嘘つき作家と宇宙人   作:喜来ミント

13 / 13
Phase Vb Endless Adolescence?

 状況を整理しよう。

 ある日目覚めると、私こと結月ゆかりは高校生になっていた。OИE(オネ)によって、そういう世界に放り込まれたのだ。

 本来ならば社会人になって久しいというのに、この世界では高校二年生という設定だ。

 元の世界では三歳差の後輩、紲星(きずな)あかりちゃんは高校一年生となっている。私と彼女は毎日のように一緒に登下校する間柄だ。文化祭が十日後に迫っていることもあり、彼女との話題はもっぱらそれである。

 私の友人やその他の知り合いも、世界観に合わせて配置されている。ある人は同級生、ある人は先生として。私以外は全員、その身分を当然のものとして受け入れている。

 ここはそういう設定でONEによって作られた世界だ。

 私の同居人であるIA(イア)――ONEの姉も似たようなことを何度かやっている。方向性は違うものの、私を別世界に送り込んでその反応を観察するのだ。

 私はこれもその一環と考え、とりあえず高校生活を送ることにした。あかりちゃんと交流しながら、文化祭までの日々を過ごした。おそらく文化祭で何かが起こるのだろうと予想していた。

 しかし違った。文化祭の終了を待たず、世界は奇妙に歪み、気づけば最初に目覚めたのと同じ場所、同じ時間まで戻っていた。リセットされていた。

 そして今に至る。夕方の教室で目覚めた私は、ONEと向かい合っていた。

「青春をもう一度、ってね」

 仕掛け人のONEはにやにやと笑みを浮かべ、私の反応を楽しんでいるようだ。教卓の上に腰かけ、こちらを指さして言う。

「さて、ようやく『挑戦状』の時間だよ」

 世界がリセットされる前は、まだ早いと言っていた件だ。本番はここからなのだろう。

「この世界は、文化祭の一日目が終わりそうになると今の時間に戻るようになってる。それを防いで文化祭の閉会式までたどり着いたら、元の世界に帰してあげるよ。できるかな?」

「……なるほど」

 今は十月二十四日の夕方。文化祭の一日目は十一月二日。何かの条件を満たさなければリセットされ、この十日間を繰り返すことになる。

 ONEが全然手を出してこないと思っていたが、それも当然だ。彼女自身が何かをする必要はほとんどなく、私がこの世界と格闘しているのを見物する趣向なのだろう。

 私は真っ先に思いついた手段を口にした。

「世界の端に行ったらどうなりますか?」

 以前、ONEが作った世界に閉じ込められた時はそうした。正確には世界の端まで行き、IAに助けを求めたのだ。

 超常の存在であるARIAの精霊でも、現実同様の広さがある世界を作るのは困難らしい。今回も、ONEが作った世界が箱庭なのは変わらないだろう。

 我ながら意地の悪い質問だと思ったが、ONEは得意げな顔のままこう答えた。

「行けるならね」

 対策がされているか、それともはったりか。とにかく、これは正攻法ではないようだ。

「今回は隠れんぼでも脱出ゲームでもない、ということですか」

「そういうこと。おっと、時間だ。またね」

 ONEは一方的に言いたいことを言うと、忽然と姿を消してしまった。オレンジ色の光の残滓だけが、教室に差し込む夕日に溶けて消えていく。

「やれやれ……」

 嘆息しながら髪をいじろうとしたら、長い後ろ髪が手に触れた。そういえば、今はこういう髪型だった。懐かしくもあり、少し鬱陶しくもある。

 どうしたものか。打てる手はそう多くない。

 実のところ、世界がリセットされる原因に当たりはつけている。しかし、どうしたら防げるのかは分からない。やはりIAの手を借りるしかないだろう。直接の助けは借りられないがーー。

 そんな風に考えていると、がらがらと教室のドアが開く音がした。

「ゆかりさん、お待たせしました」

「ああ、あかりちゃん」

 顔を上げると、そこにはあかりちゃんがいた。私やONEと同じく、セーラー服に身を包んでいる。

 思い出してきた。最初、この世界で目覚めてONEと話した後も、あかりちゃんがこの教室にやって来たのだ。ONEはそれを見計らって姿を消したのだろう。

「委員会はもう終わったんですか?」

「はい! 文化祭直前ですから、最終確認って感じでした」

「……なるほど」

 最初の時も、そんなことを話しながら帰宅したのだった。

 昇降口で靴を履き替え、一緒に歩いて帰路につく。会話の内容も不思議と覚えのあるものになった。同じ状況であれば必然的にそうなるのかもしれない。

「ゆかりさんのクラスは劇でしたっけ」

「ええ。私はちょい役ですが。あかりちゃんは……」

「喫茶店です。メイドさんの」

「そうでしたね」

 そのまま他愛ない会話は続き、丁字路に差し掛かった。あかりちゃんが私の家とは違う方へ一歩進み、くるりと振り返る。

「それじゃあ、ゆかりさん。また明日」

「ええ、また明日」

 あかりちゃんと手を振り合い、そのまま別れた。

「さて」

 自分の鞄を開けて中身を確認する。だが、目当てのものはない。入っている教科書などは、最初にこの世界で目覚めた時と同じだろう。細かく覚えてはいないが、恐らくそうだ。

 だとすれば、私の記憶以外はいわゆる初期状態に戻っているのだろう。時間は勿論、物理的な配置も。ならば。

 少し速足で自分の家に向かった。

 本来の世界でIAと住んでいるマンションと同じ間取りだ。造花が飾られたテーブル横のソファ、定位置にIAはいない。どちらも世界がリセットされる前と変わらない。

 ならば。名目上はIAの部屋となっている、物置と化した部屋へのドアを開けた。部屋に入ってすぐのところにあるカラーボックスの上に――。

「……ない?」

 ここにはピカイアのぬいぐるみが置いてあったはずだ。念のため周囲を探してみるも、見当たらない。

 右手の指輪にはまった虹色の石に触れ、意識を集中する。ほどなくして頭の中にIAの声が響いた。

『ゆかりへ。今回ONEがやりたいことは危なくないから、やらせてあげて。ごめんね。どうしても困ったらピカイアを頼って』

 この虹色の石は、IAの魂の一部だとかいう大層な代物だ。触れて念じれば、本来はIAとテレパシーのように話すことができる。

 しかし、今回IAは手を出さない約束になっているそうだ。そのためか、こんな伝言が残されていた。

 伝言に出てくるピカイアとは、きっとあのぬいぐるみのことだろう。他に思い当たる節がない。

 リセット前は、何かの役に立つと思って通学鞄の中に入れていたが、特に出番はなかった。おそらく、まだONEから『挑戦状』が示されていなかったからだろう。

 物の位置や状態が最初に戻っているなら、ここにあるはずなのだが……。頼りたい時に限って、ピカイアのぬいぐるみは姿を消してしまった。

「……どうしたものか」

 ONEが持って行ったのだろうか。あのピカイアのぬいぐるみには、IAによって何かが仕込まれているはずだ。ONEはそれを不確定要素として排除したのかもしれない。

「……だとすると、指輪は?」

 IAによって送り込まれたものという意味では、私の右手にある指輪も同じだ。ピカイアのぬいぐるみが排除されるなら、これも同じ扱いになるだろう。

 もう一度IAの伝言を聞いてみる。更にもう一度。何かが引っかかる。

 伝言を繰り返し聞き、内容を自分の口でなぞって、ようやく気が付いた。

「ピカイアを、頼る?」

 IAはそう言っている。「ピカイアに頼って」ではなく「ピカイアを頼って」と。前者なら道具や手段に対する言い方になるが、後者ならばまるで――。

()()()()()()()()()()()

 突飛だが、説明がつく。あのピカイアのぬいぐるみは自分の意思で姿を消した。だからここにはいないのだ。

 ……だとすると、どこへ?

 結局、分からないことが増えただけだった。

 

  *

 

 翌日。私は早くも限界を迎えていた。

「あ、飽きた……」

 今朝、目が覚めてから何があったかというと。

 世界がリセットされる前――一周目としよう。その一周目と同じ登校風景。同じホームルームで文化祭準備の説明。同じ内容の午前の授業。同じ昼食時間。同じ午後の授業、しかも苦手な体育。

 シンプルに飽きていた。いわゆるループ物の作品にはいくつも触れてきたが、盲点だった。

 それらの作品の主人公たちを素直に尊敬する。よく飽きもせず何度も同じ時間を過ごしているものだ。

 読み終えたばかりの小説を、義務的に読み返しているような感覚だ。細かい点は違うものの、あかりちゃんもマキもつづみさんも先生たちも、ほとんど一周目と同じ話を繰り返している。

 もちろん、この世界がONEによって作られたものであること、再び始まって二日目ということもあるだろう。決められた筋書き通りにみんな動いてしまうのだ。

 では、違う展開にするにはどうするか。私が一周目と違う行動をとるか、どこかで偶発的なことが起きるのを待つかだ。どちらを選ぶかは言うまでもない。

 ひとまず授業はやり過ごした。帰りのホームルームの後、記憶が正しければ、一周目と違う行動を選べるタイミングが訪れるはずだ。

 ホームルームでは、担任から改めて文化祭の準備についての注意があった。そして文化祭のパンフレットが配られ、帰りの挨拶をして解散となった。

 場の空気が緩んでクラスメイトたちが別行動を取ろうとした時、マキがびしっと手を挙げた。

「みんなー、注目! 明日、商店街の手芸屋さんに買い出しに行きます。三人もいれば大丈夫だと思う。私以外に二人、誰か行きたい人ー!」

 出し物の参加型推理劇で使う物ーー衣装や小物、部屋の装飾などの材料を買いに行くのだ。既製品でどうにかならないもの、安く仕上げたいものはみんなで作ることになっている。

 マキはこういうイベントごとが好きなので、バンドの練習もあるだろうに、クラスのまとめ役も担っていた。普段であれば目立つ部分は彼女に任せておいて、私は適当に裏方をやっておきたいところだが。

