時系列と年齢計算にミスがあったため、このページで訂正を行いました。
・「半年ぶりに会う弟」→「1年ぶりに会う弟」に訂正
・結月ゆかりの仕事が多忙になった時期について、紲星あかりと三歳差になるように「社会人生活が2年目に入ってしばらく経った頃」に訂正
私の同居人はエイリアンだ。
なんでも彼女は地球の悲鳴を聞きつけてやって来たとのことで、生命と愛と平和のメッセージを届けてこの星に調和を取り戻すのが目的らしい。
そのために彼女――
彼女の精霊としての能力や故郷の星の驚異的なテクノロジーをある時は見せつけ、ある時は私に自由に使っていいと提案してきた。
私はそれに対し、あれこれと理由をつけて日常を保つための方便を使ってきた。曰く、便利すぎて人間が堕落する。曰く、今の地球人の価値観には受け入れがたい。そうやってのらりくらりと上手くかわしているつもりだった。しかし、いつのまにか変化は始まっていた。
私とIAは、少しずつ影響を与え合っていた。私は、IAが純粋に平和と幸せを願う心を――ごく限定的にだが――信じ、私の不調を治すことを許した。IAは、私が単なる好き嫌いではなく、時に私自身を苦しめるような基準で物事を決めるのを理解した。
この変化は小さいように思えたが、確かに一つの変化だった。
得体のしれない同居人。考えの理解できない侵略者。超常現象そのものの
今まで、私にとってのIAはそんな存在だった。頭から疑って、警戒し続ける必要がある相手だった。勿論、リビングでくつろいでいる時に、コーヒーが絶対にこぼれないカップだとか自由に髪型を変えられるペンだとかを持ち出してくるのは変わらなかったが――それもIAの個性だと考えられるようになった。
IAもどこか、以前よりものびのびと過ごしているように見える。良い変化が訪れている――柄にもなくそう思う自分がいた。
だがそれは、言ってしまえば陳腐な基準にIAを当てはめる行いだった。
地球の技術など及びもつかないテクノロジーを持ち、時間や空間の法則すら超越した惑星ARIA。そして、その星に住まう精霊たちの中でも特別な、七色の魂を持つ未来の指導者たる存在。
……正直なところ、こういった口上すら理解が難しい尺度の存在だ。あるいは理解できてしまってはおかしいのかもしれない。
そんなIAのことを、地球人がちっぽけな物差しで測って理解したつもりでいたとしたらどうだろう。IAと近しい存在が果たして面白く思うだろうか?
答えは明白だった。
*
月の石。
それは上野恩賜公園内、国立科学博物館地球館地下三階に展示されている。とりあえずその情報だけ調べて展示場所に向かうと、私の双子の弟が待っていた。彼は手を挙げて私を呼んだ。
「やあ、姉さん」
彼は結月
「やあ、じゃなくて。いつもこんな待ち合わせ方をしてるの?」
「まさか。姉さんとだけだよ」
見てみてよ、と望は目の前の展示物を手で示した。
解説によると、片方がアポロ11号が持ち帰った静かの海の石。もう片方がアポロ17号が持ち帰ったタウルス山地の石だ。どちらもとても小さな石で、覗き込まないとちゃんと見えないくらいだ。
「展示してあるのがほんの少しの量なのは知ってたけど……」
「アメリカから親善のために贈られた分だからね」
アポロ計画で持ち帰られた月の石の総量は380キログラム。当時の技術としては相当の量だろう。
月の石から顔を上げた私に望が言う。
「不思議だよね。ロケットを飛ばしたらあの月まで行けるんだから」
「それが不思議じゃなくなるように科学者たちが頑張ったからでしょう」
科学はこの世の法則を解き明かすための一つの手段だ。因果関係を明らかにし、再現性を得られるようにする。言わば、予測不可能な出来事を予測可能な現象として定義し直す行いだ。
これにより、月は空に描かれた円盤ではなくなった。満ち欠けや月食が人の運命に影響を与えるものではないと分かった。それなりのリソースを使えば、その上に降り立ち、一部を持ち帰ることができる天体として認識された。未知のベールを
「月か……」
次の作品のテーマにいいかもしれない……と思っていると、あの同居人の姿が脳裏に割り込んできた。そう、目下最大の未知の存在である。
彼女に頼んだら月まで一瞬で連れて行ってくれるだろうし、月の石も山ほど持ってきてくれるだろう。絶対に頼まないが。
考えを打ち切り、話題を変えた。
「そういえば、学会はどこで? 東大とか?」
そもそも今回の待ち合わせは、望から『そっちで学会があるから少し話そう』と連絡が来たのが切っ掛けだ。
私の推測に対し、望は首を横に振った。
「いや、横浜」
「全然違うじゃない」
「でも、こうでもしないと姉さんは東京の名所なんて行かないだろう。せっかく東京に住んでいるのに」
「それはまあ、そうだけど」
晩秋のある日、日曜の昼過ぎのこと。
1年ぶりに会う弟は、相変わらずマイペースだった。
*
「東京タワーは? のぼったことある?」
「ない」
展示から展示へと歩いていく。
「スカイツリーは?」
「ない」
「浅草は行ったことある?」
「ないかも」
体験型の展示のボタンを押したりレバーを引いたりしつつ、望の質問に生返事を返す。
「アメ横は?」
「ない」
「お台場は?」
「多分ある」
「明治神宮」
「ない」
「日本橋」
「ない」
人類の進化。地球の誕生と変化。恐竜の化石。進化の系統樹。計算機の発展。サバンナの獣たち。地球の全ての時間と空間を舞台にした大パノラマの展示を見つつ、狭い東京の話が続く。
「姉さん、全然どこにも行ってないね」
「浅草はまだわかるけど、日本橋とかアメ横とかは買い物しないのに行っても仕方ないじゃない」
「いやいや、日本橋にはアレがあるだろう」
「ああ、アレ」
日曜日ということもあって人は多い。私が人混みに音を上げると、望は頷いてから出口に向かって歩き出した。お目当ての展示があるというわけでもないらしい。
「私が言うのもなんだけど、もういいの?」
「前に来たときにじっくり見たからね。今日は姉さんと会って、空気を楽しみに来たって感じかな」
「そうなんだ」
自分が言うのも何だが、変わった考え方をしている。
出口に差し掛かった時、望が横を指さした。
「あ、姉さん。お土産だけ見ていいかな」
「うん」
望は早速、深海魚や太陽系など、普通の店では売っていなさそうなデザインのノートやクリアファイルなどをいくつも買っていた。相変わらず交友関係は広いようだ。
望は何と言うか……人を惹きつけるタイプだ。
顔は今でもそっくりだと言われるし、中学生くらいまでは身長もほとんど同じだった。けれど、彼の周りには人が絶えなかった一方で、私はほとんど一人だった。
勉強も運動も出来るし、本当に完璧な弟だ。彼のことを羨ましく感じたことがないといえば嘘になる。しかし、今はそう思うことも少なくなった。大人になったのか、あるいはただ単に忘れているだけか。
