されど私に学園モノは似合わない。 作:不可思議可思議
外が暗くなってきたから留美達を帰し、さらに一時間ほど経って解散になった。
今日の帰りは一色とではなく、様子見に来たらしい平塚先生の車へと放り込まれた。
「イベントまで残り一週間だろう。見ていてもどういう状況か分からなかったが、君から見てどうなんだ?」
「色々とダメそうね。目的が噛み合っていないもの」
「ほう?」
「私たちの目的はクリスマスイベントを恙無く終わらせること。なのに対して、あの日本人モドキ達の目的は格好よく会議することにある。そりゃ、終わるはずがないわよね」
「君の口をもってしてもかね?」
平塚先生の言う通り、大抵のことは口先で解決してきた。中には蹴り倒したり、メールで済ませたこともあるけれど、肉体言語であれ活字であれ、基本はコミュニケーション。
「学校とは言ってしまえば隔離施設。違う学校とはつまり違う世界。……言葉が通じるはずがなかったのよ」
「小学生相手には通じたのにか?」
「……どうかしらね」
言い訳でしかない。世界が違うなんて、言葉が違うなんて、そんなことはない。同じ世界の住人で、日本語の使い手であるはずだ。
「君は人の感情も心理もよく分かっている。それなのにどうしようもないというのなら、それは見ていないのだろう」
「そんなことないわ。あの愚か者達の考えていることも、したいことも、私は知っている」
「なら、雪ノ下と由比ヶ浜はどうだ?」
雪ノ下と、由比ヶ浜。二人は今回の件とは概ね無関係なはずだけれど……。
「戸塚は、川崎はどうだ?」
「……平塚先生、何の話をしているのかしら」
「人形師と殺人鬼は難しいにしても、君の周りにはまだまだ人間がいるはずだ。……何故一人でやろうとしている? 何故一人にやらせようとしている?」
「一人でできるなら、そっちの方が早いからよ。失敗しても自己責任で済むし、成功してもやっぱり自己だけで完結する」
「だが限界があった、だろう?」
……その通り。
「君は今回困らされて、それでも片時も誰かを頼ることをしなかった。無関係の人間を巻き込もうとは思えなかった。発想すらしなかった」
「……そうかしらね」
考えあってのことでは断じてないけれど、希望者に限れば連れて来れる状況は私が作った。
「君はもう少し、他人に依存するのではなく、頼るということを覚えた方がいい」
「……別に、頼ることができないわけじゃない。私は任せられないだけよ。道案内は頼めても、お使いは任せられない」
「君の心がどれだけ繊細に成り立っているのか私には想像もつかない。人に任せることがどれだけ恐ろしいことなのか予想もつかん。その貧弱な体より先に心が壊れて死ぬ様子が目に浮かぶようだ。……だが、だからこそ、それでも頼れるようになった方がいい」
言う通り、私は弱い。口と舌で生きてきた。目と指で書いてきた。
「君の方が知っているだろうが、人間、生きているだけで誰かを傷つけている。触れ合えば傷つけるし、離れても傷つける。傷つきたくないなら、傷つけたくないなら、それこそ死ぬしかないんだろうよ」
気がついたら私は家の前で車を降りていて、私は平塚先生を見送っていた。
三子が受験勉強で部屋にこもっているため、私は一人リビングのソファでパソコンを開く。小説を書くために。
書いては消して、書いては消す。平塚先生の言葉が脳裏に走り続けて、物語が続かない。――小説が書けない。
……私は何がしたいのだろう。
私と同じ学年の学生達は、皆進路というものをもっている。三子だって持っている。――私だけが、持っていない。
やりたいこと。なりたいもの。欲しいもの。――私は全て手に入れている。
……ならどうして苦悩している?
苦悩と工夫は成功への遠回り。そう信じて今まで小説を書いてきた。――語ってきた。
それで問題なんてなかった。悩む暇があれば指を動かし続けてきたし、余計な手出しをして手間を増やすようなこともしてこなかった。――他人の手なんて一切入れてこなかった。
……何を諦めたらいい? 何を妥協したらいい?
