[パッチワーク・オブ・ドリーム]ハリボテエレジー育成シナリオ 作:ターレットファイター
[可能性に満ちた脚]
――夢のグランプリ、有馬記念。
世代限定戦のホープフルステークス、ローカル・シリーズの東京大賞典を除けば、トゥインクル・シリーズで一番最後に開催されるGⅠであり、ファン投票による出走権の付与というシステムもあって、その年の締めくくりとしてダービーにも負けない人気を誇るグランプリレース。
堂々の一番人気は無敗クラシック三冠、さらにジャパンカップでシニア級相手のレースも難なく制し現役最強の呼び名も高いウマ娘、ギンシャリボーイ。
そして二番人気はシニア級との混合レースになるマイルチャンピオンシップを圧勝、ダービー、菊花賞と中長距離のクラシックレースでも善戦しギンシャリボーイとともにクラシック級二強の双璧をなすチョクセンバンチョー。
むろん、シニア級のウマ娘たちもGⅠを制した実力の確かなウマ娘揃いだが、すでに彼女らを相手に二人が確かな実力を示した以上、外野からの評価は完全に彼女たち二人の二強対決のムードとなっていた。
そして、わたしはと言うと――
トレーナー室で有馬記念の中継を、タキオンと桐生院さんと共に観ていた。
ただ、正確に言えば桐生院さんは有馬記念の中継を観るよりも図書室から借りてきたトレーニング関連の専門書を読んでいたから、中継を見ているのはわたしとタキオンの二人だけだった。
「桐生院さん、少し眠ったほうがいいんじゃ……」
「いえ、少しでも早くエレジーさんがもとの力を取り戻せるようにしないといけませんから」
わたしが声をかけても、桐生院さんは資料から目をあげようとする様子もない。その目の下には、傍目から見てもはっきりと分かるほど濃いクマができていた。
秋のわたしのレースでの成績は、惨敗というのも憚られる代物だった。
神戸新聞杯では第一コーナーにたどり着いたところであまりのタイム差に裁決委員の判断によって競走中止。
再トレーニングを経て挑んだオープン戦でも全くスピードを上げられず、タイムオーバーで出走停止処分一ヶ月。トレーニングではそれなりに走れているものの、タイムは明らかに前よりも悪くなっていた。現時点では次走の予定も全く立てられていない。
「桐生院くん、そう根を詰めても能率は上がらないよ。今日くらいは休んだらどうだい?」
見かねたタキオンが淹れた紅茶を桐生院さんの手元に置く。
「いえ、いまはとにかく時間が足りません。エレジーさんがまた元の走りを取り戻せれば――来年の有馬記念には出られるはずです。そのためにも、今のうちに解決の糸口だけでも掴まないといけません。これはメイントレーナーである私の仕事ですから、タキオンさんとエレジーさんは私に構わず有馬記念の中継をどうぞ。チョクセンバンチョーも、ギンシャリボーイも、来年の有馬記念にも出てきます。今のうちに、たっぷりとその走りを見ておいてください」
「そうは言ったってねぇ……」
紅茶に目をくれる様子もない桐生院さんにタキオンはため息をついた。
前だったら、私がタキオン相手にしていたやりとりそのものだった。もちろん、タキオンが休むように言われる側だ。
テレビからは有馬記念の予想が流れる中、不意になにか思いついたように桐生院さんが資料から顔を上げた。
「そういえばタキオンさん」
「なんだい? とうとう休む気になったかい?」
「いえ。こういうときになにか役立つお薬はないんですか?」
「睡眠薬ならあるが?」
「いえ、エレジーさんが力を出せるようなお薬です」
「ないよ」
タキオンがそう言ってゆるく首を振ると、ようやく専門書から顔を上げた桐生院さんが「どうして?」というように首を傾げた。
「私の作る薬はどれも才能を伸ばすためのものではなく、才能を十全に発揮させる――脚を補強するためのものばかりだからさ。ただ漠然と力を出せない、というのだけだと手頃な薬がない、かといってどこからか力が湧き出してくる――ともなればそれはもうドーピングだ。私の守備範囲外だよ」
