「おーいシービー、来週の水曜日と木曜日、出かけるぞ。」
「いいねぇ、海に行く?山に行く?」
外はすっかりと夏の景色に変わっている。今週の金曜が終われば夏休みだ。
すでにデビューした上級生たちは合宿で居なくなる。まだデビューしていない私たちがのびのびと練習コースを走り回れるのはこの期間くらいだ。
「山だ。良いサイクリングコースがあってな、ウマ娘も自由に走れる特別区間でもある。」
「じゃあ、夜はカブトムシ取って、花火もしなきゃね。宿はどうするの?」
「コテージが取ってある。すまないがキャンプだ。」
「楽しそうだねぇ、にんじんがいっぱい入ったカレーがいいな。」
「ああ、そうしよう。ところでシービー──」
トレーナーが顎に手を添えた。忙しそうにしているためか、少しだけ髭の剃り残しがある。私のために努力している証だ。
「──お前、自転車には乗れるか?」
自転車はよくヒトが乗っている乗り物だ。ペダルを漕ぐことで楽に速く進むことができるらしい。
だが、私たちウマ娘にとってはそんなものは必要ない。軽く走るだけで自転車くらいなら追い抜いていける。そもそも乗る必要が無いし、欲しいと思ったこともない。
「いや、乗ったこと無いよ?」
「そうかー、いやぁー残念だなぁ〜。」
「えっ?なんで?走っていいんじゃないの?」
トレーナーはタバコを咥えてニヤリと笑う。火はついていない。
こういうときは絶対何かがある。
「せっかくのサイクリングコースなんだ。楽しまなきゃ損だろう。」
「でも自転車持ってないし……」
「言うと思ったよ。部室の扉、開けてみろ。」
言われた通りに扉を開けると、新品の赤い自転車が2台停まっていた。街中で見るものとは少し違う。カゴがついていない。ハンドルは変わった形にねじ曲がり、ペダルは幾分か小さい。
「備品の審査が通らなくて自腹で買ったんだ、高かったんだぜコレ。」
トレーナーの考えていることはわからない。自転車よりもウマ娘は速く走ることができるのに、私のためにこんなものまで買ってしまっている。
でも、そこがトレーナーさんの面白いところだ。
「この靴を履いて、ペダルに嵌め込む。大事なのは勢いだ、スピードが出れば出るほど自転車は安定する。やってみろ。」
レース靴に似た靴だ。でも、いつも蹄鉄が付いている部分には奇妙な出っ張りがある。言われた通りにペダルに足をかけるとカチャリと小気味良い音がして、足が抜けなくなった。
「思いっきり踏み込め!」
右脚に渾身の力を込める。後輪が回り、ちぎれた芝が巻き上がると同時に私の視界がゆっくりと右に傾いていった。
「あらららら!?」
自転車と私はパタリと倒れて芝の上に寝転がる。
「はっはっはっは!」
トレーナーは笑いながらタバコに火をつけた。
「ウマ娘の脚力はヒトのそれよりも強い。右足と左足の力の差は走る上で軸がブレる原因になるんだ。そんなウマ娘が自転車に乗るとこうやって転ぶ。」
差し出された手を取ると、グイッと持ち上げられる。彼のタバコの煙が顔にかかった。煙の匂いが髪に付かないか心配だ。
「キャンプ、楽しめたらいいな。」
そう言ってトレーナーは歩いて行った。
私はもう一度ペダルを踏む。また同じように転倒した。
見上げてみれば、私の視界の先には雲ひとつない青空が広がる。雨の日も良いけれど、今日はいい天気だ。タダで起きるのがもったいない
寝転がって大きく息を吸い込むと芝の匂いと私のシャンプーの匂い、そして微かにタバコの匂いがした。
タバコ、やめればいいのにね。