時系列と年齢計算にミスがあったため、このページで訂正を行いました。
・結月ゆかりと佐藤ささらが前回会った時期について、「先輩が大学卒業した少し後」→「つづみちゃんが大学卒業した少し後」に訂正しました。
私の同居人はエイリアンだ。
彼女は地球の悲鳴を聞きつけてやって来たとのことで、生命と愛と平和のメッセージを届けてこの星に調和を取り戻すのが目的らしい。
そのために彼女――
花に永遠の命を与えるだとか、一瞬で地球の裏側に移動するだとか、とんでもないことを軽々とやってしまう彼女だが、その力をいきなりこの星全土に対して及ぼすのは許可が出ていないらしい。そこでまずは小規模な実験として、適当に選んだ
私は以前、あらゆる食品を3Dプリンターのような機械で気軽に作れる世界で一日を過ごすことになった。彼女曰く、
そして彼女の星のテクノロジーではなく、あくまで地球本来の可能性から生まれた並行世界を私に体験させたことで、IAはなにか違った感触をつかんだらしい。その後、私は二度にわたって同じ要領で、並行世界を模して作ったという箱庭に送り込まれている。
全国民の善行や悪行がポイントとして計上され、財産として利用できる世界。
紙の形をした高機能記憶媒体が電子ディスクやメモリにとってかわった世界。
どちらの世界もその一点だけが私の暮らしていた世界とは異なっていて、その点を除けば恐ろしいほど世界は当たり前に続いていて、私は会社と家を往復しつつ小説を書いていた。
最初の食品プリンターの世界は、一日だけ過ごしたところでIAからこれ以上の必要は無いと切り上げられた。
しかし続く二つの世界は丸三日が経ってから不満げに終了を告げられた。どうやら思ったほどの反応が得られなかったらしい。
それもそのはず。人間は慣れる生き物である。
悲しいことに、今度はどんな世界になるだろうかなどと考えている自分がいる。この異常事態にすら適応しつつあるとは、私こと結月ゆかりは非常に優秀なモルモットのようだ。
そしてそんな態度の実験動物に訪れる末路と言えばたった一つ。より強い刺激を与えられることであった。
*
目が覚めると、薄灰色の毛並みに視界が埋め尽くされていた。
「ええと……」
寝転がったまま、見覚えのないその毛玉に手を触れる。表面の温かく柔らかい毛、そしてその奥のやや想像よりも筋張った感触が伝わってくる。
その手触りが記憶の奥深くをくすぐった。私は身を起こしながらその毛玉の正体に目星を付けた。
「うさぎ……?」
やはりというか、身を起こして見れば特徴的な長い耳が目に入った。体を横たえてリラックスしているように見える。さっきはこの兎の背中から尻が視界を塞いでいたらしい。
「なんで兎が……」
そう自問したものの、十中八九同居人のエイリアンの仕業だろう。どこかで拾って来たか、ペットショップで買って来たのならいいが、そんな生ぬるい予想の範疇に収まる行動の結果で無いことは痛いほど分かっていた。
とりあえずもうひと撫で。この後に待っている胃痛を考えれば少しくらい癒されてもバチは当たらないだろう。
「おや」
兎は億劫そうに眼を開くと、首だけ起こして私を見た。機嫌を損ねてしまったという風ではないが、なんだか不愛想だ。
「どうも」
なんとなく挨拶をする。それに対し、兎は挨拶がわりにだろうか、「ぶぅ」と鼻を鳴らすと再び脱力した。私がもう一度撫でてみても反応は無く、されるがままだ。ふてぶてしい。
「……よし」
ひとしきり満足するまで撫でたところでリビングに向かうと、定位置であるソファの上で毛玉その2が丸まっていた。言うまでもなく世界的アーティストであるはずの
彼女は私より少し低いくらいの背丈だが、髪が足元に届かんばかりに長くて量も多い。こんな風に丸まって顔を伏せているとほとんど髪の毛しか見えない。
「おはようございます」
「おはよう」
毛玉のままIAが返事をする。
「起きてください」
「起きてるよ」
「起き上がってください」
そう言うとようやく人型になった。
「こんどはどんな世界ですか」
「あれ、言ってたっけ」
「いきなり兎が現れたら見当もつきますよ」
ある朝はいきなりキッチンに見慣れない調理機器が鎮座していた。
ある朝は右の掌にポイント管理の電子チップが埋め込まれていた。
ある朝はスマホではなく手帳から目覚ましのアラームが聞こえた。
ああまたこのパターンか――そんな風に思ってしまう自分が怖い。
「で、何なんですか、あの兎は」
「あの兎さんはゆかりの双子だよ」
「双子」
双子。双生児。その意味を頭の中で反芻し、自分にとってそう呼ばれる存在を思い浮かべる。
「え、あの兎って
「そうじゃなくて」
ふるふるとIAは首を横に振った。そうだ。ここはもはや自分の知る世界ではない。文化も常識も、もしかすると
「望さん? はちゃんと別にいるよ。それであの兎さんは、ゆかりの双子」
「双子……」
ニュアンスからして、ずっと一緒にいる動物と言うことだろうか。だから私のベッドにも我が物顔でいた。
「全ての人間に動物を飼うことが義務付けられた世界……?」
「そういう世界もあるけれど、ここは違うよ」
「……じゃあ、どんな世界ですか?」
私はギブアップした。想像が追いつきそうもない。
「全ての人、一人一人のそばに動物がずっといる世界」
「……もう少し、詳しく。ずっととは?」
「ずっとだよ。死ぬまでずっと」
「はい?」
つまり新生児に動物が与えられ、動物が亡くなるたびにまた与えられると言うことだろうか?
