「みなさん! 突然ですが、明日から修学旅行です! 準備は整っていませんね! 今日中に急いでしましょう!」
朝のHR。
ツカツカといつになく忙しなくやってきたクラスの担任――畑山愛子先生の元気で蒼白で引き攣り顔で、勢いだけで言い切った感のある第一声がそれだった。
当然、圧倒的静寂が朝の教室を支配した。
クラスの魔王であることが共通認識であるハジメですら、ぽかんっと口を開けて愛子を見ている。非常に珍しい。
一瞬で状況を察したらしい雫は、手で目元を覆って天を仰いでる。が、そこはクラスの常識人にして、ハジメとは異なり真っ当なリーダー格だ。直ぐに手を上げて「質問!」の体裁を取る。
愛子はビクッとした。
「……八重樫さん」
「はい、先生。洗いざらい吐いてください」
質問ではなく尋問だった。
愛子は小動物のようにぷるぷると震える。
クラス全体がジト目を向ける中、愛子は微妙に視線を逸らして教室の角のシミを見ながら説明した。
曰く、何となくスルーしていたが修学旅行は既に終わっている。
曰く、行方不明事件の関係でこのクラスだけ行けていない。
曰く、学校関係者の上の方から、〝彼等〟だけ修学旅行なしという事実がマスコミに漏れたらまた叩かれるんじゃない? 対応するの嫌だよマジで。だからさ、この際スケジュール調整して、〝彼等〟の修学旅行をねじ込んで行かせちゃってよ、というお達しがあったらしい。
曰く、それが二ヶ月前のこと。
曰く、いろいろあってすっかり伝えるの忘れてましたごめんなさいマジごめんなさい!
愛ちゃん先生は教卓の上で綺麗な土下座をした。
「俺、教卓の上で土下座する教師、初めて見たよ」
「土下座する教師自体いないけどな」
玉井淳史と仁村明人が微妙に引き攣り顔で言う。
「ま、まぁ、愛ちゃんが〝帰還者騒動〟で矢面に立ってくれているせいで、いろいろ忙しいのは分かってるし、ね?」
「う、うん。顔上げてよ、愛ちゃん先生」
園部優花がやっぱり引き攣り顔で慰めるように言うと、菅原妙子も慌てて同調する。
「教卓の上ってのが、微妙に頭が高ぇな」
「ハジメくんはちょっと黙ってて!」
「ハジメェ……」
ハジメの発言に、「愛ちゃんをこれ以上追い詰めないで」と香織が注意する。
ついでにジャックも呆れる。
取り敢えず、土下座中の愛ちゃんを何とかしようと、主に女子達が頑張って教卓から引きずり落とし、「社会人として、連絡を忘れるなんて……」と責任感から動きがカクカクしている愛子をクラス総出で慰める。
確かに、かなりの失態ではあるが、日頃の〝帰還者〟たる自分達を守ろうと動き回っていることや、教師の間で愛子が腫れ物扱いだったり、最近やたら髪型カツラに凝っている教頭にツンデレっぽい態度を取られて困っていたりしているのを知っている。
なので、本人はめちゃくちゃ反省しているようだし、このくらい自分達が対応すれば何の問題もないんだし、とクラス一同愛子の精神力を取り戻す作業に没頭する。
「……ハジメ。愛子を慰めてあげて」
ユエが正妻力を発揮した。
ハジメの言葉が、一番愛子に影響を与えると分かっているのだ。
ハジメは「しょうがない」と苦笑いを浮かべると、愛子のもとへ行く。
旦那の登場だ! とモーセを前にした海のようにクラスメイト達が左右に分かれた。
「愛子」
「うぅ、私はダメな教師。ダメな女教師。まるでダメダメな女教師。略してマダオ」
重症だなぁと思いつつ、ハジメは優しい声音で言った。
「修学旅行のしおりとかないのか? 情報がなんにもないんだが」
「ハッ!? しおり!? 職員室に忘れてきました! 取ってきます!」
実は、あまり時間もなかったので、今年度の修学旅行と同じ計画を踏襲することになり、修学旅行のしおりも既に用意されていたりするのだが……
謝罪のことで頭一杯の愛子は見事に忘れてきたらしい。
一杯一杯で悪循環に陥ってそうだ。
パタパタパタと足音を鳴らして駆け出していく愛子を見送る一同。
「取り敢えず、走り回れる程度には元気になったぞ」
「……ハジメ。そうじゃない」
