嘘つき作家と宇宙人   作:喜来ミント

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Episode 2 塔の無い時代

 

 私の同居人はエイリアンだ。

 といってもアンテナのような触手が生えているわけではない。見た目で言えば美しい少女にしか見えない。

 しかし彼女の価値観は間違いなく私たちと違うものだ。ちょうど私の書くSF小説に出てくる異星人のように、理解の及ばない存在だと痛感する。

 表向きは世界中で人気を博するアーティストだが、その正体は惑星ARIAからやってきた精霊――だとか、なんとか。

 これはそんな宇宙人IA(イア)と、兼業作家の紫月ユイこと結月ゆかりの日常である。

 

  *

 

 私が渡した紙束から顔を上げたIA(イア)は開口一番こう言った。

「難しい」

「そうですか」

 難しくてわからない。私が今までの人生で何度も言われたことだ。

 人に合わせて話し方を変え、相手の知識に合わせて言葉を変える。そんな当たり前のことを身に着けたのは本当に最近のことで、ついおろそかになることもある。

 今IAに難しいと言われたそれも、改善が必要な代物だった。

「まず用語が多すぎる。それにここ、説明になってるの? 私にはよくわからない」

「あ、メモ取るので……どこですか?」

 気だるい午後の日曜日。私は試しに推敲前の小説をプリントアウトしてIAに読ませてみた。彼女自身の希望があってのことだが、それでも容赦なく欠点を挙げてくれるのはさすがというべきか。もっとも、変に気を使われるよりもありがたい。

 その小説は人間ではない知的生命体が暮らす惑星での物語だった。主人公も当然その生命体の一体であり、彼らの姿かたちから始まり、生活習慣などについても説明が必要だと感じて筆を進めていった。

 そしてそのせいで、独自の用語が爆発的に増えてしまった。設定を凝った小説にありがちな失敗だった。

「ふむ。……こんなところですかね。他に気になる点はないですか?」

「うん。はい、返すね」

「ありがとうございます」

 IAに渡された紙の束を、私はそのままシュレッダーに突っ込んだ。十枚までなら一度に裁断してくれる電動のものだ。ばりばりと紙を飲み込んでいくシュレッダーを指してIAが言う。

「いいの?」

「いいんですよ。どうせデータはパソコンに入ってるんですから。それにこれは――うん、一から練り直しですね。ほとんどボツみたいなもんです」

 メモにまとめた改善点を見直しながら、反芻するように頷く。

「そういうものなんだ」

「ええ。やっぱり客観的に見て分かるものじゃないと」

 私はあまり論理的に話を組み立てるタイプではない。

 書きたい場面、あるいはキャラクター、時にはたった一言のセリフから肉付けしていく。その書きたいと思った要素にたどり着くための場面を考えてつなぎ合わせていく。話の作り方で言えば帰納法になるのだろう。

 そして困ったことに、作るだけ作った後で無理の生じた場所を修正していくうちに、先ほど挙げた物語の骨子、一番書きたかったはずの部分を取り除くこともあり得る。後先考えずに話を作るからそうなるとわかっているのだが、そこを意識してしまうとぎこちないものしか作れない。

『先生、最初に聞いてた話と違うんですが』

 担当編集者にも何度言われたか分からない。だが最終目標は一つだ。

「客観的に――そしてなにより、自分が面白いと感じるものが一番です。そのためにも分かりにくいものは避けたいですね。内容が分からないと、面白いかどうか以前の問題ですから」

 訳が分からないのに面白いものを書ける人もいるが、まあ、あれは例外中の例外だ。

 伝わらない言葉ほど虚しいものはない。

「それで、さっきの小説はどう改善するつもり?」

「まあそうですね、用語はもっと小出しにしないとダメですね。最終的に必要な用語を減らしつつ、読者が自然と覚えていけるようにラインを作っていけば――」

 IAの質問に答えていたのは前半だけで、残りは独り言も同然だった。手元のメモに小説中の用語を階層分けして書いていき、関連するものを結んでいく。客観的に見てどこから伝えていけばいいか――。