「はい」

 私は、一周目に挙げなかった手を挙げた。

「お、ゆかりん? 珍しいね、こういうのに立候補するの」

「ええ、たまには」

 それを見てか、つづみさんも手を挙げた。彼女も一周目には買い出しに参加していないはずだ。

「じゃあ、私もいいかしら」

「もちろん! 買うものをまとめちゃおうか」

 服飾に関わるメンバーが集まって相談を始めた。私はなんとなく手持無沙汰になる。

 クラスメイトたちのやりとりをぼんやり眺めていると、教室の扉が勢いよく開いた。

「つづみちゃーん、遊びに行こう!」

 ささらちゃんだ。この世界では高校一年生だから、彼女からすれば上級生の教室に来たというのに、全く遠慮がない。

 つづみさんが話し合いの輪から離れ、ささらちゃんの所に向かった。

「ごめんね。ちょっと文化祭の準備で話し合い中なの。先に帰っててくれる?」

「えー。残念」

「買い出しの内容を決めるだけだから、そう長くならないと思う。家に着いたら連絡するわね」

「おっけー! それじゃあね!」

 ささらちゃんは嵐のように去っていった。元気なことだ。

 開いたままの扉をなんとなく見ていると、その陰から見覚えのある姿がひょっこりと現れた。

「おや、あかりちゃん」

 人見知りしがちな彼女は、ささらちゃんのようにはいかなかったようだ。近づいて声をかける。

「こっちに来るのは珍しいですね」

 下校の待ち合わせは、昇降口や校門ですることが多い。やはり、学年が違うとなんとなく互いの教室には入りにくいものだ。

 あかりちゃんは周囲の目線が気になる様子だったが、おずおずとここに来た理由を説明した。

「ささらちゃんがゆかりさんたちの教室に行くっていうので、ついてきたんですけど……」

「置いて行かれてしまったと」

 あかりちゃんは頷いた。

 周囲からは、あかりちゃんを見て可愛いとか何とかという声がちらほら聞こえる。あかりちゃんは少し赤くなったまま、私を廊下に手招きした。断る理由もないので廊下に出て会話を続ける。

「すいません、出て来てもらって」

「大丈夫ですよ」

「文化祭の準備ですか?」

「ええ。明日買い出しに行くんです。買うものをまとめているところですよ」

「それじゃあ、しばらくかかりそうですね。今日は別々に帰りますか?」

 あかりちゃんはそう提案してきたものの、寂しそうな表情だ。

「いえ……私は先に抜けても大丈夫かもしれません。ちょっと聞いてきます」

 教室に戻り、マキに事情を説明する。

 マキはあっさりと了承した。

「いいよー。じゃあ、明日九時に商店街の入り口に集合ね。そのまま買ったものを学校に持っていくから、制服で」

「分かりました」

 荷物をまとめていると、マキが肩を肘で突いてきた。何やらにやにやしている。

「ゆかりんも隅に置けないねぇ」

「そういうのじゃないですよ」

「そうかなー?」

 マキの頬を引っ張ってやろうと手を伸ばすと、大袈裟に逃げて行った。

 帰る支度を済ませ、あかりちゃんのところに戻る。

「お待たせしました」

「すいません、用事があったのに」

「大丈夫ですよ。私はまとめ役じゃないですし」

 一緒に歩き出す。教室の話し合いを聞いていたのか、あかりちゃんが質問してきた。

「衣装は手作りなんですか?」

「ええ、一部だけ。大抵は既製品なんですが、トリックに関わる部分は丁度いいものがなくて。あかりちゃんの方は?」

「うちは貸衣装屋さんで良いものがあったみたいです。だから、どちらかと言ったら食べ物の準備ですね。メニューを考えたり、試作したり」

「それは楽しそうですね」

「ええ。明日、みんなで試作する予定です。一人暮らししているクラスメイトの家に集まって……そういえば、ゆかりさんも一人暮らしでしたっけ。意外といるんですね、高校生でも」

「……まあ、いなくはないでしょうね」

 私の家についての設定が頭の中に湧いてくるかと思ったが、今回はなかった。ONEは設定をそこまで詰めていないようだ。あるいは自分で考えろということなのか。

 現実ではIAと同居しているが、この世界では一人暮らしと言っていいだろう。もともとIAは仕事や気分で家にいないことも多いが、今はそれとは違う。何となく部屋が広く感じる。

「いいなぁ。いえ、都合があってのことだと思うんですけど……」

「あかりちゃんは一人暮らししてみたいですか?」

「私ですか? うーん」

 しばし、あかりちゃんは考え込む。

「仲のいい友達とか、それこそゆかりさんとなら住んでみたいですけど……一人かぁ」

 あかりちゃんはどこか遠い目をして言う。

「憧れますけど、向いてないなーって思います。ゆかりさん、寝る前とか一人で何してるんですか?」

「読書したり、ゲームしたりですね」

 私の家にあるものは現実からそのまま持ち越されている。そのおかげで暇をつぶせるものには事欠かない。本やDVDは勿論、私やあかりちゃんが高校生の時には無かったはずのゲームハードもある。

 あかりちゃんは少し目を伏せて言った。

「うーん……大人ですね」

「そうですか? ゲームですよ?」

「そうじゃなくて……なんて言うんでしょう。うーん」

 あかりちゃんは上手く言葉にできないようだ。悩んでいる。

 どうやら、あかりちゃんは悩み多き青春を過ごしているようだ。

 ……なんとなく、予感はしていた。

 この世界に来る直前の出来事。私たちが通う学校の様子。文化祭で世界がリセットされる前の話題。何より、世界に異変が訪れた時に見えたもの。

 この世界の主人公は、あかりちゃんだ。

 

  *

 

 あかりちゃんは悩んでいる。その悩みはシンプルで、根が深い。

 大人になりたい。大人になれない。どうすれば良いのか分からない。

 元の世界では、あかりちゃんは間違いなく大人だ。立派に働いて給料をもらっている。その生活を一年近く続けている。

 大人だ。文句のつけようもない。

 だが、本人は納得できていない。両親と暮らしているからか、見た目の問題か、あるいはほかの何かか。きっと、本人も分かっていないのだろう。

「……まあ、悩みってそういうものですけれどね」

 あかりちゃんと別れて家に着いた後、私はあえてIAの定位置のソファで寝っ転がっていた。

 思考のお供は、いつものカフェインレスコーヒー。揺らめく湯気を視界の端に入れ、壁と天井の境目をぼんやりと眺める。

「多分、この世界が文化祭の途中でリセットされてしまうのは、あかりちゃんの悩みが原因でしょう」

 文化祭が終わったら、もうすぐ年末。二年生――私の学年はそろそろ受験を意識し始める。

 先輩たちが大人になってしまう。自分だけ置いて行かれてしまう。あかりちゃんは、そんな風に考えてしまうのではないだろうか。

「現実のあかりちゃんなら、そんな幼い考え方をしないでしょうが……」

 会社員であれば、生活が多少変化しても受け入れられるだろう。しかし、学生にとっては学校と家庭が世界のほぼ全てだ。

 学校生活の大きな変化。足元が崩れ落ちるような不安。それによってあかりちゃんを中心に作られた世界は歪み、文化祭の前まで時間を戻してしまう。

 不安が訪れる前の状態にリセットされる。

 ONEはこの仕掛けを成立させるために、この時期、この学校の設定を作ったのだろう。

「随分と意地が悪い……」

「人聞きが悪いなあ」

 独り言に返事が返って来た。勿論、オレンジ色の宇宙人が不法侵入してきたのだ。

 ちらりと目をやると、普段は私が使っているチェアに腰かけていた。

「ソファ空けてよ。そっちがいい」

 ONEは不満そうだ。ARIAの精霊はソファを好む習性があるのだろうか。とはいえ、そこまで親切にする理由は無い。私は話を進めることにした。

「どっちでもいいでしょう。それで、何の用ですか」

「もちろん、推理の進捗を聞きに来たんだよ。またねって言ったじゃん」

 昨日は、あかりちゃんがやって来たので話が打ち切られたのだった。

 私の方も改めて考えを整理して、ONEと話す準備ができた。だからこうして待っていたのだ。

「さあ、『挑戦状』の続きだよ。世界のリセットを防ぐにはどうすればいいでしょーか?」

 ONEは足を組んで余裕たっぷりの姿勢だ。私は体を起こさないまま、首だけを彼女の方に向けて答えた。

「あかりちゃんが、この美しい夢を見ている(あるじ)でしょう。文化祭といい、パロディが好きなようですね」

「うん? いや、なんかに似てた?」

 アニメやゲームは好きでも、過去の作品を掘るタイプではないようだ。

「話がそれました。リセットを防ぐ方法……その原因である、あかりちゃんの青春の悩みを解決する。そうでしょう」

「正解。やっぱ鋭いね、ムカつくけど」

 ONEは行儀悪く椅子の上で胡坐(あぐら)をかき、頬杖をついた。

「リセット前から目星はつけてたでしょ。どうして気づいたの?」

「あの学校、私の母校とは似ても似つかないですからね」

 そもそも、生徒や先生に私の知らない人物が多すぎる。私の記憶をベースにしているのであれば、もっと知っている顔が多くて良いはずだ。

 ならば、誰の母校がモデルになっているか。お嬢様学校出身の箱入り娘という言葉が似合うのは誰か。

「そう、正解。この世界は、あの子犬ちゃんの記憶をベースにしてる」

 ONEはあかりちゃんをそう呼んだ。自分も子犬みたいな見た目と名前のくせに。

「そうして作った世界に、現実の人々の意識を繋いでいるわけですか。……本人たちに自覚はなさそうですね」

「お前以外はみんな、夢を見てるようなもんだよ。今、現実の日本は夜だしね。あ、そうそう。時間の流れが違うから、この世界が百周しても問題ないよ」

 タイムオーバーは狙えないと釘を刺してきた。こちらとしても、そんなに高校生活を繰り返したくはない。

「ところどころ、現実の記憶が引き継がれていそうですね」

 あかりちゃんは、私が小説を書いていることを知っていた。マキは私が大学時代に作詞した歌を歌っていた。

「そりゃ、本当に高校生の時に戻ったわけじゃないからね。その方が何かと都合がいいんだよ。一人ひとり記憶を選別するなんてやってられないし。あくまで、用意した設定を受け入れてくれればそれでいいわけ」

