されど私に学園モノは似合わない。 作:不可思議可思議
私は知らない。
不可思議可思議という小説家のことを、知らない。
七五三七子という女子高生のことを、知らない。
何も、知らない。
知っているのは、記された史実と、語られた事実だけ。
十六年か十七年生きているうちの、ほんの数ヶ月程度。一割にも満たない、数パーセントしか、四捨五入したら消え去る程度にしか、忘れてしまうようなことしか、私の中に彼女はいない。
希薄で微細で曖昧で、何より不安定。
一キロの綿と一キロの鉄塊を天秤に載せて吊り合わせているような違和感は、より大きくなっている。
気がつけば雪ノ下母はここを去っていて、陽乃は宇宙人でも見つけたかのような、興奮と不安を綯い交ぜにした表情で私をジッとで見ていた。凝視していた。
「……ねぇ、可思議ちゃん。もしかしてだけどさぁ、
「私は小説家であって小説の主人公じゃないわよ」
何を隠そう、私自身、不可思議可思議と七五三七子を足し算したようなコンセプトで生み出されたキャラクター。私のできる宴会芸、『
だからまぁ、夏あたりからの読者である陽乃なら、あるいは平塚先生でも、疑問に思われても仕方ないことではあった。
疑問の余地なく、私は超能力者ではないけれど。
「生態模写、キャラクターペースト。……だっけ? 美術的な小説家の持つ異能の一つ。声帯だけでなく性格や感情、技能なんかを自分の体に転写する異能のような技術」
作中で語っていない、詳細な考察を、陽乃は語った。
「心の内まで見逃さない鋭敏な感性と、それを再現できる柔軟な精神、柔軟な声帯あってのものだと、私は思ってるんだけど、……正気の沙汰じゃないよ。心理学なんて専門外だし細かいことは知らないけど、可思議ちゃんみたいな子が使っていいものじゃないのは分かるよ」
「逆よ。私みたいな弱くて希薄で狂ってるような奴じゃないと、こんな狂気の沙汰は為せない」
去年の夏休み、埼玉県川越市で一ヶ月弱を生き残るために狂気の街で身に付けた、強靭な肉体。凶刃な声帯。狂人な精神。
面白くもないし、こんなものは宴会芸にもならない。秘密兵器というより、ボツ兵器。
「まぁ、可思議ちゃんがいいならそれでもいいんだけど、……壊れないでよね、退屈だからさ」
「もう壊れてるようなものよ。名前を二つ持っている時点で、人間は人間を辞めてるに等しいの。ハリーポッターのヴォルデモートみたいにね」
不死となるための禁術、分霊箱。あれは確か、殺人を犯すことで己の心を分断し、片方を何かに収めることで、死んでも片方が壊れない限り死なないというものだった。
私の場合、この肉体には二つの心がある。七五三七子と、不可思議可思議。水と油のように、分かれてるんだかそうでも無いんだかわからない程度に分かれていて、……そして最近はその境界が曖昧になってきている(こう聞くとマヨネーズ見たいね)。
壊れているといえば壊れているし、あるいは治っている、癒着しているとも、言って言えないこともない。
そもそも、名前を増やすことで精神を、心を、――知識人が言うに、キャラクターを分けるというのは、川越特有の概念にもなりきれない、裏の影の闇に潜む怪しい風習なのだけれど。
「なんでもいいけどさ、これから大変だと思うよ。可思議ちゃんは、保護者会以前にお母さんに喧嘩を売ったに等しいからね。同じ土俵に立っちゃったんだから。モンスターペアレンツの、怪物の土俵に」
「あら、試合は諦めた方の負けだけど、現実は諦めた方が何かと得なのよ。いつも通り、一切の工夫も苦悩もなく、諦めと妥協でプロムは実現させるわ」
何も、私が諦める必要はない。私たちの誰かが諦める必要も無い。プロムを諦める必要なんて、毛頭無い。
私の言葉じゃないけれど、保護者には諦めて、ただ黙って見守ってくれていればいい。楽してもらえれば、それでいい。
「そっか。まったく、まったく。かっこいいんだから、可思議ちゃんは」
陽乃は感心したように笑ったけれど、すぐに笑みを消した。
