雲一つない青空が広がり、朝特有のひんやりした心地よい空気が満ちる住宅街の一角に、
――ガシャンッ
という衝撃音と、
――ぐぺっ!?
という悲鳴が響き渡った。
「……ハジメ? 聞いてる?」
「ん? あ、ああ。聞いてるよ、ユエ」
コツコツと規則正しい足音を響かせながらハジメの隣を歩くユエが、ちょっぴり不満そうに頬を膨らませている。
身長差のせいもあるが、下から覗き込むようにして視線を向けてくるユエは当然の如く上目遣いで、そんな彼女の仕草などもう何度も見ているはずなのに、ハジメの鼓動は一瞬跳ねることを避けられなかった。
なので、先程の衝撃音と悲鳴の原因――すれ違った自転車通勤中のサラリーマンが余所見運転の末、電柱に激突してひっくり返っているという惨劇も、視線と同時にするりと意識が外れてしまう。
ユエはトトッと前に進み出ると、そこでくるりと華麗なターンを決める。
ふわりとなびく金糸の髪が朝日に祝福でもされているかのように煌めき、同じくふわりとひるがえったスカートが彼女の白く魅惑的な絶対領域をこれでもかと強調する。
――ズボッ、どわっ!?
道の端で別の学校の高校生らしき男子が、側溝に足を突っ込んで悲鳴を上げているようだが、後ろ向きのまま自分を真っすぐに見つめてくるユエの姿に心捕らわれて、ハジメは視線を向けることもできない。
「……ハジメ……今日は元気がない?」
「……ああ、調子が悪い……」
だが、ユエにくぎ付けになっていても、あることが邪魔してきて調子が狂うのだ。
「……今日、ハジメの友達が来る」
「……あのダンテの息子のな」
その原因は、ユエが言った通りにハジメの友達である〝ジャック・レッドグレイブ〟が、今日、ハジメたちが通う高校に転入してくるのだ。
ジャックのクラスでの前評判は〝ダンテの息子〟〝理不尽の権化の息子〟〝父親が悪魔のハーフ〟〝魔王の友達〟等々、快くというわけではないが嫌ってるわけでもない様子だった。
なにせ、あのダンテの息子だ。
オムニブスの人達からは英雄として称えられ、悪魔からは文字通り親の仇として見られてる奴の息子。
警戒しないわけがない。
一応、あの大技を放ったダンテは悪魔達が軒並み消し飛ぶような魔力の爆発をしておきながら、人間達を誰一人として怪我をさせることなく悪魔達を消し飛ばしたのだ。
自分達を巻き込まずにあれだけの魔力を悪魔達だけに当てる精度。
気遣えるぐらいには優しいであろうダンテは大技〝ジャッジメント〟を放った後、こちらを心配するぐらいには常識があるのだ。
……あんな馬鹿みたいな魔力を放出したのは常識的ではないが……。
ダンテだけではなくその兄だというバージルもヤバかった。
刀を使うという共通点のある、八重樫雫はクラスメイト達の中でも上位に入る強さだ。
だが、バージルの強さとは比べてはいけないほどに差があった。
ハジメですら捉えきれない速さで悪魔達をバラバラにし、そのあまりの力に空間が切れていたのだから。
ハジメたちの知ってる魔法に空間に干渉する〝空間魔法〟というものがあるが、あそこまで大規模に、そして瞬間的に発動することは難しいだろう。
「……俺の知ってる限りでは、ジャックは普通だった……はず」
「……ん」
「俺があいつに会ったのは小学校六年生になったあたりで、その時いじめられていた俺は公園で泣いていたんだよ」
「……ん」
ハジメがポツリポツリと語っていくのを相槌を打ちながら聞いていくユエ。
また、誰かが電柱にぶつかった音がした。
「そんな時に、話しかけてきた外国人がいた」
「……それがジャック?」
「そうだ。ジャックは泣いている俺を励まそうとカタコトの日本語で応援してたんだよ。『ガンバレ』ってな」
「……羨ましい」
そんな何気ない会話をしつつ彼等は学校へと向かっていた。
――――――――――――
雲一つない青空が広がり、朝特有のひんやりした心地よい空気が満ちる住宅街の一角に、
――ガシャンッ
という衝撃音と、
――ぐぺっ!?