妥協と諦めが解決の近道。そう信じて生きてきた。――書いてきた。
諦めさせて、妥協させて、諦めて、妥協して。切り捨てて切り落として切り裂いて切り崩して、切って切って切って切って、針の穴を通るサイズまで削って通してきた。
……私は生涯不変の小説家。
傷つかず、傷つけられず、変わらず、変えられず……。
『生涯不変を謳っていても、不老というわけではないのだな』
……平塚先生の言う通りだ。
私はきっと老いた。弱った。――切りすぎた。
要らない部分を削いで削いで削ぎすぎて、自分に切っていい部分を失った。
子供が現実の醜さを知って大人になるように。現実に心を削られて老いるように。
……切り落としたものが元に戻るはずがない。
接着剤で固めようが、鉄の棒とバーナーで溶接しようが、万力で押し固めようが、それは全くの別物だ。
「あーあ。本当、あーあ」
こういう時は、水風呂で全て冷やして固めるに限る。
「……お姉ちゃん。何に悩んでるのか知らないけど、風邪はひかないようにね」
……浴槽に水を張るのも煩わしいわね。シャワーを浴びる程度に抑えましょう。
「小説、書きたい……。あと読みたい……」
材木座の新作、まだかしら。
放課後の生徒会室。クリスマス合同イベントのため相変わらず無人の部屋で私は何をするでもなく、椅子に座って天井を見続けていた。――詰まるところ、現実逃避をしていた。
昨夜はあれから全く寝付けず、授業中ですら居眠りの一睡もできなかった。
映画でよく見る設定の、『人間は脳を10%しか使えていない』みたいな、脳の一部が働いていない感覚を知覚しながら、本能に身を任せて口呼吸を繰り返す。
「あーあ」
いっそ、呼吸することすら面倒くさい。
生きることも、口を動かすことも、小説を書くことすら面倒くさい。
「あーあ。あーあ。あーあ」
あーあ。
面倒くさいけど、生きるために。小説のために。
――私は私を諦める。
「はぁーあ」
向かう先は、久しく行っていない気がする奉仕部部室。
いっそ忘れてしまいたいほどに歩き慣れた道を最短ルートで歩いてしまった。
扉が、大きい。思えば見上げるのすら初めてな気がする。
あと一歩踏み込めば、そこは針の筵。何をしても心の削れる地獄に他ならない。
心臓が悲鳴を上げるように騒ぎ立てている。釘でも打ってるのかお前は。肺が潰れるから大人しくしなさい。
「あれ、ナーちゃん?」
「ウニャッ!?!?」
変な声出たぁ!!
……この時間なら用事がなければ部室にいるはずの由比ヶ浜の声が何故か背後から聞こえてきた。
「……ナーちゃん?」
「な、なんでもあらへんよ……」
逃げ場は失われた。もう部室に入るしかないし、扉を開けた。
いつも通り雪ノ下は椅子に座って読書に励んでいた。
「扉の前で騒がしいと思ったら、貴女だったのね。今日も来ないものだと思っていたわ」
「……ええ、まぁ」
いつも私が座っている横並びの椅子ではなく、二人の対面に私は座った。
「ナーちゃん、どうかしたの? なんか変だよ?」
そりゃ、違うわよね。
右手を頭上に回して左側頭部まで伸ばして当て、首をほぼ直角に曲げる。ベキベキと、首や頭蓋骨周りの骨が鳴る。
回りきっていなかった脳に痛みと快感という二色の刺激が走り、脳は覚めた。
「……その、お願い。……頼み、……依頼があるのよ」
似た文言ならいくらでも小説で書いてきた。言わせてきた。それなのに、このザマだった。辿々しく、顎や歯茎が震えている。
「……私の手伝っていた、……手伝うはずだった、クリスマス合同イベント。……頼る気なんてなかったのだけど、頼らざるを得なくなったわ」
「けれど……」
私が言ったことだ。全員ドイツ語で話し出して言葉が通じなくなるレベルでないと助力は不要だと。
「一色のためにならない、……そんなことはどうでもいい。でも、最低限、私がこれからも小説家であるために、イベントを完遂する。……だから、だから……」
だから。
息が詰まる。心を落ち着けようと深呼吸しようにも、肺が空気を受け付けない。
「……助けて、もら……ほし、……」
何を言おうとしているのか、わからない。口が脳の指令を無視して動いてるような感じがする。
「助けて、ちょう、……くだ、……そう。助けて、くだ、さい」
言えた! 言えた私の口!
いや、落ち着け私。そんな子供が第一声を発してはしゃぐ母親か!