そんな風に考えながらグッズを物色していると、ぬいぐるみの棚で少し気になる名前を見つけた。
「ん、これは……?」
ナメクジのような姿をした古代の魚なので、彼女とは似ても似つかない。しかし他に買うものも思いつかなかったのでこれに決めた。
二人とも会計を終え、博物館を出る。望が日差しに目を細めながら言う。
「さてと。お茶にしない?」
「賛成」
出口から少し歩いたところにあるスターバックスに向かう。私はカフェラテ、望の方は季節限定だとかいうフラペチーノを頼んだ。テラス席からは、秋の日差しが降り注ぐ公園を行き交う人々の姿が良く見えた。
一息ついたところで望が口を開いた。
「仕事の方はどう? 順調?」
「どっちの?」
「どっちも」
「……会社の方は、上司が変わったり、気の合う後輩が入ってきたりしたから。前みたいなことにはなってない」
「そっか。良かった。作家業の方は?」
「そっちは……ああそうだ、これ」
すっかり忘れていた。私は鞄から本を取り出して望に渡した。望がタイトルを読む。
「『リレイヤー』、か。リレイするもの……リレイ?」
「日本語的に言えば、リレー」
「ああ、なるほど。リレー競技に青春をかける若者たちのお話かな」
「大正解」
「ははは、嘘ばっかり」
互いに嘘だと分かっている会話は、本当のことしか伝えない。
「ありがとう。ゆっくり読ませてもらうよ」
「はいはい。いつも通りサインも書いてあるから」
私はサイン会を開くタイプではないから凝ったサインも書けない。楷書で『結月望へ 紫月ユイ』と書いてあるだけだ。しかし望はこれが嬉しいらしい。
「望は? 忙しい?」
「まあね。でも現場のことが少しずつ分かってくるのは楽しいよ」
「相変わらず前向きね」
「姉さんだって、随分顔色が良くなったよ」
望は笑みを深めた。
「
「今のところは」
「そっか」
多分、これが本題だったのだろう。望は聞きたいことは聞けたとばかりにフラペチーノの残りを飲み干した。
「僕はこれから浅草に行くつもりだけど、姉さんは?」
「行かない。もう少し公園を歩いたら帰る」
「それも良さそうだね。次は僕もそうしようかな」
望は立ち上がった。
「それじゃ。たまには帰ってきてね」
「うん」
望は小さく手を振ると、駅の方に向かって歩いて行った。
「……心配、かけてるなあ」
社会人生活が2年目に入ってしばらく経った頃だったか。当時の私の上司は、優秀だったが部下に自分と同じペースを求める人だった。おかけで私は来る日も来る日も大量の仕事をこなすことになった。その時は新人扱いが終わったのだろうとしか思っていなかった。そのせいで自分のペースを見失っていた。
そしてある日、限界がきた。何日も熱にうなされ、ろくに動けない日が続いた。熱が引いてからも三日間、真っ暗な部屋で何がいけなかったのかを考えに考え抜いて――今の部署から外してほしいと申し出た。それが一年半前のことだ。
新しい上司は、最初に私にまとまった休みを取らせた。マイナスがゼロになっただけだと。プラスにするだけの時間が必要だと。
望は仕事をやめて北海道に帰ってくるよう勧めてきた。自分の人脈を使って、無理なく働ける仕事を探すとも言ってきた。けれど、疲れ切っていた私は環境を変えることを選べなかった。結局東京に残ったまま、ぼんやりと毎日を過ごした。
最初のうちは本を数ページ読んだだけで疲れてしまうくらいだった。何もできない自分に嫌気がさす毎日だった。けれど、ゆっくりとではあったが気力は回復して行ってくれた。
現実逃避も手伝って、私は大学の時のように小説を書き始めた。それがつづみさんの紹介で文芸雑誌の隅に載った。今にして思えば、私に気を使って無理を通してくれたに違いない。
あとはなし崩しだ。幸運に恵まれて二本目三本目が載り、今に至る。
そして一年前。会社勤めに復帰する少し前――。
「ゆかり」
ちょうど思い出すところだった人物が、私の名前を呼んだ。
*
考え事から引き戻されながら、望のいた席に彼女が座るのを見ていた。
現実離れした美貌。 見る角度によって微細に変わる青色の眼。体に一瞬遅れて、長い髪がふわりと重力に従った。辺りに花の香りが満ちる。初夏を思わせる爽やかな香りだ。
彼女は飲み物を頼んでいないようだった。テーブルの上で軽く手を組み、小首を傾げて私に言う。
「考え事してるの?」
「
IA――あるいはその姿をした
彼女は何かを言おうと口を開き、閉じ、目を伏せてため息をついた。
「なんで分かったの?」
「なんとなくですよ」
本当は匂いで分かったのだが、流石に言わないでおいた。IAからは春先を思わせる花の香りがする。それだけの違いで気付けた自分に半ば驚いていた。
「えー、どうしよ。予想外だ……」
そんな風に言いながら、IAの姿をした彼女は頭を
「まあいっか。やることやっちゃおう。こっち来て」
そして、席を立って小走りで店から出て行った。追わないわけにもいかないだろう。カフェラテの残りを飲み、返却口にトレイを片付けてから店を出た。
「よし、来たね」
何やら得意げな表情で腰に手を当て、IAの姿をした彼女は待っていた。本物のIAには似つかわしくない仕種ばかりで、少し頭が混乱する。
「地球人!」
びしっ、と私を指さして彼女は言った。
失礼な。しかし名乗ってはおこう。
「初めまして、結月ゆかりです」
「そう、結月ゆかり。こっちも初めましてと言いたいけれど、私はお前を知ってるよ」
「はあ」
何が言いたいのだろう。
彼女の正体はなんとなくわかっている。十中八九、IAの同類か、あるいはそれに匹敵する常識外れの存在だ。
もしかしたら第二第三のIAが現れるかもしれない。以前、IAが『チコー』なる存在を話に出していたから予想はしていたが――なんというか、こう、IAとは少し勝手が違うようだ。まだ上手く言語化できない。
目の前の彼女は胸に手を当てて不敵な笑みを浮かべた。
「私の正体を知りたい?」
「いや別に」
「嘘つけ! というかさっきから平然と嘘ついてるけど何なの!?」
「嘘つきなんですよ、職業柄」
「と、とにかく。改めて名乗らせてもらうから」
辺りの空間に、どこからともなくオレンジ色の光の粒が湧き出してくる。無数のそれがIAの姿をした彼女のもとに集まっていく。
光を身にまとい、オレンジ色のシルエットとなった彼女が腕を振り払う。すると、彼女の身を包んでいた光が無数のオレンジ色の花びらへと変わって散り、内側からIAよりも一回り小柄な姿が現れた。
少し幼げだが、IAと同じく現実離れした美貌。 眼も同じく、見る角度によって微細に変わる青色だ。髪はIAよりも短く、肩のあたりで切りそろえられている。背中で揺れている一筋の三つ編みだけがやや長い。
身に着けているものは、ところどころIAと似通った点がある。チョーカーはお揃いだろう。
