「トレーナーさんの言ってたことは、正しかったよ。」
キャンディーを取ると、彼女は歩きながら静かに話し始めた。俺はその脚に目を取られる。
「どうしたんだ、その足は。」
「ああ、これ?」
バンテージが何重にも巻かれ、靴ではなくサンダルを履いていた。そして彼女の足の裏に巻かれた包帯からは血が滲み出している。
「走るといつもこうなっちゃうんだよね。血マメができることはよくあったけど、最近は特に酷くて。」
「靴は変えたのか?、中敷きは?」
俺がそう訊ねると、シービーはまた悲しげに笑う。
「今更遅いよ。夏は休養してたんだし、靴を変えたら毎日王冠には間に合わなかった。」
「俺に言ってくれれば……。」
シービーの脚の特徴は理解しているつもりだ。しかし俺が呟いた言葉を彼女は丁寧に否定する。
「それは傲慢だよ。南坂さんも、おハナさんも、手を尽くしてくれた。それで走ったけど、アタシは手も足も出なくて負けちゃった。それだけ。」
シービーの言う通りだった。三冠を取ったのは彼女自身が優秀であったからに過ぎない。俺はあの菊花賞のときに思い知ったはずだった。
それなのに俺は、まだ彼女のトレーナーとして『何かをしてあげよう』としてしまう。
既にトレーナー契約は破綻し、実質解消されたようなものだ。俺がいない間に彼女のトレーニングを担当しているのは、おハナさんと南坂であり、ふたりは優秀なトレーナーである。
思い上がりも甚だしい。これを傲慢と言わずして何と言えるだろうか。
事実を捉えただけの言葉に過ぎないのに、その言葉は俺を撃ち抜いて行った。銃弾のように鋭く悲しみに溢れたそれは、俺の頭を突き抜けてどこかに消えて行く。
また彼女は悲しげに笑った。
「トレーナーさんは、菊花賞のときに言ったよね。先行策を取れって。」
「今日、ようやく意味がわかったんだ。私の脚じゃ、多分もう勝てないんだって。追い込みじゃ、世界に行けないんだって、はっきりわかった。」
「次の天皇賞は、先行策を取ってみる。」
そう言って、シービーは俺に背を向けて歩いていく。
「シービー、どこに行くんだ。」
「ごめんね、これから
「アタシが居なくなっても、トレーナーさんはイギリスで頑張ってね。」
顔を向けずに言葉を発した彼女の肩はどこか震えているように見える。
もう、終わりなのだ。何かがそう告げた。
俺ができることはもう無いのだと、彼女に関わることはできないのだと、そう思ってしまった。
これは現実なのだろうか。
それとも幻なのだろうか。
濁流に巻き込まれたかのように、思考が止まる。
しかしこの事実からは逃れることはできない。
シービーが歩いて行く足音が廊下に響く。
重々しくありながら、彼女はまだ進んでいた。