「私を、助けてください」
今まで一度でも、こうも人に助けを乞うたことがあっただろうか。――否。
「お金を払えというなら、払う。無礼を詫びろというなら、なんでもする。……だから、わたしを助けて」
どうにか言い終えて、顔を上げる。
「……そう」
雪ノ下は本に目を落としたまま、小さく返す。
「ぅあ……」
顔を上げてようやっと、視界が濡れていることに気がついた。目元が熱くなり、頬に一筋、細いものが走る。
「なっ、ナーちゃん!?」
「ぁ……ぁ……」
別に、この状況が辛くて泣いてるわけじゃない。
私が今まで見て見ぬふりをして溜まった負の感情が、発散仕切れず溜まった感情にもなれなかった何かが、諦めによっていつも以上に栓が緩むことで溢れ始めている。
「ナーちゃんなんで泣いてるの!? ちょっとこっち向いてぇ!」
「いや、ちが……」
三子とは違う、力任せで雑にハンカチで目元を拭かれる。
私にとって、泣くことは別に珍しいことではない。むしろ最近は読者が大幅に増えたおかげで、酷評が幾らか来てよく泣いている。
「……もう、わかったわ。一色さんや生徒会のことも思うと複雑だけど、貴女の誠意と涙に免じて、その依頼引き受けるわ」
雪ノ下はパタンと本を閉じて、諦めたように頷いた。
「泣けば許されると思ってる女ほど不快なものもそうないけれど、貴女のそれが別物なことくらいは分かるわ」
「……別に、そんなんじゃないわよ。……これは、」
ひと段落済んだからか、急に肺が大量の空気を求め出した。
「違うのよ、……私は、元来泣き虫なだけで、ヒクッ……」
違う。私はこんな、子供みたいに泣くような奴じゃない。詩的に素敵に、不敵に無敵に、私は……。
「よしよし……。勇気いるもんね、人にお願いするのって」
頭を、優しく撫でられる。
「初めてのことって怖いよね」
「……うん」
誰だこいつ。
誰だこいつ、誰だこいつ、誰だこいつ!!!
いつから私は妹キャラに変貌した!?
私にこんな萌えるキャラなんてなかったはず!!
いやそりゃ、三子の膝の上に乗ったりとか京都弁で喋ってみたりとか、素であざといようなところもあるかもしれなかったけれど! でも涙目で「……うん」って!
誰だこの妹科ロリ属妹系美少女!!
撫でられつつ、内心悶えていると。留美からのメール以外でなることが殆どない携帯電話に着信があった。
機械音痴ならぬ、携帯電話音痴な私でも、未だ涙を垂れ流し状態のままでも、電話に出るくらいはスムーズにできる。
「……私よ」
『え〜っと、先輩? 不可思議先輩の電話ですか?』
電話をかけてきたのは、何か困惑している一色だった。
「私が不可思議可思議よ。だから何」
『いや、声がいつもと少し違いますし。なんて言うか、泣いてます?』
「放っておいて頂戴。そして用がないなら切って」
『そこは、「切るわよ」じゃないんですか? いや、今日は会合休みって伝えたかっただけです』
私は電話に出ることはできても、切ることは若干難しい。ただでさえ顔の見えない相手との会話の切り方がわからないのに、その上操作しなければいけないなんて、なんの冗談か。
「そう。それだけ?」
『はい、それだけです。また明日』
「ええ。……ああ、言っておくけれど。盗み聞きするならもっと上手くやりなさい」
切られた。適当に言っただけなのに。あの愉快だけど決して無能ではない後輩なら私との会話に電話なんて使わないと思っただけなのに。
「……不可思議さん。泣きながら平然と電話するのはやめなさい、不気味よ」
「私は泣き虫なのよ」
ハンカチでどれだけ拭われても止まらない涙のことも、いろいろ諦めたついでに諦める。
「忘れていたわ。――雪ノ下。変態呼ばわりして、ごめんなさい。――由比ヶ浜。雌豚呼ばわりして、ごめんなさい」
「……あったわね、そんなこと。言われなきゃ思い出しもしなかったわよ」
「私そんなひどい呼ばれ方されてたっけ!?」
二人とも覚えていなかったらしい。実はここに来るまで気がかりだったことの一つなのだけれど。
「女は感情が動いた時のことはよく覚えているのよ」
「……つまり、本当に私のことを変態だと思っていたのね」