[パッチワーク・オブ・ドリーム]ハリボテエレジー育成シナリオ 作:ターレットファイター
阪神レース場第十一レース・芝一六〇〇メートル
GⅠ・朝日杯フューチュリティステークス
本バ場に入ると、芝の表面は本バ場入場直前まで降っていた雨で濡れていた。バ場を軽く走ってみると、水を含んだ芝は予想以上に重く感じられた。
「これは、重バ場かな……」
これだけバ場が水を含んでいたら、パワーの求められるレースになることは間違いない。そうなれば、早めにスパートをかけるようにしたほうがいいだろう。
そんなことを考えながらゲート入りする間に曇天のもと、ファンファーレが鳴り響く。
《クラシックへの登竜門、朝日杯フューチュリティステークス。ここから道は始まる!》
ゲートに入るとまず深呼吸。逃げに比べればスタートはそこまで重要ではないにしても、出遅れてしまっては少なくない不利を背負うことになる。
それから、左右を軽く見回す。ゲート試験、そしてトレーニングの中でゲート発走は何度も経験している。そこでの経験を踏まえると、わたしの場合は前ばかりに集中するのではなく、一旦周りを見て気を緩めたほうがいい。
それから、ゆっくりと息を吐いて前を向く。
一番最後の枠番のウマ娘が入り、後方のゲートが閉じられた。
《各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました》
しん、とレース場が静まる。片足を前に出し、前傾姿勢をとる。
体の奥底で、
《さあ、クラシックへの一番名乗りを上げるウマ娘は誰になるのか、朝日杯――スタートしましたっ!》
ガシャン、と音を立ててゲートが開いた。同時に、地面を蹴る。
逃げ・先行のウマ娘が全力で前に飛び出し、それぞれの目指すポジションへ突っ込んでいく。差しウマ娘は前に出ようとして力を使いすぎないようにしつつ、先頭から引き離されすぎないポジションを狙う。
《先行争いはコンパチキット、スナップフィット》
スタート地点から四〇〇メートル余り。大きくゆるやかに曲がる外回り第三コーナーが見えてくる頃にはそれぞれの位置がはっきりと決まる。
《三番手は⑯番ギンシャリボーイ。前をうかがっている》
逃げウマ娘二人の後方・先行集団の最前方、三番手あたりにギンシャリボーイ。
《⑪番チョクセンバンチョー、ここにつけています》
そこから中団を挟んで内ラチ沿いのバ群の中につけたチョクセンバンチョーは十番手あたり。
《そして最後方は⑧番ハリボテエレジー、脚を溜めている》
そして、わたしはそこから更に下がった最後方十八番手。先頭まではおよそ八バ身ほど。
先行集団が直線から第三コーナーへと突入。それを追って中団がわずかに崩れながら曲がっていく。コーナーに入る前の一瞬、わたしの真正面からウマ娘が消える。
同時に、体の奥底から奔流のように「前に出たい!」という感情が溢れ出す。
全身の筋肉が、耐えきれないように躍動を始める。
迷いは一瞬。
全体的に、逃げを選んだウマ娘が少なく、集団後方から最終直線で差し切るのを狙うウマ娘が多い。この様子だと、遅めのペースになって前方に陣取ったウマ娘が有利になる。おそらく、逃げウマ娘のすぐ後ろでチャンスを伺っているギンシャリボーイが最終直線まで脚を温存して前に出る展開になるだろう。そうなれば、バ場の重さもあってわたしの末脚ではギンシャリボーイを捉えきれない可能性がある。
――ならば、早めに前に出る!
直線の長い東京レース場のレースで第三コーナーからスパートを掛けても、スタミナは最後まで保ったからスタミナに関しては問題ない。
せめて、チョクセンバンチョーのいる辺りまではあがりたい。
押さえつけるようにしていた力を抜いた瞬間、弾かれたように大きく体が加速する。メイクデビュー戦で感じたのよりも猛烈な加速。正直、予期していたのよりも遥かに速い。
――行ける!
少し掛かっているのかもしれない。だが、これなら最後まで脚を溜めておけるはずだ。中団の後ろをかすめて外へと持ち出し、あとはチョクセンバンチョーとギンシャリボーイの動きを見ながらゴール前でもう一度スパートを掛けて差す。そのつもりだ。
体を傾け、ゆるやかなカーブを曲がる――
直後、足元で嫌な音がした。
ぐるん、と世界が回転した。
時速数十キロというウマ娘の走る速さのまま、曲線の外側へと体が放り出される。
《あっとここで転倒がありました! 転倒したのは二番人気⑧番ハリボテエレジー! ⑧番ハリボテエレジー転倒です!》
ほとんど反射的に受け身を取ると同時に、芝生に体が叩きつけられた。コーナーの内側を通ったウマ娘が蹴り上げた芝と泥がばらばらと降り注いでくる。
「ぐっ……」
立ち上がろうと手をつくが、雨に濡れた芝で手が滑り、べしゃりとモロに顔からバ場に突っ込んでしまう。
《さあ四コーナー回って直線コースを向いてくる! 最内スルスルとギンシャリボーイが上がってくる! 大外からチョクセンバンチョーが飛んできた!》
コーナーの先――最終直線に面した観客席から大歓声があがる。べっとりと顔についた泥を拭い、もういちど体を起こす。
《追い上げてくるチョクセンバンチョー! 先頭は変わらずギンシャリボーイ! チョクセンバンチョーよれる! ギンシャリボーイ、脚色は衰えない! これはもうチョクセンバンチョーは届かない!》
駆け寄ってくるURAの職員を制してなんとか立ち上がる。ここで手を借りてしまったら、競走中止となってしまう。
転んだときにひどく打ち付けたのか、体の所々が痛む。けれども、まだ脚は動く。せめて、完走だけでもしたい。
《ギンシャリだ、ギンシャリボーイだギンシャリボーイ振り切ったーっ!》
観客席からひときわ大きな歓声があがる。先頭のウマ娘が遥か彼方でゴールへと駆け込んだのだろう。今から駆け出したとしても、そこでの展開にもはや絡むことはできない。
それでもせめて完走だけでも――そう思って駆け出そうとして、ウマ耳カチューシャとつけしっぽがないことに気づく。周囲を見回すと、泥まみれになってコーナーの外の方に転がっていた。
とぼとぼとウマ耳カチューシャとつけしっぽを拾い上げ、小脇に抱える。勝負服の一部の脱落は。トゥインクル・シリーズの規定で競走中止の扱いとなるものの一つだった。
URAの職員の手を借りて、ラチの内側で待機していた救急車に乗り込む。
《一着は⑯番ギンシャリボーイ! これでデビューから四連勝、無敗でGⅠを制して世代の頂点に立ちました!》
《――お知らせします。只今の阪神第十一競走、朝日杯フューチュリティステークスで⑧番ハリボテエレジーは他のウマ娘に関係なく第三コーナーにて転倒し、勝負服の一部が脱落したため競走を中止したものであります》