それ以外の部分はIAよりも全体的にラフで活発な印象を受ける。背中が大きく開いたワンピースのメインカラーや、ブーツのアクセントは光と同じくオレンジ色。左の太ももと左腕には、一見リングのように見える刺青が入っていた。
本当の姿を見せた少女が言う。
「私は
ご丁寧に、先ほど散った花びらが彼女の背後に集まって名前を表す文字となっていた。OИEと書いてオネと読むらしい。エヌの部分が反転しているが、言葉遊びの範疇だろう。私は普通の表記でONEと呼ぶことにする。
……いやしかし、何と言うか。
「おお、すごい。良い演出ですね」
思わずぱちぱちと拍手をしていた。随分凝った自己紹介をしてくれるものだ。
「へへ、そう? ……じゃなくて!」
少女改めONEが再び私を指さした。
「この名前を見たら分かるでしょ!」
「ああ、はい。IAの妹さんですか?」
姉、あるいはそれ以外の親類の可能性もあったが、何と言うか妹っぽさが強い。そしてその推測は当たっていた。
「そう! 私はIAの妹。IAと同じく惑星ARIAの精霊なの」
「はい」
「でもって、今日はお前を懲らしめに来た」
「はい?」
ONEが腕を組んで言う。
「身に覚えはない?」
「……IAに関する何かですよね、流れからして」
「当たり前じゃん。で、その様子だとやっぱり自覚ナシと」
これはあれだろうか。惑星ARIAの風習だとすごく失礼なことをIAにしてしまったとかだろうか。だとするとお手上げだ。推測する材料があまりにも足らない。
「あー、何がまずかったか教えてもらえると助かるんですが」
「今更反省した振りしたって無駄だよ。もうやるって決めてるし」
「……なにを?」
「かくれんぼ」
「はい?」
「ただし、この世界全部を使ってね」
ONEは手を広げて言った。そして今更になって気が付いた。
人がいない。それだけではない。音がほとんどしない。動物も何もかも、音を出すものがいなくなっている。
「これは――」
「並行世界を
「……なるほど」
私たち以外いなくなってしまったのではない。逆に、私たちが元いた世界からいなくなってしまったのだ。きっと、あの派手な名乗りのどさくさに紛れて、私はこの無人の世界に連れてこられたのだろう。
今更のように、自分が対峙している存在のスケールを思い知る。IAより幼げに感じても、同じようなことが出来てしまう宇宙人なのだ。
「で、ルール説明ね。私はどこかに隠れて、そこから動かない。隠れてる私を見つけられたらお前の勝ち。私がどうしてこんなことしたか教えてあげる。時間は無制限ね」
一応周りを見渡してみるが、公園の外に立っているビルがいくつも見えた。公園だけしか作っていない、ということはなさそうだ。
私は両手を上げた。
「……降参します」
「言うと思った。でも拒否権はないよ。それと――今、やる気にさせてあげる」
ONEがそう言うと、彼女の伸ばした手の中に先ほどの花びらが集まり、一匹のオレンジ色の蝶へと変わった。
「この蝶に触れたら開始ね」
ONEが言うが早いか、蝶がひらひらとこちらに飛んでくる。避けられない速さではない。しかし、避けたところで何も始まらないだろう。私は観念して手を伸ばし、蝶が指先にとまるのを許した。
その瞬間、視界がオレンジ色の光に染まった。
*
先ほどONEが言った通り、私はIAの手によって、並行世界――あり得たかもしれない地球を模した世界に何度か送り込まれている。
技術や法律が違ういくつかの世界を経て、とうとう最近は人々の在り方そのものが違う世界を体験した。
その世界ではほとんど全ての人間が、生まれてから死ぬまで決まった動物と過ごしている。IAによれば飼い主の魂の一部であるそれらは、一人ひとり姿も形も違い、飼い主と一蓮托生の関係にある。その動物を指して、双子という。世界が違えば常識も違う。私が知る『双子』とは全く別物の概念だ。
そして、その世界――双子の世界に送り込まれた私のそばにも一匹の動物がいた。
一人っ子――その世界における例外。生まれつき双子を持たない女性が、かつて飼っていた本物の兎と雫を重ねてしまった。そして雫を連れて行ってしまったのだ。
それだけならばいい。だが、この出来事にはいくつも不自然な点があった。
その女性、梅子さんの寂しさや喪失感が、私と雫にどうやってか伝わってきたこと。
話した限りでは理性的だった梅子さんが、自制できずに雫を連れて行ったこと。
梅子さんが行動を起こす直前、一人の女の子が話しかけてきたと言っていたこと。
正直なところ、私はIAを疑っていた。そういうことができるのを知っていたし、そもそもその世界に私を送り込んだのはIAなのだ。雫を引き離すことで、私を動揺させようとしたのではないか。そう思っていた。
しかし――梅子さんが見た女の子は、オレンジ色の蝶を連れていたという。
「……思い出した」
オレンジ色の光が薄れていく。すでに周囲にONEの姿はなく、私の指先の蝶だけが残っていた。
そうだ。あの後、梅子さんが見たという女の子のことをIAに聞こうと思っていたのだ。しかし忘れていた。いや、違う――忘れさせられたのだ。
梅子さんの家から帰る時、駅のホームで誰かの声を聴いた。オレンジ色の蝶を見た。
ONEに認識を操作されていたのだろう。IAに自分のことを聞かれてしまわないように。不自然な点を忘れてしまうように。
背筋に寒気が走った。自覚した限り、ARIAの精霊に自分の精神を操作されるのは初めてだ。IAのアプローチの中で一時的に感情が影響を受けることはあったが――こうも恣意的に、都合よく操作されるなんて。
出来ることは知っていた。いつだったか、IAが人々から自身の記憶を消した所も見ている。だが、それとこれとは違う。IAならこんなことはしない。
……恐怖と同時に、ある感情が鎌首をもたげていた。
『やる気になった? それじゃ――スタート!』
目の前の蝶からONEの声がして、それを最後に蝶は光に変わって消えた。
「………………」
頭がフル回転を始める。ONEについて見聞きした情報を片っ端から思い出していく。
彼女がどう笑うか。どう怒るか。どう立つか。どう手を振るか。どう自分自身を呼ぶか。どう相手を呼ぶか。どうIAを呼ぶか。どう私を呼ぶか。
彼女が何を好くか。何を嫌うか。何を言うか。何をするか。髪の先から服の裾まで、声の一音一音まで、梅子さんから聞いた印象も、全て。
そうして思い出した情報を何度も何度も反芻する。意識して思い出さなくて良くなるまで、ふと考えたことがONEの声で聞こえそうになるまで。
こめかみがずきずきと痛み始める。脳内で反響する声で眩暈がする。無茶な頭の使い方をしているのは分かっている。しかし、私を突き動かす感情がストップをかけさせない。
やがて、頭の中で一つの輪郭が形を持った。はっきりとイメージできるONEの姿だ。その姿に対して私は聞いた。
こんな時、あなたならどこに隠れる?