ユエからツッコミを食らったハジメさん。分かってると肩を竦めると、しおり運びを手伝うべく、一人、教室を出ていくのであった。
――――――――――――
翌日。
辛うじて準備を調えることに成功したハジメ達のクラスは、早朝から集合場所――駅の近くにある駐車場に集まっていた。
既にバスが到着しており、中野信治や斎藤良樹がバスガイドさんに話しかけている。
とても若い、可愛らしい感じのバスガイドさんだ。微妙に表情が引き攣っているが。
実は、引き攣っているのは朝っぱらからナンパされているからだけではない。
主な原因は一つ。〝あの帰還者達〟のガイドを、〝一番若いから〟という理由だけで押しつけられたからだ。
彼女の内心は戦々恐々としている。
取り敢えず、運転手は帽子を目深に被りすぎだ。
そんなに私と目を合わせたくないか……と、新人バスガイドさんの視線が突き刺さる。
「お姉様っ、どうか、どうかっ、お元気で! 何かあれば、どうぞあの男を囮にしてお逃げくださいね!」
「今生の別れみたいになってるから止めてくれないかしら? もの凄く恥ずかしいのだけど」
クラスの誰よりも先に集合場所へやってきていた後輩ちゃん。
彼女は、「これが最後かもしれぬぅ」と、雫の胸元に顔を埋めてグリグリしている。
取り敢えず、ハジメは後輩ちゃんの後頭部をアイアンクローした。
「で、出ましたね、先輩! 私とお姉様を引き離して満足ですか!? 満足ですか!?」
「朝っぱらからテンション高ぇなおい」
キャンキャンと咆える後輩ちゃんのこめかみをグリグリしつつ、あくびをするハジメ。
「あ~~っ、頭がっ、頭が割れるように痛いぃ」ともがき苦しむ後輩ちゃんは目にも入っていないらしい。
「やっぱりお姉様をこんな男と旅行に行かせるわけにはいかない! せめて、私もついていかないと!」
やると言ったらやるのが後輩ちゃんクオリティ。
仕方ないので、ハジメは後輩ちゃんに猿ぐつわをはめて、近くの電柱にワイヤーで括り付けた。
そして、どこからともなく首下げ看板を取り出すと、「む~っ、む~!」ともがく後輩ちゃんの首にそっとかけた。
看板には、「朝の日課中。話しかけないでください」と書かれている。
女子高生一人、電柱ワイヤーしたのに誰一人、何も言わないどころか生温かい目で眺めている状況――新人バスガイドさんのSAN値が90に減少した。
「あ、あの、あのっ。畑山先生? あの子が……」
「えっと、えっと、この後、出発したら……ここでああして、それから……」
新人バスガイドさんは、何だか凄く必死に段取りを確認している小動物先生からそっと遠ざかった。
邪魔しちゃだめだよね、ごめんね。
「あっはっは、大丈夫ですよ、バスガイドさん! あの子、ワイヤーくらい自分でどうにかしますから」
「いつものことだしな! それより、下の名前で呼んでもいいっすか?」
信治と良樹が付きまとう。
新人バスガイドさんは困った表情になった。
女の子を電柱ワイヤーする光景が〝いつものこと〟……内心で、「これが、帰還者クオリティーなの!?」と叫ぶ。
――新人バスガイドさんのSAN値 87
と、その時、突如、ロータリーに幼い声が響いた。
「ぱぱぁ~~!」
「! ミュウ! それにレミアも。二人してどうした?」
ステテテテッーと走ってきた幼女――ミュウが、そのままハジメの腕の中へ飛び込む。
その後ろから、「あらあら」と、いつものゆるふわな雰囲気でレミアが歩み寄ってきた。
取り敢えず、新人バスガイドは目を剥いた。「パパッ!? 今、パパって言った!? そして、誰もそのことに驚いてない!?」と、内心で絶叫する。
新人バスガイドさんは知っていた。
朝、パパと呼ばれた少年は、金髪のとびっきり綺麗な女の子と仲睦まじく手を繋いで来たことを。
一人、やっぱり綺麗な女の子がぴょんぴょんとウサギっぽく、親しげに周りを飛び跳ねていたが、少なくとも、どう見ても、あの二人は恋人だ。
なのに、パパ……
男子高校生のただれた生活が頭に浮かび、もう目が離せない。
早朝から、リアル昼ドラだ! 新人バスガイドさんは、録り溜めしておくくらい昼ドラが好きだ!
