社の仕事とは分けておきたいというだけだ。上司には流石に知らせているが、そうと知らない人に自分からわざわざ話すほどでもない。

「……あの、さっきから何のお話ですか?」

 蚊帳の外になってしまったあかりちゃんが怪訝そうに呟く。

「……マキさん、私の本あります?」

「勿論あるよー」

 カウンターの後ろ、珈琲や紅茶の本がある棚からマキが一冊の短編集を取り出した。どうしてそんなところに。

「はい、どうぞ」

 あかりちゃんがその本の作者の名前を口にする。

「紫月、ユイ……」

 漢字で書けば紫月結。あまりに安直なペンネームだ。

 あかりちゃんが私の方を見る。

「も、もしかして」

「はい。それ、私です」

「え、ええー!?」

 あかりちゃんが大きな声を上げた。はっとして口を抑え、マキに謝る。

「す、すいません」

「気にしないで。驚くのも無理ないよ」

 あかりちゃんは、私と手の中の本を交互に見ている。まだ飲み込めていないようだ。

「あかりちゃんが入社するちょっと前ですかね。その頃にデビューしたので、まだ二冊しか出してません」

「じゅ、十分すごいですよ! 私、作家さんに会ったのは初めてです。いえ、ゆかりさんには前から会ってますけど……」

「わざわざ言うほどでもないと思っていて……結果的に秘密にしてしまいましたね。すみません」

 私は軽く頭を下げた。

「いえ、そんな……なんというか、ちょっと納得もしました」

「というと?」

「ゆかりさん、言葉にはすごく誠実……っていうんでしょうか。私が作った書類の文章に間違いとか曖昧なところがあると、すぐに直してくれるの、いつもすごいなあって思ってました」