そう言うとIAはまた首を横に振った。
「そんなことしなくても、ずっと一緒にいる。お母さんのお腹の中にいる時から、ずっと」
「……ちょっと、調べものをしていいですか」
「いいよ」
私は一度部屋に戻り、兎を軽く撫で、スマホを手に取ってリビングに戻った。そして『胎児 エコー』と打ち込んで検索をかける。
予想通りの結果に眉間を抑える。胎児に寄り添うようにして、ある写真では犬が、そしてまたある写真では猫が、兎が映り込んでいた。
「どうなってるんですか、一体……」
「簡単に言えば、魂の一部が分離してるんだよ」
「はい?」
IAは両手を軽く広げて語り始めた。どうにも胡散臭いが、彼女の言うことに嘘はない。
「この世界の科学だと証明されてはいないんだけど、私から見ればはっきりしてるよ。双子の飼い主の魂が人間の体から分離して、動物の形をしているの」
「……仮に。仮に双子の動物を傷つけたとしたら?」
「飼い主の心に傷ができるけれど、時間が経てば双子も飼い主も回復するよ」
「たとえそれが、普通の動物なら死んでしまうようなものでも?」
「うん。飼い主さえ無事なら。だから双子たちは普段食事をとらなくてもいいし、トイレにもいかない。その気になれば何かを食べることもできるけれど、それは飼い主が食べたことになる」
「なんという……」
私の本来の世界と、これまで私が体験した世界の違いは科学技術や法律制度が中心だった。あくまで人類が作り出した技術や制度の差。何かのボタンの掛け違い。方向性のズレ。それで納得できる何か。
だが今回は違う。もしかしたら人間という種そのものの成り立ちが、あるいは物理法則そのものの成り立ちからして私の世界とは違うかもしれないのだ。
「ふああ」
IAがあくびをする。先ほど起こした時もそうだが、今日は調子が悪そうだ。
「何だか眠そうですね。昨日は仕事が遅かったんですか?」
「ううん。今回の世界を探すのに疲れちゃった」
「……今回の世界って、今までと比べて元の世界との差が大きかったりするんでしょうか」
私が立てたばかりの仮説を話すと、IAはキョトンとした顔をした。
しかしそれは一瞬のこと。IAは花がほころぶような笑顔を浮かべた。
「うん、そう。ゆかりも段々世界の仕組みが分かって来たんだね」
「分かりたくない……」
私が頭痛を覚えて眉間を抑えていると、IAは再び毛玉に変形した。
「そういうわけで疲れてるから、おやすみ」
「ああはい、どうぞ……」
ひとまず、今回の世界の概要は分かった。どっと疲れを感じながら部屋に戻り、ベッドに腰かける。そして兎を撫でた。
「ぶぅ」
兎はやや不満げに鼻を鳴らしたが、やはり抵抗せず私に撫でられていた。これが私の魂の一部だというなら、普段の私もこんな風にふてぶてしいのだろうか。
「そんなことないですよね?」
兎はぱたりと耳を動かした。肯定か否定かは分からなかった。
*
IAが私を別世界に招待するのは金曜日の朝が多い。
私が普段の土日はあまり遠出せず、小説を書いたり平日の仕事の息抜きをしたりするのに徹しているから、世界の変化を体験させるという意味では平日がちょうどいいのだろう。
それが今回土曜日にずれ込んだのは、やはり世界を探すのに手間取ったからだろうか。あるいは、今日たまたま私が出かける用事を入れていたのを承知していたのだろうか。
とにかく私はこの世界で映画を見に行かなければならない。
約束の時間は11時。ショッピングモールで映画を見てから遅めのお昼を食べ、服を見るというコースである。
約束の相手は会社の後輩でもある
というわけで、さっそく私は朝食を終えた後、情報収集にかかることにした。
リビングのソファで相変わらず毛玉になっているIAに小さめの声で尋ねる。
「……テレビを見てもいいでしょうか。うるさくないですか」
「いいよ。ついて」
そこは「つけて」ではないのか――と思っていると、テレビがひとりでについた。声に反応するような仕組みなど搭載していないはずだが。
「…………天気予報を映してください」
一応命令してみるが、テレビは知らん顔でCMを写し続けていた。
我が家では家電すら宇宙人の言いなりらしい。私はわざわざリモコンを使ってチャンネルを回した。
『こちらは渋谷です。今日は一日中お出かけ日和――』
「ふむ」
見慣れたお天気キャスターの肩にはオウムが止まっている。チャンネルを回す。
『近年の不動産価格上昇の背景ですが、どう思われますか――』
別の番組のコメンテーターの足元にはブルドックが伏せをしている。しかも飼い主だけではなく、こちらにも丁寧に名前のテロップが出ている。チャンネルを回す。
どんな番組でも、どんなCMでも、必ずと言っていいほど動物が人間とともにいた。
犬。猫。鳥。兎。馬。亀。そして変わったものでは――。
「カツオ……」
