されど私に学園モノは似合わない。 作:不可思議可思議
上映会から何日か経った朝。今日は珍しく、私でも三子でもなく沙希が、ソファに顔を
というのも、今日は三子や沙希の弟の合格発表の日。受験二日目の日ですら心配しすぎて、らしくなく歌ったりしていたのだから、今日という日に沙希がこうなるのも薄々分かってはいた。
「……沙希さん、学校遅刻しますよ」
「う〜……、分かってるけど……」
「ウチに居ようが学校行こうが時間は経つのだから、諦めなさいな」
「あ〜。……ん」
声ともため息とも言い難いものを吐きながら、気怠そうに沙希は起きた。……こう、怖い系の美人の間抜けな様っていいわよね。
「……じゃ、行ってくる」
沙希はそのまま、我が家さながらにぼやくように言いながら、玄関へと歩き出した。
「私も行ってくるわ」
「うん、結果出たら連絡するから。沙希さんも行ってらっしゃい」
三子も卒業はまだ先で、中学は自由登校とかないし登校日のはずなのだけれど、そんな気配を全く感じさせない様子で私達を見送った。
合否が発表される時間帯は、二限が終わる頃。つまりはもう間も無くで、それまでの間に私がしていたことといえば、沙希の観察だった。
やっぱり落ち着かないようで、頻繁に頬杖をつく位置を変えたり、腕を入れ替えたり、もう片手でペン回ししたりスマホ触ったり、まぁ散々な授業態度を晒していた。私とてそれを咎められるような、褒められた授業態度はしていないが、それにしたって今日の沙希は落ち着きがなかった。
やがて二限終わりのチャイムが鳴り、担当教師がさっさと片付けて教室を出ていく。首の付け根の骨を鳴らしていると、最近はよく鳴るようになった私の携帯電話が一件のメールを着信し、ブブブと机を鳴らした。案の定三子からの連絡で、内容は短く『合格』の二文字のみ。……通信量とか気にするにしても、もう少し長文を送ってくれてもいいのよ?
開いたついでに、たまには姉らしい返信でもしてやろうと思ったのだけど、しかし現実はそうは行かないようで。
「ぎにゃっ」
「なに!? なになに!? なんかあんの!? 行く!? 俺らも行く!?」
獣のように駆け出した沙希が私を米俵のように抱き捕らえ、何事かと騒ぎ出した教室(というか戸部)を背に廊下を駆け出した。
「ちょっと、何で私まで……」
曲がり角を通過する際の遠心力を堪えながら物申すも、沙希に私の声は届かないっていうか怖い怖い怖い階段怖い!! なんで二段飛ばしで降りるのよ! 胃がシェイクされるし落ちそうだしっ跳んだ!? ちょっと今十段近く飛び降りなかった!?
まさかジェットコースター以上の絶叫マシンが目と鼻の距離にいるとは思わなかったけれど、急ぐ理由はわからないでもない。なんせ、休み時間は十分しかない。本来は移動教室の移動や教材の準備でほとんどを潰されているはずの時間なのだから、一分一秒が惜しいというのもわかる。……けど私を巻き込まないで欲しかったわ。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ええ。……やっぱり持ち上げられるなら三子が一番ね」
合否が張り出される正門前で降ろされて放置された私を見つけた三子は、猫でも持ち上げるように脇に手を入れて持ち上げた。右手には私の他に、合格者だけが受け取る書類一式の入っているであろう封筒が指に挟まれている。
普段は届かない三子の頭を撫でてから降ろされると、私は私をここまで連れてきやがった沙希の行方を探した。……探すまでもなく見つかった。私も沙希も目立つ容姿をしているのは、外部の人間が多数いても変わらないらしい。
「大志!」
「姉ちゃん、やったぞ!」
姉弟揃って大声上げて気持ちよく喜んでいるようで、こっちまで文句を言う気が失せてくる。……とはいえ、後々に恨み言は言うのだけど。金銭以外のどこかしらに報復をしないと。
三子の長身が目立ったのか、私の金髪が目立ったのか、向こうも私たちを見つけたようで、弟の方がこちらへやってきた。
「お姉さん、俺、やりました!」
「その呼び方は沙希との関係がややこしくなるからやめなさい。よかったわね。あと誰よ」
「ありがとうございます! 川崎大志っす! えっと、……
「不可思議可思議と呼びなさい」
「不可思議先輩!」
「よろしい」
