「完璧とは言い難いレースだったわね。」
控室の中で冷たく言葉が鳴る。
「一瞬の動揺、それが命取りになるわ。」
「はい」
走りは全て見抜かれていた。私はミスターシービーが放った乾坤一擲の追い込みに動揺し、策さえもかなぐり捨ててスパートを早めた。
「あなたの判断は正しかった。あそこでスパートを始めなければ、リョウゼンエボシを捉え、サクラガイセン、ニシノライデンから逃げ切ることはできなかったでしょう。」
「はい、ありがとうございます。」
「でも、冷静さを失っていたというのならば、話は別よ。」
「……すみませんでした。」
単独3番手で先頭のふたりを追走したためか激しく消耗している。
私らしくもない。だが、そうさせたのは他でもないミスターシービーである。
彼女がロングスパートを始めたとき、スタンドからは大きな歓声が上がった。それに慌てふためき、必死に追っていた私はずいぶんと滑稽に見えたことだろう。
ミスターシービーという天衣無縫の存在。私はまた彼女に後れを取ったのだ。彼女を超えるためにはもう一度、人気も超えた上で勝たねばならない。ミスターシービーの得意な距離で、展開を読み切った上で、完全な勝利を掴まなくてはいけない。
今では既にミスターシービーを超えたと言う者も居る。だが誰がどう言おうとも、私はまだ彼女との決着を付けられていないのだ。
「おハナさん……。」
「なにかしら。」
シービーが最も輝く舞台は2000mの中距離。そこで彼女の首を討ち取ることこそが、完全な勝利である。
未だ長距離レースと広い距離適性に対する重要視は強い。私がシービーを越えたという言説もそれに起因するものだろう。
確かに広い距離適性は強さのひとつでもある。しかしその環境では多くのウマ娘の芽を摘むことになる。
皮肉なものだ。ウマ娘が持つ強さの多様化を目指し、短距離戦やマイル戦の拡充を掲げた私が、距離適性の広さからシービーと比較され、世間に評価されている。
無論、どんなレースでも負けようとは思わない。しかしこの状況は私が望んだ理想とはかけ離れているものだった。
短距離戦やマイル戦は決して裏街道ではない。クラシックに出られなかったから、長距離レースで負け続けているからと言って決して弱い訳ではない。それはただ彼女達が持つ真の強さが理解されていないだけなのだ。
ジャパンカップも、有馬記念も、彼女の適正距離外だった。ミスターシービーが最も輝く舞台で対戦してこそ意味がある。そして観衆達は真の強さを目の当たりにすることだろう。
「私はもう一度、シービーと走りたいと思っています。帰国後、私を秋の天皇賞に──」
「もうあの子を気にするのはやめなさい。」
遮るようにしておハナさんが言った。
「貴女は貴女だけの走りをしなさい。ミスターシービーは確かに素晴らしいウマ娘。でも、シービーに勝つことだけが、貴女の夢では無いわよね。」
思わず言葉を失う。おハナさんはそれを悟ると、またゆっくりと言葉を続けた。
「鮮烈な記憶もいつかは薄れてしまう。でも、記録だけは薄れたりはしない。その記録さえ残せば、共に戦ったウマ娘たちの名も語られる。」
「貴女は三冠ウマ娘でも、シービーに勝った者としてでもなく、シンボリルドルフとして歴史に名を残すのよ。そして、数多のウマ娘が、貴女の名を目指して駆けてゆく。」
「どれだけ彼女の影を追おうとも、貴女はミスターシービーにはなれない。皇帝、シンボリルドルフなのだから。」
私とミスターシービーは距離適性も脚質も対照的だった。例えるならば違う峰の頂点と言うことが相応しい。
私はミスターシービーにはなれない。それは単なる事実である。しかしその言葉は私の頭の中で何度も繰り返し鳴っていた。