バスで旅をする番組に出演しているお笑い芸人が、小脇に生きた鰹を抱えたまま軽妙なトークを繰り広げていた。そういう芸風で無いならあれが彼の双子なのだろう。
先ほどIAは、双子には食事も排泄も基本的に必要ないと言っていた。ならば水棲動物でもお構いなしに陸上で暮らせるのだろう。
「ん……?」
バスに乗ってたどり着いた蕎麦屋で、出演者たちがサイコロを振っていた。一番小さな目を出した人が全員分の代金を払うというミニゲームらしい。
さっきの鰹芸人の相方が、自分の双子のニホンザルにサイコロを渡していた。
『うちのモン吉はこういう時バシッと決めてくれるからなあ。頼むで!』
『ききっ』
『って1やないかい!』
鰹芸人が出目にすかさずツッコミを入れる。内容はさておき、双子の猿だ。モン吉というらしい。
「ああそうだ、名前……」
さっきのコメンテーターのブルドックもそうだった。飼っている動物には名前があって当然なのだ。ペットを飼うのが久々過ぎて忘れていた。
「ちょっといいですか、IA」
定位置のソファを見ると毛玉はいなくなっていた。キッチンの方で物音がする。
「IA」
「んー?」
のぞき込むと、IAはトーストにこれでもかとマーマレードを塗っているところだった。すでにトーストの白い部分は埋め尽くされているのに、また瓶の中から山盛り一杯をすくい出している。
「最近減りが早いと思ったら……」
「どうしたの?」
「使った分は買ってきてくださいよ――じゃなくて」
私は本題に入った。
「あの兎の名前って何ですか?」
「決まってないよ。自分で決めたいかと思って」
マーマレードを塗った後のスプーンを口にくわえたまま、IAはポケットをごそごそと探った。七夕で使うようなピンクの短冊を手渡してくる。
「これに名前を書いて兎さんに貼り付ければ名前が決まるよ。出かける前に決めてあげてね」
「分かりました」
「あとこれも」
そう言ってIAが渡してきたのは指輪だ。虹色に輝く不思議な宝石がはまったそれを、私は右手の人差し指にはめた。
この指輪の石に直接触れていると、IAとテレパシーで会話ができるようになる。最初に体験した並行世界、つまり食品プリンターの世界ではめまぐるしさに使うのを忘れていたが、そのあとの二つの世界ではそこそこお世話になっていた。今回も色々と尋ねることになるだろう。
IAはトースト皿と紅茶の入ったカップをもって定位置のソファに戻った。そして私を振り返って言う。
「私はご飯を食べたら出かけるから」
「ええ。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
マーマレードだらけのトーストにかじりつくIAを残し、私は一度自分の部屋に戻って身だしなみを整える。
さて、この世界の観察はざっと出来ただろう。あとは移動時間を使ってスマホで検索をかけ、情報をもう少し集めれば十分なはず。
となると、問題は一つ。
「起きてますか?」
兎に声をかけると、億劫そうに体を起こしてこちらに寄って来た。そして腹ばいで座り、こちらを見上げる。
「あなたの名前を決める必要があるんですよ」
一応本人? の同意を求めてみるも、その表情は『どうぞご勝手に』と言っているようにしか見えない。もっとちゃんとした意思疎通ができればいいのだが。
念のためスマホで調べてみるも、言葉を話す双子はかなり珍しいようだった。インコなら喋れる、と言うことではなく、姿が犬だろうと猫だろうと喋るものは喋るし、喋らないものは喋らないようだ。
つまりこの兎は喋れないか、あるいはまったく喋る気がない。となると、私が決めるしかない。
兎の名前、というと……。
真っ先に思いついた名前がある。しかしそれは――。
「どう思います?」
兎に尋ねるも、興味なさそうに鼻を鳴らされただけだった。
変に避けるのもかえって意識しすぎている感じがする。私は最初に思いついた名前を短冊に書くと、兎の額に軽く貼った。短冊は虹色の光を放ちながら、宙に溶けるように消えてしまった。もう必要ないと言うことだろう。
「よろしくお願いします、
「ぶぅ」
やはりというか、無愛想な鳴き声で返事をされた。
*
雫を抱えて家を出る。IAはさっきの言葉通りすでに家にはいなかった。
「さて……」
幸い、雫はそれほど重くはない。私が知っている世界と同様、電車で移動できればいいのだが。
テレビ越しに見た限り、この世界ではいちいち動物用のケースに入れる必要は無いだろうし……と、そこまで考えたところでとんでもないものを見た。
腰が曲がった老人の横を虎が歩いている。杖を突いてゆっくりと進む飼い主の歩調に合わせ、老いてなお力強い虎がのしのしと歩いている。その爪や牙はぎらぎらと光を反射しており、動物的な本能が私の身をすくませた。
「ええと……」
私は右手の人差し指の宝石に手を触れた。
『どうしたの?』
頭の中に響くIAの声に、同じく頭の中で返事をする。
『あの、猛獣の双子も放しておいて大丈夫なんですか?』