「ゆかり」

 声をかけられたが、顔を上げないまま返事をする。

「なんですか?」

「ここに手を」

「え?」

 顔を上げると、IAの掌の上に虹色の円盤が浮かんでいた。

 一度目を閉じ、深呼吸して目を開く。

 残念ながら光景は変わらなかった。質問を喉から絞り出す。

「…………何ですかそれ」

 唐突に叩き込まれる非日常には慣れようと思っても慣れない。慣れたくもない。

「さっきの小説を理解しやすくしてみた」

「言っている意味がよく分かりません」

 直径10センチほどの七色に輝く円盤――なんの支えもなくIAの掌の上に浮くそれは、複雑な色彩のマーブル模様を内包しており、刻一刻と変化している。厚みはほとんどない。このまま美術館にでも飾ってありそうな見た目だ。

 これが、さっきの小説?

 しかし、これ以上説明を求めても、IAが納得のいく補足をしてくれないのは分かっている。そちらには残念ながらもう慣れてしまった。

「……触りますよ」

「うん」

 恐る恐る円盤に触れた。

 その瞬間。

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「は?」

 A4用紙で10ページほど。文字数にすれば7000文字以上はあっただろうそれが、一瞬で私の脳に伝達された。

 危惧していた用語の難解さも問題ではない。全てが一瞬で理解のうちに収まった。

 私が考えていた架空の惑星での架空の生き物たちの暮らしがありありと思い描けた。それどころか、私の想像が足りていなかった部分がすぐにわかった。彼らが人とは全く違うその体を動かすときの感覚や、地球とは違う空気の質感すら伝わって来た。

 私の伝えたかったすべてが一瞬で伝えられたのだ。

「わかりやすくしたって、そういう……」

「そう。これならわかりやすい」

「分かりやすいというか分からざるを得ないというか……」

 相変わらずこの宇宙人は私の想像を軽々と超えてくる。

 しかしこんなものを出された以上、試したいことはたくさんある。

「仮に。仮にもっと量のある文章なら、大きな円盤が必要なんですか?」

「ううん、いらない」

「文章以外の物は?」

「曲や絵も大丈夫。情報化できるものなら」

「……ゲルニカ、分かりますか」

「分かるよ」

 円盤の模様が変化していく。薄暗い青を基調としたものから、赤と灰色が絡み合う色彩へと移り変わっていく。

 変化が落ち着いたと見て手を触れると、私は『ゲルニカ』のすべてを理解した。

 まずは絵そのものの情報。女、牡牛、戦士、馬、鳥、灯火、そのすべての配置と大きさと形状、色彩に至るまですべての情報が伝わる。

 そしてその絵に込められた意味や意思も。途方もない悲しみと怒りが心の内側から吹きあがり、瞼を閉じる間もなく涙が溢れ出た。思わず胸を押さえて歯を食いしばる。

 私の書きかけの小説など比べ物にならない情報の洪水になす術もなく飲まれてしまう。嗚咽が抑えきれない。涙と鼻水を拭えるものを探してテーブルの上を探るのがやっとだ。

 IAはただ、そんな私を透き通った眼で見ていた。

 

  *

 

「ふう……」

 やっと落ち着いた。

 なんという効率と情報密度だろう。許容を超える情報量に頭がちかちかとする。強いて言えばそれだけが欠点であり、この円盤はこの世のすべての芸術を足蹴にしかねないものだった。

 これがあれば、日本語で文章を書き綴る必要は無い。

 これがあれば、絵具で色彩を組み立てる必要は無い。

 これがあれば、楽器で音の調和を奏でる必要は無い。

 これがあれば、演技をフィルムに収める必要は無い。

「これがあれば……」

「これ、欲しい?」

「欲しい、ですが」

 どんな難解な話であろうと、どんな意図の作品であろうと、たちどころに全ての人に届く。

 喉から手が出るほど欲しいそれは、しかし今の地球人類には扱いきれないものだ。

 だから私はこう言わなければいけない。

「内容が伝わるだけじゃダメなんですよ」

「……というと」

「2001年宇宙の旅。私、最初に映画じゃなくて小説版を読んだんですよ」

 言わずと知れたSF映画の金字塔だ。その視覚表現と壮大なテーマは今日の多くの作品に影響を与えている。生命の進化を促すモノリスや、人間に反乱するコンピュータといったガジェットもたびたびオマージュされる。

