されど私に学園モノは似合わない。 作:不可思議可思議
ほろりを呼び出してバレンタインチョコを作ったり、三子に早めのバレンタインチョコを渡して締め上げられたり、ほろりと東京旅行と称して、渋谷でナンパしてきた男達を土下座させたり、新宿で強面の男達を土下座させたり、秋葉原でビラ配りしていたバイトメイドを土下座させたり、ノートパソコンをMacBook Airに買い換えてみたりして、数日後――もう、バレンタイン前日。
高校入試前日ということもあってか、授業は午前中だけで終了。多くの生徒達が机の引き出しや傍の荷物に阿鼻叫喚しているのを尻目に、パソコンを新調して軽くなったバッグを片手に奉仕部へと来ていた。
雪ノ下と由比ヶ浜も来ているが、実は料理教室イベント以来、久方ぶりの部活だったりする。というのも、雪ノ下は家の事情、私は稼業と三子で少々忙しくしていた。特に私は、三子の受験で母親の署名が必要な書類があったが為に、学校を休んで京都まで行ったりしている。
クラスも違う雪ノ下とは顔を合わせる機会が極めて無く、気まずそうにしている。
「この間は、……その、母がごめんなさい」
言いづらそうにしながらも、三人分の紅茶を淹れながら雪ノ下は言った。
結構大変だったらしく、私たちが去った後に姉までやって来て、しかもどちらに味方するというわけでも無く、三つ巴の口論に縺れ込み、今は一時休戦状態なのだとか。
「ぜんぜんっ! あたしも帰りが遅いって、よくママに言われたりするし」
由比ヶ浜は気にするなと、手をぶんぶんと振りながらに言う。
「こっちこそ、ほろりを止められなくて悪かったわね。変に捩れたりは、……あれだけイカれた人間ならしなさそうね」
あの日、ほろりはあの女に大層な高説を垂れていたけれど、あれは別に雪ノ下を気遣って言ったわけではない。私が共感して、連動して泣かれたら泣くように、ほろりは雪ノ下の母親の口ぶりに反感しただけで、言ってしまえばただの八つ当たりだった。
「ええ……。多少反省の色を見せたところもあったけれど、大して何も思っていないようでもあったわね」
雪ノ下は私たちの言葉に、表情を和ませて小さく笑みを浮かべた。
「それより、不可思議さんの妹さん、明日受験なのよね。大丈夫そう?」
「平気でしょうね。参考書やら教科書やらの処分をあらかた済ませていたわ」
「それは気が早すぎない!?」
先々日くらいに三子がしていたことを話すと、由比ヶ浜がちょうどいいタイミングでツッコミを入れてくる。
「沙希が同じツッコミをしていたわ。三子は試験が終わったらその後学校に行く気も無いらしいのよ」
多分、それ以上に景気付けの意味合いがあるのだと思う。私の場合はそもそも教科書なんて一度目を通したら後は押し入れの肥やしでしかなく、受験勉強なんて全くして来なかった。
「気持ちは分からなくも無いけれど、……なんと言うか、濃いわね。不可思議さんの周囲の人って」
その濃い人間の一人である雪ノ下は呆れ混じりにそんなことを言う。
けれどそんなこと、言ってしまうと普通のことでしかない。
類が友を呼ぶ、とは少し違う気がするけれど、自己というのは他人との関わりで確立され、その中で能力を獲得していく。私にしてもほろりにしても、近くには小説家や料理人や人形師、他にも数名、特殊な職や立場の人間がいる環境で育って来た――いわゆる、環境の問題というやつ。
雪ノ下姉妹や葉山にしてみても、あの母親という名の強靭な狂人が身近にいる環境で育ったのだから、考えてみれば彼女達が偏りながらも高スペックなのも分かる。
「お姉ちゃんとして心配だったりはしないの?」
由比ヶ浜は気遣わしげに尋ねてくる。
「三子は基本的に私の上位互換よ。私に出来ることは三子にも私以上に出来る。受からない道理が皆無よ」
「案外、貴女が姉という理由で落ちそうね」
「その時は私が姉としてちゃんと叱るわ」
「え、三子ちゃんを?」
「三子を落とす決断をした愚か者をよ。モンスターペアレンツも辞さないわ」
「「……」」
私の何気ない言葉に、二人とも固まったように押し黙った。
結局、今日は誰一人として、一色すらも来ないままに部活は終了。由比ヶ浜の受験エピソードや留美の近況なんかを肴に紅茶や菓子を口にしているだけだった。
少し早めに、日が落ち始めた頃に出たけれど、外はまだまだ冬のようで、由比ヶ浜は未だに夏服を着ている私を恨めしそうに見ながらマフラーを巻き直している。
遅れて、鍵を返して来た雪ノ下も来てから帰路につこうとして、校門を出る前に私たちは足を止めた。
ヒールがアスファルトを叩く音が聞こえてきた。