『免許があれば大丈夫』
『免許?』
『双子免許』
IAが言うには、双子が猛獣であったり有毒の動物であったりした場合、制御する訓練を積んで免許を取らないと、その危険性に対策を講じる必要があるのだという。
マズルガードくらいならばいいが、丸ごと檻に入れる必要がある動物もおり、人が多い施設ではそう言った対策を講じてもなお入場を断られることも多いという。
そしてその制限を取り払うのが双子制御免許というわけだ。
『いやその、免許があると分かっていても怖いものは怖いんですが』
心なしか雫も私の腕の中で身を縮めているように思える。こうしてIAに質問をしている間にも虎と老人は私たちの横を通り過ぎ、だんだん遠ざかっていくものの、あの虎が本気を出せばこんな距離など一瞬だろう。
『でもこの世界ではそうやって上手くやって来たんだよ』
『そういうものですか』
『双子の爪や牙が怖いのは仕方ないけれど、それもその人の一部だから』
『その人の一部、ですか』
『そう。勿論、国によって扱いは違うけれど、この日本ではそうなってるよ』
『……分かりました。ではまた』
『うん』
指輪から手を離す。虎と老人は角を曲がったのか、姿が見えなくなっていた。私も再び歩き出す。
駅に着くと、私と同じように動物を抱えた人々が当たり前のように電車を待っていた。そしてその様子を除けば、やはり私が知る世界と同じ。カップル同士がおしゃべりしたり、学生が単語帳に赤シートをあてていたり、若者がスマートフォンで動画を見ていたり。
彼ら彼女らと同じように、私もスマートフォンを取り出して指先で画面をなぞる。
この世界のこの国は、双子を制御する人の意思と能力を信じると決めた。私の知っている事例で言えば、車や狩猟の銃が近いだろうか。ルールと免許で縛ることで、人を傷つける能力がある道具を扱って良いものとする。
検索をかけると案の定、沢山の意見が飛び交っていた。
免許があってもマズルガードはつけるべき。有毒種は牙や爪を切るべき。危険な双子を持っているからと言って差別するのは良くない。免許を取れない年齢の子供の双子の扱いが現在の法律では不十分だ。アルツハイマーの老人の双子に襲われて死者が出た。法規制すべき。双子を隔離すべき。人権はどこまで適用されるのか。
「ぶぅ」
「ん、雫?」
『1番線、間もなくドアが閉まります――』
「えっ、あっ」
腕の中から聞こえた声に意識を引き戻された時には、そんなアナウンスが響いていた。開いたドアに気づかずにスマホをいじり続ける間抜けな人間になっていた。
気持ち早足で電車に乗り込み、そそくさと席に座る。
「ぶぅ」
「どうも」
再び雫が鼻を鳴らす。小声で返事をして雫の頭を撫でる。目を細めたのは、呆れからか心地よさからか。
改めて電車の中を見る。私が知っている路線のはずだが、それよりも椅子の数が少ないように思えた。そうして作られた床のスペースには、大型犬が伏せをしていたりゴリラが座り込んでいたりする。
「映画館もこんな感じなんでしょうか……」
この世界にとって余所者のつぶやきは電車のスキール音にかき消された。
*
職場に向かうのとは違う方面の電車に15分ほど乗ると、複数の路線が乗り入れた大きめの駅に着く。そこは当然の成り行きとして商業施設が充実しており、お決まりのように待ち合わせ場所にちょうどいい広場やモニュメントがある。
待ち合わせ時間の10分前。あかりちゃんはまだ来ていない。ベンチに座って本を読み始めると、雫は我が物顔で私の膝の上に乗って体を伏せた。まあうろうろされるよりはいい。私は小説に意識を集中した。
「ふむ」
当たり前と言えば当たり前だが、小説の内容も変わっている。当たり前のように双子の描写が盛り込まれているし、なんなら話のギミックとしても機能している。私の書いている小説も例外ではないだろうから、この世界に長居するならばそのあたりも気を付けなければいけないだろう。
「映画やドラマも全部取り替えですよね……これはまたとんでもない」
これまで体験した世界よりもやはり差は大きい。歴史の流れはおおむね同じだとしても、やはり根本的な成り立ちが異なっているのだ。
ハチ公の場合はどうなっているのだろうか……などと考えていると、遠くから白い子犬が走ってくるのが見えた。秋田犬ではないようだが、何ともタイミングがいい。
おそらくレトリーバーの品種のうちのどれかだろう。小さな体をフルに使って全力疾走している。表情も人懐っこく、見ていて微笑ましい。
……こちらにまっすぐ向かってきていなければ。
「しず……」
膝を見下ろすと、雫は知らん顔で膝から降りて横に避けていた。こいつ。
「わう!」
「うごっ」
一吼えとともにジャンプし、その子犬は私に全力でとびかかって来た。胴体に少々深刻なダメージが入り、見苦しい声が漏れた。
「こらー! シロー!」