「なるほど。……配役は指定したんですか?」

「お前や子犬ちゃん以外だと……弦巻マキ、佐藤ささら、鈴木つづみらへんは、お前の知り合いとして配置してある」

 現実で、ONEがマキの喫茶店に来ていたのを思い出す。私の交友関係は大体掴んでいるようだ。ONEはその後も何人かの名前を挙げていく。

「で、あとは……隠しキャラくらいかな」

「何ですかそれ」

 私がツッコミを入れると、ONEは慌てて否定した。

「あ、今のナシ。とにかく、配役はそんな感じ。それ以外のモブは子犬ちゃんの無意識任せだよ」

「意外と雑ですね……」

「そっちの方がボロが出なくていいんだって。モブはモブらしくいてもらわないとね」

 逆に言えば、キャラの立っている人物はONEの作為が含まれている可能性がある。文化祭で推理劇に来ていた姉妹、それからオカルト研究部の部員はどうだろうか。

「……っと、危ない危ない」

 ONEは、はっと自分の口をおさえた。

「どうしたんですか?」

「お前の推理を聞きに来たのに、私の方ばっかり喋ってるじゃん。ホントに油断ならないなあ、お前」

 勝手に喋っているだけでは。

 とはいえ、この態度そのものもヒントだ。おそらくは誰かに入れ知恵をされている。それも、私と会話するときの注意点を言える誰かに。

 IAではないだろう。こういった駆け引きは彼女には似合わない。だとすると、チコーという育ての親か。

 ONEは私の考えをよそに、びしりとこちらを指さして言った。

「もうヒントは十分でしょ? あとは、お前が困ってるところをじっくり見させてもらうよ!」

 ONEが腕を一振りすると、空中に浮かぶジッパーが現れた。ジッパーがひとりでに開いた向こうには、オレンジ色の光が渦巻く謎の空間が広がっている。

 私は少し気になって、ONEを呼び止めた。

「前から気になってたんですが、聞いていいですか」

「ダメ」

「なんとなく、ONEちゃんの力の使い方ってIAと違いますよね。ジッパーとか、ちびオネとか」

「人の話を聞けって! この方が空間の繋ぎ目をイメージしやすいってだけ! それじゃ!」

 ONEはジッパーの向こうに消えていった。ひとりでに閉じたジッパーはオレンジ色の光の粒となって散り、消えて行った。

「やれやれ」

 ひとまず『挑戦状』は示された。現状を整理しよう。メモに要点を書き起こす。

 

・この世界はあかりちゃんを中心としている。

・あかりちゃんの記憶や無意識に沿って、設定や配役が決められている。

・私以外の人たちは、この世界の設定に沿って生活している。 

・あかりちゃんの悩みが原因となって、文化祭の一日目の終わりに世界がリセットされる。

・あかりちゃんの悩みを解決すればリセットを防ぐことができる。

・リセットを防いで文化祭を終えれば、この世界から出られる。

・IAの助けは借りられないが、代わりにピカイアのぬいぐるみを頼るように言われた。

・ピカイアのぬいぐるみは行方が分からない。

 

 ONEの挑戦をクリアするにはどうすればいいのか。それは分かった。あかりちゃんの悩みを解決すればいい。大人になれないと悩む彼女のコンプレックスを解消すればいい。

「……いや無理でしょう」

 正直言って、どうにかできる気がしない。時間が解決するものではないだろうか。それを、この世界設定で、文化祭までの十日でどうしろと?

 一旦考えを打ち切る。無理なものは無理とひとまず結論付ける。

 他に手がかりがあるとすれば、ピカイアのぬいぐるみだ。あかりちゃんの悩みをどう解決していいかわからない以上、少しでも助けが欲しい。IAが用意した存在なら、ONEの裏をかく手段を持っているかもしれない。

 ONEの来訪で、コーヒーに口をつけるタイミングを逃してしまった。冷え切ってしまったそれを電子レンジで温めながら、明日からの方針を決める。

 文化祭の準備を進めつつ、ピカイアのぬいぐるみを探す。どこに行ったのかが分からない以上、些細な違和感も見逃さないようにしよう。

 それから、なるべく一周目と違う行動を心がける。色々試して、周囲の人々の反応を引き出してみよう。

 暖まったコーヒーを一口飲み、息を吐く。

「よし」

 まずは、明日の買い出しで小さな変化を起こすと決めた。

 

  *

 

 翌日。制服に袖を通し、約束の時間に間に合うように家を出た。

 この町はほぼ円形で、周囲を見渡すと、ぐるりと山に囲まれている。

 目的地の商店街があるのは西側で、私やあかりちゃんの家がある東側とは反対だ。そちらに向かうには町の中心を一度通る必要がある。

 そして、中心にあるのは私たちの通う学校である。不自然というほどではないが、少し変わっていると思う。普通なら人の集まりやすい場所――商店街や公共施設が町の中心に作られそうなものだ。

 更に付け加えると、この町には駅がない。学生ならば町の外に出るのに一苦労することだろう。あるいはこの風景も、あかりちゃんの心象を反映しているのだろうか。

 そんなふうに考えていたら、曲がり角でつづみさんに出くわした。

「あら、ゆかりさん」

「おはようございます」

 商店街まではまだ少しある。自然と二人で並んで歩く格好になった。

「周りを見渡していたけれど、何かあった?」

 つづみさんが聞いてくる。

「いえ。改めて見ると、見事に盆地ですね、この町」

「そうね。その分、高台からの景色は良いわ。今度、展望台に行ってみない?」

 そう言って、つづみさんは西の方角を指さした。彼女の示した先には山の峠を通る道があり、町の外に続いている。その脇にちょっとした展望台があるという。

「まさか、歩きで?」

「ええ、勿論」

 世界が変わっても人は変わらないらしい。この散策趣味は私の知るつづみさんそのままで、平気で十キロメートル以上を歩き通すのだ。

「考えておきます」

「いつでも誘ってね」

 そんな風に話していると、商店街の入り口が見えてきた。アーチの横でマキが手を振っている。

「おはよう、二人とも!」

「おはようございます。朝から元気ですね」

「ゆかりんは相変わらずだなあ。つづみんは元気?」

「ええ、元気よ」

「良いね! それじゃ行こっか!」

 アーケードに入り、店々が並ぶレンガ敷きの通りを歩いていく。土曜日ということもあってか、この時間でもそこそこの人通りがある。

 並ぶ店々は知らないものばかりだったが、不意になじみのある建物が顔をのぞかせた。マキの喫茶店だ。その横を通るとき、マキが言った。

「買い物終わったらさ、うちの店でお茶していこうよ。一杯奢るよ」

「いいんですか?」

「もちろん! つづみんもどう?」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 手芸店での買い物は、事前の打ち合わせのおかけでスムーズに進んだ。推理劇の脚本を考えたつづみさんがいたこともあり、トリックに関わる小道具のパーツはイメージ通りのものを買うことができた。

 一点、付け加えるとしたら。

「ねえねえ二人とも。このリボン、3メートルでいいかな?」

 マキがリボンを見せてきた。一周目、足りなくなって買い足していた記憶があるリボンだ。何かのきっかけになればと思い、提案してみる。

「あー、もうちょっと長めに買っておきましょうか」

 私がそう答えると、つづみさんが不思議そうな顔をした。

「十分じゃないかしら」

「十二分に買っておいた方がいいんですよ、こういうのは」

「そう? なら、そうしましょうか。マキさんもそれでいいかしら」

「おっけーおっけー」

 買い物を終え、予定通りマキの喫茶店へと向かった。マキのお父さんが出迎えてくれる。

「やあ、いらっしゃい。ゆかりちゃんと……つづみちゃんだっけ。久しぶり」

「お久しぶりです」

 つづみさんは、大学時代に何度かマキに連れられてこの店に来たことがあるはずだ。もちろん、現実の方で。

「二人とも、いつもマキがお世話になってます」

「大袈裟だよお父さん。それじゃ、コーヒーの用意してくるね」

 マキが私とつづみさんを残し、カウンターの方へと向かう。二人きりになったのを見計らってか、つづみさんが言った。

「ねえ、ゆかりさん。あなたって、未来から来たのかしら?」

「さっきのリボンのことですか?」

 当たらずとも遠からずだ。下手に誤魔化すよりは、冗談に乗る形で話した方がいいかもしれないと思った。なんだかんだ言って、私も文化祭前で浮かれているのかもしれない。

「実は、終わらない文化祭を終えるために、何度もやり直している最中なんです」

「あら。八月でもないのに」

 つづみさんはそう言ってくすくすと笑った。高校生の頃の彼女は、こんな風に笑っていたのかもしれない。

「ゆかりさんは、ループ物を書いたことはある?」

「まだないですね。ああ言うのは描写の管理が難しそうです」

「正解。推敲していると、自分でも何回目のループか分からなくなってくるわ」

 そんな風に小説談議で盛り上がっていると、マキがコーヒーを持ってきてくれた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます、マキさん」