「でも、お母さんも今回ばかりは本気だろうね。可愛い可愛い雪乃ちゃんのために、雪乃ちゃんの成長のために、雪乃ちゃんの挫折のために、便利な補助輪である可思議ちゃんを全力で切り離しにくるよ」
「ククッ」
笑みを消した陽乃に代わり、私が笑った。
「ボルトナットやリベットと違って、溶接は簡単には切り裂けないのよ」
モンスターペアレンツ襲来から、早くも二日が経ち。
別に中止となったわけではないし、中止なんて後から言えないくらい早急に進めようと開き直った生徒会は、今まで以上の作業スピードで進め始めた。
理由がなんであれ一応は前向きな一致団結は雪乃の想定していた最高効率以上の成果を出し続けており、総下校時刻より前には出来る作業の全てが完了してしまった。
余った時間は、各自、早めに帰るなり部活に顔を出したりするそうで、私は平塚先生と話そうと、職員室に向かう。
……今は、その途中にトイレに寄って用を足したところ。
陽乃が言っていた通り、あのモンスターは早速全力を出してきたらしい。
「ドゥ、ドゥフフフッ、き、君がご奉仕部のななっ、七子たんなんだよねっ。たたっ、頼めば誰でもご奉仕してくれるんだよねっ」
予め言っておくけれど、ここは女子トイレである。
そして目の前にいるのは、どう見ても男子。男っぽい女子というわけでもなく、お世辞にも整っているようには見えない顔をしている。
この寒い時期にもかかわらず油汗の滲んだ顔は気色悪く、身長も肩幅も大きい身体は大半が脂肪だと思われる。髪はグシャグシャで小汚く、何かで曇った眼鏡も相まって、どう見ても『キモオタ』と呼称される人種。
「ぼっ、ぼくもお願いしたいなって、おお思って待ってたんだよっ」
緊張からか興奮からか考えたくもないけれど、鼻息を荒くしながら覚束ない手でズボンのチャックに手をかけながらそんなことを言い出すキモオタ。
……こんな奴、この学校にいたのね。
一応、それなりの偏差値の進学校だし、確かに材木座みたいなのがいるとはいえ、このレベルがこのレベルの学校にいるとは思っていなかった。……というか現実にいるとも思っていなかった。
私が全力で引いているのにも関わらず、キモオタはついにズボンとパンツを膝あたりまで降ろした。途端、女子トイレに汗の酸っぱい臭いと、塩気のある臭いが充満し始め、私の目の前には三角定規でも測れそうなくらいに小型で、根元が毛むくじゃらな汚らわしい塔が立ちはだかる。
うわぁ、きもい。加えてキモい。キモさを引いて尚キモい。
現存するのか知らないけれど、全国のギャルに見せてあげたい。これが、キモいというものだと。オタクに向かってキモいと言うなら、これくらいのものは見てから言ってもらいたい。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
三子が入学する高校にこいつが存在しているというのが嫌だし、こいつが先輩とか嫌だし、後輩でも嫌だ。同級生なんて言いたくもない。
「死ねっ!」
「はがっ!?!?」
キモかったから蹴った。
憂さ晴らしも兼ねて蹴った。
根元からへし折るように蹴った。
切除しなければならなくなる蹴り慣れた位置を、出せる全力で蹴った。
ズボンを降ろしていて歩きにくそうな膝が床につき、小さく悲鳴を上げ、異臭のする赤と白と橙色の液体を吹き出し始めた。そんな哀れな汚物を尻目に、私はそっと女子トイレを出て扉を閉めた。
耳を澄まさなければ聞こえない程度に、まだ悲鳴と重たい水音が聞こえて来る。
……こういうのって、通報した方がいいのかしらね?
どうせ証拠は何もないし、私の身の安全を考えるならしないのが最善策。
これが善良なる聖人君子なら、救急車を呼び出し、保健室まで運び込んで応急処置の一つでもするのでしょうけれど、不幸にも私は小説家だった。
あ、聖人君子ならまず蹴らないのか。
「はぁ……」
聖人君子だったら、こういうときどうするのかしらね?