確かに、タキオンの作る薬というのは能力をプラスする薬というよりは故障などを防ぐための薬ばかりだ。わかりやすく桐生院さんがしゅんとする。
「そう……ですか」
「ああ。まあ、紅茶でも飲みたまえ。多少なりとも休んでおくべきだよ」
すすすっと桐生院さんのそばに寄ったタキオンが紅茶を勧める。桐生院さんはちょっと迷った様子を見せてから、紅茶の入ったティーカップを手に取った。
「……ありがとうございます」
そう言って紅茶を一口すすった桐生院さんの身体がぐらりと傾く。タキオンが素早くその手からティーカップを取り上げると同時に、桐生院さんがぐだりと机の上に突っ伏した。
「……タキオン、紅茶に何を入れたの?」
「なに、睡眠薬を少しね。しばらくは起きないはずだよ。エレジーくん、彼女をソファーに寝かせたまえ」
タキオンに促されるままに桐生院さんをソファーに寝かせると、タキオンはティーカップに入った紅茶を流しに捨てる。
「エレジーくん、そろそろ有馬記念の出走だ。……紅茶を淹れてくれ」
紅茶を淹れて戻ると、テレビから関東GⅠファンファーレが鳴り響いた。
《天高く今年最後の関東GⅠファンファーレが鳴り響いて、ウマ娘のゲート入りが進んでおります。実況はわたくし、スプリングテレビジョンのアオシマバクシンオー、解説は現役時代には日本ダービーでの勝利経験もあるキズナカッターさんをお迎えしてお送りします》
ティーカップを眼の前に置かれても気づいてないように、タキオンは真剣な眼差しでテレビ画面を見つめている。テレビの前に腰を下ろすと、ゲート入りの様子が映し出されていた。
《さあキズナさん、出走ウマ娘に関してのまとめをお願いします》
《はい。一番人気のギンシャリボーイは過去の実績から見て非常に厳しい大外枠となってしまいましたが、実力で一つ頭抜けていることを考えれば、それほど大きな不利にはならないと考えることもできます。いっぽう、二番人気のチョクセンバンチョーは前走マイルチャンピオンシップから一〇〇〇メートルの距離延長に対する適性が問われるところですが……菊花賞でも三着と善戦してますし、距離に関しては問題はないでしょう。内枠の有利を十全に活用できれば実力から言って逆転も十分ありえます》
《ありがとうございます。さあ、最後に⑱番キャメルクラッチ、アラブからの移籍ウマ娘がゲートに入りまして――一年を締めくくる夢のグランプリ有馬記念、スタートです!》
ゲートが開く音。同時に、ウマ娘たちが一斉にゲートから飛び出した。
発走地点から第三コーナーまでの短い直線を駆け抜け、コーナーを曲がってスタンド前の直線を通り過ぎる頃には大まかな隊列が形成される。チョクセンバンチョーが先頭、ギンシャリボーイは十二番手辺り、一群となった後方集団の外側。
コーナーを曲がり切り、向正面にたどり着く頃にはチョクセンバンチョーが大きく二番手を引き離して単独での大逃げを図る形勢がはっきりし始めていた。
《①番チョクセンバンチョーから二番手⑤番チョンマゲワンダーまでおよそ五バ身、二番人気チョクセンバンチョーの思いがけぬ大逃げ、これは秘策かはたまた暴走か!? 一〇〇〇メートル通過タイムは――五十八秒ジャスト! 場内どよめく! これは速い! これはハイペースだ、チョクセンバンチョーはこれでもつのか!》
第一コーナーの手前、一〇〇〇メートル地点を通過した段階で先頭のチョクセンバンチョーから、七番手あたりまで位置を上げてきたギンシャリボーイまでの距離は目測でおよそ五、六馬身。大半のウマ娘はギンシャリボーイをマークして、先頭のチョクセンバンチョーを追っていない。
直線が短く、急坂もあるために中山芝二五〇〇メートルは基本的に前方にポジションを占めたウマ娘が有利なコースで、この差は詰められるのか。状況次第では、チョクセンバンチョーがそのまま逃げ切っても不思議ではない。