沙希の妹の京華はちょいちょい会っていたけれど、そういえば弟の方と会うのはまだこれで二回目なのよね。……なんでこんな慕われてるのかしら。
そういえば沙希はどうしたのかと思ったら、一人で隅の方で天を仰ぎ、時折目元に手をやっていた。
「あのー……」
もうあと何分もしないうちに授業が始まるし、三子も用は済んだともう帰っていったし、教室に戻ろうと思ったところで。私は背後から聞き覚えのない女子の声に呼び止められた。
「……? 私に何か用かしら? 案内だったら相応の覚悟をしてもらうけれど」
「いえ、えっと……」
どこか猫っぽい印象を受けるけれど、猫娘というには可愛げのありすぎる、なんとなく一色と通ずる気配のする、私をして美少女と言わざるを得ない美少女。
……の、頭頂から跳ねた一房の髪を見て、私は彼女が何者なのかを察した。
「はじめましてね、小町」
「あっ、はい。……いきなり名前で呼び捨て!?」
俗にアホ毛と呼ばれる、私の
「えっと、じゃあやっぱりあなたが、兄が『見たら全力で逃げろ』って言っていた、不可思議可思議さんですか? 思ってたよりちっちゃい……」
「ええ、そうよ。というか、そう言われているのに話しかけてくるって、いい度胸してるわね」
……というかそんな忠告をわざわざしていたのね、あのシスコン。
「そりゃ勿論っ! 兄の数少ない、というか唯一と言っても過言ではない女子の知り合い、つまり私のお姉ちゃん候補ですから! ……ちっちゃいし、むしろ妹?」
「どんな話を聞いたらそうなるのよ。……まぁ、あなたは私の妹のようなものなのだし、その程度は笑って見逃してあげるわ」
「まさかの脈ありですか!?」
「そんなわけないでしょう。絶対あわないでしょうしね」
いろんな意味で。
「そうそう、私もあなたのことは色々聞いているのよ。散々容姿や性格を褒め倒した挙句に『見かけても絶対近寄るなよ』って、どんな雑なフリかと思ったわ」
「うわぁ……。その話は詳しく聞きたいところですが、……お姉さん、そろそろ授業の時間かと」
「あら、そう」
小町に言われて周囲を見渡すと、いつの間にか戸部達も沙希もいなくなっていて、ここにいるのは中学生とその親と思わしき大人ばかり。
「じゃ、縁があったらまた会いましょ。歓迎するわ」
「兄共々よろしくお願いします!」
「はいはい」
小町に見送られ、私は教室へと戻った。……自販機に寄り道したらしっかりと授業に遅刻したから、存外に世の中は真っ当にできているらしい。
暦ではほとんど春なはずなのに、未だ気温は二桁に足ることなく、力不足な日は落ち始める。
今日の放課後はプロム関係のそこそこ大きな予定があるのだけれど、しかし大きいだけあって大人数が必要で、集合時間までのおよそ一時間を私たちは持て余していた。
「そういえば、ナーちゃん先輩。いい加減私のこと、名前で呼んでくださいよー」
「……なによ、急に」
奉仕部の部室で、三人の会話を背景に小説を書いていたのだけど、ふと一色に話が振られて、キーボードを叩く手が止まった。
「急って、私達もうそこそこ長い仲じゃないですかー。急っていうか、むしろ旧じゃないですかー。旧友じゃないですかー」
「確かに、友かどうかはともかく私や由比ヶ浜さんも未だに名前呼びなのは違和感ね。……姉さんは名前で呼ばれていたのに」
旧友って、何年も前の、久しくあっていない友人を指す言葉だと思うのだけど。
まぁ彼女達が私に物申しているのは、私の呼び方だった。由比ヶ浜も「ナーちゃんどうして!」と視線で訴えてくる。
「……別に、変に拘ってるわけじゃないわよ。沙希だって名前で呼んでるし」
「川崎先輩だけ名前呼びなとこが、なんかデキてるっぽくて嫌です」
私が名前呼びしてる者を挙げてみる。
三子、ほろり、沙希、留美。あと最近だと、夜通し飲み交わした陽乃に、今朝会った小町。
三子とほろり、あと例外に小町はともかくとして、確かに雪ノ下と由比ヶ浜を名字で呼び続けているのは、客観的に見れば不思議ね。……主観的には全く以て不思議じゃないのだけど。
「嫌と言われても、今更じゃない。それに名字で呼び慣れたもの。直すのが面倒」
「結衣先輩を名字で呼ぶ方が面倒だと思いますけど」
「いろはちゃん!? それあたしが面倒な女みたいになってない!?」
