最も不器用な三冠ウマ娘   作:Patch

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第一幕 Singing The Rain
雨にうたえば


 紫陽花の葉に容赦なく水の(つぶて)が叩きつけられる。幸いにも蕾はまだ硬く、咲く気配は遠いものだ。

 梅雨にしては少し早い。春と言うには少し遅い。蒸し暑さと冷たい雨が交錯する黒い雲の下で、すっかりと水に浸かった革靴が既に散った桜の花びらを踏みつける。

 春先にはあれほど美しかった桜の花びらは茶色く変色し、地面に散らばっている。この雨を吸ったそれにはかつての面影はない。こうなってしまえばもうゴミと区別がつかない。

 

 今年も桜はよく咲いた。

 日本では春の受験シーズンとなると『桜咲く』という慣用句が用いられる。厳しい北風に耐え春の陽気の下で華開く喜びと、入学試験に合格した喜びを重ねて唄う、いかにも風流な言葉だ。

 俺は去年から日本ウマ娘トレーニングセンター学園で競争ウマ娘を鍛えるトレーナーとして勤務している。かつてからの夢だった。去年の桜は今年よりもより一層大きく、華やかに見えた。

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称『トレセン学園』には毎年中等部・高等部問わず、多くのウマ娘が入学する。彼女たちも『桜を咲かせた』人物たちだ。彼女たちはここでトレーニングを重ね、国民的エンターテイメントである『トゥインクルシリーズ』で競争ウマ娘としてのデビューを目指す。

 

 だが、咲いた桜が散ることは宿命なのだ。

 トレセン学園は国内最大級の規模を誇るウマ娘専用教育機関である。だが、トゥインクルシリーズで活躍し、注目を浴びるようなウマ娘は数えるほどしかいない。入学してきたウマ娘の多くはその現実に打ちひしがれて学園を去っていく。

 俺が受け持っていたチームは解散した。ひとりが夢を諦めて退学すると、支柱が折れてしまったかのように、所属していたウマ娘のほとんどはチームを抜けていき、数人は退学していった。

 レースで勝てなければ意味はない。トレーナーとして彼女達を勝たせることが彼女達のためになる。そんなことはわかりきっているはずだったが俺はそんな行き過ぎた競争に少しだけ疲れていた。

 べつに植物が好きという訳ではない。花さえ咲かせていない地味な紫陽花を愛でていたのは、ただこの遅々とした歩みを紛らわせるなにかを探していて、目についたものがその紫陽花だったというだけだ。

 既にこの歩みも止まりつつある。よく水を溜め込んだ革靴が俺を歩かせまいと足を掴んでいるようで、トレセン学園までの道がやけに遠く感じられた。

 

 赤信号で足を止める。車道のアスファルトは車の(わだち)に沿って削られており、大きな水たまりができている。

 覗き込むと水たまりには情けない男が写っていた。今にも泣き出しそうでとても見ていられたものではない。

 幸いにも今日は雨だ。このまま泣いてしまってもその涙は雨とは区別がつかないだろう。

 そんなことを思っていると、目の前を大きなトラックが横切った。水たまりの上をタイヤが横切ると大きな水しぶきが上がり、男の顔は見えなくなった。もう一度その顔が写ったときには、情けない男はずぶ濡れになっていた。

 

 信号が青になる。俺はまた歩みを進める。

 そのとき、もう一度大きな水しぶきが上がった。駆け抜けていく誰かが、水面に写った情けない男の顔を踏み潰して行った。

 この速さはきっとウマ娘だ。顔を上げると傘も差さずに駆け抜けてゆく背中が見えた。雨だと言うのにその足取りは軽い。非常識なウマ娘だ。まるでこの雨を楽しんでいるかのようで、苛立ちさえ覚える。服だって彼女のせいでずぶ濡れだ。

 今度会ったら注意してやろう。水をかぶった腹いせではない。そもそも公道を全力疾走することは禁じられている。

 

 その『今度』は想定よりも早く訪れた。

 

「ごめんなさい!水かかっちゃったよね!よかったら使って!」

 先ほどのウマ娘が俺に声をかけてきた。雨の中で走るという非常識なウマ娘ではあるが、そのあたりの常識は持ち合わせているらしい。差し出されたタオルを手に取ると、水が染み出すほどに濡れていた。

 

「いや、ビショビショじゃないか。」

「あー、そういえば今日は雨だったね。」

 雨に打たれながら言っていいセリフではない。

 

「キミ、ウマ娘だろう。名前は?あと、どうして雨の中走っていたんだ。」

 

「非常識だなぁ。相手に名前を訊ねるときは、まず自分から名乗るべきじゃないかな?」

 そう言って、目の前のウマ娘はからからと笑った。黒い雲の下には似合わない晴れ渡った笑顔がそこにあった。

 

「アタシはミスターシービー。そのバッヂを見るに、キミは新人のトレーナーさんかな?」

「いや、今年で2年目だ。」

「へぇ〜そうなんだ。じゃあ、学園で会ったらその時はよろしくね。」

 

「あと、走ってた理由だけど、『楽しそうだったから』かな。それじゃ。」

 

 そう言って、また彼女は駆けて行った。楽しげな足取りには変わりはない。だがその姿は先程までとは違い、何か物足りなさを感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

「タオル、洗濯して返すか。」

 

 

 彼女が置いて行ったタオルも、俺も、雨に打たれてずぶ濡れだ。ならばもうヤケクソだ。傘なんか必要無い。

 傘を閉じて水たまりを踏みつける。その水面はもう情けない男の顔を写さなかった。

 

 

 

 意味もなく歌いながらスキップする。晴れやかな気分とまではいかないが、少しだけ楽しかった。

 

 

 

 

 

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