嘘つき作家と宇宙人   作:喜来ミント

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Phase 1 Grateful Foods

 私の同居人はエイリアンだ。

 なんでも彼女は地球の悲鳴を聞きつけてやって来たとのことで、生命と愛と平和のメッセージを届けて調和を取り戻すのが目的らしい。

 そのために彼女――IA(イア)はアーティストとして世界中で日夜歌い続けている。そしてその一方で、何やら理由があって私を調和(しんりゃく)の第一歩と決め、あれこれと揺さぶりをかけてくる。

 どうやら彼女は、精霊としての力だとか故郷の惑星のテクノロジーだとかを大々的に使うのを止められているらしい。となると、私はその常識外れな力やテクノロジーに対して、地球人がどういった反応を示すかのモルモットと言ったところだろう。

 ならば、私がそれらに拒否感を示し続ける限りは、彼女は常識的な方法でしかこの世界にメッセージを発信できないのだ。

 それでいいと私は思う。少なくとも今の方法では、この地球ががらりと変わることはあり得ない。

 なぜなら、生命の大切さも、愛の素晴らしさも、平和の尊さも人間は既に知っているからだ。知ったうえでこれなのだ。いかに世界的なアーティストが訴えたとしても、それがただの言葉ならば世界が変わることはない。

 花に永遠の命を与える方法。

 無尽蔵のエネルギーを提供する手のひらサイズのバッテリー。

 地球の裏側に一瞬で移動できるドア。

 感情と思考を余すところなく伝達できる円盤。

 それらにあれこれと難癖をつける限り、彼女はエイリアンたる本領を発揮できない。

 地球を守っている、などと大層なことを言うつもりはない。私はただ、変わってしまうのが恐ろしいだけだ。

 だから今のままの日々を続けていればいい。そう思っていた。

 私は油断していた。彼女が一体どういうスケールの存在であるのかを。

 

  *

 

 地球ではない場所、今ではない時間。

 見渡す限り広がる花畑の中で、一人の少女と一匹の猫が向かい合って座っている。

 長い髪をふわふわと漂わせる少女の名前はIA。この惑星ARIAの精霊であり、そのなかでも七色の魂を持つ特別な存在である。

 そんな彼女と向かい合って座る猫も、やはり普通の存在ではなかった。

 カラフルな布で作られたぬいぐるみのような見た目ながら、その身のこなしは猫そのもの。その猫は眠たげな眼のまま、口を開かずこう言った。

「結月ゆかりに対するアプローチを変える必要があるように思う」

「アプローチを?」

 IAは首を傾げ、その猫に聞き返した。

「理解を深める必要がある、と言い換えてもよい」

「私は彼女のことを十分に理解しているよ」

「では一向に結月ゆかりの心理に変化が現れないのはなぜか」

「それは……彼女の心理が強固だから」

「徐々に揺さぶりを強めてはいるのだろう。直接的に魂に干渉しない方法ではあるものの、何の反応もないのは少々おかしい」

「何が言いたいの?」

 猫はやはり口を開かないままため息をついた。

「今のままでは何の変化も訪れないのではないか?」

「……そうかな」

「忘れてはいけない。我々のゴールは結月ゆかり、ひいては地球全ての人々の意識を変えること。あの星を埋め尽くす()()()()を揺るがすこと」

「分かってる」

「ならばその一人目でつまずいている場合ではない。結月ゆかりの心理を理解し、より効果的な方法を考えるのだ」

「分かったよ、チコー」

 その言葉を最後にIAは花畑から消えていた。

 猫はまた口を開かずにため息をついた。

 

  *

 

「いただきま~す」

「いただきます」

 木曜日、会社の昼休み。今日は定時で帰れそうだ――などと胸をなでおろしつつ、形だけの合掌をする私の前で、後輩の子はしっかりと食材に感謝していた。

 彼女――紲星(きずな)あかりちゃんの弁当はいつも手が込んでいる。彼女の母が料理を趣味にしているためか、その腕を振るう場として毎日趣向を凝らした色彩で彩られている。

 花の形のニンジンは序の口。ディズニーやサンリオのキャラクターを模したご飯や薄焼き卵から、果ては弁当そのものをキャンバスに見立てた一枚絵と言っても過言ではないものまで。SNSでも人気を博しているとか、なんとか。