という悲鳴が響き渡った。
「ぐっ、お、折れるな俺ぇ……憧れた日本でのスクールライフだ……初日に遅刻は創作上では鉄板でも、そんなのはまやかしだって知ってるからなぁ……」
ハジメとユエが、仲良く登校している場所とは別の場所で件のジャックは金網に体をぶつけていた。
もちろん好きでしているわけじゃない。
日本に到着したジャックは、手紙に同封されていた地図の通りに進んで、政府が管理しているアパートに住んでいた。
そして、昨日、「明日は学校だ!」と楽しみにし過ぎてしまい日付が変わってしばらく経った頃にやっと寝付いたのだ。
目覚まし時計のけたたましい音を耳にしたジャックは、時計の針が指していた時間を見て飛び上がるほどに驚き、急いで準備を整えたのである。
言わずもがな、遅刻する時間であった。
朝食は、いつものパンにハムと目玉焼きを乗せたもので済ませ、荷物を持ったジャックは、
窓から飛び出したのだ。
三階のアパートの窓から。
冗談ではない。
ほんとにやったのだ。
普通の人間なら自殺をしたと大騒ぎになるだろう。
だが、ジャックは普通ではなかった。
悪魔の身体能力で飛び出したジャックは、魔力により空中で足場を作り、それを踏み台に更に加速する。
時折、地面に着地するが痛みを感じることもなく、また駆けだしていく。
まるでどこぞの映画にあるようなスタントアクションを繰り広げていたジャックはこれなら間に合うと思ったのだ。
間に合う、と油断したのが悪かったのか、足場として着地しようとしていた金網に足を掛けた時、
足が滑ってしまい、さらに反対側の足も引っ掛けて落ちることもなく、金網に体の前面をぶつけたのだった。
SSSランクまで上がっていたものが、一気にDランクまで落ちた。
ダサい。
ダサ過ぎた。
「一先ず……フンッ!」
金網を掴んで、引っかかっていた足を外した後は、腕の筋力だけで跳び、着地する。
筋肉自慢の人間でも見ることのできないような身体能力だ。
「っと、急げぇ……急げぇ……」
すぐさま走り出したジャックは、特に何事もなく学校についた。
ちなみに時計の時間は合っておらず、遅刻どころか大分余裕のある時間に来てしまったことに頭を抱えていた。
――――――――――――
「ここか……」
目的の学校、その特別教室に着いたジャックは疲れたように呟く。
ここに来る途中、何故か周りの視線を集めてしまったからだ。
女子達から視線を集めるのは、まぁわかる。
自身がイケメンだということと、ハジメに教えてもらった日本の概念〝銀髪碧眼長身外国人〟という特徴に魅力を感じるのだということを聞いていたからだ。
だが、何故男子から視線を集めてしまうのかが分からない。
しかも、舐めるような視線を感じたため、全速力で逃げてきたのだ。
「なんだこの学校は……帰還者だけじゃなく、普通にヤバいのもいるじゃんか……」
一度、職員室に来たジャックはしばらく待たされてから、この教室の前に来ている。
何でも、朝のHRがあるらしく、その途中にジャックの紹介が入るとのことらしいので、早く来たのは少しばかり間違いだったようだ。
その間に、誰かの笑い声が聞こえてきた。
『クックックッ……無様だなジャック』
「ファフニール……!」
怒りと共に名前を呟くと、ジャックの体から現れた幻影がジャックの前に立つ。
まるでドラゴンのようなそれは、明らかに意思を持ってジャックを馬鹿にしていた。
『あぁ、面白かったぜぇ…ぐぺっ!? だったか、お前の悲鳴? クックックックッ……ほんとに傑作だぜ、あの姿』
「う、うるせぇな! ファフニール! そもそもお前が時計をおかしくしたのが原因だろうが!」
ドラゴン――ファフニールはひとしきり笑うと、体の中に引っ込んでいく。
それを怒りの籠った瞳で睨みつけても、どこ吹く風だ、とでもいうかのように鼻で笑って体の中に帰っていった。
ジャックの言う通りに、ジャックが早く来すぎてしまう原因となったのは、ファフニールが原因なのだ。
そもそも、ファフニールとは何かを簡単に説明すると、北欧神話やゲルマン神話に登場する竜である。
詳細は省くが、それも〝悪〟として描かれる怪物だ。
そんな存在を悪魔として生み出されたのが、ジャックの体に宿る〝悪魔ファフニール〟なのだ。