「雪乃ちゃん、迎えに来たよ」
「姉さん……」
コートのポケットに手を突っ込み、不敵な笑みを浮かべて待ち受けていた雪ノ下陽乃は、雪ノ下の顔を覗き込むように首を傾げた。
「迎えに来られるような用なんてないと思うけれど……」
「お母さんに言われたの。一緒に住むようにって。あ、部屋余ってたよね? 荷物、明日届いちゃうんだけど大丈夫かな? 午前中は私いるからいいけど、午後から出かけちゃうからそしたらお願いしていい?」
私に口を挟ませないためか、矢継ぎ早に言葉を連ねる。というより、言い方が自然すぎて、面倒くさそうに、まるで決定事項を述べているだけだと、態度で示してくる。
「ちょ、ちょっと待って。なんでそんなこと、急に……」
避難と困惑の入り混じった感情を隠せずにそんなことを言うと、雪ノ下姉は肩を震わせて大袈裟に笑った。
「あるでしょー? 心当たり」
どうやら本当に、ほろりの言葉は全くと言っていいほどに意味を為さなかったらしい。
雪ノ下は姉を睨みつける。
「……それは、私が自分でやることよ。姉さんには関係ないわ」
拒絶するように、刺のある言葉でもって返す。
詳しい話は知らないけれど、私やほろりが思っていた以上に、あのイカれた母親はイカれているらしい。それこそ、さながらモンスターのように。
「雪乃ちゃんに自分なんてあるの?」
姉は、見透かしたようにそんなことを言った。
「今まで私がどうするかを見て決めてきたのに、自分の考えなんて話せるの?」
「なっ……」
容赦のない言葉に、雪ノ下は戸惑う。何を言っているのかと問い出そうとして、しかし姉が遮るように続ける。
「雪乃ちゃんはいつも自由にさせられてきたもんね。でも自分で決めてきたわけじゃない」
優しい、ともすれば憐れむような声音。
――まったく、まったく。
「姉妹喧嘩を人前でしないでほしいわね、見苦しい」
つい思わず、雪ノ下に同情――共感して、口を挟んだ。別に大した理由があったわけではないけれど、なんとなく、雪ノ下を言われっぱなしにしちゃいけない気がした。女の勘ならぬ、小説家の勘である。
「ケンカ? こんなのケンカにもならないよ。昔からケンカなんてしたことないんだから」
「だったら弱い者いじめね。ますます見苦しいわ」
言って、互いに冷めた視線をぶつけ合う。
「いくら可思議ちゃんでも、家の問題には口を挟まないでもらいたいな?」
「だったら挟ませないでほしいわね。それに家族なんて結局は他人じゃない」
兄弟とは血の繋がった他人である、とはよく言ったもの。どれだけ色濃く血のつながりがあろうと、親しくないのならそんなのは他人と何ら変わりない。
「まぁ、じゃあ……。帰ったら、聞かせてもらうよ。どうせ雪乃ちゃんが帰れる場所なんて、一つしかないんだし」
付け足すように言って、雪ノ下姉は踵を返す。また鳴るヒールの音がだんだんと小さくなるにつれて、肩の力が抜けていく。完全に見えなくなるまで、私たちは一歩も動くことはなかった。
雪ノ下は唇を噛んで俯き、由比ヶ浜はそれを悲しげに見つめる。
――見ていられなくて、いられない。
「あーあ。……あーあ。帰りたくないのなら、うちにでも来なさいな」
らしくもないことを言っているのは分かるけれど、それくらいに、今の雪ノ下は詩的であった。――まるでクリスマスの私を見ているようであった。
徒歩十分ばかりの距離を十五分ほどかけて、私は二人を我が家へと招いた。
三子はすでに帰ってきていて、沙希は弟の受験が心配だからと、今日は休み。
「えっと……、コーヒーでいいですか?」
リビングで、並んでソファに腰掛けた二人。受験前日の受験生とは思えぬくらいに寛いで、気を抜いていた三子の問いに何も言わずコクリと頷いて返した。
三子も何も言わずに立ち、キッチンへと向かって行く。
「……ごめんなさい。……迷惑をかけてしまって」
「ええ、迷惑極まりないわ。だからさっさと解決しなさいな」
一応でも近くの人間に、近しいと自称する人間に、こうもマイナスでいられると気が滅入る。
「……ええ」
雪ノ下は弱々しい声でぼやくように返す。
「ゆきのん、ナーちゃん……」
少しすると、三子は四人分のコーヒーを運んできた。それと、一冊の本も一緒にトレーに乗せて。
「この本、お貸しします」
小説というには厚く、辞典というには少々薄い本に、私は見覚えが、というか身に覚えがあった。
『第三章、美術的な女子高生』
著――不可思議可思議
イラスト――シトリング・ラフィ
まぁ、言わずもがな、私が過去に書いた、書き上げた小説だった。