「見てて飽きないですねえ」

「そういうゆかり先輩はどうして……」

 コンビニおにぎりが二つだけ並んだ私の昼食を、あかりちゃんは()()()とした眼で見る。

 私はその日の気分とスケジュールによって、手作りの弁当が半分、コンビニのおにぎりやパンが半分といった具合だ。弁当を作る場合も夕食の残りと冷凍食品を詰めただけのものが多い。

「朝の時間は貴重なので……」

「まあ、私も手伝いくらいしかしてないのであまり大きな顔はできませんが、それでももうちょっと栄養バランスとか考えた方がいいんじゃないでしょうか」

「夕飯はちゃんと作るので……」

「約束ですよ?」

「はいはい」

 とくに今日の朝は急いでいた。

 朝食を済ませた後、ふとした思い付きで小説を書き始めたら切りが悪くなってしまったのだ。しまいにはノートパソコンをリビングに残したまま、相変わらずソファで寝ているIAを横目に慌ただしく家を出て来た。

 本当ならば書きかけの小説の管理くらいはちゃんとした方がいいとわかっているのだが、IAが妙な真似をするとは思えないし、私の仕事に興味を持つとも思えない。片付けは帰ってからでもいいだろう。

 そう思っていたが、これが今回のきっかけとなってしまったのだった。

 

  *

 

「ねぇゆかり、最近忙しいの?」

「はい?」

 定時で退社し、スーパーで夕飯の食材を買い込んで帰宅した私に投げかけられた言葉に、私は思わず驚いた。

 IAが私の内面に踏み込むようなことを聞いてくるとは。冷蔵庫に食材をしまう手を止め、聞き返してしまう。

「そんなことを聞くなんて珍しいですね」

「パソコン、置きっぱなしだったから」

「ああ……邪魔でしたか?」

「邪魔じゃないよ」

「まあ、朝食の後にちょっと思いついたことがあったので試しに書いてただけですよ。締め切りはもうちょっと後ですし」

「そう」

 さてと、と気分を切り替えて携帯でレシピを検索する。結局あの後、あかりちゃんに今日の夕飯の写真を送る約束をしてしまったのだ。それなりのものを作らないといけない。

「今日は料理するの?」

「後輩に夕飯の写真を送ることになってしまいまして。少し時間がかかるので、お腹がすいたなら先に何かつまんでいてください」

「大丈夫。手伝う?」

「ああ、じゃあちょっとだけ」

 ビーフシチューにパン、サラダとマリネ。結局、慣れないレシピに手間取って、夕食が出来上がったのは一時間後のことだった。それなりに美味しいものが出来上がったものの、割に合っているとは思えない。

 それでもあかりちゃんから『すごいです!』とのお言葉をいただけたので、まあやった甲斐はあったというものだろう。

「ごちそうさまでした……と。さて、片付けしますか」

 ぐりぐりと肩を回しながら立ち上がり、皿洗いを始める。後回しにすると余計に億劫になりそうな気がした。

 そんな私を見ながら、IAが定位置のソファーから聞いてくる。

「ゆかり、疲れた?」

「まあ、少しだけ。なかなか骨が折れましたね」

「もっと楽に作れたらいいなって思う?」

「思いません」

 私はぴしゃりと言った。こういう時は、大体妙なテクノロジーを持ち出してくる兆候だ。

「どうせまた、念じただけで料理が出てくるテーブルクロスかなにかを出すつもりでしょう」

 IAは首をかしげながら言う。

「まあそういうのもあるけれど」

 やっぱりあるのか。

「ゆかりは私たちのテクノロジーに不満があるの?」

「いやまあ、そういうわけじゃないですけどね……ちょっと急すぎるというか、便利過ぎるというか」

「そう。覚えておく」

「……?」

 今日は何かと珍しい物言いが目立つ。少し胸騒ぎがしたが、私から何か言ってもIAが妙な真似を止めるとも思えない。いきなり世界中に正体をさらすような真似をしないと本人が言っている以上、私が対処すれば問題ないだろう。

 そして私は、対処がどうこうという次元ではない事態に放り込まれることとなった。

 

  *

 

 翌朝、キッチンに変化が現れていた。金曜だしあと一日頑張れば――などと考えていた矢先にこれだ。

 ガスコンロがあるべきスペースに巨大なオーブンのようなものが鎮座している。さらに、電子レンジもオーブントースターもコーヒーメーカーも……冷蔵庫以外のありとあらゆる調理器具と言えるものがなくなり、その代わりに見覚えがない電化製品が我が物顔でそこにいた。

