されど私に学園モノは似合わない。   作:不可思議可思議

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やはり雪ノ下雪乃が美術的なのは間違っている。『風』

 最後にレストランやショップのあるフロアを抜ければ、順路はそこで終わり、階段を上がれば出入り口へと繋がる。長く恐ろしい海洋地獄も、これで閉館。私の心は安寧を取り戻す。

 

「ゴォール!」

 

 由比ヶ浜は元気よく跳びながら、こちらに振り向いた。

 

「ねぇ、もう一周しちゃおっか!」

 

「嫌よ」

 

「そうね……。少し疲れたし……」

 

 元気と体力の有り余った由比ヶ浜とは対照的に、私も雪ノ下も結構疲弊していた。私は精神的に、雪ノ下は体力的に。

 

 私はショップで購入した、大概の水族館に売っていそうな、あざとく丸々しいペンギンのぬいぐるみをあざとく抱き抱えつつ、雪ノ下の様子を見てみろと、由比ヶ浜に視線を寄越す。すると、来た道を名残惜しそうに見ながら、髪をいじる。

 

「うーん、そだね。ナーちゃんも大変そうだったし」

 

「どうしても行きたいなら一人で行ってきなさいな。……私はあと十年は入りたくない」

 

 水槽の中の魚を見ながら魚料理が食べられるレストランとか、いろんな意味で悪趣味にもほどがある。……料理は美味しかったけど。

 

「でもまだ時間あるし……、あっ!」

 

 確かにまだお昼過ぎくらいで、確かに今から帰るのでは微妙な時間帯。

 由比ヶ浜は時間を確認していると、何かを見つけたらしい。声をあげながら指差した先にあったのは、遠くにそびえる大観覧車。

 

 


 

 

 遠目に見て大きかった観覧車は、当然だけど近くで見ても巨大で、乗ってみれば遥かに高かった。なんでも、国内最大級らしい。

 平日ということもあって、ほとんど並ぶことなく乗ることができた。

 

 乗ってみての感想なんてものは、さほどでも無し。というのも、以前、かの妖精の如き人形師、蒼さんから貴重な体験ができると、これに負けず劣らずのサイズの観覧車に金属の檻を吊したものに一人ずつで乗せられるという経験を私は過去にしている。『囚われの姫君の気持ちがわかるかもしれない』、という誘い文句に乗って乗せられたのだけれど、あれと比べたら大概の高所なんて安全が過ぎる。

 

 しかし、私以外の二人は全くもって違う。

 

「うわぁ! たかっ! こわっ! ていうかめっちゃ揺れる!!」

 

 由比ヶ浜はほとんど席を立った状態で窓にへばりつき、滅茶苦茶にはしゃいで揺らしている。一方雪ノ下といえば、まるで水族館での私のように顔を真っ青にさせて、足元をジッと見ていた。

 

「無理に乗らないでもよかったと思うのだけど」

 

「べ、別に平気よ……」

 

 声をかけたら、ぷいっと顔を逸らす。そして外の景色が視界に入ったようで、うっと声を詰まらせた。そして由比ヶ浜の腕を掴み、引き寄せて強引に席へと座らせる。

 

「由比ヶ浜さん、観覧車の中でははしゃいではいけないと、注意書きを読まなかったのかしら?」

 

「ゆきのん目が怖い! ご、ごめんね、楽しくなっちゃって……」

 

 あははーと笑って謝る由比ヶ浜を、雪ノ下は冷たい表情で窘める。けれど、腕を掴む手が離される様子はない。

 仕方なしに、水族館で迷惑をかけた詫びも兼ねて、私は席にぬいぐるみだけを残して立つ。そして向かい側に座っていた雪ノ下の膝の上に座った。片側に三人が集まったことで、籠が少し傾いた。

 

「ちょ、ちょっと、不可思議さん?」

 

「怖い時は誰かにひっつくのが一番いいのよ。私を抱きしめてくれて構わないわ」

 

 遠慮気味に片手が腰に回される。へその辺りに触れている手からは、ひんやりと冷たい体温と、深海のように冷え切った恐怖心が伝わってくる。……けれど、私が水族館で味わった恐怖と比べたら、屁でもなし。

 

「なんというか、その、……ごめんなさいね」

 

「別に、お互い様よ。その罪悪感も、それなりに楽しんでいることも」

 

 


 