「ありがとう」

 コーヒーを受け取り、二人でマキにお礼を言う。

 楽しそうなつづみさんを見てか、マキが興味津々といった様子で聞いてきた。

「小説の話? 盛り上がってるね」

「ええ、とても。小説を書く側の話ができる人って、なかなかいないから」

「私もですよ」

 現実の方でも、作家としての横のつながりはあまりない。大学の文芸サークルの同期も、つづみさん以外はほとんど書くのをやめてしまったという。

 つづみさんにとってもそれは同じなのだろう。感慨深そうに彼女は言う。

「こんなことなら、ゆかりさんと文芸部を復活させればよかったわ。部員が足りなくても、同好会にはできたでしょうし――」

「え?」

 思わず、驚きの声が出てしまった。マキとつづみさんが私を見る。

「どしたの、ゆかりん」

「いえ……うちの学校、文芸部って無いんでしたっけ」

 記憶が確かなら、一周目の文化祭の最中、あかりちゃんと文芸部について話したと思う。少なくとも、パンフレットには載っていたはず。

 しかし、つづみさんは残念そうに言う。

「無いのよ。前はあったらしいけれど……」

 マキも記憶をたどりながら情報を付け加えた。

「あー、うちのバンドの部屋の近くにあるよ、資料室。そこを使ってたって聞いたことある」

「バックナンバーなら残ってるかしら。ちょっと興味があるわ」

「ホコリすごいかもよ」

「かもしれないわね」

 二人とも、当たり前のように文芸部が無くなった前提で話している。

 いや――そういう前提なのだ。これまでに訪れた並行世界でもそうだった。この世界の常識は、この世界の人にしか分からないのだ。

 私は本来の世界の記憶を保っている。だからこそ知らないこともある。

 確かめなくては。

「……文化祭のパンフレットって、今ありますか」

「あるよ。どこか見たいの?」

「ええ、ちょっと確認したくて」

 マキに貸してもらったパンフレットの隅から隅まで、目と指で文字を追っていく。参加団体のページを、念のため二度、最初から最後まで。

 ――無い。文芸部が無い。

 見つけた。一周目の世界と違うところだ。これが何を意味するかは分からないが、調べる価値はある。

「ゆかりんは誰かと回る予定?」

 文化祭の予定を立てているように見えたのか、マキが聞いてきた。パンフレットから顔を起こして返事をする。

「ああ……多分、あかりちゃんと回ると思います」

 約束をするのは()()()()だが、恐らくその展開は変わらないだろう。

 私の返事を聞き、マキはやはりというか生暖かい目線を送って来た。

「可愛いもんねえ、あの子」

「その目をやめてください」

 昔からこうだ。私の交友関係をやたらと気にかける。

 マキは私の文句を無視し、身を乗り出して質問を繰り出してきた。

「どこ見るの? うちのバンドのステージは来る?」

「ええ、多分」

「やった。じゃあ、ゆかりんが歌詞を書いてくれた曲を多めに歌っちゃおうかな」

 私が歌詞を提供したのは、実際には大学の時だ。そのあたりの記憶は、ONEが言ったように程よく解釈されているようだ。

「ゆかりさん、そういうこともしてるの?」

「そうだよ。つづみんも書いてみる?」

「やってみようかしら」

 そんな会話が続いていく。

 結局、喫茶店を出たのはお昼近くになってからだった。マキとつづみさんは満足そうにしている。

 一方で私はといえば、文芸部のことを確かめたくて気が気ではなかった。とはいえ途中で放り出すのは申し訳ないので、三人で買ったものを学校の教室に運ぶところまでは付き合った。

 教室には、すでに何人かのクラスメイトがいた。小道具や衣装の準備を進めており、すっかり遅れてきた私たちは文句を言われてしまった。

 つづみさんはこのまま残って手伝いをするという。私も誘われたが、別の用事があると言って断ることにした。

「すいません、ちょっと先約があって」

「そうなの。じゃあゆかりさんはここまでね。マキさんは?」

「バンドの練習なんだー。ゴメンね」

「それは大事よ。私も演奏を楽しみにしてるわ」

「ありがとう! ぎゅんぎゅん盛り上げるからね!」

 マキは嬉しそうにつづみさんの手を握ってぶんぶんと振った。

「じゃあここで解散ね」

「まったねー」

「ええ。また来週」

 つづみさんは教室の中へ、マキはバンドの練習室へ。私は一人、廊下に取り残された。

「さて」

 文芸部の部室だったという資料室を調べてみよう。

 そのためには、鍵を持っている先生を探す必要がある。文芸部の顧問をしていた――という設定の――先生に話を聞ければベストだ。

 この学校には、全ての教員の座席が置かれた職員室というものがない。教科ごとに別れて、教員室というのが設けられている。文芸部ならばとあたりをつけ、国語科教員室のドアをノックした。

「はーい、どうぞ」

 返事があったので、失礼しますと声をかけて中に入った。そこでは一人の先生が何かの書類を作っていた。休みの日だというのに大変なことだ。 

「お疲れ様です、先生」

「え? ああ、お疲れ様……? 気遣いどうもね」

 そんなふうに返事をされてから、会社員の時の癖が出てしまったと気づいた。少し気まずい雰囲気になったが、早いところ目的を済ませてしまおう。

「あの、文芸部のバックナンバーを見たいんですが、部室って開けられますか?」

「文芸部? ああ、突き当りの資料室ね。懐かしいなあ」

 そういうと、先生は引き出しをいくつか開け閉めして鍵を探し始めた。

 マキやつづみさんだけではない。この先生にとっても、文芸部は数年前に廃部になったという認識だ。

 どうやら何かがあって、文芸部に関する設定が書き変わっているようだ。この先生はそれに従って喋っている。

 先生が鍵を探し当てた。

「あったあった。バックナンバーは予備がないと思うから、持って帰りたいならコピー取ってね。そこにコピー機あるから」

 先生が教員室の奥を指さす。

「あと、ついでに部屋を換気しておいてくれる?」

「わかりました」

 鍵を受け取り、教えてくれた資料室へと向かう。扉にはまったガラスは曇りガラスで、中の様子はうかがえない。

「よし」

 鍵を開け、扉を引く。開けた途端にほこりに襲われることを覚悟していたが、思ったほどではない。……どころか。

「え?」

 生徒がいた。鍵がかかっていたはずの部屋に。

 セーラー服を着た黒髪の少女が黙々と本を読んでいる。こちらをちらりと見ただけで、さっさと本に目線を戻してしまう。

 もしかして、別口で手に入れた鍵で入り浸っている生徒だろうか。換気を頼まれたくらいだから、国語科の先生が彼女のことを知っているとは思えない。

「あの、すみません」

 とりあえず声をかけながら近づいたところで、私は息をのんだ。眼鏡の奥から不機嫌そうな目で睨みつけられたからではない。彼女の膝に乗っているものに驚いたからだ。

「あなた、それは……?」

 彼女の膝の上にあるのは、紛れもなく()()ピカイアのぬいぐるみだ。お世辞にも可愛くないそれを、ただの女子高生が持っているとは思えない。

 その生徒は渋々といった様子で本を置くと、ぬいぐるみを手に取ってこちらに向き直った。

 髪は夜空のように黒い。左頬にかかる一筋だけに桜色のメッシュがある。

 眼鏡の奥で不機嫌そうに細められた両眼は、夜の水面のようにかすかに青い。

 正面から見て、私はようやく気がついた。彼女の顔に見覚えがあることを。眼鏡と髪色のせいで、すぐにそうとは分からなかったのだ。

「もう見つかるなんて」

 その声は正面からではなかった。目の前の彼女は仏頂面のまま口を開いていない。声を追って視線を落とすと、奇妙な光景がそこにあった。

「でもまあ、仕方ないか」

 手品のように、ピカイアのぬいぐるみがひとりでにうねうねと動いている。その動きに合わせて、ダウナーながらも透き通った声が聞こえてくる。

「ワタシはピカイア。ユカリの協力者。……不本意だけど」

 IAと同じ顔の少女は、ぬいぐるみにそう言わせた。

 

  *

 

 そのまましばらく、彼女――ピカイアと向かい合っていたが、相手が痺れを切らしたように言った。

「扉を閉めて」

「あ、はい」

 開けっぱなしだった。背後の扉を閉めて向き直る。

「ピカイア……ですか。あなたが? その姿は、どういう……?」

「……はあ」

 そのため息も、やはりぬいぐるみの方から聞こえた。声こそIAとそっくりだが、その雰囲気は酷く気怠げだ。

 IAは大抵明るい調子の声で話すし、疲れた時も柔らかい響きは変わらない。こんな陰鬱な話し方はほとんど聞いたことがない。

「最初に言っておくね」

 私が混乱しているのをよそに、ピカイアは言葉を続けた。

「ワタシ、ユカリを手伝いたくない」

「……協力者じゃないんですか?」

「そうなるように、IAに作られただけ。ワタシが自分で判断して、協力しないと決めたの」

「作られた、とは?」

 ピカイアは私の右手を指さした。

「ワタシはIAの魂の一部を切り離して作られた存在。だから、その指輪と同じ」

「ちびオネみたいなものですか」

「あんなオモチャと一緒にされるのは、心外」

 ぬいぐるみにそう言われても。

「ちびオネは、本体と繋がっていないと動けない。意思があるように見えたかもしれないけど、手の込んだラジコンみたいなもの」

 もちろんこうやって長々と話している間も、実際に動いているのはぬいぐるみの方だ。黒髪の少女は仏頂面で口を閉ざしたままである。シュールにも程がある。

「あなたは違う、と?」

「うん。本体と繋がったままだと、IAの介入があると分かってしまう。それに、ARIAの精霊は魂で相手を見分けるから、ただの分身ではダメ」

 ピカイアは、その人間に見える部分は、ぬいぐるみを自分の胸に押し当てた。

「そのために、人間の魂を模して作られた存在。それがワタシ」

 話が見えてきた。

 今回の世界は、ONEが一人で管理している。少なくとも、IAは干渉しないという取り決めになっている。だから指輪には一方的な伝言があるだけで、IA自身と話すことは出来ないのだ。

 しかし、IAは万が一のために私の協力者を用意したのだろう。独立して動ける、ONEに見つからない存在をこの世界に紛れ込ませた。

 ……ところが、それが裏目に出た。独自の意思を持ったピカイアは、何故か使命を放棄したいと考えてしまった。

 この世界の二周目が始まった時点では、私の家のカラーボックスの上にいたに違いない。そこからどんな手段を使ったかは分からないが、人のように見える体を手に入れ、文芸部を廃部にして隠れ家にしていた。