 30秒ほどフリーズしていると、ちょうどよくIAがソファから起き上がったので尋ねてみる。

「……あの、なんですかこれ」

「オールマイティクッカー。だいたいクッカーとだけ呼ぶけど」

「はあ……」

 オールマイティ、と来た。それならば電子レンジを始めとしたあらゆる調理器具がなくなっているのも納得だ。

 そのクッカーとやらに刻印されたメーカーの名前には見覚えがあるものの、そんな機械が発売――いや開発されているということすら聞いたことがなかった。まるで違う世界に迷い込んだかのようだ。

 大体、こんな巨大なものをいつの間に運び込んだのか。

 そう尋ねると、IAはゆるゆると首を横に振った。

それ(クッカー)はもともとこのマンションのキッチンに備え付けの物だよ」

「え? いやそんな、こんなの見たことが――」

「そういう世界だから」

「はい?」

 今なんと言った?

「ARIAのテクノロジーには拒否感があるようだったから、人間のテクノロジーの範疇で手軽に料理を作れる世界にしてみた」

「え、いや、あの」

「何が食べたい?」

 そう言いながら、IAが私の横をすり抜けてクッカーのタッチパネルに手を伸ばす。不可思議な色の髪が揺れ、花のような香りが鼻腔をくすぐった。

 唐突な質問に対し、起き抜けの腹具合の任せるままに返事をする。

「え、じゃあパン……」

「トーストで良い? ジャムは?」

「い、イチゴで」

「わかった」

 IAが平皿を中に入れ、パネルをてきぱきと操作するとクッカーが身震いを始めた。

 この駆動音にはなんとなく覚えがある――行ったり来たり、一定のリズムで刻まれる音はそう、まるでプリンターのようだ。

 まさか、と思う間もない。電子レンジやトースターのようなチーンという音が工程の終了を知らせた。

 そしてその前扉が開かれた瞬間、香ばしい小麦と甘いジャムの匂いがふわりと漂った。

 イチゴのジャムトーストがそこにあった。

「………………」

 言葉を失い、エサを求める魚のように口をパクパクと動かす。

「はいトースト。飲み物はコーヒーで良い?」

「……はい」

「わかった」

 先ほどと同様に空のカップを入れ、パネルを操作して待つことしばし。薫り高いコーヒーがそこに出現していた。

「先食べてていいよ」

「あ、はい」

 信じられない。こんなことがあっていいのか。手を合わせてから半信半疑でトーストを取ってかじり、さらにコーヒーを一口。

 パンは焼きたて、コーヒーは挽きたてそのものだ。一体どうやって――いや、原理は推測できる。先ほどの駆動音がその裏付けだ。

 ブルーベリージャムが塗られたトースト、そして薫り高い紅茶を手にリビングにやって来たIAに尋ねる。

「あれは、クッカーは、食品の3Dプリンターなんですか?」

「そう」

 IAはあっさりと肯定した。

 当然、そんなものは実現していない――()()()()()()

 だが彼女が言ったのだ。()()()()()()()()()、と。

「どういうことなんですか、これは。一体どうやって?」

「んー……並行世界って言えばわかる?」

「ええ、まあ」

 並行世界(パラレルワールド)とは、簡単に言えば『あり得るかもしれない世界』のことだ。この世界、あるいは時空というのは、数え切れない可能性の分岐の末たどり着いたうちの一つであり、それ以外の分岐をたどった世界も今の世界と並行して存在する、とされる。

 身近なところで言えば、私の眼の前にコーヒーではなく紅茶がある世界、もっと大局的なものなら、冷戦が続いたままの世界や、徳川の治世が続いたままの世界もあるかもしれない――それはSF作品の格好のネタとして取り上げられている。

 そして何より興味深いのが、観測する手段がないため『ある』とも『ない』とも言えず、理論物理学の世界でも完全に存在を否定できていないというところである。

「それで、その並行世界っていうのがたくさんあるんだけど」

 そして今、実際に見て来た宇宙人の一言によって存在が証明された。あんまりだ。

「その中からこういう世界を選んで、ゆかりに体験してもらうことにした」

「それじゃあ、私は今、並行世界に……」

「それは面倒だからやってない」

「めんど……」

 あんまりだ。

日本橋(にほんばし)を中心に半径500kmくらい。その世界を模倣(エミュレート)して作ってある。それよりも外は適当にシミュレートしてるだけだから、いきなり北海道や沖縄には行かないで」

