[パッチワーク・オブ・ドリーム]ハリボテエレジー育成シナリオ 作:ターレットファイター
[幕間・可能性の光]
――すごい脚! すごい脚! 来るかエレジー、エレジー来た! エレジー来たゴールインッ!
打ち上げも終わり、明かりも消してがらんとしたトレーナー室に実況のよく通る声が響く。
凱旋門賞ウマ娘、無敗の三冠ウマ娘、短距離・マイル王者――世界に名だたる優駿たちがゴール板の前を駆け抜ける。
その先頭を猛然と駆け抜けたのはハリボテエレジー。
――己が、可能性を見出したウマ娘。そして、レースの世界すらも投げ捨てようとしていた自分を踏みとどまらせ、可能性の低い困難な道を選ばせる後押しを無自覚にやってのけたかけがえのないトレーナー。
「――ヒトとしての脚とウマ娘の脚、その両方を兼ね備えた脚、か……」
確かに、自分はハリボテエレジーの可能性に魅入られていた。彼女がどこまで行けるのだろうと思っていた。だからこそ、ドリーム・トロフィー・シリーズへの移籍を見送り、さらには屈腱炎を口実にトゥインクル・シリーズをも休場して彼女のサブトレーナーに専念してきていた。トゥインクル・シリーズで、一度は己の限界速度の果てを垣間見ることができた。そして、競技者としてのピークも超えた者として、己の脚ではなく、己の知識によって新たな可能性を育てる。新たな可能性が限界速度へとたどり着くのを、トレーナーとして、指導者として目にしたい。そう考えていた。
――そのつもりだった。
「そうだ、可能性の種は芽吹いた――可能性の種は、芽吹いたんだ……」
そして、ハリボテエレジーはタキオンの期待どおりに、見込んだ通りの末脚で名だたる優駿たちを相手に勝利を収めた。
ハリボテエレジーが最終直線で見せた末脚は限界速度の果てを夢見させるには十分なものだった。生まれた時からではなく、後天的にウマ娘であることが確認された、稀有なウマ娘……ウマ娘の可能性の、新たな形。
ならば、今の自分にできることはその可能性の手助けをし、そしてどこにたどり着くのか見守る――そのはずだ。モルモットくんは、わたしに対してこれまでずっとずっとそうしてきてくれた。それがトレーナー、それが指導者として――外ラチと内ラチの間、コースの中に立ち入ることのできない存在としてあるべき姿なのだろう。
理性では、そうわかっている。彼女がコーナーを曲がり、末脚を発揮できるようになるための走りを体得した以上、今のプランは問題なく進んでいる。このまま順調に走り続ければ、ハリボテエレジーはきっと彼女の可能性の果てへたどり着くだろう。
すべて、プラン通り――いや、それ以上の成果だ。
中距離以上ならギンシャリボーイ、マイル以下ならチョクセンバンチョー。同じ土俵で競り合うライバルとの相乗効果の果てに、限界速度の向こう側にもたどり着けるかもしれない。なんの問題もない。私自身のトゥインクル・シリーズでの経験――マンハッタンカフェとの競り合いから考えても、同じ土俵で競い合うことのできるライバルとの競り合いは彼女をより高めていくに違いない。
そうだ、競い合うだろう。有馬記念、大阪杯、あるいは安田記念や宝塚記念。それらの大レースで。そうやって互いに相手の走りを間近で目にすることで、なにかを得るのだろう。
それを己はコースの外から、遠くから見ることになるのだろう。今日のように。
それなのに、物足りない。まだ足りない。
これだけでは、満たされない。
コースの外から、見ているだけでは。
外からでは足りないのだ。
不意にがらりとドアが開き、四角い光がトレーナー室に差し込んだ。
「あれ、タキオンどうしたの? なにか用事でもあった?」
廊下から差し込む明かりを背中に、ハリボテエレジーが――かつてのトレーナーが顔を出す。
「ああ、少し確認しておきたかったことがあってね」
「手伝おうか?」
トレーナーがこてりと首を傾げる。くりくりとした目にタレ目がちな目元、小柄さも相まって小動物を――モルモットを思わず連想させてしまう仕草に、思わず口元が緩む。
不意に、さきほどまで繰り返し再生していた動画の中での彼女の姿が、逆光を背負ったそのシルエットに重なった。
暗がりの中で、彼女の瞳を染め上げる深淵の色が――彼女の目に光る光が、強く輝く。
――『君と一緒に果てが見たい』
ああ――そうか。
その光が浮かび上がらせた答えは、あまりにもあっさりと胸の中に開いていた穴に――たった今まで、そこに欠落があったことにさえ気づいてなかった穴にピタリとハマった。
「――いや。もう用事は終わったよ、エレジーくん」
「そっか、じゃあ帰るところ? 一緒に帰る?」
「ああ、そうしよう。――少し長居し過ぎたみたいだ」
パソコンの電源を落とし、腰を上げる。椅子の上であぐらをかいた姿勢で長居しすぎたせいか、少し足がしびれる。
「なあ、モルモットくん、次はどこを走るつもりだい?」
机の周りに置きっぱなしにしていた書類をまとめながら尋ねると、ロッカーから出したコートを羽織りながらエレジーくんが答える。
「ちょうどさっき桐生院さんと話してたんだけど、有馬記念にしようと思ってる」
「ほう、ずいぶんと距離が伸びるが大丈夫かい?」
その問いは、半ばカマかけに近いものだった。身体を仕上げるのにかかる時間とコース形状の兼ね合いからマイルGⅠであるジャパンワールドカップを選択することになったが、彼女の能力を考えれば中距離以上のレースでも問題なく走れるはずだ。
「うん、距離は大丈夫だと思う。コーナリングについては……今日のレースで糸口は掴めたと思う。明日からのトレーニング次第だけど、今日よりはマシな走りができると思う」
その答えを聞いた瞬間、思わず口元に笑みが浮かんだ。
ハリボテエレジーにとっての最大の壁は距離の壁ではなく、コーナーを越えられるか、そしてコーナーまで追走できるかなのだ。そこさえ乗り越えることができれば――彼女の末脚は、彼女の可能性は、その果てにたどり着ける。
「すまないが予定変更だ。一緒には帰れない」
「どうしたの? どこか寄り道?」
「いや、行くべき場所ができた」
「ついてこうか?」
「大丈夫さ」
「そっか。タキオンもいろいろ気をつけてね」
「ああ。屈腱炎にでもなったら大変だ」
「そうだね。じゃあ、おやすみ」
「うん。おやすみ」
時計を見上げると、もうとっくに深夜と言っていい時間になっていた。
真夜中の鐘が鳴るまであまり時間がない。
だが、少しだけ時間は残されている。
「ああ、そうだ、モルモットくん――いいや、エレジーくん」
ハリボテエレジーの背中に声をかけると、不思議そうに彼女は振り向いた。
「可能性の種は芽吹いた。――もう、わたしが教えられることはないよ」