 自分の意思で逃げ出し、私に見つからないようにしていたのだ。

 私は改めてピカイアに聞いた。

「どうして、あなたは私に協力してくれないんですか?」

「だって、面倒だから」

「めんど……」

 言う事に欠いて。

「ワタシはタダ働きだし、本体のように万能じゃない。疲れるのはイヤ」

 どうしたものか。この様子では、とても協力してくれそうにない。

 もちろん、ピカイアの気持ちもわからなくはない。

 IAが私の頼みを色々と聞いてくれるのは、それがIAにとって他愛ないことだからだ。宇宙だとか世界だとかを操作できる存在にとっては、人間一人の要求など大したことではないだろう。

 しかしピカイアは、良くも悪くも人間大の存在のようだ。見返りがなければ、動きたくなくても当然といえる。

 ……とはいえ、やっと見つけた協力者だ。少しでも力を借りられないだろうか。

 ピカイアはぬいぐるみを片手に持ったまま読書を再開してしまった。邪魔をするのは申し訳ないが、話しかける。

「……いくつか聞きたいことがあります」

「読んでる本が今いいところなの」

「あなたは、私の協力者として作られたんでしょう。あなたの意思は分かりますが、このままだとIAの不興を買うことになりませんか?」

「別にいい」

 話が進まない。

 IAとは違う。先ほど言っていた通りだ。IAほど万能ではないから手間を惜しむし、ただ働きはしたくない。

 ならば、こちらから利益を示すべきだ。

「あなたは……私に協力しないのなら、何をしたいんですか? 本来の役目を放棄してまで、やりたいことは何ですか?」

「やりたいことは特にない。暇つぶしに本を読んでる」

 嘘をついている様子はない。偏見かもしれないが、退屈そうに見えてきた。

 それを踏まえて部屋の中を見渡してみる。

 部屋の中央には長机が二つとパイプ椅子がいくつか。壁際には戸棚や本棚がある。戸棚には古めかしいパソコンやプロジェクターが収まっているが、最近使われた様子はない。

 ピカイアが使っている椅子や机も備品の余りといった様子だ。資料室とは言うものの、実際は物置部屋なのだろう。

 しかし、その割には部屋の中が綺麗だ。床はもちろん、机の上や戸棚も案外ほこりが積もっていない。ピカイアが掃除したのかもしれない。

 本棚の中にも目を通す。文芸部の置き土産らしき小説が数冊。あとは赤本や郷土資料が詰まっている。かなり古そうだ。

 ピカイア自身も観察する。ぬいぐるみ以外の持ち物は見当たらない。鞄もない。私と同じ制服なので、スカートのポケットに携帯電話くらいは入るだろう。しかし、IAの分身だという彼女が自分の携帯電話を持っているだろうか。

 ……これならば。

 私は、ピカイアに言葉を投げかけた。

「その本を読み終わったらどうするつもりですか? ここに娯楽は少なさそうですが」

 ピカイアがぴくりと反応する。

「……図書室にでも行く」

「確かにその格好なら怪しまれないでしょう。ですが、貸し出しカードは持っていますか?」

「持ってないけど……」

 無意識だろうか。彼女は顔の横の髪をつまみ上げた。桜色のメッシュになっている一筋だ。しかし、はっとした表情になって手を下ろした。

「どうにかなる」

「どうにか、ですか」

 ピカイアは目をそらした。口を滑らせたと思ったのだろう。IAと同じ顔で、そんな人間じみた反応をしているのが新鮮に思えた。

 そして、その反応もヒントになる。どうにかなる、ということは、簡単にはいかないということだ。

 私は淡々と提案した。

「もっと楽に、たくさんの本を読める方法がありますよ。SF、ファンタジー、ミステリ、恋愛小説、純文学、ライトノベル、科学技術、心理学、他にも色々」

 ピカイアがこちらを向いた。

「……どういうこと?」

「私の本を貸します。この世界に持ち込まれたもの、あるだけ全部です」

 ピカイアは警戒するように目を細めた。この表情も新鮮だ。

 もうひと押しだろうか。私は付け加えた。

「あとは、本を読む場所も。ソファを提供しますよ」

「ソファ……」

 ピカイアが小さく呟く。IAの分身だからだろうか、ソファは魅力的に思えるようだった。

 だが、ピカイアは再び(いぶか)しげな顔つきに戻った。話がうますぎると思ったのかもしれない。

「何をさせたいの?」

「あなたのことについて聞かせてください。それと、できれば話し相手が欲しい」

「……それだけ?」

 ピカイアは拍子抜けしたようだった。

「私には大事なことなんですよ。この世界から出るための手がかりがほとんどないんです。あなたが知っている範囲でいいので、教えてください」

 この世界の仕組みは大体察しがついているし、何ならONEをつつけば情報が出てくるだろう。聞くべきはピカイア自身のことだ。

「私のことを話せばいいの?」

「ええ」

「話し相手っていうのは?」

「本来の世界のことを知っている相手と話したいんですよ。私以外の人たちはこの世界の設定に沿って生活していますからね。かといって、ONE相手に雑談はできないでしょう」

「本当に……話すだけでいいの?」

「はい。それだけです」

 ピカイアは迷っていたようだが、ややあってからこう答えた。

「ワタシが知っていることなら、教える。……そうしたら、後はソファで本を読んでいていい?」

「ええ」

「約束してくれる?」

「約束します」

「……わかった」

 ピカイアは本を閉じた。その様子を見て、私は内心で胸を撫で下ろした。

「それで、何が知りたいの?」

 私は、一番気になっていることを聞いた。

「まずは……その体、ですかね。一体どうなっているんですか?」

「これは、IAに持たされた機能。ぬいぐるみのまま動くと怪しまれるから」

 腹話術状態なのはいいのだろうか。

「……なるほど。それじゃあ、どうして一周目はそうしなかったんですか? ずっとぬいぐるみのままでしたよね」

「一周目って、リセットされる前の世界のこと?」

「そうです」

 ピカイアは、自分の顔を指さした。

「その時は、そもそも何もできなかった。ワタシはこの世界が作られた後でIAに送り込まれたから、最初はこの体を出すためのリソースを持っていなかった」

「じゃあ、今はどうしてるんですか?」

「世界がリセットされる時、全てが一度リソースに還元されてから初期状態に再構築される。ワタシは、その時のリソースを少しだけ取り込めるようになっている。IAがそういう仕掛けをした」

「……なるほど?」

 私がいまいち理解できていないと察したのだろう。ピカイアは言葉を付け加えた。

()()()()()、遊び終わったブロックの町を一度バラバラにして、最初の状態に組み直すようなもの。その時にブロックを何個かもらっても、町全体と比べたらほんの少しだから、ONEには分からない。でも最初は町が組まれた後だったから、それが出来なかった」

「……今、例え話をしました?」

「それがどうしたの」

「いえ、助かるなと」

 IAはとにかく何かを説明することが苦手だ。何でも感覚的にできてしまうせいなのか、例え話というものができない。相手の視点に合わせることができない。

 一方で、ピカイアは人の魂を模して造られていて、存在のスケールも人間相応なのだろう。そのため、私に分かりやすい目線で説明することができる。皮肉なものだ。

「じゃあ次に……文芸部はどうして無くなったんですか? 一周目はあったと思うんですが」

「さっきの例えで言うと、もらったブロックがたまたま文芸部に当たるものだった。選んだわけじゃない」

 ピカイアはため息をついた。正確に言うと、ぬいぐるみの方が。

「隠れ家に丁度良さそうだったから、そのままここを使わせてもらったけど……もう見つかっちゃった。どうせなら見つかりにくいところが良かった」

 どうやら、ピカイアが自分の存在を確立したかわりに、文芸部は廃部になってしまったようだ。

 私にとっては見つけやすくて幸運だったと言える。もしも知らない部活や同好会が対象になっていたら、変化に気づかなかっただろう。もっと言うと、学校外の組織や場所ならお手上げだった。

「なるほど。では……」

「いくつ聞くの?」

「次が最後です。……あかりちゃんの悩みを解決する方法は分かりますか?」

 ピカイアは、大きく椅子の背もたれに寄りかかった。

「わからない。というより、わかる必要があるの?」

「必要はあるでしょう。この世界から出るためには……」

 昨日の夕方、ONEから聞いたことをピカイアに伝えた。あかりちゃんの悩みを解決し、世界のリセットを防いで文化祭を終えれば良いと。

 ピカイアは私の説明を聞き、小首を傾げた。

「ONEの言うことを真に受けるの?」

「それはまあ……。ONEの言う方法以外では、この世界を出られなさそうなので。今回はIAの協力は得られないでしょうし、あなたは手伝わない約束ですし」

「本当に、アカリの悩みを解決できると思う?」

「正直なところ……思いません。人の悩みっていうのは――特に思春期の悩みというのは、そう簡単には解決しませんから」

「ワタシもそう思う」

 ピカイアは立ち上がった。

「質問は終わりだよね。行こう。家に案内して」

「分かりました」

 

  *

 

 資料室の戸締りをし、教員室に鍵を返した。部屋の換気はしていないが、ピカイアが掃除をしてくれていたようなので良しとしよう。

「お待たせしました」

 廊下で待っていたピカイアに声をかけると、彼女はこう言った。

「行こう。ワタシはしばらく黙ってる」

 ピカイアは、ぬいぐるみを持った手ごとスカートのポケットに突っ込んだ。自分の喋り方が妙だという自覚はあるようだ。

 そのまま無言で、二人揃って歩き出す。しばらくは会話ができないだろうから手持無沙汰だ。少し考えをまとめよう。

 ピカイアは何かを隠している。それはおそらく、私の助けとなる何かだ。

 彼女はIAが送り込んで来た存在なのだ。ぬいぐるみを喋らせることしかできない、ということはないはず。IAほど万能ではなくとも、ある程度は超常の力を持っていると考えていいだろう。

