されど私に学園モノは似合わない。   作:不可思議可思議

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やはり雪ノ下雪乃が美術的なのは間違っている。『鳥』

 翌朝。関東ではもはや毎年お馴染みですらある、受験日にピンポイントで雪が降るという現象が、案の定今年も起きていた。

 そんな日でも受験というのは嫌に意地っ張りで、たとえ隕石が降ろうと月が割れようと、テロリストに侵略されようとも、何がなんでも試験は時間通りに強行する。電車が止まろうと、車が渋滞に捕まろうと、日本が海に沈もうと、お構いなしである。

 三子が受けるのは幸いにも徒歩十分の距離である総武高校のため問題は特に無いが、遠方から受けにくる受験生は気の毒極まりない。別に気に病んだりはしないけれど。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

「ええ。滑って転ばないよう気をつけなさいな」

 

「お姉ちゃんもね」

 

 三子は中学の制服の上にコートを着て、足早に総武校へと向かう。体格故かは知らないけれど、三子は寒さにあまり強く無い。さっさと暖房で暖まろうという魂胆でしょうね。

 

 背が見えなくなるまで見送って、私は家へと戻る。

 普段あまりつけることがない暖房のついたリビングには、休みであるにも拘らず制服を着た雪ノ下と由比ヶ浜がいる。まぁ、一晩泊まって行ったから別に普通のことだけれど、我が家にこの二人がいるというのは何とも見慣れない。

 

「あ、ナーちゃん。さっきゆきのんと話してたんだけどさ、デートしない?」

 

「……あ?」

 

 由比ヶ浜の急な物言いに、思わず東京で聞いたような低く短い、威圧的な声が私の口から出てきた。

 

 


 

 

 私も雪ノ下もうだうだと言いつつも準備して、お昼というには早すぎるくらいの時間にようやっと家を出た。

 

「……貴女のその見ているこっちが寒くなってくる格好にはいい加減文句を言っていいのかしら?」

 

「文句はお金を払ってから言いなさい」

 

「正直、代金を私が払ってもいいからコートと手袋あたりを買ってきて欲しいわね」

 

 今や私は自他ともに認める美少女だけれど、しかし世間一般の大概の美少女とは異なり、私は私服というものをあまり持っていない。ぶっちゃけてしまえば、下着を数セットと夏用のワンピースが幾つかあるだけ。私のような、ほぼ毎日水風呂に浸かるような高体温でもないと、冬の外を歩くには心許なさ過ぎる。

 

「えっと、先にナーちゃんの冬用の服買いに行く?」

 

「どうせ着ないし要らないわよ」

 

 今私たちがいるのは、いつか色々あって大勢で夢の国に来た時にも集合に利用した駅の、一つ先の駅。だからというわけでも当然ないけれど、先で葉山や三浦が待ち受けていたりはしない。

 

「でも確かに体温が高いのよね、不可思議さんって」

 

「あ、あたしもっ」

 

 雪ノ下が左手を私の右手とつなぐと、由比ヶ浜も私の左手を塞いだ。

 

「……なんなのよ、これ」

 

 カップルとも、姉妹とも称し難い光景が出来上がった。

 あろうことかこのまま、私と雪ノ下が由比ヶ浜に導かれるようにこの場を離れ由比ヶ浜の目的地へと向かう。

 


 

 時折、微笑ましいものを見るような視線を向けられる道中。看板や掲示板の貼り紙なんかで薄々察してはいたけれど。その目的地に近づくに連れて、加速度的に私の足は重くなり、その建物を前にして完全に止まった。

 

「……まさかとは思うけれど、ここに入ると言うの?」

 

「え、うん。前にディスティニー行った時、ナーちゃん辛そうだったもんね」

 

「確かにここなら、しかもバレンタインデーとはいえ平日だし、人は少ないでしょうね」

 

 私の小説家としてでは無く、人間としての本能が、速やかにここを立ち去れと、まるで遺伝子に恐怖という色で書き込まれたかのように近寄らせない。

 

 目と鼻の距離と言えるほどすぐ目の前にある施設は、俗に水族館と呼ばれるアミューズメント施設。遊園地のように燥ぎ騒いで遊ぶようなところではないし、多少は対象年齢が高めで、……そして私があまり得意でない施設だったりする。

 具体的には、人混み、組織、水族館といった具合に並んで遠ざけたいものに数えられるほど。

 

「……え。もしかしてナーちゃん、水族館ダメ? なんなら今からでも別のとこにするけど……」

 

 由比ヶ浜が申し訳なさそうに言う。雪ノ下もどこまで予定を知っていたのか知らないけれど、眉をへの字にして困った表情をしている。

 

「一人にならなきゃ平気よ。……多分。お願いだから絶対に中に入ったら出るまで私の手を離さないで」

 

 私以外の感情が常に流れ込み続ければ、どれだけ濃かろうとも多少は恐怖も薄まるはず。

 そもそも水族館が苦手になったのなんてまだ歳が二桁にもなっていない頃なのだから、いい加減時効になってそもそも怖くなんて無くなっていてもおかしくないはずである。ええ、そうね。きっと大丈夫よ。テレビのニュースか何かの水族館特集を見てもなんとも無かったじゃない。別に襲われるわけでもなければ、まず相手は心霊や怪物じゃないのだから、恐怖を抱く理由なんて全くないはず。