 その小説版は、視覚表現を中心に据えられた映画と違って、ストーリーにも論理的に説明づけがされている。それを読んだ私は、次は映画版も見ようと思ってレンタルビデオ店に向かったのだった。

「そしてこう思いました。小説版を読むのは後にすればよかった、と」

「それは何故?」

「だって、全部わかってしまいましたから」

 セリフを極力減らし、音楽だけの場面が延々と続く画面。

 詳細の説明がないまま訪れる未知の世界との遭遇。

 そして一際難解な最後のシーンの解釈。

「最初に映画を見ればよかった。解釈の余地がたくさんあるあれを見て、色々考えて――それから小説版(こたえ)を読めばよかったって思ったんです」

「分からなくてもいいということ?」

「いいえ。最終的には理解したいと思いました。でも、分からない状態じゃなきゃ味わえない時間があったんです」

 小説を含め、全ての芸術は誰かに何かを伝えるためにある。

 第九。

 ゲルニカ。

 人間失格。

 その内容を、意図を正確に伝えたいのなら、芸術ほど効率の悪いものはない。

 だがその効率の悪さが必要なのだ。それを作り、あるいは受け取るのに時間をかけ、エネルギーを費やしたそれが代えがたい記憶として私たちの一部になる。時には伝えることに失敗し、曲解されて作者の手を離れていく。退屈なあまり眠らせてしまうこともある。

 だがそうしなければ、全ての芸術は一言で終わってしまう。

『この小説/絵/曲が言いたいのは**ということです』

 薄っぺらな持論であるのは分かっている。しかし、今はそう言うことでしか、宇宙人の輝く円盤を不要と断じることはできなかった。

「そう。わかった」

 IAが手を閉じるとともにその円盤は消えた。

「あなたの歌だってそうでしょう? わざわざ地球の言語で歌って、解釈の余地がある」

「あれは――正体をなるべく明かさないようにしているから」

「そうですか」

 だったら私にも明かさないで欲しかったぐらいだ。

 IAはすっくと立ちあがり、言った。

「明日の朝、台湾でコンサートがある。夕食は要らない」

 そう言い残し、IAは私の目の前から一瞬で姿を消した。

 いつものことだ。空間を捻じ曲げて台湾へと跳んだのだろう。後には仄かに虹色の輝きが残るだけだった。それもほどなくして薄れていった。

「はぁー……」

 まさかボツの小説を読ませただけでああなるとは。花瓶の花と言い、どこに地雷があるか分かったものではない。

「コンサート、か……」

 小説家として、表現者の一人としてこれ以上ない無力感を味わってしまった。手元のメモを破り捨てて、幼児にもわかる話を書いてやろうかという気分になる。

 このわだかまる気持ちを相談するのにふさわしい相手がいる。そしてちょうどよく顔を合わせる機会もある。本当は行くつもりではなかったが、ここまでお膳立てされたのだから乗ってみてもいいだろう。

 

  *

 

 都内の某ライブハウス。ステージの上では、バンドメンバーに囲まれた金髪のギタリストが英語の歌を叫んでいた。

『I will =*+‘』+‘><!! ――――%$+*away――!?』

 正直言って英語のヒアリングに自信はない。ほとんど何を言っているかはわからない。

 だが、フロアは熱狂していた。あの中の何人がこの曲の正確な歌詞を知っているだろう。その意味を理解しているだろう。

 きっと大半はただのノリで熱狂している。

 かくいう私も、知らず知らずのうちにリズムに合わせて体を揺らしていた。

『This is love――!! all need is love――!!』

 今のは流石に分かった。そしてそうやって曲が締めくくられた瞬間、金髪のギタリストがステージ奥へと走った。

 まさか、と思う間もない。助走をつけた彼女はギターをかき鳴らしながら全力で突っ走ってステージから飛び降りた。

 あとはもうめちゃくちゃだ。秩序を失ったライブハウスの中には楽器の音と人の声が好き勝手に乱れ飛び、事態が落ち着くまでたっぷり10分はかかった。

 そして私はと言えば――。

「レモンサワー一つ」

 バーカウンターで静かに一杯やって彼女を待つことにした。

 