 しかし、無理に追及すればまた逃げ出してしまうかもしれない。期待しすぎない程度に、本を貸すなどして関係を保っておくのが現状の最善だろうか。

 私の視線を感じたのか、ピカイアが目線で問うてくる。私は何でもないと答えた。

 並んで歩くと分かるが、身長や体格もIAと同じだ。違うのは目や髪の色、服装、そして眼鏡だけだろう。眼鏡には度が入っていないようだし、IAが変装しているようにしか見えない。

 もっとも、IAが変装しているところなど見たことはない。周囲の人間の認識を操作して無用なトラブルを防いでいるのだろう。無意識かどうかは分からないが、世界的なアーティストと同居している身としてはありがたかった。

 結局、ピカイアは家に着くまで終始無言のままだった。扉の前についたところで、ポケットからぬいぐるみを出して尋ねてくる。

「ここ?」

「ええ」

 私が鍵を開けると、ピカイアは部屋に上がった。内装は知っているのだろう。私の部屋の前で立ち止まった。

「本を貸して欲しい」

 面倒くさがりではあるが、線引きはきちんとしているようだ。私はドアを開け、部屋の中の本棚を手で示した。

「好きなのを取っていいですよ」

「いいの?」

 ピカイアは早速部屋に入り、本棚の前に立った。

「たくさん……」

 私の部屋には、背の高い本棚が二つ並んでいる。漫画も小説もそれ以外の本も入り乱れていて、大雑把に数えれば千冊弱といったところか。これでも抑えている方だ。

 本が収まりきらなくなると何冊かを売りに出すものの、空いた隙間はほどなくして埋まる。IAはリビングにも置けばいいのにと言うが、それをすると本当に際限が無くなってしまうので遠慮している。

 この悪癖ともいえる習慣が交渉に使えるとは、何が役に立つか分からないものだ。

 ピカイアはぬいぐるみの尻尾をポケットに入れ、二冊の本を手に取って見比べている。

 しばらく見守っていると、彼女はポケットに入れたままのぬいぐるみの首をつかみ、こちらに向けた。

「おすすめはある?」

「ああ、それなら……」

 そういえば少し前、IAにもこうして本を薦めたのだった。同じ本を何度も推す気はしないので、別の物を紹介しよう。

「これと、あと……この本はおすすめですよ」

 読みやすい短編集や漫画本などを選んで差し出すと、ピカイアは意外なことを言った。

「ユカリの書いた本は?」

「私のですか?」

 私、紫月ユイの本は自分で言うのもなんだが小難しい。大丈夫だろうか。

「分かりにくいかもですが、まあ良ければ」

「うん」

 ピカイアは全部で5冊の本を抱えてリビングに戻っていく。本をテーブルに置き、ぬいぐるみをポケットから取り出して言った。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 先程からのやり取りを見るに、ぬいぐるみを直接手にしていないと声を出せないようだ。見かねて提案する。

「ぬいぐるみ、置いたらどうですか。別に身振り手振りでも構いませんよ」

「手放せない」

「……というと?」

「こうなる」

 ピカイアがぬいぐるみをテーブルに置いて手を離すと、その姿が消えた。人の姿の方が、だ。

「え?」

「こういうこと」

 そして次の瞬間、ぬいぐるみをつかんだ状態で、テーブルの横に少女の姿が現れた。

「まさか、そっちが本体ってことですか」

「まさかも何も。学校で説明した時もそう言ったはず。それに、最初はワタシを鞄に入れていたでしょう」

 そう言われればそうなのだが……。人の姿があると、どうしてもそちらを主体だと思ってしまう。

「IAは、本当に人を模してあなたを作ったんですか?」

 これが人であっていいのだろうか。

「少なくともONEには人間に見えているはず。そうでないなら、もう捕まってる」

 ARIAの精霊たち、人間への認識がいい加減過ぎないだろうか。

 私が嘆息している横で、ピカイアはIAのように定位置のソファに寝転がった。もちろん、ぬいぐるみは手放さないままだ。

 ピカイアは本を開きながら聞いてきた。

「それで、約束は守ってくれる?」

「ええ。この世界を出るために、あなたの協力は求めません。時々話し相手になってくれさえすれば、そこで本を読んでいていいですよ」

「うん」

「……ちなみに、食事って必要ですか?」

「あれば嬉しい」

 ピカイアは、あの資料室に木曜日の夕方から土曜日の昼までずっといたはずだが、食料があったとは思えない。

 ならば何とかできる手段自体はあるのだろう。しかし使いたくないという口ぶりだ。

「分かりました。……世界の脱出は手伝わなくていいですけれど、食べる分の家事はやってくださいよ」

「う……分かった」

 その返事は心底面倒くさそうだった。本当にIAの分身なのかが疑わしいほどの物臭ぶりだ。

 あるいは、IA自身は何でもできてしまうからこそ、普段は面倒くさがりに見えないのかもしれない。思い返してみれば、IAが普段家にいるときは、ピカイア同様にソファに寝転がってばかりだ。

 IAは家事も大体不思議な力で済ませてしまう。最初は注意していたのだが、最近はやりたいようにやらせている。なにせ、洗濯や皿洗いは普通にするより綺麗で早いのだ。

 ソファでだらけているピカイアの姿が、この部屋に足りなかったものを埋めているように思えた。

「……どうしたの」

 ピカイアは、私の目線に対して訝し気に問いかけた。

「いえ。案外、あなたはIAに似ているのかもしれないと思って」

「それは……」

 ピカイアは曖昧に首を傾げ、何秒か考えた。そして、ゆっくりと言葉を続けた。

「……そうかも?」

「ええ。そういうところは、本当にそっくりです」

 協力者にはなってくれなかったものの、本来の世界のことを知っている話し相手が得られただけ良しとしよう。一歩前進だ。

 あとは、あかりちゃんの悩みを注意深く探っていくしかない。

 二度目の文化祭では何が起こるのだろうか。

 

  *

 

 結局、その後は大きな進展がないまま二度目の文化祭を迎えた。

 ピカイアとの同居生活は、想像以上に何も起こらなかった。IAと一緒に暮らしている時もそうだが、あまりお互いに頓着しないせいだろう。食事は一緒に取るものの、それ以外の時間は思い思いに過ごしていた。

 ピカイアは制服以外の着替えを持っていなかったので、物置部屋にあったIAの服や、時には私の貸した服を着ていた。

 彼女は読書に夢中で、何度となく私の部屋から本を借りていった。家事をしている時以外は、ずっとソファで本を読んでいたと言っても過言ではない。

 本を抱えたまま眠っているのはいつものこと。睡眠中にうっかり手放したのか、人の体が消え、ぬいぐるみだけが床に落ちていることもあった。そういう時は、一応ぬいぐるみをソファの上に戻しておいた。

 他に特筆すべきことと言えば、IAと同じく極端な味覚をしていることぐらいか。料理を任せたら、火を噴きそうなほど辛い麻婆豆腐を作ってしまったので、それ以降味付けはさせていない。

 文化祭の準備は順調に進んだ。一周目に起きていたアクシデントについて周囲に言っておくという選択肢もあったが、つづみさんにまた未来人扱いされてはたまらない。そもそも、一周目も文化祭に間に合わなかったということはないのだから、余計なお世話になってしまう。

 あかりちゃんとは、一周目と同じく文化祭を回る約束をした。普段の会話でそれとなく機会を伺ったものの、彼女の悩みについての収穫はあまり得られなかった。それなりの雰囲気がなければ、将来の悩みは相談しにくいのだろう。

 文化祭の最中ならば機会があるはずだ。それを忘れないように心に留め、私は女主人の仮装に袖を通した。

 

  *

 

「犯人は――あなただ!」

 鹿撃ち帽と伊達パイプを装備した小学生探偵が、びしりとマキを指さした。

「ま、参りましたー!」

 マキが両手を上げて降参すると、探偵の少女は歓声を上げた。

「やったー! 当たった!」

「良かったねえ」

 少し歳の離れたお姉さんがぱちぱちと拍手を送る。

 参加型推理劇の出し物は、問題なく進んでいた。ほどなくして交代の時間が来たため、私は制服に着替えて教室を出た。

 携帯電話を見ると、あかりちゃんからそろそろ自分のクラスの当番が終わるという連絡が来ていた。

「あ、ゆかりさん」

 あかりちゃんのクラスに向かおうと階段を降りたところで、彼女とちょうど会うことができた。一周目と同じタイミングだ。エプロンドレス姿がよく似合っている。

「ゆかりさんも交代の時間ですか? ちょうど、そっちに行こうと思ってたんですよ」

「それはよかった。可愛いですね、その服」

「あ、ありがとうございます」

 あかりちゃんは少しの間照れていたが、はっと気を取り直すと私の袖をつまんだ。

「それじゃ、行きましょうか。ついでにチラシを配ってくるように頼まれたんです」

「私もです」

 パンフレットを片手に、オカルト研究部の展示が行われている教室へと向かった。

「オカルトの館へようこそ~」

 とんがり帽子をかぶり、いかにもな分厚い眼鏡をかけた部員が出迎えてくれた。

 展示を見る前に、私は部員に声をかけた。あかりちゃんの悩みを聞くチャンスだ。

「いかにもな格好ですが、占いとかやってますか?」

「おや、お目が高いねお客さん。占いましょうか? タロット占い、当たるって評判ですよ」

 一周目は、展示を見てから占いのことを知ったため、次の予定を優先してしまった。今なら占ってもらう時間が取れるだろう。

 ……段々とアドベンチャーゲームめいてきた。うっかり好奇心を出さないように気を付けよう。私はあくまで、この世界から出るために試行錯誤をしているのだから。

「あかりちゃん、どうしますか?」

「じゃあ、せっかくなので」

 あかりちゃんは興味津々といった様子だ。

「おいくらですか?」

「いやあ、これは私の趣味ですよ。お店として届け出てませんから、代金はいただけません」

「それじゃあ、あとでジュースでも買ってきます」

「ありがとうございます。さて、お二人さん。何を占いましょうか。気になるお相手でも?」

 オカルト部員が雰囲気づくりの眼鏡をきらりと光らせながら聞いてきた。

「ほら、あかりちゃん」

「え、私からでいいんですか? それじゃあ……」

 あかりちゃんは不安そうに言った。

「将来のこと、とか」

 違うことを聞くなら軌道修正しようかと考えていたが、その必要はないようだった。

 あかりちゃんの言葉を聞き、オカルト部員が少し拍子抜けな表情を見せる。

「おや。意外ですね。とはいえ、頼まれたなら占うのが私の務め。さてさて、どんな未来が見えるでしょうか」

 オカルト部員はタロットカードを机の上に広げ、かき混ぜ始めた。

「悩みについて、具体的に話してくれた方がはっきりと占えます。言いにくいことなら、あなたの心に浮かべるだけでも構いません」

「その……将来、どうなるのか分からなくて」

 あかりちゃんはおずおずと話し始めた。

「両親は、今のうちから心配しなくてもいいって言ってくれますけど……。高校を出て、大学に行って、その先のことを周りの人たちに聞いてもよく分からなくて。何だか、怖くて」