答えが返ってきた。二度、三度と確かめる。間違いない。
「見つけた」
そう言いながら、私はまっすぐに自分の影を指さした。
*
しばし、公園に沈黙が満ちる。人や動物がおらず、自動車も電車も走っていない世界は余りに静かだ。反応がない。外したかもしれない。そう思いかけた時。
『え、嘘でしょ。待って待って』
私の影が、私の意思と無関係に動き出した。わたわたと腕を振って慌てている。
内心、胸を撫でおろす。これで――。
『い、今のナシ! ノーカン! やっぱり三回勝負!』
子供か。
……いや、子供かもしれない。双子の可能性も考えられるが、ONEはIAよりも少し年下に見える。言動も合わせて考えると、15歳か16歳くらいだろうか。
そもそもIAは何歳なのだろう。彼女は衣装やシチュエーションによって印象がぐっと変わるし、そもそも惑星ARIAでは地球と時間のとらえ方そのものが違うらしい。もしIAがONEとあまり変わらない年齢だとしたら、私は未成年と同居しているのだろうか。いいのだろうか。まあIAに地球の法律が通じるとも思えないし、今更か。
『あーもう、なんで分かったの?』
私の影から
「そういうことをしそうだったからですよ」
「だから、なんでそれが分かったかって聞いてんの!」
「あー……ONEちゃん、漫画とかアニメとか好きですか?」
「え、うん。面白いのいっぱいあるよね。 てか、ちゃん呼びすんなし」
最後の抗議は無視して私は言う。
「ああ、やっぱり。読者や視聴者の意表を突いてこそですからね、ああいうのは」
けれど、と言って、私は再び自分の影を指さした。
「意表を突きすぎて、逆に定番なんですよ。追ってくる相手の影に隠れて、『実は近くでずっと見ていたぞ』ってするのはね」
「ぬぐぐ……」
ONEが呻く。悔しさを隠そうともしない。
やはり、IAとは違う。こういう時、IAは『なるほど』とだけ言って静かに考える。眼を閉じてしまい、何分も次の言葉を発さないことすらある。そのまま会話のキャッチボールがそこで終わる。
子供っぽいとか、活発だとか、それは表面的な違いだ。IAとONEの最大の違いは――。
「それってズルじゃん! 見つけてないじゃん! やっぱり今のナシ! もう一回やるからね!」
ONEが私を指さして吠える。
笑みが浮かばないようにするのが大変だった。自分でも良くないことだと分かってはいる。分かっているが――。
私は肩をすくめて言った。
「仕方ないですね。
「なっなっんなっ」
もはや言葉にもならないらしい。私を指さす手がわなわなと震えている。感情の高ぶりがそうさせるのか、オレンジ色の光がONEの体のあちこちで弾けている。
「い――言ったな! そっちがその気なら本気でやってやる! 絶対絶対見つかんない所に隠れてやるからな!」
ONEがさっと手を振ると、オレンジ色の光が集まって空中に浮かぶジッパーを形作った。それがひとりでに開き、オレンジ色の光が渦巻く空間への入口となる。
「泣いて謝るまで絶対出してやらないからな! 絶対だぞ! バーカ!」
ONEが中に飛び込むと、ジッパーは閉じてからオレンジ色の光の粒に戻った。
「やりすぎましたかね。おーい」
反応はない。どうやら今度こそ遠くに行ったらしい。
携帯電話を取り出してみると電波は生きていた。鞄からメモを取り出し、現在時刻をメモする。その後、試しにいくつかのウェブサイトを開いてみると問題なく開けた。
「となると……」
続いて望に電話をかけてみるが、呼び出し音が鳴らない。電波が届かないところにあるか電源が入っていない、という音声が流れる。
「人とかは反映してない、でしたか」
確かONEはそう言っていた。
電話が繋がるのに望が出ないなら、この世界のどこかに望の携帯電話が放置されていることになる。しかし違った。つまり、望の身に着けている物もこちらの世界には来ていないということだ。
メールなど他の手段ならば連絡が取れるかもしれないものの、それを試しても状況は変わらないだろう。望が元の世界のここに戻ってきてくれたところで何もできない。
「さて」
これからどうしようか。一応方針はある。中と外、どちらを目指すか。
「まあ……近いほうにしましょう」
私は地図のアプリを開き、目的地までの距離を調べた。約4km、歩いて一時間弱。
電車は――動いているかわからないし、動いていたとしても駅と駅の間で止まったら最悪だ。自転車はどうだろう。この状況だ、どこかに鍵のかかっていない自転車か、あるいはレンタル自転車があるかもしれない。しかし前者は気が引けるし、後者は決まった場所に返す必要がある。
「歩きますか」
運動になると思おう。たまにはいい。
誰もいない公園を歩きだす。催し物があったのか、空っぽの屋台やステージの横を通り過ぎ、公園の出口へと向かう。
公園の外にもやはり人の姿はなかった。電車の音も聞こえない。そして、先ほどの推測通り、道を行き交っているはずの車もない。人が乗っていなかったのであろう何台かの車だけが道路脇に止まっていた。
IAが作る世界との違いをはっきりと認識し、疑問が浮かぶ。
「人を含めて世界を作るのって大変なんですかね……」
最初は驚いたが、単にかくれんぼをするなら人を除く必要はない。むしろ木を隠すなら森の中、だ。
先ほども瞬間移動ではなく空中にジッパーを作って姿を消していた。単なる演出の可能性もあるが、IAが軽々と出来ることでもONEには大変なのかもしれない。
そういえば――IAの作った世界に生きていた人々はどういう存在だったのだろう。彼ら彼女らはその世界なりに生きていたし、私の知り合いはきちんと私との過去を覚えていた。だとすれば、単なる作り物ではないのだろう。どういう理屈かはわからないが、元の世界と同じく確固たる自己を持つ存在なのだ。
あの人たちは、作られた世界が不要になったらどうなったのだろう。『上書き』とやらもあるし、無為に消えて行ったとは思いたくはないが。
家に帰ったらIAに聞いてみよう。きっとそうしよう。
「さて」
この世界から出るべく、私はのんびりと歩き出した。
*
しばらく南に歩くと、公園の端についた。ここからずっとこの道に沿って行けば目的地に着くはずだ。
いわゆる中央通りだ。普段は大勢の人で賑わう通りも、今はやはり無人だった。物珍しさがこみ上げ、思わず写真を撮る。
「おや」
そんな風にしながら十分ほど歩いていると、手にした携帯電話が震えた。見覚えのない番号だが、この状況で電話をかけてくる相手など一人しかいないだろう。
「もしもし」
『どう? 私がいる場所は分かった?』
時間をおいて落ち着きを取り戻したのか、余裕をにじませた声が聞こえてくる。
『ま、分かんないだろうけど。人間が私に敵うわけないんだからさー。お願いするならヒントあげるよー?』
「結構です」
『あっ』
電話を切った。そのまま電源も切った。地図を見られなくても道に迷うことはないだろう。
「さて」
秋の日差しの中、ひたすら歩いていると少し喉が渇いてきた。どうしたものか。
それこそ漫画やアニメでは、こういう時は無人の店から商品を持っていく代わりにお金を置いて行くのがお決まりのパターンだ。咎める人がいない無人の町で、自分も人でなしになってしまわないように。
しかし今はセルフレジがあちこちにある。あまり風情は味わえそうにない。
「まあ仕方ないですか……」
コンビニに入る。自動ドアは元気に私を出迎えてくれたが、店員の声はそれに続かなかった。
さて、何を買うか――と思っていると、何かがカウンターの裏から飛び出てきた。
「おね!」
「……え?」
それは、簡単に言うと小さなONEだった。二頭身くらいで、きちんとコンビニの店員らしき格好に身を包んでいる。
小さなONEが頭を下げて言う。
「おねおね」
「……見つけた」
一応指さしてそう言ってみる。
「おねー」
だが、腕でバツを作られてしまった。駄目らしい。
「分身みたいなものですかね」
「おーね」
頷いているし、多分肯定だろう。
「あ、もしかして対応してくれるんですか」
「おね」
なんだ。
「じゃあ折角ですし、あっちにある喫茶店でお願いします」
「おねー」
小さなONEに見送られてコンビニを出た。そして喫茶店に入るとやはり小さなONEが飛び出してきた。
「……さっきと同じ子ですかね?」
「おね?」
なんでそっちも分からないんだ。
「まあいいや……ホットカフェラテのトール、テイクアウトで」
「おねー」
そのサイズでちゃんと作れるだろうか……と思っていたが、機敏な動きでカップを用意し、宙に浮かんでコーヒーを注いでいた。
「おねおねー」
「どうも」
支払いを済ませ、またも見送られて店を出る。
そのまましばらく歩くと、秋葉原の電気街に差し掛かった。大学の時、何度か友人に誘われて来たことがある。その時もたくさんの人がいたが、今は無人だ。あちこちの店やビルに設置された液晶ディスプレイだけが、聞く者のいない広告や呼び込みを流し続けている。
「ん?」
突然、広告の音声が途切れてノイズが耳に飛び込んできた。そちらを見上げると、ビルの壁面に据え付けられた大きなディスプレイに見覚えのある模様が絡みついていた。
黒とオレンジの直線や三角形――ONEの左腕にあった刺青と同じ模様だ。
案の定、画面のノイズが収まると、どこかの室内にいるONEの姿が映った。ゆったりとソファに座ってくつろいでいる。IAもリビングのソファを定位置にしているし、やはり宇宙人はソファを好む習性があるのだろうか。
『あー、あー、聞こえる?』
無視して歩き出した。
『あっ、こら、無視するな!』
進もうとした方向にオレンジ色の光の壁が突然現れた。仕方がないので画面に向き直る。
「なんでしょうか」
『……ん? ああそっか。おーい、ちびオネ』