愛読者達からは『美術シリーズ』と呼ばれている、七つの章で完結した連載小説。『美術室の芸術家』『美術品の殺人鬼』と続き、『美術的な女子高生』は第三章にあたる。
最終章『美術商の魔法使い』が完結したときに、私は私らしくもなく舞い上がり、挿絵をとある芸術家に依頼し、七冊の書籍にした。全七巻、この世には各三冊、全二十一冊しかない貴重な本。
雪ノ下が受け取ったのは、私が三子に渡したもの。三子はその第三章が一番に気に入っていた。
「詳しい事情は知りませんけど、私たちのお母さんは、私たちが悪いことをしたり、何かに躓いたりしたら、『他人の人生を読んで自分を反省しなさい。自分だけが誰かと違うなんて思い上がるな』って、叱るんです」
私も三子も、後ついでにほろりも、幼少の頃はあのオタク気質な母親からは悪さをしてよく怒られた。その度に本を読まされて、反省させられた。ついでに読書感想文を書かされてきた。
「きっと、それで改善できると思います」
三子は自分の分のコーヒーを持って、部屋へと去って行く。……一応、受験生だものね。……一応。
「……不可思議、可思議」
雪ノ下はその白魚のように穢れない指で、表紙を撫ぜた。
「……そういえば、まだ読んだことが無かったわね」
「ナーちゃん! あたしも読みたい!」
パラパラとページをめくる雪ノ下を見て、由比ヶ浜が叫んだ。
「……なんであれだけ読むよう言っていたのに二人ともまだ読んでないのよ。ネットに投稿してるから、私の名前で検索すればいくらでも出てくるわ」
「へ〜」
雪ノ下も由比ヶ浜も、めっぽう静かに読書を始めた。その様子を尻目に、私もノートパソコンを開き執筆を始める。
「読んでいくなら今日は泊まって行きなさいな」
およそ一時間が経ち。
奉仕部が揃って何も言わずに画面や紙面と向き合っているところに、エプロンを着けた三子が声を掛けた。
「……鍋の準備できました。お姉ちゃん、パソコン片付けて」
気がつけば、もう夕飯時。ダイニングではなくリビングの、ローテーブルにカセットコンロと鍋が置かれ、具材の肉やら野菜やらが並んでいる。
「あっ。……ごめんなさい。そろそろ帰るわ」
「あ、あたしも。なんか悪いし……」
三子が火を付けた音でようやっと二人は気がつき、急ぐようにして立ち上がった。
「泊まっていけと言ったでしょう。まさか私と三子だけでこの量を処理させる気じゃないでしょうね?」
三子は体格が大きいし並より食べられるけれど、反面私は体格が小さく、少食。明らかに四人分はある具材が、すでに鍋用に切られ、下味まで付けられてしまっている。
「うちはお母さん帰ってこないし、大丈夫ですよ。余っても捨てちゃうので、食べていってください」
「えっと、じゃあお世話になろうかな。ねっ、ゆきのん!」
「え、ええ」
由比ヶ浜が家に電話をかけるのを見て、雪ノ下は電話をした方がいいのかと、悩んでいた。
「……一晩考えてから話したいとでも言っておきなさいな」
「そうね」
由比ヶ浜は何を話しているのか、母親との電話が妙に盛り上がっていた。雪ノ下はそんな様子を微笑ましく見届けてから、あの姉に電話を掛け始めた。
通話は、すぐに繋がった。
「もしもし。……今は互いに冷静でないし、一晩考えて、改めて話に行くわ。一応連絡だけ……」
姉がそうしたように、雪ノ下は一方的に矢継ぎ早に話す。けれど、言い終えても、向こうから返答は無い。
さらに数秒間を置いてから、向こうが話しだした。
『ふぅん、わかった。そこに可思議ちゃんいるよね? 代わって』
電話越しに、私たちにもその言葉は聞こえてきた。雪ノ下は躊躇したようだけれど、『早く』と急かされ、私に携帯電話を差し出してくる。
私は肺の中身を一度全て吐き出してから、受けとり、耳に当てる。
「たとえ相手が人類最強であろうとも、私の名前は荻原子荻。私の前では悪魔だって全席指定、正々堂々手段を選ばず真っ向から不意討ってご覧に入れましょう」
『やぁ、不可思議可思議ちゃん』
……。
三子からも、由比ヶ浜からも、雪ノ下からも、冷めた視線で八つ裂きならぬ、六つ刺しに射抜かれる。
雪ノ下姉の声はクスクスと、嘲るように妖艶で。姿が見えないおかげで余計に威圧感を感じる。――けれど、その程度じゃ、まだ話が通じる位階でしかない。
『やれやれ、まったく。意外と優しいよねぇ、可思議ちゃんって』
「貴女には言われたく無いわね、シスコン」
速攻で切られた。電話越しに何かが落ちる音がした気がするけれど、響ききる前に切られたから詳細は分からない。
携帯電話を雪ノ下に返し、私たちは三子の手伝いをした。
今日の夕食は、ほろり直伝の味噌鍋。締めはうどんだった。