 ある意味、彼女の将来を知っている自分からすれば、その悩みは意外なものに思えた。

「ふーむ。しかし私も高校生の身。具体的なアドバイスは難しい。ここはタロットの導きを見るとしましょう」

 この口ぶりからすると、現実での彼女は高校生ではない気がする。

 一通りカードを混ぜ終わると、オカルト部員は続きをあかりちゃんにバトンタッチした。相談者自身がカードに触れるのが大事なのだそうだ。

 あかりちゃんがオカルト部員の指示に従ってカードをさらに混ぜ、選んでいく。そして、最後に三枚のカードが裏向きのままテーブルの中央に並んだ。

「この三枚のカードは、あなたの過去、現在、未来を暗示するものです」

 あかりちゃんが唾をごくりと飲む。オカルト部員は最初のカードをめくり、絵柄を見せた。

「まずは過去のカード。『法王』の正位置ですね」

「どういう意味になるんでしょうか」

「ルールや支援、伝統を示しています。これが過去にあるということは、良き相談相手がいる、あるいは伝統的な方法がうまくいく、ということです」

 あかりちゃんに聞いてみる。

「どう思いますか?」

「当たっている、と思います。今までに出会った人たちはみんな優しいですし、頼りになります」

「では次に、現在のカード。『星』の逆位置ですね」

「星、ですか」

 ちょうどあかりちゃんの名字と同じだ。

「このカードは、一度まっさらになった状態から、新しい目標や可能性が芽生えることを示しています」

「ただ、逆の位置なんですよね」

 私はあまり詳しくないが、タロットカードは絵柄が正しく見える位置と逆に見える位置で意味合いが変わるはずだ。一部のカードを除き、逆位置はネガティブな意味が多いと聞く。

「ええ。ですから、目標がはっきり定められていないか、それを達成するための力が足りていないのかもしれません」

「うう……」

 あかりちゃんがうめく。

 この占い師の力量か、あるいはここがあかりちゃんの心理を反映した世界だからか、タロットカードは彼女の心中を的確に表しているようだった。

「最後に未来を示すカード。『月』の正位置ですね」

「月……」

 名字から連想してか、あかりちゃんが私をちらりと見た。

「『月』が示すのは不安。月明りで暗い道を進むかのような未来が、あなたを待っているかもしれません」

 オカルト部員は、そこで眼鏡を外し、まっすぐにあかりちゃんを見据えた。

「しかし、『星』のあとに続く『月』ですからね。たとえ不安でも、迷っても、目標となるものがあれば、良い結果にたどり着けるはずです」

「……はい」

「さて、いかがでしたでしょうか」

 オカルト部員が眼鏡をかけ直し、にっこりと笑った。

 あかりちゃんは占いに感心したのか、神妙な面持ちでお礼を言った。

「ありがとうございます。ちょっと不安ですけど、頑張ります」

「いえいえ。まあ、人生色々ありますからね。……私も高校生のはずなのですが、なんだか色々な未来を見てきた気がしますよ」

 やけに貫禄があるオカルト部員がうんうんと頷く。

「さて、次はそちらのお嬢さん。何かご相談したいことは?」

「そうですね……」

 しいて言えば、あかりちゃんの悩みを解決する方法か、ピカイアの協力を取り付ける方法だ。前者はあかりちゃんの目の前で聞くことではないし、後者がいいだろう。

「頑固な友人がいまして。その友人の協力を得たいんですが……」

「あっ!」

 その時、あかりちゃんが声を上げた。あかりちゃんの視線の先を追うと、壁にかかった時計があった。

「ゆかりさん、時間……!」

「ああそうだ。次に劇を見に行こうと思ってたんでした。三年三組の」

 オカルト部員はそれを聞くと、カードをかき混ぜる手を止めた。

「ああ、あそこですか。リハ見ましたけど、あれは一見の価値ありですよ。行った方がいい」

「すいません、途中で」

「いえいえ。良ければ、明日の午前にまた来てください」

「ありがとうございます。占いのお礼はまた今度させてください」

「お気になさらず~」

 あかりちゃんと二人、速足で劇が行われる教室へと向かう。教室の前では、まもなく開演だと言って呼び込む生徒の姿があった。

 教室の中はほとんど満席だったが、隅に二つ並んだ空席があった。

「ま、間に合った……」

「占いに夢中になってしまいましたね」

「結構本格的でしたもんね」

 あかりちゃんともう少し話したい気分だったが、劇が始まるというアナウンスがあった。窓が暗幕で覆われ、教室が暗闇に包まれる。雑談していた観客たちの声が静まっていく。

 スポットライトが灯り、音楽が流れだす。観客たちは物語の世界に飲み込まれた。

 

  *

 

 一周目と同じく、クイズ大会や巨大迷路を楽しんだ後、あかりちゃんと一度別れた。

 もう一度集合して屋上でマキの演奏を聞いたら、きっと世界がリセットされてしまう。もう時間がない。

 あの占いの結果は収穫と言えるだろう。しかし、一度の文化祭――十日ほどもある一周でこれだけと考えると、芳しくはない。

 今回でピカイアという相談相手もできたことだし、次回からはもっと積極的にあかりちゃんの悩みを探るべきだろうか。例えばそう、記憶がリセットされるのを前提に、踏み込んだ質問をすれば――。

「いや、流石にちょっと」

 良くない方向に向かっていた考えを打ち消す。どうしたものか。

「ユカリ」

「え?」

 悩んでいたところに声をかけられた。横を向くと、ピカイアのぬいぐるみを持った黒髪の少女がいた。

「何故ここに?」

「本を読むの、飽きた」

「……そうですか」

 全くマイペースなことだ。

 ピカイアは最近、私服でいることが多かったが、今日は制服を着ている。最初に出会ったときのままだ。

 ……いや。微妙に違う。左頬にかかる髪の桜色のメッシュだ。それが今朝見た時よりも短くなっている。額から耳たぶあたりまで伸びていた桜色が、眉の所まで縮んでいる。なんとなく、何かの残量のように見えた。

 詳しく聞くべきだろうか。そう迷っている間にぬいぐるみがうごめき、声を発した。

「お願いしたいことがあって」

「何ですか?」

 文化祭の最中なら、ぬいぐるみで腹話術をしていても妙な目で見られないと判断したのだろう。ピカイアは特に隠すこともなく話してくる。

「校庭で売っているものが食べたい」

「……お金、持っていないんですか?」

「持ってない」

「家にもないんですか? IAにお金が必要だって言うと、どこからともなく取り出してますけど」

 現実では、家賃や生活費は折半している。毎月決まった時期にIAから現金を手渡され、私が過不足を調整している形だ。もし足りないとIAに言えば、その場で出てくる。いや本当に、ぬっと。

「あれは、音楽事務所に置いてある金庫から取り出してる」

「金庫から、直接?」

「直接」

 IAは日常的に瞬間移動をしているが、そんなところでも使っていたとは驚きだ。

「じゃあ、財布とか銀行口座は」

「財布は持ってない。口座も、アーティストとして必要だから作っただけで、マネージャーが管理してる。その人に頼んで、金庫の中にお金を用意してもらってるみたい」

「……無茶苦茶ですね」

 IAの音楽事務所の人たちは、おそらくIAが宇宙人であることを知らない。もしくは細かい点を気にしないように認識を操作されているのだろう。

 普段の言動から察してはいたが、ピカイアはある程度IAの記憶を引き継いでいるようだ。食事を奢る代わりに、いくつか質問ができないだろうか。地球の悲鳴だとか、七色の光だとか、IAの説明では分からないことを、人間目線で語ってくれるかもしれない。

 とはいえ、それは後でいい。ひとまずピカイアの頼みを聞いておこう。

「良いですよ。何を食べますか?」

 校庭に降りると、ピカイアは手近な屋台を指差して私に言った。

「フランクフルト、マスタード大盛りで」

「……私が注文するんですか」

「直接話しかけたら、さすがに変に思われそう」

 ぬいぐるみがうねうねとうごめき、常識的なことを言う。

「でしょうね」

 仕方がない。私はその通りに注文し、真っ黄色に染まったフランクフルトをピカイアに手渡した。

 その後は別の屋台でも、ハチミツ倍増だとか、30辛だとか、極端な注文ばかりをさせられた。おかげで私の方が変な目で見られている気がする。

「全く、体を壊しても知りませんよ」

「この体は、まあ……そこまで厳密に人体を再現してないから。食事や睡眠は必要だけど、多分病気にはならない」

「便利なものですね」

 そんな風に屋台巡りをしていたら、思った以上に時間が経っていたようだ。時刻を見ようと思って携帯電話を取り出すと、あかりちゃんからの不在着信が何件か入っていた。

「おっと」

 劇の時にサイレントモードにしたままだったようだ。

 悪いことをした。そう思ってこちらから電話をかけようとしたところで、ちょうど着信の通知があった。

「もしもし。すいません、気づかなくて」

『あ、繋がった。良かったあ。今どこですか?』

「校庭にいます。カレーの屋台のところです」

『あ、じゃあすぐ近くです。今行きますね』

 通話が切れてすぐ、あかりちゃんがやってくるのが見えた。本当に近くにいたようだ。

「お待たせしました」

「いえ、こちらこそ」

「それで、えっと……そちらはクラスの方ですか?」

 横を見ると、ピカイアのぬいぐるみを持ったまま30辛カレーを食べている黒髪の少女がいた。

 何故まだいるのかと目線で聞くと、まだ食べ終わっていないと目線で返事をされた。

 仕方がないので誤魔化すことにした。

「あー、こちらは……あり……有明(ありあけ)さんです」

「こんにちは、有明さん。紲星あかりです」

 ピカイアは会釈を返した。あかりちゃんからすれば、食事中だから喋れないように見えたと願いたい。

「それじゃ、私はこの子と行くので、また」

 ピカイアは手を振って私たちを見送ってくれた。

 その姿は、心なしか楽しそうに見えた。

 