ONEが怪訝そうな顔をした後、何かに気づいた様子でちびオネ(というらしい)に呼びかけた。
「おねね」
近くのオーディオ機器を扱っている店からちびオネが飛び出てくる。一本のマイクを担いでいた。
「ああ、なるほど」
こちらの声が聞こえていなかったらしい。
「おね!」
ちびオネが差し出すマイクには、やはりというかONEの刺青と同じ模様が絡みついていた。模様に触れないように気を付けながら、つまみ上げるようにしてマイクを受け取る。
『何かしゃべってみて』
私はマイクに向かってしゃべった。
「おねおね」
『いやチョイス……。まあいいか。なにその持ち方』
「いえ、模様が腕を這いあがってきそうだなって……」
『やだなー。そんなことしないって』
できるらしい。持ち方は変えないでおこう。
『で、どう? ヒント欲しい?』
「ヒントならもう貰ってますよ」
『え?』
「室内ですよね」
私の指摘に、ONEの眼が泳ぐ。
『そ、それがどうしたのさ。この世界に部屋がいくつあると思ってるの?』
「ええ。ですがもう、屋外を探す必要はなくなりました。これは大幅な前進ですよ」
『……まさかと思うけどさ、大真面目に私を探す気でいるの?』
「そういう勝負でしょう?」
『いや無理だって。半径100キロあるんだよ、この世界』
なるほど。だったらこう言い返すだけだ。
「IAが作った世界は半径500kmありましたよ。つまり面積で言えば25分の1しかないわけです。まあ何年かかるかは分かりませんが……私の寿命が尽きないうちに探せそうではあります。待っていてください」
ONEが眉間にしわを寄せて言う。
『……本気?』
「さて、どうでしょうね」
ONEはソファにぐったりと背中を預けた。
『もういいよ。探したいなら探せばいい。見つけられるまで本当の本当に出られないんだから。誰にも会えないで独りぼっちだよ。それでも良いわけ?』
「それは困りますね」
『全然困ってないじゃん! あーもう、降参するならいつでも呼んで。ちびオネが繋いでくれるから。じゃ』
ONEの映像が途切れ、元の広告に戻った。行く手を阻んでいた光の壁も消えていく。私は足元のちびオネにマイクを差し出した。
「これ、ありがとうございました」
「おね」
ちびオネがマイクを受け取り、どこかに持ち去っていく。
「さて、行きますか」
少し冷めたカフェラテを一口含み、再び歩き出した。
*
万世橋を渡ると、道路は少し左に曲がる。そのまま進むと神田駅の高架の下をくぐり、日本橋へ。
東京の都心は不思議なところだ。特色の違う町がいくつもぎっしりと並んでいて、互いに影響を与え合っている。ほんの数分歩くと、周囲の景色や店の傾向ががらりと変わる。
そして、私のたどり着いた日本橋というところは、老舗の店とオフィスビルが共存する空間だ。
「……ふう」
少し疲れた。やっぱり普段は運動不足かもしれない。
今まで律儀に歩道を歩いてきたが、目的のものは車道の真ん中にある。改めて車が走っていないのを確かめ、車道に降りる。
先程はONEに待っていろと言ったが、本当にこの世界を探し尽くすつもりはない。ONEもそれが分かっていたから私を非難していたのだ。
私はここに、脱出の糸口を探しに来た。
「あった」
日本国道路元標。すなわち、日本の道路の中心。橋の北西にレプリカがあり、そちらは間近で見ることができるが、本物は車が行き交う車道の真ん中に埋め込まれている。こんな状況でもなければ、こんなに近くで見られないだろう。
私がここを目指していたのは、IAがこれまでに口にした断片的な情報をもとに考えた結果だ。
――
――行くとどうなりますか。
――行こうと思っても行けないよ。
――なんで日本橋なんですか。
――都合がいいから。
食品の3Dプリンターが一般家庭にも広まっている世界でのことだ。あの時は聞く暇がなかったが、IAは日本橋を中心にして並行世界の複製を作ったと言った。その方が都合がいいとも。つまり、ここ以外を中心にすれば不都合があるのだ。
また別の時、IAはこうも言っていた。
――この国の人々の考え方が、私の力を安定させるために相性が良かったから。
――考え方?
――全ての物に神が宿ると考え、生命を見出す。
――
――そう。その考えは、ARIAの精霊の力を発揮するための土壌として最適に近いの。他のどの国よりも最適な環境。
日本という国は、IAたちARIAの精霊の力を発揮しやすい土壌である。そして、日本橋は日本の道の全ての起点という意味で、日本の中心と言える。
つまり、日本橋はARIAの精霊が大規模な力を発揮するときに、一番都合がいいポイントである。それが私の仮説だ。
IAは私からすればほとんど万能の存在だが、疲れない訳ではない。余計なエネルギーを使いたくないと思うことだってあるはずだ。
だから、世界を作るときはここを中心にする。IAは今までに四回、並行世界の複製を作っている。そしてこれからも作るつもりだろう。私を試し、揺さぶるために。
だとすれば――ここには何かがあるはずだ。繰り返し大がかりなものを作るうえで、その中心となる場所なのだから。
そしてONEもまた、それを利用するはずだ。
「――と、まあ」
勿論、これは人間の常識で考えた場合の話だ。そんなものはないかもしれないし、あったとしても私には干渉できないものかもしれない。
私は恐る恐る道路元標の上に手を伸ばした。が、空を切る。
「ふむ」
しゃがんで道路元標そのものにも触れる。しかし、冷たい感触が返ってくるだけだ。
「うーん……」
一応次のプランはある。中心が駄目なら外側。つまり、どの方向でもいいので100km進んで、この世界の外側に出てしまうことだ。壁があるなどの要因で出れないかもしれないが、それも含めて試す価値はあるだろう。
こちらを後回しにしていたのは単純で、IAが作った世界が半径500kmと知っていたから。例えどこかで車を調達したとしても一苦労の距離だ。
先程ONEがこの世界は半径100kmと言っていたので、それを信じれば数時間で試せる距離だ。しかし。
「ちょっと、考えたいところですね」
考えるための情報はいくつか得られている。一端腰を落ち着けてもいいだろう。それに、少し疲れてもいる。
適当な喫茶店に入る。普段なら洗練された身なりの人々が談笑しているであろう店内も今は無人だ。
「おーね」
訂正、ちびオネだけだ。窓際の席に座り、メニューを開く。
「すいません、ホットのカフェラテを……Sサイズで」
「おねおね」
良い値段がする。必要経費と割り切ろう。
メモを出し、ここまでに分かったことを箇条書きにしていく。
・ONEは双子の世界で梅子さんをそそのかした。
・ONEは双子の世界で私の記憶を操作し、自分の存在を隠した。
・ONEは私を無人の世界に飛ばした。
・ONEは私を懲らしめると言った。
・ONEは私にかくれんぼを持ち掛けた。
・ONEは私に見つかったら勝負を仕切りなおした。
・ONEは私が降参するのを待っている。
ここでペンが止まる。そういえば、試していないことがあった。
「すいません」
「おねおね」
「ニューヨークチーズケーキをください」
「おねー」
注文は通った。となると。
「あとは……」
携帯電話の電源を入れ、現在時刻をメモする。上野公園を出発するときに確認した時刻からは、一時間ほどが経っている。正確な現在時刻を紹介するウェブサイトにも接続してみるが、差はない。
こうして携帯をいじっていると、また電話がかかってくるかもと身構えたが、それもなさそうだ。電源は入れておこう。
私は二つの文をメモに書き加えた。
・ちびオネに頼めば食べ物や飲み物を得ることができる。
・この世界の時間は止まっていない。
カフェラテとケーキが来た。メモを一度伏せてフォークを手に取る。ゆっくりと味わい、時間が流れるのを意識する。
「よし」
メモを見直す。一度頭を空っぽにしてから、客観的に自分が書いた文を見る。
「やっぱり、おかしい」
私は二つ目と三つ目の文章の間に線を引いた。双子の世界についてと、今回についての間だ。
簡単に言えば、行動指針が違う。双子の世界では、ONEは私を明らかに困らせようとしたし、自分の存在をIAから隠そうとした。
しかし今は違う。私を懲らしめると言い、無人の世界に閉じ込めておきながら、私に何かしてくるわけでもない。食事も提供してくれるし、無理に私の行動を束縛することもしない。やっていることと言えば、かくれんぼに降参するように持ちかけてくることだけだ。
それに、こんなことをしてIAに隠し通せるとは思えない。元の世界では、おそらく私は行方不明だろう。IAは今海外で仕事をしているが、戻ってくればすぐに気付くはずだ。
「……何がしたい?」
新しい疑問が持ち上がる。再び箇条書きでいくつかの仮説を並べる。
・私を試したい。あるいは揺さぶりたい。
「違う。だったら私のことをずっと観察しているはず。マイクを用意しないと声が聞こえないなんてことにはならない」
・私を懲らしめたい。
「違う。多少困らせてはいるけれど、それほどじゃない。私が一人になっても、すぐにどうにかなるようなタイプじゃないのはONEも承知のはず」
・私と遊びたい。
「違う。だったらいちいち降参を持ち掛けてこない」
・私を打ち負かしたい
「これは……近い、かな」
試しに降参してみるか。しかし、どうだろう。
「仮に、ヒントを出されたとして。それでもし、ONEを見つけ出せたとして」
私は想像する。
「また隠れる場所を変えるだけの気がする……」
だとすると、本気で何をしたいかわからない。私をこんなところに閉じ込めて――。
「いや、そうか」
・私をこの世界に閉じ込めておきたい
これが目的だとしたら。だから私に飲食を提供するし、私に害を与えることもしてこない。
そして、この先はどうなる?
