控室に戻ると、ばつの悪そうな顔をした南坂さんが下を向いて椅子に座っていた。
「おかえりなさい、シービーさん。先輩とは話せましたか?」
私に気づいたようで、その顔には柔和な笑みが戻る。
「見かけたけど、見失っちゃった。」
私は咄嗟に嘘をついた。これは彼のためであり、私のためでもある。
私のトレーナーは優しかった。大敗したことを責めもせず、気にしていたのは私の脚だった。
ずいぶんと傷がつき、汗と砂と血に塗れたこの脚はとてもでは無いが年頃の女のものとは思えない。
走れば血管が浮き上がり、心臓の拍動に合わせて隆起する。熱を持って太く腫れあがり、むくみが取れるまでには数日を要する。脚がぶつかればアザになり、変色して長いこと跡が残る。擦り傷はケロイド状になり、完治しても消えることはない。
そして私は、この脚で負けた。
「すみません、僕のミスです。天皇賞・秋でのことを考えれば、カツラギエースが大逃げすることは予測できたはずでした……。」
「いいんです。走ったのはアタシですし、展開を読み違えたのもアタシです。」
私は天皇賞・秋でカツラギエースを差し切り勝利した。それを鑑みれば、先行策を得意とする彼女が追い込む私を警戒してリードを取ろうとするのは必然だった。
海外勢もふたりの三冠ウマ娘を警戒していた。最内枠に入った私は先行しないと踏み、多くはシンボリルドルフのマークに徹し、スローペースで展開が進んだ。
その結果として、単騎での大逃げと勝利という結果がもたらされただけのことだ。
終わってみれば、彼女の勝利は当然のことだった。
もしもカツラギエースが大逃げを打たなかったら、彼女を誰かひとりでも追いかけていれば、その結果は覆ったかもしれない。
だが、レースには『絶対』も、『たら・れば』もない。この世界はそんなものだ。
私は何度もかの後塵を拝した。彼女が十分脅威に足る存在であることは知っていた。それなのに私はミスを犯した。
今日だけは勝ちたかった。私にとっても、彼にとっても、URA史上にも特別な日になる予定だった。
だが私が夢見た未来は通り過ぎ、どこかに消えてしまった。
私の冬はまだ続きそうだ。世界が冷たく思えても、私は歩みを止めてはならない。
「ねえ、南坂さん。お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
ただ、今日が特別な日であるということは変わらない。
彼が残した最後の贈り物の封を切るときが来たのだから。
「ええ、できることならなんでも致しますよ。」
南坂さんは優しく笑いかける。彼も優秀なトレーナーであるから、きっと私の想いは分かってくれるだろう。そして、今の私では世界に行けないということも分かっているはずだ。
敗者に賞賛は与えられない。手の内には悔しさしか残らない。その悔しさは勝利への渇望となって、私を高く高く導いてくれる。
この身が燃え尽きるまで走り切ろう。その先にはきっと彼がいるから。
「春天までに、先行策を教えて下さい。」
難しいことはわかっている。長距離適正に乏しい私が走り切れるかどうかもわからない。
全てが闇の中にある。しかし挑まねば始まらない。
ならば、