なんとなく予感はしていたが、その子犬――シロに遅れること十秒、三つ編みを振り乱して紲星あかりちゃんが私のもとに到着した。そのころには私の顔はシロのよだれでべたべたになっていた。
「ゆかりさん、ごめんなさい! うちのシロがご迷惑を……!」
「ああ、お気になさらず……」
あかりちゃんがシロを私から引きはがして頭を下げる。その頭からキャスケット帽がポトリと落ちた。
あかりちゃんは慌てて拾おうとしたが、両手で抱えているシロを解放すればまた私にとびかかっていくかもしれないと思ったのだろう。あたふたとするばかりだ。私は帽子を拾ってほこりを払い、あかりちゃんの頭に乗せた。
「すいません……」
「いえいえ。ちょっと顔を洗ってきていいでしょうか」
「も、もちろん。それまでに落ち着かせておきます!」
「ああ、じゃあ雫を見ておいてください」
先ほどつけたばかりの名前は機能しているだろうか。試しに雫の方を見ずにそう言ってみる。
「はい。雫ちゃんのことは任せてください」
そう言ってあかりちゃんはシロを抱えたまま雫の隣に座り、シロに「めっ!」とやり始めた。あの兎の名前は雫。そういう認識はちゃんと働いているようだ。
駅ビルのトイレに入り、顔を洗ってから身だしなみを整えなおした。元々そんなに化粧をしない方なのが幸いした。手早く済ませ、人の間を縫ってあかりちゃんのところに戻る。
「お待たせしました」
「いえ、そんな。ほら、シロもごめんなさいしなさい」
シロは人懐っこい笑顔で「わう」と鳴いた。反省の色はなさそうである。
「このバカ……!」
「まあまあ」
シロの頭をなでてやると、嬉しそうに眼を細めた。雫とは大違いだ。
「映画の時間は大丈夫でしょうか」
「あ、そうですね。こうしてる場合じゃないです」
私も雫を抱き上げ、映画館のあるビルに向かって歩き出す。
「はあ、シロも雫ちゃんみたいに大人しい子だったらいいのに……全然いうこと聞かないし……」
「可愛いじゃないですか。雫なんて不愛想で」
「え? そうですか?」
あかりちゃんはシロを抱えたまま手を伸ばし、雫の頭を撫でた。雫は目を細めて「ぷぅぷぅ」と鼻を鳴らした。こいつ……。
「これは営業スマイルです。信じてはいけません」
「そ、そうなんですか……」
あかりちゃんも苦笑いしている。
「やっぱり、もうちょっとお金溜まったら免許取りに行きたいですね……」
「……ああ、双子免許」
この世界の常識に慣れていない私は返事がワンテンポ遅れた。
「そうです。自動車のほうは持ってますよ?」
「そうでしたね」
「やっぱり大学の時に取っておけばよかったかなあって思うんですよね。でも結構お金かかるじゃないですか」
「そうですね」
仮に自動車免許と同程度だとすれば十万円では効かない。
今は秋の始め。今年の春に社会人になったばかりのあかりちゃんにポンと出せる金額ではないだろう。かくいう私も、大学時代に自動車免許を取った時の料金は両親の厚意に甘えている。
そしてそれはあかりちゃんも同じはず……どころか、大きな愛情を両親から注がれていると普段の会話から私は察していた。
「あかりちゃんのご両親なら、それくらい出してくれそうですが」
「いやまあ、そうなんでしょうけど」
しかしあかりちゃんは私の指摘にどこか落ち込んだ様子を見せた。
「でもそれじゃあ、意味ないかなって思って……」
「というと?」
映画館に着き、ネットで予約した番号を発券機に打ち込んで発券を済ませる。寄り道をしなかったことが功を奏してか、入場まではまだ余裕があった。
「シロって、子犬じゃないですか」
「ええ」
「昔からずっと子犬なんですよ」
「それは……」
つまり、双子は成長するということ。
周りを見る。子供のそばには子供のペンギンや猫が、大人のそばには大人の牛や犬がいる。私の雫も大きさで言えば十分に大人の兎だ。
あかりちゃんも私の視線を追ったのだろう。ちょうどすぐ近くに成犬を連れた女性がいた。細長い手足と顔の、犬種で言えばボルゾイが近いだろうか。
「シロもあんな風に、大人しくてかっこいい犬に……それにはまず、私が大人にならなくちゃって」
当のシロはあかりちゃんの腕の中で落ち着きなく周囲を見回している。
「なれますよ、きっと」
私はあかりちゃんの頭を帽子の上から軽くポンポンと叩いた。
しまった。私も子供扱いしてしまった……と思いきや、あかりちゃんは少し嬉しそうに笑みを浮かべて私を見上げた。
「ゆかりさん……」
「え、ゆかりさん?」
と、その時ボルゾイを連れた女性がこっちを振り向いた。
「あ、ゆかりさんだー! 聞き覚えのある声がすると思った!」
「え? もしかして、ささらちゃん?」
「そうでーす。お久しぶりです!」
さっきまでの落ち着いた雰囲気はどこへやら、脇に従えたボルゾイともども嬉しそうにこちらに小走りで駆け寄ってくる。