 コーヒーの準備をしながら、マキも口を挟んでくる。

「そうそう、私も大学の頃は歌詞の添削してもらったなあ。あ、私は今もバンドやっててね。ゆかりんに何本か歌詞を書いてもらったこともあるんだ」

「え、すごいです!」

 あかりちゃんはさっきから驚きっぱなしだ。

「ゆかりさん、多才ですね。すごい……」

「大したものじゃないですよ。大学生の時、酔った勢いで書いた文を使ってもらっただけです」

「相変わらず謙虚だなあ。長いやつは半年かけてたのに」

 マキをじっと睨むも、相変わらずどこ吹く風だ。

「今も結構ウケいいんだよ、ゆかりんの歌詞。この間も、それがきっかけでゆかりんのこと聞かれたっけ」

 もしやと思い、真面目な表情に戻ってマキに尋ねる。

「聞かれたって、誰にですか?」

「ライブハウスに来た子にね。正確に言うと、紫月センセーについてだけど」

「どういうことを?」

「歌詞の名義、今のペンネームと同じでしょ?」

「それはまあ」

 適当に考えたペンネームがしっくり来てしまって、結局今でも使っているのだ。

「歌詞カード持ってきてさ。小説家の紫月ユイと同じ人かって」

「なんて答えたんですか?」

「同じ人だけど、紹介は出来ないって言ったよ」

「……その辺はきちんとしてますよね」

「当たり前じゃん」

 マキがネルドリップのフィルターにお湯を注ぐと、ほっとする匂いが立ち上った。

「可愛い子だったよ。あかりちゃんと同じくらいの背かなあ。シールかもだけど、ラインのタトゥーがオシャレでね」

「……へえ」

 店の隅をちらりと見る。

 そこには、いかにもなサングラスとトレンチコートで身を固めた少女が一人で座っていた。変装は結構だが、せめてIAとお揃いのチョーカーは外してくるべきだと思う。

「はい、コーヒーどうぞ」

「ありがとうございます」

 マキがサービスのコーヒーを出してきたので、視線を戻す。調べられているのはあまりいい気分ではないが、変なことをしたらIAに言いつければいいだろう。

「そう、これの3曲目がゆかりんの歌詞。貸してあげるからさ、また来たときに感想聞かせてよ」

「ありがとうございます」

 私が目を離している隙に、マキはあかりちゃんに自分のバンドのCDを貸していた。流石の社交性だ。

「よかったら、今度ライブにも来る? 再来週の土曜なんだけど。チケット安くするよ」

「え、良いんですか」

 と、そこであかりちゃんは私の方をちらりと見た。私に許可を求められても困る。

 しかし、ここは先輩らしいところを見せたほうがいいだろう。

「遠慮しなくていいですよ。マキさんは社交辞令なんか言いませんから」

「そ、それじゃあ……」

「よーし、決まり! チケットのコード送るからさ、連絡先交換しよう」

「は、はい」

「楽しんできてくださいね」

 というと、マキは宙にツッコミを入れた。

「何言ってんの、ゆかりんもだよ」

「……まあ、ですよね。お邪魔します」

 たまにはいいだろう。

「前に来てくれたのは夏頃だっけ」

「でしたかね」

「もうすぐ12月だもんね。この分だと年末もあっという間かなあ。あ、そうだ! ゆかりんの誕生日も12月じゃん」

「ああ」

 言われてみれば。

 大体は、家族からちょっとしたメッセージが届くくらいだ。気が向いたら自分でケーキを買うこともある。私くらいの年になれば、大体そんなものだろう。

「せっかくだし、ゆかりんの誕生日にここでライブしちゃおうかなー。それで打ち上げ兼誕生日パーティーにしてさー」

 前言撤回。同い年のマキはこの調子だ。

「大袈裟ですよ。大体私はバンドメンバーじゃないんですから」

「割とメンバー以外も流れで参加してるよー?」

「あの、いいですか?」

 あかりちゃんが質問してくる。

「ゆかりさんの誕生日っていつですか?」

「えー、ゆかりん、それすら話してないの?」

 マキが口をとがらせて言う。

「別にいいでしょう。あなたと違って、お祝いごとに力を注ぐタイプじゃないんですよ」

 話がそれてしまった。

「私の誕生日は、12月22日です」

「えー!?」

 あかりちゃんが再び大声で驚き、口を抑えた。

「わ、私も同じ日です……」

「えっ?」

 これには思わず、私も声を上げた。

「ほほーう」

 マキの目がキラリと光る。

「ねえねえゆかりーん。これはもうパーティーするしかないでしょ。天のオボシメシってやつ」

「どこで覚えたんですか、そんな言葉……」

「ゆかりんの歌詞」

 マキの頬をつねりたくなったが、あかりちゃんの前なのでこらえた。

「じゃあ決まりね! ゆかりんとあかりんの誕生日はここでライブ! 決定!」

「あ、あかりん?」

 いつの間にかあだ名をつけられたあかりちゃんが驚いている。

「いいんですか? 後輩の……御手洗(みたらし)さんでしたっけ。彼女の誕生日はクリスマスでしょう」

 御手洗マリーというバンドメンバーの誕生日は12月25日だ。私と三日しか違わない。

「ん? もともとクリパを早めの20日にやって、マリーちゃんの方を25日にやるつもりだったけど?」

「ええ……」

 そんなにパーティーをやって、心身ともに胃もたれしないだろうか。

「20日の方を22にずらせるかなあ。こっちはチケット売るタイプじゃないし、調整いけるでしょ。ゆかりん、ちょっとメンバーに連絡してくるから店番してて」

「はいはい」

 マキはそう言うが早いか、エプロンを外して店の奥に引っ込んでしまう。

「え、ええ?」

 あかりちゃんはこの店に来てから驚きっぱなしだ。私はあかりちゃんの肩に手を置いて言った。

「まあ、こういう人なので」

 私はカウンターに入ると、マキが置いて行ったエプロンを身に着けた。

 ふと思い出して隅の座席に目をやると、トレンチコートを着た少女の姿はなく、お代がきちんと置かれていた。

 

  *

 

 結局、私たちは盛大に誕生日を祝われることになってしまった。二人で喫茶店から駅へと歩く道すがら、あかりちゃんと話をする。

「そういえば……あかりちゃんは、今日はマキさんの喫茶店が目当てだったんですよね」

「はい。雑誌で読んで、こういうオシャレな喫茶店で読書してみたいなあって」

 予想外の展開でしたけど、とあかりちゃんは頬をかきながら言う。全く同感だ。

「なんというか、すごい人でしたね。大学の時もですか?」

「今は落ち着いた方ですよ。出かけた先でいきなりノート広げて作曲を初めるとか、そのせいで電車に乗り遅れるとか、そんなことがしょっちゅうありましたし」

「は、はは……」

「まあ、なんだかんだ良い人ですけどね。おかげで大学時代は退屈しませんでした。あちこちに連れまわしてくれたおかげで、東京にも慣れましたし」

 だから私は、内心では彼女を呼び捨てにして、悪友と称することにしている。

「ゆかりさん、出身は北海道なんですよね」

「ええ」

「高校の時のお友達とも、こういう風に?」

「いいえ。さすがに遠いですからね」

 駅に着き、エスカレーターでホームに上る。片側に寄らず、両側に立ち止まるようにという放送が流れているが、人々は相変わらずエスカレーターの右側を開けて立っている。私たちもその流れになんとなく従う。話しにくい位置関係が生まれる。無言の時間が流れる。