 観覧車から降りると、いつの間にか止んでいた雪がまた降り始めた。傘を差すほどではないけれど、でも公園の芝生にはうっすらと白い層が重なって行く。

 なんとなしに無言のまま、公園内の道に沿って歩いていた。

 由比ヶ浜が先導し、私と雪ノ下が後について行く。

 小道はやがて駅へと向かう大通りへとぶつかる。何処に向かっているのかと尋ねようと思ったら、由比ヶ浜は振り返り、右側への道を指差した。

 先にあるのは、ガラス張りの建物。表示板によれば、クリスタルビューという、東京湾を見渡す展望台らしい。

 

 

 

 私たちが踏み入ったのは、展望台ではなく、開放されたテラス。人気(ひとけ)がなく、私たち三人しかいない。

 

 ペンギンのぬいぐるみを膝に乗せるようにしてベンチに座ると、両隣に二人も座った。

 

「……そのぬいぐるみ、随分気に入ったのね」

 

「吊り橋効果なんでしょうけど、そうね」

 

 人間の精神というのは結構単純な構造をしていて、『■■を見ると安心する』という設定付け(経験)を一度してしまえば、それがなんであれ、継続的に効果を発揮する。とはいえプラシーボ効果ほどの効果は無いし、飽きればそれまでなのだけれど。

 

「これから、どうしよっか」

 

 由比ヶ浜はのけぞって真上を向きながら、私たちに問いかける。

 それは今日のこれからの予定を聞いているわけではもちろんなく、もう少し長期的な意味。雪ノ下の、由比ヶ浜の、あるいは私たち奉仕部の、これから。

 

「ねぇ、ナーちゃん。どうしたらいいと思う?」

 

「……小説家として語るなら、どうもしなくていいと思うし、どうしようもないとしか言えないわね。物語は惰性で進むものなのだから、何をしようが、しなかろうが、変わらない。何をしたところで無駄だし、無為なことなんて一切も無い」

 

 小説家として語った。物語の綴り手として、あるいは読者としてか。この地の文にだって存在価値はなく、語ろうが語るまいが、雪ノ下は同じ選択をして同じ行動をする。プロットは書き換えられず、展開はどんでん返らない。

 

「あたしはさ、これからもずっと三人一緒にいられたらなって思うよ。三年生になっても、大学生になってもさ」

 

「私は進学しないのだけどね」

 

 これ以上に学びたいことなんてないし、金銭的にも時間的にも、悠長に大学に通うほどの余裕があるかは微妙なところ。

 

「えー。ナーちゃんも一緒のとこ行こうよー」

 

「嫌よ、面倒くさい」

 

 私は何が嫌って、興味のないことを勉強するのが何よりも嫌いで、面倒くさい。

 

「……ねぇ、ゆきのん。例の勝負の件って、まだ続いてるんだよね?」

 

 私の答えを予想していたかのように、由比ヶ浜は鬼札を切った。

 

「ええ。……勝った人の言うことを、何でも聞く」

 

 由比ヶ浜は笑って言った。

 

「あたしの願いは、全部が欲しい。これからもこのままでいたい」

 

 彼女らしい。そう思ってしまえるほどに、具体的なことなんて全然言えていないけれど、でも嘘偽り無く正直な言葉だった。

 

「ゆきのんが今抱えてる問題の答え、多分だけど、あたしわかってるんだ」

 

 そう言って、由比ヶ浜は縮こまった雪ノ下の手をとって指を絡ませた。

 雪ノ下姉も明言した、雪ノ下の問題。或いは、欠陥。

 雪ノ下はずっと、誰かの跡を辿るように生きてきた。成功者の道を歩んできた。王道を迷わずに選んできた。そこに自信はあれども、自身は無い。自意識は無い。

 まったく、正気の沙汰じゃ無い。けれど、狂気の沙汰という風にも見えない。狂気というなら、娘や妹をこの状態まで追い込んだ親や姉の方が狂っている。

 雪ノ下は自由だけを与えられてきた。地図も磁針も与えられず、歩けるのは身近な人間の歩いた、レッドカーペットの上だけ。転ぶ心配の無い道を、ひたすら惰性で歩いてきた。

 

「私は……」

 

 雪ノ下は困惑し切った様子で、力なく項垂れて、わからない、と、雪に紛れて消え入りそうな声で呟いた。それに由比ヶ浜はうなづき、手を離す。

 

 困惑して当然。由比ヶ浜は今、自由という広大な空間で、道無き道へと雪ノ下を導こうと――道連れにしようとしているのだから。何処にたどり着くのか由比ヶ浜にもわからない、きっと愉快と不愉快が入り乱れ、理不尽という名の災害が唐突に降りかかり終わる、取り返しのつかない道。

