[パッチワーク・オブ・ドリーム]ハリボテエレジー育成シナリオ 作:ターレットファイター
[間章・その脚に満ちた可能性]
――放課後、日没も近くなった頃。
人気のないグラウンドで、ハリボテエレジーとシンボリルドルフの併走が行われていた。
トゥインクル・シリーズ、そしてトレセン学園に君臨する圧倒的な実力者であるシンボリルドルフとトレセン学園への編入入学を許された異色のウマ娘であるハリボテエレジーの併走――公にされていれば、相当数の観客を集めていたであろうそのレースは、行われることそのものを極力知られないようにしたシンボリルドルフの配慮のおかげか観るものはほとんどいなかった。
「ふぅン……」
その数少ない例外――関係者であるがゆえに併走が行われることを知っていた私――アグネスタキオンは観客席から走る二人を双眼鏡でじっと見つめていた。
リードを保ちながら走る会長の後方をハリボテエレジーが追走する形。その実力を計るため、あまりに引き離しすぎないよう会長が走っているのは間違いないだろうが、だからといってハリボテエレジーの脚が並外れて遅いというわけではない。
ハナを奪って前目につけるのでなければ、実際のレースでも条件戦であれば十分と言えるような速さで会長を追っている。
その脚は――ヒトの脚力としてなら規格外、ウマ娘としてならトレーニングを行っていないことを考慮に入れるならまあ優秀と言えるレベル。
しかし、トレセン学園の生徒としてみれば群を抜いて優秀と言えるほどのものではない。「本格化」を迎えたばかりであることを考えればこれからの伸びしろは見込めるが、それほどの素質があると思わせるほどではない走り。
私が見たときの走りはあんなものではなかったはずだが――
忘れ物を届けようと猛ダッシュをしていたときの彼女の走りは、あんなものではなかった。本来ならばもっと速いはずなのだが――。
内心で首を傾げている間にも、二人は向こう正面を通過し、コーナーに差し掛かる。
それと同時に、ハリボテエレジーの走りが変化した。
ぐい、とギアを上げたようにハリボテエレジーが加速する。逸走しかねない速度でコーナーへ突っ込み、会長との差を一気に詰める。速度を上げる会長に食らいつき、大きく外へ膨れながらもコーナーを曲がる。
双眼鏡の視界の中で、ハリボテエレジーの顔がこちらを向いた。三年間、ウマ娘とトレーナーとして向かい合ってきた瞳がこちらを見る。
その瞳は――夢見た世界に足を踏み入れ、熱に浮かされている無邪気な少女のようであり、荒野で猛る猛獣のようでもあり――
――呼吸も忘れるほど、魅せられる色をしていた。
「ふぅン……」
最終直線に入ると同時に瞳に浮かぶ色はますますその濃さを増し、そしてハリボテエレジーがさらに加速する。
シンボリルドルフを抜き去り、驚異的な末脚でリードを広げる。
「すごい……」
思わず漏れたそのつぶやきは、隣で観戦していた桐生院葵のものだった。その声に釣られるように、すっかり忘れていた呼吸を思い出し、そっと息を吐き出す。
ゴール前でトレセン学園随一の実力者の意地を示したシンボリルドルフがなんとかハリボテエレジーを差し返したところで双眼鏡を下ろすと、桐生院葵と目が合った。
「タキオンさんはどう思いました? 彼女の走り」
「そうだね――ゾクゾクするね」
軽く目をそらし、グラウンドの方を見やりながら答える。トレーナーは――ハリボテエレジーは、シンボリルドルフと肩を並べてクールダウンのジョギングをしていた。
――私も、一緒に「果て」が見たい。
かつて、彼女が私をスカウトする時に口にした言葉と、狂気に染まった彼女の目の色が頭をよぎる。
「誰もたどり着き得なかった『果て』を私が見せてやる――か」
そして、それに応えた己の言葉も。
「なあ……桐生院くんはトレーナーくんの――いや、エレジーくんの走りをどう見たのかな?」
「そうですね……」
桐生院葵はわずかに目を伏せて考える仕草を見せたあと、断言する。
「その……彼女さえ良ければ、ぜひスカウトしたいと思いました」
「ふぅン……」
定説では、ウマ娘の最高速度は時速約七十キロ、ヒトの最高速度はおよそ時速四十五キロ。その間にある溝は、けして埋めることのできない、深くて広い溝だ。
だが彼女の脚は、可能性の果ての手前にあるその谷を間違いなく飛び越えてみせた。
可能性だ、あの脚は、あの身体は――可能性に満ち満ちている。
ハリボテエレジーの――トレーナーの――あのとき、ともに「果て」が見たいと宣言し、
彼女の可能性の果ては、遥か彼方にある。
――ハリボテエレジーはもっともっと、速くなれるはずだ。
その可能性の果てを見たい――あるいは、かつて約束したように、ともにウマ娘の速さの可能性の果てをともに見たい。
あの脚を、あの脚がウマ娘の――あるいはヒトの速さの果てのその先にたどり着くのを見たい
そのためには、レースで――それも、できるだけ大きいレースでともに走ることが一番の近道だ。あの脚ならば、彼女はトゥインクル・シリーズへと出走することができるだろう。ならば、彼女が大きいレースへ出走するまでは――彼女と同じレースに出ることができるようになるまでは走り続けよう。
いや、レースだけではない。トレーニングでも、練習試合でも、彼女の走りのすべてをその目に焼き付け、データを取り尽くしたい。
そのために、必要なものは――
「なあ、桐生院くん」
体の奥底からこみ上げてくる震えをさとられぬよう、なるべくさり気なく聞こえるような口調でアグネスタキオンは桐生院葵に声をかける。
「君はハッピーミーク君の専属トレーナーも続けるのだろう?」
「ええ。そのつもりですが……」
「二人のウマ娘を同時に面倒を見るのはちょっと大変ではないかな?」
「それは……いえ、大丈夫だと思いますが。学園に頼んで、誰かトレーナー補をサブトレーナーとしてつけてもらうつもりですから」
「ほう、そうかい」
その言葉を聞きたかった。思わず浮かんだ笑みに、桐生院葵が首をかしげる。
おそらく、その目に映っているアグネスタキオンの瞳にも――かつて、トレーナーが担当を申し出てきた時に目に宿していたような光が浮かんでいるのだろう。
幸いなことに、理論の参考として、あるいはプランBを取ることとしたときに備えて取得しておいたサポート科・トレーナー育成課程の単位は、トレーナー補の資格を申請するために必要な単位数を満たしていた。
「では――GⅠレースとURAファイナルズでの優勝経験もある、現役ウマ娘のトレーナー補はいかがかな?」