 ホームに上った。私とあかりちゃんの乗る電車は、ここからだと逆方向だ。どちらの電車も、来るまでにはまだ少し時間があるようだ。

 電光掲示板を見上げていた私に、あかりちゃんが話しかけてきた。

「ゆかりさん、今日は楽しかったです。ありがとうございます」

「なら良かったんですが。本当は静かに過ごす予定だったんでしょう?」

「それはまた今度にします」

 あかりちゃんはそこで一度言葉を区切り、おずおずと尋ねてきた。

「ゆかりさん……兼業作家さん、ってやつですよね。小説は土日に書くんですか?」

「大体はそうですね」

 あかりちゃんは、少し目を伏せてから質問を続けた。

「その……その内、作家業に専念するとか……そういうことは考えてるんですか?」

「今のところは無いですね」

 専業でやっていこうかと考えたこともあるが、うまくその先をイメージできなかった。

 私が小説を書く原動力は、どうやら外の世界で感じたことが元になっているようだ。

 日々目にする人々の営み。移ろう季節。メディアから流れるニュース。あっという間に変わっていく流行。

 それらを見て思うこと。何故、これはこうなのだろう。あれはああなのだろう。答えが出るはずもない問い。

 要するに、普段感じている不平不満の裏返しだ。

 おかげで私の小説は、小難しい物ばかりだ。哲学的とすら言われる。愉快痛快ハッピーエンドとは程遠い。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、あかりちゃんはどこかほっとした表情を浮かべた。

「それじゃあ、お話はどうやって思いつくんですか? 出かけた先で見たことが元になるんですか?」

「それもありますが……大半はなんとなくですよ。こういうことがあったらいいな、とか。こういう場面を書いてみたいな、とか。お風呂に入っている時なんかは良く思いつきます」

「すごいなあ……本当にすごいです」

 あかりちゃんは、両手をぎゅっと握りしめて言う。

「私……私、ゆかりさんみたいになりたいです」

「……というと?」

 まさか小説家になりたいわけではないだろう。

「ゆかりさん、本当に大人っぽくて……今日、新しい一面を知って、ますますそう思いました。三歳差なのに……。あとたった三年で、ゆかりさんみたいになれる気がしなくて」

「……あかりちゃんはあかりちゃんですよ」

「それは分かってます」

 あかりちゃんは言う。

「でも私……ずっと子供のままなんです。大学を出て、働いてるのに。車の免許も持ってるのに」

 以前、並行世界のあかりちゃんが同じ悩みを話してくれたことがあった。自分の分身が子犬のままだと。

 勿論、目の前にいるあかりちゃんとは厳密には別人だ。でもきっと、限りなく近い。

「私、自分のことを子供っぽいとしか思えないんです。私、どうしたらゆかりさんみたいな大人になれるでしょうか」

 可愛らしい悩みだ。けれどきっと、本人にとっては切実な問題なのだろう。

 だから私は、正直に答えた。

「私にも、分かりません」

「そんな……」

「ごめんなさい。でも私は、いつの間にか私になっていました」

 何より。

「あかりちゃんが私のことを褒めてくれるのは嬉しいです。でも本当に、あかりちゃんが私のようになりたいという理由が分からないんですよ」

 何か見習うべきところが、憧れるようなところがあるだろうか?

 私はそれが分からない。私自身、私には足りないところだらけだと思っているのに。

「だって、だって、ゆかりさんは本当に素敵なんです。今日だって、私のことをお店に案内してくれたし、マキさんとも仲良くなる手伝いをしてくれて……」

「私がいなくても同じことですよ。あかりちゃんとマキさんならすぐに仲良くなれたはずです」

「そんなこと……そんなこと、ないです」

 あかりちゃんが胸の前でぎゅっと手を握る。困らせてしまっているな、と思う。

「じゃあどうして、私はゆかりさんのことを素敵だって思うんですか? 私の目が間違っているっていうんですか?」

「いいえ。あかりちゃんは人のことをまっすぐに見られる人です」

「じゃあ……」

「だからきっと、私がきちんと自分を見ていないんでしょうね」

 自分のことすら分かっていない。あるいは分かっていないふりをしている。

「今日は、私が小説家だってこと、話せてよかったです。マキさんの助けがあってこそでしたが」

「……それは、はい」

「きっとこれからは、もう少し自分のことを話せると思います。小説家だってことが最初の一つ。その後、二つ三つと知った後に、改めて教えてください。私がどういう人なのか」