 

「多分、それが、あたしたちの答えなんだと思う」

 

 (なに)で終わるのかは、誰にもわからない。

 理解してしまえば来た道を戻れず、見て見ぬ振りをして歩き続けても背後から襲われる。どうしたって終わるし、なんであろうと失われる。答えなんて、真理なんて、そんなもの。成功率十割の博打なんて存在はしない。

 

「あたしが勝ったら、全部貰う。ずるいかもしんないけど、それしか思いつかないんだ……。ずっと、このままでいたいなって思うの」

 

 だから、由比ヶ浜は先に答えを確定させた。過程も条件も一切合切無視して、たとえイコールの直前にマイナス無限大が存在しようとも、巨大隕石落下や宇宙人襲来や異世界転移が待っていようとも、その先にある答えは『楽しい時間をずっとこのまま』、成立が不可能であろうとも実現してみせると、――だから、由比ヶ浜は言っている。

 

「どうかな?」

 

「どう、って……」

 

 結論を先に描いて、それから過程を歪めてでも辻褄を合わせて、その答えに持っていく。……別に特別なことじゃない。私が天邪鬼だからとか、捻くれ者だから言っているわけではなく。

 小説を書くなら、そんな作り方は普通のこと。始まりよりも終わりよりも過程にこそ重きを置きたい私だけど、ハッピーエンドを前提に書き始めることに忌避感なんて無い。――それを現実でやろうとは思えないけど。どんな能天気な阿呆の進路希望よ。

 

「狂気の沙汰ね」

 

 私とて、無関係な話じゃない。むしろ私だって三角のうちの一角。だからこそ、私も口を挟むし、遠慮なく否定する。

 

「それが出来れば、人魚姫は海に身投げしないのよ」

 

 人魚は所詮は人外であり、人間至上主義のキリスト教思想の世界観では人間には成りきれない下等な生き物だった。だからこそ王子様と結ばれることを願おうと、足を人間のものにするという辻褄合わせをしようと、結ばれる結末はあり得なかった。

 この悲しい物語から得るべき教訓は、どれだけ綺麗に偽ろうとも現実は本物しか選ばないということ。これを覆すには、人魚姫が人間を目指したように、由比ヶ浜は現実を歪める怪物になるしかない。

 

「……それが出来ると言うのなら、そんなのは自意識過剰よ」

 

 ぬいぐるみを抱く腕に力がこもり、ペンギンは括れて歪む。

 

 由比ヶ浜を下等だと言う気は無いけれど、それほどまでに大した人間でも無い。それほどのことをするには、現実は完成し過ぎている。常人に歪められる余地なんて、無い。

 

「うん。……ナーちゃんなら、そんな感じのことを言うと思ってたよ」

 

 由比ヶ浜はにっこりと笑った。そして一筋、雫が頬を伝う。

 私はきっと、無表情。こんなことで泣いたり怒ったりはしないし、笑える話でもない。

 

「雪ノ下の歩む道は、雪ノ下自身が選ぶべきよ。それが私たち三人仲良く団欒している未来につながろうと、私たち三人が地球防衛軍か宇宙侵略軍かメイド喫茶かをそれぞれ率いて三つ巴の戦争をしていようと、それが正しい答えなはず」

 

「……少なくとも、その二つを相手にメイド喫茶を率いた誰かさんは間違っていると思うのだけど」

 

「地球防衛軍はミリタリー系のカフェの店名で、宇宙侵略軍はSF系のカフェの俗称よ。戦場は秋葉原駅前」

 

 雪ノ下はくすりと笑って、私の頭を撫でた。

 

「不可思議さん、由比ヶ浜さん」

 

 私たちに呼びかけながら、立って私たちの前に向く。まるで、奉仕部で私たちに話す依頼人のような面持ちで、雪ノ下は言った。

 

「私の依頼、聞いてもらえるかしら」

 

 恥ずかしそうにはにかむ雪ノ下に、由比ヶ浜は微笑みかえして頷き、立って雪ノ下の手をとった。

 

「うん、聞かせて」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜の視線が、私に向けられる。両隣から伝わり続けていた感情が途絶えて、私の心を私の感情が支配する。

 ぬいぐるみを抱く力を緩め、肺に冷え切った空気を詰め込んでから、私も笑って返した。

 

「……クククッ。ええで、詩的なあんたの話、幾らでも聞いたる」

 

 私もぬいぐるみ片手に立ち、雪ノ下の手をとった。右手を通して、雪ノ下の温かな感情が流れ込んできた。

 

 

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