彼女の名前は佐藤ささら。鈴木つづみと同じく、私の大学時代の後輩だ。つづみさんと違って文芸サークルには属していなかったが、彼女の親友と呼べる存在であり、私ともよく顔を合わせていた。
「こちらこそお久しぶりです。2年ぶりくらいでしょうか」
「つづみちゃんが大学卒業した少し後に飲みに行ったくらいだから――うん、そのくらいですね。つづみちゃんから話は聞いてますよ、先生」
「その呼び方はやめてくださいよ。……っと」
あかりちゃんを紹介しなくては……と思ったら、彼女は私の陰に体を半分隠していた。普段から人懐っこく明るい半面、初対面の人にはこうなのだ。
「あかりちゃん。こちら、大学時代の後輩の佐藤ささらさん。で、こちらは会社の後輩の紲星あかりちゃんです」
「は、初めまして……」
「初めましてー。うわあ、カワイイ……」
「こらこら」
ささらちゃんは可愛いものに目がないのだ。あかりちゃんとシロのことをきらきらとした眼で見ていたので私はたしなめた。
話題をそらすため、私は自分たちが見に来た映画のポスターを指さした。
「私たちはあれを見に来たんですけど……ささらちゃんは?」
私とあかりちゃんは今話題になっている小説原作の人間ドラマだ。あかりちゃんもちょうど見たいと言っていたが、実際は私の趣味に合わせてくれたのだろう。
「私はあれです!」
一方のささらちゃんはカラフルなポスターを指さした。プリティでキュアキュアな作品だった。
「……なるほど。ああそうか、前からアニメとか漫画とか好きでしたもんね」
「好きすぎて声優になっちゃいました!」
謎のキュートなポーズを決めながら言う。ボルゾイもそれに合わせてポーズをとっていた。思わず半歩引きそうになる。
「おお、それはすごい……。もしかして出演を?」
「いいえ。まだまだ出れませんねー」
「ええとじゃあ、勉強のために?」
「今回は単純に趣味です!」
謎のビシッとしたポーズを決めながら言う。ボルゾイもそれに合わせてポーズをとっていた。もう慣れた。というより思い出してきた。こういう人だ。
「おっと、そろそろ入場時間です。私はお先に失礼しますね!」
「ええ。楽しんできてください」
「ええ、ゆかりさんたちも。それじゃ行こうか、シュガー」
「わふ」
嵐のようにささらちゃんとシュガーは去っていった。ようやくあかりちゃんが私の後ろから出てくる。
「すごいなあ……」
あかりちゃんがぼんやりとつぶやく。
「ええまあ、エネルギッシュで」
「それもですけれど……ばっちり双子を制御してます。見ましたか、あのポーズ」
言われてみれば。何の指示もなくシュガーことボルゾイは飼い主に合わせてポーズを決めていた。
「私もあんな風になれたらなあ……」
「なれますよ、きっと」
私は再びそういってあかりちゃんを励ました。今度は肩を軽く叩いた。
*
あかりちゃんと見た映画の内容は、やはりというか双子がいる世界を前提とした内容に変わっていた。
ふとした誤解からすれ違った親子や恋人たちが意外なところで再会を果たし、ぎこちなく一緒の時間を過ごす中でかつての絆を取り戻していく――その大筋は私の知る原作小説と同じでも、登場人物の双子たちはそのドラマに一役買っていた。
双子の見た目や様子は飼い主の内面を映すもの。そういう認識がこの世界では当たり前であり、ある程度の実例もある。
嘘は双子の様子から疑われ、双子の異変が飼い主の隠した不調を解き明かす鍵となる。
まさしく魂の一部。心の一端。
この映画の原作を読んだときはまだこの世界に来る前だったため、私はついつい原作との違いを分析しながら見てしまっていた。元の世界に戻ったあと、双子がいないバージョンの映画も見ておきたいと思った。
「ゆかりさん、この服どうですか?」
「いいですね。似合ってますよ」
「きゃう」
「シロも似合うと思う?」
「わん!」
「……雫も何か言ったらどうですか」
「……ぶう」
「あはは」
映画を見終わった後の昼食や買い物すらどこか賑やかだ。全ての人が自らの魂の一部を分けた動物を連れた世界。ゆりかごから墓場まで、この世界の人々は皆孤独ではないのだ。
……そう思っていたのは最初のうちだけ。そう。何事にも例外というものは存在する。
「あれ、迷子かな。……もしかして、一人っ子?」
「え?」
買い物が一通り終わり、帰る前に喫茶店で一服していた時のことだ。その声につられて、あかりちゃんの視線の先を見ると、一人の男の子が不安そうにきょろきょろとあたりを見渡していた。
泣きそうになっている彼の傍らには何の動物もいない。
「一人っ子……」
その言葉のニュアンスが示すものは一つしかないだろう。この世界にも例外はあるということだ。
「荷物を見ていてください」
「え、あ、ゆかりさん」
「大丈夫ですよ」
店を出て男の子のそばに行き、しゃがんで目線を合わせる。
「どうしたの? 一人?」
「うう……ダイスケが……」
「ダイスケ?」
「ぼくの、ふたご。こんな小さな――うっ」
「ちょ、大丈夫!?」