そんなファフニールは宿主であるジャックの体をある程度とはいえ操れる。
悪魔であるファフニールは、学校を楽しみにしていたジャックを驚かせるぐらいの気持ちでいたずらをしたのだ。
結果は、大成功。
ファフニールは宿主の無様な姿を見ることが出来たのである。
「ジャックく~ん! 入ってきてもいいですよ~!」
「っと、呼ばれたか……フゥー……よし!」
一度深呼吸をして意を決したように扉を開けるジャック。
教室に入ると、席に座っている生徒達から視線が集まる。
だが、ここに来るまでに向けられた視線とは違い、少しだけ警戒心が混ざっていた。
なんだか、いつもの悪魔達と戦っているときに比べると、些か殺気の類が弱く感じられる。
しかし、あの男子たちの視線に比べるとなんだか実家のような感じがして、緊張していた気持ちが落ち着けたのだ。
教壇には、本当に教師かと思うほどに背の低い女性〝畑山愛子〟先生が立っていたので、その横に立ち止まり生徒達の方を向く。
生徒をざっと見まわし、その中に親友である南雲ハジメを見つけたジャックは、思わず話しかけそうになった。
だが、自己紹介もしてないのにいきなり話しかけに行くのは、他の人に失礼だと思ったジャックはぐっと堪えて全員に聞こえるような声で自己紹介をする。
「ジャック・レッドグレイブです。よろしくお願いします。好きなことは食べることと物を集めること、嫌いなことはまどろっこしいこと。好きな動物は特にいません。あっ、嫌いな動物は悪魔です。よろしくお願いします」
―― …………
クラスに静寂が満ちる。
愛子先生は苦笑いだ。
自信満々に最後のオチもつけたというのに、なんだか微妙な雰囲気が漂っていたことにジャックは困惑する。
「(あ、あれ? いい感じに言えたと思ったし、この年にもなって悪魔を信じてるのかよ! とか、そんな反応を期待して、親しみやすいようにしてたのに……なんでだ?)」
ちなみに、ダンテはジャックにハジメとは会ったが、〝それが悪魔が大量にいるところでした〟とは言ってない。
要するに、周りからしてみれば、
「悪魔を簡単にぶっ殺すやべー奴の息子は、悪魔が嫌いでした。多分家族でも殺されたんだろう……可哀そうに……」
という、なんだか悲しいバックストーリーが勝手に出来ていくのである。
もちろんそんなことはない。
見方を変えればそうかもしれないが、ジャックにとっては悪魔は単純に気持ち悪いし、言いがかりをつけて殺しかかって来るから好きになれるわけないんだけどな。
と、いうだろう。
「あの、先生……いつまでこうしていれば……?」
「あ、そ、そうですね! それではあの席に!」
そう言って指定されたのは後方の席。
いきなり、真ん中に席を置いて縮こまってしまわないようにといった気遣いを感じる。
クラスメイト達からの視線にさらされながらも、自分の席に向かい、そして座る。
「そ、それではHRを開始します!」
――――――――――――
「……あ」
午前中の授業が終わり、昼休みに入った時に、ジャックは弁当を作っていなかったことに気付いた。
食べるのが好きなジャックは誰かと一緒に食べることが楽しみだったのだ。
日本の漫画が好きなジャックはそんな展開を期待していたのである。
しかし、自己紹介が悪い意味で強烈だった所為で周りが距離を置いてしまっているのであった。
「よぉ、ジャック。一緒に飯でも食うか?」
「あ……ハジメ!」
そんなジャックに救いの手が差し伸べられる。
我らが魔王であるハジメだ。
そして、弁当と称しながらハジメの手には重箱がある。
それを不思議そうにジャックが眺めていると、どこからか敵意の籠った視線が刺す。
周りをキョロキョロと見まわしていると、女子が集まっているグループの一人から物凄いジト目で睨まれていた。
「……ハジメ、なんか睨まれてるんだけど?」
「それより、久しぶりなんだ。一対一で話そうぜ」
「……分かった」
何故睨まれているのかと首を傾げるジャック。
ハジメはなるべく気にしないようにして重箱を包んでいた風呂敷を広げて、昼食を取り出す。
しばらく黙々と食べ進めていく二人だったが、ハジメから口を開いた。
「なぁ、ジャック。この間お前の親父さんに会ったよ」
「ん……どうだった?」