このままずっとこの世界にいたら、どうなる?
「……まさか」
だとすれば……。
私はカフェラテとケーキを味わった後、会計を済ませて駅に向かった。ご丁寧に駅員の格好をしているちびオネたちが待機しており、私がどこの駅まで行きたいか伝えると、その間だけ電車を動かしてくれた。
無人の電車は、この世界でも格別に異様な風景だった。
私は家に帰り、夕食と入浴を済ませて眠りについた。とても静かな夜だった。
*
次の日、仕事に出かける前に朝食を食べていると、どこからともなくちびオネが現れ、パソコンを見るように促してきた。それに従ってメールをチェックすると、どうやら私はいつの間にか在宅勤務の許可を取り付けていたらしく、今週は出社する必要がないようだった。
この世界に閉じ込められた直後、望に電話をかけても通じなかったことを思い出す。もう一度試してみるが、結果は同じだった。しかし仕事のメールはちゃんと通じているので、ONEが上手いこと調整しているらしい。
オンライン会議もその週に限って予定されておらず、私は他人に会わない生活を続けることになった。仕事のメールの他に、社内チャットであかりちゃんから個人的なメッセージが入ることはあったが、そこから得られる情報はごく限られたものだ。
人と会って話すということが、どれほど情報量の多いことか。私は改めて実感した。
そんな生活が三日も続いたころ、私は頃合かと思い、仕事を早めに切り上げて出かけることにした。博物館で買ったお土産を鞄に入れ、家を出る。
最寄り駅でちびオネに頼み、また電車を動かしてもらう。まずは電車で品川駅に向かい、そこから東海道新幹線に乗り換える予定だ。計算では、三島駅の少し先で日本橋から100km離れたことになるはずだった。
新幹線に乗り込む前に駅弁を買い、折角だからと窓際の席を選んで座る。
『おねねー、おね』
そんな車内放送が流れた後、新幹線がゆっくりと動き出した。一時間もかからず着くはずだ。夕飯代わりの駅弁を開けて写真を撮る。
『おねねー。おねおねー。おねおねー』
車内放送は意味が分からないが、まあ無音のままよりはいいだろう。これも風情の一環と思っておく。駅弁を食べ終わったので、少し調べ物をした後、深々とシートに体を預けて風景を楽しんだ。
『おねねー。おねね。おねね。』
三島駅に降り立つ。のんびり観光したいところだが、東京方面の新幹線の最終は22時台だ。空振りならば家に帰らないといけないし、さっさと用事を済ませよう。
駅のロータリーから西へ歩き始めると、5分足らずのところで警備員の姿をしたちびオネ達に道を塞がれた。そのうちの一人が前に出て、赤く光る誘導棒を振りながら何かを言う。
「おね。おねおね」
「ああ、なるほど。ここがこの世界の端ですか。もっとよく見たいんですが、駄目でしょうか。危ないことはしないので」
「おねー」
誘導棒を持ったちびオネが仲間のところに戻る。
「おね?」
「おね」
「おねー。おね」
ちびオネ達が顔を寄せ合って協議することしばし。
「おね」
先程のちびオネが宙に浮かび、私の肩に乗った。重さはほとんど感じない。
「おねね」
ちびオネが道路の先を指さした。進んでいいようだ。
「ありがとうございます」
「おねおねー。おね。おねねね。おねおーね。おねね……」
多分、しぶしぶ了承してくれたのだろう。そんな感じがする。
ほんの10メートルほど歩いたところで、肩のちびオネが「おね!」と声を上げたので立ち止まった。そこで目を凝らすが、その先の風景に特に変わった様子はない。普通に道が続いており、建物が立っているようにしか見えない。トゥルーマン・ショー方式ではないようだ。
「触って大丈夫ですか?」
「おね」
大丈夫だと解釈し、恐る恐る手を伸ばす。すると、硬い感触に指がぶつかった。見えない壁がある。
「ふむ」
指をそのまま上に滑らせ、手のひらで触れる。もう片方の手も同様に。少し力を込めてみる。しかし変化はない。
「もしもし」
軽くこぶしを握り、壁があるはずの場所をコンコンと叩いてみる。すると、叩いた場所からオレンジ色の光が波紋のように広がった。
「よし」
新幹線の中で調べた通りに壁を叩く。
短く二回。
一拍開ける。
短く一回と長く一回。
少し長めに時間を置き、再び短く二回、短く一回と長く一回。
合計で三セット叩き終わったとき、私の横の空間から何かがいきなり突き出した。
それは――指だ。白く細長い指が四本、何もない空間から突き出している。その指がほのかに虹色の光を帯びているのを見て、私はその光景の異様さを忘れて安堵を覚えてしまった。
私が一歩下がると、その指が掴んだ空間がまるごと横にずれた。まるで扉を引き開けるような形だ。その向こうに、今までに見たことがない様子の彼女がいた。
「ゆかり! 無事!?」
「……ははっ」
場違いにも、思わず笑みがこぼれていた。
こんなに狼狽した様子の
周囲を警戒しながら、ぽっかりと開いた空間からIAが歩み出てくる。彼女がやってきた場所は、延々と暗闇が広がっていて全く様子が分からない。
夜風に乗って、春先を思わせる花の香りが鼻腔をくすぐった。IAが私の顔を覗き込んで言う。
「どうして笑ってるの? おかしくなっちゃった?」
「まさか」
IAがぺたぺたと私の頭を、顔を、肩を、腕を触る。
「うん。どこもおかしくない。……うーん」
私の無事を確かめたからか、IAの表情が普段ののんびりとしたものに戻る。
「来てくれて助かりました。手伝ってほしいことがあるんです」
「ああ、うん。元の世界に――」
「
「……そんなこと?」
IAは少し目を細めた。怒っているのだろうか? だとしたら、これも珍しい表情だ。
「分かってる? こんな、独りぼっちの世界に閉じ込められてるんだよ? 人間はずっと一人でいたら、おかしくなっちゃうんだよ?」
それは正しい。正しいが、素直に頷ける私ではない。
「……生憎、あなたほどじゃないですが、私も変わり者ですから。それに、完全に一人というわけじゃないですよ。ちびオネがいますしね」
肩に手をやるが、空を切った。おや、と思って振り向くと、私の肩に乗っていたちびオネは抜き足差し足で逃げている途中だった。
「えい」
「おねー!?」
IAが虹色の光で作られた球のようなものをちびオネに投げつけると、それはちびオネの全身をすっぽりと覆うシャボン玉に変わり、彼女を閉じ込めた。
「流石ですね。その調子でONEちゃんの本体も見つけて欲しいんですが、いいでしょうか」
「……あのね、ゆかり」
「はい」
「怖かったでしょ?」
「…………」
私はただ、にっこりと微笑んだ。
「ゆかりが何を考えてるかは分かるよ。さっき触れた時、伝わってきたから。私はONEに怒ったりしない。だから、そんな風に笑わなくても大丈夫だよ」
「……そうですか」
力が抜ける。思わずへたり込みそうになる。けれど、それはこらえた。
「それじゃあ改めて……ONEちゃんを見つけてくれませんか」
「わかった」
IAが手を一振りすると、先程彼女が出てきた空間の扉が閉まった。続いて、ちびオネを閉じ込めたシャボン玉を掲げた。
「――――♪」