その時、男の子が急に体をくの字に折り曲げて呻いた。思わず抱きとめる。
「ゆかりさん!」
ただならぬ様子を見てか、あかりちゃんが荷物を置いて駆け寄ってきた。二人で男の子を運び、そばのソファ席に寝かせる。にわかにあたりが騒がしくなってきた。
「急に苦しみだして……あかりちゃん、何か分かりませんか?」
「一人っ子じゃないんだ。この様子、双子に何かがあったのかも……」
あかりちゃんの言葉にはっとする。この男の子の双子――ダイスケのことを、彼は小さな何かだと言っていた。嫌な想像が脳裏に浮かぶ。
「もしかして、誰かがそうと分からずにこの子の双子を踏んでしまったとか……」
「そ、それって――」
あかりちゃんが顔を青くする。
「ど、どうしましょう。この子の双子を一刻も早く見つけて保護しないと――」
「探すといっても――」
喫茶店の外を見やる。この騒ぎを覗き込む人。足早に通り過ぎる人。不安そうにしつつも働く人。人。人。人。
「……シロ。ねえ、シロ。この子のにおいを辿れない?」
あかりちゃんがすがるようにシロに言う。しかしシロは状況が分かっているのかいないのか、あかりちゃんの手をぺろぺろとなめていた。
「もう、シロってば!」
「あかりちゃん」
シロに食って掛かろうとしたあかりちゃんを止める。
「心苦しいとは思いますが――今は確実な手段に頼るほかないでしょう」
「それって――ささらさん?」
確かに彼女ならば、双子を操ってにおいを辿らせるぐらい訳はないだろう。しかし今はそれすら時間が惜しい。もう帰ってしまっているかもしれない。この商業施設のスタッフの中にそういったことができる双子の飼い主がいるかもしれないが、それも確実ではない。
「……うう」
男の子の表情がまた一段と苦しそうになる。四の五の言っている場合ではない。
私は右手の指輪の宝石に手を触れると、はっきり口に出して言った。
「緊急事態です。……来て」
「なに?」
その時、すぐ近くの空間が
「ちょ――」
そのままカーテンでも引き開けるように空間の裂け目を広げ、IAはショッピングモールに降り立った。途端に花のような香りがあたりを包む。彼女の髪には一匹の青いモルフォ蝶が止まっていた。
想像の斜め上の方法で登場した同居人に度肝を抜かれるが、それどころではない。
「ええと、状況を――」
「見せてね」
IAは私の額に指を触れると、ふむふむと頷いた。
「うん」
IAは水でもすくうように両手を顔の前に持ち上げた。その手の中に飛び込んだモルフォ蝶へと虹色の光がどこからともなく収束していく。
「ちょっと、あんまり派手なことを――」
「大丈夫。ちゃんとあとで何とかするし、緊急事態なんでしょ?」
「……そうでしたね」
「じゃあそういうことで。お願い」
IAの手の中の光が弾けると、モルフォ蝶は虹色の輝きをまとったオニヤンマに変じていた。目にも止まらない速さで人々の間を縫ってどこかに飛び去って行く。
「い、IAさん……? 本物? どうしてここに? それにこれは……」
あかりちゃんは完全にパニックになっていた。周りの人々の反応も似たようなものだ。
「あ、来た」
人々の頭の上を飛び越えて来たオニヤンマがIAの掌の上に何かを落とす。それは怪我をしてもがいている小さなテントウムシだった。
「これが……」
「そう。その子の双子」
さすがは惑星ARIAの精霊。途方もないエネルギーの化身。男の子の魂の痕跡をたどって双子を探し出すくらいは訳もないようだ。……私が期待した通りに。
「さてと」
左手に乗せたテントウムシにIAが右手をかざすと、暖かな色の光がテントウムシに注がれた。見る間に傷ついていたテントウムシの羽が、足が、何事もなかったかのように癒えていく。
「う……ううん……」
それに連動して男の子の表情からも力が抜け、呼吸が落ち着いていく。IAは治療が終わったテントウムシを男の子の横におろした。テントウムシは男の子の頬によじ登り、心配するように触角を動かしていた。
「うん、もう大丈夫」
「……どうもありがとうございます」
「大丈夫。むしろゆかりが私を頼るだなんてびっくりしたよ」
「……他に選択肢が思い浮かばなかったんです」
「さてと」
オニヤンマがIAの肩にとまると、虹色の光に包まれて再びその姿を変え、青いモルフォ蝶に戻った。IAの瞳と同じように、角度によって微細に変わる色に羽を輝かせている。
「どうしようかな」
もはや私たちの周囲は先ほどとは比べ物にならないほどの人だかりになっていた。写真や動画を撮る人もたくさんいる。
それはそうだろう。世界的なアーティストがいきなり現れたかと思えば、虹色の光を操って何かをしていた。仮に私がIAの存在を伏せる立場の人間なら頭痛で卒倒しそうな光景だった。
――もっとも、そんな心配をする必要がないのがこのARIAの精霊という存在である。
「はい」