「行くとどうなりますか」

「行こうと思っても行けないよ」

「なんで日本橋なんですか」

「都合がいいから」

 IAとの会話はいつもこうだ。ワンテンポずれているというか、きちんと意思疎通をするには会話の仕方に気を付ける必要がある。

 そう分かっていながら、私は昨夜の違和感を追求しなかった。

 それがこのざまである。流石に地球丸ごととはいかなかったようだが、窓の外には一見普通の街並みが見渡す限り続いていた。

 そう。彼女はそういうスケールの存在なのだ。

「ちなみに、この世界でも私の仕事は変わってないんですよね?」

「うん」

 ちらりと時計を見る。これ以上IAに質問をしている時間はなさそうだ。急いでトーストとコーヒーを胃に収め、ごちそうさまを言う。

 そして荷物をまとめて家を出るとき、IAが私を呼び留めた。

「これを持って行って」

 指輪だ。シンプルな作りだが、見る角度によって様々な色に輝く不可思議な宝石がはまっている。

「なんですか、この宝石」

「私の魂の一部」

「…………」

 もはや何も言うまい。

「その石の部分に直接触れていると私と会話ができる。多分この世界に戸惑うだろうから、作っておいた」

 随分と気が利くものだ。右手の人差し指にぴったりと合うそれをつけながら言う。

「あなたらしくないですね」

「チコーにそうしろって言われた。いつもとアプローチが違うのもチコーの提案」

「それは誰……ああいや、あとで聞きます」

 靴を履き、やや速足で家を出る。そんな私の背中を追うように、IAの声がかかった。

「それと。さっきみたいなことを言うと珍しがられるから」

 その言葉の意味を問う時間もない。そして最寄り駅で電車に飛び乗った時には、質問そのものを忘れてしまっていた。

 

  *

 

 弁当を作る時間はなかったため、職場の最寄り駅のコンビニに入る。

 そしていつも通りおにぎりを手に取ろうとして――目を見開いた。

「にひゃくごじゅ……」

 昆布のおにぎり、250円。間違いない。二度見ても値段が変わらない。何故だ。思考が全力で回転を始める。あらゆる違和感を探し出そうと目が陳列棚を走査する。

 そして見つけた。

 おにぎりのパッケージには、正確にはこう書かれていたのだ。

『手巻きおにぎり日高昆布(天然) 250円』

「天然……」

 よく見ればなんということはない。その棚には『天然おにぎり』とちゃんと書いてあるのだ。

 天然とわざわざ言うからには、そうではないものがあると言うことだ。

 そう、それを私は知っている。私の胃の中にある。

 昆布のおにぎりを裏返すと原材料名が書いてある。いわく――。

 ごはん(天然)。

 昆布佃煮(天然)。

 海苔(天然)。

 他のおにぎりを見てもそうだ。添加物以外にはもれなく天然との但し書きがついている。だからこそこの値段なのだ。

 その隣の棚を見れば、こちらはただの『手巻きおにぎり日高昆布』が70円。おそらくはクッカーで合成されたものだろう。

 そしてさらに、その横にQRコードが表示されており、そちらには30円との文字がある。

「これはもしや……」

 などと考えていると、背後から声がかかった。

「すんません」

「え、あ、すみません」

 とっさに身を避ける。工事業者らしき客が棚から弁当の写真が書かれたカードを引き抜いた。そしてそのままレジに向かう。

「…………」

 しばし様子をうかがう。

 客が渡したカードに書かれたバーコードを店員が読み取り、精算。そして店員がレジの後ろにある機械に空き容器を入れてから弁当のカードを読み込ませた。

 待つことしばし。出来立ての弁当がクッカーから出て来た。客はそれとタバコを一箱持ってコンビニを後にした。

 私はそれを見てからおにぎりの棚に向き直るが、弁当のように店員に調理を頼むカードはなさそうだった。

「なるほど……おにぎりは包装済みだから工場で作るんだ」

 となると選択肢は三つ。天然のおにぎり。合成のおにぎり。そして――。

「こうかな」

 QRコードをスキャンすると決済画面が表示された。私は昆布とツナマヨのおにぎりのデータだけを買い、会社に向かった。

 そのあと、午前の仕事は昨日と比べて何の変化もなかった。普段の業務に使うソフトもまるっきり同じ。あれだけ激動の五分間をコンビニで過ごしたのが嘘のようだ。

 そしてまた、私にとっては波乱の昼休みが始まった。

 