「すみません、あなた。ミュウが、やっぱりお家じゃなくて、出発するところをお見送りしたいって聞かなくて……」
「そうか……。まぁ、いいさ。見送りに来てくれて、ありがとな、ミュウ。お土産は期待してろ」
「んみゅ!」
嬉しそうにひしっと抱きつくミュウと、表情を緩めるハジメ。
そして、それを温かく見守るクラスメイト達……
(何故、誰もこの状況に疑問を覚えないの!? 修羅場じゃないの!? いえ、待って、あの子はどう少なく見ても五、六歳くらい。ということは、あの男子学生は小学生の時にあの美女を……先生っ、畑山先生! とんでもない事実が今、目の前に! 教育者として何かありませんか!?)
「ふふっ、ミュウちゃんは本当にハジ――ごほんっ、南雲君が好きですねぇ」
のほほ~ん。
期待した反応がなかったことに、新人バスガイドは「くっそぉ!」と小さく呟いた。
というか、今、生徒を名前呼びしかけて、慌てて直したような……
昼ドラ好き新人バスガイドアイッ発動!
……
……
……
あかん、これ。そういう感じやん……。
よく見たら、他の女子生徒も同じやん。
このクラス、人間関係がヤバすぎる! でも一番ヤバイのは、それを当然だと受け入れているクラスメイト達!
なんでぇ!? どうなってるの!?
――新人バスガイドさんのSAN値 83
「小さい子を抱っこする先輩を見つめるお姉様の表情、プライスレスッ!」
「チッ。もう拘束を解きかけてやがる。――追加だ」
ぬるりとした動きで電柱ワイヤーから脱しかけている後輩ちゃんに、どこからともなく取り出した〝ボーラ〟が飛んだ。
錘の遠心力でグルグルグルグル。
――新人バスガイドさんのSAN値 80
「……君。そろそろ時間じゃないか?」
運転手さんが、「もうそれ、絶対に前、見えてないだろう」というくらい帽子を目深に被って、新人バスガイドさんにぼそっと告げた。
「そ、そうですね! 畑山先生! そろそろお時間ですぅ! 点呼をお願いしてよろしいですか!」
「あ、はい。直ぐに!」
若干、やけくそ気味に促せば、小動物先生は小動物のようにチョロチョロと動き始めた。
「あ、あれ? ジャック君はどこなんでしょうか?」
「……先生、あいつ、仕事があって少し遅れるってさ」
「そ、そうですか……まぁ、ジャック君なら追い付きますよね!」
(いやいやいや、生徒が遅れてるんでしょ! もっと気にしてください! ってか、仕事って言いました!? 高校生で仕事!?)