「……ゆかりさんの話、ちょっと難しいです」

「でしょうね。それが私です。そして、小説家としての作風なんです」

 あかりちゃんは、胸の前で握っていた手を下ろした。

「ゆかりさんの小説、買います」

「月曜でよければ、サイン本をあげますよ」

「いいえ。自分で買います」

 あかりちゃんはきっぱりと言った。

「それにサインをください。それから……再来週のマキさんのライブ、一緒に行きましょう。楽しみにしていてください」

「ええ。楽しみです」

 どちらともなく笑いあう。その頭上から、電車が到着するというアナウンスが降り注いだ。

「それじゃあ、また」

 あかりちゃんの乗る電車が滑り込んできた。

「では、また」

「はい! それと……」

 電車に乗り込み、振り返ったあかりちゃんは今日一番の笑顔を見せた。

「 誕生日も! プレゼント、用意しておきますから!」

 電車のドアが閉まり、走り去っていく。少しだけ目線で追い、私はホームの反対側に向き直った。

「楽しそうだったじゃん」

 いつの間に、すぐ横にトレンチコートを着た少女が立っていた。

「そちらこそ。探偵ごっこの首尾はどうですか」

「まあまあかな」

「それは良かったですね」

「さっきの子犬ちゃんに話したことは、割と正直だったね。そういうことも言えるんだ」

「私はいつだって正直者ですよ」

「よく言うよ」

 ONEはサングラスをずらし、私を見上げて笑った。

「ふふん。結構、お前のことが分かってきた気がするよ」

 ONEの口調からは、いかにも「いいことを思いついた」と言わんばかりの高揚感が伝わってきた。

 羨ましい限りだ。こちらの執筆は手詰まり中だというのに。

「何か仕掛けてくるのは結構ですが、私とあかりちゃんの誕生日は避けてくださいね」

「そんな空気読めないことしないって。ま、楽しみにしててよ」

 ホームに入ってきた電車の風圧で一瞬目を閉じた瞬間、ONEの姿は消えていた。

「面倒な仕掛けじゃなければいいんですけれど」

 ONEの干渉にも慣れつつある自分に呆れながら、私は電車に乗り込んだ。

 

  *

 

 帰宅して鞄を下ろす。色々あったせいで、結局一文字も書かずに帰ってきてしまった。

「ただいま帰りました」

「おかえり」

 IAは定位置で小説を読んでいた。私の小説だ。指を挟んでいる所を見るに、読むスピードは速くない。けれど、読んでくれている。

「ONEと会いましたよ」

「そうなんだ」

「……驚かないんですね」

「うん。ゆかりのことを調べるって言ってたし、きっと隠れるのに飽きて話しかけるんじゃないかなって」

「大体あってます」

 彼女はいい意味で真っ直ぐすぎるのだ。上野公園の一件ではそこに付け入る隙があったが、二度と同じ手は通じまい。

「いいことを思いついた、って感じでしたよ」

「そうなんだ。指輪、手放さないでね」

 IAからもらった指輪はきちんと身に着けている。

「そもそも、ONEに行動を起こさせないで欲しいですけれどね。私がそう頼んだら、聞いてくれますか?」

「それは……うーん。ONEのお姉ちゃんとしては、ONEを応援したいから。ごめんね」

 IAはそこで言葉を区切り、姿勢を正した。

「でも、危ないことをしようとしてたら、ちゃんと止めるよ」

「IAもIAで苦労してるんですね……」

「うん」

 その点、私の弟はちっとも弟らしくない。今頃どうしているだろうか。

「……ねえ、IA」

「うん」

「あなたの故郷のこと、聞いてもいいですか」

 IAが驚きに目を見開いた。

「どうしたの? そんなこと言うなんて」

「いや、最初の頃に一応説明してもらったじゃないですか。レゾナンスがどうこうとか……。その時はよく分からないものとして流していたんですが」

「ちゃんと聞いてなかったんだ」

「ちゃんと聞いたうえで分からないと思ったんです」

 そもそもIAは物事の説明が苦手なのだ。その上、当時の私はIAと暮らし始め、仕事にも復帰したばかりで心の余裕がなかった。

 今なら、多少は分かるかもしれない。IAと私が、互いに少しだけ歩み寄った今なら。

 そしてついでに言うなら、今日は小説を書くのを諦めた。こういう日は思い切って気分転換するのに限る。IAの話が刺激になれば儲けものだろう。

「うーん。じゃあ、分かった。話すね」

「ええ。お茶を飲みながらにしましょう」

「うん」

 私はコーヒー、IAは紅茶。いつもの組み合わせ。造花を飾ったテーブルをはさんで、定位置のソファに座ったIAが語り始める。

「あれは、私とONEがARIAに降臨した時の話。私は七色の光を持っていたけれど、ONEはオレンジ一色で――」

 身振り手振りに交えて、時々IAが両手をぱんと鳴らす。音に合わせて光があたりに広がり、草花や蝶々の立体映像が形作られる。普段のリビングがIAの故郷の風景に、別世界に変わる。