  *

 

「さ、お昼にしましょうか」

「ええ」

 あかりちゃんが弁当箱を取り出した。だがもちろん――この世界での常識に従って、中身は空だった。

 あかりちゃんは、職場の給湯室に当然のように存在するクッカーの中に弁当箱を入れた。そしてスマホのアプリを起動し、彼女の母が設定したのであろうレシピをクッカーに送信する。

 待つこと2分。みごとなデコレーションを施されたお弁当が出来上がった。

「相変わらず凝ってますね」

「そうですよねー。毎回どこで設計のアイディアを思いつくんでしょうね、お母さん」

 設計。

 そう、料理は設計する時代なのだ。

 私は紙皿をクッカーに入れ、今朝買ったおにぎりのデータを送信した。おにぎり二つでたったの60円だ。

「またコンビニおにぎりですか?」

「ええ、まあ……」

 いつもは消極的な理由で選ぶことが多いが、今日に限ってはこれである必要があった。

 出来上がったそれを取り出し、オフィスのテーブルに戻る。

「さ、食べましょうか」

「え? ええ……」

 私が手を合わせようとした時には、あかりちゃんはもうお弁当に箸をつけていた。

「……ああ、なるほど」

 出かけるときにIAが言っていたのはこう言うことだったのだ。

 この食べ物は合成されたもの。ならばそれに手を合わせる人はどれだけいるだろうか。

 中途半端に持ち上げた腕を下げ、おにぎりを掴む。

 出来立ての温かさと、パリパリとした海苔の手触りが伝わる。そのぶん天然のおにぎりよりもおいしいかもしれない匂いが漂う。

 分子的には何一つ変わらないはずのそれをかじる。

 いつもと変わらず他愛ない話をするあかりちゃんとしゃべりながら食事をすすめていく。

 そしてやはり、あかりちゃんは食べ終わるや否や弁当箱のふたを閉じて鞄に仕舞いこみ始めた。そんな彼女の前で、私は声に出さずこう思い浮かべた。

 ごちそうさまでした。

 

  *

 

 オールマイティクッカーの登場初期の評判はこれに尽きる。

『プリントした食品なんて気持ち悪い』

 だがいくつかのファーストフードチェーンがこれに目をつけ、地方に無人店舗を設置し始めたことから転機が訪れた。怖いもの見たさで訪れた人々からゆっくりと浸透が進んだのだ。

 そして数年後、ついに日本全国にその有用性が知れ渡ることになる。記録的な大寒波による輸入食品の爆発的な値上げにより、クッカーを避けていた小売店や飲食店もクッカー性の食品を使わざるを得なくなったのだ。

 簡単に培養可能な数種類の酵母菌から抽出できる原材料さえあれば、安価に場所を問わず幅広いレシピを実現可能なクッカーの有用性を止めるものはもうなかった。登場からものの30年ほどで、日本の食卓から「いただきます」は消え始めた。電子レンジの機能を内蔵したクッカーだけが置かれ、コンロすらない物件が増え、スーパーのフードカードリッジのコーナーはどんどん拡大していく。

 逆に天然ものの食材には付加価値が発生し、保全するための動きが活発化した。ぜいたく品、嗜好品という立ち位置に定着したことで、天然ものの食材の廃棄には以前よりもずっと厳しい基準が設けられるようになった。

 そして今では、料理研究家の作った至高のレシピを電子マネーで購入して我が家で簡単に再現できるようになっている。

 これが、会社から帰る電車の中で調べたこの世界の歴史だった。

 携帯をしまい、車両の中をなんとなく眺める。

 電車の中吊りにはゴシップ誌の見出しが躍っている。副業の指南書が何万部を突破したなどと謳っている。

 セーラー服の少女が単語帳に赤いシートをかざしている。隣の大学生らしき青年はド派手な演出のスマホゲームを淡々と進めていた。

 ここにいる人々も、きっと家に帰ったらクッカーで夕食を作るのだろう。それが普通で、それだけが私の知る世界との違いで。

 あまりにも、普通の帰り道の光景だった。

 

  *

 