「なんていうか……無茶苦茶な人だったな」
「だろ! あんのクソ親父! 借金滞納するだけしておいて、一か月以上失踪してたんだからさ!」
「お、おう……話を振ったのは俺だけど、そこまでか?」
「それ以上だっつうの!」
食事をとる手を止めてまでいかに自分の父親がダメ人間か力説するジャック。
その勢いに思わず押されてしまうハジメ。
周りの生徒達もその話に耳を傾ける。
「俺の家は〝Devil May Cry〟っていう事務所をやってるんだけどさぁ! あんのクソ親父! 碌に働きゃしねえんだよ! 何が週休六日だ! そんなもん、借金を払い終わって、金が溜まってから言えよ!」
「お前の家……借金あるのか……」
「あるよ! この間なんか、事務所の電気やガス、水だって止められたんだからな!」
「なんていうか……ご愁傷様だな……」
一応、悪魔の話について、それとなく聞いてみようと思ったら、なんだか非常に現実味のある話題を出されて困惑する。
周りにいた生徒達もだんだんと憐れみを感じ始めた。
「週休六日だけじゃねぇ! 気に入らない仕事はどんだけ金を積まれても絶対に受けない! 逆に、悪魔関連の仕事ならタダでもやる! その所為で、うちの家計簿はいつも真っ赤! 家計が火の車だよ! そんなんで真っ赤に燃えなくてもいいだろ! ってやかましいわ! 他にも――!」
「分かったから、とりあえず落ち着け。みんな見てるぞ」
「え、あ、す、すみません!」
思わず立ち上がりかけた体を椅子に下ろし、深呼吸をするジャック。
生徒達の中には涙を流しそうになっている者もいた。
そして、皆が心の中で思う。
―― あの人、ダメ人間じゃねぇか!!
「落ち着いたか?」
「ああ、大分落ち着いた。すまねぇな、ハジメ」
取り敢えず落ち着いたジャックは、弁当の代わりに持ってきていた水筒で喉を潤す。
一息ついたら、また弁当を食べ始めた。
……先ほどよりも勢いがあり、なんだかやけ食いをしているように感じるのは気のせいではないだろう。
「で、話の続きなんだが……お前、悪魔か?」
「ん? そうだけど? ってか、どこで知ったんだよ、それ」
なんかさらっと重要なことを告げられたことにまたも視線を集めるジャック達。
「いや、お前の親父さんに会ったって言っただろ? 今から二週間ぐらい前に、なんか悪魔が大量にいる場所で出くわしちまって、助けてもらったんだよ」
「へぇ~……親父が助けるなんて、やっぱその魔力が原因なのか?」
「いや、これが原因ってわけじゃないんだけど、ある事件に巻き込まれてな。その時にダンテさんに会ったんだよ」
「ふぅ~ん……」
またしてもさらっと告げられたことに目を剥く生徒達。
―― いや、しれっと魔力とか言ってるけど、やっぱり〝こっち側〟の人間か!
「ハジメ、俺からも聞いていいか?」
「ああ、いいけど」
「ハジメ達ってさぁ、帰還者って呼ばれてるけど、あの一年間どこ行ってたんだ?」
「……あまり話したくないんだが、まぁいいか。俺達はな――」
そう言って、異世界【トータス】での出来事を語っていくハジメ。
ジャックは黙って聞いていた。
異世界にさらわれたと思ったら、いきなり戦えだの言ってくる頭のおかしい王国の貴族。
自身の力は最弱で、クラスメイトの裏切りにあい、奈落と仮称した場所へ落ちていく自分。
その奈落にいた化け物に左腕を奪われ、極限の環境の中、家族の元へ帰りたいと願った。
そして、化物たちを食らって自身を強くしている間に、最愛の恋人となる〝ユエ〟と出会う。
二人で協力し、たどり着いた奈落の底では、狂った神に反逆した者の残した魔法と意思を知った。
地球に帰ろうとしている間に様々な仲間ができ、
最後には神を殺してこの地球に帰還した。
「……頑張ったんだな、ハジメ。もう俺から『ガンバレ』なんて言えねぇな」
「おう、お前も頑張ったんだろ」
「まぁね。ハジメたちがいない間に地球では大変なことが起こってたんだぜ? クリフォトっていうでかい木が生えて、その所為で魔界とつながった俺の住んでた地域は悪魔だらけになって……ほんと俺頑張ったんだぜ?」
最初の空気はどこへやら。
楽しそうに会話する二人を見て、周りの生徒達も和やかな雰囲気になっていく。
こうして、昼休みは過ぎていった。