IAの声が、ちびオネを包むシャボン玉を震わせる。そしてそのシャボン玉を中心に、オレンジ色の波紋が周囲の空間に広がっていく。人間の言葉で例えれば、逆探知をしているのだろうか。
「……見つけた」
IAがそう呟き、何もない空間へと指を差し入れる。白く細い指がカーテンのように空間を引き開けた、その向こうには――どこかの会社の応接室だろう。ビルの一室のソファに座り、腕を組んだONEがそこにいた。
この間、わずか十秒足らず。私は思わず拍手をした。
*
シャボン玉から解放されたちびオネがONE本人のもとに逃げていく。私たちはその後を追って、三島駅近くの路上からどこかのビルの一室へと空間のカーテンをくぐった。
私たちの背後で空間が閉じ、夜風が止む。二つの花の香りが混じりあう。
「見つけました」
私がそう言いながら指さすと、ONEは両手を上げた。
「こうさーん」
こうして座っているところを見下ろしていると、本当に小さい女の子だ。しかし私はIAの力を借りなければ、一生かかっても彼女に降参と言わせることができなかったのだ。
ONEが手を下ろし、不機嫌そうに言う。
「……で、いつから気付いてたの」
「日本橋でお茶をしている最中ですよ。それに結局、私はあなたの思う壷でした。降参するのは私の方です」
私がIAを頼らざるを得ない状況にすること。ONEはそれを狙っていた。
だから私をこの世界に閉じ込め、かくれんぼを長引かせようとした。私に害を与えず、かといって解放もせず、自力ではどうにもできない状況に追い込んだ。
しかし、分からないのはその理由だ。
「どうしてわざわざ私にIAを呼ばせたんですか? そんなことをさせなければ、私を煮るなり焼くなり好きにできたのに」
「そ、そんな物騒なことしないって!」
ONEが慌てて否定する。
「じゃあなんのためにこんなことを? 最初に言った通り、私を懲らしめるためですか? それにしてはやり方がぬるすぎますし……」
「ねえ、本当に分からないわけ?」
「はい」
私がそう言うと、ONEは頬を膨らませた。勢いよく立ち上がり、私をびしっと指さして言う。
「私はIAがスゴいってことを思い知らせたかったの! 懲らしめるのはついで!」
「……はあ」
思わず隣のIAを見る。彼女もきょとんとしていた。
「IAの凄さは分かりました。というより、ずっと凄いと思っています。私みたいな人間じゃ、到底敵わない存在だって――」
「いいや、分かってない!」
ONEが私の言葉を遮る。
「IAはARIAの精霊の中でも特別なの! ARIAの指導者になれる七色の魂の持ち主は、ARIAの歴史でも七人しかいないんだよ!? 歌もダンスもめちゃくちゃカッコいいし、力の使い方だって上手いんだから! それにすっごく優しいから、地球の悲鳴を聞きつけて、まだ力が不完全なのに地球に来たんだよ。なのにお前はあーだこーだ言ってIAの話を聞かないで、嘘ばっかりついて――それでIAのこと、本当に分かったつもり!?」
前半は何を言っているかよく分からなかったが、流石に最後は分かった。
「分かったつもり止まりなのは理解しています。でも私はちっぽけな人間で、あなたたちのスケールについて行けそうにないんですよ。それに、あなたがIAと過ごした時間そのものが、私よりずっと長いでしょう。だから」
私はONEに手を差し出した。
「これから教えてくれませんか、IAのことを」
隣のIAが私の顔を覗き込んでくる。
「……私に直接聞かないの?」
「静かにしていてください。今いいところなんです」
「はーい」
ゆるい空気が流れる。ONEは私とIAを何度か交互に見た後、大きくため息をついた。
「はあー……。分かった。分かったから、その手を下ろして」
「はい」
「もう分かったよ。お前は何を言ってもずっとその調子なんだ。だからIAも無理に干渉しないんだ。あーもう、今回のこれ、結構大変だったのになあ。骨折り損じゃん」
ONEはソファにぐったりと座りなおす。そして、おずおずとIAを見上げた。
「IA」
「うん」
「怒ってるでしょ、勝手なマネして。今回だけじゃないんだ。ほら」
ONEが指を鳴らすと、そこからオレンジ色の波紋が広がった。私にはただの光にしか見えなかったが、IAはその波紋を受け取り、深く頷いていた。
「そっか。あの世界で
「……怒らないの?」
「もしも、もしもね。ゆかりがこの世界に閉じ込められて、不安でいっぱいになってたら。ONEに酷いことをされてボロボロになってたら。その時は、怒るつもりだったよ」
でも、と言いながらIAは私を見る。
「ゆかりはいつも通りだったから」
ONEはより一層目を伏せて言う。
「嘘に決まってるじゃん。こんな状況になって、不安を感じてないわけないじゃん。IAはその嘘を信じるの?」
「うん。それは確かに嘘だけど、誰かを騙したり、得をするためについたわけじゃないから」
「……IAも変わったなあ。地球に来たから? そいつに関わったから? 分からないけど、なんとなくチコーは喜びそうな気がするのが
「そうだ。チコーは知ってて黙ってたんだよね。あとでちゃんと聞かないと」
前にも聞いた名前だ。いい機会なので聞いておく。
「すいません、そのチコーさんというのは」
ONEが答える。
「親みたいなものかな」
IAが答える。
「いい匂いの猫さんだよ」
「……そうですか」
やはり、常識が通用しないのは相変わらずらしい。
「さて、と。結月ゆかり」
ONEが私の名前を呼ぶ。
「はい、何ですか?」
「今回のことは貸しにしておくから」
「別にいいのに」
「しておくから! あと、IA」
「うん」
「あんまり、こいつのペースに合わせてのんびりしてちゃダメだよ」
「してないよ?」
「いや、してるって。ああもう、二人とも――」
ONEは私たちをびしっと指さして言う。
「私だって地球への干渉は許可されてるんだから! IAがその調子なら、私が先に地球を調和しちゃうからね!」
ONEの背後に光が集まり、宙に浮くジッパーを形作る。
「この世界はしばらく残しとくから。それじゃあね」
ジッパーが開き、ONEはその中の空間に飛び込んで消えた。ジッパーも閉じた後に光の粒となって散ってしまう。
私がその光の残滓を眼で追っていると、IAが何かを差し出してきた。
「ゆかり、これを着けていて」
「これは……」
指輪だ。並行世界の複製に送り込まれるときに渡される、虹色の石がはまったものだ。
「まだ何かあるんですか?」
「ううん、今日はもう帰るだけ。でも、またこういうことがあったら困るから」
「ONEがまた何か、私に仕掛けてくると?」
「うん。私がしているみたいに、ONEも地球で調和する最初の一人を探すかもしれないけれど。それ以外でゆかりに何かするのは、止められてないから」
IAは私に対し、ARIAの力やテクノロジーを示し、地球人がどう反応するかの試金石にしている。しかし、IA以外が私に干渉してはいけないという決まりはないらしい。困った話だ。
「あなたたちは……いきなり地球で大規模に力を使うのは止められてるんでしたっけ」