「ただいま帰りました」

「おかえり」

 IAは珍しく起きていた。定位置のソファに座り、私をじっと見上げている。

「夕飯にしましょうか」

「分かった」

「何か食べたいものはありますか?」

「ビーフシチューとパンがいい」

「昨日と同じじゃないですか」

 そう言いつつも私は平皿とシチュー皿を取り出し、準備を始めた。

「……手伝う?」

「一人で大丈夫ですよ」

 クッカーに標準で備わっているレシピでもよかったが、私は200円ほどで売られている買いきりのレシピを携帯で購入した。せっかくだし、奮発してもいいだろう。

 たった五分ほどで昨日と同じメニューが食卓に並ぶ。このどれもが全く人の手を介さずに作られたものであるという奇妙な事実と、食欲をそそる匂いが同居している。

 私は手を合わせ、絞り出すように言った。

「いただきます」

 それを言う先はどこか。原料になった酵母か。クッカーのメーカーか。このレシピを設計した料理研究家か。

 それが分からないまま舌鼓を打つ。小一時間かけて作った昨日のシチューの何倍も美味しい。比較にならないくらい深みのあるコクと味わいに、心の何かが侵されていくのが分かった。

 そして食べ終えたとき、手を合わせる気力は残っていなかった。

 複雑な気持ちで空になった皿を見ていると、IAが声をかけて来た。

「ねえ、ゆかり」

「……何ですか」

「どうだった?」

「美味しかったです」

「そうじゃない。……分かっているでしょう」

「今日一日、ですよね」

「うん」

「……ダメになりそうです」

「そう……」

 IAが持ちあげた手を握り、開くとそこに指輪があった。ハッとして自分の右手を見下ろすと、そこにあるはずの物はなかった。

「どうして指輪を使わなかったの?」

「それはまあ……困りはしましたが、対処はできたので」

「違う。ゆかりは忘れていた」

 そうだ。私は忘れていた。

 必死に考え、比較し検討し、観察して推論を立て、納得し、そしてこの世界の歴史を調べた。IAにこの世界のことを聞くなんて発想をすっかり頭の中から追い出していた。

 そう、私は――。

()()()()()?」

「……はい」

 この世界を楽しんでいた。未知のテクノロジーではあっても、並行世界の人類が作ったからというだけで、IAの提供するそれとは違うそれらを甘受した。

「収穫はあった」

 IAは立ち上がるとそう言った。

「この後、ゆかりが眠っている間にこの世界のエミュレートを終了する。それまではクッカーを自由に使っていいよ」

「どうも」

 私の返事にゆっくりと頷くと、IAは一瞬で姿を消した。

 頬杖を突き、食器を指でつつきながらつぶやく。

「……しくじった」

 何を舞い上がっていたのか。あれほど世界が変わるのを恐れていたというのに。普通に人々が暮らしている世界を模倣して造られたというだけで油断して。

 けれど、それほどにこの世界は普通だった。

 コンビニの客と店員も。

 職場の同僚も。

 電車でスマホをいじる学生も。

 「……ごちそうさま」

 やはりこう言わないと落ち着かない。さっと食器を洗うと、私はいつも通り食後のコーヒーが欲しくなった。

 ノンカフェインの高級コーヒーのレシピはすでにクッカーにインストール済みだった。ちゃんとした喫茶店に行けば千円近くするだろう一杯をタダ同然で味わいながら食後の時間を過ごす。

「チコー、何者なんだろう」

 おそらくは惑星ARIAの住人だろう。地球人の協力者である可能性も考えられるが、それなら私を最初の地球人であると強調する理由がないだろう。

「考えても仕方ない、か」

 ひとまず考えなければいけないのは――。

「明日のお昼、どうしよう」

 

  *

 