 

「えっと、じゃあ入るけど、……大丈夫? 今から入るの、お化け屋敷じゃないよ?」

 

「……日本のホラーは別に平気なのよ。私が苦手、と言うか嫌いなのは、泳いでいる海洋生物」

 

 二十世紀最後の怪奇小説作家とも言われる、アメリカの小説家、H.P.ラヴクラフトの小説『インスマウスの影』、あれを読んでしまって以来、逃げ惑う主人公に感情移入しすぎてしまって以来、私は泳ぐ海洋生物が、と言うか水中の生物全般に対して恐怖を抱くようになった。海の生臭い(にお)いさえも苦手である。……さんまの塩焼きは好きだけど。と言うか調理さえされていれば寿司でも刺身でも美味しく食べられるけど。

 

 私は引っ張るようにして二人を肘がぶつかるくらいに近寄せてから、異様に怯える私を連れた三人組を訝しむ受付を通って水族館へと足を踏み入れた。

 

 そしてすぐ、アクリル越しに一匹のサメと目が合った。

 

 まるで食らう肉も無い、痩せ細った雑魚をただ観察するような食物連鎖の頂点が如き目付きが、私の恐怖心を司る部分を八つ裂きにする。

 

「ピャッ!?」

 

「え、ちょっと」

 

 私は物陰にでも駆け込むように雪ノ下の背に回り、「こっちの方が肉付きが良くて美味しいですよ」と言わんばかりに盾にする。……雪ノ下も決して肉付きが良い方では無いけれど。

 

「あの、不可思議さん? 蛸とかクラゲが苦手というならわからないでも無かったけれど、貴女サメでもダメなの?」

 

「……海を生きている時点で、カリブディスだろうとリヴァイアサンだろうとアスピドケロンだろうと同罪よ」

 

「苦手という割には海の怪物について詳しいのね」

 

 ファンタジー系の小説を書くための知識集めの一環で、世界各国の神話や民謡なんかを読み漁ったことがあって、その時に覚えた知識である。尚、その時にクトゥルフ神話のことをうっかり調べてしまい、リアルSAN値喪失で三子に多大な心配と迷惑をかけたのはもう過去のこと。

 

「ナーちゃん見て見て! ハンマーヘッドシャークだって!」

 

「……ハンマーでアクリル叩き割って水位が足りず酸欠で死ねば良いわ」

 

「抽象的なんだか現実的なんだかわからなくなる自殺示唆ね。あと歩きにくいのだけど」

 

 私が雪ノ下に抱きついたことで私の手を離れた由比ヶ浜は、すっかり元のテンションを取り戻し、携帯電話で写真を撮って回っている。

 

 雪ノ下から流れ込んでくる、私や由比ヶ浜を微笑ましく思う感情に流されることで、前に水族館に来た時ほどの恐怖心はなく、かろうじて、遠目になら悍ましき海洋生物を観察できた。

 

「う……。あ……」

 

 どいつもこいつも、こちらには目もくれず、思うがままに泳いでいると思っている海洋生物達。水槽の中がこの世の全てだと疑わず、外界からは目を逸らす。

 

「ぁ……、ぁ……」

 

「そんなに苦手なら目を閉じればいいじゃない」

 

「……敵前で目を瞑る阿呆がどこにいるというのよ」

 

 そもそも、私の体質にしても視覚と聴覚だけで成り立っているものではない。そういう環境に自分がいる、という状況そのものが私の恐怖心を刺激する。

 

 

 

 少し先に進めば、私たち以外にも少数ながら客足が見えてきた。老夫婦やカップル、子連れの夫婦に女性二人。由比ヶ浜が言った通り、遊園地とは対極的で、静かな人たちが多い。

 薄暗い空間で、小さな水槽がいくつも並んでいる。到底、騒げるような場所では無かった。

 

 『世界の海』と題される水槽群の中で、由比ヶ浜は一つの水槽の前で足を止めた。そこには一見魚が一匹もいないように見えて、視線を下げたら、そこにそれらはいた。

 

「何も……ピッ!?」

 

 まるで植物のように、砂から身を伸ばして顔を出す、黄色と白の縞模様の細長い何か。一見何もいないように見える水槽は、私にしてみれば新手の罠だった。

 

「チンアナゴだってー。なんか、髪染める前のナーちゃんっぽくない?」

 

 由比ヶ浜はしゃがんで写真を撮りながらそんなことを言った。

 

「なんて恐ろしいことを言い出すのよ。芝刈り機で薙ぎ払うわよ」

 

 そもそも、共通点は縞模様というだけで色も似ていない。

 

「ナーちゃんの方が怖いよ!? 芝刈り機!?」

 

「常人の発想ではないわね……」

 

 説明書きを見ると、チンアナゴというらしいこれらは、全長三十センチもあるらしく、巣穴に体の三分の二を埋めたまま暮らしているらしい。

 