ぱん、とIAが手を鳴らすと虹色の波紋が周囲に広がった。その途端、人々はIAや私たちから興味を失い、各々の行きたいほうへと進み始めた。更にあかりちゃんはソファ席に腰かけ、男の子の隣ですやすやと眠り始めた。シロも同じだ。
「……何を」
「記憶と、写真とか動画を消して――あと、私の存在に気づかないようにした」
「はあ」
IAは相変わらず現実離れした美貌でそこにいるが、周りの人々の目には入らないようになっているらしい。
「で、迷子センターのスタッフさんがここに来るから――その人が男の子の双子を怪我する前に見つけてくれたってことにしよう」
「はい、じゃあそれで」
もうなるようになれ。私は投げやりに答えた。IAは「うん」と頷くと男の子の頬に止まるテントウムシに触れた。その姿が虹色の光の残滓を残して消え失せる。おそらく適当なスタッフの手の中に飛ばされたのだろう。
「さてと。そろそろシンガポールに戻らなくちゃ」
「仕事中でしたか……すみません」
「うんまあ、向こうにも私はいるし、大丈夫」
この宇宙人は本当に。
IAは再び、カーテンでも開けるように何もない空間に指を差し込んで引き開けた。何やら虹色に輝く空間が入口の向こうに広がっている。
「それじゃあね。あ、しばらくご飯いらないから。火曜には帰るよ」
「分かりました。和菓子でも買っときます」
「やった」
最後だけ同居人らしいやり取りをして、IAは忽然と姿を消した。先ほどまで空間の裂け目があった場所に指を伸ばすが、そこには何の感触もない。
「ぶぅ」
その声に振り向くと、雫が呆れたような表情でこちらを見上げていた。私がIAの影響を受けていない以上、雫も今の光景をきちんと覚えているらしい。
「念のためですよ、念のため」
雫はあくびをした。こいつ……。
「う、ううん……」
あかりちゃんが体を起こした。シロはまだ寝ている。
「あれ、私……」
「あかりちゃん。覚えてますか?」
「ええと、迷子の子の双子をどうやって探そうか考えてて……」
その時、小走りで近づいてくる人の姿があった。
「すみません。迷子センターのものですが」
「あ、どうも」
顔を上げると、小さな菓子箱を手に持ったスタッフがいた。その肩にはリスが乗っている。
「……ダイスケ?」
男の子が何かを感じたのか、目を覚ましてスタッフの持つ菓子箱のほうを見た。
「なんとかなったみたいですね」
「ええ。ゆかりさんが連絡してくれたんでしたっけ」
「そんなところです」
「ありがとうございます。ううん、でも私、どうして寝ちゃったんでしょう……情けないなあ」
「……疲れてたんじゃないですかね」
男の子とダイスケの再会に水を差さないよう、私は曖昧に答えた。
*
スタッフの人は私たちにもう十分だと言ってくれたが、あかりちゃんは最後まで見守りたそうにしていたので私も付き合うことにした。双子のテントウムシと再会できた男の子は、そのあと両親ともちゃんと再会することができた。
「ばいばーい」
あかりちゃんが手を振ると、男の子も手を振り返してきた。
「ありがとー、お姉ちゃん」
「すみません、本当にありがとうございました」
「本当に――何と言っていいか」
母親と手をつないだ男の子が去っていく。あかりちゃんは親子の姿が消えてから「さてと」と立ち上がった。
「すみません、付き合わせちゃって」
「いいですよ。私も見送りたかったですし」
私は二杯目のコーヒーを飲み終えた。
「すっかり遅くなっちゃいましたね……夕飯も食べていきますか?」
「私はそれでもいいんですけど……実は今日、両親と約束があって」
「え? 時間大丈夫ですか?」
「実はぎりぎりで――すみません! このお礼はまた!」
あかりちゃんは私に深々と頭を下げた。その頭からキャスケットが落ちそうになったので私はとっさに抑えた。
「うわまたやっちゃった――すみません」
「いいですって。それじゃあまた」
「はい、また!」
あかりちゃんは駅のほうへとわたわたと走っていった。転ばないといいが。
「私たちも帰りましょうか」
「ぶぅ」
腕の中の雫は相変わらず不愛想に返事をした。
*
その日の晩、私はつづみさんに電話をした。仕事相手としてではなく友人として。今日ささらちゃんに会ったこと。最近読んだ本のこと。そして最後に――。
「和菓子の味にうるさい先生のところに持っていく手土産って、いつもどこで買ってますか? 都内で買えると助かるんですが」
電話の向こうからは苦笑交じりのつづみさんの声と、いかにも悪戯好きそうな猫の鳴き声が聞こえていた。
きっと彼女も私と同じように、傍らにいる双子の背中を撫でながら電話をしているのだろう。
この世界に来てたった1日。だというのに、雫の存在は私にとって当たり前になっていた。
まさしく魂の一部。心の一端。だからこそ、想像などできなかったのだ。
この感触が私の隣からいなくなる日のことを。
書きたいことが盛りだくさんになってしまったので、後編に続きます。