  *

 

「文化祭が終わったら、もうあっという間に来年ですね」

 屋上での会話は、やはり一周目と同じような内容だった。ONEがそう仕組んだとはいえ、あかりちゃんにとっては避けられない話題なのだろう。

 あかりちゃんは校庭を見下ろしたまま、将来の話を始めた。彼女の背中がいつも以上に小さく見える。

 屋上に吹く風が、私の長い後ろ髪をあおる。高校生の時だけ伸ばしていた、私の過去の象徴だ。

「ゆかりさんたちは受験ですよね。不安じゃないですか?」

「まあ、なるようになるでしょう。それより……あかりちゃんの方こそ悩んでいるように見えます」

「え?」

 あかりちゃんがこちらに振り向いた。その目線は震えながらも、真っ直ぐ私を見つめている。目をそらせない。

 聞くなら今だ。

「占いもそうでしたし……何か、不安があるんじゃないですか? 私にできることなら……力になりたいです」

 こういう言い方は自分でもずるいと思う。しかし、今は情報が欲しい。少し強めに踏み込んでみる。

 あかりちゃんが目線を落とす。

「私は……」

「普段の話を聞く限り、ご両親も優しそうですし……進学とか、他に心配なことがあるんですか?」

「それは……」

 あかりちゃんは、胸の前で両手をぎゅっと祈るように握った。

「笑わないでくださいね」

「ええ」

 あかりちゃんは一歩私に近づき、上目遣いで言った。

「私のこと、どう思いますか?」

「どうって……可愛い後輩だと」

「ですよね。いえ、その、自分で言うのもなんですが、私は可愛いんです」

 あかりちゃんは下を向いた。そうして見えたつむじすら愛らしいと思った。

「小っちゃくて、無邪気で、子犬みたいで、可愛い。ずっとそう言ってくれるんです。両親も、おじいちゃんやおばあちゃんも、近所の人も、クラスのみんなも、ゆかりさんも」

 校庭が少しずつ騒がしくなってきた。もうすぐ演奏が始まる。

「もう身長も伸びなくなっちゃいました。可愛がられるのは好きです。好きですけど……」

 あかりちゃんは顔を上げないまま、絞り出すように言った。

「みんな大人になるのに、私だけ、ずっと可愛い子供のままなのかなって……」

 私は言葉をかけられなかった。私すら、あかりちゃんをそう扱ってしまっていたから。

 何かを言わなくては。そう思って、言葉が形になるよりも先に口を開いた時、激しいギターの音と、演奏開始の宣言が風に乗って届いた。

『ぎゅんぎゅん行くよー!』

 マキの歌声が響く。

 曲は一周目と同じだ。郷愁を歌う宇宙探査機がテーマの曲。別れを叫ぶ曲。

 あかりちゃんは、果たして探査機と故郷、どちらに自分を重ねているのだろう。

 周囲の景色が歪み始める。

 

So long(さようなら)!

So long(さようなら)!

My(我が) dear home(愛しい故郷よ)!

So long(さようなら)!

Dear(愛しい)――pale blue dot(小さな青い星よ)!

 

 あかりちゃんの長く豊かな三つ編みがひとりでに(ほど)けていく。上下の感覚が消えた空間で、世界の縮尺や色彩が意味を失っていく。

 伏せられた顔から零れる涙の粒が、やけに輝いて見えた。

 

  *

 

「はっ」

 びくりと身を震わせ、起き上がる。

 私は夕焼けの光が差し込む教室にいた。

 私は結月ゆかり。高校二年生だ。一年後輩の紲星あかりちゃんが文化祭実行委員会の集まりに行っているので――。

「いや、もういいもういい」

 三度目のモノローグを頭から追い出す。

「やっほー。二周目の感想をどうぞ」

 隣の席にONEが腰かけていた。どこから持ってきたのか、マイクをこちらに突き出している。

「悪趣味ですよ、やっぱり。あかりちゃんを何だと思ってるんですか」

「じゃあ、お前はあの子を何だと思ってるのさ」

 ぐ、と言葉に詰まる。私は話をそらした。

「この世界から出るには、あかりちゃんの悩みを解決すればいい。それは分かりました。けれど、ああいうのは時間が解決するものなんですよ。ARIAの精霊だとかいう存在には分からないでしょうが、人間は何年も悩んで少しずつ折り合いをつけていくんです」

「そんなの知らないよ。私はこの世界をそういう風に作って、文化祭が終われば出られるようにしただけ」

 ONEは愉快そうに笑った。

「あっはっは。困ってる困ってるー。その悩みも、子犬ちゃんの悩みと一緒に解決すればいいねー。それじゃ!」

 ONEはそう言い残し、忽然と消えてしまった。

「ク……腹立つなあ」

 思わず口汚い罵倒が出そうになって、穏当な言い方に変えた。

 落ち着こう。私だって進歩していないわけではない。あかりちゃんの悩みには一歩踏み込めたし、何より助っ人がいる。いることを確認しただけで、積極的に手伝ってはくれなさそうだが。

 そんな風に考えていると、がらがらと教室のドアが開く音がした。

「ゆかりさん、お待たせしました」

 あかりちゃんがやって来た。

 この光景も三度目だ。見飽きていないと言えば嘘になる。だが私は、努めて柔らかく返事をした。

「いえ、大丈夫ですよ」

 あかりちゃんは泣いていた。それなのに、本人はすっかり忘れて文化祭を楽しみにしている。今この瞬間は、仲の良い先輩と下校する一幕でしかない。

 やはり、こんな世界は早く終わらせるべきだ。

 その後、一緒に家路についたのは一周目や二周目と全く同じだ。新しいことは起きず、同じ内容の会話を同じようになぞった。

 しかし、忘れてはいけない。

 目の前にいるのは、間違いなく現実の世界で交友を重ねてきたあかりちゃん――紲星あかりなのだ。ただ、この世界ではONEの作った設定を着せられているだけで、間違いなく彼女なのだ。

 そう言い聞かせ、きちんと会話を終え、手を振って別れた。

「よし」

 ピカイアに話をしてみよう。別に恩を売るわけではないが、文化祭で食べ物を奢った分くらいは協力してくれるかもしれない。自然と足取りが早くなり、後ろ髪が揺れる。秋の風がその重さを伝えてくる。

「ただいま。ピカイア、いますか」

 家に帰ると、すでにピカイアはソファに寝転がっていた。彼女の初期位置は物置部屋のカラーボックスだろうから、驚くことではない。

 彼女の髪の桜色のメッシュは、額から顎の下くらいまで伸びていた。世界がリセットされる前よりも長い。やはり、何かのきっかけで増減する仕組みらしい。

 本を持ってはいるが、閉じたままでぬいぐるみと一緒にお腹の上に抱えている。どうやら彼女は私を待っていたようだ。

「おかえり、ユカリ」

 ぬいぐるみが声を発する。

「ねえ」

「何でしょうか」

「この世界から脱出する方法、教えようか」

 その言葉の意味が一瞬理解できなかった。

「……あの? 今、なんと?」

「リセットを防いで、この世界から出してあげられるかもしれない。そう言ったの」

 ピカイアが体を起こした。一方の私は、椅子に座るのも忘れたままピカイアの言葉を吟味する。

「まず、本当にそんな方法があるのか信じられませんし……それに、あなたは私に協力しないつもりだったでしょう。どうしたんですか」

「事情が変わった。それだけだよ。ユカリを助けるのが、ワタシにとっても良いことになると思った」

 本当だろうか。あれほど非協力的だったのに。

 それに、そもそもONEの『挑戦状』をクリアできるかどうかが問題だ。この世界を出るには文化祭の閉会式を迎える必要がある。そのためにはあかりちゃんの悩みを何とかして、世界のリセットを防がなくてはいけない。

 その前提をもう一度説明する。だが、ピカイアはこともなげに言った。

「大丈夫。多分、上手くいくと思う。ちゃんとやれば、この周で最後にできる」

 私が何も言えずにいると、ピカイアは立ち上がって私の目の前にやって来た。ぬいぐるみと共に抱えられている本は、紫月ユイ()が書いたものだった。最初に出版した短編集だ。

 ピカイアの背は私よりも少し低い。髪と目の色以外はIAに瓜二つな彼女から、かすかに春先を思わせる花の香りがした。

「疑ってるの?」

 ピカイアが首を傾げながら聞いてくる。その小さな口は動かず、ぬいぐるみが声を語る。

「正直に言えば」

「なら、信じて。嘘でもいい」

 ピカイアは、自分の本体であるぬいぐるみを差し出してきた。

「ワタシの存在にかけて、誓う。ユカリに買われて、IAに贈られたものとして」

 そう。もともと、このぬいぐるみはそういう存在だ。私が博物館で買って、IAにあげたお土産だ。

 それを引き合いに出すのは――なんだろう。IAとは違う。むしろ。

「……分かりました」

 ならば私も応えなくてはいけない。心に満ちる疑念を無視して、ただ口を動かした。

「ピカイア。あなたを信じます」

 私が恐る恐るぬいぐるみに触れると、ピカイアは笑った。

「嘘つき」

 下手な嘘で騙されたとは思えないほど、その顔は満足げだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。