「耕運機の方が良さそうね」

 

「何それ?」

 

「畑を耕すのに使う機械よ。塊になった土を砕いたりもするわね」

 

 あれなら頭を出していない奴でもしっかりと身を刻み殺せそう。

 

「貴女、チンアナゴにどんな恨みがあるのよ」

 

「ゴキブリだって見つけたら恨みが無くとも殺したくなるじゃない。それと一緒よ」

 

 人間に限らず、他者を不快にさせるものに生きる権利はない。たとえ外見の不快さ以上の害がなかろうとも、害がある以上死ななければならない。

 

「一、二世紀前の世界の独裁者の才能がありそうね」

 

「私は小説家よ。世界を牛耳るのではなく作るのが仕事」

 

「独裁者よりも偉そうじゃない……」

 

 

 

 満足したのか先へ先へと進む由比ヶ浜を、私と雪ノ下は遅いペースで追いかける。

 

 


 

 ハリセンボンにカクレクマノミ、タツノオトシゴ、などなど。世界の海の名に恥じぬ種類の魚を見てきて、それだけでなく深海魚まで見てしまい、なんだかんだ結構なペースで削れていった私の精神。そんな私の癒しとなる生物が、この水族館にはいた。

 

 岩山でキュイーと甲高い鳴き声を響かせる、たくさんのペンギン達。岩陰に暖を取るようにくっ付き合っていたり、一匹がプールに飛び込むのを皮切りに数匹が後を追い飛び込んで行ったり。

 

「…………かぁいいわ」

 

 私は脇が汗ばむくらいにずっと引っ付いていた雪ノ下から離れ、柵へと近寄る。

 

「ペンギンも海の生物だと思うけれど、流石に平気なのね」

 

 雪ノ下は写真を撮りながら私の隣に並んだ。由比ヶ浜は燥ぎながら、あちこち走り回って写真を撮りまくっている。

 

「……ペンギンは鳥類だからいいのよ。人間だって海を泳ぐじゃない」

 

 いつの間にか外に出ていたようで、見上げれば曇り白んだ空があり、冷えた空気が熱っぽい体を冷まし、気管のどこかに溜まっていた、恐怖で澱んだ何かが薄らいでいく。

 

「……人間以外に生まれ変わるなら、鳥がいいわね。木の実だけ食べて生きていける奴」

 

「冬が来た段階で絶滅しないかしら、それ」

 

 それでも、生きた魚を丸ごととか、昆虫食なんて絶対に嫌よ。

 

「進路希望は詳細に考えないとダメよ。じゃないといざ選べる時に迷って立ち止まる羽目になるのだから」

 

「輪廻転生って進路なのかしら。……考えてみれば本質は転職に近いのかもしれないけど」

 

「叶わないかもしれないことでも、口に出すとそれだけで実現する確率は上がるのよ。……本当に生まれ変わるなら、やっぱり私は私を生き続けたいわね。そして死んだ私の小説の続きを書くの」

 

「文字通り、死んでも小説家ってわけね」

 

 雪ノ下は呆れたような、それとなんか嬉しそうな表情で言った。けれど、天邪鬼な私はその言葉を決して肯定しない。

 

「いや、死んでまで小説を書きたくはないわよ。死後の世界に死んだ文豪がいるのなら、きっとそこには未だ見ぬ面白い小説があるはずなのだから、そもそも生まれ変わりたくなんてない。私は面白い小説の読者になりたいのよ」

 

 小説家が小説を書き始めたきっかけなんて、「無いから自分で書くしか無かった」という自己満足を求めた奴ばかり。かく言う私だって例外じゃない。今だって自分の書いた小説は何処の誰の小説よりも面白いと確信している。

 

「そう言うことを平然と言えるって、凄いわね。……お母さんとか、小説家になる道を止めたりしなかったの?」

 

「止められるに決まっているじゃない。だから私は収入が得られるようになった段階で事後報告するまで黙っていた。――親の意向に逆らうって、そういうことだと思うわ」

 

 それは別に親が過保護だろうと放任主義だろうと変わりない。子供が親の心を理解できないことを嘆く親は、子の心を自分が分かっていないことを知らないだけなのだから。

 

「……冷えてきたし、中で待っているわ」

 

「そう。私はもう少し見て行くわ。……入り口近くで待ってて」

 

 これを機に水族館への苦手意識を克服するつもりだったけれど、それはまだまだ難しいらしい。私一人では、水族館に入ることはできそうにない。

 

「心配しなくても、置いて行ったりしないから安心しなさい」

 

 雪ノ下はそう言い残し、館内へと戻って行った。

 

 




 カリブディス
 元・極度の肥満体系の女神。英雄ヘラクレスのウシを食べたことでゼウスの怒りを買い、怪物となった。

 リヴァイアサン
 口からは鋭く巨大な歯が生え、炎を吐き、鼻からは煙を出す。強靭な鎧のような鱗を持ち、どんな攻撃も跳ね返す。雌だけが不死身の未亡人。

 アスピドケロン
 超デカイ海亀。島と勘違いして上陸した人間を振り落として溺死させ、貪り喰らう。
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