言葉巧みに宥め賺し、女子に好感を持って貰えるよう、非現実的なアドバイスでもするのか。
自分の処女なりファーストキスなりに構わず、その身を捧げてやるのか。
善良な一般市民として警察に通報し、やって来るまでの間に犯されて逃亡を許すのか。
なんて、まぁ戯言にしても汚らわしいわね。
扉の前のマットであの汚物に触れた靴裏を拭って、平塚先生に話すネタが増えたなー、なんて考えていると。
何人かが足早にこちらにやって来る足音が聞こえてきた。歩いているというには速く、けれど走っているというほど速いわけでもない。音の方向に向く頃には、彼女達はすぐ目の前までやって来た。
四人の女子。別にキモくはないけれど、美少女というには、結衣や雪乃に数千歩は劣る。しかも表情は何やら怒っていて、私の目の前に立ち止まるなり、平手打ちをかましてきた。
全くもって、可愛くない。
三浦のときのように、態々理由もなく叩かれてやる私ではない。当たるより前に一歩下がると、小綺麗に煌びやかな爪が目の前を通過していった。
避けられたのがそれほど嫌だったのか、女子の顔はさらに真っ赤に染まる。むしろ紫がかっているところまである。
「このっ!」
計画して襲いかかって来ているのか、後続三人が罵詈雑言を吐きながら私を捕らえようと、腕を伸ばしながら詰め寄って来る。
一人、二人ならともかく、流石に四人相手に喧嘩なんて私には無理ゲーが過ぎる。私は人形師でも天使でもなく、小説家なんだから。
だからこの状況を、戦場ではなく儀式へと塗り替える。
「「「「かぁごめ、かごめ。
かーごのなぁかのとぉりーはぁ」」」」
宴会芸、
「「「「いーつーいぃつ、でーやーるぅ。
よぉあーけーのぉばんにぃ」」」」
手は私ではなく己の口へと向かい、足はその場を動かなくなった。両手で口を閉じようとも、壁に頭をぶつけようとも、かごめかごめは止まらない。
「「「「つぅるとかぁめが、すぅべったぁ。
うしろのしょぅめんだーぁれ」」」」
「ぐぉおおアアアアアアア!!!!」
歌声と、壁や床を打ち付ける音の演奏が終わると同時に、すぐそこの女子トイレから男子の断末魔が廊下まで聞こえて来た。
幸か不幸か、もう放課後なために生徒の大半はこの校舎に居ないし、職員室も部活棟も特別棟も、叫び声が届くようには出来ていない。
ただ一人正気のまま立つ私を疑える者はいなかった。
これが、この程度が、あのモンスターの本気なのかしら。
私が
職員室に行くのはやめておくべきか、むしろ行って誰か頼れる先生に報告すべきか悩んでいると。バッグの中で携帯電話が震えた。
バイブレーションがいつまでも続くから何かと思い見てみると、メールではなく、電話。相手は陽乃だった。
『もしもし、可思議ちゃん?』
「ええ、私よ」
つなげるとすぐに、向こうから話して来た。
『時間的に今日か明日くらいにはお母さんからのちょっかいが始まると思うんだけど、今大丈夫?』
「平気よ」
『……若干、男子の悲鳴みたいなのが聞こえるんだけど?』
「今は心霊スポットの取材に来てるのよ。ここじゃ昔、女子に男性器を蹴り潰されたショックで自殺した醜い男子生徒がいたらしいわ。それ以来、ここでかごめかごめを女子が歌うと亡霊に襲われるの」
『……へえ?』
「死んだ男子生徒は処女厨の強姦魔で、その亡霊に襲われた女子は生き残っても生涯処女らしいわ」
即興で話を作って語っていると、電話から離れた陽乃の笑い声が聞こえて来た。しばらく馬鹿笑い続いた後、陽乃の話し声が聞こえてきた。
『当ててあげよっか。その男の子を蹴ったのは可思議ちゃんで、女子は亡霊に襲われたんじゃなくって、可思議ちゃんを襲おうとして返り討ちにあったんじゃない?』
「八十点ね」
『あー、流石に男子のアレを潰したりはできないか』
「返り討ちにしたんじゃなくて、かごめかごめを歌ったら勝手に発狂してすぐに失禁、気絶したのよ」
『……え、じゃあ潰したの?』
「童貞と処女、相対したら生き残るのは一つだけよ」
『普通、その二つは対消滅するか拒否反応起こすんだけどねー』
「そもそも私は処女じゃないし」
『マジで!?』
……陽乃の純粋な驚愕の声は、初めて聞いた気がする。
「まぁ、膜が破れてるってだけで、男との経験があるわけじゃないけど」
『いや、それはそれでビックリだけどね……』
電話越しに、安堵のため息が聞こえて来た。
別に大した話ではない。柔軟な股関節と処女膜は共存が難しいらしく、体育か何かでやり過ぎたというだけのこと。確か、陸上選手とかで似たようなことが起こるんじゃなかったかしら。
「陽乃。わざわざこんな無駄話をするために電話をかけて来たわけじゃないでしょう? 本題に入りなさいな」
『可思議ちゃんの無駄話のインパクトが強過ぎるんだよ。……本題って言ってもまぁ、注意喚起っていうか、忠告っていうか、まぁそんな話をしようと思ってたんだよ。それももう要らないみたいだけど』
「そうね」
言われずとも、多少は警戒、までは行かずとも推測くらいはしていた。どんな手を使って来るのか、とか。
でも今はもう、推測の域を超えた。
「聞いておくけれど、貴女は私の味方? それとも敵になるのかしら」
問うと、陽乃は愉快そうに笑って答えた。
『私は雪乃ちゃんの味方だよ。――そして
「ええ。それだけ聞ければ十分よ」
『そ。じゃ、静ちゃんには私から言っとくから、今日はもう帰りなね。帰り道の安全くらいは保証してあげる』
私は電話を切ると同時に警戒も解き、一度深呼吸をしてから帰路についた。