  *

 

「いやー楽しかった!!」

「それは良かったですね」

 弦巻マキ。大学時代の悪友だ。

 ただでさえ激しくギターをかき鳴らしていた上に先ほどの騒ぎだ。出番が次のバンドに移ってなお、周囲の目線は衣装が皺だらけになった彼女に注がれている。そのままの彼女に話しかけられるのは少々遠慮したい気分だったが、今日の私は彼女と話すために来たのだ。

「バーテンさん、ジョッキ一杯!」

 注文をさっさと済ませ、マキは私の隣に座りこんだ。

「いやーテンション上がった上がった!」

「いつもあんな風なんですか?」

「いやいや、いつもはもっと大人しいよ。ステージの上からゆかりん見つけて驚いてさー。ノッてくれてたじゃん。サービスしちゃった」

「……まあ、多少は」

 マキは笑いながらギターを弾く真似をした。

 グラスとジョッキを軽くぶつけ、話を続けた。

「それにしても、来てくれるとはね。今まで何かと理由つけてこなかったじゃん?」

「兼業してるもので」

「知ってる知ってる。あ、あとで打ち上げにも来ない? 他の子たちも会いたがってるよ、きっと」

「まさか。お邪魔ですよ」

 大学では別の学部だったが、なぜか一方的に気に入られ、なし崩し的に食事を一緒にすることも多かった。彼女のバンドメンバーとも顔見知りではある。

 このまま世間話を続けていたら、打ち上げにもいつの間に参加することになってしまいそうだ。私はさっさと本題を切り出すことにした。

「ねえマキさん。曲の歌詞とかを曲解されたり、意味が分からないって言われたりしたことってありますか」

「そりゃあるよ。それがどうしたの?」

「自分の想像通り、想定通りに全部伝わったら楽だろうなって思ったこと、あります?」

「そりゃあるって! さっきの最後の曲だってさ、結構皮肉が入れてあるんだよ? でも英語でノリがいいからさ、あの通り!」

「ま、そうですよね」

 英語の歌詞というだけで、日本人の大半には理解できないものになってしまう。天にとどく塔が失われた時代を生きる私たちには避けられないことだ。

 それどころか、同じ言語でさえも。

「ゆかりんだって作家だし、やっぱりそういう経験あるんでしょ?」

「ええ。日本語で書いてるはずなのに、全然伝わらないんですよ」

「ははは、それじゃあ英語の曲はもっと無理かー」

 マキは明るく笑う。

「でもさ、だから音楽って生まれたんだと思うんだよね」

「というと?」

「きっと言葉が生まれたばかりの時は、単純なやり取りばっかりだったと思うんだよね。狩りに行くぞ、とか、雨が降って来た、とか。だからそれで済んだんだ」

 マキは大げさな身振り手振りをつけて話す。

「でも言葉がたくさんできて、違う言葉同士で通じなくなって、それでどうしようもなくなって誰かが叫んだんだよ。壁を叩いて、足を踏み鳴らして、どうにか伝われーっ! って頑張ったんだよ」

「それが音楽ですか」

「多分ね」

 なんて単純な答えだ。通じないから伝えようとする。たったそれだけ。

 私の回りくどい理屈より――よほど伝わる。

 彼女に虹色の円盤(レコード)は要らない。

「ま、学者さんには違うって言われちゃいそうだけどね」

「それでもいいんじゃないですか」

 ハートが伝われば。

 そう言おうかと思ったが、マキが喜びそうなのでやめておいた。

 レモンサワーをもう一杯頼む。もう少し、この空間にいたいと思った。

「でさ、打ち上げ来る?」

「行きませんってば」

 


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