今の私にとって3200mという距離は長すぎる。最後にどう脚を残すか、それが一番の課題であることは火を見るよりも明らかであった。
大阪杯の結果は人気の上では悪く作用した。私の適正距離はマイルから2000m、観客達にそう思わせてしまったらしい。この日初めて、シンボリルドルフに1番人気を譲ることになった。
私は未だ彼女に勝てていない。人気こそこれまで優っていたが、すでにそれも追い越されてしまった。
絶対の勝利、それが『三冠ウマ娘』に足る証なのだろう。彼女の強さは現実である。目の前に存在するその『三冠ウマ娘』が『夢』や『希望』などと寝言を言う観衆の目を覚まさせた。
彼女のレースに言葉は必要ない。シンボリルドルフ、1着。たったそれだけ、ただ現実を言い表すだけで足りてしまう。春風に香る花のような言葉をどれだけ並べようとも、真の強さの前にはその全てが無力だ。
脚がすくみ、小刻みに震え出す。手は汗でじっとりと濡れ、冷たくなっていた。
それでも私は走らなければならない。それでも私は勝たなくてはならない。
シンボリルドルフが
彼の前で、もう一度勝利を。そのためだけに私はこの身の全てを尽くそう。
「いよいよ、本番ですね。」
小さく掠れた声で南坂さんがつぶやいた。G1の大レースに挑むのだからやはりトレーナーであっても緊張するのだろう。スインギーウォークも応援に駆けつけてくれたが、表情が強張っている。
私は今日この日のためだけに先行策を学んだ。それも緊張の一因になっているのかもしれない。
脚質転換は彼が最後に与えてくれた贈り物だ。私がこれから勝ち続けるために、悩み抜いた末の結論がこれだったのだろう。
私の脚には何物にも縛られない自由さがあると、彼は言っていたらしい。それでも彼が先行策を提案したのは私の『勝ちたい』という想いを真摯に受け取ったからなのだろう。
優しい彼に葛藤がなかったわけがない。しかし、それに気づくには遅すぎた。
私は一度、彼の想いを蔑ろにしてしまった。先行策を身につけたとしても、その罪は消えたりしない。
もし本当に、『何物にも縛られない脚』があるのならば、私は天を駆けて彼に会いに行きたい。
いや、それでは遅すぎる。光の速度を超え、時を駆けて、あの頃に戻りたい。いつも笑いあっていた、春の日差しに包まれていたかのような時間に戻りたい。
でも、それはできない。私の冬は続いたまま、冷たい雨が降っている。
だから私は、前へ進むしかない。この脚で勝利をもぎ取り、春を迎えに行くのだ。
「シーちゃん。」
今にも泣き出しそうな悲痛な顔でスインギーが私を呼び止める。彼女には先行策を身につけるために沢山の時間を併走に割いてもらった。彼女のためにも、私は勝たなくてはならない。
「うん、絶対。絶対に勝つから。」
私はそう言い残して、パドックへと歩みを進めた。
レースに絶対は無い。しかし、その『絶対』を持つとまで言われた三冠ウマ娘がいる。
『絶対の勝利』、それを実現させるからこそ、彼女は三冠ウマ娘足る存在であり、そして私も、三冠ウマ娘であった。