そのまま、画面の中のレースは第三コーナー、そして第四コーナーから直線へ。
《チョクセンバンチョー先頭! チョクセンバンチョーヨレながらも粘っている!》
後続集団に距離を詰められながらもチョクセンバンチョーはなんとか先頭に踏みとどまり、ギンシャリボーイはようやく集団中央あたり。ギンシャリボーイの上体が揺らぎ、バ群の中に姿を消す。ゴールを前にして圧倒的一番人気のウマ娘が体力の限界を迎えて倒れたような姿に悲鳴のようなどよめきがスタンドからあがる。
《ギンシャリは来ないのか! ギンシャリは来ないのか!? 直線も半ばを過ぎて、年末のグランプリ有馬記念はゴールまで残り一五〇メートル!》
ギンシャリボーイの姿は完全にバ群の中に消え、大逃げを打ったチョクセンバンチョーは未だ先頭。他のウマ娘たちは向正面からペースを上げてチョクセンバンチョーを捉えにかかったことで末脚が伸びない。
どう見ても、チョクセンバンチョーが逃げ切る展開。そう思われた瞬間――バ群の中から、低いシルエットが飛び出した。
《おっとここで飛び出したのは――飛び出したのは!?》
中継アナウンサーが一瞬言いよどむほどの異様なフォーム。両手で大地を掴み、草原を駆けるシマウマのように四足歩行で低く、地を這うような姿勢。ウマ娘の走る姿からあまりにかけ離れた姿勢。
だが、レース中のコースに、バ群のなかにいたのならそれはウマ娘だ。
《真ん中だ! 真ん中バ群を突き抜けてギンシャリボーイ上がってきたすごい脚! これが三冠ウマ娘の走りだスシウォークだ!》
異形のフォーム――菊花賞の最終直線で彼女が初めて見せた彼女だけが使う特殊な走法、スシウォークでギンシャリボーイがチョクセンバンチョーに並ぶ。
《ギンシャリ交わした! ギンシャリボーイチョクセンバンチョーを抜いた!》
並んでからは一瞬。地を這う風のようにギンシャリボーイがチョクセンバンチョーの足元を駆け抜ける。
《ギンシャリボーイ突き放す! 一バ身! 二バ身! チョクセンバンチョーは一杯だ! ギンシャリボーイだ! これはギンシャリボーイ! ギンシャリボーイ!!》
二バ身差――誰も寄せ付けずにギンシャリボーイがゴール板の前を駆け抜けた。
《有馬記念を制したのはクラシック級ウマ娘ギンシャリボーイ! 危なげもなく、あっさりと撫で切って史上初GⅠ六連勝、無敗の六冠バです!》
思わず止めていた息をゆっくりと吐き出した。
「スシウォーク……だったかな。彼女の走法は実に興味深い。菊花賞のときと比べてもより洗練されている。それに何より、あのフォームでタイムが伸びるとは……」
タキオンのつぶやきに、適当に応えながら、じっとテレビを見つめる。
画面に映し出されたギンシャリボーイはコーナーの半ばでペースを落とし、息を整えている。前半をハイペースで大逃げした同期――それもクラシック級でマイルチャンピオンシップを制した実力派の同期を直線だけで捕まえられるような猛烈な末脚を繰り出し、厳しいレースにたった今勝利したウマ娘とは到底思えない、あっさりとした姿に苦笑が漏れる。だが、彼女らしい姿だ。
第二コーナーの奥で一旦脚を止めたギンシャリボーイが、チョクセンバンチョーに促されて駆け足で観客席の前へと戻ってくる。スタンド前の直線を駆け抜けながら、ギンシャリボーイがガッツポーズをするように片手を上げる。テレビ越しにもわかるほど、はっきりとした歓声が、中山レース場を包み込む。観客たちが、勝者の名前を呼ぶ。
大満員のスタンドを前に、ギンシャリコールの鳴り響く観客席に向けて走りながら手を振るギンシャリボーイの背中がテレビに映し出される。
「――ああ、綺麗だなぁ」
思わず、そんなつぶやきが口から漏れた。
――わたしは、あそこには行けないんだ。
その実感は、すとんと胸のなかに落ちた。