「うん。地球の命にどんな影響を与えるか分からないから。だから、私は最初の一人にゆかりを選んだ。ゆかりは……迷惑?」
「凄い今更な質問ですね、それ」
思わず笑ってしまう。
私は鞄の中から小さな袋を取り出してIAに渡した。
「はいこれ、日曜日に出かけてきたときのお土産です」
「ありがとう。見ていい?」
「ええ」
「んー、これは……なめくじ?」
不思議そうな顔をして、IAがぬいぐるみを眺める。
「ピカイア、だそうですよ」
ナメクジのような姿をした古代の魚だ。
「それはまあ、迷惑かと言われれば迷惑ですが。好奇心が抑えられないのも本当のところです。……そういうものを買ってくるくらいには、あなたのことを嫌ってはいませんよ」
「ゆかりにしては正直だね」
「今回は疲れましたからね。嘘は在庫切れです」
会話が止まる。でもそれは途切れたからではなく、今話したいことを話し終えたからだ。
だから、次に考えることは一緒だった。
「帰ろうか」
「帰りましょう」
IAが再び空間のカーテンを引き開けると、そこは見慣れた我が家の玄関だった。
*
地球ではない場所、今ではない時間。
見渡す限り広がる花畑の中で、一人の少女が座っている。そしてその前に浮かぶ虹色のシャボン玉の中で、一匹の猫が腹を出してひっくり返っている。
シャボン玉の中の猫が、口を開かないまま少女に語り掛ける。
「IAよ……。ONEの行動を黙っていてすまない。私にとってはお前もONEも大事な娘なのだ。だからどちらかを
「分かってる。私はただ、ONEが世界の維持に失敗して、ゆかりに何かあったらって思っただけ」
「それは……無いだろう」
猫ことチコーはシャボン玉の中で姿勢を正した。
「IA。お前から見ればONEは力の使い方も未熟かもしれないが、あの程度の世界を維持することくらいは十分に出来る。事実、結月ゆかりは多少の疲弊はすれど、無事だった」
「……私が気付くのが、もっと遅かったら?」
ONEがゆかりを無人の世界に閉じ込めたのは日曜日の午後。海外で仕事をしていたIAは翌日の夜に家に戻り、ゆかりの不在に気付いた。
ONEが作った世界を探すのは大変だった。特定の世界を探すというのは――三次元空間で例えれば――宇宙の中から特定の星をノーヒントで探すようなものだからだ。結局丸二日かけても見つけられず、ゆかりが自分を呼んでいる『声』を頼りに何とか見つけ出したのだ。
チコーはまっすぐにIAを見て言う。
「もしもの場合は私が動いていたとも。ONEの行動を許した責任は取らなくては」
「だったらいいけれど……」
IAが指を振るとシャボン玉が割れた。チコーが花畑に降り立つ。
「また成長したな、IAよ」
「これが……?」
IAの心の中のもやもやは晴れない。それなのにチコーは成長だという。
「七色は赤や橙だけではない。青や藍、紫を知って
「紫……」
IAの呟きを聞き、チコーは口を開かずにくすりと笑った。
「ONEはお前と違うアイディアを持っているはずだ。姉として心配するのもいいが、好きにやらせてやるのもいいだろう」
「私は何もしちゃ駄目なの?」
「まさか。きちんと見守るのだ。そして本当に必要な時、助けてやればいい」
「大変だなあ……」
IAは人差し指にはめた指輪を見つめた。同じ指に指輪をはめているはずのゆかりからは何も伝わってこない。
「ゆかりもお姉ちゃんなんだっけ。今度、聞いてみようかな……」
*
無人の世界から帰ってきて三日後。土曜日の朝。
IAは例によってどこかに出かけてしまっているので、のんびり本でも読みながら休もうと思っていたら、あかりちゃんから連絡があった。
「お待たせしました」
「いえ、そんな。急に呼んですみません」
「良いんですよ。暇してましたし」
待ち合わせ場所のスターバックスに着くと、先に来ていたあかりちゃんは季節限定だとかいうフラペチーノを飲んでいた。この前、望が飲んでいたのと同じものだ。
「……私も同じのにしましょうかね」
「え、珍しい」
「まあ、たまには」
注文したものが出来るまでの間、話は自然と職場のことになった。
「ゆかりさんがいなくて大変でしたよ」
「仕事は順調だったでしょう?」
メールのやり取りを見る限り、普段とほとんど変わらなかったはずだ。
「そうですけど、そうじゃなくて……。メールやチャットだけだと寂しくて。もう、ゆかりさんがこの世界からいなくなっちゃったみたいでした」
笑いそうになったが、流石にやめておいた。
「それは大変でしたね」
「他人事じゃないですよー」
あかりちゃんはご機嫌斜めのようだ。
「お昼は他の人たちと食べたんですけど、何だか緊張しちゃって。皆さん優しいんですけどね。おかずとか沢山くれますし……」
「想像できますね」
「どうしてゆかりさんと一緒の時は大丈夫なんでしょう。あっ、その、尊敬してないわけじゃないんですよ。むしろすごく頼りにしてます」
「本当ですか?」
「本当です! もう、からかわないでください」
あかりちゃんはそこで言葉を切り、私の方をじっと見た。
「……顔に何かついてますか?」
「いえ。その、ちょっと恥ずかしいんですけど……お姉さんがいたら、こんな感じなのかなあって」
「あかりちゃんは一人っ子でしたっけ」
「そうです。ゆかりさんは……弟さんがいるんでしたっけ」
「ええ。双子の弟です」
「え、それは初めて聞きました。どんな人ですか?」
望のことを人に聞かれて、最初に答えることと言えば決まっている。
「何でもできるタイプですよ。勉強も運動も、人付き合いも得意です。今は札幌で医者になるために勉強をしています」
「す、すごいですね」
「全くですよ。小さいころから差を感じてばかりです。私が習い事や趣味を始めても、後から始めた弟の方がすぐに上手くなってしまうんです。むしろ私が教わるばっかりで、どちらが姉だか……」
と、そんな風に弟の優秀さを語る自分の言葉が、何かを思い出させた。
「ゆかりさん?」
「……まあそんなわけなので、別に生粋の姉ってわけではないんですよ、私は」
「そ、そうでしょうか……?」
その時、私の注文番号が呼ばれた。これ幸いと立ち上がる。
優秀な兄弟への複雑な感情。彼女をからかいたくなったのは、その所為だったのだろうか?
次に会ったときはもう少し優しくしよう。そう思いながらフラペチーノを受け取る。
席に戻り、ストローに口をつけた。
「……この季節には冷たくないですか、これ」
「それがいいんですよ」
「うーん。ホットコーヒーも頼んできます」
私がぶつくさと文句を言っていると、あかりちゃんは笑ってこう言った。
「やっぱりお姉さんっぽいですよ、ゆかりさん」
「……どの辺がですかね?」
「内緒です」
姉らしさとは一体。少なくとも、今の私のように疑問符を浮かべている様子ではないだろう。
「教えてください。一口あげますから」
「同じじゃないですか。駄目ですよ」
「そこをなんとか」
「ふふふ、駄目でーす」
私がきちんと姉らしく育っていれば、こんな時に上手く聞き出せただろうか。
となるとやはり、やんちゃな妹を持っている姉を見習った方がいいだろう。私は今度、IAがどんな風にONEと接しているかを聞くと決めた。