「実際面倒じゃないですかー。五文字ですよー? 名前で呼べば三文字も削れます。ローマ字なら六文字無くなります」
「その理屈でいうと、私も面倒な女になるのだけど……」
――ゆいがはま。
――ゆきのした。
確かに、二人とも五文字ね。
「いや、雪乃先輩は普通に属性が『面倒な女』じゃないですか」
「なっ!?」
心外だと雪ノ下は声を上げるも、最も近しいであろう由比ヶ浜までもが庇う事はなく、ただ目を逸らした。
というか、やっぱりいいわね、一色いろは。最強の後輩、最高の生徒会長。初対面から私が気に入っただけのことはある。
「クッ、ククッ。わかったわ。いろはの正直に免じて、それくらいは尽力するわよ」
なかなか笑わせてもらったし、忍ぶ恥も見失って久しいし。
「改めて、いろは」
「あ、えっと、はい。……うわ、なんかキュンときました」
「なっ、ナーちゃんあたしも!」
紅茶の注がれたカップで口元を隠すいろはを見て、由比ヶ浜が顔を突き出してくる。
「じゃあ、結衣」
「う、うん……」
一度として呼んだことのない名前をなんとか思い出して呼んでみれば、同じようにカップを口元に運んで動かなくなった。
「…………」
雪ノ下はといえば、なにも言わず、告白を待つヒロインのような面立ちでこちらをじっと見ている。まるで芸術品のように、儚く綺麗で、可愛らしい。
「ククッ。雪乃」
「え、ええ……」
流石に三人揃ってとはいかず、呟くように返事をしながら顔を背けた。ただ共通して、三人とも頬の辺りが照れで赤らんでいる。――まるで、王子様に名で呼ばれた御伽噺のお姫様のように。
「……いつから奉仕部は雪乃ではなく私のハーレムになったのよ」
「え、奉仕部の奉仕って、そっちの意味だったんですか……?」
「そんなわけないでしょう。……その誤解も懐かしいわね」
呆れたように、雪乃はぼやく。
その誤解は私が平塚先生にここへ連れてこられて、初対面の雪乃に対して言ったことだった。
「じゃ、最後は雪乃先輩ですね」
「え?」
いろはの揶揄うような声音に、雪乃は困惑した表情で首を傾げた。
「ほら、雪乃先輩も、私はまぁともかくとしても、結衣先輩とナーちゃん先輩を苗字呼びしてるじゃないですか」
「あ、あたし、ゆきのんにも結衣って呼んで欲しい、かも」
そう。この場で他人行儀と言えば、ある種私以上に雪ノ下の方が重傷だった。……別に障害ではないし、きっと私も雪乃も他人行儀なつもりなんてないのだけど。
雪乃は困ったように苦笑いを浮かべながら、小さく口を開く。
「えっと、じゃあ……、結衣、さん」
「んん〜、まぁよし! ゆきのん!」
若干不服そうだけど、それでも距離が一歩でも縮まったのが嬉しいのか、結衣は明るく笑って呼び返した。
「……七子、さん」
「ええ、雪乃」
「……なんで名前呼びで逆に距離感生まれてるんですか。ほんと面倒な先輩ですね」
「私が悪いのかしら……」
不思議なもので、『不可思議さん』よりもずっと真に近い呼び方なはずなのに、雪乃の呼び方は酷いくらい距離感を感じるものだった。
「いつも言っているでしょう、私のことは不可思議可思議と呼びなさい」
変なところで抜けている雪乃を微笑ましく思いながら伝えると、雪乃は諦めたように薄く笑った。
「わかったわ、可思議」
「よろしい、雪乃」
流石に私でもわかるくらいに、私たちの距離感は縮まっていたらしい。卒業するまでは、あーだこーだそーだとありつつも、そこそこの距離感のまま卒業して、そのまま関係性が希薄になって忘れると思っていた。けれど、そうはいかなくなったらしい。
自覚した。もしかしたらずっと前から、最初から知っていたのかもしれないけれど、完全に自覚した。
……私はまだ、全盛期の不可思議可思議まで戻れていない。
去年までの私なら、こんな状況にはならなかった。
この距離まで誰かを近づけたりなんてしなかった。
可愛い妹だろうと。尊敬している人形師だろうと。信頼している殺人鬼だろうと。恋愛している先生だろうと。
彼女達との、今の甘ったるい距離まで近づけることは絶対になかったはず。
……けれど、これはこれで、いいのかもしれない。
居心地が悪いわけでもないし、幸せか不幸せかでいうなら、幸せであるのに間違いはないのだから。
――まだ微小だけれど、しかし明確に落ちてきている読者の閲覧数から目を逸らし、冷めた紅茶を一口に呷った。