 地球ではない場所、今ではない時間。

 見渡す限り広がる花畑の中で、一人の少女と一匹の猫が向かい合って座っている。

「収穫はあったよ」

「予想とは違う形ではあったが、な」

 チコーはやはり口を開かずにため息をついた。

「結月ゆかりは想像以上に好奇心が強い性格のようだ。その一方で、変化を恐れてもいる」

「だからこそ、私たちの目的の対象としては適している」

「その通りだ。無作為に選んだ人間ではあるものの……想像以上に難物と見える。かえって一人目でよかったかもしれんな」

「ありがとう、チコー。チコーのアドバイスのおかげで違う反応が引き出せた」

 IAは柔らかく微笑み、チコーの手――前足を握った。

「先は長いが、ひとまず進展ありだ。お前が本当に地球を変えられるのか、我々は引き続き見守っている」

「うん。それじゃ――」

 と、IAは周りを見渡した。

ONE(オネ)ならついさっきどこかに行ったぞ」

「そっか。タイミング悪いな……」

 IAはチコーに向き直った。

「それじゃあ、また。ONEにもよろしく」

「うむ」

 IAは花畑から姿を消した。そしてそれと入れ替わるように、オレンジ色の光がどこからともなく集まって人の形をとる。

 光が散ったそこにいたのは、IAよりやや幼い印象の少女だった。ツンとした表情で少女は言い放つ。

「チコー。話があるんだけど」

「止めても無駄であろうな――。大事は起こすなよ」

「わかってる」

 ONEが手を一振りすると、オレンジ色の光が集まり、宙に浮くジッパーを形作った。ひとりでに開いたジッパーの向こうは、これまたオレンジ色の光が渦巻く奇妙な空間になっている。

「IAを困らせる、あの地球人をこらしめるだけだよ」

「おい!」

 チコーの制止も聞かず、ONEはジッパーの中の空間に飛び込んだ。ひとりでに閉じたジッパーが光の粒となって散ると、そこには猫が一匹残されるだけになった。

「全く、あの姉妹は……」

 猫は口を開かずにため息をついた。

 

  *

 

 翌日。土曜日の朝――で、いいのだろうか。

 それを確認しようにもソファはもぬけの殻だった。

 あかりちゃんに夕飯の写真を撮って送ったのが木曜の夜。そして昨日、私は並行世界を模して作られた世界(という認識だが、合っているかはわからない)にいたはずだ。となると、私は元いた世界の続きである金曜日の朝を迎えるはずなのだが――。

「土曜ですね」

 携帯もテレビも日付は土曜日だ。曜日の感覚がずれずに済むとはいえ、こうなると本来の世界の私は昨日一日何をしていたことになっているのだろう。

 不安になり、会社のメールサーバーにアクセスしてみる。

 昨日読んだ記憶のあるメールは開封済みでそこにある。送信履歴を見ても、私が送ったままの文章がそこにある。

 キッチンに戻り、懐かしのコーヒーメーカーでコーヒーを入れる。立ちのぼる香りをかぎながら考えをまとめる。

 どうやら無断欠勤だとか行方不明だとかにはなっていないようだ。元いた世界での昨日の記憶はないものの、上手いこと辻褄が合った状態になっている。

「どうなっているのやら……」

「行動は上書きしてあるから」

「うわが、え?」

 顔を上げると定位置のソファに宇宙人がいた。

「上書きって何ですか」

「昨日、ゆかりは朝食を食べ、出勤して、仕事をして、昼食を食べ、仕事をして、帰宅して、夕食を食べ、コーヒーを飲み、本を読み、眠った」

「……そう言われると薄っぺらい一日ですが、まあそうですね」

「その行動を、この世界の様式に合わせて上書きした。齟齬はほとんどないはず」

「……なるほど?」

 自分の部屋に行き、読みかけの本を開いてみる。昨日の夜に読み進めた分、栞代わりの図書館のレシートの位置はしっかりと進んでいた。

 つまりは――まるでゲームのセーブデータのように、『オールマイティクッカーのある世界の私の行動の結果』を『クッカーのない世界の私の行動の結果』に上書きしてあるわけだ。だからクッカーの有無に関係ない部分はそのまま、違和感なく一日過ごしたものとして処理されている。違う点と言えば――。

 冷蔵庫を開けると、ビーフシチューとパンが記憶よりも減っていた。昨日私はこれを食べたことになっているらしい。

「……うんまあ、納得はしましたが」

「問題はない?」

「物理的には」

「そう。良かった」

 皮肉はやはりというかあっさり無視された。

「やけにアフターフォローがきっちりしてますね」

「今後はしばらくこの形で行こうと思うから」

「……はい?」

「人間の実現した可能性世界の方が、ゆかりの拒否感が薄いようだし――」

「いやいやいやいや、待ってください」

 宇宙人のテクノロジーをいきなり見せつけられるのも、並行世界の模造品に放り込まれるのも大して変わりない。IAとしては改善が見られたのかもしれないが、こっちとしてはたまったものではない。

 だがIAの行動を私一人が止められるはずもない。生物としての次元も、テクノロジーの概念も段違いの相手に、私はただただ翻弄されるしかない。

 そう。彼女はこの星を救うためにやってきたのかもしれないが――。

「ゆかり。次はどんな世界を見てみたい?」

 私にとっては、まぎれもなく侵略者なのだから。

 

 

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