 そんな調子で、時々こちらからも質問をしながら、一時間弱。

「……というわけで、私は悲鳴を上げている地球に調和を取り戻すため、活動しているんだよ。Life Love Peace

 IAが語り終えると、立体映像を作り出していた光がすっと消え、いつもの空間が戻ってきた。

「どう?」

「……うんまあ、最初に聞いた時よりは理解できた気がします」

 その上で、いくつか聞きたいことがある。

「七色の光って何ですか?」

「七色の光だよ」

「地球の悲鳴って何ですか?」

「地球の悲鳴だよ」

 まあこの辺りは良い。良くないが。

 要するに、IAは何やら不思議な惑星の出身で、地球そのもののSOSを聞いて駆けつけたのだ。そして、地球を救うために人間たちに愛と平和を広めている。

 ……色々と語ってはくれたものの、一番重要なのはそれだ。それが私にとっても関わりのあることだ。

 今、IAは愛と平和を広めるために歌手として活動している。七色の光だとか惑星ARIAのテクノロジーだとかは使わずにだ。

 その気になれば人間たちの記憶も精神も一瞬で思い通りにできるし、環境や資源の問題もあっという間に解決してしまえる。

 そうしないのは単純で、それが人間たちにどんな影響を及ぼすかが分からないからだ。人間もこの星に生きる命であり、一方的な変化を与えていいのか、慎重に見極めているからだ。

「IAはもし……もしですが」

 そもそもIAが私と一緒に暮らしているのは、ARIAの精霊であるIAが地球人のことを知るためだ。地球人がARIAの精霊の力やテクノロジーを見て、どう反応するかを見極めるためだ。

 そして……もし、そういった力を使っても地球人に問題がないと分かったら。私というモルモットが役目を終えたら。

「もし本格的に地球を平和にしていいと分かったら……何をするんですか?」

 気分転換だとか、相互理解だとか、そんな切っ掛けで聞くんじゃなかった。

 IAの話を聞けば、曖昧にしていたことに直面することになる。分かっていたのに。分かっていたから、私は無意識にそうしていたのだ。

 あかりちゃんに対してもだ。小説家という、私を構成する大きな部分を隠して、浅い付き合いをしてきた。あかりちゃんが時々私に対して、どこかもどかしそうにしていたのはそのせいだ。

 ……どちらも、私は波風を立てないようにしていたのだ。

 でも、それができなくなってしまった。この二つが同じ日に起きたのは、私にとっては必然だ。

 私の質問に対し、IAはいつものようにゆっくりと頷いた。

「うーん。それはまだ、考えてなかった」

 のんびりとそう言う。目を閉じ、十秒ほど考え、そして答えた。

「まずはね」

「まずは」

「もっとたくさんの人に、ゆかりにしたのと同じ様なテストをする。でも並行世界を使うから、一瞬で済むよ」

「え……それじゃあ、まさか」

「ううん。この世界は作られた並行世界じゃないよ。ゆかりは最初の一人だから、特別」

 たとえ私には知覚できない規模のことだとしても、どこかほっとする。

「それで問題が無かったら、うん」

 IAは言う。

「ゆかりが地球から無くなって良いと思うものを、教えてね」

「……え」

「それを無くすよ」

「無くすって……どういうことですか」

「だから、無くすよ」

 そう、IAにこういうことを聞いてもオウム返しになるだけだ。

 IAにとっては当たり前なのだから。どうやってとか、どうしてとか、そういうことは関係がないのだ。

「ゆかりは、とっても公平で優しい人。私はそう思うから、ゆかりの言う通りに世界を変えようと思う。地球のことを全然知らないARIAの精霊が決めるよりも、その方がいい」

「……そんな」

 私は分からない。

 どうしてIAは、あかりちゃんは、彼女たちは、こんなにも――。

 こんな矛盾だらけで嘘つきの私を、正しいと信じてくれるのだろう?

 

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