生徒が遅れてきているというのに「まぁ、大丈夫だろう!」と楽観視する教師に心の中でツッコミを入れていく新人バスガイドさん。
ほどなくして、ジャックを除いた全員がバスに乗り込んだ。
――――――――――――
なんかいろいろあっているうちに、「あっ」という一人の男子生徒の声が響き渡った。
声の主は野村健太郎。
彼は、隣の席をジッと見た後、
「愛ちゃん先生! 浩介もいません!」
「なんですってぇ!?」
ざわざわ。「浩介? あ、遠藤くん?」「え? 遠藤いないの?」「っていうか、集合場所にいた?」「見たような、見てないような……」「アビ、浩介の奴、実はその辺にいないか?」「おいおい、卿の奴、置いていかれるとか……流石じゃね?」という生徒達のあっけらかんとした声が響く。
「え? え? あの、畑山先生、もしかして生徒さんがもう一人いない感じですか?」
「ちょっと待ってください。みなさ~~ん! 周りをよく見渡して! もしかして、隙間とかに遠藤くんいませんか? あるいは、隣にいるけど気付いてないだけとか! まずは、よく確認しましょう!」
――新人バスガイドさんのSAN値 71
クラスメイト達は、そろって注意深くバスの中を観察し出した。
結論は揃って、「いませ~~ん!」
「野村くん! ファインプレーですよ! あの遠藤くんがいないことに真っ先に気が付くなんて! 誰か、遠藤くんに連絡を――」
「先生、あいつ、上にいるぞ」
「え?」
ハジメの言葉に、全員が「上?」と天井を見上げる。もしや、張り付いているのか、と。だが、天井に忍者よろしく張り付いている姿は見えない。
「バスの上だよ、上。あいつのことだから、たぶん、トイレにでも行ってる間にバスが出発しちまって、しょうがなく屋根に飛び乗ったんじゃないか?」
「浩介のやつ、なにやってんだよ」
会話の内容についていけない新人バスガイドさん。
彼女を尻目に、健太郎が自席の窓を開ける。
すると、
「あ、窓開いた?」
そんな呟きと共に、屋根の上からするりと車内に入ってくる一人の生徒――遠藤浩介。
「いやぁ、健太郎。サンキュ。一応、ガイドさんもいるしさ、分身とか中に放り込んで知らせるのもあれかなぁと思って、誰かが窓開けてくれるの待ってたんだ」
「誰も開けなかったらどうする気だったんだよ」
「サービスエリアで停車するまで、上で適当に……。慣れれば意外に気持ちよかった」
健太郎の隣に、普通に会話しながら普通に座る、ずっと走行中のバスの屋根上にいた生徒。
そして、「普通に、携帯で連絡とって窓を開けてもらえばいいだろ」というツッコミに、「あっ」と声を漏らして愕然とする浩介と、そんな彼に「流石、アビスゲート!」「卿は初っ端からやらかしたなぁ!」と爆笑するクラスの生徒達。
――新人バスガイドさんのSAN値 68
プルルルルル!
そんな時に誰かの電話が鳴った。
音の発生地はガイドさんの正面、南雲ハジメからだ。
「ん?もしもし……どうしたジャック。何? ちょっと予想以上に手間取ったって? 今どこだ? ……隣?」
そんな言葉が聞こえて、生徒達がバスの外を見る。
そこには、
ごついバイクに乗った制服姿の男子がいた。
というよりジャックだった。
「え?」
高校生が明らかに改造しすぎなバイクに乗って、バスと並走している光景を見た新人バスガイドさんは呆然とした。
「すげぇ~! あれが、キャバリエーレか!」
「あの形……南雲のシュタイフとはまた違った良さがあるな」
そんな光景を見てなお平然としている生徒達に混乱する新人バスガイドさん。
(あれ!? 自分がおかしいのかな!? それともこれは夢!?)
修学旅行の始まりに相応しく、楽しげで陽気な雰囲気に包まれるバスの中、新人バスガイドさんは思った。
果たして私は、最後まで正気を保っていられるのかしら……と。
新人バスガイドさんの試練は続く……………………?
ジャック君は悪魔狩りの仕事があって遅れていました。